エジビ家の商取引

エジビ家の商取引-------------------------------------------------------------------------------------------

 大麦、タマネギ、羊毛などの必需品の商取引は、バビロン周辺の農村地域で行われた。そして輸送、保管、販売はエジビ家の主要業務となっていった。数十年を通じて、組織の形態に変化は見られなかった。この頃、上位中産階級の人々は同じような活動に従事していた。それは生産者と消費者の仲介業の役目であった。彼らは民間の起業家として王室や神殿の関係者と様々な接点を持っていた。ネブカドネザルやナボニドゥスの下、バビロンでは大規模な建設プロジェクトに惹かれた人々によって人口が増大しており、商取引の事業は儲かった。
 スラジャと彼の息子は他のパートナーとともに、ハラム会社(Harranuは道"street"、キャラバン"caravan"の意味)で働き始める。一般的には、他のパートナーが田舎で働いていれば、別の一人が開業資金を出した。そして田舎の農家はトウモロコシの種と農業用の動物を与えられ、そして収穫期には現物で返済しなければならなかった。ちょうど収穫期の前、買い手は農場中を見回る。大麦、果実、玉ねぎを集め、そこから運河の船着き場に運ばなければならなかった。そしてそれら食物は船に積まれ、バビロンや運河沿いの船着き場へ運ばれた。そして事業資金の提供者とそのパートナーが、利益を分配し、同時にリスクも共有した。このパートナーは他の商売に手を出す事は許されず、他の取引に参加することもできなかった。またフルタイムで働かなければならなかった。
 しかしこういった業務形態は普通のローンが年間20%だったことと比べて決定的な違いを作った。ハラム会社はそのため、開業資金や富がない野心的な事業家にとっては非常に合っていた。こういったこともあり、バビロニア帝国の経済状況は上向きだった。そしていくつかの家族がとてつもない勢いで裕福になっていくのであった。しかし反対に、かなりの財産(家、庭、奴隷)を強制的に売らなければならなかった家族も記録として残っている。すべてが成功したわけではなかった。

 エジビ家のスラジャが彼のパートナーの資金と会社を管理し始めた時、ナブ・アッヘ・イディンは彼の潤沢な資金を他の事業へ貸した。彼の息子イッチ・マルドゥク・バラツは、かなり成功しているヌル・シン家のイディン・マルドゥクという事業家の娘と結婚した。そして24ミナスという持参金だけでなく、他の家族が持つボルシッパの運河に集中した商取引(特に玉ねぎ)にも関与することができるようになった。イディン・マルドゥクはそこで地元の生産者と役員との間に人脈を構築していた。
 イディン・マルドゥクもハラム会社で始めに小さな事業を始めた。その後、部下を通じて、そして最終的に何人かの奴隷を通じて行った。奴隷は娘の夫イッチ・マルドゥク・バラツのためにも働き、そして後にエジビ家の所有物となった。
 利益は特に奴隷、住居、不動産に対し、生産的に投資され、会社の資金で購入された。そして土地や庭の賃貸契約、バビロンやボルシッパの家賃の領収書、奴隷の負債、などすべての収入が記録された。エジビ家(と妻達)は、金、銀、貴重な石、豪華な織物や美しい獣に興味を持っていった。