ヒンズー教の主神とインダス・カバラ

ヒンズー教の主神とインダス・カバラ------------------------------------------------------------------

 ヒンズー教の神々の最大の特徴は、多種多様な化身(アヴァターラ)が存在すること、多くの顔や腕を持つ非現実的な姿であること、そして、男性器の象徴であるリンガと女性器の象徴であるヨニを崇拝することである。
  主たる創造神はブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァの三柱である。ブラフマーは仏教の梵天(ぼんてん)だが、宇宙の根本原理ブラフマンが擬人化された創造神。后(きさき)はサラスヴァティーで、仏教の弁財天。ヴィシュヌやシヴァはブラフマーの命令によって魔人退治に出掛けたりする。だが後に、この二神がブラフマーに取って代わることとなった。これら三神は本来一体であり、同一の神が宇宙の最高原理を創造する時にはブラフマー、維持する時にはヴィシュヌ、破壊する時にはシヴァとして現れる三神一体=トリムルティという考えが一般的である。トリムルティを表す図では、向かって左からブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァの順に描かれ、本来、均衡の柱として中心に描かれるべきブラフマーは、向かって左に追いやられている。

 ヴィシュヌは仏教の那羅延天(ナラエンテン)、毘紐天(ビチュウテン)で、リグ・ヴェーダでは数ある太陽神の中の1つ。后(きさき)はラクシュミーで、仏教の吉祥天女。破壊を司るシヴァが恐怖と温和の二面性を有するのに対して、ヴィシュヌは温厚で慈悲深く、熱心な信者に対して必ず恩恵を与える。この性格は、世界が危機に瀕した時、人間や動物に姿を変えて出現し、窮状(きゅうじょう)を救うという化身あるいは権化による“救世主的性質”によく表れている。

  ヴィシュヌの化身にはラーマ、クリシュナ、マツヤ(魚)、クールマ(亀)、ヴァラーハ(猪)、ヌリシンハ(人獅子)、ヴァーマナ(矮人)、斧を持つラーマ、ブッダ、カルキがあり、特にクリシュナはイエスの予型とも言える類似性を示している。ヴィシュヌ本来の身体的特徴としては、青黒い肌と4本の腕、蓮華のような目を持つ。黄色い衣服を纏い、アナンタ龍王(7つのコブラの頭を持つ龍の化身、ナーガ)に腰掛けたり、その上で眠ったり、体に巻きつけたりしている。また、4本の手に円盤、法螺貝(ほらがい)、棍棒、蓮華を持っている。

  シヴァは仏教の大自在天(だいじざいてん)、大黒天(だいこくてん)で、世界の創造・維持・破壊を司る。最もシヴァに愛されていた后(きさき)はパールヴァティーで、仏教の烏摩(うま)。シヴァにはヴィシュヌのような化身はほとんど無いが、性格を描写する多くの異名を持っている。その暗黒面としては、恐るべき者ということでバイラヴァ(畏怖者)、運命と死を支配することからカーラ(時間)、世界の破壊を司るハラ(破壊者)と呼ばれ、他にもブーテーシャ(悪鬼たちの主)、ムンダマーラー(髑髏”どくろ”を首に掛ける者)などといった呼び方もある。光の側面としては、恩恵を授けるのでシャンカラ(吉祥者)、支配者なのでマヘーシュヴァラ(大自在天”だいじざいてん”)、全知全能であることからマハーデーヴァ(大天”だいてん”)、牧童(ぼくどう)に従う家畜のように人々がシヴァに従うのでパシュパティ(家畜の主)などと呼ばれる。

  暗黒の側面は、戦いと殺戮の女神ドゥルガーとカーリーである。ドゥルガーは航海の神として知られ、獅子を従えた美しい女神として描かれることが多い。カーリーは“時間”と“黒色”の2つの意味を持つ“カーラ”という言葉の女性形である。故に、別名を“時の女神”とも“黒色の女神”とも呼ぶシヴァの暗黒面を司る妃であり、シャクティとしてのシヴァのエネルギーの源泉ともなっている。神々の世界を支配しようとした魔神シュムバとその兄弟、手下のチャンダやムンダらと戦うことになったドゥルガーが、その怒りによって顔色を黒色に転じると、そこからカーリーが現れたという。
 シヴァの一般的な姿は一面四臂(いちめんよんぴ)で、全身に灰を塗り、首には蛇を巻きつけている。腰には虎の皮を巻き、頭髪は荒々しく束ねて高く巻き上げ、その髪の中には聖なるガンジス川の女神ガンガーがいて、そこからガンジス川が流れ出している。2本の手には三叉戟(さんさげき)と斧を持ち、残りの手は恩恵を与える印(いん)と恐怖を取り除く印を結んでいる。
 カーリーは黒色の肌で、首には仕留めた魔神たちの生首や髑髏(どくろ)の首輪を掛け、4本の手には血糊(ちのり)の付いた剣や縄、三叉戟(さんさげき)などの武器、髑髏(どくろ)の付いた棒、血の滴る生首を持っている。腰には虎の皮を巻き付け、大きく開いた口からは長い舌を出している。横たわるシヴァにまたがり、目は血走り好戦的で、血を好み、破壊と殺戮を楽しむ強大なパワーを持った女神である。

 また、シヴァといえばリンガ(男性器)崇拝である。リンガは普通石で造られ、頭の丸い円筒形をしている。多くの場合、女性器を象ったヨニという台座に直立しており、陰陽の合一を表す。
  通常、リンガは石龕(せきがん)の内部に祀られている。龕(がん)は子宮を表し、生命の創造を表現している。ヒンズー教徒は、ここでマントラを唱えて祈る。リンガの先端にミルクやギー(水牛や山羊の乳から作られた脂)、胡麻油(ごまあぶら)などが掛けられる。これらはシヴァの精液を表しており、下のヨニに流れ落ちる。これにより、シヴァの精液はパールヴァティーの子宮へ入り、新たな生命を創造すると考える。

  エジプトのカルナックにあるアモン神殿には、パピルス柱とロータス(蓮)柱が建っており、パピルスは下エジプト、蓮は上エジプトを象徴すると同時に、蓮は花で女性原理、下エジプトのピラミッドはそそり立つ山で男性原理を象徴するので、女性原理と男性原理の統合=陰陽の合一を表す。これを更に象徴化すると、ヨニに座すリンガ、蓮華に座す釈迦となる。また、リンガはシヴァ、ヨニは妃パールヴァティーで陰陽の合一である。このような性器崇拝の起源はインダス文明にまで遡るが、これがヴェーダ由来のシヴァ信仰と結びつき、大いに発展した。更に、リンガは柱である神を、ヨニは器である神殿を表し、神殿に神が降臨することも暗示する。

 ブラフマーは最高神で、その后(きさき)サラスヴァティーが仏教の弁天様、弁天様は日本ではイチキシマヒメで、天照大神とスサノオとの誓約で生まれた三女神の一柱である。つまり日本神話では天照大神が最高神的なので、それとブラフマーを重ねた。サラスヴァティーはブラフマーが自らの体から造り出した存在なので、構造としては全く同じ。日本神話の原型は、こんなところにもある。

 サラスヴァティーは水と豊穣の女神なので、原型はイナンナである。そして水の神なので、イチキシマヒメも福岡県の宗像大社(むなかたたいしゃ)の海神三姉妹の一柱として祀られている。更に、インダス文明の創造神がイナンナだということは、ブラフマーもイナンナだと言え、サラスヴァティーがブラフマーの分身というのも納得できる。
 ブラフマーは本来中心のはずなのに端に追いやられているが、カバラ「生命の樹」は、場合によって、状況によって見方を変えることができるということである。
 中心が均衡(きんこう)の柱、向かって右が慈悲(じひ)の柱、左が峻厳(しゅんげん)の柱で、均衡(きんこう)の柱は普段は関わりが少ないが最高神的な神、慈悲(じひ)の柱が最も普段関わりの深い神、峻厳(しゅんげん)の柱は厳しさを備えた神である。よって、神道で言えば慈悲(じひ)の柱が和魂(にぎみたま)、峻厳(しゅんげん)の柱が荒魂(あらみたま)に相当する。
 しかし、これはある側面から見た見方であって、別の側面から見れば慈悲の柱と峻厳の柱の役割が入れ替わったりする。つまり、三柱の神々は同等だが、状況に応じて、見方によって当てはまる柱が変わってくる。だから、本来の最高神だからといって、必ずしも中心の均衡の柱でなければならない、ということではない。
 これを端的に表しているのが、太秦(うずまさ)の蚕ノ社(かいこのやしろ)などで見られる三つ柱鳥居である。3本の柱は均等だが、どこから見るかによって、中心の柱が変わってくる。

 ここがカバラの難しいところでもあり、他にも混乱しやすい点を挙げれば、例えば、神Aと神BがそれぞれA1とA2、B1とB2という2つの側面から構成されているとする。ここで、神AからはA1、神BからはB1という側面を持ってきて神Cを創作した場合、A1=C、B1=C だからと言って、A2とB2は異なるので、A=Bとはならない。これを勘違いすると、A=A1=C=B1=Bとなって、神Aと神Bが同一、という誤った解釈となってしまう。

 インダス・カバラでは、特にヴィシュヌの持っている法螺貝(ほらがい)がキーとなっている。法螺貝(ほらがい)はヴィシュヌの化身クリシュナに退治された海の悪魔パンチャジャナであり、ヴィシュヌがこれを吹き鳴らすと、悪魔が震え上がるという。この法螺貝(ほらがい)は左巻きである。
 巻き方の見分け方は、巻き貝の尖った方を上に向け、殻の入り口が見えるように持ったとき、殻の口が向かって右側に見えるのが右巻き、左側に見えるのが左巻き。巻き貝の巻く方向の理由は良く解っていないが、9割以上が右巻きである。そうすると、ヴィシュヌの法螺貝(ほらがい)は通常の巻き方とは逆になっている。つまり、インダス・カバラは他の文明のカバラとは逆ということを暗示している。すなわち、インダス・カバラでは「生命の樹」の慈悲の柱が向かって左、峻厳の柱が右なのであるこれは、シュメール、エジプト、マヤなどの創造神は男神、インダスはイナンナで女神だからである。

 さらに仏教では釈迦の説法を“大法螺(おおぼら)を吹く”と言ったが、今では“いい加減なことを言う”意味に変化してしまった。つまりヴィシュヌの化身クリシュナはイエスの予型(よけい)で、イエスの原型はイナンナで、ヴィシュヌの法螺貝(ほらがい)が最高神はイナンナだと暗示しているということは、ヴィシュヌがわざわざ中心に持ってこられたのは、ヴィシュヌがイナンナを暗示しているからである。そうすると、ブラフマーもヴィシュヌもイナンナ、ということになる。イナンナは大神アヌに愛されたので、ブラフマーはアヌだとも言える。更に言えば、シヴァもイナンナである。ブラフマーもヴィシュヌもシヴァも蓮華の上に立っているが、エジプトでは増水期に開花する蓮を生産力の象徴と見なし、夕方に沈み翌朝再び水面に出て開花する姿から再生のシンボルとも見なした。“再生、復活、不老不死”と言えばイナンナである。リンガとシヴァの関係について、神話では次のように説明されている。

 “カルパ(劫”こう”)が終滅する時、ヴィシュヌは水底で眠っていた。すると光明が出現し、その中からブラフマーが現れた。ブラフマーはヴィシュヌを見つけて、どちらが真の創造者かということで口論となった。その時、火炎を発する途方もなく巨大なリンガが姿を現した。驚いた2人は口論を止め、このリンガの果てを見届けてきた方がより偉大だと認めよう、と合意し、ブラフマーは白鳥に、ヴィシュヌは猪に姿を変えて果てを確認しに行った。しかし、両者とも果てを確認することはできず、自分たちよりも偉大な存在に気付き、そのリンガに向かって讃歌を唱えた。その時、リンガの中から千手千足(せんじゅせんぞく)、三眼を有し、弓と三叉戟(さんさげき)を手に持ち、象の皮を纏(まと)い、蛇でできた聖紐を身に着けたシヴァが現れ、雷鳴のような声で告げ、姿を消した。
「かつて我々三神は一体であったが、今はこのように分かれている。未来においてブラフマーはヴィシュヌとなり、私はカルパ発生時にヴィシュヌの怒った額から生まれるであろう」これ以来、リンガはシヴァの象徴となった。”

 この神話は、三神がイナンナだということを暗示している。シヴァはガンジス川の女神ガンガーを閉じ込め、そこからガンジス川が流れ出している。これは、シヴァをガンガーが洗礼している暗示で、洗礼の原型はエンキが、ドゥムジの死の際の瀕死のイナンナを救った時に使った「生命の水」である。よってこの場合、ガンガーがエンキ、シヴァがイナンナで、「合わせ鏡」で男神・女神が逆転している。
 また、シヴァの持っている三叉戟(さんさげき)は「生命の樹」の暗示だが、ギリシャ神話の海神ポセイドンのシンボルで、海神エンキの暗示でもある。そして、シヴァの額の真ん中にある“第3の目”は、瞑想ばかりしているシヴァに退屈した妻のパールヴァティーがふざけて後ろから両手で目隠ししたところ、世界は闇に覆われ、生類が恐れおののいたため、それを救おうとしてシヴァの額の中央が裂けて生じた新しい目である。世界が闇に覆われ、額が裂けて光が復活したことは、イエスの“死と復活”の予型で、イエスの原型はイナンナである。更に言えば、この“第3の目”はいわゆるピラミッド・アイの暗示で、それは“ニニギク、ニンイギク(目の清い神)”と言われたエンキの暗示だった。

 そして、シヴァといえばリンガ(男性器)崇拝で、性的なシンボルの根源はイナンナだった。ドゥルガーは航海の神だが、イナンナは航海術に優れたフェニキアの主神でもある。フェニキアという地名はイナンナの好物で「生命の樹」の元となったナツメヤシの学名フェニックスに由来する。フェニックスと言えば、不死鳥で火の鳥だが、これはフェニキアの女神アシュタルテ、すなわち、イナンナに奉げられた聖なる王の意味でもある。つまり不老不死の根源はイナンナである。

 また、ドゥルガーは獅子を従えた美しい女神だが、イナンナは美の女神で、しばしば獅子あるいは豹(ひょう)を従えて描かれている。幾つかの“イナンナの冥界下り”のヴァージョンの中には、イナンナを冥界の門から救い出すために、エンキはナズシュ・ナミル(Nadushu-namir)と名付けられた人獅子を創った、という逸話もあるので、獅子はイナンナと関係が深く、ドゥルガーはイナンナそのものと言っても良い。

 そのドゥルガーからカーリーが現れたということは、カーリーもイナンナということである。ドゥルガーが光の側面なら、カーリーは暗黒の側面である。血や魔人たちの生首や髑髏(どくろ)は、好戦的な戦いの女神イナンナの側面を暗示し、横たわるシヴァにまたがり、シャクティとしてのシヴァのエネルギーの源泉ともなっているのは、性的妄想の根源となったイナンナの側面を暗示している。カーリーもシヴァも腰に虎の皮を巻き付けているのは両者が同じであることを暗示し、インドでは獅子よりも虎の方がメジャーだからである。そして日本には虎がいないのに、いろいろな虎の話が登場するのは、イナンナを暗示している。
 このように、カーリーはシヴァの荒魂(あらみたま)、パールヴァティーは和魂(にぎみたま)、ドゥルガーはその両方を併せ持つ性格ということは、神道の荒魂(あらみたま)、和魂(にぎみたま)の大元がここにあると言っても良い。

 さらに、一部のキリスト教異端派では“黒いマリア”が崇拝されていたが、原型はカーリーである。つまりマリアもイナンナに関係があるが、このようにインダスではカバラ的に解釈すると、化身はすべて同一であることを暗示する。そして、多くの顔や腕はメルカバーや「生命の樹」におけるセフィロトなどを象徴する。
 ヴィシュヌの黄色い服は黄龍(こうりゅう)の原型で、アナンタ龍王の7つのコブラの頭はユダヤ教のメノラー=「生命の樹」。しかし、コブラは毒蛇なので「死の樹」でもあり、「生命の樹」と「死の樹」を同時に象徴している。これは、インダス・カバラの解釈を間違えると、即座に「死の樹=左道」に堕ちることを意味する。

 ヴィシュヌの人差し指の先で回転する円盤(チャクラ)は、万物を断ち切る恐るべき兵器で、一切の無知を破る宇宙神の偉大な力の象徴だが、「生命の樹」における栄光のティファレトあるいは隠されたダアトである。
 棍棒は力と権力の象徴だが、木なので「生命の樹」を象徴している。蓮華は水と再生と創造の象徴で、「生命の樹」を上昇していく象徴。そして、棍棒=「生命の樹」は柱なので男性原理、蓮華は花なので女性原理で、蓮華と棍棒で陰陽の合一を表すと同時に、「生命の樹」を表す。
 ヴィシュヌとシヴァの4本の腕は神の戦車メルカバーで、青黒い肌はシュメール系蒙古斑(もうこはん)の象徴。これが後に誤解され、シャンバラの住人は青い肌、ということになってしまった。
 シヴァの全身の灰は破壊という“罪”を行うが故の、主に祈る姿勢。蛇を巻きつけている体は「生命の樹」だが、コブラ故、「死の樹」でもある。特に重要なのは、イナンナの両面が投影されているシヴァである。