縄文時代の円形の生活空間

縄文時代の円形の生活空間--------------------------------------------------------------------------------

 日本列島では、非常に直感的なセンスを持った人々によって、現代人の想像をはるかに上回る、整然とした自然界との調和文明が完成されていた。彼らは宇宙の本質を直感によって把握しており、それを数百人規模の小都市がそれぞれ正円形になるような配置によって表し、それが集まった全体の配置も正円形になる完全な計画都市文明を開花させていた。それは、彼らがMUと呼んだ偉大なる大自然の母なる力を受容するために必要な構造であった。
 彼らの住居そのものも円形を基本に設計されており、その中央には、冬至の朝に東門の方から光が差し込むように聖なる中心が配置されていた。こうした円形構造の全体が、人間の本質である霊に影響力を持つことを彼らは知っていたからである。後の時代の縄文遺跡が円形であるのも、この高度な計画都市文明のあり方を踏襲(とうしゅう)していたからである。現代の日本人の大黒柱の神聖概念は、そのわずかな痕跡である。
 日本の縄文遺跡は村全体が円形に配置されており、その中央に祭りの場があったことが研究者の指摘でわかっている。それは整然とした美しい配置であり、一つ一つの家がちょうどみんなで手を取り合って円を作った時のように、全体にも円形で配置されていた。そして質素な家の一つひとつも、すべて円形で美しく形作られていた。家も村も計画的に円形に作られているのは明らかであった。人々が集まる時も、円形に集まるビジョンが見え、同時にその周囲に漂う空気が現代の町とはまったく違う、やわらかで優しい気に満ちていた。

 現代人は初歩段階として、人々が円形に集まるとき、現代人のように直線状に対面する時とは違う、それとは異なった意識が形成されることを認識する必要がある。まだ理解されていないが、人間の潜在意識は他のどんなことよりも、空間によって決定されるのである。空間とは自分達の意識の母体である。すべての意識というものは、空間から生み出される。現代人は物を中心に物を作るが、太古の祖先は、空間に合わせて物を作り、村を作った。人間という存在の偉大な点は、その空間を変容させる力を持つことにある。空間の把握は意識の把握であり、空間を把握するものは意識をも把握する。

 空間と自分との関係をわかりやすく、意識レベルで説明する。人と人とが向かい合い、直線的な関係にある時、相手と自分という相対的な意識が形成されやすい。それは潜在意識に二元的認識構造を植えつけることになる。だが、人々が円的空間を形作る時、相対意識よりも人間の本質的な共鳴性をより増幅させやすくなる。人と人とが円形に集まり、すべての人々が円形の中央に体を向けるとき、隣に座る人々はみな、同一の対象へと向かう共感する人として意識される。
 こうした形でのレベルが自分達に与える潜在意識への影響は、言葉による意識の形成よりもはるかに深く、潜在意識の根本の領域を形作るものである。なぜならそれは、人間の心の世界は宇宙と同質の構造を持ち、それによって成り立っているからである。
 現代人は、平面に描かれた図形などに神秘的な働きを求めたりしているが、空間の持つ力は、それとは桁違いに根本的なものであることを知る必要がある。人間の祖先たちはそれを実際の生活に用いていた。空間と一つになると、人々の魂も一つに結ばれ、その集合した霊の焦点はその中央で一つになる。その共感された意識を持ちながら人々は調和のあるつながりを実現し、深い魂の結びつきを実現させた。
 若者たちは、隣に並ぶ長老たちの所作から無意識のうちにすべてを学んだ。これらは教えることなく共感的に伝えられ、自分の隣に自分と同じように並ぶ何人もの人々を、彼らは自分とつながる連続する仲間として意識していた。人間の祖先のこの円形空間の場は、極めて高度な共感意識による社会を生み出すために、不可欠な基本的条件であった。
 ほんの1ミリの角度のずれが、1キロ先では何十メートルものずれをもたらすように、それが直線状か円形状かの違いが生み出すものは、現代人にはわずかな違いにしか思えなくても、人類文化の決定的な違いをもたらすことを、人間ははるかな太古に認識したのである。その違いは宇宙の陰陽性を象徴するもので、すべては場、つまり空間によって決まる。この叡智のルーツは、前文明における人間の祖先の叡智にある。

 この理解が進むほど、現代の社会はそれとは正反対の直線的な構造の社会であることがわかる。現代人は、直線意識のエネルギーの持つ象徴文化の中で育ち、生活している。そのために宇宙領域とは同調しにくいバリアー(壁、障害物)のような性質が、人々の中に形作られてしまっている。子供たちは学校で大半の時間、みんな同一方向に向いて座り、先生と対面して育つ。すべては直線ライン上に意識が向かい合っている。それは子供たちの育ち方だけではなく、大人になってからも同じである。劇場の公演でも、演技者と観客は直線的関係であるし、オフィスでもやはり机は対面する形で並べられ、一つのライン上で向かい合っている。住居の中もほとんどが直線的に作られており、街の構造も直線である。
 この直線空間か、円形空間かの決定的違いは、意識的、無意識的にかかわらず、中心を共有する意識を持てるかどうかである。すべてに中心が存在するこの宇宙の構造と同じ意識を、一人一人が育てることができるかどうかにあるのである。