東日流(つがる)の地震と大噴火

■紀元前2300年頃

東日流(つがる)の地震と大噴火---------------------------------------------------------------------------

 縄文時代だった日本では、阿曽辺族(あそべぞく)と津保化族(ツボケゾク)の両族は、南平賀川を境界として東西に分け、国域を定めて和解したが、盛田大館安東浦・西浜(青森県の東津軽郡:ひがしつがるぐん辺り)に居住する津保化族(ツボケゾク)が、これに反対したことから再び戦となり、岩木山の麓(ふもと)で戦を続けた。

 その時代の東日流(つがる)は、地鳴や地震が頻発していたがある日突然、阿曽辺族(あそべぞく)の居留地の阿曽辺盛(岩木山)が、天を突くばかりの大音響を発して地割れを起こし、同時に噴火、数百メートルの高さまで大石が吹き上げられて飛び散り、火口からは溶岩が流れ出た。
 阿曽辺族(あそべぞく)の集落はみるみるうちに火の海となって溶岩に閉ざされ、大部分の者が死んだ。津保化族(ツボケゾク)の中にもこの異変に怖れをなし、東日流(つがる)を去る者もあり、残った者は中山あたりに住居を建て、火を噴く山から離れて居住した。
 以来、津保化族(ツボケゾク)の多くは石化に居住し、安東浦(深浦町:青森県西津軽郡)で漁をして暮らしていた。津保化族(ツボケゾク)の狩は馬を走らせて弓で狩り、海では鉛の網を使って漁をし、土を焼いて器を造り、常に火を使った食生活をしていた。

 石を道具として使用していたが、それは研磨したもので刀はよく斬れ、一度使っても捨てることなく、修理しても使えない状態になるまで使った。
 衣類は樹皮や草皮をはぎ、糸を紡いで織ったものをアマンダと言ったが、日常はそれを着用していた。
 熊など大きな獣の皮を、毛のない方を内側にして二枚を合わせ、ふちを縫って袋状のものを作り、その中に入って寝たが、その袋をツトと言った。
 住居は木を円錐状に寄せて骨組みとし、屋根はハツポという煙を排出する開口部を設けた。
 床は建物の円形の内部に合わせて掘り下げて平らにし、外壁は円錐状の骨組みに葦(あし)を葺(ふ)き、その周囲には雨水を排水する溝を施し、家とした。
 このような家をクケ、大きなものはカッチョ、更に大きなものはチヤシ、更に巨大なものはポロチヤシと言った。

 狩に使用する道具は矛(ほこ)、吹矢、刃物、毒針、石斧、投縄、仕掛罠、落し穴、銛(もり)、そり、籠(かご)、焼豆だった。
 海で使用する道具は、筏(いかだ)、丸太船、藻刈棹(もかりざお)、網、釣針(つりばり)、底見箱、銛(もり)などで、今に伝わるものも多い。