エフライム族の渡来

エフライム族の渡来-----------------------------------------------------------------------------------------

 中東では、もはや神々アヌンナキはほとんど姿を見せなかった。その神々のエゴを人類は背負うことになったので、中東や大陸では様々な国が戦い、それぞれの領土を広げては奪われていた。イスラエルも例外ではなく、王国は分裂し、北イスラエル王国はエフライム族が、南ユダ王国はユダ族が中心となって治めていた。
 この頃の北イスラエル王国は本来のシュメール信仰に戻って多神教となり、サマリア“小さなシュメール”と呼ばれていた。しかし、度重なる侵略によってサマリア王国の十支族は捕囚された後に行方不明となり、戻って来なかった。
 その頃、古代日本は縄文時代末期で、環太平洋レムリア文明圏の中心地となって最高の栄華を極め、王ナガスネヒコが治めていた。そこにある時、イナンナとニンギシュジッダの御宣託によって導かれたフェニキアの大船団が渡来した。行方不明となっていたサマリア王国の十支族である。

 彼らはまず先発隊として、祭司氏族のレビを偵察隊として送り込んだ。導かれたとはいうものの、本当に神祭りに相応しい土地かどうか、判断するためである。その到着地点は、後に京都北部の丹後半島と言われる日本海側の土地だった。黒潮から分かれた対馬暖流の流れるその土地は、冬場は荒れるものの、四季を通じて豊富な海の恵みをもたらした。また、海岸からすぐ傍に山が迫っていたが、それが海に豊富な栄養をもたらし、山中や頂には巨大な磐座(いわくら)の祭祀場があった。

 そして、対岸の半島とも盛んに交易が行われていたが、そこには鉄鉱石が豊富に埋蔵されていた。この日本海側の地域は、この列島の中心地だったのである。
 人々の顔は一見、警戒心のある厳しい様相のように見えたが、実は温和な性格で、海と山の恵みに感謝する信仰深い人たちだった。レビの長であるカグが彼らに話しかけると、それはサマリア王国の古い言葉、シュメール語と極めて類似したものだった。聞くと、彼らの実質の最高神は、何と偶然にも、豊穣の女神で航海の女神イナンナだった。そして、太陽神と蛇神を祀ると共に、海神で地球の主エンキも祀っていた。

 カグが大王ナガスネヒコから詳しい話を聞くと、彼らはアダパの子カ・インの子孫であり、自分たちの遠い祖先サティの兄の系統で、遠い兄弟支族ということが解った。祀っている神、そして祖先の共通性から、その場で協調関係が結ばれ、エフライム族の本体が渡来しても良いこととなった。
 この情報は直ちにエフライム族本体に伝わり、大船団は黒潮に乗って、まずは後に日向(ひゅうが)と呼ばれる地域に辿り着いた。そこには、ナガスネヒコの美しい妹、姶良依姫(アイラヨリヒメ)が待っていた。潮流の流れを見て到着地点を確信したナガスネヒコから、派遣されていたのである。彼女に先導され、エフライム族の本体は瀬戸内海を通り、現在の大阪・住之江付近に上陸し、陸路を経て、丹後で合流した。

 美しさと大船団を先導するたくましさを兼ね備えたアイラヨリヒメに、エフライム族の大王ムラクは心惹かれた。ムラクは王権の印として見事な鉄剣を帯同し、神の依り代としてのアロンの杖を持っていた。これを見たナガスネヒコは即座に悟った。自分たちもアダパの直系の子孫だが、神が望んでいるのは言わば弟分の彼らだと。当時、縄文王国では鉄の技術は発展途上にあり、メインは銅剣だった。もし戦えば、まったく勝ち目は無い。また、祖先のカ・インの罪滅ぼしはとっくの昔に終わっていたが、やはり神は罪の無い一族をお望みで、それ故に御神託によってこの土地まで彼らを導いて来たのだと。
 このように、宗教戦争をすること無く、ナガスネヒコとムラクは正式に和平を結び、その証としてムラクはアイラヨリヒメを娶り、渡来した一族の高度な製鉄技術は縄文王国に譲渡されることになった。そして、ムラクはこの列島の正式な大王として認められ、新たな時代が始まった。

 神々アヌンナキは一応、人類に介入しないことを決めていた。よって、どうしてもという時には、このように御神託という形をとって導いた。時には、天使などの姿として現れたりした。
 エフライム族の最初の到達地点は丹後だった。今でこそ“山陰”と呼ばれて裏のような印象だが、当時の半島や大陸との交易は、こちらが表玄関だった。
 日向のあたりから大分の宇佐にかけては、比売大神(ヒメノオオカミ)が土着の神として祀られていた。それは三柱の女神の宗像三神(むなかたさんしん)と同じだが、大神という尊称は、極めて重要な神であることを意味する。最高神がイナンナだったということは、宗像三神はイナンナの分身で、シヴァの分身が航海の女神ドゥルガーと暗黒の女神カーリーならば、すべてイナンナで同一、ということである。特に航海の女神という点で、ドゥルガーが反映されている。よって宗像系と海部(あまべ)系は広い意味では同族とも言え、婚姻関係も結んでいる。



 宗像三神(むなかたさんしん)の一柱、市杵嶋姫(イチキシマヒメ)は後に仏教の弁天様と習合され、水神にもなった。ということは、三神の中ではイチキシマヒメが最も重要ということである。この場合の「水」は「生命の水」のことである。そして、弁天は歌舞音曲の神でもあり、これはイナンナが原型の天鈿女命(アメノウズメノミコト)と同じである。その宗像三神を祀る宗像大社の神領である沖の島の海底神殿からは、興味深い一対の像が発見されている。銅製で、一対の片方は乳房と男性器を有した両性具有である。最初の人類は遺伝子が欠損していたため、生殖能力が無かった。つまり、アダムとイブのアダムに相当する。もう一方は明らかに女性なのでイブである。 
 この像は42センチで1キロ。42はカバラ的に4+2=6で、神の数字は7なので、それに1足りない6は人間を表す。1は最初の数字なので、最初という意味。つまり、42センチと1キロで、最初の人類を暗示している。

 人類を創成した神はエンキと彼の息子ニンギシュジッダ、そしてエンキと腹違いの妹ニンフルサグで、エンキが中心となった。そのエンキの象徴は海神・水神、水鳥、水瓶、魚、蛇、亀だから、像の頭に乗った水鳥が、最初の人類を創成した神を暗示している。つまり主エンキである。すなわち一対の像は、地球の主エンキが人類を創成したことを暗示している。またエンキのあだ名は“銅の彼”でもあったので、銅製の像ということでもエンキを暗示している。
 それが宗像大社の海底神殿から発見されたということは、宗像の本来の最高神、すなわち、「生命の樹」に於ける均衡の柱はエンキで、最も関わりの深い慈悲の柱がイナンナだったと言える。よって、共にイナンナを実質の最高神として祀ることで、新たな時代が始まった。

 大阪住之江の住吉大社は、神功皇后と共に、イザナギの禊で生まれた底筒男命(ソコツツノオノミコト)、中筒男命(ナカツツノオノミコト)、表筒男命(ウワツツノオノミコト)が西向きに祀られていた。これは宗像大社の方を向いて、宗像三神と「合わせ鏡」になっている。宗像三神は女神でしかも西側なので陰、住吉三神は男神で東側なので陽で、対になっている。つまり住吉三神は宗像三神よりも後から祀られた。住吉大社には神功皇后も祀られている。住吉大社の御紋は神宮の御紋とほぼ同じで、神功皇后が新羅に遠征した際に身に着けていた鎧にあった御紋、と説明されている。しかも神宮と同じく、20年毎に式年遷宮が行われる。そして、日本書紀の一書には、神功皇后は卑弥呼かもしれない、と記載されている。神功皇后と共にヒメノオオカミが祀られている宇佐神宮は豊国にあるので、トヨも関係ある。