日本でのイエス・キリスト

日本でのイエス・キリスト--------------------------------------------------------------------------------

  キリストは復活した後、日本に来た。キリストは、日本では五十鈴(いすず)彦、もしくは伊勢津彦(いせつひこ)と言い、伊勢の国司に当たる存在だった。出雲族と仲が良かった。キリストは事代主(ことしろぬし)のもとで古神道を学び、大和で修行した。そのとき事代主(ことしろぬし)の養子となったので、神武の皇后となったヒメタタライスズヒメの義理の兄となる。
 そしてキリストは聖地・伊勢の港の管理人となった。そうして磯部家(のちの度会家”わたらいけ”)を管理していた。度会氏(わたらいうじ)は日本の氏族で、多くは明治初期まで伊勢豊受大神宮(伊勢神宮外宮)の祠官(しかん)を世襲した。
 キリストの弟の石切彦(いしきりひこ:伊須気由理彦”いすきゆりひこ”)も来日、石切りや測量などをする技術集団の長として日本を測量した。石切彦も出雲系の物部一族と仲が良かった。石切彦は大阪府東大阪市の石切劔箭(いしきりつるぎや)神社の祀神となっている。
 2人は海の一族であった。その証拠にキリストの十二使徒の多くは漁師出身であった。
 キリストの紋章は三角形を逆さに二つ重ねたダビデの星であり、それぞれの三角形は物体と精神を象徴している。伊勢神宮にダビデの星があるのはそのためである。石切彦は石切りの組合、すなわちフリーメイソン(石工組合)と関係している。五十鈴彦(キリスト)にも石切彦にも子供がおり、青森の沢口家は石切彦の子孫で、家紋にダビデの星を持つ。