「キリスト教会を設立してローマ、ギリシャ、東方、エジプトで多様な宗教運動を支配する」という方針

■325年頃

 これまでアヌンナキは地球人に、彼らの種を受胎させる場所として神殿を建てさせてきた。太陽の王女や巫女が、未来の王や女王を生むためにアヌンナキと交わるという昔話は実話である。太陽を巡るニビルの運行周期は3600年で、アヌンナキは実際に地球を訪れると200年以上も神殿で暮らす。7世代にわたるその期間に人間の女神を遺伝系列によって選び、子供を生んでもらう。地球を離れてアヌンナキと旅することを選ぶ子供もいれば、留まって新しい高貴な遺伝系統の種子を蒔く子供もいる。これは公平な遺伝子交換である。しかし、この体験が人間の非常に深い傷の源にもなっている。アヌンナキとの体験が人間たちに出産を促す刺激を生み出しており、それが人間の深層心理に設定されているので、それが人間の無秩序な繁殖・セックスを招いている。
 西暦0年から始まった今回のサイクルでは、旧約聖書の族長制をもとに伝統を築いたすべての神殿が、特にイルミナティのバチカンがこの無秩序に侵されている。なぜ教会は女性の肉体における主権を否定するのか、なぜ女神たちは子を産む器としてのみ有用なのか、はニビルの文化が関係している。
 惑星ニビルでは何千年も昔から、地球の神殿で行なわれる神聖な儀式で集めた受精卵を聖杯に置いて、妊娠期間を過ごさせていた。アヌンナキにとっては女神1人ひとりが出産のための「聖杯」である。人間の女性は豊かな受胎能力を持ち、彼女たちとのセックスはすばらしいものであった。しかし、アヌンナキが人間の女性の全面的な合意を得ないなかで、あまりにもパワフルな形で人間たちを利用したために、人間は心の奥底で、もっとも基本的な権利である受胎能力を自分ではコントロールできないと考えるようになった。つまり、子供をつくるという行為に責任が持てなくなったのである。
 ニビルのアヌンナキは西暦0年から西暦325年に至る大計画を考案し、「キリスト教会を設立してローマ、ギリシャ、東方、エジプトで多様な宗教運動を支配する」という方針のもとに世界へ繰り出し、こうした方法で徐々に人類を操作することに決めた。  西暦325年には、彼らはローマカトリック教会が「聖体の秘跡(ひせき)」の正式な施行者であるとして定めた。聖体の秘跡とは、イエス・キリストの最後の晩餐に由来するキリスト教の儀式である。パンとぶどう酒は、キリスト教儀式の中で最も飲食されるもので、パンはキリストの肉体であり、ぶどう酒はキリストの血であると認識され、この考え方は一般的に聖餐論(せいさんろん)と呼ばれ、この時に口にするパンとぶどう酒を「聖体」と呼ぶ。アヌンナキの皇帝たちは、キリストがぶどう酒を血に変換させながら本当は何をしているのかに気づき、即座に秘跡を完全に支配して、その力を封じ込めることにした。
 カトリック教会が伝統的に認めてきた七つの秘跡には、洗礼(せんれい)、堅信(けんしん)、聖体、ゆるし、病者の塗油(びょうしゃのとゆ)、叙階(じょかい)があるが、この創造にセックスが介在しないという思いつきは、アヌンナキが考えたものである。このおかしな陽動作戦の目的は、マグダラのマリアとイエスが子供をつくったという事実から人々の目を逸らせるためであり、アヌンナキのバチカンが捏造した話である。そして事実は、その出産によって、キリストのコードが地球の血に埋め込まれたのである。

 イエス・キリストとマグダラのマリアの間にはサ・ラーという娘が生まれ、これまで百代にもわたる子孫を作っており、キリストは人間すべての体内のDNAに生きている。
 やがて聖体拝領(せいたいはいりょう)はまんまとローマカトリック教会に取り込まれ、バチカンは世界を改宗させていくための燃料として聖体拝領を利用した。聖体拝領とはおもにカトリック教会用語で,ミサ聖餐においてキリストのからだとなったとされるパンとぶどう酒を食することである。他にも聖餐(せいさん)と呼ばれることもある。
 彼らは情報を操作するために、まずマグダラのマリアの記録を抹消した。その後、カタリ派を虐殺したのち、司祭はすべて独身と定めたのは、それによってキリストも独身だったと人々が信じるように仕向けるためであった。そうすれば彼の血統が発見される可能性は排除され、たとえDNAが存続してもそれを本物と信じる者はいなくなるからである。バチカンは聖体拝領を自分たちの中心的秘跡とし、それを利用してカトリック信者を操作、支配することで、完全にキリストから盗みおおせたと考えた。


 死を怖れるのをやめないかぎり破滅は避けられないが、人間が死を怖れるように仕向けたのもアヌンナキである。地球に滞在するあいだは非常に老化が早いために、アヌンナキは人間の1年あたりに3600歳も年をとる。ニビル王アヌは45万年にわたる数多くの訪問で年老いて、疲れてしまった。アヌンナキは恐怖に駆られた存在であり、どんな悪事も好き放題できてしまうので、彼らは自分の感情を人間に投影し過ぎてしまった。悪意を帯びた冗談と同じで、最初は面白いが、やりすぎると面白いどころではなくなる。人間もそろそろ目を覚まし、アヌンナキが地球を訪れるときだけでなく、軌道のどこにいても人間に影響を与えていることに気づくべきなのである。アヌンナキは人間のマインドに埋め込まれた思考形態を通じて影響力を及ぼしている。アヌンナキは人間を刺激して、太陽がもう二度と昇らないかのように、買いだめと備蓄に走らせてきた。しかしもともと人間は、持ち物が少ないほうが活動しやすく、ものを分かち合う共同体で暮らしたほうが幸せなのである。