「存在のすべて」とはどのような存在なのか

 「存在のすべて」はすべての源であり、全知全能の絶対的な存在である。地球人はこれまで宗教を通して神をイメージしてきたので、神を白髭の老人のように 描くことがあるが、それは実際の神の姿ではなく、「存在のすべて」は宗教に関わりなく存在する。「存在のすべて」とは存在そのものであり、エネルギーであ り、光であってすべての源である。この美しい地球と太陽系、宇宙、そして地球では知られていない別の宇宙群が、人間の地球がそうであるように、この全能の 「存在のすべて」によって統治されている。創造主である「存在のすべて」は、全宇宙に存在する生物や物、場所、時間、空間などすべての源なのである。「存 在のすべて」とは、全エネルギーの源であり、宇宙に存在するありとあらゆるものの源なのである。
 この「存在のすべて」には、人間のような性別はない。地球はこれまで、男性によって支配され続けてきた男性優位社会なので、神が男性であるかのように表現されているが、もし今の文化が女性優位社会であれば、神は美しい女性として描かれていた。
 また、人間が大きな罪を犯し、大きなカルマを作ってしまった場合、「存在のすべて」が人を罰することはない。地球にある特徴は二元性で、正しいか間違い か、善か悪かというように、すべてに二つの正反対のものが共存している。しかしカルマの概念とは、「与えることと受け取ること」に基づいている。つまり、 自分がある行為を誰かにすれば、(良い悪いに関わりなく)それと同じようなことが巡り巡って、自分に戻ってくるということである。
 「存在のすべて」は愛を与える存在であり、人間に課題を与える。ある先生がいて、もし自分の生徒が、不快な経験をする必要に陥った場合、先生はそれを見 守りながら、生徒が成長し学んでいくのを待ち続ける。たとえば、誰かが銀行強盗をして殺人を犯した場合、「存在のすべて」はその人に向かって、「お前は罪 滅ぼしとして地獄に落ちるだろう」とは言わない。しかし彼はおそらく捕まって刑務所に入れられ、罪滅ぼしをすることになる。たとえ捕まらなかったとして も、いつかは自責(じせき)の念に苦しむことになるはずである。そうなったとき、彼は神に助けと慰めを求め、謝罪し、罪の償いをし、自分の犯した間違いを 克服することができるのである。これは決して天罰ではない。「存在のすべて」の教えは、結果的に、その人が本当に幸せになるための「鍵」を握っているので ある。

 「究極の創造主」のものである宇宙とは、意識の統合体であり、それは限りなく繁栄し、活気に満ち溢れている。そのあらゆる要素は生命を持ち、常に絶え ず、新しい状態へと変化し続けている。一なる「すべてなるもの」の宇宙の広がりにあって、生命を持たずに、静止しているものは何ひとつない。そこに存在す るあらゆるものの波動には無限の種類があり、広大な銀河から、想像を絶する小ささの粒子に至るまで、それらの何もかもが相互に共鳴し合っている。
 人間の魂そのものは(小)宇宙であり、純粋なエネルギーであり、そのエネルギーは絶えず移動し、通り抜ける電磁的存在である。そしてそれは生来的に、 「究極の創造主」の二重性を反映している。電気的で外に向かう「陽」のエネルギーと、磁気的で受動的な「陰」のエネルギーである。この二つの、相互に作用 し合うエネルギーの動きである「陽」と「陰」の関係こそが、あらゆるレベルに存在するすべてのものの性質である。それは創造であり、崩壊であり、波動、調 和、対照であって、それこそが、宇宙の構造そのものなのである。
 「存在のすべて」「一なるもの」の意識的な表出であるこの電磁的なエネルギーは、電気的・磁気的両方の特徴を持った波動となり、さまざまな振幅と速度、 周期を示す。そしてこの性質は地球の尺度で測ることができ、地球の辞書では、「波長」とは波の山から次の山までの距離を意味する。「周波数」とは、一秒と いう時間内に繰り返される波の数であり、サイクル、振動数とも表現され、人間の用語では「ヘルツ」と言われている。
 この「波長」と「周波数」の二つの要素が変化することで、さまざまな電磁波が生まれる。それはゆっくり振動する電波から、赤外線、可視光線、紫外線など の光や、さらに高速で振動する宇宙線(放射線)まで、宇宙に満ちている膨大な電磁波のことである。「すべて」とは無限の存在であり、そこには創造主そのも のの、測定不可能な、かつ定義することを寄せ付けない周波数も存在する。人間の脳は、特定の周波数帯の電磁波の働きで機能している。この電磁波を、地球外 生命体は「思考波」と呼ぶが、地球の科学者は「脳波」と呼んでいる。