女性を排除する「三位一体の教義」はイエスの考案ではない

女性を排除する「三位一体の教義」はイエスの考案ではない--------------------------------------
  
 マリアは最後の晩餐の現場にいた。彼女がキリストの右に座っていたのは、師の心の中においては、マリアが最も秘密度の高い教えを授けられており、最高の学識を持っていたからである。レオナルド・ダ・ビンチは非常に発達した精神と霊性を持っていたので、アカシック・レコードを基に最後の晩餐の絵を描いたのである。彼は女性の地位を理解する芸術家や知識人のグループに属していた。

 これらの人たちは、カトリック教会が神聖な女性のあらゆる形態を暗黒のベールで隠している状況では、そのような思想を明らかにすることは危険であると思っていた。この知識を共有していた人たちは、同じくそれをベールで隠して、それを密かに普及させていた。神聖な女性の知識や女神の地位は、カトリック教会が文明を支配し始めるずっと以前の、多神教時代に遡るものであった。

 最後の晩餐で使われた杯(さかずき)は素朴な素焼きの杯であった。後世の芸術家が描いたような美しい装飾はなかったのである。そしてこの聖杯には、魔法の特性があると、いつのまにか信じられるようになっただけなのである。残念なことだが、これは人間のもつ習性で、力とは外部的なものだと信じ、それを自分のものにできると信じてしまうのである。本当の聖杯は女性の子宮を意味する。マリアはイエスの子を身ごもっていたので、この場合はマリアの子宮を指していた。人間たちが聖杯を求め続けてきたことは皮肉で、悲劇的なことである。聖杯は、彼らのそばで、生活を共にしている女性の内部にあったからである。
 この過ちを正すのに、今の時代は最適である。今なら、聖杯が本当は何であるのかを認め、女性が本来占めるべき地位を取り戻すことができる。その地位は、男性と平等であり、隷属的ではない。この変革は男性によって実現されることはない。実現できるのは、文化的にも社会的にも世間に一石を投じる勇気を持ち、 思いを言葉にできる女性たちである。

 最後の晩餐と言われているこの夕食は、マリアにとって非常に奇妙な体験であった。マリアは事態が、何らかのクライマックスに向かって動いていることがわかっていた。この集まりの目的は、霊的な力の伝達だったのである。よって、イエスがパンを割ってかけらを皆に配ったのは、パンを与えただけではなく、同時に霊的な力も与えていたのである。このパワーの伝達はこの晩餐に強烈な雰囲気を醸し出していた。晩餐会はパワーを伝える手段であった。イエスは死の儀式に直面していることを知っていた。

 彼の教えはさまざまに誤解されている。彼が伝えようとした要点は、「すべての人間には神聖なる力がある」ということであった。これを人間は生まれつき持っているが、育てていかなくてはならないものである。その力は大切にされないと、無知の雑草と否定的な思考の根によって圧迫されてしまう。イエスはいつも、心の庭の手入れが大切であると言っていた。

 彼は教えの中で、よく「たとえ」を使っている。それは彼が詩人であり、易しい「たとえ」は心の扉を開けると信じていたからである。彼が、「あなたはからし種ほどの信仰を持っている」と言ったのは、わずかな信仰でも十分だという意味である。しかし彼は、盲目的な信仰が正しいとは思っていなかった。彼が信じていたのは、結果を生み出す信仰だったのである。イエスは人間の心には愛の種が育ち、愛は世界を変えることができると信じていた。しかし彼は、この愛は父と母から授かるものだと信じており、現代人が「主の祈り」と呼んでいる祈りをアラム語で唱える時には、いつも父と母に呼びかけていた。

 この祈りは、翻訳されて伝わる過程でそのことが抜け落ちてしまった。この祈りは、大いなる父、大いなる母に対する祈りだったのだが、入り口は内面的自己にあったのである。イエスは生きた神は自己のうちに宿り、その中で父と母に祈ると、そこからより広い視野に達すると信じていた。「主の祈り」は外部のものに向かって祈っているように思われるが、実際は、自己の内に秘められた何ものかに祈っているのであり、それは人格を超越したものである。

 イエスは、男と女の間の均衡の実現を目的とする、遠い昔からの伝統の継承者であった。よって彼が祈るときはいつも、父と母に向かって祈っていた。女性を排除する「三位一体の概念」を考案したのは彼ではない。それを考え出したのは、後の時代になって、イエスの教えを自分達に都合よく解釈した人たちによるものである。

「三位一体の概念」の中に女性の要素が存在しないことや、家父長制度による聖なる女性の隠蔽(いんぺい)は、さまざまに考察することができる。地中海域からヨーロッパやアフリカにまで広まっていた「家母長制度」は、ローマ帝国の崩壊に強く影響された。帝国の崩壊に続いた混乱の中で、非妥協的なさまざまな宗教を統一するのはとてもに困難なことであった。その後の歴史にとって非常に遺憾なことは、事態を打開するために、コンスタンティヌス大帝が男性だけで構成された集会を開催したことであった。