アイヌの部族ごとに特徴的な刺青をする習慣

■紀元前300年頃

 日本は弥生時代に入っていた。そんな中、アジア大陸から東北アジア系の人々が渡来し、環太平洋レムリア文明の末裔の日本の原住民は次第に追い払われて南九州から琉球諸島へ、また一方は北の地へと移り住んでいった。南に下った一群の内の一つが熊襲(くまそ)と呼ばれる一族で、彼らはしばらくの間、南九州の地で留まっていた。古事記には古代九州の西南部にいた勇猛な豪族として登場している。一方、次第に北へと追いやられた一群は蝦夷(えみし)と呼ばれるようになり、彼らは東北から北海道へと移住し、アイヌの祖先となった。そうした時の流れを裏付けるように、マヤや沖縄、アイヌの人々はその顔形、彫りの深い目鼻立ちや体毛や髭の濃い点、頬骨の張り出し方が強い点、やや長頭型である点などがよく似ている。日本はレムリアから始まり、琉球からアイヌまで同じ祖先を持つ一族であり、さらに様々な渡来人との混血が進んだ多民族国家である。

 アイヌにも部族ごとに特徴的な刺青をする習慣があった。刺青は精霊信仰に伴う神の象徴とされる大切なものであった。特に知られているのは、成人女性が口の周りに入れる刺青である。まず年ごろになった女性の口の周りを、ハンノキの皮を煎じた湯で拭い清めて消毒する。ここにマキリ(小刀)の先で細かく傷をつけ、シラカバの樹皮を焚いて取った煤(すす)を擦り込む。施術にはかなりの苦痛が伴うため、幾度かに分けて小刻みに刺青を入れる。女性の腕や指にかけての刺青は、7~8歳になる頃から母親同伴で、彫師の元に通いながら婚礼までに少しずつ彫り進めてゆく習慣があった。

 また、男性の場合も部族ごとに様々な刺青の習慣があった。ある部族の男性は肩に、有る部族の男性は手の水かきの部分に刺青を入れると弓の腕があがって狩りが上手になるという言い伝えを持っていた。
 衣服に隠れる身体にも、美しく神聖な蛇の表皮の模様が施されていたが、他人には見せてはならぬものとされた。腕から指にかけての刺青は他人も見ることができた。
 また北海道の各地にアイヌ語の地名が数多く残されているが、九州や琉球諸島にもアイヌ表示の地名が残されている。アイヌ語は関西から四国、九州にかけても広範に残されているが、中でも九州が最も多く、その中でも北九州の福岡・佐賀・熊本にかけてが特に多くなっている。例えば福岡県では、米冠(シリカンベまたはシリカンゲ)はアイヌ語で「海際の山」または「水面に浮かぶ丘」の意である。下代久事(ケタイクジ)はアイヌ語で「川向こうの山の頂に密集した森のあるところ」の意である。
 また熊本県のチプサン古墳の主となる壁画には、7機のUFOを迎えている冠をかぶった王の姿が描かれている。チプはアイヌ語で船を意味し、サンケは降ろすや降臨させるという意味である。壁画の絵は「チプサン(ケ)」(宇宙船を地上に降ろす(着陸)させる際の儀式)を意味している。