地球のレイライン

地球のレイライン-------------------------------------------------------------------------------------------

 さらに別の視点でレイラインを見ていく。北極点を頂点とする正二十面体を地球に当てはめると、分割線の交点に新旧石器時代の遺跡が存在する。これは宇宙から地球を見た宇宙人でないとできない考え方であり、こういった地図を元にアヌンナキは建設位置を決めている。

日本列島に存在した精密な太陽(観測)のレイライン・ネットワーク------------------------------

 冬至(とうじ)の日没を西南西に望み、東北東に夏至(げし)の日の出を望む地点を結んだ線のことを冬至線と呼び、また夏至の日没地点(西北西)と冬至の日の出地点(東南東)を結ぶ線を夏至線と呼ぶが、奈良県の三輪山(みわやま)はこの冬至線・夏至線のネットワークの中心交点上にぴたりとある。

 この冬至線、夏至線の通る道(線)の上には重要な神社や巨石信仰の拠点が置かれた。冬至線、夏至線の一部を巨石建造物や祭祀場の建設に用いたことは、イングランドのストーンヘンジなどいくらかは見つけられているが、これほどの規模のものは少なくともどこにも見つかっていない。そこには磐座(いわくら)や鏡石(かがみいし)が置かれた。
  
 太郎坊(たろうぼう)神社の上に立つとすると、三上山(みかみやま)の上に冬至の太陽が沈む。この太郎坊山と三上山を結ぶ空間上の直線がここでいう冬至線である。
 この冬至線と三輪山(みわやま)の三輪神社の磐座(いわくら:三つあるとされるが、中心のものが張り出し台地上にある)との南北距離(経度上の距離)は48.6キロメートルで、この距離は30古代理と呼ぶ距離と完全に一致する。これは縄文中期から存在する特別の距離である。
 奈良県の三輪神社の磐座から太郎坊と三上山の冬至線と平行に冬至線を引くと、畝傍(うねび)山頂、忌部(いんべ)山頂を通る。それも冬至線である。

 三輪山(みわやま)と畝傍山(うねびやま)の冬至線は、畝傍山、耳成山(みみなしやま)、天香具山(あまのかぐやま)といういわゆる大和三山(やまとさんざん)が作り出す二等辺三角形の中線となる。

 この三山の山頂が正確な二等辺三角形を作っており、これが人口造山であることの一つの理由である。その二等辺三角形を畝傍山を頂点とする中線で割ってできた直角三角形は三辺の比が5対12対13の、いわゆる「メソポタミアの聖なる三角形(別の言い方ではピタゴラスの定理)」となっている。そしてその二等辺三角形の中線が東北東に延ばされると三輪山に至るのである。大和三山は人工の山であり、それを造営した技術はニンギシュジッダであった。

 三輪山基点の冬至線と夏至線を全列島に引いてみると、巨石遺跡を残す78ヵ所の交点ができる。そしてこの冬至線、夏至線によって、富士山、白山、鹿島神宮などの重要な信仰施設が結びつけられている。


 三輪山の張り出し台地のその部分は、三輪神社の禰宜(ねぎ:神職の総称)しか入れない聖地で、冬至線に沿って一直線に巨石が配列されている。また北海道を除く本州、四国、九州には全部で78ヵ所の冬至線・夏至線の交点があるが、三輪山以外は禰宜(ねぎ)や神主であっても、人が足を踏み入れないことが前提になっている土地である。

 この交点にはほとんど巨石遺跡または巨石だけがぽつんとある。人口が密になっている現在においてさえ住めない地ばかりである。これらは列島全体をおおう太陽信仰と暦に対する意識があったことを示すもので、その高い技術は現代人をもしのぐ。
 縄文晩期以降は三輪山を基点として、その基点から30里の距離で冬至線、夏至線が引かれ、菱形(ひしがた)という籠目(かごめ)の模様を地上に織りなすネットワークが作り出されていった。
 そして三輪山と畝傍山の冬至線の30里南に平行する冬至線は、富士山に至っている。冬至線は富士山頂をわずかに北に外れた所を通り、小室浅間神社(こむろせんげんじんじゃ)の上を通る。そしてそこから東南東にある浅間神社からわずかのところが夏至線との交点である。そこも人は足を踏み入れない場所である。

 冬至線と夏至線のネットワークは意識的に作られ、山大日之国彦命の邪馬台国は空間感覚を持って列島を支配下に置いていった。つまり、冬至線や夏至線上には重要な神社などが多数あり、人が集まる場所も多数あるが、30古代里を単位に線を引いた籠目のネットワーク上の交点上には必ず荒地や海や山間の谷や川の洲などがある。