魂の創造

 そして「存在のすべて」は、人間を魂の乗り物として創造した。よって人間は、魂、精神、身体から構成されることとなった。魂は、「存在のすべて」の分霊 として個別性をもちながらも、全てがつながっている。例えば、空気はすべてつながっているが、家の中では各部屋ごとに独特の空気、台所なら食物の香り、リ ビングルームはそれ特有の雰囲気があるというように、個と全体がつながっている。それは屋外の空気ともがつながっている。魂もそれと似ている。人間一人ひ とりの魂の個別性はあるが、それらは決して別々に分離しているのではなく、つながっている。その魂は人間の身体より大きく、魂は身体とともに運ばれるので はなく、身体をなかに入れて運んでいる。
 魂が追求しているのは、想像しうる限りの最高の愛の感情である。これが魂の欲求、目的で、魂は感じようとしている。愛を知ろうとしているのではなく、感 じようとしている。最高の感情は「存在のすべて」と合体する経験である。それは真実へと帰ることであり、魂が切望しているその真実が、完璧な愛情である。 完璧な愛情とは色のなかの完璧な白のようなものである。白とは色がないことではなく、あらゆる色を含んでいるのが白であり、白は存在するあらゆる色が合体 したものである。よって愛とは憎しみ、怒り、情欲、嫉妬、羨望などがないことではなく、あらゆる感情の総和で、あらゆるものの集合体である。だから、魂が 完壁な愛を経験するには、人間のあらゆる感情を経験しなければならない。
 何かを知ることと体験することとは別ものであり、霊の子供たちは自らを体験的に知りたがった。知識として知るだけでは、霊の子供、人間には物足りなかっ た。そこで、「存在のすべて」は計画をたてた。その計画のもとで、純粋な霊である人間は、創造されたばかりの物質的な宇宙に入った。概念として知っている ことを体験として知るには、物質的な世界で経験するしかないからで、そもそも、物質的な宇宙秩序を創った理由はそこにあった。宇宙を律する相対性のシステ ムを創った理由も、すべての創造行為の理由もそこにあった。物質的な宇宙に入れば、自らについて知っていることを体験できる。それには、まず、対極を知ら なければならない。簡単に言えば、背が低いということを知らなければ、背が高いということはわからない。やせているということを知らなければ、太っている ということはわからない。つきつめて言えば、自分が何であるかを知るためには、自分ではないものと対決しなければならない。これが相対性の理論の目的であ り、すべての物質的な生命の目的である。自分自身を定義するのは、自分ではないものによってなのである。
 魂は、肉体が生きている間でもそこを離れることができ、体の1〜2メートル上方や数キロ 先、あるいは宗教的な表現で天国と呼ばれるさまざまなレベルの世界へ旅することもできる。魂とは本来の自分自身であり、認識する自分のことである。そして 魂の本質とは、宗教的には「神」と呼ばれる「存在のすべて」の本質的存在の分身である。つまり自分たちすべての生命は「存在のすべて」の分身ということである。