徐福の渡来

徐福の渡来---------------------------------------------------------------------------------------------------

 古代日本で弥生時代が始まった頃、大陸ではペルシャ系十支族が最初の統一王国を築いた。秦(紀元前778年 - 紀元前206年)である。この呼び名はイナンナの父神シン(ナンナル)に由来し、故にシンボルは月である。

 この国には、東の海に浮かぶ不老不死の国の伝説が既に伝わっていた。とうの昔に神殿には神々はおらず、不老不死を神に直接祈願することはできなかったので、秦の始皇帝は何としても不老不死の妙薬を手に入れたかった。そこで、レビの血を引く祭司、徐福(じょふく)を偵察隊の長として派遣した。そして、ある場合に備えて、皇帝の近親者も共に遣わした。


 徐福一団は海流を利用して、最初に丹後(京都北部)に辿り着いた。そこで、一大王国を目にしたのである。最初、大王たちがシュメール語で話していたので徐福は良く理解できなかったのだが、ヘブライ語で話しかけると話が通じ、同じ十支族であること、そして、エフライム族の大王がこの地の大王として君臨しているとは思ってもみない大きな収穫だった。
 早速、このことを皇帝に伝えなければならなかったが、このまま戻ってしまっては、縄文の血を引く一族から敵と見なされてしまう可能性もあった。この時、徐福は皇帝の機転を悟り、皇帝近親者の娘、伊加里姫(イカリヒメ)を大王ムラクへの和平の印として差し出し、彼女の側近や侍従らを残して、徐福は一旦秦に戻った。


 アメノムラクモノミコト(エフライム族の大王ムラクで日本の王となった:神武天皇のモデル)にはアイラヨリヒメという妻が居たので、イカリヒメとの関係をどうすべきか悩んだ。縄文王国との関係を優先すべきか、あるいは、十支族としての連帯を強くするべきか?また、アイラヨリヒメとの間には子を授かっていた。
 そこで、見かねたナガスネヒコが助け舟を出した。今後の大陸や半島との関わりを考慮すると、同族との繋がりを強くしては如何か?と。
 これによりアメノムラクモノミコト(大王ムラク)は決断し、イカリヒメを正妻とした。一方の徐福は、残念ながら不老不死の妙薬は無かったものの、エフライム族の大王が彼の国を治めていること、最高神が不老不死の大元だったイナンナ故に不老不死伝説が出来上がっていたこと、和平を結ぶためにイカリヒメを大王アメノムラクモノミコトの妻としたことなどを皇帝に報告した。
 事情を理解した皇帝は、技術者などを集めて大集団とし、改めて徐福を指導者としてその一大集団を率いさせた。それは、始皇帝の遺言でもあった。

 今度は彼らは半島経由で九州に上陸した。そこから次々と拠点を開き、瀬戸内海や四国、瀬戸内陸路を経て近畿へ、最終的に丹後へと合流した。そして、正式に和平が結ばれた。
 あの最初の出会いから十数年経っており、徐福はイカリヒメが正妻となっていることに安堵すると同時に、大王ムラクとイカリヒメの間にできた出石姫(イズシヒメ)に心惹かれた。大王ムラクは機転を利かし、徐福にイズシヒメを娶る意思があるかどうか尋ねた。徐福はその申し出を快く受け、イズシヒメを娶った。これにより、十支族の間の絆は深まった。


 しかし、中には快く思わない人たちも居た。そもそもエフライム族との和平に疑問を抱いていた縄文王国の一部の者たちや、強引に拠点を築いていた一部の徐福一団の行動に納得できなかった者たちである。また、徐福の一団はペルシャ系ユダヤ人とは言え、ユダヤ教よりも契約の神ミスラを太陽神とするミトラス教に傾き、当時台頭していたゾロアスター教に押し出される形で大陸にあのような王国を築いたので、彼らの中にはイナンナを最高神とする縄文-エフライム族連合に納得できない者たちが居た。

 このような状況故、各地で小競り合いが発生し始めていた。それを少しでも収めるために、徐福一団が持って来た銅鐸(どうたく)を太陽神祭祀の祭具とした。銅鐸は太陽のように黄金色に光り輝き、その孔の位置は、夏至・冬至、春分・秋分を観測することができたので、太陽神の分身のように見なされていた。


 このように支那(中国)の最初の統一王朝秦は、ペルシャ系十支族のユダヤ人国家だった。よってつい最近まで、始皇帝の墓を発掘することは許されていなかった。支那最初の王朝が漢民族ではなかった、というのは共産党の意向にそぐわない。
 秦由来の渡来一族は弓月君(ゆづきのきみ)に率いられて来たという伝承があったが、弓月君が徐福である。弓のような月とは三日月でナンナルのシンボルでもあり、それをカバラとして拝借した。そして、月に生えているとされる伝説の木の「桂の木」があるが、これが意味することは、葛城氏(かつらぎうじ)の祖は徐福である。徐福の妻となったイズシヒメの正式名は、カツラギイズシヒメである。よって、葛城氏と海部(あまべ)一族の分家の尾張氏との間には深い婚姻関係がある。


 しかし徐福がエフライム族である海部(あまべ)一族の大王に始皇帝縁者の娘を差し出したというのは、何処にも書いていない。これは日本の封印された最高の秘密の1つである。正確に言うならば、それは史記に記されている。そこには、徐福は蓬莱(ほうらい)の地で王となった、とある。大王アメノムラクモノミコト(エフライム族の大王ムラク)の義理の息子となったわけなので、王家の一員である。
 このイズシヒメ、アメノヒホコの出石(いずし:兵庫県豊岡市付近)と関係があり、アメノヒホコは妻を追ってヤマトにやって来たが、但馬国(たじまのくに:兵庫県北部)の出石(いずし:兵庫県豊岡市付近)に至り、そこで現地の娘、前津見(まえつみ)と結婚した。これは、アメノヒホコを徐福、出石(いずし)や現地の娘をカツラギイズシヒメと見なせばいい。

 そして、アメノヒホコは8種ほどの神宝を持参したとされているが、それらはいずれも海上の波風を鎮める呪具(じゅぐ)とされ、その中の奥津鏡(おきつかがみ)=息津鏡(おきつかがみ)と辺津鏡(へつかがみ)は海部(あまべ)氏(エフライム族)の御神宝なので、アメノヒホコは海部(あまべ)氏(エフライム族)に極めて関係の深い人物である。
 また、これらの神宝は物部氏(もののべうじ)の十種神宝(じっしゅしんぽう)を象徴するので、正史で物部氏の大王とされているニギハヤヒが持つべき物でもある。実は、ニギハヤヒも徐福である。このように、十種神宝という観点からも、アメノヒホコは徐福となる。


 ニギハヤヒはニニギよりも先に渡来していた正統血統で、ニギハヤヒは徐福でもあり、海部(あまべ)一族(エフライム族)の大王でもある。シュメールの正統血統で、縄文の大王ナガスネヒコの妹を娶ったニギハヤヒは海部(あまべ)一族(エフライム族)の大王を暗示し、ナガスネヒコを裏切って神武天皇側に寝返ったニギハヤヒは徐福系である。海部(あまべ)一族(エフライム族)の極秘伝はこうある。

“ヤマトに於いて、天神の降臨が相次いで二度あった。最初の降臨は天火明命(アメノホアカリ)、天香語山命(あめのかぐやまのみこと)、天村雲命(あまのむらくものみこと)であり、少々経ってからニギハヤヒが降臨した。”

 これは古代に於いて、両氏族が相当深い関係にあったことを暗示している。ここでは明らかに天神には二氏族あって、両者が“相当深い関係”、つまり、婚姻関係で結ばれていたことがわかる。

 またタジマモリも不老不死の妙薬を求めたが、タジマモリも徐福を暗示する。最初に渡来した時点の徐福が田道間守(タジマモリ)、再渡来した時点の徐福がアメノヒホコである。タジマモリは第11代・垂仁天皇の命で常世の国に不老不死の妙薬、非時香果(ときじくのかぐのこのみ)を求め、10年掛けて葉付きの枝と果実付きの枝を日本に持ち帰って来たが、垂仁天皇は既に崩御していた。


 常世の国をヤマトと見なし、垂仁天皇を始皇帝と見なせば、タジマモリは徐福に相当する。その非時香果(ときじくのかぐのこのみ)とは橘(タチバナ)のことで、日本に自生している植物である。これは秦とヤマトを「合わせ鏡」で逆に見れば良い。よってアメノヒホコ→タジマモリとされる渡来順も逆に見れば良い。
 また、タジマモリは垂仁天皇が崩御されていたことに、悲しみのあまり泣き叫びながら亡くなったというが、これはギルガメッシュが不老不死の妙薬を手に入れたものの、蛇に奪われたので泣いた、という次の話と似ている。

“ギルガメッシュとお供のエンキドゥが“神々の地”に辿り着く前、ギルガメッシュが水浴びしていると、その姿に欲情したイナンナがギルガメッシュを誘惑した。しかし、イナンナの浮名を知っていた彼は、早晩、彼女は自分を“足にまとわり付く靴”のように脱ぎ捨てるだろう、と言って、彼女が浮名を流した男たちの名を列挙し、彼女を拒絶した。この屈辱的拒絶に激高したイナンナは“天の牡牛(おうし)”でギルガメッシュを打ち倒すよう、アヌに頼んだ。しかし、彼らはこの“天の牡牛”を打ち砕いたので、イナンナは彼女の住まいで嘆き悲しんだ。”

 つまり、ギルガメッシュの話にもイナンナが密接に関わっていた。そもそも不老不死の概念自体がイナンナが根源である。
 さらに、葉付きの枝は「生命の樹」、果実付きの枝は「生命の樹」に生る実なので、知恵を悟ることの象徴である。カバラに於ける不老不死とは、「生命の樹」の知恵を悟ることに他ならない。そして、「生命の樹」のセフィラは10個、隠されたダアトを含めると11個で、それがタジマモリの話の“10年”“第11代”で象徴されている。つまり、タジマモリの話は、「生命の樹」の知恵を悟ることを象徴したカバラでもある。
 また、尾張氏の末裔は田島姓や馬場姓を名乗り、かつては但馬(たじま)も丹波王国だった。つまり、タジマという言葉で海部(あまべ)一族を暗示している。


 またこの徐福一団の経路も、アメノムラクモノミコト=神武天皇の東征経路と似ている。それは、徐福がアメノムラクモノミコト(大王ムラク)の時代に渡来し、その娘を娶ったからである。徐福こそが神武天皇である、という説も、同じ理由だった。
 しかし、和平を結んだとは言え、快く思わない者たちが反逆していた。よってこの狭い国を統一する必要が生じた。この小さな島国で争っていては共倒れになるからである。そこで最も重要なことは、祭祀である。古代は何処の国でも政祭一致だった。そして徐福系の不満を減らすために、彼らが持って来た銅鐸が祭祀に使われるようになった。銅鐸については様々な議論があったが、太陽神の分身だった。