ディアスポラ

■115年〜132年

 115年からはローマ帝国とユダヤ属州の間でキトス戦争が起き、132年にはバル・コクバに率いられた反乱(バル・コクバの乱)がおきた。バル・コクバはユダヤの独立を達成し、キリスト教徒を除く全ユダヤ人からメシアであると承認された。彼はエルサレムで二年半の間イスラエルの大公(ナーシー)として統治した。彼の公国は135年にローマ帝国によって征服された。

 大きな反乱が続発し、ユダヤ人の統治の困難さに手を焼いたローマ人はユダヤ地方からユダヤ色を一掃しようと考え、ユダヤ人が忌み嫌っていたペリシテ人の名前をとり、この地方をパレスチナと名づけた。ユダヤ人たちはこれ以前にもすでに広くローマ帝国内や各地に離散していたが、ここに再び多くのユダヤ人が離散を余儀なくされ、長いディアスポラの時代が始まった。これは1948年にイスラエル共和国が建国されるまでの約1800年間続く。
 ディアスポラとは「撒き散らされたもの」という意味の言葉で、元の国家や民族の居住地を離れて暮らす国民や民族の集団ないしコミュニティ、またはそのように離散すること自体を指す。

 こうしてユダヤ人はローマ帝国によって滅ぼされた後、イスラエルから追放され、全世界に離散を余儀なくされ、ユダヤの戒律を守りながら、故国なき民として生きるための知恵を体得していった。古代地中海世界の諸都市にはユダヤ人共同体が多く存在し、古代世界最大のユダヤ人コミュニティーはエジプトの大都市アレクサンドリアにあった。16世紀頃にはユダヤ人がドイツのフランクフルトに大量に移住し始める。
 
 この乱以降、サンへドリンはガリラヤのティベリアに移転している。ガリラヤはパレスチナの地名で、ガリラヤ湖を含む現在のイスラエル北部の地域とヨルダンの一部を指す。ガリラヤの名はヘブライ語でガーリール(周辺)に由来し、エルサレムを中心として発達したユダヤ教にとっては辺縁(へんえん)であった。ナザレのイエスが宣教を始めた場所として聖書に記述されている。