ア・キ・チ(地球の生命の創成)と新年祭

ア・キ・チ(地球の生命の創成)と新年祭----------------------------------------------------------------

 そのサルゴンの後継者たちのシュメールとアッカドの王たちの時代には、“聖なる結婚”の儀式とは別に、イナンナは王たちと一緒に新年の祝いの儀式も行うようになった。そして、その王たちを“聖なる結婚”の儀式の掟の中に組み込んでしまった。
 最初の頃は神々だけが集い、アヌンナキの地球滞在記などが生々しく語り継がれており、“ア・キ・チ(地球の生命の創成)”と言われた。王権導入の後、イナンナは王たちをギグヌに招待し、彼女の“性のパートナーの死”を再現し始めた。死ねば、王は交代させられた。これは祭事全体の流れの中に取り込まれた。そのため、王たちはイナンナと一夜を過ごしても、何とかして死なずに済む方法を見つけ出さねばならなかった。そして、これは王の運命だけではなく、来るべき年が豊作となるか、凶作となるのかを占う神事でもあった。

 この祝典の最初の4日間は、神々のみが参加した。5日目に王が登場し、高位の従者を引き連れてイシュタル通りを行進する。王が神殿に到着すると、待っていた高僧が王の印の冠と笏(しゃく)を取り上げ、至聖所の中の神の前に置く。そして、権力の印を奪われた王の顔を、高位の祭司が打ち叩く。それから王を跪(ひざまず)かせ、王が犯した罪のリストを読み上げ、神の許しを求める“償いの儀式”に参加させる。
 次に祭司は、この街の外の死を象徴する穴に王を導く。王は神々が彼の運命を定める相談をしている間、この穴の中に捕らえられている。9日目に王は穴から出て、王の印を返され、再び行列を率いて街に帰る。そして、夜が迫ると体を洗い清め、香水を付けられ、いよいよギパールの館に導かれる。やがて朝になり、イナンナとの夜のセックスを生き抜いたことをすべての民に知らせるために、王はその姿を民の前に現す。こうして“聖なる結婚”の儀式が終わり、王は次の1年間の統治を許され、その地と領民は繁栄の時を約束される。

 このような儀式は、古代近東(北アフリカの地中海沿岸部やシリア地方、イラク地方など)のすべての地域で2,000年以上、情熱と歓びをもって行われていた。聖書の雅歌(がか)にも、“宴の家、アヌギム”での“愛の歓び”として歌われている。このヘブライ語の語源は、シュメール語のギグヌ(アヌのギグヌ)であることは明白である。
 この“ア・キ・チ”は、現つ神(あきつかみ:現人神)の語源である。つまり、イナンナに招待された王を暗示しているわけで、神に選ばれし王、ということである。

 またかつてギパールは神と公式の配偶者が、夜間休むための離れ家だった。少なくとも、エンリルとニヌルタが滞在していた時まではそうだった。しかし、イナンナがアヌとウルクで会うようになってから、イナンナがドゥムジとウルクで会うようになってからは、“一夜を楽しむ密室”ギグヌへと変貌していった。そして、この“新しい利用法”を、他の男神たちが真似るようになった。特に有名なのは、ウルにあるイナンナの父ナンナルのギパールである。ここでは、“イナンナの儀式”において王が演じた役割を、“神の貴婦人=エンツ(シュメール語ではニンディンギル)”が演じた。
 このギパールは、ナンナルの神殿からは近く、ナンナルの妻ニンガルが住んでいた場所からは遠かった。正式な妻以外に、このような“神の第2夫人”を持つ習慣が、初期の王朝時代から新バビロニア時代に至るまで、2,000年以上にもわたって続いた。
 だからと言って、正妻とエンツの間に敵対関係があったわけではなく、エンツが女神ニンガルに贈り物を捧げているように、良好な関係にあった。古代近東(北アフリカの地中海沿岸部やシリア地方、イラク地方など)の王たちは、自分たちの都市に次々とギパールのような館を造り、自分たちの娘だけがエンツになる方策を講じた。エンツはいわゆる“神殿娼婦”とは異なる。神殿娼婦はクアディッシュと言われ、種々の尼僧たちが神殿で行ったが、聖書でも軽蔑的な職業として取り上げられている。この際、実際の神々とではなく、祭司などと交わった。しかし、エンツは神殿娼婦や神々が持つ妾(めかけ)とは違い、子供を産まなかったし、何らかの処置により子供ができなかった。これに対し、普通の妾(めかけ)は子供を産むことができたし、実際に生んだ。
 このような規則や習慣は、神の血統を主張する王たちにとっては、その血統を特殊な方法で証明しなければならないことを意味していた。エンツから子は生まれないし、神の妾(めかけ)の子は正妻の子(神々同士の間に生まれた子)には敵わなかった。様々な王たちが、イナンナを母とする、と主張したのは、このような理由のためと、実際にイナンナと交わったためである。

 ウル第3王朝時代からイシン第1王朝時代にかけ、イナンナは国家祭儀の聖婚儀式で祀られた。この儀式では、儀式参加者たちが聖婚歌を唱和する中、イナンナに扮した高位の女祭司が、配偶神のドゥムジに扮した王と儀礼的に交わる式も含まれていた。
 エンツと神殿娼婦は区別されていたが、後に混同され、更に、男娼(だんしょう)まで出てきた。それを、イエスは激しく糾弾し、十字架に掛けられた。
 そして、この儀式が世界中で豊穣を祈る儀式と結びつき、世界各地で男女の交合が豊穣のための神事とされた。日本でも奈良県の大神(おおみわ)神社の地域や飛鳥座(あすかにいます)神社、尾張の田懸(たがた)神社・大懸(おおがた)神社などで、天下の奇祭として執り行われてきた。そして、王の生死と豊穣の占いが混同され、“神への人間の犠牲”という概念が登場し、後に人間の生贄が出てきてしまったところもあった。


 娘をエンツにしようとしたのは神の御加護を受けるためだが、主たる目的は長寿を授かることであった。神々の長い寿命。ギルガメッシュも望んでいた長寿である。よって、世界中で“不老不死の妙薬”が求められた。
 しかし、後にマルドゥクがバビロニアの主神となると、イナンナはウルクを追われた。これ以後、イナンナは武装した戦う女神となり、ますますマルドゥクとの対立は深まった。バビロニアの王ナブネイドは言っている。
“金の部屋に住む身分の高い皇女、ウルクのイナンナ、引き具を付けた7匹の獅子の二輪戦車に乗った彼女。ウルクの住民は、王エルバマルドゥクの規則により、彼女の崇拝を止めて、彼女の部屋を取り除き、軍の馬具を解いた。イナンナは怒ってエアンナを去り、見えない場所に留まった。”
 そして、新年を祝う儀式もマルドゥク流に変えられた。新年祭はサグ・ム・ク(年の初め)と言われ、7日間続けられた。この間、主従の身分差は無くなり、親は子供を罰せず、通常の仕事はすべて休みであった。新バビロニア時代にはアキツと呼ばれ、春のニサンの月(春分を含む月)の12日間であった。

 祭儀の内容は、次の通りである。

 主神マルドゥクは人民の代わりとして一旦裏切られ、消え去らなければならない。王も、神殿の前で権威を象徴する一切のものを投げ出し、国民の代表として神に1年間の不幸な出来事を釈明し、許しを乞う。すると、ウリガルと呼ばれる主教が王の頬を打ち、大衆の前で説教する。その間、町は灯を消し、人々はマルドゥクを求めてさ迷う。しかる後、マルドゥクの像を華やかに飾りつけ、栄光の“復活”をさせる。
 クライマックスは、神マルドゥクとその妻サルパニトゥムの“聖なる結婚”である。次の1年が平和で豊饒(ほうじょう)であるように祈念し、神に代わって国王が神殿の女祭司と交わった。実際には、用意された奴隷がその期間だけ王位に就き、これが終わると王の身代わりとして殺害されたらしい。

 これは人間の生贄である。また、バビロニアでは性生活は重要な意味を持っていた。性的な節制は不幸の原因になるとして避けられ、性を拒む女性は悪魔の手先とされた。これは性的な退廃で、性的堕落の根源はイナンナである。インダス文明の主神、シヴァは破壊と創造の神で、リンガ(男性器)が象徴だが、まさに、このイナンナの性質そのものである。しかし、マルドゥクによる乗っ取りが行われて以来、本来の神話や伝承が誤解・曲解され、挙句の果て、人類に性的退廃が蔓延していった。更に、そこに人身供犠(じんしんくぎ)などが重なったのが悪魔崇拝、黒魔術、ディオニソス崇拝である。

 聖書で言うところの偶像崇拝の根源バアルとは単に「神」という意味で、主にエンリルのことを指していたが、こういう理由から、後にマルドゥクを暗示する言葉となった。
 イナンナは人類に“聖なる結婚”の儀式という性的に誤った道=左道(さどう)を教えてしまった。そういう意味で、イナンナはサタン、ルシファーの原型の1つでもある。他にもサタン、ルシファーの原型はさっき述べたとおり、マルドゥクの地球人との結婚を機に反乱した火星にいたマルドゥク一派のイギギである。つまり、サタン、ルシファーの原型はイナンナとマルドゥクである。

 イナンナが王たちと一緒に祝った新年の儀式から、興味深いことが言える。高僧が王の印を取り上げ、権力の印を奪われた王の顔を高位の祭司が打ち叩き、王が犯した罪のリストを読み上げ、死を象徴する穴に王を導く。そして、王は9日目に穴から出て、10日目の朝に夜を生き抜いたことをすべての人たちに知らせるために、王はその姿を人々の前に現す。
 イエスはユダヤの王と主張したが、祭司たちが認めず、極刑とした。兵士はイエスの着ている物を剥ぎ取り、赤い外套(がいとう)を着せ、茨で冠を編んで頭に載せ、また右手に葦(あし)の棒を持たせて(以上、王の印)、その前に跪(ひざまず)き「ユダヤ人の王、万歳」と言って侮辱した。唾を吐きかけ、葦の棒を取り上げて頭を叩き続けて侮辱したあげく、外套(がいとう)を脱がせて元の服を着せ、十字架に掛けるために引いて行った。そして、イエスは十字架に掛けられて息を引き取り、横穴の墓に葬られたが、3日後に復活し、40日後に昇天した。
 つまり、イエスの重要な物語は、この“イナンナの新年の儀式”が原型なのである。そして、王が9日目に穴から出て復活し、10日目の朝に民の前に姿を現したことは、「生命の樹」において10個のセフィロトをすべて通過し、最高セフィラ“ケテル”に達して神から知恵を得る、つまり、神から認められることの暗示なのである。

 旧約聖書だけではなく、新約聖書までシュメールの焼き直しに過ぎない。それほど、シュメールの真相は重要なのである。