マグダラのマリアはイシス神殿の秘儀継承者

マグダラのマリアはイシス神殿の秘儀継承者----------------------------------------------------------

 キリストが処刑された後、キリストの妻マリアと娘のサラが共に亡命したのがフランスで、マリアたちはサント・マリー・ド・ラ・メールで安全な生活を送ることができた。その後、ドルイド教(古代ケルト民族が創始した宗教)の祭司に守ってもらうために、現在はイギリスと呼ばれているヨーロッパ北部の国に移住した時も、フランスのことはいつも懐かしく思っていた。サラが成長して結婚すると、マリアは自由にフランスに戻ることができるようになり、マリアの理解している秘儀を教えるために何度もこの国を訪れた。マリアがフランスに旅した跡は今も残っている。
 
 サント・マリー・ド・ラ・メールが、街の名前の由来となった伝説は、ナザレのイエスが磔刑に処せられた後、マグダラのマリア、マリア・サロメ、マリア・ヤコベ、従者のサラ、マルタ、ラザロたちが、エルサレムから小舟で逃れてこの地へと流れ着いたことである。彼女たちのうち、マリア・ヤコベとマリア・サロメの2人とこれに従うサラがこの地に残った。これがこの市の名の由来であるとされる(このため、市名は「海の2人の聖女マリア」などのように訳されることもある)。ちなみに、伝説では、マグダラのマリアはサント=ボーム山塊へ、マルタはタラスコンへ赴いたとされており、それぞれの地には彼女たちにちなんだ伝説が残っている。
 また現地の教会には、この地で歿した(ぼっした)2人のマリアが眠っているとされる。5月と10月の祭りでは、2人のマリアにちなむ祝日に盛大な祭りが行われる。従者サラがロマの守護聖人であったことから、ロマが大勢集まる祭りとしても知られる。

 マグダラのマリアは晩年を送るためにイギリスに渡った時も、フランスは心の中で大切にしていた。もし、女性に関する秘儀の知識がマリアの望むように利用されれば、地球上に癒しの香油を振りまくことができる。今の時代に女性が優位な立場になることは、男性の衰退を意味するわけではない。人間の霊魂の奥底で、太陽と月との間の均衡がとれ、ついには両性具有の大宇宙が現れるためには、女性は男性との平等を勝ち取らなくてはならない。この奇跡的な結合から霊的な再生が生まれる。マリアが、男女を問わず、人間ひとり一人に、家族である人類全体に望んでいるのはそのことである。霊的な再生によって、内面的に上昇してほしいのである。過去の偽り、苦しみ、涙が永遠になくなってほしいとマリアは考えていた。

 マグダラのマリアという名前は、マリアの生地から来ている。その頃、人の名前には生地名をつけるのが習慣だった。「ナザレのイエス」と言ったのもそれが理由である。イエスがその伝道を進めていくにつれ、マリアの回りに女性の輪ができてきた。彼女たちは権力のある女性で、真の意味ではイエスの弟子だったが、純粋には内輪には属していなかった。マリアはイエスの秘密の教えに通じていたので、彼女たちはマリアの霊的な権威を認めていた。このグループは秘密集団だったので、特に名前はなかった。

 マリアと娘の命を守るためにフランスに逃れた際、彼女たちは一緒に来なかった。そのときから彼女たちは、マグダラ修道会と名乗ることにした。しばらくの間、彼女たちは、マリアが授けた教えを他の女性に伝え続けた。マリアが生きていた頃には、まだ今のような修道女の正式な会ではなかったのである。むしろ、イエスとマリアの教えを求める、権力ある女性たちの形式ばらない集会のようなものだった。

 マリアの時代に存在していた唯一の正式な修道会はイシス神殿修道会で、マリアはそこに属していた。そのことは、マリアがイシスの秘儀における訓練と任務を受けたことを意味している。マリアは12歳の時に母の指導の下にこの訓練を受け始めた。エジプト人の母は秘儀に関する知識を持っており、それをマリアに伝えるために、マリアが12歳の成熟期に達したので、この訓練を始めた。18歳になるとマリアはエジプトの神殿に入り、女性神官から直接教えを受けた。これは母の仕事が終わったことを意味しており、彼女は自分の意志を全うした。

 さまざまな意味でマリアは変わった存在であった。マリアはユダヤ人でありながら、エジプトの女神イシスの秘儀を学んでいたのである。現代人の時代でも、裕福で教養のある家庭の子どもであれば、生地とは異なる国に留学することもある。マリアの家はそうしたことを重んじる家であった。古代においては、経済的に余裕がある親は子どもをギリシャやエジプト、その他の地中海周辺の文化的中心地に送ることは珍しくなかったのである。マリアの家はエジプト出身だったので、彼女はそこに留学させられた。

 マリアはエジプトで正規に教育を受けている時、イシス神殿に入門し、当時はよくあったことだが、イシスの神と直接接することができた。そのうち、イシスの教えがシェキーナというユダヤ教の女性観と共通点があることに興味を持ち始めた。それは女性に変化をもたらす根本的能力を表わす概念である。シェキーナの女性観は障害物を乗り越え、妨げるものを取り除くことができる。それはソフトで優しい存在ではなく、女性の均衡を推進し、改革をもたらし、女性の情熱的で熱烈な側面を代表している。


 粗野で爆発的な荒々しい力を持つシェキーナの女性は、肉体的な実態はなかったが、イシスと同じようにエネルギー的には存在する。マリアはマリアなりに、今まで教わってきたシェキーナを含む文化的知識と、イシス神殿や、その他接触を持った人たちから授かった知識のバランスをとろうとしていた。イシスの女神との直接の接触は瞑想の時に起きた。マリアたちは心の窓(現代人は別の状態の自己と言っている)に入り込む訓練を受けていたので、それを通してイシスや他の神々と直接接触することができた。

 イシスから情報をもらうという点では現代人のチャネリングと余り違いはない。異なるのは、受け取った情報を他の人に伝達しない点である。情報を伝えることをしたのは、試験で、マリアが直接イシスと交信したことを他の巫女たちに報告する時だけであった。それが巫女たちが受け取ったものと同じだった場合は試験に受かり、異なると落第になる。エジプトに教育を受けるために出かけて行ったマリアは、家族や教師たちから「優秀な人間」として認知されていた。力量は認められていたが、誰もエジプトでイシスの門下生になるとは思っていなかった。視野を広げ、異なる文化に関する知識を身につけるためにエジプトに赴いたマリアは、イシスと接触させられたのである。