フェニキアの宗教

フェニキアの宗教-------------------------------------------------------------------------------------------

 フェニキアの宗教の世界に於いては、最高の社会的地位にある女性は最高の地位に就くことができ、神官長や神官会議の長にもなれた。都市の神殿は職業的神官によって運営されており、こうした地位が王家と深く結び付いていた。王自身か直近の親族(妃の母親も含む)がしばしば神官あるいは女性神官=巫女として、その都市の主神に仕えていた。このような神官職は、大体貴族社会で世襲されていた。

 フェニキア人の王の権力と威光は、その神聖なる役割、すなわち、神(アヌンナキ)と人との仲介者であったことと深く結び付いていた。王の名前の多くがバアル、エシュムン、メルカルト、アシュタルテといった神の名を冠しているのも、その結び付きの深さの象徴であり、神々(アヌンナキ)に対する敬意の表れでもある。
 神(アヌンナキ)の呼び名は大抵総称的で、例えばバアルは単に“主人”とか“かしら”という意味で、固有名詞ではない。バアル像を統合すると、嵐の最高神とフェニキア神界の首領という二面性が見られる。地方版のバアルは、神聖な山や岬と結び付いており、特にサポン山はその嵐の神の本拠地だった。ウガリトの神話では、そこに宮殿のような住まいがあったという。特に、天地創造はエル(とダゴン)によって行われたとされている。エルはセム語で“神”の意味だが“人類の父”と呼ばれ、ダゴンは“穀物”を意味した。

 女性の地位が確立されていたのは古代日本も同じで、卑弥呼とトヨが女王に立っていた。そこには、フェニキアの影響がある。
 バアルは元々は嵐(風)の神エンリルだった。その息子イシュクル(アダド)がトルコ~シリア、レバノン付近を治めていたので、雷神イシュクルも嵐の神となる。後に、マルドゥクが乗っ取りをしてから、バアルとはヘブライ語でマルドゥクを意味するようになった。よって、聖書ではバアルが忌み嫌われている。
 またエルはエンキ、ダゴンはニンギシュジッダである。ニンギシュジッダはニビルから帰還する際、小麦を持ち帰ったから“穀物”として象徴されている。

 ビュブロスではバアラト・ゲバル(=ビュブロスの女主人)への信仰が盛んで、その相方の男神バアル・シャメム(=天の主)への信仰もずっと行われていた。シドンの主神はアシュタルテとエシュムン、ウガリトの最高神はエル、キティオンでは“矢の王”と呼ばれたセム族の神シェドである。中でも、メルカルト、エシュムン、アシュタルテが最も崇拝された。

 バアラトは母性と豊饒性を持ち合わせ、後にギリシャのアフロディーテになった。アシュタルテの通称はシェム・バアル(=バアルの名前)という意味で、天界と海の神、多産や生殖力の神、戦いの神でもあった。アシュタルテは2頭のスフィンクスが支える玉座とも結び付いている。
 願掛けや念願成就の際には、神殿に様々な品が奉納され、青銅製やテラコッタの礼拝者か神の像が圧倒的に多く、特にアシュタルテに捧げられた。フェニキア領内では、天然の洞窟や岩屋にもアシュタルテが祀られ、中にはワスタの岩屋のように、女性器を表した落書きで飾られている所もあった。これらアシュタルテを祀った多くの洞窟が、後に聖母マリアの神殿に発展した。


 本来の最高神はエルでも、普段関わりの多い重要な神はイナンナだった。「生命の樹」で言えば、慈悲の柱である。世界中に残る女性器の図柄はイナンナ由来で、アシュタルテを祀った洞窟がマリア神殿に発展したことは、マリアの原型がイナンナであることを裏付ける。
 そして、アシュタルテは天界と海の神なのでイナンナにも海の神の性質があり、2頭のスフィンクスが支える玉座とも結び付いているので、狛犬のある神社で祀られる神そのものである。シヴァの化身ドゥルガーそのものでもある。

 フェニキアでは各都市が“神々の3人家族”に支配されているとした。母なる神、父なる神、その息子であり、息子は植物の神で、その死と復活が農業の年周期と結び付いていた。どの神々のカップルに於いても、男神が“死と復活”の概念と結び付いている。テュロスでは“メルカルトの目覚め”が、毎年の国民的祝祭として定着していたが、これは死と儀式的な火葬の後にメルカルトが復活することを再演する春の儀式である。メルカルトとは、ミルク・カルト(=都市の王)という意味である。
 また、同様な儀式がビュブロスにもあった。特にビュブロスでは、毎年アドニス祭が行われていた。これはギリシャ神話の影響だが、アドニスは獰猛な猪に殺され、1年の半分ずつを生の世界と死の世界で生きることを余儀なくされた。このアドニスという名前はセム語のアドン(=主人)もしくはアドーナイ(=私の主人)に由来する。また、シドンの神エシュムンも“死と復活”の神として信仰された。どの神の場合にも、復活には相手の女神が“聖婚”の儀式を通して一役買っていた。メソポタミアのアキツ祭にも類似の儀式がある。


 フェニキア人の1年は、農業の周期と連結した宴と祭りに支配されていた。特に、新年や収穫の祝いには、生贄が捧げられた。月日は新月の日から計算され、太陽と月への崇拝が暦に大きな役割を果たしていた。最大の年中行事が“春の目覚め”で、テュロスではメルカルト、シドンではエシュムンの復活祭であった。メルカルト祭(2月か3月)では、メルカルトの人形が儀式用の薪で焼かれ、その後、相方のアシュタルテとの儀式的な結婚=聖婚を通じて復活祭が行われた。古くから神殿売春の習慣があったが、これはアシュタルテ信仰と結び付いていた。
 つまり、メルカルト=エシュムン=アドニス=ドゥムジである。そして、獰猛な猪はマルドゥクの象徴である。さきのアドニスの話では、アドニスは木となったミュラーから美の女神アフロディーテが取り出したことになっていた。それが“植物の神”として象徴され、農業の周期と関連した宴や祭りとなっている。
 この儀式的な火葬はマルドゥクの乗っ取りの影響である。羊と子羊が生贄にされ、豚は生贄としても食用としても忌み嫌われていた。また、香を供えたり焚いたりすることが、重要な生活習慣だった。信仰には、神の存在やその場所を示す種々のシンボルが使われたが、いずれも人間や動物の形をとらない非偶像的なものであった。シドンのエシュムンはバアルの地域版とも言えるが、“シュムン”は“油”を意味し、癒しの神としても崇められ、また、泉や聖水とも深い結び付きがあった。

 これは、聖書そのもので、ヘブライの民が歴史に登場する以前の話である。オリジナルはこれである。聖書ではカナンの地域は偶像崇拝の地とされているが、実際は違う。こういう点を良く理解せず、聖書に書いてあるから、と言って攻撃を仕掛けて正当化しようとしてきたのが、中東の混乱の原因である。
 泉や聖水とも深い結び付きがある癒しの神エシュムンは、その性質からすると、本来はエンキである。そしてそれが、息子のドゥムジへと変化した。そして、ニビルではアヌの前に出る際に、体を油で清めた。エンキは水瓶を持って洗礼する象徴でもあるが、この洗礼が“油”を掛けて聖別する風習へと変化した。
 日本では油で聖別しないが、本来は、清浄な水で行えば良いのである。日本には清浄な水が豊富にある。日本の神道には、滝や川でけがれを祓う禊ぎがある。神社の境内にある手水舎(ちょうずや)で行う、手洗いや口すすぎも禊ぎ・沐浴(もくよく)の一種と考えられる。

 男性神官は髭を奇麗に剃り、儀式的な剃髪(ていはつ)が重視されており、女神への信心の証として頭を剃った。裸足で、つばの無いぴったりした帽子を被り、足下まである長い亜麻布の神官服を纏(まと)っていた。前の方にはプリーツがたたまれ、袖はゆったりとして、左の肩には神官の印である薄い布を折りたたんだストールが掛かっていた。カディスという土地でのメルカルト神殿では、神官は白く緩やかなローブを纏い、頭髪を剃り、性的禁欲を守った。
 フェニキア人は死後の世界を信じており、死者をレパイムと呼んでいたが、これは神である祖先、あるいは神となった死者、を意味し、その語源は“癒す、回復する”という意味である。マルツェ(ポエニ語で“再会の場”の意)と呼ばれる宗教的な親睦会では、神格化された祖先(レパイム)を讃える儀式的な食事が行われた。その祝宴では、供物や生贄が捧げられ、大酒を飲んだ。この神官の格好は、日本の神職のものと類似している。

 ユダヤの神官由来、と言っていた人がほとんどだったが、そのユダヤの神官もフェニキアが根源である。ここでは神官が頭髪を剃っていたが、これはエジプトの影響で、フェニキアはエジプトとの交易が盛んだったことから、宗教的な影響も多大に受けている。フェニックス伝説もそうで、この頭髪を剃る大元の話は、アダパがニビルに連れて行かれる前に、ボサボサの髪が剃られたことである。これが仏教に受け継がれた。性的禁欲を守ることと共に。そして、マルツェは神道の直会と同じである。
 日本の神道以外にも、“神である祖先”“神となった死者”という考えがあったが、一神教では、死者が神になるというのは言語道断である。この点からも、神道の根源はフェニキアにある、と言える。


 神殿の形態には2つあり、1つは露天の聖域と、もう1つは屋根や壁のある建物の神殿である。露天の代表が旧約のバマー=“聖なる高台”で、大抵は舗装された吹きさらしの、一段高くなった方形の中庭“テメノス”で、そこにベテュルや祭壇などの礼拝設備があった。
 フェニキアでの最大の露天聖域は、シドン郊外のボスタン・エシュ・シェイクにあるエシュムン神殿である。そこには水路と溜池による精巧な給水設備があり、清めの儀式が行われる場所だった。水に関する儀式は、フェニキア人の治癒力信仰に於いて、重要な役割を果たしていた。

 アシェラと呼ばれる奉納用の小さな木製の柱は“聖なる森”の、ベテュル(セム語で“神の家”)と呼ばれる高さ1.5メートルほどの一本石柱は神の存在と座のシンボルだった。ベテュルは祭壇か供物台の前など、神殿の中心に据えられ、旧約ではマッセバ(仕上げをした石)と呼ばれている。
 方形は陰陽、すなわちカバラでは地を表し、陰である。そこに、神の依り代としてベテュルを立てた。この場合、ベテュルは陽となる。そのベテュルに神が天から降臨するならば、ベテュルは地と一体化した柱で陰であり、天から降臨する神は陽なので、神が降臨して陰陽の合一となる。すなわち、ベテュルは場合によって、あるいは見方によって陰にも陽にも成り得るということである。
 また、方形は陰なので、陰の象徴の水が関わる。この場合の、治癒力信仰に於いて重要な役割を果たす水とは、イナンナが“復活”する際に与えられた「生命の水」に他ならない。ここでも、やはり清浄な水が重要である。

 ここで登場した奉納用の小さな柱アシェラは、主にイナンナに捧げられた。よって、イナンナがアシェラとも呼ばれるようになり、神の数え方は柱で数える。その原型はイナンナである。その柱の原型は、イナンナが掛けられた木である。天神は男神・女神に関わらず陽の扱いとなる。よって、イナンナは陽、掛けられた木は陰となる。しかし、男神・女神という点だけ見れば、イナンナは女神なので陰となる。つまり、一柱の神が陰にも陽にも成り得るということである。
 そのような見方なら、根源神が陰にも陽にも成り得るという考え方は理解しやすい。そして、海部(あまべ)一族で極秘伝とされた、根源神は陰にも陽にも成り得る。そしてベテュルは心御柱(しんのみはしら)の原型である。海部(あまべ)一族のお社の下に打ち込まれている心御柱は八角柱で、時の天皇の背の高さと同じだったという。それが、伊勢神宮の心御柱の大元である。
 それは大王が神から寵愛を受け、王権を授かるということである。つまりフェニキアの宗教は、神道にそっくりである。
 ベテュルは旧約のベテルで、創世記の“ヤコブの夢”に登場するものである。その原型もこれである。

“ヤコブはベエル・シェバを発ってハランへ向かった。とある場所に来た時、日が沈んだので、そこで一夜を過ごすことにした。ヤコブはその場所にあった石を1つ取って枕にし、その場所に横たわった。(中略)ヤコブは眠りから覚めて言った。
「真に主がこの場所におられるのに、私は知らなかった」
そして、恐れおののいて言った。
「ここは、何と畏れ多い場所だろう。これはまさしく神の家である。そうだ、ここは天の門だ」
 ヤコブは次の朝早く起きて、枕にしていた石を取り、それを記念碑として立てて先端に油を注ぎ、その場所をベテル(神の家)と名付けた。因みに、その町の名はかつてルズと呼ばれていた。ヤコブはまた、誓願を立てて言った。
「神が私と共におられ、私が歩むこの旅路を守り、食べ物、着る物を与え、無事に父の家に帰らせてくださり、主が私の神となられるなら、私が記念碑として立てたこの石を神の家とし、すべて、あなたが私に与えられるものの1/10を捧げます。」”

 旧約のベテルの原型がベテュルであって、ベテルからベテュルが派生したのではない。そもそも、聖書はフェニキアのビュブロスで編纂された。しかも、ヤコブの別名はイスラエルなので、イスラエル王国となった十支族はベテルに関係が深い、つまり、心御柱に関係が深いと言える。
 また、この文章の中の“記念碑として立てて先端に油を注ぎ”の“立てる”の原語が“マッセバ”である。これは、ヒンズー教でリンガの先端にミルクやギー、胡麻油などを掛けることと同義で、その根源はシヴァ神=イナンナである。


 また硬貨などに刻まれたフクロウはギリシャの女神アテナのシンボルで、その影響を受けている。硬貨の図案としては他に、半人半魚の海神、翼のある女神ニケと四頭立て戦車、馬、ヤシの木などがある。この女神と馬、ヤシの木(ナツメヤシ)は三大モチーフとも言うべきものである。

 また、フェニキアにも印章があり、蓮の花やスカラベなど、再生や復活と結び付いたエジプト的要素が見受けられる。図象としては、4つの翼を持つ悪魔が多用された。
 アテナ=ニケ=イナンナで、半人半魚の海神はオアンネスことエンキである。よって、フェニキアでもエンキの影響は大きい。なぜなら“海の民”が深く関わっているからである。

 イナンナとナツメヤシに加えて馬が三大モチーフなら、イエスが降臨する際に乗って来るとされた白馬や神社の絵馬の原型はフェニキアである。
 伊勢神宮でも毎月1の付く日に神馬が参拝するのは、本当の最高神は誰なのかを暗示している。ちなみに、神宮で最も位が高いのは大宮司や祭主ではなく、神様が乗るとされるその神馬である。

 フェニキアの印章にはエジプトの影響が見られるわけだが、元々の再生や復活の概念はイナンナ由来なのを、マルドゥクが利用した。
 ポエニ人(カルタゴ)には母都市テュロスの信仰が持ち込まれ、初期の最高神はメルカルトだったが、後にアシュタルテ=イナンナが変化した翼のあるタニトが信仰された。4つの翼を持つ悪魔はカバラとしては神の戦車メルカバーだが、イナンナ=タニトがそれぞれ2つの翼のある姿ならば、その暗黒面を象徴したのが4つの翼のある姿とも言える。