日高見国建国

日高見国建国-------------------------------------------------------------------------------------------------

 日高見国(ひたかみのくに)とは坂東、古志(こし:新潟辺り)、東北のことで、これらを合わせて奥州(おうしゅう)ともいった。安日彦(あびひこ)と長髄彦(ながすねひこ)は、東日流(つがる)に落着して足元をかためると故地(こち)である大和奪回を企て兵を募ったが、阿曽辺族(あそべぞく)と津保化族(つぼけぞく)との戦いが長引いたこともあって兵が集まらず再起不能となり、東日流(つがる)の地に永住することを決めた。
 そしてこの地日高見国(ひたかみのくに)・東日流(つがる)に高御座(政治の司所)を築いて君臨し、日高見国(ひたかみのくに)五十二郡を総統して治政下に置いた。
 そして支那の民より支那王朝の治政を習い、真似て安日彦(あびひこ)は東の領の王位に就き、安東浦の東方稲城村に住居を築き居住した。
 また弟の長髄彦(ながすねひこ)は、西方の領の王位に就き、安東浦の西方立丘村に住居を築き、居住した。

 こうして奥州東日流(つがる)に居を構えた両王はよく話し合い、末代まで一族の争いがないようにと国を東西に分け、五年ごとに国替えをすることを決め、互いに移り住む決まりを定めた。
 そして東日流(つがる)を六郡に分け、海浜(かいひん)も二郡に分け浜六郡とし、山野、海浜を開拓させた。
 時が経ち、混血が進んだことによって住民は、支那の進んだ技術を学んで船を造り、家を建てる技術を学んで家を建て、農耕、魚収、製鉄の技術も覚え、奥州の諸族を併合して勢力を拡大していった。
 落着以来6年で、支那(中国)及び奥州に伝わる全能の神、亜羅(アラとは支那国の陽の神)、ハバキ(ハバキとは東日流"つがる"の全能の神)、イシカカムイ(太陽の神)、これを併合して荒吐族(あらばきぞく)と名づけ、ここに堅固(けんご)な大国・日高見国(ひたかみのくに)を造り上げた。このアラハバキはニビルのイナンナ(イシュタル)である。