秦氏の渡来 / イエスの使徒の一団

■240年 

秦氏の渡来 / イエスの使徒の一団-----------------------------------------------------------------------

 十字架と契約の箱を密かに持ち出した一団の中核はレビ、ユダ、ベニヤミンの支族だった。彼らは争いを回避するため、支那(中国)の周辺部を通り、大陸へと移動して遊牧民と同化していた十支族の末裔と合流した。その中には、釈迦を生み出したサカ族もおり、マナの壺を持っていたガド族も居た。宗教的に寛容だった十支族の末裔は、降臨したイエスの姿を見て改宗したが、神器は重要なため、ガド族が大王家となり、彼らは秦氏と名乗るようになった。
 そして、導きによって極東の朝鮮半島まで達し、南下して、半島先端まで達した。半島の東海岸は、ペルシャ系ユダヤ人の影響が大きく、更に海を隔てた向こうの島から、大王家縁の人物がやって来て、1つの王国を築きかけていた。そこは鉄鉱石が豊富で、そこと向こうの島国では製鉄が盛んに行われていた。南下した一団は、東海岸と友好関係を保ちながら、土着民や各支族の自治を守るため、半島にいくつもの小国を建国した。そして、彼らは交易を通して、徐々に日本列島に移動して行った。


 北のエフライム系は大船団で渡来したが、他にも大陸に移動していた十支族系も居た。人数は非常に多かった。天山山脈の麓の弓月王(ゆんず)国=新月王国=三日月王国=弓月城(くるじゃ)=亀慈(くちゃ)などは、シュメール縁の製鉄の火が消えないハイテク国で、神の国と見なされていた。そのため、“ヤマトゥ”と呼ばれていた。これも、彼ら十支族の末裔である。月も亀も、主エンキのシンボルである。つまり大陸にもヤマトがあった。さらに、サカ族も十支族系だった。蓮に坐す釈迦などはエジプトの蓮とパピルスの陰陽と同じで、エジプトでも仏教でも香を焚き、神官は剃髪(ていはつ)しているので、エジプトの影響の強い十支族系である。
 南の系統は大陸経由である。失われた十支族の後を追って、シルクロードを東征した。彼らが支那(中国)へやって来た時、支那式の名前、すなわち、漢字で姓と名が必要とされた。ヘブライの民は姓が無かったので、何か姓を付けなければならなかった。そこで、支那人は彼らの姓を“秦氏”と命名した。当時、支那ではローマ帝国のことを大秦(だいしん)と書いた。この頃のエルサレムは、ローマ帝国領だった。よって、大秦(だいしん)から字を採って“秦氏”とした。
 また、“秦人(はたびと)”は“流浪の民”の意味で、遊牧民と同化した彼らにはぴったりの名前だった。つまり“秦の始皇帝”の“秦”ではない。そして、彼らは自分たちのことをアラム語で“イエフダー(ユダヤ)”と言っており、この“フダー”から“はた”と読むことにした。半島の東海岸は、後の新羅である。