「現代の国際銀行家」は古代バビロンの神殿の高利貸・両替商に遡る

「現代の国際銀行家」は古代バビロンの神殿の高利貸・両替商に遡る---------------------------

 アッシリアが撤退しメソポタミア文明も終盤の新バビロニア時代に入ると、民間の銀行活動が盛んになってくる。英国で発達した金融機関の起源ともいわれるのが、バビロニアのユダヤ人のエジビ家(The Egibi family)や、ユダヤ系のムラッシュ家(The Murashu family)などの大地主である。資金の貸付け、小切手、為替手形、さらには不動産ローンの買い取り、ベンチャー投資なども広く行われていた。しかし預かった資金を貸し出しに回すということは行っていなかったようで、その為に彼らは銀行の起源としては扱われていない。また奴隷自身がお金を借りて主人から自分自身を買い戻すローンもあった。

 ユダヤ人のエジビ家は5世代に渡り、ネブカドネザル2世の時代からアケメネス朝ペルシア王クセルクセスの支配まで続く。エジビ家の第一世代は、ナブ・ゼラ・ウキンの息子のスラジャである。彼らのほとんどの関心ごとは、バビロン周辺の農村地区での大麦などの商品の卸売業である。スラジャは数人のパートナーと、利益と損益を共有して、長期的なベンチャービジネスに取り組んでいる。そして資金と人脈も同時に構築している。後に彼の息子のナブ・アッヘ・イディンが、さらにそれを発展させていく。

 エジビ家の第二世代のナブ・アッヘ・イディンは文字の読み書きと法律を学び、裁判所の筆記の職を得ることになった。王ネブカドネザルの晩年、ナブ・アッヘ・イディンは時々、王室の行政の中心地のオピスで時間を過ごした。そこで彼は管理業に従事する傍ら、王室のプライベートな内容の文書も発行するようになった。彼のクライアントの中には皇太子の宮殿の管理者もいたので相当の立場である。そしてナブ・アッヘ・イディンは、新バビロニアの第4代王(前560-前556)ネリグリッサルの住居購入のための財政問題を、合法的に取り扱っていることで知られていた。言わば、第4代王ネリグリッサルの弁護士として働いていた。また彼は破産した借金者の権利など、複雑な問題も取り扱っていた。

 第4代王ネリグリッサルの死後、彼は次の王で新バビロニア最後の王でもあるナボニドスの下で、バビロンの王室裁判官として影響力のある立場につく。ナブ・アッヘ・イディンの多くの仕事は、彼の長男か実力があり最も信頼できる奴隷へと引き継がれた。

 紀元前542年、王ナボニドスの13年目の年、ナブ・アッヘ・イディンは亡くなった。エジビ家の第三世代のイッチ・マルドゥク・バラツは、紀元前522年のカンビュセス2世の王位が失われる時までエジビ家の事務的なことを取り扱う。この時、ペルシアによるバビロニアの征服が起こった。政治的移行は順調に行われた。しかしイッチ・マルドゥク・バラツは仕事を続けるために、多大な努力をしなければならなかった。なぜなら彼の商品取引の大部分は王室の管理者の協力に依存していたからであった。よって彼は何回もペルシャへ長距離の旅を行う。そしてイッチ・マルドゥク・バラツはバビロン地域の徴税(ちょうぜい)や軍用品の供給などを通して彼の立場を大きくし、維持し続けることに成功した。

 しかし紀元前522年にアケメネス朝ペルシア第3代の王ダレイオス1世が即位してまもなく、イッチ・マルドゥク・バラツは彼の長男のマルドゥク・ナシル・アプリと共に突然亡くなる。彼の長男は結婚もし、父の仕事を引き継いでいた。イッチ・マルドゥク・バラツの野望は、妻の父親イディン・マルドゥクによって達成される。妻の父親は商売上、近い関係にあった。
 マルドゥク・ナシル・アプリは14年間、家族の事業を受け持ったが、彼の2人の若い兄弟は分け前の受取を要求した。また、相続に関する記録には、エジビ家の富が次のように記されている。

 バビロンとボルシッパの都市にある16個の土地と、100人の奴隷を兄弟で分配する。
 利益および保留中の事業の損失は、それに応じて共有する。
 キシュ(Kish)の東にあった彼らの商売の本拠地フルサグカランマの土地、庭、家は、兄弟への分割の対象ではない。

などと言及していた。
 この相続と分配は事業の資本を減少させる問題となった。マルドゥク・ナシル・アプリはマルドゥク(アヌンナキ)を奉るエサギラ寺院に、所有していた価値のある土地を担保に入れていた。ある記録では、質に流れた資産は銀25kg分に達していたと証明されている。しかし、このようなトラブルにもかかわらず、家族の運命に衰退の兆候は見られなかった。

 紀元前486年、ダレイオス1世の36年目の年、マルドゥク・ナシル・アプリの息子ニディンチ・ベルは父親の死後、仕事を引き継いだ。アケメネス朝ペルシア王クセルクセス1世の初期の頃で政情が不安定な時である。よってニディンチ・ベルは仕事に必要な証書であるタブレットを守るため移動させておいた。それらを慎重に瓶(びん)に入れ、廃棄場に埋めたことによって、その記録が1000年以上保管され続けた。