禁断の“恐怖の武器”

禁断の“恐怖の武器”-----------------------------------------------------------------------------------------

 エンキは立ち去っても、心の中では笑っていた。武器の隠し場所は、自分しか知らないと思っていたからである。エンリルが地球へやって来る前、エンキは宇宙船操縦士のアブガルと共に“恐怖の武器”を隠したからである。しかし、後にアブガルがエンリルにその隠し場所を秘密裏に教えたことを、エンキは知らなかった。そして、長いこと放置されていたから、武器として機能しないかもしれない、などとも楽観視していた。
 エンキから聞くまでもなく、エンリルは2人の英雄に“恐怖の武器”の隠し場所と、武器を深い眠りから起こす秘密の方法を教えた。エンリルは警告した。
「武器を使う前に、“二輪戦車の場所”からアヌンナキを立ち退かせておくこと。そして、都には危害を加えず、人々も殺してはならない」
 ネルガルは自分の“空の船”で舞い上がったが、ニヌルタはエンリルに引き止められた。彼は、ガルズの預言とイブル・ウム(アブラハム)の選出について、ニヌルタだけに話した。
「ネルガルは短気だ。くれぐれも都市には被害を及ぼさず、イブル・ウム(アブラハム)には事前に警告を発するのだぞ!」
とエンリルはニヌルタに命じた。ニヌルタが武器の場所に着くと、既にネルガルが空洞から運び出していた。それらの“メ”を長い休眠から起こしながら、彼は7つそれぞれにタスク名を与えた。最初のものには“敵無しのもの”、2番目には“赤々と燃える火”、3番目には“恐怖で崩れ落ちるもの”、4番目には“山を溶かすもの”、5番目には“世界の端を探し求めるもの”、6番目には“上も下も誰も容赦しないもの”、7番目には極悪非道な毒(放射性元素)が満たされており、“生き物を蒸発させるもの”と名付けた。

 ニヌルタがその場所へ到着した時、ネルガルは敵を滅ぼし、絶滅させる気満々だった。
「俺は息子(ナブ)を殺す!俺は父(マルドゥク)を絶滅させる!奴らがむやみに欲しがった国を消し去り、罪深い街をボコボコにしてやる!」
 ネルガルは復讐に燃え叫び、激怒して声を荒げた。
「勇敢なネルガルよ、君はそんな公正ではない破壊をして、自分が正しいと言えるのか」
とニヌルタが尋ねた。
「エンリルの指示ははっきりしている。選ばれたターゲットまで私が先導する。君は、私の後からついて来い!」
「アヌンナキの決定は、俺だって知っている!」
とネルガルは返した。

 2人は7日7晩、エンリルからの合図を待った。案の定、マルドゥクは待ち時間が完了すると、バビリ(バビロニア)に戻ってきた。彼は武装し、信奉者たちの前で自分の最高権力を宣言した。それは、地球年で1736年のことだった。


 その日、その運命の日、エンリルは合図を送った。ニヌルタはマシュ山に向けて発ち、ネルガルが後に続いた。山と平原、第4の地域の中心部をニヌルタは見渡した。胸を締め付けられながら、彼はネルガルに信号を送った。「手を出すな!」それから、ニヌルタは最初の武器を空から第四領域ティルムンへ放った。それはマシュ山の頂上を、閃光と共に削ぎ落とし、一瞬のうちに山の内部を溶かした。彼は“二輪戦車の場所”の上に2番目の武器を放ち、太陽7個分の光を放ちながら、平原の岩は血の吹き出る傷口となった。地球は震えて崩れ落ち、天空は輝いた後に暗くなった。“二輪戦車の場所”の平原は真っ黒焦げに砕けた岩で覆われ、平原を取り囲んでいた森はすべて、木の幹が残されて立っているだけだった。「やった!」とニヌルタは自分の“黒い神の鳥”から叫んだ。マルドゥクとナブがあれほど欲しがった管制塔は、彼らから永久に奪われた。
 
 ネルガルはニヌルタに張り合おうと思い、エルラ、“全滅させる者”になってやろうという衝動に突き動かされた。“王のハイウェイ”を伝って、彼は5つの都市がある緑に囲まれた渓谷へ飛んだ。そこは、ナブが人々を寝返らせた場所であった。ネルガルは、ナブを籠の鳥のように押しつぶしてやるつもりだった。それら5つの都市に向けて、ネルガルは次々に“恐怖の武器”を送り込んだ。渓谷の都市は、炎と硫黄でメチャメチャになり、そこで生きていたものはすべて蒸気になった。凄まじい武器によって山々はぐらつき、海水を塞いでいた場所は閂(かんぬき)が壊れて開き、海水が渓谷へ流れ込み、渓谷は水で満たされた。都市の灰に水が注がれ、蒸気が天に立ち上った。「やった!」とネルガルは叫んだ。彼の心に、もはや復讐心は無かった。

 こうしてアヌンナキ達は核攻撃を行った。すべては彼らのエゴのせいである。それはマルドゥクだけのエゴではなく、ニビルの法では禁じられているマルドゥクの権利を最後まで認めようとしたエンキのエゴ、人類を最初から快く思っていなかったエンリルのエゴ、愛するドゥムジの復活を夢見て性的妄想に浸ってしまったイナンナのエゴ、神々の一員に成りたがった人類のエゴなど、様々なエゴが重なって、このような事態を引き起こした。
 ここまではネルガルとマルドゥクの対立は表立っていなかったが、“罪深い街”という言葉が出るほどなので、よほどマルドゥクのことを恨みに思っていた。聖書の中にも、主が言われた言葉として載っている。

“ソドムとゴモラの罪は非常に重い、と訴える叫びが実に大きい。私は降って行き、彼らの行跡が、私に届いた叫びの通りかどうか見て確かめよう。”

 この破壊的な任務を担ったのは、ニヌルタとネルガルだった。聖書では、2人の御使いとして登場する。つまりアヌンナキは神々であるが、天使でもある。よってイエスが神々と共に降臨して来た時、聖書の民は神々を天使軍団と勘違いしたのである。ウツは鷲の翼で飾られ、鷲の紋章を付けていた。これは天使が背中に羽を付けている原型となった。

 ネルガルがターゲットとした場所は、聖書ではソドムとゴモラを中心とする地域である。その場面は次のようにある。

“シンアルの王アムラフェル、エラサルの王アルヨク、エラムの王ケドルラオメル、ゴイムの王ティドアルが、ソドムの王ベラ、ゴモラの王ビルシャ、アドマの王シンアブ、ツェボイムの王シェムエベル、ベラ、すなわちツォアルの王と戦ったとき、これら5人の王は皆、シディムの谷、すなわち塩の海で同盟を結んだ。彼らは12年間ケドルラオメルに支配されていたが、13年目に背いたのである。
(中略)
 セイルの山地でフリ人を撃ち、荒れ野に近いエル・パランまで進んだ。
(中略)
 そこで、ソドムの王、ゴモラの王、アドマの王、ツェボイムの王、ベラすなわちツォアルの王は兵を繰り出し、シディムの谷で彼らと戦おうと陣を敷いた。(中略)
 ソドムに住んでいたアブラムの甥ロトも、財産もろとも連れ去られた。アブラムがケドルラオメルとその味方の王たちを撃ち破って帰って来た時、ソドムの王はシャベの谷、すなわち王の谷まで彼を出迎えた。いと高き神の祭司であったサレムの王メルキゼデクも、パンとワインを持って来た。彼はアブラムを祝福して言った。「天地の造り主、いと高き神にアブラムは祝福されますように。いと高き神が讃えられますように」アブラムはすべての物の1/10を彼に贈った。
(中略)
 主は言われた。「ソドムとゴモラの罪は非常に重い、と訴える叫びが実に大きい。私は降って行き、彼らの行跡が、私に届いた叫びの通りかどうか見て確かめよう」
(中略)
 2人の御使いが夕方ソドムに着いた時、ロトはソドムの門の所に座っていた。ロトは彼らを見ると、立ち上がって迎え、地にひれ伏して言った。「皆様方、どうぞ私の家に立ち寄り、足を洗ってお泊まり下さい。そして、明日の朝早く起きて出立なさって下さい」彼らは言った。「いや、結構です。私たちはこの広場で夜を過ごします」しかし、ロトが是非に、と勧めたので、彼らはロトの所に立ち寄ることにし、彼の家を訪ねた。
(中略)
「実は、私たちはこの町を滅ぼしに来たのです。大きな叫びが主の下に届いたので、主は、この町を滅ぼすために私たちを遣わされたのです」
(中略)
 主はソドムとゴモラの上に天から、主の下から硫黄の火を降らせ、これらの町と低地一帯を、町の全住民、地の草木もろとも滅ぼした。ロトの妻は後ろを振り向いたので、塩の柱になった。アブラムはその朝早く起き、先に主と対面した場所へ行ってソドムとゴモラ、および低地一帯を見下ろすと、炉の煙のように地面から煙が立ち上っていた。”

 5つの都市がある緑に囲まれた渓谷とは、ソドム、ゴモラ、アドマ、ツェボイム、ベラ(ツォアル)の王たちが同盟を結んだシディムの谷=塩の海(現在の死海付近)である。そこは、ナブが人々を寝返らせた場所で、イシュクルの領地だった。よって彼らが12年間支配されていたケドルラオメルとはイシュクルもしくはエンリルのこと、あるいは彼らが任命した王で、ナブによって寝返ったことが、13年目に背いた、という表現になっている。
 シディムの谷で5人の王が戦いのために陣を敷いたのは、マルドゥクがさせたことである。いと高き神の祭司であったサレムの王メルキゼデクは、パンとワインを持って来てアブラムを祝福したが、サレムとはエルサレムのことで、ウツが司令官だった。つまり、サレムの王メルキゼデクとは、太陽神ウツあるいは彼が任命した王のことである。ここでも、イエスの象徴である“パンとワインによる祝福”がウツに関連して登場している。
 また、“ロトの妻は後ろを振り向いたので、塩の柱になった”という表現では、“塩の柱”とはヘブライ語で“ネツィブ・メラー”で、対応する“塩”を意味するシュメール語は“ニ・ムル”だが、この言葉には“蒸気”という意味もあるから、これは“蒸気の柱”となり、“蒸気が天に立ち上った”ことを暗示していることになる。このように、聖書の場面はかなりの創作が見られるが、それが起きたのは地球年で1736年、BC2024年のことだった。