日の下(もと)の国の五畿七道制

日の下(もと)の国の五畿七道制---------------------------------------------------------------------------

 この時、日の下(もと)の国に君臨していた山戸彦命が、出雲の第二室・亜久耶媛を輿入(こしい)れさせた。
 山戸彦命は日の下(もと)の国を五畿七道に分け、五畿の国主に勾津輪足(まがつわたり)・麻坂津彦(まさかつひこ)・安日彦(あびひこ)・倶々木若竹(くくきわかたけ)・長髄彦(ながすねひこ)をそれぞれあて、日本中央の倭(大和)に高殿(たかどの:政治を司る庁舎)を築き、そこに君位(くんい)して、五王に国を治めさせた。
 さらに五畿の国を七道に分け、それぞれに王を配した。七道にワケグラ(県庁舎のようなもの)を築いて駐留させ、五畿七道へ献ずる税や貢ぎ物を司(つかさど)らせた。
 五畿の高殿(たかどの)を築いた所は熊野、哮(いかるが)、難波、明日香、泉で、また七道のワケグラを築いたところは、湯西州道日向、陰西州道出雲、陰陽州道桜井、陽内海州道福原、北陰州道越、東陽州道坂東、陰陽東北州道日高見だった。
 それ以外に、北辰州道日高、神足島(エトロフ)、カムチャッカの氷国があったが、これは本州の国果・日高見・東日流(つがる)にあるワケグラの王に司らせた。
 王制統合する政所(まんどころ)は本州中央に位置する邪馬台(大和)に置いた。これを高御座(たかみくら)五王と八方の郡主が国土を統治する。これを五畿七道制と言った。

 ワケグラの王の下に、アガタのベグラという239名のアガタ主が、十方の地位についてそれぞれの国を分け持った。