世界の宗教のオリジナルは同じ⑥ 世界の蛇信仰

世界の宗教のオリジナルは同じ⑥ 世界の蛇信仰------------------------------------------------------

 この頃から世界各地では、蛇を崇拝する文化が増えてくる。一般的に蛇は邪悪な霊か人間の生まれ変わった姿と見なされている。また多産のシンボルでもあり、人間と神との仲介役となることもある。
 神としての蛇や竜に生贄を捧げる文化は、神をなだめるための宗教的な意味合いが込められていることがある。生贄や蛇の神話や歴史が残っている場所からは、アヌンナキの活動範囲が見えてくる。

 サハラ以南のアフリカ全土では、57個の原住部族において蛇崇拝の文化が存在し、西アフリカに存在するダホミー族、フイダ族、ポポ族、アシャンティ族、ヨルバ族、アイボ族、ベニン族、イジョー族などは大蛇であるパイソン信仰をおこなっている。蛇の寺院に棲んでいるパイソンは神の化身であり、他の場所にいるパイソンについても同様に神の化身と見なされた。また古代エジプトでは王権の象徴とされ、メキシコのマヤ文明では、羽を持つ蛇のククルカン(トト、ニンギシュジッダ)が崇拝され、3回にわたる人類の創造に関わり、人に文明を授けたと伝えられる。人類を創造し、人類に文明を与えたのは蛇族など爬虫類人であり、それが人間の神話に神として描かれている。

 日本ではヤマタノオロチが有名で、スサノオノミコトという嵐の神が、高天原を追い出されて出雲国に落ち延び、そこで8つの頭を持つ大蛇のヤマタノオロチの生贄となりかけたクシナダヒメを救うため、強い酒を用意して大蛇に飲ませ、酔っ払ったところで首を切り落として打ち倒し、クシナダヒメを救い、彼女と結ばれるという神話が残っている。
 中国神話の蛇神で有名なものは、伏義(ふっぎ)と女媧(じょか)が挙げられる。蛇身人面の兄妹神であり、黄土をこねて人間を作り上げた人間の生みの親とされている。
 ギリシャ神話では、伝令の神であるヘルメスの持つ杖に、翼の生えた蛇2匹が巻き付いている。ヘルメスが商業の神であったことから、蛇もまた商業の神として崇められるようになった。また蛇が自分のシッポを飲み込もうとする姿を図案化したウロボロスは「完全」を象徴している。


 旧約聖書で蛇は、智慧(ちえ)を知らぬアダムとイブをそそのかし、神の持ち物である智慧のりんごを食べさせた堕落の象徴として描かれている。
 アステカ文明では羽毛のある蛇の姿をした神のケツァルコアトルを神と崇めている。ケツァルコアトルは人類に火をもたらし、アステカの人々に生贄の文化をやめさせた平和を愛する神だった。現代人に知られているアステカやマヤの民には生贄の風習があったというイメージは、歴史家や考古学者によって捏造されたイメージである。古代マヤ人は地球人が行ってはいけないこととして、それら邪悪な行為を神秘劇などにして伝えようとしていた。そしてそれをマヤにやってきた征服者達が、独善的に中傷したのである。



 蛇信仰、生贄の文化、神話の内容から見えてくる事は、この時代、アヌンナキが世界中に現れ、平和的な文化を広めていく場合と、神として自分達を崇めさせ生贄を捧げさせるネガティブな勢力が混在していた。基本的にはポジティブな蛇はニンギシュジッダ、ネガティブな蛇はマルドゥクである。

・7つ頭の蛇の絶対神ナラヤナとルシファー

 ルシファーは7つ頭の蛇として語られていることが多く、絶対神ナラヤナ(ナーガラージャ)であるルシファー信仰は、いつの時代も存在する。後のヒンドゥー教の神であるヴィシュヌと一緒に描かれる蛇神の諸王アナンタも、ナラヤナである。インドやエジプトで蛇が神聖視されている理由は、ナラヤナにルーツがある。沖縄のロゼッタ・ストーンには、「かつて栄えた偉大なる王の宮殿は、忌まわしき蛇の力によって、海の底へ沈んでしまった」という内容の石板が存在する。7つ頭の蛇はアヌンナキのニンギシュジッダを表してもいる。

 メソポタミアでは7が神聖な数字だった。7つの「メ」、7人の賢者、7種の悪霊、冥界の7つの門、天の7つの層など、世界観や集団の数にその思考がはっきりと現れている。ユダヤ教でも、神が7日で世界を創造したので、7は神聖なのだといわれ、エジプトでも多くの数字が神聖なものと関連しているが、7もまた重視された。またシュメール時代からアッカド時代(紀元前2800年代~前2100年ごろ)にかけて作られた円筒印章や陶器などには、7つの頭を持った怪物が描かれている。
 円筒印章では、怪物は蛇のように胴体が細長く、そこからダックスフンドのように短い脚が4本生えている。肩のところからは長い首が伸び、さらにその首から6本の長い首が生えている。これら7本の首のうち上3つは斜め上をむいており、そして口から、先の割れた舌を突き出している。首の先についている頭は蛇のものである。しかし下4つは生命力が失われており、斜め下に首が倒れうなだれている。また、先の割れた舌も突き出されてはいない。背中からは、非常に長い背びれのようなものが6本生えているが、尾は生えていない。戦っている角が生えた冠をかぶっているのは、2人の神々である。彼らは槍をもち、怪物の前後からそれを突き刺している。
 別の陶器片には、また違った形の7頭の蛇が描かれている。その蛇はとぐろをまいており、尻尾は一つ。頭がきれいに7つに分かれている。そしてそのうち2つは切断されているように見える。

 またシリアでは、蛇は神の主要な敵である海の怪物として描かれている。ヘブライではレヴィアタンが七頭の蛇と表現されるときは、必ずヤハウェに倒されるときである。レヴィアタンの伝統は新約聖書にまで続き、悪魔の代表と変化する。
 頭の数は7ではないが、古代ギリシア神話では、ヒュドラという多頭蛇がおり、ヒュドラは固有名詞ではなく水蛇といった意味である。ヘラクレスはこのヒュドラを退治しなければならないが、何度でも再生する首に立ち向かうため、甥のイオラオスの助けを借りる。シュメール(ニビル王アヌが創造した文明)での蛇ムシュマフは、確実に水と関係している。こういった神話では、主に英雄が多頭蛇を退治する。時代的にも地理的にも非常に離れたシュメール、ギリシア、インドで、同じような蛇の物語が残っていく事となる。

 東南アジアにも蛇の物語は残っている。下記の写真は東南アジアで広くみられる仏像で、7つにわかれた頭をもった蛇がとぐろを巻き、その上に仏が座っている像である。これは釈迦が苦行をしていると、竜王がその頭を笠のようにさしかけて雨露から守った、ということで、竜王護仏像と言われている。これは蛇の7つの頭が次第に変形して、木の葉や衣紋や冠のさきに変化したものである。これらの突起が7つ数えられる。写真は左から如来(ビルマ)、竜王護仏(タイ)、竜王護仏(タイ)である。

 さらに下記の写真では7つの突起はさらに発達し、タイのものでは太陽の光のように放射しており、ネパールのターラ菩薩では肩を飾る大きな花びらに変わり、さらに進んで左端の観音像の手と冠になっている。ネパールの観世音菩薩では、竜王の頭が6本の手に変化している。手は左右対称になり、真ん中の頭は手にすることができないので、突出した冠に変化している。写真は左から、観世音菩薩(ネパール)、ターラ菩薩(ネパール)、竜王護仏(タイ)、如来(ラオス)。


 また赤い竜は、新約聖書の『ヨハネの黙示録』十二章及び十三章に記される竜である。英名にある通りエデンの園の蛇の化身であるのと同時に、サタンが竜となった姿であり、サタンの化身とも言える姿である。 以下のような姿で描写される。
「また、別のしるしが天に現れた。見よ、火のような赤い大きな竜である。七つの頭と十本の角があり、その頭には七つの冠をかぶっていた。」

「わたしはまた見た、一匹の獣が海の中から上ってきた。これには十本の角と七つの頭があった。その角には十本の王冠があり、頭には神を冒涜するさまざまな名があった。わたしが見たこの獣は、豹に似ており、足は熊の足のようで、口は獅子の口のようであった。竜はこの獣に自分の力と大きな権威とを与えた」