イナンナ(イルニンニ)の冥界下りと“復活”

イナンナ(イルニンニ)の冥界下りと“復活”--------------------------------------------------------------

 ドゥムジの死に、イナンナ(イルニンニ)は悲しみに明け暮れた。彼女は遺体が安置され、姉のいる“下の方のアブズ”に急ぎ、遺体を埋葬するために引き取りに行った。彼女の姉はイナンナ(イルニンニ)の到着を知ると、常道を外れた企みがあるのでは、と疑った。そのため、7つの門毎に、イナンナ(イルニンニ)は装具と武器を1つずつ取り上げられた。そして、エレシュキガルの前に、衣服を脱がされて無力で引き出され、ドゥムジの兄ネルガルによって世継ぎを得ようと企んでいた、と糾弾された。その思いに取り憑かれたエレシュキガルはイナンナ(イルニンニ)の説明に耳を貸さず、自分の高官ナムタルに、6つの病気を解き放つよう命じた。

 イナンナ(イルニンニ)がいなくなったことを、彼女の両親は心配した。ナンナルがエンリルに事情を知らせ、エンリルがエンキにメッセージを送った。エンキはネルガルから、何が起こったのかを聞いた。エンキはアブズの粘土で、血を持たず、死の光線によって傷を受けない2人の宇宙人グレイの密使を形作り、彼らをエレシュキガルの下に送った。

 彼らがエレシュキガルの前に現れると、彼女は彼らの容貌にとまどった。「お前たちはアヌンナキか、それとも地球人か?」
 ナムタルが魔法の電力の武器を向けたが、2人の密使は傷つかなかった。ナムタルは彼らをイナンナ(イルニンニ)のところへ連れて行った。彼女は杭に吊るされていた。密使たちは“プルセル”と“エミッテル”を向け、「生命の水」を彼女に降り掛け、「生命の植物」を彼女の口に入れた。すると、イナンナ(イルニンニ)は動き出し、蘇った。
 2人の密使がイナンナ(イルニンニ)を連れ戻そうとしていると、彼女はドゥムジの遺体を一緒に運んでいくよう指示した。そして、取り上げられた装具と武器は戻された。ドゥムジの住まいだった場所に遺体は運ばれ、真水で洗われ、香(かぐわ)しい油が塗られ、赤い経帷子(きょうかたびら:故人に施される衣装)が着せられ、ラピスラズリの厚板の上に安置された。それから、彼を眠りに就かせる場所を岩に掘り出した。そこで“眠りから覚める日”を待つために。

 これは色々な神話の冥界下りそのもので、しかも、イエスの話そのものである。神宮に十字架が無かったら、イエスの逸話はこれを基に創った創作、と言えてしまう。そしてイナンナ(イルニンニ)のシンボルは金星で、イエスも明けの明星である。そして、両者とも木に吊るされて死んで、復活した。だから、この木がまさしく「生命の樹」である。
 そして、ドゥムジの遺体には赤い経帷子(きょうかたびら)が着せられた。経帷子(きょうかたびら)とは、一般的に仏教における白い死装束(しにしょうぞく)のことだが、マタイ福音書の中では、イエスが赤い外套(がいとう:英語でオーバーコート)を着せられ、茨(いばら)の冠を被せられ、葦(あし)の鞭(むち)で打たれた、とある。それから、ドゥムジの遺体は“眠りから覚める日”を待つために洞窟の横穴に葬られたが、イエスは処刑後に洞窟の横穴に葬られ、3日後に復活した。このように、イナンナ(イルニンニ)とドゥムジの物語には、イエスの象徴が多くある。伊勢神宮に聖十字架が安置され、日本が千数百年にわたって秘守してきたという“事実”があるが、それを知らなければ、イエスの話は創作である、と断定できてしまうほどの内容である。

 また7つの門毎に、イナンナ(イルニンニ)が装具と武器を1つずつ取り上げられたのは、インドの7つのチャクラと関係がある。インダス文明の創造神はイナンナ(イルニンニ)である。「生命の樹」は7段階に区分できる。一番下の段階は“精神の地獄”で、至高世界、中高世界、下層世界の三界には含めないので、7段階となる。7段階目を脱ぎ終えて冥界の女王の前に立っていることは、7段階を経て“精神の地獄=冥界”に達した、ということである。“復活”とは、カバラ的には「生命の樹」を上昇していくことに他ならない。

 そして、この「生命の水」こそが御神水の根源で、水が神聖視されるのである。イナンナ(イルニンニ)が掛けられて復活した木は「生命の樹」と見なせ、そこに「生命の水」を灌(そそ)ぐという形。この水はエンキが遣(つか)わしたから、洗礼の水でもある。これは更にデフォルメされ、鷲(わし)人間が「生命の樹」に水をやる図として描かれている。

 この図の「生命の樹」はナツメヤシである。中東では古来から、ナツメヤシが「生命の樹」と言われてきた。実は栄養豊富で、種子から取れる油は石鹸や化粧品として、葉は帽子や敷物、仕切り布、籠(かご)、団扇(うちわ)などに、幹は建材や燃料として用いられ、中東では欠かせない植物である。
 特にナツメヤシの葉はキリスト教での「シュロの主日」で使用される。これは復活祭の1週間前の日曜日で、イエス・キリスト受難直前の、エルサレム入城を記憶する祭りである。ナツメヤシの学名はフェニックスで、それは不死鳥“火の鳥”をも意味し、イナンナ(イルニンニ)を暗示して、ナツメヤシはイナンナ(イルニンニ)が好物だった。ナツメヤシも、イナンナ(イルニンニ)とイエスに共通の物なのである。更に、ユダヤ教では「仮庵(かりいお)の祭り」で新年初めての降雨(こうう)を祈願する儀式に用いる4種の植物の1つである。

 「生命の樹」には「生命の水」が欠かせないことから、イナンナ(イルニンニ)はユダヤ教にも大きな影響を与えている。「生命の樹」のセフィロトは、隠されたダアトも含めて11個。これをシンボル化したものが、木製の十一面観音である。この「生命の樹」に水を掛けることをデフォルメしたのが東大寺のお水取り。十一面観音にお香水という神聖な水を捧げて懺悔(ざんげ)する。つまり、神道と仏教は習合しても問題無かったのである。
 「お水取り」として知られている東大寺の修二会(しゅにえ)の本行は、二月堂の本尊十一面観音に、練行衆(れんぎょうしゅう)と呼ばれる精進潔斎(しょうじんけっさい)した行者がみずからの過去の罪障(ざいしょう)を懺悔(ざんげ)し、その功徳により興隆仏法、天下泰安、万民豊楽、五穀豊穣などを祈る法要行事が主体である。修二会(しゅにえ)と呼ばれるようになったのは平安時代で、奈良時代には十一面悔過法(じゅういちめんけかほう)と呼ばれ、これが今も正式名称となっている。関西では「お松明(おたいまつ)」と呼ばれることが多い。