高砂(沖縄)の連合軍は大挙して東へ向かう

■紀元前680年

 高砂(沖縄)の連合軍は大挙して東へ向かい、破竹の勢いで旅の道の諸族を味方に組み入れ、大和へ向かった。
 最初の駐留地、豊後国(ぶんごのくに)宇佐(うさ)に着くと、地族の宇佐津比売(うさつひめ)が足一騰宮(あしひとつあがりのみや)を造り、これを迎えた。
 それを察知した安日彦命(あびひこ)と長髄彦(ながすねひこ)は、時を置かず、諸国に配備していた軍にこの宮の攻撃を命じた。
 命を受けた諸軍は、豊後国(ぶんごのくに)に攻め寄せ、その宮を焼きはらった。高砂軍はこの交戦に敗れ、紀元前679年、筑紫前の岡田というところまで退いた。そしてそこにとどまり一年をかけて兵を募って安芸(あき)攻めを企て、筑前(ちくぜん)に到着した。1月9日だった。