アクエンアテンのアマルナ革命

アクエンアテンのアマルナ革命---------------------------------------------------------------------------

 紀元前1346年の在位4年目、アメンホテプ4世(後のアクエンアテン)は、アテン信仰を宣言する。この年はまた、今日アマルナとして知られる新都アケトアテン(「アテンの地平」の意)の建設が開始された年だと信じられている。在位5年目には、アメンホテプ4世は彼の新たな信仰の証として、みずからの名を公式にアク・エン・アテン(アテンに愛される者)に変更した。それは1月2日頃であったと推定される。在位7年目には、王国の首都はテーベより、アケトアテンへと遷都された。とはいえ、新都の建設はなお進行中であり、更に二年を要して都市としての体裁を整えたと考えられる。新都は王と王妃、二人の新しい信仰に献げられた。また遷都の前後、王妃ネフェルティティの胸像は作成されていたと考えられている。

 一般的にツタンカーメンの黄金のマスクは、古代エジプト第18王朝のファラオのツタンカーメンのものとされているが、新たな調査で、この黄金のマスクは、ツタンカーメンの父アクエンアテンの妻で王家の血筋ではない王妃ネフェルティティのために作られたものであったと、考古学者のニコラス・リーブスは述べている。彼は、黄金のマスクの裏面を調べ、ツタンカーメンの顔とマスクの形状が一致しないことに気づいた。
 イギリスの考古学者が、ツタンカーメンの部屋の壁の後ろに2つの部屋が隠されていることを確認しており、リーブス博士はその隠された部屋を調べ続けた。リーブス博士が継続して探していたのは、ネフェルティティの長い間行方不明の埋葬室であった。この新たな部屋を彼はネフェルティティの部屋であると主張している。
 ファラオは、アトランティス文明が崩壊した後もエジプトで、アヌンナキの概念である”血族”を受け継いだ存在であり、つまりアヌンナキの血を濃く受け継いでいる。 ツタンカーメンもファラオである。

 アクエンアテンを父に持つエジプトのツタンカーメン王の墓から、天皇家と同じ菊花紋の青銅器製が出土する。これもイナンナの十六花弁ロゼッタである。