ニネベ捕囚 バビロン捕囚

■紀元前722年頃

 メソポタミア地方に勢力を急速に拡大してきたアッシリア帝国が、パレスチナ地方に侵入し、北イスラエル王国に襲いかかった。必死に防戦したが、北イスラエル王国はあっけなく滅亡してしまった。しかもイスラエル10支族はそのままアッシリア帝国へ連行され、完全に捕囚(ニネベ捕囚)されてしまったのである。アッシリア王サルゴンの年代記によれば、「サマリア(北イスラエル王国の首都)の貴族階級27,290人をアッシリアに連行した……」とある。この時、イスラエルからの第二波の渡来人として、アッシリアによって滅ぼされた北イスラエルのエフライムが日本へ向かう。


 北イスラエル王国滅亡を目の当たりにした南ユダ王国のユダ族中心のイスラエル2支族たちは、改めて偶像崇拝はいけないことだと自戒し、「ダビデ王統」を守り続けていった。が、しばらくすると、南ユダ王国も同じ過ちを冒し、北朝滅亡から135年後の紀元前587年、新バビロニア王国によって滅亡してしまった。南朝のイスラエル2支族はバビロンへと捕囚(バビロン捕囚)され、不滅と言われた「ソロモン神殿」は破壊された。ユダ族の人々は国も神殿も王も失って、バビロンの地で涙することとなったのである。