三種の神器の制定と新たな歴史創り

三種の神器の制定と新たな歴史創り---------------------------------------------------------------------

 新たな国造りに於いて、三種の神器もまた新たに制定された。海部(あまべ)一族が持っていたアロンの杖、秦氏のフル(応神天皇)が持って来た十戒石板の入った契約の箱とマナの壺、そしてイエスの十字架である。
 これらをカモフラージュするものとして、息津鏡(おきつかがみ)・辺津鏡(へつかがみ)が八咫鏡、エフライム族の鉄剣が天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)、糸魚川(いといがわ)産翡翠(ひすい)の勾玉が勾玉のオリジナルとされ、それぞれの写しが作られた。
 また、海部(あまべ)一族は王権委譲以前の段階から各地に移動し始めたが、丹後、東海地方の尾張、四国が彼らの三大拠点とされた。しかし、その歴史と真相は、物部氏の歴史と合わせて、時が来るまで封印されることとなり、新たな秦氏の神話と歴史創作が始まった。

 アロンの杖は元々あったが、ここに契約の箱とマナの壺が揃ったので、ユダヤの三種の神器が新たな三種の神器とされたわけである。アロンの杖は太陽神の依り代、勾玉は王権のある土地の象徴とされた。

 内宮では御神体は御船代(みふなしろ)に収められているが、船はラテン語でアーク。つまり、十戒石板が契約の箱アークに収められているという暗示である。これらは、元々同じ神殿の本殿にあるべきだが、時が来るまで分けられることとなった。
 最初の伊勢の地は預言者イザヤに因んだ伊雑宮(いざわのみや)。そこには、十字架も含めてすべてがあった。


 その後、新制伊勢神宮を建立するにあたり、神宮を内宮と外宮、伊雑宮に分祀し、内宮には十字架本体と契約の箱、外宮・多賀宮(たかのみや)にはマナの壺、伊雑宮(いざわのみや)には十字架上の罪状板が安置された。
 そして、勾玉は王権のある御所に、息津鏡(おきつかがみ)・辺津鏡(へつかがみ)は海部(あまべ)氏の手元に、アロンの杖と天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)は海部(あまべ)一族(エフライム族)の兄弟分家である尾張氏の熱田神宮に預けられた。来るべき時に、アロンの杖は伊雑宮の心御柱(しんのみはしら)となるべく。

 神宮で最も重要なのは、御神体の鏡ではなく、心御柱(しんのみはしら)である。神宮の神職ですら、口にすることが憚(はばか)れるほど神聖なものである。別名が忌柱(いむはしら)、天御柱(アメノミハシラ)、天御量柱(あまのみはかりのはしら)で、地上に打ち込まれる心御柱はその代わりである。その大元はフェニキアのベテュルである。
 イザナギとイザナミの国生みでは、天御柱(アメノミハシラ)の周りを回って国造りが行われたので、それは、心御柱を中心として新たな国造りが行われたということである。

 天御柱(アメノミハシラ)はT字型十字架の縦の柱、忌柱(いむはしら)は横の柱。天御量柱(あまのみはかりのはしら)は青銅の蛇が掛けられたモーゼの旗竿である。すなわち、十字架を中心として、秦氏に依る新たな国造りが始まったという暗示である。
 十字架のシンボルはそのまま十字型。これは閉じた“吽(うん)”でもある。ならば、開いた“阿(あ)”は丸がシンボル。つまり、十字と丸で“阿吽(あうん)”となり、陰陽の合一も暗示する。これが、海神と地球、島津家のシンボルである。そして、十字は定規、丸はコンパスで描ける。つまりそれはフリーメイソンのシンボルである。四角も定規で描けることからすると、日の丸は大洪水のノアの息子セム、ハム、ヤフェとのうち、正統セム系フリーメイソンのシンボルそのものである。

 それを隠しながら堂々と示しているのが日の丸の国旗で、典型的なカバラの仕掛けである。
 更に、神宮では、正殿の西北に正中を外して心御柱が打ち込まれている。正中は最も重要な場所なので、そこをわざわざ外してあるということである。外宮では東南方向の内宮を、内宮では東南方向の伊雑宮を暗示しているということである。

 最も重要な伊雑宮には罪状板がある。それはラテン語、ギリシャ語、アラム語の3言語でイエスの名が書かれている。イエスは秦氏にとって神の名である。
 宇宙の歴史からすると、生命体が物質を認識したり、自らと他を区別するためには、名が必要となった。それは単に、識別のためだけのものだった。
 しかし、ある時から、その名によって自我が芽生えた。私とあなたは違う、という。それが更に進んで、自らが大元の生命エネルギーの分身であることを忘れ、我己(がこ)となってしまった。いわゆるエゴの発生である。これはとりわけ、神を自らの外に求めることによって促進された。本来は、自己の中にも他の中にも等しく存在するはずなのにである。それを忘れ、単なる“万物の創造主”という観念に陥り、エゴを発達させてしまったのが、人類型生命体のなれの果て、つまり、人類である。
 イナンナのインダス文明では梵我一如(ぼんがいちにょ)、ギリシャではヘルメス思想があったので、本来は解っていたはずだが、アヌンナキはいつの間にか遺伝子操作して人類を創り上げ、自らを人類に対する神として振る舞うことにより、人類に大きなくびきを負わせた。むしろ、全宇宙的な宿命により、地球と人類を最終的な学びの場とさせられた。よって、地球=知球=知宮と命名されている。他の言語では、決してこの真理は解らない。
 つまり真相を知る者が、神の名をみだりに唱えないために、名を外した。よって神の名“在りて在る者”も同じことである。アヌンナキの中で、それに気付いた知恵者がいた。“在りて在る者”の象形文字が勾玉である。その勾玉と神器的に同等なのがマナの壺。海神の所で、勾玉が壺にくっついて離れなくなった話があったが、それは壺と勾玉が同一物扱いという暗示である。日本語では、“眞名”と言う字が充てられた。この“眞”の字は、人が首を下向きにしている状態を象ったもので、“顛(てん:逆さま)”の原字である。
 つまり、この世の物質世界では「生命の樹」を下降することになり、更に名を唱えることによってエゴが発生し、嫌がおうにも「生命の樹」を鏡像反転した「死の樹」を下降してしまうことになる。
 現在はこの真意が封じられている壺=井戸のような状態なので“眞名井”であり、故に、名が外された伊雑宮と表裏一体となり、神宮の鳥居は額束(がくづか)の無い名が外された神明(=神名)鳥居となる。言い換えれば、“名”とは両刃の剣のようなもので、よって、剣も神器とされた。エゴを断ち切るという意味も込められて。

 そして、「生命の樹」の3本柱はシンボル化されて三つ巴となった。二つ巴では陰陽のバランスが取れているだけで、上昇も下降もしない。三つ巴となって、ようやく螺旋状に上昇(進化)・下降(退化)する。本来は上昇すべきだが、下降してしまっているので、それを食い止めるためにもう1つ必要となる。それがメルカバーで、神宮の御紋である。つまり、降臨に依ってようやく覚醒=完成するということである。


 “鏡=かがみ”も“かみ”の中に“我”があるので、自分自身を見つめて気付きなさい、ということなのである。反物質はCP対称性の破れにより消滅してこの世界は物質で満たされ、鏡の鏡像反転は放射性物質のベータ崩壊などを除く物質世界の基本原理。よって、鏡像反転した「合わせ鏡」の“自分”は“神”そのものということである。
 そういったことを暗示できるように、日本語は創られた。狭い国土の中で争いが起きないよう、シュメールの文法をベースとして日本語が創られたが、他の言語とは違って、主語を前面に出さない。これは、“個”を中心とすると必然的にエゴが強くなってしまうので、それを抑制するためである。
 また、日本語は創造のエネルギーの波動に最も共鳴しやすい言語で、故に、言霊という信仰が古代から発展した。悪いことを口にすると、それが現実化するから、できる限りそのような言葉は避けられるようになったわけである。

 そして、海部(あまべ)一族(エフライム族)の中で最初に四国へ渡ったのは、オヌイノミコトの時代の安波夜別命(アワヨワケノミコト)である。“阿波”という地名は、このミコト由来である。当然、阿波忌部氏(あわいんべうじ)はこの系統である。大嘗祭(だいじょうさい)の麁服(あらたえ)を紡(つむ)ぐ三木一族である。
 この一族が栽培した麻から作られた麻布でしか、この麁服(あらたえ)を作ることは許されていない。麻はニビル由来なので、神事で使う大麻(たいま、おおぬさ)は特定の氏族しか触れないのである。
 つまり王権委譲後の海部(あまべ)一族(エフライム族)の本体は丹後、兄弟分家の尾張氏は尾張、そして、アワヨワケノミコトの末裔は四国ということになる。尾張は熱田神宮だが、四国は大山祇(おおやまづみ)神社である。山の神でもあり海の神でもあるから、いわば地祇(ちぎ)の中の地祇で、娘のコノハナサクヤヒメは不老不死の霊峰、富士山の守護神である。よって、丹後では豊受大神=イナンナ、伊勢では天照大神=ウツ、四国では大山祇神=エンキという構造となる。
 邪馬台国では神殿はすべて東西向きだったが、秦氏がすべて南北に変えた。南から見ると、真中がイナンナ、向かって右がウツ、左がエンキとなるので、イザナギの顔がこちらに向いているなら、左目が天照大神=ウツ、鼻がスサノオ=イナンナ、右目が月読尊=エンキとなって、ぴったりである。つまりイザナギの顔から生まれた三貴神とは、この事を暗示していたのである。つまり、このように分けさせたのは、新制日本神話を創り出した秦氏ということの暗示でもある。

 本来の皇統である海部(あまべ)一族(エフライム族)は位を下げられ、神話では反抗者や鬼などの異形の者として描かれるようになってしまった。しかし、完全に封印されることは無かった。完全に封印すれば、“その時”になっても何も解らなくなってしまう。
 しかしながら、その扱いはすんなり従った出雲族と比べても酷いものであった。最高神はウシトラノコンジンとして封印され、系図は相当改竄された。系図は訳が分からなくなった。元の系図に物部各氏の系図を入れ込むだけではなく、ある大王の時代は省いたり、移動させたりして大混乱した。それが初代~第15代・応神天皇までの系図である。
 いろいろな変遷過程がゴチャ混ぜにされ、それぞれが伝承されてしまったので、例えばある天皇の御名(ぎょめい)で見た場合、それがA大王でもありC大王でもあって、よってA=Cなどという事態が発生してしまった。いわゆる“多次元同時”なのだが、これはこのような系図改竄が最も影響している。
 そして、これだけではなく、天照国照尊(あまてるくにてるのみこと)にニギハヤヒ=徐福、彦火明尊(ヒコホアカリノミコト)、櫛玉神(くしたまのかみ)をまとめてしまったことも影響している。
 基本は海部(あまべ)一族(エフライム族)の系図である。それを軸とすれば間違うことは無い。あと、系図の操作では年代操作のカラクリがある。
 記紀には卑弥呼もトヨも登場しない。唯一、日本書紀の一書で“神功皇后が卑弥呼かもしれない”とは言っているものの。それは暗に、卑弥呼がれっきとした皇統の祖だが、直系ではないということを示している。神話を創作している秦氏自身の直接の先祖ではないので、堂々と神話に盛り込むことはできなかった。そこで、初代天皇を自らの出自に合うように合わせ込み、それ以前の系図に於ける人物を移動させることにより、国家の総氏神(そううじがみ)たる内宮の創祀を古くしたというわけである。

 本当の神宮の創祀について、注目すべきは、いずれも丁巳(ひのとみ)の年に遷宮や豊受大神(とようけのおおみかみ)御遷座(ごせんざ)のお告げが成されていることである。特にAD297年は、トヨが還暦を迎えた年でもある。還暦とは、60年を一巡りとする考えで、60年を1つの年の単位とする1元と同じ。そして、AD297年丁巳(ひのとみ)から5元=300年遡(さかのぼ)らせると垂仁26年(BC4年)丁巳(ひのとみ)の年となり、内宮(ないぐう)御鎮座(ごちんざ)の年となる。“60”はシュメールの基本数で、大神アヌの象徴でもある。そして、“5”は知恵の象徴なので、まさしくシュメールの真相を知る知恵が無ければ、このような謎を解くことはできない。
 神武即位をBC660年に遡らせることに合わせて、トヨが祭祀を司っていた時代も繰り上げられた。そして、トヨが神祭りする姿は倭姫命(やまとひめのみこと)に投影された。実際に神宮が建立されたのは、本来の最高神である豊受大神と、秦氏が創り上げた女神の天照大神を同時に祀ることにより、新たな国家の神祭りが始まった時期で、それは、倭姫命(やまとひめのみこと)世紀に記載されている外宮遷宮の宣託(せんたく)があった雄略21年丁巳(ひのとみ)の年(AD477年)である。
 そして、この年から8元=480年遡らせたBC4年の丁巳(ひのとみ)の年を、内宮遷座の年とされた。“8”の意味は、これまで述べてきた通りである。
 系図のカラクリが神宮創祀まで関わっていたので、表にはなかなか出されなかったわけである。このように、秦氏は海部(あまべ)一族(エフライム族)の歴史を封印しながら、自らの歴史を創り上げていった。そして、本来の天神族である神族=カム族=賀茂族=海部(あまべ)一族(エフライム族)を乗っ取って鴨族と名乗った。
 また、徐福一団=物部氏は容易に改宗して秦氏となった。そして、原始キリスト教徒の秦氏が徐福縁の地に赴き、同じ“秦”を冠する始皇帝に縁を関連付け、徐福が求めた“不老不死”をイエスの“復活”と重ねた。こういったことがあり、秦氏の話になると様々な混乱が発生する。
 その徐福系、特に中枢に居た葛城氏は蘇我氏に姿を変え、外戚として天皇家を守ってきた。蘇我氏は物部氏と対決していたわけではなく、最後まで抵抗していた海部(あまべ)一族(エフライム族)を隠している。
 しかし、やはり一族の中には反発する者も多く、最大の争いに発展したのが、秦氏系の天智天皇と海部(あまべ)一族(エフライム族)の天武天皇の間で繰り広げられた壬申の乱である。この2人は兄弟ではなかった。

 不比等が命じて作らせた日本書紀には、大海人皇子(おおあまのおうじ)が天武天皇となるきっかけとなった壬申の乱に於ける尾張氏の活躍を黙殺していて、海部(あまべ)一族(エフライム族)の真相を隠している。それに、天武系天皇は皇室の京都市東山の菩提寺(ぼだいじ)・泉湧寺(せんにゅうじ)で祀られておらず、平安時代、天武系の天皇陵に対しては奉幣(ほうへい)の儀も行われていない。これなども、海部(あまべ)一族(エフライム族)の血を引く天武系天皇と、天武系と婚姻関係を結んでいた天皇が無視されていることの一例なのである。

 天武系(エフライム族)男系の最後の天皇、聖武天皇は藤原氏に抵抗し、東大寺に行幸して大仏に北面して頭を垂れた。これは、不比等らが創作した新生・中臣神道を否定したことを象徴している。単に、仏教を認めたということではなかったのである。仏教は真相を隠すための隠れ蓑である。エジプトでは蓮華、中東ではロゼッタでいずれもイナンナのシンボルだが、それが日本では菊となった。その理由は、草冠=“艸”は「合わせ鏡」の絶対三神を象徴する。その下は勾玉でも登場した「勹」と「米」。「米」は日本で最も重要な物で、分解すると「八十八」、そして「匊(きく)」の画数は8画なので、合わせて“888”となる。ギリシャ語で“キリスト”のゲマトリアとしては“888”なので、「匊(きく)」という字でイエスの象徴となり、これは当然、イナンナをも暗示している。つまり、漢字のカバラから“菊”としたわけである。
 皇室の十六弁八重表菊紋は、菊の御紋にして菊の花に非ず。後の歴史も同様である。海部(あまべ)一族(エフライム族)系が台頭してくると潰された。頼朝、信長、秀吉、島津氏などなど。以後、預言されし降臨があるまでは、秦氏が取り仕切ることとなったのである。その秦氏の中核は、名も無く戸籍も無い状態で、歴史の闇に隠れた。その組織は八咫烏と命名され、その使いなどは烏天狗(からすてんぐ)などと言われた。そして、山の祭祀には山の民が必要なので、縄文系のサンカと共に、山の修験者となった者達も多い。他に、忍者や虚無僧(こむそう)、渡りの旅芸人なども秦氏の諜報活動家である。





Hiloyuki Kubota/久保田 啓敬