環太平洋文明圏

環太平洋文明圏----------------------------------------------------------------------------------------------

 中近東からインドにかけては古代核戦争の影響があったが、大洪水後にカ・インの子孫が広がって行った環太平洋地域にはその影響は無かった。そのため、この地域は大洪水後に独自の発展を遂げた。

 南米からニヌルタとエンリルがニビルに金を送っている間、マルドゥクと喧嘩別れしたニンギシュジッダが信奉者を引き連れ、オルメカ文明を創成した。彼らが現地人(カ・インの子孫)を指導し、それが後にマヤ文明やアステカ文明へと発展し、ニンギシュジッダは“翼のある蛇”ケツァルコアトルとして崇められた。

 この文明の担い手たちは、発達した海運力で環太平洋の各地域で文明を築いた。中南米の反対側にあたる古代日本列島は、とりわけ大洪水の影響が小さかった。そのため、古代縄文王国が花開いていたのである。この列島は火山列島で時折大きな地震が発生するが、このような地殻構造により治癒力のある天然の温泉が湧き出て、また、季節的に大きな嵐に見舞われたりするものの、それが豊かな水量をもたらし、氾濫で土地が肥沃になるサイクルが出来上がっていた。何よりも、四方を海に囲まれ、豊富な森林に恵まれた温暖な気候は清浄な飲み水を絶えずもたらし、四季の恵みを与えてくれるのだった。
 すなわち、後に日本と呼ばれることになるこの列島は、地球のエネルギーグリッド(網)とエネルギーラインが同時存在する極めて稀な場所であり、それ故に、地球の意識(ガイア)エネルギーだけではなく、“万物の創造主(宇宙創造のエネルギー)”とも共鳴している極めて重要な場所であった。
 それを知った天才科学者ニンギシュジッダは、過去の地殻変動や太陽活動から遠い未来を予測計算し、密かにこの星の将来に備えて古代縄文文明を花開かせ、更に後にシュメール王家の血統の一族をこの地に導き、弥生文明を花開かせる。

 つまり環太平洋文明圏はカ・インの子孫たちの文明だった。太平洋にあったとされる、いわゆるムー(レムリア)大陸は誤解や妄想が生んだ産物だったが、この一大文明圏を“ムー文明圏”と言うことはできる。この文明圏のあちこちで、共通のペトログラフが発見されていることは、一大文明だった証拠である。しかも、古代シュメール象形文字に類似している。字体も様々な種類のものが生まれていった。


 世界の共通言語は神代文字(じんだいもじ)となり、現在では世界各地に23万個以上の古代文字の痕跡がある。これはペトログラフと呼ばれる岩石に刻まれた文字や文様で、アメリカ、ロシア、スペイン、日本など、大陸全域に残されている。日本で発見されたペトログラフは約5200個で、そのうち1740個が九州北部に集中している。これは九州に巨大な文明があったことを意味している。九州の大分県の佐田京石(さだきょうせき)という列石群は環状列石になっており、七本の石柱を線で結ぶと楕円形となり、その並びは惑星軌道を表している。これは高度な幾何学や数理学があった証明となっている。

 
 また山口県彦島(ひこしま)でも、シュメールで使われている文字がペトログラフとして存在し、それはハワイの文字とも同じ系統であった。


 紀元前2000年頃のオメテペ島のペトログラフ。オメテペ島はニカラグアのニカラグア湖に浮かぶ、2つの火山からなる島。

 シュメールを中心とした地域ではマルドゥク一派の反乱によって言語がバラバラにされたが、この文明圏はかなり長い間、言語は統一されていた。普通はマヤやアステカばかり注目されるが、本当は縄文文明こそ、隠された最高の文明だった。1万年も前の磨製石器が日本列島から見つかっていることなどは、それを裏付ける。また、縄文土器は食物を煮炊きできる道具なので、シュメールで文明が花開く前から、かなり高度な文明の基礎が出来上がっていたと言える。

 縄文の王の記録はなく、竹内文書がある、という人もいるが、それはアダム誕生以来の人類の血統の歴史、とも解釈が可能なので、必ずしも古代日本列島の王家の歴史とは言い難い。邇邇芸命(ニニギノミコト)を秦氏の大王とするなら、ニニギよりも前に天孫降臨していた饒速日命(ニギハヤヒノミコト)を物部氏の大王と見なすことができる。そのニギハヤヒよりも前から居たのは、長髄彦(ナガスネヒコ)である。ニギハヤヒがナガスネヒコの妹の登美夜毘売(トミヤヒメ、日本書紀では三炊屋姫”ミカシキヤヒメ”)を娶(めと)った。
 ニニギは山の神・大山祇神(オオヤマツミノカミ)の娘・木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)を娶って火火出見(ホホデミ)を産み、ホホデミは海神・綿津見神(ワタツミノカミ)の娘・豊玉姫を娶って鵜草葺不合命(ウガヤフキアエズノミコト)を産んだ。これにより、天孫には高天原の神、大地の神、海の神の霊力が宿り、ようやく大八洲(オオヤシマ:日本)を治める資格を得たわけである。
 これはつまり、自分には無い重要な性質を有する大王の娘を娶って和平を結んだと見なせる。そうすると、天孫ニギハヤヒがナガスネヒコの妹のミカシキヤヒメを娶ったことは、ナガスネヒコが縄文王国の大王だったということである。

 ナガスネヒコは文字通り“脛(すね)の長い”という解釈もできる。実際、中南米では背が高く脛(すね)の長い人骨が埋葬されていたので、環太平洋文明圏は人種的にも同族だったという証拠である。それに、縄文人は山の民でもあり、後にサンカと呼ばれた。山の神はオオヤマツミノカミだが、海神でもある。それは、縄文人が海の民でもあるからである。

 太古は、世界中の何処もが豊穣の女神を崇めた。それと恵みをもたらす太陽も。イナンナは放浪が好きだったので、当然、環太平洋地域含め世界中へ行っていた。イナンナの別名はアシェラで、ヘブライ語の“柱”という意味でもあるから、ついつい古代ヘブライの関係などと考えられていた。しかし原型はイナンナである。インディアンのトーテムポール、諏訪大社の御柱(おんばしら)など、環太平洋地域では至る所で柱が神の依り代、あるいは神聖な場所の結界と見なされてきた。

 そして、蛇が神の使いあるいは神自身とされた。諏訪大社の根源は蛇神のミシャグジだが、ヒッタイト神話ではイナンナが悪龍イルルヤンカシュ(マルドゥク)を退治したので、いわばイナンナは“良い蛇”である。そして、双子のウツにも蛇に関わる伝承があり、導きの神ニンギシュジッダは蛇神である。さらにニンギシュジッダの父で海神で地球の主エンキこそ、すべての蛇神の根源である。
 彼らに関わりがあるからこそ、蛇神である。ミシャグジ=ミシャグチを“御イサク地”と見なし、御頭祭(おんとうさい)と合わせてイサクを救う場面の再現、と言う説もあったが、それは最表面だけのことで、根底は“神の社に仕えて神懸かりするサニワ(審神者)”ということで“御社宮司(ミシャグジ)”である。柱に蛇が絡まれば「生命の樹」である。それと対を成すのは「知恵の樹」で、両者は「合わせ鏡」である。
 そして、それらを1つにまとめて2匹の蛇が絡まればカドゥケウスの杖でニンギシュジッダのシンボルとなる。中南米はニンギシュジッダが主神だったので、翼のある蛇神、白く輝く蛇神が男神の太陽神として崇拝された。よって、例えばインカでは、神に仕える巫女は冬至の日に、陰部を日の出の太陽に向けて太陽神の子を宿すとされた。

 似たような話は、古事記にも天之日矛(アメノヒホコ)に関わる阿加流比売(アカルヒメ)の話がある。

 “昔、新羅のアグヌマ(阿具奴摩、阿具沼)という沼で女が昼寝をしていると、その陰部に日の光が虹のようになって当たった。すると女はたちまち妊娠して赤い玉を産んだ。その様子を見ていた男は乞(こ)い願ってその玉を貰い受け、肌身離さず持ち歩いていた。ある日、男が牛で食べ物を山に運んでいる途中、アメノヒホコと出会った。アメノヒホコは、男が牛を殺して食べるつもりだと勘違いして捕えて牢獄に入れようとした。男が釈明をしてもアメノヒホコは許さなかったので、男はいつも持ち歩いていた赤い玉を差し出して、ようやく許してもらえた。アメノヒホコがその玉を持ち帰って床に置くと、玉は美しい娘になった。アメノヒホコは娘を正妻とし、娘は毎日美味しい料理を出していた。しかし、ある日、奢り高ぶったアメノヒホコが妻を罵ったので、親の国に帰る、と言って小舟に乗って難波の津の比売碁曾(ひめこそ)神社に逃げた。アメノヒホコは反省して、妻を追ってヤマトへ来た。この妻の名はアカルヒメである。しかし、難波の海峡を支配する神が遮って妻の下へ行くことができなかったので、但馬国(たじまのくに)に上陸し、そこで現地(出石)の娘、前津見と結婚した。”

 これには新羅も関係している。新羅は海宮(かいきゅう)一族が建国に携わった国である。インカの話では、巫女は毛抜き用ピンセットで陰毛を抜かれ、掻把器(そうはき)で陰部を開いて太陽に向けられた。その毛抜き用ピンセットに似た物が、日本にもある。宮中の新嘗祭(にいなめさい)などで使われる、神饌(しんせん)をお供えする箸(はし)である。竹を曲げてピンセット状になっている。
  箸というと、スサノオが出雲に降りた時に斐揖川(いびがわ)に流れてきた箸の話や、倭迹迹日百襲姫(ヤマトトトヒモモソヒメ)が陰部を箸でついて死んだ話がある。また箸ではないが、天照大神あるいは機織(はたお)り女の稚日女(ワカヒルメ)が機(はた)を織っていた時にスサノオが皮を剥いだ馬を投げ入れたのに驚いて梭(ひ)でホト(陰部)をついて死んだ、などの話もある。その機(はた)を織っていた時の話は新嘗祭(にいなめさい)の時だった。古代の新嘗祭は、ほぼ冬至の頃だった。よって新嘗祭で使うピンセット状の箸は太陽神の子、日の皇子を暗示しているわけである。

 さらに、ワカヒルメの話の“梭(ひ)”は“日”に通じる。インカと日本にはそんな繋がりもあった。マヤ文明などでは20進法なので、数字のカバラからすれば太陽神ウツを暗示する。しかし、彼の地で20進法を始めたのはニンギシュジッダで、主神もそうである。つまり、太陽神の性質も併せ持つニンギシュジッダだからこそ、そこに太陽神ウツのシンボルが重なっても矛盾しない。これがカバラの難しい点でもある。
 そして日本ではニンギシュジッダは導きの猿田彦で、縄文時代の土偶には明らかに豊穣の女神を模したものが多く、太古から続く諏訪大社(すわたいしゃ)などを見ると、縄文の最高神はイナンナで、ニンギシュジッダが裏から支えた、という構造である。
 また、ドゥルガーはイナンナそのもので、獅子を従えた美しい女神で航海の神なので、イナンナは航海の女神でもある。つまり海洋民たる縄文人を導いていたのは、豊穣の女神で航海の女神でもあるイナンナということである。それをニンギシュジッダが助けた。