明治維新とロスチャイルド、ロックフェラー

明治維新とロスチャイルド、ロックフェラー----------------------------------------------------------

 近代日本の基礎は、イルミナティのロスチャイルド、ロックフェラーの子分の日本の若者たちが作ったのである。その目的は日本の支配と金である。明治維新は、「文明開化」といわれるように今の近代化された日本の出発点である。人々のファッションが変わり、考え方、政治、経済、法律、宗教にいたるまで、すべてが近代化の名のもとがらっと一気に西洋化していった。


 この歴史に残る一大事件を成し遂げたのは、地方の侍であった。おもに薩摩藩・長州藩・土佐藩など地方の下級武士たちである。中でも代表的な維新の三傑(さんけつ)といわれるのが、西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允(きど たかよし 旧名:桂小五郎)だが、当時、敵対していた両藩を結びつけたのが坂本龍馬である。この両者が結び付いた軍事同盟である薩長同盟の結果、倒幕運動が功を為し、明治維新に至った。今でも語り継がれる坂本龍馬による大手柄だが、しかし実際には、その背後にイルミナティのフリーメイソンであるトーマス・グラバーというイギリスの武器商人の存在があった。坂本龍馬もフリーメイソンだったと、後の日本の政治家の鳩山 邦夫はTVで述べている。当時、長崎のグラバー邸は、日本におけるフリーメイソンの拠点だった。

 グラバーは、イルミナティのロスチャイルド家の系列会社であったマセソン商会の社員として中国の上海に派遣され、その後、日本代理人として長崎に赴任し、グラバー商会を設立する。来日当初は、生糸や茶の卸売をしていたが、幕末の混乱に着目して薩摩・土佐藩士など倒幕派を相手に、武器や弾薬を売り始める。 
 当時、幕府に敵対していた長州藩は、長崎のグラバーから武器を買うことを幕府から禁じられていた。そこで、龍馬はグラバーから分けてもらった武器を薩摩藩名義で、長州に流すことで両者を和解させることに成功したのである。実のところ、これは龍馬を使って薩長を結びつけ、その後、両藩を支援して幕府を転覆させるというグラバーの計画であった。
 また、それ以前にも敵対していたとされる薩摩藩の五代友厚や長州藩士の伊藤博文など、両者ともに交流のあったグラバーは、彼らにイギリス留学を斡旋し、当地で交流させている。つまり、龍馬が両者をつなぐ前に海の向こうではグラバーの仲介で、薩摩と長州はすでに結びついていたのである。


 なかでも、グラバーの手引きによりイギリスに密航し留学した長州藩の5人の若者たちは、「長州ファイブ」または「マセソンボーイズ」と呼ばれた。というのも、今の価値で10億円とも推測される彼らの留学費用の大部分を負担したのはグラバーの勤めるマセソン商会の社長、ヒュー・マセソンその人だったからである。
 さらにヒューマセソンの上には、イルミナティの世界一の金融王ネイサン・ロスチャイルドの息子であるライオネル・ロスチャイルドがいた。ライオネルやマセソンにかわいがってもらった5人の若者たちはフリーメイソンとなり、日本に帰り、明治新政府ができた後、日本の最高指導者となる。つまり、ロスチャイルド家当主の子分であった若者たちによって、明治の日本が作られていったのである。

「長州ファイブ」または「マセソンボーイズ 」
伊藤博文(政治:内閣総理大臣)
井上聞多(外交:外務大臣)
山尾傭三(工業)
野村弥吉(鉄道)
遠藤謹助(造幣:造幣局長)


 明治維新をロスチャイルド家の視点からみてみるとこうなる。初め、日本と貿易を始めたロスチャイルド家の代理人(グラバー)は幕府の体制が古いため、なかなか効率よく取引ができなかった。そこで地方の若者(この場合、薩摩藩・長州藩の下級武士)に資金と武器を提供し、クーデターを起こさせる。自分たちが教育し、支援した若者たちが政府を転覆し、国を乗っ取る。そして彼らを通じて日本を支配し、有利な関係を結ぶ。明治新政府はこのように創設された。しかし、イギリスの後押しでできた傀儡政権なので、その明治新政府に不満を持つ者も多く出てくる。そこで、内戦が起きた。それが戊辰戦争である。薩摩と長州を中心に作られた明治新政府を相手に、不満を持つ旧幕府軍が戦った。多くの悲劇を生んだ明治初期の内戦である。

 戊辰戦争は、まず新政府軍と幕府軍の主導権争いの京都「鳥羽・伏見の戦い」 に始まり、次は「東北戦争」、さらに北上して、旧幕府軍の最後の抵抗となる「箱館戦争」で幕を下ろした。
 当初、京都の戦いでは両軍の兵力は、新政府軍の約5000人に対し、旧幕府軍が15000人。旧幕府軍側が3倍ほど数で上回っていた。しかし、朝廷が薩長軍を官軍と認定し、錦の御旗(みはた)の使用許可を与えると形勢が逆転する。この錦の御旗は、下級公家であった岩倉具視が密造したものだったが、朝廷の許可を得て戦地で掲げると、「天皇には逆らえない」と旧幕府軍の戦意は低下する。慶喜(よしのぶ)が軍を捨てて京都から江戸に逃走したことも重なり、新政府軍の圧勝に終わる。これにより、地方の下級武士と下級公家によるクーデターは完遂した。



 また江戸では、新政府軍の司令官である西郷隆盛と幕府側代表の勝海舟の話し合いにより、幕府側から新政府側に江戸城が明け渡された。争うことなく、無血開城した江戸城だったが、その裏には、後の貿易への支障を恐れたイギリス側から、新政府軍に「江戸城は攻撃するな」という指示があった。
 この幕末から明治維新にかけて、日本の背後では、イギリスが薩長倒幕勢力を通じて南方からの日本支配をもくろんでおり、フランスは幕府を通じて日本の支配をもくろんでいたのである。またさらにその上には、それぞれ英・ロスチャイルド家と仏・ロスチャイルド家の存在があった。


 戊辰戦争を振り返って見ると、次のようになる。イルミナティの英のロスチャイルド家と仏のロスチャイルド家が二手に別れ、薩長倒幕勢力と江戸幕府の両方を資金と武器で支援する。その後、両者を戦わせて、どちらが勝っても支配権と利益を手に入れるのである。さらにこの後、明治政府を作らせた後に今度は、外国と戦わせる。それが日露戦争である。