新たな祭祀

新たな祭祀---------------------------------------------------------------------------------------------------

 ムラクがこの列島の正式な大王として認められてからの時代は、後世では弥生時代と呼ばれることになった。実質の最高神がイナンナで共通していたので、当然、この時代の実質の最高神もそのままイナンナで、とりわけ不老不死の概念が重要視された。そして、太陽神ウツ、蛇神ニンギシュジッダ、地球の主エンキが共に祀られた。ニンギシュジッダは導きの蛇神で、蛇神のエンキは本来の最高神だが、同じ蛇がシンボルということで、蛇は神の使いと見なされることが多くなった。
 縄文人たちは、巨大な自然な磐座(いわくら)を神が降臨するジグラットと見立てて崇拝していた。中には、山自体がジグラット構造のピラミッドのものまで存在した。このような磐座や人工の山は、天才科学者ニンギシュジッダが地球のエネルギーグリッドを測定して配置・建造させたものである。これにより、人々の祈りの想念の波動エネルギーがガイア意識と共鳴し、自然の大災害を防いでいたのである。
 そして、ガイア意識も人々の想念に働きかけ、完璧な共生社会が出来上がっていた。無論、一部の者を除いて、縄文人たちはそんな科学的背景は知らなかった。現在も岐阜県の山頂付近にかけては巨石群が点在しているが、そういった巨石は日本各地で見られる。


 日本のピラミッドが富山県の立山町の尖山(とがりやま)に残っている。

 また現在の広島県庄原市の葦嶽山(あしたけやま)には、太陽を祀るために815mの山のピラミッドが建設されている。葦嶽山は正確に東西南北に45度の稜線(りょうせん:山の峰と峰を結んで続く線)をなす四角錐(しかくすい)である。ただし正四角錐ではない。隅角部(ぐうかくぶ)を東北、西南に張り出した、菱形平面の四角錐である。

 約300人が暮らす利島(としま/東京都)は、島そのものがピラミッドとなっており、島民がなかなか入れない聖域も存在する。第二次世界大戦後、フリーメイソンでありGHQの最高司令官ダグラス・マッカーサーが関心を示し、GHQの特殊部隊10人が上陸して極秘に調査している。



 渡来した一族も、ジグラットへの信仰は共通することから、この信仰は大切にして自分たちも踏襲(とうしゅう)した。後に仏教が伝来してからは須弥山(しゅみせん)や弥山(みせん)と呼ばれ、シュメールを暗示することになる巨大な磐座や山だが、この中の京都北部の丹後にある最も重要なものの1つが、大神アヌと祭司カグに因んでアヌとカグの山、天香語山(あめのかごやま)と名付けられ、祭祀の拠点とされた。それと同時に、天神を祀る一族ということで一族の部族名は天宮(アマミヤ)とされ、ムラクは“天宮のムラク”ということで天村雲(アメノムラクモ)、カグは天香語山(アメノカグヤマ)へと、名前もこの国に相応しいもので呼ばれるようになった。

 そこに、アロンの杖が神の降臨の依り代とされた。それまでは、磐座や山は大地から現れる神のシンボルだったが、そこに降臨の依り代が加わることにより、天から降臨する神(天神)と大地の神(地祇)の合一という陰陽の概念が出来上がったのである。 
 このアロンの杖と共に、大王の持っていた王権の印としての鉄剣は、アロンの杖の分け御霊的存在として扱われるようになり、大王ムラクに因んで天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)と呼ばれるようになった。

 また、シュメールでは王権のある土地の証拠として、光り輝く物が埋められていたが、この列島にはそれに相当する物が無かった。そのため、それに代わる物が必要とされた。
 1つは、アメノカゴヤマなど神山と見なされた山の土である。しかし、これだけでは、他の土地の土と区別ができない場合がある。そこで、神山の土の分け御霊的存在の物として、土から産出する鉱石類が選ばれた。それは、南米のカ・インの文明圏で不老不死と生命の再生をもたらす力を持つと信じられていた翡翠(ひすい)である。イナンナの影響は環太平洋地域全域に及んでおり、イナンナの不死鳥フェニックス由来のフェニキアの大船団で渡来した一族からすれば、これは願っても無いことだった。それを球ではなく、ヘブライ語の"YHWH"を意味するヤー、文字としては"Y"に相当するヨッド(’)の形に加工したヒスイ製勾玉(まがたま)である。これが、王権のある土地の象徴とされた。

 そして、地球の主エンキに実質の最高神イナンナと双子の太陽神ウツが重ねられ、新たに“ヤー”として祀られるようになった。そのため、いつしかこの国は不老不死の妙薬のある国と噂されるようになり、最高峰の山は不死の山、蓬莱山(ほうらいさん)と名付けられた。

 蛇神は一柱ではない。エンキとニンギシュジッダは勿論、邪悪な蛇マルドゥクに対する良い蛇イナンナ、ウツなどが重ねられている。
 日本にもピラミッドがあると以前から噂されていたが、それは神の宮で本当だった。アロンの杖は木の杖なので、それが神が降臨する神籬(ひもろぎ)の原型だった。アロンの杖は、聖書に於ける“族長の杖”に由来している。イスラエル十二支族の間で諍(いさか)いが起きた時、主は各支族の族長の杖を契約の箱の前に置かせた。そして、主が選んだ杖には若葉が芽吹き、その族長に従わなければならない、と言われた。選ばれたのはレビ族のアロンの杖だった。それ以降、アロンの杖は契約の箱、マナの壺と共に、ユダヤ三種の神器となった。このように、アロンの杖は主が自らが選んだからこそ、神が降臨するための依り代、神が降臨できる神籬(ひもろぎ)となり、芽吹いたアロンの杖の姿は、神に捧げる木=榊(サカキ)の原型で「生命の樹」である。

 縄文人とエフライム族は共に実質の最高神がイナンナだったので、降臨する神はイナンナで、木にイナンナが降臨すれば、「生命の樹」に掛けられたイナンナである。つまり「生命の樹」に掛けられた蛇神である。それはまた、イナンナが原型のイエスが、十字架に掛けられた状態と同じである。そのように、後に渡来する秦氏が仕掛けを施したのである。陰陽で言えば降臨する神は陽で、神が降臨する神籬(ひもろぎ)は陰なので、その神籬(ひもろぎ)たる柱のアロンの杖は陰である。そして、天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)こと草薙神剣(くさなぎのみつるぎ)はアロンの杖の分け御霊なので、剣は象徴として陰となる。陽の天神を祀る陰の神器ということである。
 つまり、この時から天神を祀るのに剣が必要とされた。大地に打ち込まれる心御柱(しんのみはしら)の原型はベテュルだが、そこに更にアロンの杖が重ねられたという見方もでき、サマリアではベテュルからアロンの杖へと変遷したという見方もできる。

 また神饌(しんせん)として必ず必要な水も、陰陽の陰で言えば陰である。天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)という名前の叢雲(くものつるぎ)も雨、つまり水に関わる。記紀に登場する重要な水の名称は、天照大神とスサノオの誓約が行われた天真名井(あまのまない)で、海部(あまべ)一族の奥宮(おくみや)の名称と一致する。真名井は古くは“魚井”と書かれていた。魚も水も水瓶も、エンキを象徴している。イナンナに「生命の水」を与えたのはエンキで、それを暗示する名称である。これが神饌(しんせん)としての水の根源である。

 そして、「丹後国(たんごのくに)一宮深秘」には、豊受大神が丹後(京都府北部)に祀られた際、天真名井(あまのまない)の水をアメノムラクモノミコトが汲み、それを神饌(しんせん)に使ったとある。アメノムラクモノミコトという御名(ぎょめい)は大王ムラクと天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)の暗示で、それはアロンの杖。そして、真名井の水は「生命の水」で、豊受大神はイナンナなので、イナンナが木に掛けられて「生命の水」を与えられて“復活”したことを暗示している。よって最高神を祀るためには剣と水が欠かせないのである。
 そして、ムラクが丹波入りした経路は神武天皇の東征経路と同じである。つまり神武天皇の大元のモデルはアメノムラクモノミコトだった。神武天皇は後の神話に依る架空の人物だが、それに相当する大王は存在したのである。
 剣を持っていて、その剣が祭祀に不可欠なものだったので、神の祭祀と武器を象徴する剣ということで“神武”となった。名には、それなりの意味が込められている。


 アメノカゴヤマはシュメールの最高神アヌを祀る暗示なので、アヌから王権が認められた土地のシンボルと考えて良い。よって後に持統天皇が万葉集に詠んでいる。

“春過ぎて 夏来にけらし 白袴(しろたへ)の 衣ほすてふ 天香具山”




 この歌は、天香具山、つまりアメノカゴヤマの土を手に入れた者がヤマトの王になれたという意味である。その原型はシュメールで、王権のあった場所は聖別され、そこの土にエンリルが“天空のように明るい物体”を埋め込み、それが転じて“輝く玉”となり、玉が王権の象徴となった。それが勾玉であり、そう名付けられたのはもう少し後である。
 そして、インダスでの話でもあった、上向きの三角形プルシャと下向きの三角形プラクリティが変形されて巴(ともえ)になったが、この巴の形も"Y"に相当するヨッド(’)の形である。


 また「衣」が意味するのは、神聖な山に関わる“衣”は“天の羽衣”である。逸文(いつぶん)風土記(ふどき)の奈具(なぐ)社条文には、丹波郡(たんばぐん)の比治(ひじ)の真名井(まない)という泉に天女8人が天降った話がある。天女たちは水浴びをしていたが、和奈佐(わなさ)という老夫婦がやって来て、天女たちが脱いでいた衣の1つを取って隠してしまったがために、1人の天女は天に帰れなくなり、老夫婦の娘として共に十数年過ごし、その天女は万病に効く酒を醸(かも)していたという話。酒は水と共に神饌として供する。つまり、その衣=“天の羽衣”は天上界の力の象徴で、それを身に纏うことにより、神と直接対峙(たいじ)して神祭りすることが許されるということ。よってこの歌は、王権の象徴とも言える天香具山の土を手に入れ、神祭りが許される“天の羽衣”を纏うことにより、名実共に祭司王となる持統天皇の野望を詠っているのである。
 さらに、大嘗祭(だいじょうさい)に於いて天皇陛下(正確には皇太子殿下)がお召しになる湯帷子(ゆかたびら)も“天の羽衣”と言う。湯帷子(ゆかたびら)は浴衣の原型となる。大嘗宮(悠紀殿”ゆきでん”、主基殿”すきでん”)に入られる前に、天皇は沐浴を行う。沐浴用の建物である廻立殿(かいりゅうでん)に入られた天皇は、天の羽衣を身に付けたまま湯槽(ゆぶね)に入り、湯の中に衣を脱ぎ捨てて出る。生の明衣(みょうえ)を着用して水を拭い、斎服(さいふく)に着替えて大嘗宮(だいじょうきゅう)に向かう。これを、小忌御湯(おみのおゆ)と言う。悠紀殿(ゆきでん)と主基殿(すきでん)で二度儀式があるので、廻立殿(かいりゅうでん)での入浴も2回、天の羽衣、生の明衣も2着ずつ用意される。

 これは湯帷子(ゆかたびら)なので、天女の水浴を暗示していることは確かだが、天女は羽衣を脱いで水浴したがために、天上に帰れなくなった。しかし、大嘗祭(だいじょうさい)では“天の羽衣”を着て沐浴する。沐浴は神聖な禊(みそぎ)であり、その場で“天の羽衣”をわざわざ身に付けるということは、天上界の力を身に纏(まと)うということである。それにより、神と直接対峙(たいじ)して神祭りすることが許される。その後、天子(てんし)の威霊(いれい)を体得して正式な天皇陛下となるのである。このような昔の伝承から、皇室の儀式は引き継がれている。