熊襲族(くまそぞく)が起こって朝廷にそむいた

■76年 

 竹内宿禰(たけうちのすくね)、烏賊(いか)建連、三和大友主君(みわおおともぬしのきみ)、物部胆咋連(もののべのいくいのむらじ)らが船で、一朝併合の話し合いに奥州に向かったが、南海で暴風に遭遇して東日流(つがる)羽北に漂着したところ、奥州の地が栄えているのに驚き、荒吐族(あらばきぞく)王に会った竹内宿禰(たけうちのすくね)は、日本係累の民として和交することを約束して倭国に帰り、奥州の国を王化のもとに服従させるのは、どのような軍をもって攻めてもむずかしいと報告した。これを聞いた倭王の諸臣は、これに怖れて以後征軍を送ることはなくなった。
 この頃、日向族の故地筑紫において、熊襲族(くまそぞく)が起こって朝廷にそむいた。熊襲族(くまそぞく)とは古代、邪馬台国筑紫のワケグラ王・猿田彦に係累する一族だった。
 猿田一族は日向族に、不惜身命(ふしゃくしんみょう)で忠節を尽くし、共に東征に及び、日本国中央の邪馬台国を長年にわたって日向族とともに統治していたが、後世になって、無智ゆえに日向族にだまされ、侵領されたと知ってそむいたものだった。
 日向族は年を経るとともに猿田族の協力を得て邪馬台国遠征でできた恩を忘れ、熊襲と叫んでさげすんだ。それがもととなって戦うことになった。