イエス・キリストの日本での死

イエス・キリストの日本での死---------------------------------------------------------------------------

 イエスは55歳の時、日本人女性と結婚して3人の娘をもうけた。そしてそこで暮らし、118歳で青森県の新郷で亡くなった。イエスは青森県の新郷村(しんごうむら)に埋められたが、その墓の側にはオウリキの1房の髪を納めた、小さな箱を埋めたもう1つの墓がある。そこでは、弟のイスキリの墓とされている。
 青森県新郷村、この村は実在する。十和田湖の東に位置している。木立に囲まれたほの暗い中にキリストの墓といわれる十字架が立っている。この村には昔から赤ちゃんの額に十字架を書く風習や古代ヘブライの動きに近い踊りまでもが行われている。
 第11代垂仁天皇の時、一人目のキリストは、日本の青森県の戸来村(へらいむら:現在は新郷村)に住み,この地で亡くなった。「へらい」の名は「ヘブライ」が訛ったものといわれている。

 戸来村(現新郷村)の近くにある十和田湖(とわだこ)でキリストは没したが、その十和田湖からキリスト像が発見されている。

 同地の盆踊りの唄にヘブライ語ナニャドヤラ→ナギッドヤラー(主なる神は見給う)、ナニャドナサレノ→ナギッド ナツェレット (ナザレの主よ)とある。後にやってくるテンプル騎士団は、イエス・キリストをナザレの主と呼んでいた。
 またこの村には、ユダヤの紋章(ダビデの星)と似た家紋を持つ旧家沢口家があり、生まれた子供を初めて屋外に出す時、額に消し炭で十字を書いたり、足が痺れた時は人差し指につばをたっぷり付けて足に十字を三回書いた。