武彦(日本武尊"やまとたけるのみこと")

■110年  

 帝は坂東(関東)に逃れていった熊襲族(くまそぞく)とこれを救った荒吐族(あらばきぞく)の征討を企て、それを子息の武彦(日本武尊"やまとたけるのみこと")に命じた。
 武彦は、父の景行帝より荒吐族(あらばきぞく)の戦術について聞かされた。
 荒吐族(あらばきぞく)が護り戦う戦術は、山に入れば飛禽(ひきん)の如く、草の上を走れば獣の如く、忍べば木陰に隠れ、土や水、火の中へでも逃げ、背は高く、容貌は端正、力はかなえをひねりつぶし、その猛(たけ)きことは雷の如く、彼らの行くところ敵なく、戦っても敗れたことがないと。
 これを聞いた武彦は精兵をえりすぐり、坂東(関東)に向けて進発した。この軍勢が、荒吐族(あらばきぞく)領との境界、駿河に至り、冬枯れの草原を進んでいた時、荒吐族(あらばきぞく)と熊襲族の連合軍は、この征軍の進路を事前に察知し、草原に兵を伏せて待ち構えていた。

 この作戦は、征軍の進行を見はからって草原に火を放ち、焼き討ちにするというものだった。そうとはしらず武彦は、軍を粛々と進めて来た。
 頃を見計らった荒吐族(あらばきぞく)連合軍が草原に火を放つと、火は寒風にあおられてたちまち燃え広がった。
 征軍は火中で逃げ場を失い、多くの兵が殉じ、武彦は軍勢の半数を失った。九死に一生を得た武彦は、新手の援軍を伊勢の地豪に頼み込んで征軍に加え、豪族の船で坂東(関東)の荒吐族(あらばきぞく)の拠点を突こうとの作戦を立て、兵を船に乗せ走った。
 しかし冬の東海は荒れて波が高く、多くの軍船が難破して沈み、多くの兵も殉じた。武彦は荒れる海を鎮めるために、神よりのお告げであるとして、同行していた愛妾(あいしょう)・乙橘媛(おとたちばなひめ)をいけにえとして海に投げ込んだ。しかし、海の荒れは止まず、風も止まなかった。
 船は波に翻弄されながら漂い、ようやく着いたところは上総(かずさ)だったが、無事に着いた兵の数はわずかだった。
 武彦は生き残った兵共々、忍んで倭に引き揚げようと山や谷を越え、碓氷峠(うすいとうげ:群馬県)まで逃げのびたが遂に糧物も精根も尽き果てて、この地で征軍のことごとくが殉じた。