ニンギシュジッダの旅立ち

■紀元前3113年

ニンギシュジッダの旅立ち--------------------------------------------------------------------------------

 マルドゥクは長期不在後に“2つの峡谷の土地(エジプト)”に戻ると、支配者としてニンギシュジッダ(トト)がおり、彼は“崇高な神”となっていた。地球人を娶ったアヌンナキの子孫の助けを借りて、彼は国を監督し、かつてマルドゥクが計画したことは撤回されていた。「これはどういうことだ?!」とマルドゥクはニンギシュジッダに迫った。隠しておいたものを破壊したことで、マルドゥクはニンギシュジッダを責めた。ホロン(ホルス)を水の無い場所、砂漠に旅立たせたことについて責めた。「性的快楽も楽しめないような、果てしない場所にだと?!」彼らは大騒ぎを繰り広げ、激しい口喧嘩を始めた。「お前は俺の代理人に過ぎない。お前はずっと俺の居場所を奪ってきた。嫌なら、別の土地へ去れ!」350年間、彼らは言い争い、そのため土地は混乱し、兄弟の間で分割された。
 そして、とうとうエンキがニンギシュジッダに言った。「平和のために、他の土地へ旅立つのだ!」ニンギシュジッダ(トト)は海の向こうのアメリカ大陸の土地へ行くことにし、信奉者の一団と共に旅立った。その時は650地球年だったが、新しい土地で“翼のある蛇”ケツァルコアトルと呼ばれたニンギシュジッダ(トト)は、独自に新しい年数カウントのマヤ文明の暦を始めてしまった。つまり、ニンギシュジッダ(トト)が2012年の冬至で一区切りする暦を作ったのである。


  ニンギシュジッダ(トト)が初期のエジプトで“崇高な神”として崇拝されていたので、ニンギシュジッダ(トト)がピラミッドを双子山から3つにして、更に石棺も入れて“死と復活”を象徴するカバラとした。そのニンギシュジッダがアメリカ大陸へ渡り、ケツァルコアトルとして崇拝された。


 最初はオルメカ文明だった。アフリカの黒人そのものの石像が発掘されている。それが、ニンギシュジッダが連れて行った信奉者である。独自に新しい年数カウントを始めたのは、いわゆるマヤ暦であり、天才科学者ニンギシュジッダ(トト)の創った暦なので、2012年からの大変動が預言できた。