太陽神を祀る巫女(みこ)としての卑弥呼

太陽神を祀る巫女(みこ)としての卑弥呼----------------------------------------------------------------

 卑弥呼は海部氏(あまべし)の出である。卑弥呼自身は出身地である天橋立(あまのはしだて:京都にある)のあたりと、大和の三輪山(みわやま)を行き来していた。三輪山の祭祀権が政治的に重要な意味を持っていたが、縄文系の子孫がそれを保っていた。この時の邪馬台国の長は三輪山の祭祀権を持っていなかった。

 ところが、卑弥呼が邪馬台国連合の女王になると、当初、三輪山の祭祀権を持っていなかったが、巫女として三輪山を祀るようになる。そのため、三輪山の龍神(大物主神:おおものぬしのかみ)を祀る縄文系の子孫の家は衰えて、細々と暮らすようになった。卑弥呼は女王になる前は、太陽神アマテルを祀る巫女(みこ)だった。そのため、女王に共立された後も、太陽神アマテルを三輪山の頂上で祀るようになった。
 纏向(まきむく)遺跡には破壊され捨てられた銅鐸が見つかっているが、これはそれまでの神の祀り方を捨てたことを意味する。銅鐸文化圏とでも呼ペる出雲文化圏では銅鐸(どうたく)が神を祀るための道具だったが、それが廃棄されたのである。出雲族では元々銅鐸はその音によって神官が神とつながるための道具だったが、次第に銅鐸は神を祀るための道具とみなれるようになった。そのため出雲族の国々では数多くの銅鐸が祭祀の儀式で使われていた。
 邪馬台国は三輪山では龍神を祀る伝統に従ったので、銅鐸はそれほど使われなかった。祭祀の道具としての銅鐸を廃棄することに対する反発はなかった。長年続く干ばつなどの天候不順に銅鐸は効力がなかったからである。