太平洋を挟んだ文化交流と縄文土器

太平洋を挟んだ文化交流と縄文土器---------------------------------------------------------------------

 アヌンナキのニヌルタ(アラム・ムル)は、バルサム樹でいかだ舟を造る方法を南米人に教えていたので、彼らは大洋の航海の方法を知っていた。そして日本へもやってきており、この時代、太平洋を横断した文化交流が行われていた。いかだ船は海流に乗って移動し、黒潮の幅は日本近海では100km程度で、最大流速は最大で時速7.4kmほどにもなる。

 太平洋岸に面した宮崎市で縄文土器群が発見されているが、南米エクアドルのバルディビア土器は、太平洋岸に面した宮崎市の縄文土器群とそっくりの文様を持つ。しかしバルディビア土器の成分はエクアドルのものだった。この縄文土器が見つかったのは、宮崎市の中心部から車で15分ほどの跡江貝塚遺跡である。

 1990年に京都で行われた国際シンポジウムにハワイから招かれた太平洋考古学者の篠遠 喜彦(しのとお よしひこ)氏は、南太平洋のバヌアツ共和国で縄文土器が発見されたと報告している。そのエファテ島のメレ村のヤムイモ畑から出てきた土器である。それは縄の模様をもった細長い独特の形をした土器であった。3年後にその土器を検討した考古学者で東北大学名誉教授の芹沢長介(せりざわ ちょうすけ)氏は、縄文の円筒下層C、D式に酷似していると発表した。円筒式土器の出土地域は日本列島のなかでも東北地方北部と北海道南部に限られており、当然ながら三内丸山遺跡からも出土している。
 更に、バヌアツ土器の成分分析をおこなった結果、青森県出土の縄文土器と一致したという研究も発表されている。