支那(中国)由来の粽(ちまき)

支那(中国)由来の粽(ちまき)-------------------------------------------------------------------------------

 粽(ちまき)は支那由来の菓子で、笹には祓(はらい)の力があるとされ、祇園祭でも供えられる。京都の川端道喜(かわばたどうき)という老舗の粽屋は、お茶会の注文がある時以外は、普段は粽(ちまき)とお干菓子しか作っていない。しかし、明治時代までは毎朝、塩餡(しおあん)を包んだ餅を宮中に献上していた。その餅は“お朝物(あさのもの)”と呼ばれ、後に朝餉(あさがれい)の儀として形式化し、明治天皇が東京に移るまで続いた。京都御所には、建礼門(けんれいもん)の東横にこの老舗の名を冠する「道喜門」という名の専用門が今も残っている。

 お茶はお寺が主体と思っている人が多いが、神社の御神事でも供えられる。また、茶菓子の元は、小麦粉を練ってクレープ状に焼き、西京味噌(さいきょうみそ)を塗った麩(ふ)の焼きである。つまり、酵母を入れずに焼いたパンと同じである。つまりお茶はワインの代わりということである。よって茶道は、キリスト教の聖体拝領の暗示である。お茶室の躙(にじ)り口は狭いわけはこういった理由がある。

“イエスは町や村を巡って教えながら、エルサレムへ向かって進んでおられた。すると、「主よ、救われる者は少ないのでしょうか?」と言う人がいた。イエスは一同に言われた。「狭い戸口から入るように努めなさい。言っておくが、入ろうとしても入れない人が多いのだ。家の主人が立ち上がって、戸を閉めてしまってからでは、あなたがたが外に立って戸をたたき、『御主人様、開けてください』と言っても、『お前たちがどこの者か知らない』という答えが返ってくるだけである」(ルカ13 章22~25 節)”