倭が栄える時代

■紀元前214年  

 六代の考安天皇(こうあんてんのう)の時代、奥州の荒吐族(あらばきぞく)の王位にあった東日流(つがる)丸八世(大彦王)は、一族を大挙して大和の倭に侵駐、帝位を41年間空位にしたが、結果和睦することとなった。その条件は、倭に荒吐族(あらばきぞく)の帝を即位させ、政治は荒吐族(あらばきぞく)の長老諸氏がとることだった。
 このようにして荒吐族(あらばきぞく)のタカグラ王・安日彦(あびひこ)の入滅以来、二十代にして日向族に追われた故恨を晴らし、悲願だった故地邪馬台国を奪回、大和のワケグラ王に即位したのが大日本根子彦国牽尊(おおやまとねこひこくにくるのみこと:孝元天皇:八代)である。

 即位は紀元前214年で、大彦王にゆかりのある系統だった。邪馬台国奪回で、タカグラ(日本国全域を統治する場所)を奥州から、奪回した大和に移すかどうかが、長老談議で話し合われたが難航した。
 談議が重ねられて得た結論は、タカグラは奥州(おうしゅう)日高見国(ひたかみのくに)・ミヤサワ(宮城県古川市)に置くこととし、大和はワケグラにすることに決定、そのワケグラに即位したのがすなわち孝元(こうげん)天皇である。
 大和のワケグラに荒吐族(あらばきぞく)の孝元帝を即位させたが、以前より倭に駐留していた荒吐族(あらばきぞく)の将士と民衆の間では、長い年月の間に、日向族の陽の神崇拝が不動のものとなって奥州の日高見国(ひたかみのくに)へ帰る者がなく、心身ともに日向族の習いに従うこととなっていた。
 この時、荒吐族(あらばきぞく)の人身を余多倭国に移して、その御族となって大宮に入った物部氏、大友氏、藤氏(藤原氏)がよくつとめ、血縁者を朝廷に入らしめた。
 こうして倭の孝元天皇即位は、荒吐族(あらばきぞく)、出雲族、日向族と併せた民族となり、日本国統一に寄与するはじめとなった。
 長い年月を経る間に大和に住みついた荒吐族(あらばきぞく)と日向族(ひゅうがぞく)では、混血がすすみ、邪馬台一族(荒吐族)の民との区別なく倭は栄える時代が続いた。