シュメールの神官が認識していた1611年周期の文明

シュメールの神官が認識していた1611年周期の文明------------------------------------------------

 シュメールの最高神官たちは「世界史は東から西に向かって進む」ということを理解していた。これは地図上では、東から西への移動に見えるが、実際の地球においてはこの現象は西回りに回転するスピンなのである。このスピンが単なる偶然の現象ではなく正確な法則である証明は、東から西にスピンするその時間と空間の関係にある。そこにシュメール人が聖なるリズムと呼んだ、規則正しい地球のバイオリズムが潜んでいる。これを認識していたので、日本の皇族もシュメールへやってきた。近年、世界中でもっとも優勢な立場にあった国から、人類の歴史を振り返ってみるとそれが理解できる。
 近年までもっとも優勢な立場にあった国はアメリカである。このアメリカの歴史を遡ると、イギリスからスタートしており、アメリカ繁栄以前はアメリカの東にあるイギリスが優勢な文明であった。たしかに東に戻ることになる。そしてイギリス以前は、その東のヨーロッパが強い勢力だった。そのヨーロッパ文明の前は、さらに東のギリシャ文明に遡る。そのギリシャ文明以前は、さらに東に位置するエジプトやメソポタミアである。歴史の焦点は、たしかに東へと行き着く。
 これは常に一定する速度のスピンであり、正確には、1611年間に、経度にして22.5度ほど、聖なるリズムの焦点は西側にスピンする。この現象の謎を解くには、これがスピンリズムである点を理解する必要がある。宇宙の天体やミクロ宇宙のすべてがスピンであるように、これはある意味で物理現象なのである。
 まさしく人類の歴史は1611年を一単位として、その節目ごとに22.5度ずつ西に文明極点が移動し、その結果新たな最優勢な文明がその位置で開花している。しかもその精度は、0.1度の狂いもない。

 これは西洋の歴史だが、反対に東洋では、あたかも素粒子と反素粒子のように、西洋側のスピンを鏡に映したかのような、これとはまったく正反対のもう一つのスピンが実在することをシュメールの最高神官たち知っていた。この法則は東洋の歴史にもあてはまり、具体的にそれは、1611年に22.5度東回りに移動するスピンである。実際にはこれは、東洋でもなければ西洋でもなく、互いに相反する一対(いっつい)のスピンなのである。つまり両者のスピンはすべての生命に男女があるように、互いに相互作用で進展していくのであり、相対性の原理に基づく生命のリズムなのである。
 近年、アジアでもっとも優位にあり、最初に近代化に成功した国は日本である。しかし日本がアジアをリードした歴史はごく浅い。日本は1500年もの間、中国から諸文化を学び続けて発展した国である。唐の時代にも中国は、日本にとって進んだ国だっただけではなく、世界最高峰の文明国として世界各地から使者が訪れていた。しかしこの中国も、さらに千数百年遡れば、仏教や建築技術など、日本が中国から学ぼうとした知識のほとんどは、インドやその他の西側諸国から学んだものであることがわかる。
 さらに、高度な哲学思想を生み出した古代インド(ガンジス文明)も、さらに遡ること千数百年前には、それより西側のインダス文明を基礎に成立している。さらに、インダス以前の時代は、インダスに多大な影響を与えたと言われるシュメールの時代となる。つまりこの時代には、現在はイラクであるこの地が、地球上でもっとも進んだ文明の地帯であったのである。

 シュメール文明の後に起こった文明は、あのインダス文明であった。この文明の誕生の地を計測してみると、それはこのエリドゥから東に、正確に22.5度スピンした位置にある。この文明の誕生は、シュメール文明から1611年後を基点としており、地球上を東回りに16/1スピンした位置からスタートした。インダス文明の完成は、約4600年ほど前と推定されており、そのスタート年代はシュメール文明から数えて1611年後にあたる年代だった。
 地球といわれるこの巨大な生命は一種のバイオリズムを持っており、その最活性化のポイントは、1611年間に22.5度、つまり地球上を16/1角度分だけ、円周上を移行するのである。


 当時モヘンジョダロには荘厳な建物が数々存在し、見事なまでに美しかった。現代の東京の雑然とした景色とはまったく違い、都市全体が芸術作品のように整然としていた。建物はレンガ造りで、シュメールのジッグラトのように、現代の建物にはない温かい重量感があった。そしてそこにはシュメール同様に、さまざまな人種の人々がおり、ここも国際的な中心都市のようであった。
 インダスは、日本の都市のように無計画に作られた都市ではなく、それは綿密に計画されており、それを計画したのはシュメールの叡智を引き継いだ人々である。彼らは建物が人間の意識に与える影響を完全に理解しており、人間の意識がより自然に働くように、彼らが神と呼んだ目に見えない力が、その場にいるだけで顕(あらわ)される構造というものを理解していた。
 このような意識への影響は、単に建物の構造だけでなく、材質にもある。彼らはレンガを作る際にも、そうした観点に基づいて、人間の意識によい影響を与える最高の材質のレンガを作ったのである。道路もすべてが整然と規則的に並び、美しさを感じさせた。その安らぎを感じさせる整然とした並びは、日本の平安京と似ているものであった。平安京も、日本では珍しい計画都市であった。事実、日本の平安京は、このインダスの文明に歴史的な繋がりがあったのである。

 日本に現存する聖なるシンボル「十六菊花紋」のもっとも古いものは、平安京の朝堂院(ちょうどういん)で発掘されたものであったが、この十六菊花紋は、現在の天皇家のものよりデザイン上の比率がシュメールのものにより近く、ほとんど同じである。平安京は、秦(はた)氏の力によって事実上作られたものだが、秦氏は、その数10万という日本史上最大最強の渡来して来た人々であり、西方の地からやってきた。その意味は、秦氏がインダスから来たということではなく、両者の文化的ルーツが同じだということである。

 インダス文明のようにバランスのとれた文明でも、やはり寿命というものがあり、それは人間の死と同じである。どんなに優れた人間にも死は等しくやってくる。そして死を迎える時期には、その人の欠点が露呈されやすいように、文明もまたそうなのである。
 現代文明は今、死と再生の時に差しかかっている。この死と再生の節目は、人類を裁くためや苦しめるためにあるのでは決してない。この節目を通り越すことによって、人類は新たな展開と創造に出会うのである。人類の文明は約800年が「昼の時」である。文明の誕生から800年が経過すると、生命の老化と同じく衰退へと向かう。
 これはインダス文明においても同じで、文明の誕生から800年後の約4000年前から、インダスはアーリア人たちの勢力に圧迫されるようになった。

 インダスの次に栄えた東洋の地といえば、インドのガンジス文明である。ガンジス文明は日本人にも仏教のルーツとして馴染みが深い。日本が中国から輸入したその文明の中枢とも言える仏教や、それに伴うさまざまな学問は、言うまでもなくその昔天竺(てんじく)と言われたインドから輸入されたものである。インドのガンジス川流域を中心に栄えたのでガンジス文明とも言われている。
 ガンジス文明は、インダス文明の誕生の地であるモヘンジョダロから22.5度東に花開いた。ウパニシャッドなどのインドの高度な哲学には、インダスの感性が引き継がれている。現代人がよく知るヨガは、その典型である。
 この文明についても法則通りであり、古代インド文明を開いたアーリア人たちがインドに入ったのが3100年ほど前であり、バラモンの確立が3000年前で、「聖なるリズム」通りである。さらに地図で計測すると、モヘンジョダロから22.5度東は、東経90.0度であり、それはガンジスの真中心であり、年代も場所も完璧に一致している。もしもすべての歴史がこのパターンで進行していたとするならば、もはやそれは偶然とは言えないのである。

 現代人は西洋文明が優勢の時代に育っているので、初めから西洋の文明のほうが進んでいたと思いがちであるが、実はそうではない。彼らが人類の頂点に立つのは1000年代をかなり過ぎてからである。それ以前は中国が世界の頂点として君臨しており、その文化を学びに世界中から人々が押し寄せていた。日本の遣唐使などもその一例である。
 この年代も場所も「法則」通りである。ガンジスの中心から22.5度東の位置は、唐の真中心であるだけでなく、その位置には洛陽(らくよう)があった。洛陽は、中国のすべての歴史の中でもっとも長く都が置かれていた中国の中心地であった。

 さらに次の1600年後は、西暦400年+1600年(正確には1611年)で、現代である。そして問題の地球の脈動ポイントは、112.5度+135.0度である。この東経135.0度は日本の標準時ライン、つまり日本の真中心である。
 このラインは、明石と淡路島を貫いているが、たとえば135.02度にわずかずれるだけで、淡路島からは完全にはずれてしまう。それほどの精度で日本の真中心なのである。日本とシュメールの都市エリドゥとは90度の関係にある。
 正確には1995年が大地の脈動の年であり、それは阪神・淡路大震災があった年である。この1995年に起きた地震の震源地は、淡路島北部の東経135.0度であった。それは日本の真中心の135.0度なのである。
 人類は、自分たちの意志で歴史というものを築いてきたと信じてきたが、その自分たちの意志さえも、もっと大きな何かに導かれているということである。


 シュメールの最高神官は、この西回りと東回りのスピンが、規則正しい相互作用で生じていると知っていた。この東西のスピンは、互いに正反対の相反する時間的関係で結ばれている。正反対の時間とは、スピンが相反するように時間も正反するのである。
 1611年をサイクルとする人類の文明は、その約半分である800年の文明の生命を有して誕生する。これは昼と夜のようなものである。東回りスピンは1611年の内の最初の800年が昼、つまり活動期であり、後の800年は夜、つまり活動が停滞する睡眠期である。
 西回りスピンはこれと正反して、最初の800年が睡眠期で、後の800年が昼の活動期になる。現代までの資本主義文明の繁栄は、この西回りスピンの活動期が終わった夜の晩期である。東西スピンの活動期の交替は、今から800年前に起きているので、西暦1200年頃のことである。それは強大な勢力を持った中国が一夜の夢のごとくに消え去り、モンゴルの勢力に圧倒され、征服されてしまうのが1271年である。一方西洋文明では、イギリス人としての最初の王であるエドワード一世の即位が1272年である。そしてヨーロッパは活動期に入り、イギリスの全盛期へと発展してゆく。それはまさに、昼と夜のように入れ替わっている。

 西回りスピンの1周期は、ロンドンから22.5度東であり、それは東経22.5度である。このラインはギリシャ文明の真中心であり、後のローマ文明へと続く文明の脈動ポイントである。現代の西洋文明のスタートを1200年とすると、1サイクル前は1611年前であるから、紀元前400年頃ということになる。あの有名なギリシャの哲学者ソクラテスは、紀元前400年頃にギリシャ哲学の楚を築き、それが西洋哲学へと発展してゆく。現代の科学文明の柱が西洋哲学にあるように、まだ科学の生まれていないこの時代の文明の柱は西洋哲学にあった。それに並行するようにローマの文明が発展していく。そしてその位置も、東経22.5度はギリシャの真中心であり、同時にそれはギリシャの中心都市ミケーネとスパルタを縦断している。それはまるで計算通りに敷かれたレールの上を、人類の歴史は進行しているかのようである。