支那(しな)

支那(しな)----------------------------------------------------------------------------------------------------

 地続きの支那(しな:中国)でも当然シュメールの流れがあった。それは黄河(こうが)・長江(ちょうこう)・遼河(りょうが)文明とまとめて言われる中華文明である。

・夏(か:紀元前2070年頃 - 紀元前1600年頃)
・殷(いん:紀元前1766 - 紀元前1046年)
・周(しゅう:紀元前1046年頃 - 紀元前256年)

と続く文明の中で、夏(か)と殷(いん)の時代にあった蜀(しょく)はシュメールの影響が濃い。この地域は4つの川(岷江”みんこう”、沱江”だこう”、嘉陵江”かりょうこう”、烏江”うこう”もしくは大渡河”だいとが”)に囲まれた地域で、後の四川省に相当する。ここでは金が重要視され、その後の楚(そ)の時代には、天狗のような羽人と呼ばれた仙人の根源も登場した。

 支那(しな)の地には多くの国々が現れては消えたが、初めて国家として統一されたのは、ペルシャに居た十支族の系統の始皇帝(紀元前259年 - 紀元前210年)の時代である。それは、四川省に隣接する王都で、市街地の様相や制度などはペルシャそのものだった。
 その後、道教の元となった仙術を扱う方士、徐福(じょふく)が始皇帝の命令で不老不死の妙薬を求め、一団を率いて日本に渡来した。

 4つの川と言えば、チグリス、ユーフラテス、ピション、ギホン川に囲まれたエデンの園と同じであり、そういう所に導かれて住み着いた。これは導きの神、ニンギシュジッダによる。金が重要視されたのもシュメールと同じである。天狗のような羽人というのは、烏天狗(からすてんぐ)の根源である。

 ただ、そこから直接来たわけではなく、シュメールの影響を暗示させるために拝借したのである。支那では8が最も演技の良い数字で、つまり支那でもイナンナの影響が大きいのである。それがやがて、大陸全土に広がっていった。特に、西王母(せいおうぼ)伝説はその典型である。
 西王母(せいおうぼ)は、すべての女仙たちを統率する女鬼神のような存在である。「山海経(せんがいきょう)」に依れば、人間の女の顔に獣(虎の類など)の体、蓬髪(ほうはつ:乱れた髪)に玉勝(ぎょくしょう:宝玉の頭飾”とうしょく”)を付け、虎の牙を持ち、よく唸(うな)り、咆哮(ほうこう:吠えたけること)は千里に轟いて、あらゆる生き物を怯えさせ、蛇の尾を振れば、たちまち氾濫(はんらん)が起き、また西王母(せいおうぼ)には大黎(れい)、小黎、青鳥(せいちょう)という3羽の猛禽(もうきん:鋭い爪とクチバシを持つ鳥)が従っていて、王母の求めに応じて獲物を捕らえ、食事として捧げる、とある。
 これが“天厲五残(てんれいござん:疫病と5種類の刑罰)”を司る鬼神と言われた西王母の大元で、人間の非業(ひごう)の死を司る死神だった。それが次第に“死を司る存在を崇め祀れば、非業の死を免れられる”という、恐れから発生する信仰によって、徐々に“不老不死の力を与える神女”というイメージに変化していった。
 やがて、道教が成立すると、西王母はかつての“人頭獣身の鬼神”から“天界の美しき最高仙女”へと完全に変化し、不老不死の仙桃(せんとう)を管理する、艶(あで)やかにして麗(うるわ)しい天の女主人として、絶大な信仰を集めるようになった。王母へ生贄を運ぶ役目だった青鳥も、“西王母が宴を開く時に出す使い鳥”という役に姿を変え、やがては青鳥と言えば“知らせ、手紙”という意味に用いられるほどになった。

  容貌が女の顔、獣の体、虎の牙、蛇の尾なら、これで神の戦車メルカバーを形成する。それがカバラである。死を司る冥界の女神と見なされたのは、イナンナの冥界下りに登場した姉のエレシュキガルだが、カバラを操れるのは、知識の“メ”をエンキから手に入れた知恵の女神イナンナである。
 イナンナはシヴァ神の分身の1つ、暗黒のカーリーでもあり、宗教に於ける暗黒の側面の原型となったが、これが、“人頭獣身の鬼神”の意味するところである。またイナンナは美の女神ヴィーナスでもあるから、“天界の美しき最高仙女”でもある。
 また支那から見て、シュメールやイナンナが主神だったインドやペルシャは西にあるので、“西の王母”となって西王母となった。後に、この西王母が七夕の織姫(おりひめ)となった。そして相手の牽牛(けんぎゅう)はドゥムジである。
 ドゥムジはニビルから羊を降ろして牧羊・牧畜に携わっていたから牽牛(けんぎゅう)に相応しく、イナンナは牡牛(おうし)に喩えられたエンリル側である。
 イナンナはウヌグ・キ(ウルク)の神聖な区域に“ギグヌ(夜の愉しみの家)”を設置し、それとは別に、王(天皇)たちと一緒に新年の祝いの儀式も行うようになったので、これらが変遷(へんせん)して、年に1回、イナンナとドゥムジが逢瀬(おうせ:愛し合う男女がひそかに会うこと)する、という逸話になった。
 西王母がイナンナで織姫なら、機(はた)を織る女性の原型がイナンナということになる。そして、高天原で機織(はたお)りしていたのは女神の天照大神であるから、その原型はイナンナである。そして、そこにはヒッタイトの“太陽女神”の概念も合わされている。イナンナは豊穣神の豊受大神(とようけのおおみかみ:伊勢神宮の外宮)でもあるので、外宮の豊受大神と内宮の天照大神は元々1つだった、とも言える。あるいは、太陽神ウツはイナンナと双子だったので、一心同体とも見なせる。カバラは奥が深い。

 また、西王母は不老不死の仙桃(せんとう)を管理していて、桃は“兆しの木”という意味だが、西王母がイナンナである以上、それは“死んだはずの者が蘇った、復活の兆しの木”ということなので、「生命の樹」の暗示である。
 死んだはずのイナンナが蘇ったので、黄泉帰りの原型はイナンナの冥界下りで、それがイザナギが黄泉の国から帰る神話に反映されている。その時、鬼に追われた際に邪気を祓うために投げつけたのは桃なので、それはイナンナと「生命の樹」を暗示していた。
 他にも、節分の追儺祭(ついなさい)では、3人の神職がそれぞれ3回ずつ、桃弓(ももゆみ)で葦(よし)矢を放って魔を祓うが、これなどもその派生である。旧暦では立春から春が始まるので、節分はいわば大晦日に相当する。よって、大祓(おおはらえ)の意味合いがある。

 “3人の神職がそれぞれ3回ずつ”というのは“3×3”で「生命の樹」の三神三界、桃はイナンナの暗示で、葦は生い茂っていたシュメールを暗示する。よって支那にもシュメールの影響が多大、ということである。
 さらに、弓は射手座が充てられている軍神ニヌルタ(アラム・ムル)の暗示である。“邪悪な蛇”マルドゥク一派を木端微塵(こっぱみじん)に粉砕したからである。それが“魔を祓う”ということである。だから、神道ではしばしば弓が用いられる。
  始皇帝も徐福も、イナンナが主神のペルシャ系ユダヤ人だったので、尚更シュメールの影響が強い。こういったことがあり、イナンナに関わる不老不死の概念が濃厚なわけである。よって、彼らよりも先に渡来していたエフライム族と和平を結ぶことができ、新たな国造りが始まったのである。