7章 世界四大文明 : 地球人のルーツ

■紀元前5700年

ヴィンチャ文明とアヌンナキ-----------------------------------------------------------------------------

 紀元前5700年から紀元前4200年頃まで、アヌンナキのヴィンチャ文明が起こる。これはシュメール文明(紀元前3500年〜)やクレタ島のミノア文明(前3650年〜前1100年)の文字体系よりも古い。



 ヴィンチャ文明からの土偶と日本の縄文土偶はポーズやデザインが似ており、どちらもアヌンナキのイナンナを表している。共通点は、胸が出ている、手を広げてT字のポーズ、下半身が太い、脇の下に空洞がある、などとなっている。









■紀元前5293年

 日本では薩摩半島から約50km南の大隅海峡にある海底火山の鬼界カルデラが大爆発を起こし、縄文時代の西日本一帯が壊滅的な状況に陥る。爆発規模は雲仙普賢岳のおよそ100倍と驚異的で、少なくとも紀元前1万年からの日本火山史の中では最大の噴火。上空3万mの成層圏にまで達した大量の火山灰は、遠く東北地方にまで飛散し、南九州一帯は60cm以上の厚さで埋め尽くされた。九州は数百年間人が住める土地ではなくなった。


 鬼界カルデラの爆発の後、アヌンナキの血を濃く受け継ぐ富士王朝の皇族が西へ向かい、アジア大陸に渡った。アジアへ向かったグループは2つあり、それぞれ朝鮮半島と南洋を経由して西を目指した。
 そして富士王朝の2つの皇族グループはメソポタミアのシュメールで再び合流し、シュメールにて知識や技術を広めていく。彼らは古神道に通じていたが、本来古神道とは自然と調和して生きる術、自然の力を利用する術であった。大事忍男神(おおごとおしおのかみ)がスメル族のリーダーとして日本からシュメールへ渡る。

シュメールのスサの王と日本のスサノオ----------------------------------------------------------------

 スメル族によってメソポタミアに建国されたシュメールの都市国家の中で、最大の都市は「スサ」と呼ばれた。スサの王をスサノオと呼び、シュメール文明の中では政治と軍事を司った。これが縄文の日本からの陸路グループである。一方、海路のグループには祭司王がおり、シュメールの長という意味でスメルミコト (スメラミコト)と呼ばれた。スサに首都をおく原エラム文明は、ラピスラズリと穀物の交易で栄えていた。


 月日が流れ、メソポタミアのシュメールにツラン人が築いた都市及び都市国家ウルに、人々が居住し始める。現在はイラク領にあり、ユーフラテス川の南方に位置する。

シュメールの神官が認識していた1611年周期の文明------------------------------------------------

 シュメールの最高神官たちは「世界史は東から西に向かって進む」ということを理解していた。これは地図上では、東から西への移動に見えるが、実際の地球においてはこの現象は西回りに回転するスピンなのである。このスピンが単なる偶然の現象ではなく正確な法則である証明は、東から西にスピンするその時間と空間の関係にある。そこにシュメール人が聖なるリズムと呼んだ、規則正しい地球のバイオリズムが潜んでいる。これを認識していたので、日本の皇族もシュメールへやってきた。近年、世界中でもっとも優勢な立場にあった国から、人類の歴史を振り返ってみるとそれが理解できる。
 近年までもっとも優勢な立場にあった国はアメリカである。このアメリカの歴史を遡ると、イギリスからスタートしており、アメリカ繁栄以前はアメリカの東にあるイギリスが優勢な文明であった。たしかに東に戻ることになる。そしてイギリス以前は、その東のヨーロッパが強い勢力だった。そのヨーロッパ文明の前は、さらに東のギリシャ文明に遡る。そのギリシャ文明以前は、さらに東に位置するエジプトやメソポタミアである。歴史の焦点は、たしかに東へと行き着く。
 これは常に一定する速度のスピンであり、正確には、1611年間に、経度にして22.5度ほど、聖なるリズムの焦点は西側にスピンする。この現象の謎を解くには、これがスピンリズムである点を理解する必要がある。宇宙の天体やミクロ宇宙のすべてがスピンであるように、これはある意味で物理現象なのである。
 まさしく人類の歴史は1611年を一単位として、その節目ごとに22.5度ずつ西に文明極点が移動し、その結果新たな最優勢な文明がその位置で開花している。しかもその精度は、0.1度の狂いもない。

 これは西洋の歴史だが、反対に東洋では、あたかも素粒子と反素粒子のように、西洋側のスピンを鏡に映したかのような、これとはまったく正反対のもう一つのスピンが実在することをシュメールの最高神官たち知っていた。この法則は東洋の歴史にもあてはまり、具体的にそれは、1611年に22.5度東回りに移動するスピンである。実際にはこれは、東洋でもなければ西洋でもなく、互いに相反する一対(いっつい)のスピンなのである。つまり両者のスピンはすべての生命に男女があるように、互いに相互作用で進展していく相対性の原理に基づく生命のリズムなのである。
 近年、アジアでもっとも優位にあり、最初に近代化に成功した国は日本である。しかし日本がアジアをリードした歴史はごく浅い。日本は1500年もの間、中国から諸文化を学び続けて発展した国である。唐の時代にも中国は、日本にとって進んだ国だっただけではなく、世界最高峰の文明国として世界各地から使者が訪れていた。しかしこの中国も、さらに千数百年遡れば、仏教や建築技術など、日本が中国から学ぼうとした知識のほとんどは、インドやその他の西側諸国から学んだものであることがわかる。
 高度な哲学思想を生み出した古代インド(ガンジス文明)も、さらに遡ること千数百年前には、それより西側のインダス文明を基礎に成立している。さらに、インダス以前の時代は、インダスに多大な影響を与えたと言われるシュメールの時代となる。つまりこの時代には、現在はイラクであるこの地が、地球上でもっとも進んだ文明の地帯であったのである。

 シュメール文明の後に起こった文明は、あのインダス文明であった。この文明の誕生の地を計測してみると、それはこのエリドゥから東に、正確に22.5度スピンした位置にある。この文明の誕生は、シュメール文明から1611年後を基点としており、地球上を東回りに16/1スピンした位置からスタートした。インダス文明の完成は、約4600年ほど前と推定されており、そのスタート年代はシュメール文明から数えて1611年後にあたる年代だった。
 地球といわれるこの巨大な生命は一種のバイオリズムを持っており、その最活性化のポイントは、1611年間に22.5度、つまり地球上を16/1角度分だけ、円周上を移行するのである。


 当時モヘンジョダロには荘厳な建物が数々存在し、見事なまでに美しかった。現代の東京の雑然とした景色とはまったく違い、都市全体が芸術作品のように整然としていた。建物はレンガ造りで、シュメールのジッグラトのように、現代の建物にはない温かい重量感があった。そしてそこにはシュメール同様に、さまざまな人種の人々がおり、ここも国際的な中心都市のようであった。
 インダスは、日本の都市のように無計画に作られた都市ではなく、それは綿密に計画されており、それを計画したのはシュメールの叡智を引き継いだ人々である。彼らは建物が人間の意識に与える影響を完全に理解しており、人間の意識がより自然に働くように、彼らが神と呼んだ目に見えない力が、その場にいるだけで顕(あらわ)される構造というものを理解していた。
 このような意識への影響は、単に建物の構造だけでなく、材質にもある。彼らはレンガを作る際にも、そうした観点に基づいて、人間の意識によい影響を与える最高の材質のレンガを作ったのである。道路もすべてが整然と規則的に並び、美しさを感じさせた。その安らぎを感じさせる整然とした並びは、日本の平安京と似ているものであった。平安京も、日本では珍しい計画都市であった。事実、日本の平安京は、このインダスの文明に歴史的な繋がりがあったのである。

 日本に現存する聖なるシンボル「十六菊花紋」のもっとも古いものは、平安京の朝堂院(ちょうどういん)で発掘されたものであったが、この十六菊花紋は、現在の天皇家のものよりデザイン上の比率がシュメールのものにより近く、ほとんど同じである。平安京は、秦(はた)氏の力によって事実上作られたものだが、秦氏は、その数10万という日本史上最大最強の渡来した人々であり、西方の地からやってきた。その意味は、秦氏がインダスから来たということではなく、両者の文化的ルーツが同じだということである。

 インダス文明のようにバランスのとれた文明でも、やはり寿命というものがあり、それは人間の死と同じである。どんなに優れた人間にも死は等しくやってくる。そして死を迎える時期には、その人の欠点が露呈されやすいように、文明もまたそうなのである。
 現代文明は今、死と再生の時に差しかかっている。この死と再生の節目は、人類を裁くためや苦しめるためにあるのでは決してない。この節目を通り越すことによって、人類は新たな展開と創造に出会うのである。人類の文明は約800年が「昼の時」である。文明の誕生から800年が経過すると、生命の老化と同じく衰退へと向かう。
 これはインダス文明においても同じで、文明の誕生から800年後の約4000年前から、インダスはアーリア人たちの勢力に圧迫されるようになった。

 インダスの次に栄えた東洋の地といえば、インドのガンジス文明である。ガンジス文明は日本人にも仏教のルーツとして馴染みが深い。日本が中国から輸入したその文明の中枢とも言える仏教や、それに伴うさまざまな学問は、言うまでもなくその昔天竺(てんじく)と言われたインドから輸入されたものである。インドのガンジス川流域を中心に栄えたのでガンジス文明とも言われている。
 ガンジス文明は、インダス文明の誕生の地であるモヘンジョダロから22.5度東に花開いた。ウパニシャッドなどのインドの高度な哲学には、インダスの感性が引き継がれている。現代人がよく知るヨガは、その典型である。
 この文明についても法則通りであり、古代インド文明を開いたアーリア人たちがインドに入ったのが3100年ほど前であり、バラモンの確立が3000年前で、「聖なるリズム」通りである。さらに地図で計測すると、モヘンジョダロから22.5度東は、東経90.0度であり、それはガンジスの真中心であり、年代も場所も完璧に一致している。もしもすべての歴史がこのパターンで進行していたとするならば、もはやそれは偶然とは言えないのである。

 現代人は西洋文明が優勢の時代に育っているので、初めから西洋の文明のほうが進んでいたと思いがちであるが、実はそうではない。彼らが人類の頂点に立つのは1000年代をかなり過ぎてからである。それ以前は中国が世界の頂点として君臨しており、その文化を学びに世界中から人々が押し寄せていた。日本の遣唐使などもその一例である。
 この年代も場所も「法則」通りである。ガンジスの中心から22.5度東の位置は、唐の真中心であるだけでなく、その位置には洛陽(らくよう)があった。洛陽は、中国のすべての歴史の中でもっとも長く都が置かれていた中国の中心地であった。

 さらに次の1600年後は、西暦400年+1600年(正確には1611年)で、現代である。そして問題の地球の脈動ポイントは、112.5度+135.0度である。この東経135.0度は日本の標準時ライン、つまり日本の真中心である。
 このラインは、明石と淡路島を貫いているが、たとえば135.02度にわずかずれるだけで、淡路島からは完全にはずれてしまう。それほどの精度で日本の真中心なのである。日本とシュメールの都市エリドゥとは90度の関係にある。
 正確には1995年が大地の脈動の年であり、それは阪神・淡路大震災があった年である。この1995年に起きた地震の震源地は、淡路島北部の東経135.0度であった。それは日本の真中心の135.0度なのである。
 人類は、自分たちの意志で歴史というものを築いてきたと信じてきたが、その自分たちの意志さえも、もっと大きな何かに導かれているということである。


 シュメールの最高神官は、この西回りと東回りのスピンが、規則正しい相互作用で生じていると知っていた。この東西のスピンは、互いに正反対の時間的関係で結ばれている。正反対の時間とは、スピンが相反するように時間も正反するのである。
 1611年をサイクルとする人類の文明は、その約半分である800年の文明の生命を有して誕生する。これは昼と夜のようなものである。東回りスピンは1611年の内の最初の800年が昼、つまり活動期であり、後の800年は夜、つまり活動が停滞する睡眠期である。
 西回りスピンはこれと正反して、最初の800年が睡眠期で、後の800年が昼の活動期になる。現代までの資本主義文明の繁栄は、この西回りスピンの活動期が終わった夜の晩期である。東西スピンの活動期の交替は、今から800年前に起きているので、西暦1200年頃のことである。それは強大な勢力を持った中国が一夜の夢のごとくに消え去り、モンゴルの勢力に圧倒され、征服されてしまうのが1271年である。一方西洋文明では、イギリス人としての最初の王であるエドワード一世の即位が1272年である。そしてヨーロッパは活動期に入り、イギリスの全盛期へと発展してゆく。それはまさに、昼と夜のように入れ替わっている。

 西回りスピンの1周期は、ロンドンから22.5度東であり、それは東経22.5度である。このラインはギリシャ文明の真中心であり、後のローマ文明へと続く文明の脈動ポイントである。現代の西洋文明のスタートを1200年とすると、1サイクル前は1611年前であるから、紀元前400年頃ということになる。あの有名なギリシャの哲学者ソクラテスは、紀元前400年頃にギリシャ哲学の楚を築き、それが西洋哲学へと発展してゆく。現代の科学文明の柱が西洋哲学にあるように、まだ科学の生まれていないこの時代の文明の柱は西洋哲学にあった。それに並行するようにローマの文明が発展していく。そしてその位置も、東経22.5度はギリシャの真中心であり、同時にそれはギリシャの中心都市ミケーネとスパルタを縦断している。それはまるで計算通りに敷かれたレールの上を、人類の歴史は進行しているかのようである。


22.5度と1611年という現象について-------------------------------------------------------------------

 22.5度と1611年というのは、ある天文学現象と正確に結びついた現象なのである。それは現代人にもよく知られた天文現象であるが、ただシュメール人はそれを天文現象とは見なさず、星々の命の鼓動として捉えていた。
 東経135.0度が次の文明周期の脈動点になるということは、日本の中心が新しい世界文明の誕生地になるということになる。聖なるリズムとは、人間が五感で捉える感覚とは規模が異なる。一つの波は、1611年という巨大な波であり、この波が一つの形をとる転換期のためには、その16/1の期間が必要である。つまり約100年という期間を要するのである。
 これは惑星そのものの次元では、1995年前後の約100年がそれに相当している。よって現象として現れる人間社会の変化は、1995年から約100年間が転換期間である。その兆しとして、焦点が結ばれる地域周辺で、つまりアジアの広範囲が活気づくことになる。逆に、0度の焦点の周辺は力を弱めていく。これは転換期間であり、135度文明が最大の力を発揮する時期は、西暦2400年前後となる。そのピークに向かって社会も徐々に変化してゆくのである。
 ただ現代人は、もっとも肝心な真の節目の中にいる。西暦2400年の世界は、つまりは現代人の意識の結果が実現する世界である。この世界は見えない次元から形成されており、現象というものはそれよりも大きく遅れて現れるのである。
 これは個人の人生と同じである。今の自分の境遇は、今作られたものではない。それは10年前に自分が思い、行動した結果が今になって現れている。よって惑星の次元では、今がまさに新たな時代を築く節目の時なのである。人間の思考や思念は、常に同じ影響力を未来に向けて発するわけではなく、それが強く働く時とそうでない時がある。このリズムは個人のリズムもあるが、すべての人に共通するポイントとして、一日の中では早朝と就寝前、月の周期においては満月と新月、公転周期においては冬至と夏至がそうであり、この期間に人間が意識することは、その後の期間に強い影響を与える。

 地球は今、巨大なサイクルの夏至の期間に相当している。この時代に生まれた人々の意識は、後々の時代まで影響を与える重要な思考思念である。現代人は新たな文明の創造にとって、もっとも重要な役割を担わなければならない。
 新たな文明サイクルの誕生をうながす脈動は東経135.0度ラインで始まりつつある。東経135.0度を中心に、広大な範囲に対してこの誕生の作用は働き始めている。当然、この影響力は日本全土に及んでおり、すべての日本人はその影響下にある。いかなる文明の誕生に際しても言えることだが、このフィールドは聖なるリズムに共鳴する波長を持つ者にとって、新たなサイクルに向かう創造的インスピレーションを感知しやすいフィールドなのである。


 [聖なるリズム]が地球上の16の焦点に光を当てるたびに、さまざまな民族に光が当たることになり、どの民族に光が当たるかには、一定の法則がある。賢く真面目なドイツ人と、開放的なアメリカ人の性質とでは、まるで別人種のような違いがあることはわかるが、人種の上では彼らはまったく同一の人種である。これが大地の脈動に導かれる人類の真実の姿である。民族の個性を形作るものは、血統でも環境でもない。それを決定づける本質は、常に大地の力なのである。自然環境さえも、この大地の力に導かれる結果の世界にすぎない。すべての変化の本質には大地の脈動がある。
 大地の脈動は目に見えない波動的な領域に現れる。しかしこれは人間の五感では認識できないが、たとえば、日本人がかつて言霊(ことだま)と言ったが、それが本当の領域である。[音]にはそれぞれ個性がある。各個人が言葉として発する微妙な音の違いは、本人の持つ見えない波長と結びついている。現在アングロサクソンの言語である英語が定着しているが、この言語は今現在ある言語の中でも、特に個を主張する性質や、男性性を表面化させる性質がもっとも強く、論理性に長けているという性質を持っている。世界の多くの人が英語を話すようになった裏には単なる言語領域を超えた意味がある。この英語の性質には、人類の持つ二つの極性のうち、一方を強く引き出す性質を持っており、それは0度文明期の進展にとって不可欠な要因であった。一方、今ある言語の中で、英語とは対照的な性質を最も強く持つ言語は、極東に位置する日本の日本語である。


1年は16ヶ月-------------------------------------------------------------------------------------------------

 90分間で深い睡眠と浅い睡眠を繰り返すこの睡眠リズムは、実は人間の意識のリズムであると同時に、地球のスピンリズムとして刻まれる地球独自のリズムでもある。あらゆる生命のリズムは、本質的に地球に呼応している。地球のスピン、つまり自転は、1スピンが24時間である。24時間の16/1は1時間半、つまり90分である。つまり人間の意識のリズムは、地球自体の聖なるリズムということなのである。「22.5度」と「1611年」のリズムも、これと同じ現象なのである。
 地球だけでなく、宇宙のあらゆる天体やミクロ宇宙は2種類のスピンから生まれる。一つは人間が理解している自転のスピンであり、もう一つは歳差運動として人間が認める旋回スピンである。地球の1自転には24時間を要するが、歳差運動の1旋回には2万5776年を要する。
 2万5776年の16/1は、25776÷16=1611、で1611年である。人間に90分の意識リズムが流れているように、人類全体にもうひとつのスピンによる1611年のリズムが流れている。つまり、文明のリズムと睡眠のリズムは同じ原理に支えられていたということである。
 人間の睡眠リズムである90分、つまり1日の16/1を、地球が自転する空間(360度)に換算してみると、旋回スピンとの相似性がはっきりする。1日の16/1の自転、つまり360度÷16=22.5度なのである。人間は一人の例外もなく、地球が22.5度自転するごとに、90分の1リズムを刻んでいるのである。このリズムは単なる睡眠だけでなく、人間の意識のリズムそのものである。

 この周期は、人間の無意識の世界で働いている意識のリズムと考えられるようになっていた。たとえば実験で、電話帳から特定の電話番号や名前を書き出すなどの作業で、あくびやミスが連続する現象は、作業開始から90分ごとに起きることが明らかにされている。この90分の意識バイオリズムは、文明のバイオリズムと同じく、22.5度のポイントを通過するごとにバイオリズムを一巡させているのである。それはまったく同じ原理であり、人類史にも働くリズムである。
 人間が公転と呼ぶ、地球が太陽を回る運動である聖なるリズムも、生命に確実に影響を及ぼしている。1年は365日だが、これを16で割ると約23日である。23日といえば、バイオリズムとして一般的によく知られている人間の体のリズムである。これは地球が太陽を一周する16/1回転ごとのリズムで、人間は太陽を22.5度めぐるごとに、人体のリズムを刻んでいるのである。


16ビート------------------------------------------------------------------------------------------------------

 人間は音楽に快感を感じる。それを快さと感じる快感は、人間に備わった正確なセンサーである。あらゆるリズムの中でも、人間を最高度の陶酔感に引き込むリズムが存在する。ポップスや、サンバや、インドネシアのガムランやケチャなど、こういった音楽にはすべて、16ビートが使われている。
 原始的な生活を営む部族の音楽を研究してみると、彼らが宗教的に神と交わるために奏でるリズムはすべて16ビートである。16ビートは、人間の魂を宇宙のリズムにもっとも共鳴させるリズムなのである。この16ビートのリズム構造こそ、宇宙のリズムそのものである。
 現代人は自分を抑圧して生きる生活習慣の中にいるために、快さの感覚を失いつつある。もしも16ビートに心が無反応になっているとしたら、人間は自然な感性を喪失している証拠であり、そのままの生活習慣を続けるなら、人間は必ず、今よりも危険な状態に陥る。
 インドネシアのバリ島の音楽である「ガムラン」は16ビートである。またアフリカのムブティの音楽の基本リズムも16ビートであり、彼らは現代人よりもはるかに16ビートと密接な生活スタイルをしている。さらに言えば、現代のポップス系のヒット曲もそのほとんどが16ビートであり、あの静かな日本の能でさえが、クライマックスの場面では必ず16ビートになるのである。
 16ビートは、4.4.4.4で構成されるリズムである。宇宙のすべてはスピンで形成されるが、このスピンの原理から必然的に生み出されるものが、この4/1リズムである。
 一年には春夏秋冬があり、春分、夏至、秋分、冬至という4つの特殊なポイントがあるが、こうしたポイントは、宇宙のすべてのスピンに共通である。すべての生命はこの4つのポイントごとに一つの生体リズムの節目を迎える。この4/1リズムをさらに4分割したリズムが、聖なるリズムの小単位である。自然界は必ず、このリズムに従って生成発展しており、人間ももちろんそうである。


9年サイクルのリズム---------------------------------------------------------------------------------------

 9年サイクルのリズムは、地球に生きるすべての生命が持つ主要なリズムの一つである。これは聖なる中心力の周期であり、太陽系の内惑星が一列に並ぶリズムによって生じている。たとえば心身の疲労回復度は、睡眠をとる時間帯によって異なる。このもっとも効果的な疲労回復をもたらす時間帯が、夜の10時から2時の間であるということは、科学的実験によっても認められている。
 この生命力を回復させる時間帯は、地球と人間との位置関係に原因がある。深夜の12時前後ということになるから、これは人間を中心に見ると、太陽との一直線上に地球の中心が来た位置ということになるが、それが睡眠と関係する。

 一つの存在に対して(この場合は人間)、恒星の中心軸と惑星の中心軸とが一直線上に並ぶ時、一つのリズムを形成し、このリズムが生命を蘇生(そせい)させる作用を持っている。シュメール人は、それを星々からの愛に包まれる期間として理解していた。
 日本の大脳生理学の権威である有名な博士の研究に、新月と満月の日には、人間の左右の脳に特殊な変化が起こるらしいという研究結果があった。そうすると新月や満月というのは、太陽と月と地球が一直線に並ぶことであり、それが人間の脳に神経系の変化(つまり生命の蘇生)を引き起こすということになる。これは脳だけではなく、人体のあらゆる器官に微妙な変化を引き起こすもので、いわば「体をリセット」させてくれるものである。


72年周期-----------------------------------------------------------------------------------------------------

 生命を蘇生させるリズムは、太陽、月、地球の中心軸が一直線に並ぶことによって起きるが、この作用がもっとも強く作用するのは、それに加えて水星、木星、金星など、太陽系の惑星がすべて一直線上に並ぶタイミングであり、これは144年に一度訪れる。これも、16/1リズムで、計算すると144÷16=9である。
 シュメールの叡智の一つであるこの知識は、東洋にも西洋にも断片的に受け継がれた。東洋ではこのリズムの9年に重点が置かれ、後にそれは「風水」の概念に発展したが、西洋では、144年と72年という数に重点が置かれた。この72年ごとの節目は、満月と新月同様に、変化の年になる。その作用は自然変化や、社会変化にまで及ぶ。したがって身近な未来を予測するには、この周期リズムを知ることが不可欠であることをシュメール人は知っていた。
 72年周期の自然変化や社会変化があるということで、1995年の阪神・淡路大震災は、新たな時の始まりを象徴するのだった。この年から72年前は、1995-72で1923年である。この年は関東大震災の年である。日本における最大級の被害を出した地震がちょうど72年前に発生している。それ以前も、ほとんど正確に72年おきに最大級の地震や火山の噴火などが起きている。江戸時代に起きたあの富士山の噴火も、このサイクルの年の1707年に起きており、この年には死者2万人と推定される宝永地震も起きている。
 2001年にアメリカで起きたあの象徴的事件である、9.11の貿易センタービル爆破事件の72年前には、1929年のアメリカ発の世界大恐慌が起こっている。この年も2001年と同じく、それまでのアメリカの繁栄が突然崩れ去った年だった。

 人間にとって、このリズムには単なる周期以上の重要な意味がある。世界大恐慌も、関東大震災も、次にくる変動への予兆なのである。1995年から始まる72年間は、1611年に一度の節目の72年間であり、この期間に起こることは、1611年の周期に結びついている。さらに言えば実際には現代人は今、1611年どころではないもっと巨大な周期の節目の中にある。地震というものは、シュメールの象徴学の上では、未来を示すと同時にエネルギーの充填(じゅうてん)を意味している。
 関東大震災の後、震源地の東京が焼け野原から世界都市へと発展したが、しかしこれは、これから起きる本物の変化の雛形(ひながた)にすぎない。1995年に阪神淡路の135.0度で起きたあの地震は、今後、その場を主体に世界的な文化が脈動することを意味している。
 これは巨大なリズムであるので、その変化は大きく緩やかな波となる。まだ人間にはその兆候すら認識できないでいるが、それは必ず起こるのである。このようなリズムが無数に関わりあって人類社会は進展する。
 現代人は今、16/1リズムである1611年の転換と、4/1リズムの転換が重なった、人類最大規模の転換期に差しかかっている。かつての6444年(1611×4)の人類文明とはまったく異なる世界が、すでに胎動を始めているのである。


シュメールの人生学では、死とは進歩への絶対条件-------------------------------------------------

 人類の文明は(1611年の内、昼に当たる)800年の寿命を持つが、それは今の文明はいったん破局を迎え、そこに住む人たちが消滅するという意味ではなく、その文明の権威や固有のカラーが消失することを指している。具体的には、ロンドンを拠点として誕生した文明の権威とカラーの消失である。
 死といえば、人間は恐怖を感じるが、シュメール人はそれを成長のステップと考えていた。魂は小さな死や大きな死を繰り返しながら進歩する。冬至や夏至、満月や新月が来るたびに、魂は小さな死を迎え、古い何かを捨てて、新しい何かを誕生させる。現代人はこのような魂の躍動に鈍感になってしまったが、しかし依然として人間の魂にはそのリズムが確実に脈打っている。
 聖なるリズムの節目の前には、シュメール人は古いものを捨てることを心がけてきた。死と生の象徴が意味することは、古い自分自身を捨てることである。古い思い、古い観念、執着心、うまくゆかなくなった出来事、マンネリ化したと感じられる対象や物、滞ってしまった心や体の状態、それらを潔く捨てることを、これらの時期に人間の魂は望んでいるのである。
 それらを捨てれば捨てるほど、魂はその節目に新しいものを得る。人間の中で目を見張るような進歩をする人がいれば、その人を観察してみるとわかるであろうが、彼らは例外なくこれを無意識に実行しているはずである。
 現代人は今までの文明の古い要素を、いさぎよく捨てなければならない。捨てれば捨てるほど(つまり小さな死を重ねれば重ねるほど)、人間は新しい躍動を手に入れることができる。シュメールの人生学では、死とは進歩への絶対条件なのである。


与えられる思念に対するシュメールの神官の認識----------------------------------------------------

 シュメールの叡智を保つ者たちは、「聖なるリズム」を自分の利益のために用いることをしなかった。なぜならそれは必ず、反作用を引き起こすことを知っていたからである。
 日本人がする「年末の大掃除」の習慣は、シュメールの習慣に近いものがある。これを10日早く行なえば、自然のリズムに重ねることができる。この期間に不要な物を捨てると同時に、心における過去も捨て、澄み切った魂になることは自然のリズムにかなっている。このことをもっと大きなリズムで行なうべき時に、今、現代人はいるのである。

 人間の努力には、本筋から外れた努力というものがある。現代人の中には、そうした努力によって自分を見失っている人が大勢いる。現代の文明にしがみついている人々もそうである。一度頂点に達した文明が死期へと至るとき、なおもそれにしがみつこうとした人々は、過去の文明でもたくさんいた。一度握った権力を手放さず何とか維持しようとする人々、死期にあることに気づかず、今からそれを追いかけようとする人々は、そうした生き方によって結局、過去においても自らを失うことになった。つまり、その努力そのものが、彼らを宇宙のリズムから引きはがすのである。
 宇宙のリズムに合致した努力には必ず、あふれ出るような使命感や躍動感、爽快感を伴うものである。それらが感じられない努力は、いかなる努力であろうとも、宇宙のリズムから外れている。
 シュメールでは、人間の思いである思念は神から与えられるものと考えられていた。与えられた思念である以上、それは必ず宇宙のリズムに合致する。つまりそれを受け取るためには、受け取るための魂の空間を用意しなくてはならないというのが、シュメールの神官の思考に対する認識であった。
 そのようにして用意された空間に、節目(ふしめ)の時には必要な思念が舞い降りる。そしてその思念は、次のサイクルに向けて強い創造力を発揮するのである。自ら作り上げた思念によっても物事は成就することができるが、しかしそれらは長期的には宇宙のリズムを壊すのである。
 思念というものは、心が空白でありさえすれば、必ず各人にもっとも必要なものが与えられるようにできている。それは自ら作り出すものではないことを現代人は知らなければならない。それを受け取るべき「時の中心点」が、「節目の時」である。
 宇宙の星々は自らの主張のためにスピンするのではない。星々は中心の力にうながされ、その力に自らをゆだねることによって行なわれるスピンという自己完成の悦びに打ち震える。宇宙の存在は、波に自らをゆだねるサーファーのようなものであり、いかにゆだねられるかですべてが決まるのである。
 宇宙は、必要なところに、必要なだけの、必要な配置を与える。その計算に狂いはない。しかしながら、個人の意志で何かを目指し、個人的な思いの力でそれを実現しようとする者であふれる時、それはすでに、思念の次元に摩擦と闘争を生み出しているのである。


マンモス------------------------------------------------------------------------------------------------------

 また、この頃まで地球でマンモスが生きていた。ロシアの北極海のランゲル島で化石が見つかっている。

■紀元前5000年頃

イラクの運輸大臣「世界初の空港を建設したのはシュメール人」---------------------------------

 2016年、イラクの運輸大臣カージム・フィンジャーン氏が、イラク南部ジーカール県で開かれた新空港の開港会見で、「世界初の空港は7000年前(紀元前5000年)にシュメール人によって、この場所、ジーカール県に建てられました。」「シュメール製のUFOはここから他の惑星に向けて飛び立ち、冥王星にまで到達していた。」と発言。英「The Independent」紙やアラブ首長国連邦の国際ニュース「アル=アラビーヤ」に取り上げられた。
 この時代までにアヌンナキは世界中に空港を作っていたので、この世界初の空港というのは現代の一般的な常識の歴史の中での、ということになる。



■紀元前4900年頃

エリドゥの街並み-------------------------------------------------------------------------------------------

 この頃、大洪水の後やってきたツラン民族が中東にも定住しており、都市が存在した。トルコのチャタル・ヒュユク、パレスチナのエリコのテル・エッ・スルタンの遺丘、メソポタミアのエリドゥなどであり、エンリル派の管轄下であった。


 エリドゥはシュメール文明の中でも、最古の遺跡である。当時、街では何百人もの人が行きかっていた。そこには黄色人種に近い人々が多かったが、それ以外にも多種多様な人種の人々がいて、まるで国際都市を見るような光景であった。多くの人々は諸外国から来た人々である。ここが世界の中心でもあるかのような華やいだ雰囲気が漂い、神殿から離れた向こうの方ではさまざまな物品が売られていた。その向こうに見える町並みや近隣の公共の建物と思われるものを含め、まさにその光景は大規模に繁栄した世界的な都市の姿であった。遠方は豊かな緑に囲まれていた。美しい神殿の前には巨大な門があり、多くの人々がその神殿へ参拝しており、その光景はちょうど、参拝客でにぎわう日本の新年の神社にどこかしら似ていた。しかしその規模は桁違いで、世界中から集まって来たようなさまざまな人種の人々が、真摯(しんし)な姿で神殿に向かっていた。



■紀元前4700年頃

アヌンナキによる中国の紅山(こうさん)文化や仰韶(ぎょうしょう)文化--------------------------

 紀元前4700年頃〜紀元前2900年頃まで、ツラン民族の紅山文化(こうさんぶんか)が、中華人民共和国河北省北部から内モンゴル自治区東南部、遼寧省(りょうねいしょう)西部に存在した。紅山文化では農業が主で、家畜を飼育しての畜産も発達しておりブタやヒツジが飼われた。一方では狩猟や採集などで野生動物を狩ったり野草を採ったりすることもあった。
 紅山文化の墳墓からは、ヒスイなどの石を彫って動物などの形にした装飾品が多く出土している。ブタ、トラ、鳥のほか、龍を刻んだものも見つかっている。工芸の水準は高く、紅山文化の大きな特徴となっている。
 ヒスイの出土品の中には、目が大きな宇宙人を思わせる像も出土しており、紀元前3000年頃にマヤ文明で作られるイナンナの像に似ている。




 同じく紅山(こうさん)文化やその他の地域からも、マヤ文明の像と同じイナンナを表す胸を触った像や、下半身が太い像が出土している。下記の図の出土位置を見れば、この時代、イナンナは中国の各地域に現れていたことがわかり、中国の黄河文明(前7000年〜前1600年)もアヌンナキによるものだと理解できる。


 紀元前5000年から紀元前3000年の中国の仰韶文化(ぎょうしょうぶんか)からは、フクロウの出土品も多数発見されている。フクロウはイナンナのシンボルである。出土品の1つには黄金比の渦模様があり、ナスカの地上絵の猿のシッポの黄金比や、ボリビアのプマ・プンクのお面の渦の黄金比、世界中で見られるペトログリフの渦の黄金比と共通している。つまりアヌンナキによるデザインだということがわかる。





■紀元前3800年頃

ドゥムジとイナンナの愛-----------------------------------------------------------------------------------

 この頃、祝福された出来事として始まり、恐ろしい事件として終末を迎えた出来事があった。エンキの一番下の息子ドゥムジは、ナンナルの娘イナンナを好きになった。エンリルの孫娘イナンナは、牧羊(ぼくよう)の主に魅了された。見境を知らない愛が彼らを飲み込んだ。情熱で彼らの心は燃え上がった。その後長い間数多くの愛の歌が歌われたが、イナンナとドゥムジの愛の歌はその最初だった。彼らは歌により彼らの愛を語り合った。


 エンキは一番下の息子ドゥムジにアブズの上の大きい領土を与えていた。それは「黒い土地」という意味のメルッハがその名前だった。そこはエジプトのアスワンからスーダンの北部までの古代王国ナビアの場所だった。高地には木が茂り、水は豊富だった。大きい雄牛が川の葦(あし)の間を歩き回り、蓄牛の数は膨大だった。山からは銀が採れ、銅は金のように光り輝いていた。ドゥムジはとても愛されていた。アサル(オシリス)の死後エンキの最愛の子だった。マルドゥクは一番下の弟に嫉妬した。
 イナンナは両親ナンナルとニンガルに愛されていた。エンリルは彼女の揺りかごのそばに座った。彼女は表現できないほど美しかった。武術でアヌンナキの英雄と彼女は競い合った。天の旅行と天空の船について兄弟のウツから彼女は学び、彼女自身の飛行船を地球の空を飛び回るため、アヌンナキは彼女に贈った。


 大洪水のあと、着陸場のプラットフォームで、ドゥムジとイナンナは互いに目を交わした。エクル(ピラミッド)の奉納の儀式のとき、彼らは心温まる出会いをした。彼らは最初躊躇した。彼はエンキの一族、彼女はエンリルの子孫だった。ニンハルサグが氏族間の論争に平和をもたらしたとき、イナンナとドゥムジは何とか他の人たちから離れた所で一緒になることができ、互いに愛を告白した。彼らは一緒に散歩しながら、甘い愛の言葉を互いに語った。並んで横になり、心と心で語り合った。彼女の腰のまわりにドゥムジは腕を回し、野性の雄牛のように彼女を欲しがった。彼女は優しく彼に口付けし、それから彼女の母親のことを彼に告げた。
「母にどんな言い訳をしたらいいのかしら?あなたはニンガルに何と言いますか?私達の愛を母に伝えましょう。喜んで杉の香水を私達に振りかけてくれるでしょう!」

 イナンナの母ニンガルの住居へ、恋人たちは行った。ニンガルは彼らを祝福した。イナンナの母はドゥムジを認めた。
「ドゥムジ様、あなたはナンナルの義理の息子になる資格があります」
と、彼女は彼に言った。ドゥムジはナンナル自身により花婿として歓迎され、イナンナの兄弟ウツは、「そうあれかし!」と言った。
「この結婚により氏族間に本当の平和がもたらされればいいが!」
 エンリルは皆に言った。

 ドゥムジが愛と婚約について父親と兄弟たちに話したとき、ドゥムジの兄弟たちはマルドゥクを除いて全員、その結婚を喜んだ。ギビルは婚約用の金のベッドを作り、ネルガルは青い色の宝石を贈った。イナンナの好きな果物、甘いナツメヤシの実を、彼らはベッドの横にたくさん置いた。その果物の下に宝石の数珠球(じゅずだま)を彼らは隠した。イナンナが発見するのを期待して。


ドゥムジの死-------------------------------------------------------------------------------------------------

 習慣として、イナンナに香水をつけ衣服を着せるためドゥムジの姉妹が送られた。ゲシュティナンナが、義理の姉妹となるべき彼女の名前だった。

 イナンナは心に浮かんだこと、ドゥムジとの将来について、彼女に話した。
「偉大な国家の夢を私は抱いています。ドゥムジは偉大なアヌンナキとしてそこで立ち上がるでしょう。私達は皇子の地位を分かち合い、反乱する国家があれば一緒に鎮圧します。私はドゥムジに状況を報告し、国を正しく導きます!」
 イナンナの支配と栄光の夢が、ゲシュティナンナにより彼女の兄マルドゥクに報告された。イナンナの野心はマルドゥクの心を動揺させ、彼はゲシュティナンナに秘密の計画を告げた。ゲシュティナンナは、兄弟ドゥムジの所、羊飼いたちが住んでいる所へ行った。美しく着飾り香水をつけた彼女は、兄弟ドゥムジに次のように言った。
「あなたの若い妻と抱擁しながら眠りに入る前に、あなたは姉妹を通して合法的な継承者を得なければなりません!イナンナの息子は継承権への資格を得るべきではありません、あなたのお母様の膝の上では彼は育てられないでしょう!」
 彼女は彼の手を自分の手の中に置き、彼の体に自分の体を押し付けた。
「弟よ(又は兄さん)、私はあなたと一緒に寝ます。花婿よ、あなたにより私達はエンキの仲間をもうけます」
 高貴な子孫を自分の胎(たい)からもうけるため、ゲシュティナンナはドゥムジにそう囁いた。ドゥムジは彼女の胎に精液を注いだ。彼女に愛撫されながら彼は眠りに落ちた。夜中ドゥムジは夢を見た。死の前兆を彼は見た。夢の中で7人の強盗が彼の住居に侵入するのを彼は見た。「主人が我々をあなたのもとへ送った。」
 彼らは言った。
「彼らは彼の雌羊を追い出し、子羊や子山羊も追い払った。彼らは彼の頭から領主のかぶりものを剥ぎ取り、王の衣服を彼の体から引き裂いた。彼らは羊飼い用の杖を折り、台の上に載っていたコップを投げ捨てた。裸で素足の彼を彼らは捕まえ、鎖で彼の手を縛った。“皇子の鳥と鷹”の名に誓い、彼らは彼を殺すため置き去りにした』
 驚き狼狽したドゥムジは真夜中に目を覚まし、ゲシュティナンナにその夢について話した。
「それは余りいい夢ではありません」
 ゲシュティナンナは心を乱しているドゥムジに言った。
「あなたが私を強姦(ごうかん)したと言ってマルドゥクはあなたを非難し、彼はあなたを逮捕するために悪の密使を送るでしょう。彼はあなたを審理し、はずかしめるよう命令するでしょう、エンリル一門との連絡係を断ち切るために。」
 ドゥムジは傷ついた獣のように唸り声を上げ、「裏切り者!裏切り者!」と叫んだ。
 イナンナの兄弟ウトゥ(ウツ)に、「助けてくれ!」とメッセージを送った。魔よけのために父エンキの名前を彼は唱えた。「蛇の砂漠」とも呼ばれるエムッシュ砂漠を通って、ドゥムジは逃げた。悪人たちから身を隠すため彼は大きい滝のある場所へ向かって走った。水がほとばしっている所の岩は滑らかで滑りやすく、ドゥムジはそれに足を滑らせて落ちた。急流は魂の抜けた彼の体を白い泡の中に飲み込んだ。


エンキの苦悩-------------------------------------------------------------------------------------------------

 魂の抜けたドゥムジの体を大きい湖(ビクトリア湖)からニナガルが引き上げると、その体は下の方のアブズ(アフリカ南端)にあるネルガルとエレシュキガルの住居へ運ばれた。

 エンキの息子ドゥムジの死体は、石板の上に置かれた。その出来事についてメッセージがエンキへ送られると、エンキは服を引きちぎり、額に灰をかけ、「息子よ!息子よ!」と、彼はドゥムジのために嘆き悲しんだ。
「どういう罪の故にこういう罰を私は受けるのか?」彼は声を張り上げて尋ねた。
「私がニビルから地球へやって来たとき、私の名前はエア、「水を家とする者」だった。天の戦車の推進力を私は水から得、そして海に着水した。それから大津波により地球は飲み込まれ、孫のアサル(オシリス)は海で溺れ、今ドゥムジは水で命を落とした。私は全てのことを、正しい目的を持って行った。どうして私は罰せられるのか、どうして運命は私を見捨てるのか?」
 そうエンキは嘆き悲しんだ。ゲシュティナンナから事の真相を聞いたとき、エンキの苦悩はさらに増した。
「長子マルドゥクもその行為により苦しむようになる。」
 
 “下の方のアブズ”にあるネルガルとエレシュキガルの住まいに遺体が運び込まれたので、冥界は下の方にある、あるいは天に対して地の底にあると考えられるようになった。それが、後に天国と地獄というような概念へと変貌した。



イナンナ(イルニンニ)の冥界下りと“復活”--------------------------------------------------------------

 ドゥムジの死に、イナンナ(イルニンニ)は悲しみに明け暮れた。彼女は遺体が安置され、姉のいる“下の方のアブズ”に急ぎ、遺体を埋葬するために引き取りに行った。彼女の姉はイナンナ(イルニンニ)の到着を知ると、常道を外れた企みがあるのでは、と疑った。そのため、7つの門毎に、イナンナ(イルニンニ)は装具と武器を1つずつ取り上げられた。そして、エレシュキガルの前に、衣服を脱がされて無力で引き出され、ドゥムジの兄ネルガルによって世継ぎを得ようと企んでいた、と糾弾された。その思いに取り憑かれたエレシュキガルはイナンナ(イルニンニ)の説明に耳を貸さず、自分の高官ナムタルに、6つの病気を解き放つよう命じた。

 イナンナ(イルニンニ)がいなくなったことを、彼女の両親は心配した。ナンナルがエンリルに事情を知らせ、エンリルがエンキにメッセージを送った。エンキはネルガルから、何が起こったのかを聞いた。エンキはアブズの粘土で、血を持たず、死の光線によって傷を受けない2人の宇宙人グレイの密使を形作り、彼らをエレシュキガルの下に送った。

 彼らがエレシュキガルの前に現れると、彼女は彼らの容貌にとまどった。「お前たちはアヌンナキか、それとも地球人か?」
 ナムタルが魔法の電力の武器を向けたが、2人の密使は傷つかなかった。ナムタルは彼らをイナンナ(イルニンニ)のところへ連れて行った。彼女は杭に吊るされていた。密使たちは“プルセル”と“エミッテル”を向け、「生命の水」を彼女に降り掛け、「生命の植物」を彼女の口に入れた。すると、イナンナ(イルニンニ)は動き出し、蘇った。
 2人の密使がイナンナ(イルニンニ)を連れ戻そうとしていると、彼女はドゥムジの遺体を一緒に運んでいくよう指示した。そして、取り上げられた装具と武器は戻された。ドゥムジの住まいだった場所に遺体は運ばれ、真水で洗われ、香(かぐわ)しい油が塗られ、赤い経帷子(きょうかたびら:故人に施される衣装)が着せられ、ラピスラズリの厚板の上に安置された。それから、彼を眠りに就かせる場所を岩に掘り出した。そこで“眠りから覚める日”を待つために。

 これは色々な神話の冥界下りそのもので、しかも、イエスの話そのものである。神宮に十字架が無かったら、イエスの逸話はこれを基に創った創作、と言えてしまう。そしてイナンナ(イルニンニ)のシンボルは金星で、イエスも明けの明星である。そして、両者とも木に吊るされて死んで、復活した。だから、この木がまさしく「生命の樹」である。
 そして、ドゥムジの遺体には赤い経帷子(きょうかたびら)が着せられた。経帷子(きょうかたびら)とは、一般的に仏教における白い死装束(しにしょうぞく)のことだが、マタイ福音書の中では、イエスが赤い外套(がいとう:英語でオーバーコート)を着せられ、茨(いばら)の冠を被せられ、葦(あし)の鞭(むち)で打たれた、とある。それから、ドゥムジの遺体は“眠りから覚める日”を待つために洞窟の横穴に葬られたが、イエスは処刑後に洞窟の横穴に葬られ、3日後に復活した。このように、イナンナ(イルニンニ)とドゥムジの物語には、イエスの象徴が多くある。伊勢神宮に聖十字架が安置され、日本が千数百年にわたって秘守してきたという“事実”があるが、それを知らなければ、イエスの話は創作である、と断定できてしまうほどの内容である。

 また7つの門毎に、イナンナ(イルニンニ)が装具と武器を1つずつ取り上げられたのは、インドの7つのチャクラと関係がある。インダス文明の創造神はイナンナ(イルニンニ)である。「生命の樹」は7段階に区分できる。一番下の段階は“精神の地獄”で、至高世界、中高世界、下層世界の三界には含めないので、7段階となる。7段階目を脱ぎ終えて冥界の女王の前に立っていることは、7段階を経て“精神の地獄=冥界”に達した、ということである。“復活”とは、カバラ的には「生命の樹」を上昇していくことに他ならない。

 そして、この「生命の水」こそが御神水の根源で、水が神聖視されるのである。イナンナ(イルニンニ)が掛けられて復活した木は「生命の樹」と見なせ、そこに「生命の水」を灌(そそ)ぐという形。この水はエンキが遣(つか)わしたから、洗礼の水でもある。これは更にデフォルメされ、鷲(わし)人間が「生命の樹」に水をやる図として描かれている。

 この図の「生命の樹」はナツメヤシである。中東では古来から、ナツメヤシが「生命の樹」と言われてきた。実は栄養豊富で、種子から取れる油は石鹸や化粧品として、葉は帽子や敷物、仕切り布、籠(かご)、団扇(うちわ)などに、幹は建材や燃料として用いられ、中東では欠かせない植物である。
 特にナツメヤシの葉はキリスト教での「シュロの主日」で使用される。これは復活祭の1週間前の日曜日で、イエス・キリスト受難直前の、エルサレム入城を記憶する祭りである。ナツメヤシの学名はフェニックスで、それは不死鳥“火の鳥”をも意味し、イナンナ(イルニンニ)を暗示して、ナツメヤシはイナンナ(イルニンニ)が好物だった。ナツメヤシも、イナンナ(イルニンニ)とイエスに共通の物なのである。更に、ユダヤ教では「仮庵(かりいお)の祭り」で新年初めての降雨(こうう)を祈願する儀式に用いる4種の植物の1つである。

「生命の樹」には「生命の水」が欠かせないことから、イナンナ(イルニンニ)はユダヤ教にも大きな影響を与えている。「生命の樹」のセフィロトは、隠されたダアトも含めて11個。これをシンボル化したものが、木製の十一面観音である。この「生命の樹」に水を掛けることをデフォルメしたのが東大寺のお水取り。十一面観音にお香水という神聖な水を捧げて懺悔(ざんげ)する。つまり、神道と仏教は習合しても問題無かったのである。
「お水取り」として知られている東大寺の修二会(しゅにえ)の本行は、二月堂の本尊十一面観音に、練行衆(れんぎょうしゅう)と呼ばれる精進潔斎(しょうじんけっさい)した行者がみずからの過去の罪障(ざいしょう)を懺悔(ざんげ)し、その功徳により興隆仏法、天下泰安、万民豊楽、五穀豊穣などを祈る法要行事が主体である。修二会(しゅにえ)と呼ばれるようになったのは平安時代で、奈良時代には十一面悔過法(じゅういちめんけかほう)と呼ばれ、これが今も正式名称となっている。関西では「お松明(おたいまつ)」と呼ばれることが多い。


イナンナ(イルニンニ)の怒り------------------------------------------------------------------------------

 イナンナはエンキの住まいに行き、マルドゥクの死を要求した。「もう、死は十分だ!マルドゥクは扇動者だが、殺人には関与していない」エンキにマルドゥクを罰する気が無いことを知ると、イナンナは両親とウツのところに行った。彼女は天に届くほどの声で嘆き悲しんだ。「正義を!正義を!復讐を!マルドゥクに死を!」
 エンリルの住まいに、彼の息子たちも合流した。戦いの会議のためである。ニヌルタ(アラム・ムル)は厳しい措置を主張した。マルドゥクとイギギが交わした密約を、ウツは報告した。「邪悪な蛇、マルドゥクを地球から取り除かなければならぬ!」とエンリルは賛同した。

 マルドゥクの引渡しの要求がエンキに為されると、エンキは息子たちを集めて言った。「最愛のドゥムジのことを悼(いた)んではいるが、マルドゥクの権利は守ってやらなければならない。マルドゥクは邪悪な行いを唆(そそのか)したが、ドゥムジは不運によって死んだのだ。ニヌルタ一味によって殺されないよう、守ってやらなければならない」
 その父の言葉に賛同したのは、ギビルとニナガルだけだった。

 邪悪な蛇、特に西洋で嫌われている蛇の根源はマルドゥクだった。東洋では、神の使いあるいは神自身とされる良い蛇と、このような邪悪な蛇がある。それは、こういう話が大元なのである。この蛇は龍にも例えられ、マルドゥクこそが本来のサタンの原型である。マルドゥクを守ることに、ニンギシュジッダは反対だった。つまり、良い蛇はニンギシュジッダということである。

 2つの氏族の間で前代未聞の残酷な戦争が勃発したのは、その後のことである。地球人の子孫であるホロンとサトゥの間の闘いとは違っていた。ニビル産まれのアヌンナキ同士の闘いが、ニビル以外の惑星で行われた。イナンナにより戦争の火蓋は切って落とされた。
 彼女は飛行船に乗ってエンキの息子たちの領土へ向かった。彼女はマルドゥクに闘いを挑んだ。ニナガルとギビルの領土へ彼を追跡した。ニヌルタは彼女を援助するため「嵐の鳥」から敵の砦めがけて致死光線を放った。イシュクルは空から焼却光線と粉砕落雷で攻撃した。アブズで彼は川から魚を追い出し、野の家畜を追い払った。それからマルドゥクは、北へ、人工の山(ギザのピラミッド)のある場所へ後退した。
 彼を追跡したニヌルタは、居住地へ毒のミサイルを雨のように降らせた。彼の「引き裂く武器」により、その土地の人々は感覚を失ってしまった。川の水を運ぶ運河は、血で真っ赤になった。イシュクルの光り輝く兵器は夜の暗黒を燃えるような昼に変えた。壊滅的な闘いが北上すると、マルドゥクはエクル(ギザのピラミッド)の中に身を隠した。
 ギビルはそのため見えないシールド(遮蔽幕:しゃへいまく)を考案し、ネルガルは天に向けて全ての物を見る目を持ち上げた。イナンナは「光り輝く兵器」で、角型アンテナにより方向を定めて、その隠れ場所を攻撃した。ホロンは祖父を守るためにやって来た彼女の「光り輝く兵器」で、彼の右目は損傷を受けた。ウトゥ(ウツ)がイギギとその地球人の軍勢を第四地域ティルムン(シナイ半島)の向こうに引き留めている間に、人工の山(ギザのピラミッド)の麓ではアヌンナキ同士が、それぞれの氏族を支援してぶつかり合った。
「マルドゥクを引き渡せ、流血を終わりにしよう。」
 そうエンリルはエンキへメッセージを送った。


イナンナ一族とマルドゥクの戦い------------------------------------------------------------------------

 イナンナは、彼女の“空の船”でエンキの息子たちの領土を侵犯(しんぱん)した。彼女はマルドゥクに戦いを挑み、ニナガルとギビルの領土まで彼を追跡した。ニヌルタ(アラム・ムル)が援護し、“嵐の鳥(空中戦闘機)”から敵の要塞(ようさい)に破滅的なビームを照射した。イシュクルは、空から灼熱の稲妻と粉砕する嵐で攻撃した。彼はアブズで川から魚を押し流し、草原の牛を追い散らした。

 マルドゥクはエクル(エジプトのピラミッド)の方へと逃げた。彼を追って、ニヌルタ(アラム・ムル)は居住地に毒入りミサイルを雨嵐のように降らせた。彼の“引き裂く武器”は人々の感覚を奪い、川の水を運ぶ運河は血に染まった。イシュクルの光輝が、夜の闇を燃え立つ昼に変えた。
 そして、マルドゥクはとうとう、エクル(ピラミッド)の中に逃げ込んだ。ギビルは目に見えないシールドを張り巡らし、ネルガルはすべてお見通しの目を空の方へ上げた。向きをつけた角によって、“光輝の武器”でイナンナは隠れ家を攻撃した。祖父マルドゥクを守ろうとしたホロン(ホルス)は、その光輝で右目を負傷した。イギギと手下の大勢の地球人をティルムンの向こうでウツが寄せ付けずにいる間、エクル(ピラミッド)ではアヌンナキ同士が戦いあった。「マルドゥクに降伏させよ!」エンリルがエンキにそう言った。「兄弟同士で話し合いなさい!」とニンフルサグが言った。
 エクル(ピラミッド)では、マルドゥクが最後の抵抗を続けていた。その滑らかな側面により、イナンナは攻略しあぐねていた。その時、ニヌルタ(アラム・ムル)が秘密の出入り口、北の側面に回転する石を見つけた。そこから真っ暗な廊下をニヌルタ(アラム・ムル)は潜り抜け、広い回廊に辿り着いた。そのアーチ型の天井はニビルのクリスタル(水晶)の色とりどりの放射で、虹のように輝いていた。中ではマルドゥクが武器を持って待ち構えていた。ニヌルタ(アラム・ムル)は武器で応戦し、クリスタル(水晶)を砕きながら回廊を進み続けた。上の部屋、“巨大な脈動する石”の場所へマルドゥクは後退し、その入り口でスライド式の石の錠を下ろした。
 イナンナとイシュクルがニヌルタ(アラム・ムル)に続いて進入し、彼らは次の手を考えた。「あの部屋をマルドゥクの石の棺としよう!」とイシュクルが提案した。彼は遮断用の石が3つ、いつでも下に滑ってくるよう準備されていることに気が付いた。「生きながらにして葬られる、ゆっくりとした死をマルドゥクに宣告しましょう!」とイナンナは同意した。彼らは回廊の端で、その遮断用の石を解き放ち、マルドゥクを墓の中に封印した。

 ニヌルタ(アラム・ムル)とイシュクルは軍神であり、イナンナは戦う女神である。また、ホルスが右目を負傷した話の原型はここで登場する。ホロンの右目が、イナンナの“光輝の武器”によって負傷したのである。
 もともとピラミッドの内部はニビルのクリスタル(水晶)などで覆われ、虹のように輝いていたのである。こうしてピラミッドはマルドゥクの墓と化してしまった。


マルドゥクの追放-------------------------------------------------------------------------------------------

 マルドゥクは生きたまま葬られた。地上では、彼の妻サルパニトが泣いて訴えた。エンキの下へ行き、「生きている者たちの下へ、マルドゥクを戻すべきです!」また、イナンナへの取り成しができるウツとナンナルの下へも、償いの服を着て行った。「マルドゥクに命を与えたまえ!支配権は放棄しますから、慎(つつ)ましく人生を続けさせて下さい!」と懇願した。
 イナンナは「私の最愛の人の死の咎(とが)を受け、扇動者は死ななければなりません!」と突っぱねた。
 仲介者ニンフルサグはエンキとエンリルを呼び寄せた。「マルドゥクは罰せられなければなりませんが、死には根拠がありません。生きたまま追放しましょう。地球の覇権(はけん)は、ニヌルタ(アラム・ムル)に一任しましょう」と言った。この言葉に、エンリルは喜んだ。こうしてすべての覇権はエンリルの手中に入った。エンキは打ち沈んだが、アフリカには荒廃が広がっており、ドゥムジの喪に服しているので、その意見に賛成した。エンリルは言った。「平和を取り戻し、マルドゥクを生かしたいのなら、拘束力のある協定を結ばなければならない。天と地球を結ぶすべての施設は、私の手だけに委ねられること。“2つの峡谷の土地(エジプト)”は、お前の息子に与えること。マルドゥクに従ったイギギは、“着陸場所”を諦めて立ち去ること。そして、“戻れない土地”へ、ジウスドラの子孫が住んでいないところへ、マルドゥクは追放されること」エンキは頭を垂れて納得した。エクル(エジプトのピラミッド)の内部を知るのはニンギシュジッダ(トト)だけだったので、彼がその土地の支配者となった。


 マルドゥク救出のため、ニンギシュジッダが呼ばれた。生きたまま埋葬された者を救うという難題を、彼は与えられた。何とか、上部に開口部を切り出すことにより、救出できることが判った。
「私が指示する場所に石を切り出し、そこから上に曲がりくねった通路を通って救出シャフトを作るのです。隠れた空洞を伝ってエクル(ピラミッド)の真ん中に出られます。石の中の、渦巻状の空洞を突き破るのです。内部への入り口は爆破して開けます。大回廊まで進み、3本の閂(かんぬき)を引き揚げ、最上部の部屋、彼の死の監獄に到達します」とニンギシュジッダは言った。


 彼の指示通り、アヌンナキは最上部の部屋に辿り着き、気絶していたマルドゥクを何とか救出した。外ではサルパニトとナブ、エンキが待っていた。マルドゥクが目を覚まし、エンキが解放の条件を伝えると、マルドゥクは激怒した。
「生得権(せいとくけん)が剥奪されるぐらいなら、死んだ方がましだ!」
 サルパニトが彼の腕をナブに押しやり、「私たちは、あなたの未来の一部なのよ」と穏やかに言った。「私は宿命に屈した」と、マルドゥクは聞き取れないような声で言った。彼はサルパニトとナブを連れ、角のある獣たちが追い立てられた場所へ旅立った。


ピラミッドの破壊-------------------------------------------------------------------------------------------

 マルドゥクがいなくなった後、ニヌルタ(アラム・ムル)は再びシャフトからエクル(ピラミッド)に入った。水平な廊下を通って、彼はエクル(ピラミッド)の外陰部へ行った。その東の壁で、“運命の石板”が赤く輝いていた。「この力が、私に殺しの追跡をさせるのだ!」と叫び、自分の副官たちに破壊するよう命じた。ニヌルタ(アラム・ムル)は引き返し、大回廊を抜けて最上部の部屋に行った。くり抜いたチェストにエクル(ピラミッド)の心臓が鼓動しており、5つの区画によって増幅されていた。ニヌルタ(アラム・ムル)はそれを指令杖で叩き壊した。また、方角を決定するググ石を運び出し、自分の選んだ場所に持って行くよう指示した。
 大回廊を歩きながら、ニヌルタは27組のニビルのクリスタル(水晶)を調べた。マルドゥクとの戦いで多くは傷ついていたが、無傷のものもあった。丸ごと残っているものは取り除き、他のものはビームで粉砕した。ニヌルタ(アラム・ムル)は外に出ると、“黒い鳥”で舞い上がった。そして、エクル(ピラミッド)の頂上石は敵の象徴そのものだったので、武器で揺さぶってぐらつかせ、地面に落として粉々に砕いた。「これで、マルドゥクの恐怖は永久に終わった!」とニヌルタ(アラム・ムル)は勝ち誇って宣言した。「あなたはアヌのようだ!」と集まったアヌンナキは賞賛した。

 無能となった灯台の代わりに、“二輪戦車の場所”近くの山が選ばれ、クリスタル(水晶)が再配置された。その山はマシュ山、“至高の空のバーク船”と呼ばれた。ニヌルタ(アラム・ムル)にはエンリルの地位が与えられ、あらゆる土地でエンリルの代理となった。また、ヒマラヤ杉の山々にある“着陸場所”の支配権はイシュクルに与えられた。そこから南と東の土地、イギギとその子孫が広まっている場所はナンナルに与えられた。“二輪戦車の場所”と“地球の臍(へそ)エルサレム”の司令官はウツとなった。“2つの峡谷の土地(エジプト)”はニンギシュジッダに支配権が与えられたが、イナンナが反対し、亡くなったドゥムジの継承権を主張した。そして、自分自身の支配権をエンリルとエンキに要求した。
 どうしたら彼女の要求を満たすことができるのか、アヌンナキは熟考した。それと共に、どのように人類に対して威厳を保ち続け、どのようにして多数の者を少数の者に服従させるのか、アヌと意見を交わした。アヌは配偶者アンツと地球を来訪することにした。

 マルドゥクとの戦い後、ニヌルタ(アラム・ムル)によってピラミッド内部と冠石は破壊され、現在のようにもぬけの殻となった。彼の乗り物“黒い鳥”は現在のステルス機を思わせると同時に、導きの鳥“烏(からす)”の原型である。

 ウツは“二輪戦車の場所”以外に“地球の臍(へそ)エルサレム”も任された。ならば、エルサレムに最も縁の深い「神」はウツとなる。ウツのシンボルは太陽だが、それは粘土板では六芒星として描かれている。エルサレムはユダヤの聖地。ユダヤの最も重要な王はダビデ。ダビデの星と言われているのが六芒星である。


アヌの来訪---------------------------------------------------------------------------------------------------

 アヌの到着を待ち受ける間、アヌンナキはエディンに住まいを再建し始めた。エンキの最初の都エリドゥはおびただしい泥に覆われていたが、その上に新しいエリドゥが計画された。その中心の高くしたプラットホームの上に、エンキとニンキの住まい“凱旋する主の家”が建てられた。エンキはその聖域に“メ”の公式を保管した。新しいニブル・キも、かつてのニブル・キの上に建てられた。神聖な区域が壁で仕切られ、エンリルとニンリルの7階建ての住まい(ジグラット)が建てられた。エンリルは“運命の石板”をそこに置き、武器、土地を走査する“持ち上げられた目(レーダー)”やすべてを突き抜ける“持ち上げられたビーム(レーザー)”で保護した。中庭には、高速で進む“空の鳥”を置いていた。そして、アヌを迎えるための住まいがエディンの中で選ばれた。ウヌグ・キ(ウルク)、“快適な場所”と名付けられた。そこに木陰が造られ、純白の建物、7階建ての“アヌの家”が建てられた。


 アヌの二輪戦車が来訪すると、アヌンナキの“空の船”が誘導した。司令官ウツがまず出迎え、その後に指導者たちが続いた。彼らは再会を祝福しあった。そして、お互いを見て、年の取り具合を推し量った。両親はシャルとしては年上のはずなのに、子供たちの方が年上に見えた。2人の息子は老けて、髭面だった。かつて美人だったニンフルサグは、腰が曲がり皺(しわ)だらけだった。お互い涙が溢れたが、喜びと共に、悲しみの涙でもあった。

 ニビルと地球のアヌンナキの間で、ニビルと地球の公転周期の違いから、浦島太郎のような現象が実際に起きてしまったのである。浦島太郎は竜宮城で宴を満喫し、帰って来て玉手箱を空けたら、本来の年齢まで老けてしまった。つまり、竜宮城の時間サイクルが長いことを暗示している。これは、ニビルでは地球よりも寿命サイクルが長いことが原型となっていたのである。竜宮城とは海の神の世界。海の神の原型はエンキで、エンキがいた元々の世界はニビルである。こうして例え話として、浦島太郎の話が創られた。

 アヌは“アヌの家”へ招待され、体を流して貰って休憩し、香水をつけて服を着せてもらった。アンツは女性のアヌンナキに付き添われ、“黄金のベッドの家”へ行った。そして、アヌと同様の歓迎を受けた。宴席では、玉座の傍らにエンキ、エンリル、ニンフルサグが立った。そして、全裸の地球人たちが接客係としてワインや上等の油を給仕した。他の者たちは、中庭の隅でエンキとエンリルから贈られた牛と羊を炙(あぶ)っていた。

 宴の開始は天の印だった。エンリルの指示で、天に造詣の深いズムルという神官が“アヌの家”の階段を昇り、惑星の出現を告げた。最初の段でキシャル(木星)が東の空に現れ、ラーム(火星)が2段目で姿を見せた。3段目でムンム(水星)が、4段目でアンシャル(土星)が昇った。5段目でラハム(金星)が見え、6段目から月が知らされた。
 それから、ズムルの合図で讃歌“アヌの惑星が昇る”が歌われ、一番上の段から赤く後光の差したニビルが見えてきた。アヌンナキは音楽に合わせて踊り歌った。その合図で大篝火(おおかがりび)が灯され、あちこちの場所で煌いた。夜がふける前に、エディン全体が篝火(かがりび)で灯された。牛肉、羊、魚、家禽(かきん)の料理に続き、ワインとビールが添えられた。アヌンナキ全員がアヌとアンツから感謝の言葉を受け、宴が終わるとアヌとアンツは宿泊場所に戻った。

 この宴席では、人類は全裸でご奉仕した。これが後に、ローマ帝国などでの堕落の饗宴(きょうえん)となる。アヌとアンツの宿泊場所は別々だった。また、ジグラットは天体観測の場でもある。「神々」を迎えるのに篝火(かがりび)を焚く神道の御神事は、このニビル王来訪を祝しての宴が原型である。最も重要な御神事は、夜、篝火(かがりび)を焚いて行われるのである。現在日本では、全国各地で大篝火(おおかがりび)を用いた火祭りが催されている。


アヌンナキと人間のセックス-----------------------------------------------------------------------------

 再びニビルの神々が地球を訪れたとき、彼らにとって驚いたことに人間は女神崇拝を始めていた。どこを見ても女神という状態であった。そしてニビル人は自分たちが銀河連盟によって、地球への転生の権利を与えられていることを思いだした。ニビルは非常に父権主義的な惑星であったので、地球を自分たちが望む状態につくり変えることにした。
 そこで彼らは、人間と協同で女神の体を形どった神殿を建造し、男根を象徴する岩でストーン・サークルを造った。しかし人間はアヌンナキの神々に対して昔のように単純な見方をしなくなっていた。人間はプレアデス人に刺激されて、子供たちを愛し、女性的な芸術と美を愛し始めていたのである。
 氷河が北に退いていくと、アヌンナキは巨大な運河システムと水路を築いて「肥沃な三日月三角地帯」から排水する方法を教えたが、人間は渓谷や峡谷の地形を変えることを好まなかった。しかも神々に強制されたように感じていた。
 つぎに、アヌンナキは特に美しい人間の女性を選んで女神とした。それは彼女たちをセックスの相手に選ぶことで、自分たちが実際に地球の転生のサイクルを通して生まれようとしたのである。これはかつてない事態であった。「恒星」の存在が地球に転生するときは人間の「カー」と融合し、これまでの子供はシリウス人かプレアデス人との混血種として生まれていた。しかしニビルは「惑星」なので、アヌンナキの神々が子供を作るという形で転生サイクルに参加するには、人間との物理的融合を体験する必要があった。神々はこれに成功し、その結果、彼らの血は永遠に人間の血の一部になったのである。
 それと引き換えに、ニビルの女神ニンハルサグとイナンナが遺伝学や植物や種子の改良、動物の家畜化を人間に教えた。地球の女性は、人間の知性を向上させたアヌンナキの神々と女神たちに感謝し、生まれた子どもの非凡な性質に魅了された。このことは同時に、ニビル人との異種交配によって地球人の遺伝的潜在性を改善した。

 この頃までにおこなわれた異種交配は、単にニビル人が生き延びるためにのみ行われており、彼らは人間を実験動物のように扱っていた。そしてこの時期、人間が獲得した新しい立場に敬意を表すると称して、アヌンナキは空にそびえたつ巨大なジッグラトを建て、性的遭遇はそこで行われるようになった。これが地球の女性にセックスにおける苦痛をもたらし、また不適合な種を受胎したために生ずる困難な陣痛と分娩を体験させた。


 このときまで人間にとってのセックスはごく自然な行為であった。それに対してアヌンナキのセックスは強制的であり、エネルギーの親和力がまったくないため、不自然な要素が多すぎた。彼らにとって人間のクンダリーニ・エネルギーは新鮮な感覚であった。彼らは男神同士や数少ない女神ともさかんに交わった。(惑星ニビルは非常に父権主義的なので、神々の大多数は男性であった。けっして人口過剰にならなかったのはそのためである)。
 一方で、アヌンナキの女神が人間の男性と交わったという古代の伝説も少数ながら残っている。アヌンナキの身体は金属性だが、電線に電流が通るように、体内に流れる電気的エネルギーを感じた。

 今日の地球における男女間のアンバランスはすべて、古代に行われた相容れない融合体験が、エネルギー的に人間に刻印づけされた結果である。人間が持つ爬虫類に対する嫌悪感も、進化の歴史におけるこの時期からきている。アヌンナキが地球でまとった肉体のほとんどは非常に爬虫類的で、人間の女性と交わることができたのは彼らであった。エネルギーのアンバランスは余りに違いすぎて困難であった。
 アヌンナキは、そうした交配から生まれた兄弟姉妹を互いに交わらせることで、アヌンナキ遺伝子の純粋性を強化させ、同時に苦痛とストレスを軽減しようとした。現在の人間の男女のエネルギー的均衡を回復するためには、お互いのエネルギーバランスが良い時だけセックスをすることが良い。そのためには、細心の注意を払ってパートナーを選ぶことが重要である。少しでも強制的な性行為は、同性であれ、異性であれ、避けるべき重要な点で、それはアヌンナキとの性行為を思い出させるからである。

 アヌンナキが降りてきて地球の女性たちと交わる以前は、女性の体からは星々にまで届く光を発していた。しかしニビルの神々との性的遭遇は女性の魂を三次元の肉体に「たたきこんだ」。エデンの園における「無垢、汚れなさ」の喪失とはこのことである。女性たちは、多次元の接点である「カー」を失い、セックスか出産のためだけの肉体に閉じ込められてしまった。

 シュメール人は自分達のことをルル(混ぜ合わせて創られた者)と呼び、天から来た神々アヌンナキが人間との交配によるシュメール人を作り出した。


アヌとの対談とガルズについて---------------------------------------------------------------------------

 地球の数日間に亘(わた)ってアヌとアンツは眠り、6日目にアヌはエンリルらと話をした。エンリルの誓いによって地球人が拭い去られ、再び増殖したこと、新たな金の採掘場と“二輪戦車の場所”、アヌンナキ同士の平和と武力衝突などについて、アヌは知った。
 そして、エンキがガルズの石板について話した。アヌはとても困惑した。「私は、そのような名前の密使を地球に送った覚えなど無い」エンキ、エンリルは困惑し、皆、首を傾げた。「ガルズのおかげで、ジウスドラと生命の種子が守られたのです」とエンキが言った。「ガルズのおかげで、私たちは地球に残ることができたのです。ニビルに戻ったら死ぬことになる、と言われたのです」とエンリルが言った。アヌは訝(いぶか)しげだった。「サイクルがかなり変わるので大混乱を引き起こすが、万能薬(ワイン)で治るのだ!」「では、ガルズは誰の密使だったのですか」と、エンキとエンリルが同時に尋ねた。「誰が地球人を助けることを望み、誰が私たちを地球にとどめたのですか」「“万物の創造主”の代わりにガルズが現れたのだわ」とニンフルサグが頷いた。「地球人の創造も運命付けられていた、と思わざるを得ないわ」しばらくの間、4人は黙っていた。「我々が宿命を定める間ずっと、運命の手がすべての歩みを導いたのだ!」とアヌが言った。「ならば、“万物の創造主”の御意思は明らかだ。地球と地球人にとって、我々は使者に過ぎない。地球は地球人のものであり、我々は彼らを維持し、発展させるように意図されたのだ。それが使命ならば、しかるべき行動を取りましょう!」とエンキが言った。そこで、次のように決定が下された。

a:人類の都市を設置し、その中の神聖な区域にアヌンナキの住まいを造る。
b:ニビルのように王権を確立し、王冠と笏(しゃく)を選ばれた人間に与える。
c:アヌンナキの言葉は彼によって伝えられ、労働と器用さを強化する。
d:司祭職を制定し、アヌンナキを気高い「神」として崇拝させる。
e:秘密の知識を教え、人類に文明を伝授する。
f:4つの区域を造り、3つは人類のため、1つは立ち入り禁止区域とする。

 時代は少し後になるが、ゾロアスター教の最高神アフラマズダー(エンリル)から王権の象徴(王冠と笏)を授受されるアルダシール1世とされるレリーフに、その王冠と笏が彫られている。

 また、次のように決定も下された。
第1の地域(シュメール/エンリル)は昔のエディンであり、エンリルと彼の息子たちが支配する。
第2の地域(エジプト/エンキ)は“2つの峡谷の土地”で、エンキと彼の息子たちが支配する。
第3の地域(インド/イナンナ)は他の2つとは交流せず、隔絶地でイナンナに与えられる。
第4の地域(ティルム=シナイ半島)はアヌンナキだけの神聖な“二輪戦車の場所”の半島とする。


 このアヌとアンツが5日間眠り続けた話から、地球との生物学的周期がかなり異なることが解る。そして、このサイクルの変化は、ワインで治る。だから、ワインは西洋では重要視された。
 また、アダムゥとティアマトの創成、大洪水からの人類の救出の場面に続き、ここでも“万物の創造主”が登場している。アヌンナキは、宇宙創造の“万物の創造主”の御意思=宇宙の法則・宿命こそが唯一すべて、ということを知っているのである。だからこそ、ニビルの神殿で祀っていたわけである。
 そしてここで、人類に文明を伝授することが決定された。人類史では、農業の始まりがBC11000年、新石器時代の始まりがBC7500年、最初の文明開化がBC3800年であり、3600年前後の間隔で人類は段階的な発展を遂げている。ニビルの接近毎に、人類が消化しきれる程度の「知恵」が授けられたからである。シュメール文明開化後は、人類の自然な発展に任せたので、急激な文明の発展は見られない。というよりも、「神々」の助力により築いた文明レベルのものを、人類だけで達成することはなかなか困難だったのである。ジグラットなどを見ても、現在の技術ですら、完璧に建造することが困難なほど高度な「神々」の技術である。


イナンナへの愛情-------------------------------------------------------------------------------------------

 決定が下されると、アヌはマルドゥクのことを尋ねた。「もう一度、彼に会わねばならぬ。ドゥムジとニンギシュジッダをニビルに招いたことで、マルドゥクの憤怒は私自身が招いたのかも知れぬ」とアヌは言った。彼は、マルドゥクへの刑罰を考え直すことを願った。アヌは、マルドゥクが海の向こうの土地にいることをエンリルから聞いた。
 その遠い土地へ行く前に、アヌ夫妻はエディンを視察した。エリドゥで、エンキが“メ”を独り占めしていることを、エンリルは不満として述べた。アヌは、“メ”を分かち合うよう、エンキに言った。
 ウヌグ・キ(ウルク)では、若いアヌンナキが挨拶に参上した。アヌはとりわけ、イナンナが気に入った。そして、その場所と自分たちが地球を視察するために使う船を、イナンナに持参金として与えることを宣言した。イナンナは喜んで、踊り歌い始めた。彼女のアヌへの讃歌は、やがて聖歌として口ずさまれることになった。


 この大神アヌに対するイナンナの讃歌が、後の聖歌となったが、さらに大神アヌの前で歌い踊る様は、岩戸に隠れた(天照)大神の前で歌い踊る天宇受売命(アメノウズメノミコト)の原型である。イナンナは愛と美の女神であるが、歌舞の女神でもある。シッパールが完成した時にも、彼女はアヌの前で歌い踊った。



錫(すず)と青銅の発見--------------------------------------------------------------------------------------

 アヌ夫妻は海の向こうの南米の土地へと向かった。エンキとエンリル、ニヌルタ(アラム・ムル)、イシュクルが同行した。アヌに金の豊富さを印象付けるため、ニヌルタは内部が純金で覆われた住居をそこに建てていた。アヌは、何シャル採っても十分な金があることを確認した。また、ニヌルタは新しい金属がどのように石から抽出されるのか見せた。彼はそれをアナク(錫”すず”)アヌンナキ製、と呼んだ。そして、それを大量の銅と混ぜ合わせることで、強力な金属を考案したことも見せた。湖畔でその金属が採れる巨大な湖を、アヌは“アナクの湖(チチカカ湖)”と命名した。

 いまや、金属精錬はニヌルタが取り仕切っていた。彼が発見した錫(すず)は、ニビルには存在しない、あるいはごく微量しか存在しないものであった。“アナクの湖”とは、チチカカ湖のことである。チチカカ湖に接するボリビアは、錫(すず)の一大産地である。
 また、錫(すず)と銅の合金は青銅である。これが“青銅の蛇(ネフシュタン)”に繋がる。蛇はヘブライ語でナハシュである。これには2つの別の意味がある。“秘密を知っている、あるいは秘密を解決する彼”という意味と“銅の彼”という意味である。エンキは鉱山で採掘をしており、ブズルとあだ名されていた。これは“秘密を解決する彼”と“金属鉱山の彼”を意味した。つまり、“蛇”はエンキを象徴しているのである。そこに「神々」の中の英雄ニヌルタが考案した青銅を合わせ、“青銅の蛇”という象徴ができたのである。
 ヘブライの民が荒野を40年間さ迷って毒蛇に咬まれた時、モーゼが青銅の蛇を掲げて、それを仰ぎ見た者は救われたという話があるが、その数字40はエンキの王位継承数字である。


■紀元前3760年頃

マルドゥクへの赦しと地球年の開始---------------------------------------------------------------------

 その頃、角がある巨大な獣(マンモス)が追われた地、北の土地から、マルドゥクがナブを連れてエンキとアヌの前に現れた。サルパニトは死んでいた。

 アヌはマルドゥクを強く抱き寄せた。「お前は十分罰を受けた」とアヌは言い、右手を彼の頭に置き、赦しを与えた。集まった皆は、黄金の場所、山の高地から平地へ降りて行った。そこに、ニヌルタが水平線にまで及ぶ新しい“二輪戦車の場所”を整えていた。アヌとアンツは金を積み込み、そこからニビルへと帰還した。「地球と地球人にどんな運命が意図されようと、為るがままに任せよ!知識に見合った天と地球の秘密を教え、正義の法と道徳的正しさを教え、立ち去るのだ!」と言い残して。
 悲しみに溢れた別れの沈黙を最初に破ったのは、マルドゥクだった。彼の言葉には怒りが込められていた。「この新しい“二輪戦車の場所(ナスカ平原:巨大な地上絵は発着場の目印)”は何なのですか。私の追放後、私の許可無しで何をしたのですか?」エンキが4つの地域についての決定を伝えると、マルドゥクの怒りは頂点に達した。「何故、ドゥムジの死を招いたイナンナに領地が与えられたのだ!」「決議を変えることはできない!」とエンキがマルドゥクに言った。
 彼らはそれぞれの“空の船”でエディンと隣接する場所に戻った。トラブルを察したエンリルは、イシュクルに残るよう指示し、監視させた。アヌの訪問を記念して、新しい時間経過の数え方が導入された。ニビルのシャルではなく、地球の年(ねん)によって数えるのである。エンリルに捧げられた牡牛の時代に、地球年のカウントが始まった。


 アヌは地球を運命に任せ、成すべきことを成したら地球から立ち去るように指導者たちに命じたが、つまり現在「神々」は地球にいないということである。
 またマルドゥクはアヌから赦されたのにもかかわらず、まったく反省の色が無く、指導者たちを責めるばかりであった。地球年は、BC3760年から始まった。つまり、アヌの最後の公式訪問がBC3760年だった、ということである。


第1の地域(メソポタミア)----------------------------------------------------------------------------------

 第1の地域のメソポタミアで、泥からレンガを作る方法を教え、都市を築かせた。その中で神聖な区域がアヌンナキに捧げられ、“神殿”と呼ばれるようになった。人類に継承順位が解るように、アヌンナキは数字による階級で讃えられた。ラガシュには、ニヌルタ(アラム・ムル)のための区域“ギルス”が建てられ、彼の“黒い空の鳥”が置かれた。彼の神殿住居は、“50の家”エニンヌと呼ばれた。シッパールにはウツの住居が建てられ、“輝く家”エバッバルと呼ばれた。ウツはそこから正義の法を発布した。シュルバクから近い場所アダブに、ニンフルサグの新しいセンターが造られ、そこにある彼女の住居は“救援と治療知識の家”と呼ばれ、地球人が形作られた方法の“メ”が保管された。ウリムにはナンナルの住居が建てられ、“王座の種子の家”と呼ばれた。イシュクルは山間地に戻り、彼の住居は“7つの嵐の家”と呼ばれた。イナンナはウヌグ・キの、アヌから贈られた家に住んだ。そして、マルドゥクとナブはエリドゥに住んだが、エディンに彼らの住居は無かった。


 こうしてウツは法に関わる。十戒が納められた契約の箱が最大でもウツの王位継承数字20年しか同じ場所に無かった。そして、神宮の御遷宮(ごせんぐう)が20年毎に行われたのも、御神体として契約の箱があったからで、それは太陽神ウツを暗示しているからに他ならない。だから、御遷宮で動くべきは、本来は内宮の御正宮だけなのである。
 内宮はウツの宮だから、転じてウチ=内の宮なのである。そして、宇治橋(うじばし)はウツの橋。そこに秦氏がイエスを重ね、契約の箱の贖(あがな)いの座に本物の十字架が安置された。
 またマルドゥク一派はエディンには住めなかった。イギギ、すなわち、サタンの原型の棟梁なので、エディンから追放された。



ニヌルタ(アラム・ムル)の栄光---------------------------------------------------------------------------

 第1の地域のメソポタミアでは、アヌンナキが地球人に知識を教えた。工芸、農業、土木…。繁栄が土地を満たし、キ・エンギ、“威厳ある監視の土地”と呼ばれた。そして、地球人自身の都市を持たせることとなり、キシュ、“笏(しゃく)の都市”と呼ばれ、人類の王権が始まった。そこの聖別した土に、エンリルは“天空のように明るい物体”を埋め込んだ。そして、ニヌルタが最初の王を任命し、“強力な人”という称号を与えた。
 ニヌルタは、王権のための神聖な公式が記録された“メ”をもらうため、正装してエンキの下に赴いた。エンキは彼に50個の“メ”を与えた。キシュでは聖なるニサバが書くことを教え、イナンナ(ニンカシ)がビール作りを教えた。ニヌルタの指導により冶金(やきん)と鍛冶が広まり、車輪の付いた荷馬車が初めて人類により作られた。そして、正義の法と道徳的正しさがキシュに普及した。人々がニヌルタを讃える聖歌を作ったのも、キシュだった。彼の英雄譚(えいゆうたん)、“黒い鳥”を詠唱した。それは、ニヌルタの栄光の時代、射手座の時代だった。その間、イナンナは第三の地域の支配権を心待ちにしていた。


 “天空のように明るい物体”は不明だが、後にそれが王権のある土地の象徴となり、神器としては勾玉となった。よって本物の勾玉だけは皇居にあったのである。
 “強力な人”とは、シュメール王名表に因れば、ジュシュルである。このニヌルタの乗っていた乗り物“黒い鳥”が、太陽神の使いのカラスとなった。神社の御神事で弓が重要なのも、この英雄=軍神の星座が射手座であるからに他ならない。マルドゥク一派を追い払ったから、シンボルの弓は魔を払うのである。
 またニヌルタがエンキから“メ”をもらうために正装して臨んだのが、これが正式参拝の服装の元である。


シュメールの発展-------------------------------------------------------------------------------------------

 シュメールの主要都市ウルが、本格的に都市として拡張を始める。文字、法律、農耕、灌漑工事、航海術、天文学などの高度な文明を持ち合わせていた。シュメールは学校を設立し、二院制議会を考案し、法典の編纂を行った。1日24時間、1時間60分、1分60秒などの60進法や、現在世界中で知られている占星術の12星座も使い始めた。旧約聖書やギリシャ神話の洪水の話と箱船の話も、シュメール文学の叙事詩ギルガメッシュが基となっている。また古代文書による不動産販売の一覧には、住民の家の総面積は、70平方メートル以下(42畳程度)であったことが示されている。当時の人口は34,000人ほどだった。またシュメールには人形に魔術をかけて対象者を呪い殺すなど黒魔術などが横行し、それを法律で取り締まる程だった。

シュメール人の神-------------------------------------------------------------------------------------------

 メソポタミアの文化には、神の力に対する一般概念がある。それは神の力に対して人は屈服し、仕えなければならないということで、人々の意識をきっちりと固めるため、彼らの宗教は神に仕える者だけに対する宗教だった。いわゆる神に仕える者には食べ物、飲み物など毎日の食事や自分のステータスに合った良い衣類、儀式に関係なくネックレスなどで飾り立てられるなど、人生を円滑に過ごせることを保証した。

 シュメール人にとって、神に祈ることは生活の一部だった。寺院の儀式や維持には、たくさんの神官と使用人を必要とした。そして忠実な人々は毎日のように貢ぎ物をした。都市ウルクの公文書には、重要な4人の神々に捧げる毎日の食事が記述されている。それはパン250斤(きん)、タルト1000個、羊50頭、子羊8頭、牛2頭、子羊1匹などで、神々への捧げものは天の食べ物とされ、それらは1200人の神官および使用人に供給された。そして書記たちはシュメール人の希望を記録した。忠誠心、徳、確立された秩序に対する敬意と引き換えに、シュメール人は次の世界における永遠の命を望んだ。

 また衣服に関して男性は街中ではカウナケスを着ていた。これは羊皮をスカートのように巻き付けるもので、季節や流行によるが腰からひざ、もしくは足首までの長さがあった。高官の妻たちは、カラフルで軽い衣服を着ていた。男性も女性もイヤリング、ブレスレット、ネックレスのような装飾品を身につけていた。現代の考古学者達は城壁都市の中で、金やターコイズの装飾品を複製化した偽物を発見した。人々は本物の装飾品が買えなかった場合、好んで偽物を買い、身につけていた。都市には商人や貿易を仕事にする人々の家があり、筆記者、石工、大工、そして奴隷の家はすべて寺院からほど近い距離にあった。シュメール人の金細工職人は金を彫刻し、はんだ付けする技術に熟達していた。
 またシュメールで契約取引という法律も作られ、貿易はより発達していった。円筒印章には模様が刻まれた彫刻が施され、商品の契約を締結する時は間違いのないように、円筒印章が刻印された粘土が確認される必要があった。粘土に刻印されたマークは取引の印とされた。
 こういったシュメールでは、奴隷や装飾品や仕事等による身分の差や経済的格差は、やがて人々の欲望を増大させていくことになる。

現代の楽器のルーツはシュメール------------------------------------------------------------------------

 アルメニア起源とされている楽器のドゥドゥクはシュメール文明の物であり、現在、トルコ、グルジア、ウクライナ、ブルガリア、ロシアにも分布している。一般にアルメニア圏ではドゥドゥク、アゼルバイジャン圏ではバラバンと呼称され、バラバンはトルコの分楽隊でも使われている。これはダブルリードの木管楽器で、ドゥドゥクは日本の篳篥(ひちりき)や中国の管子(グアンズ)の先祖にあたる管楽器でもあり、使用されている素材を比較すると篳篥(ひちりき)は竹管、ドゥドゥクは木管であり、ドゥドゥクのリードは篳篥(ひちりき)の約2倍の大きさになっている。篳篥(ひちりき)が甲(かん)高く鋭い音であるのに対して、ドゥドゥクの音色は非常にまろやかでオーボエにも若干近い音色となっている。
 シュメールから東洋に流れたのが中国の管子(グアンズ)となり、そして中国の唐の時代から日本(400年頃)へ伝わり篳篥(ひちりき)となった。篳篥(ひちりき)は8cmくらいの竹の筒で、中が漆で塗られている。またシュメールから西洋に流れ、後に変化した楽器が、オーボエ(1600年代)、ファゴット(1500年代〜1800年代)となった。現在のイランを中心に成立していた古代ペルシアでは、ズルナという楽器になった。



各国のボードゲームのルーツはシュメール-------------------------------------------------------------

 シュメールのウルでは、ウルの盤(Royal Game of Ur)と呼ばれるボードゲームが存在した。これが後にすごろく、将棋、囲碁など、世界各国のボードゲームの起源となる。
 ルールは4個の正四面体のサイコロを使って、「目が出たサイコロの数だけコマを進める」。頂点に白い印があれば1、なければ0、4つ振って判定する。二人がそれぞれ7個のコマを持ち、自分のコマを先にすべてゴールに出したら勝ち。これに加えて、やや複雑なルールが2つある。一つは、「花マークのマス」と「出口のマス」以外のマスには自分のコマを2つは置けない。もう一つは、相手のコマの上に自分のコマが来ると、相手のコマをはじき出すことができる。
 ただ、このボードの本来の使用目的は完璧にはわかっていない。このボードにはイナンナの八芒星が5つ描かれており、季節や日時を表すものという意見もある。

・紀元前3500年頃にはウルの盤はエジプトに伝わり、セネトというボードゲームして伝わる。またインドにはチャトランガという名で伝わり、後の将棋やチェスの起源となる。チャトランガには二人制のものと四人制のものとが存在した。


 ・紀元前770年頃にはシルクロードを通って中国に伝わったものが、囲碁、雙陸(すごろく)、象棋(シャンチー)となった。

・395年以降の東ローマ帝国ではタブラとなった。

・600年代の日本に伝わったものが、盤双六(ばんすごろく)や将棋と呼ばれた。

・700年代にはタイの将棋として知られるマークルックが、当時のスリランカを通じてドヴァーラヴァティー王国に将棋用の盤上遊戯ボードゲームとして伝えられ、それが現代のマークルックの祖となる。またロシアにはチャトランガから名前が変わったチャトランジが伝えられる。

・800年代には西ヨーロッパへチャトランジが伝わる。

・1600年代にはチャトランジが基となってチェスが生まれ、ヨーロッパ各地で娯楽として普及する。

シュメールは、現代のビールの起源---------------------------------------------------------------------

 シュメール人がビールを飲んでいたということについては、紀元前3000年前後の「モニュマン・ブルー」と呼ばれる粘土板の記録が有名である。楔形文字でビール作りの様子が描かれており、これが一般に最古のビール作りの記録として知られている。現代のビール作りの原型は古代エジプトに見ることができるが、シュメールでのビール作りもほぼ同じである。
 まず大麦を水につけてしばらく置く。すると芽が出てきて、いわゆるモヤシができる。これがすなわち麦芽だが、これを乾燥させて粉々にし、表面を硬く、中は生のままに残した半焼けの「バッピル」と呼ばれるパンを焼く。こうして作った麦芽パンを千切って水に漬け、放置しておくことで、自然に発酵してビールができた。このビールを甕(かめ)に入れて、人々はその上澄みをストローで飲んでいた。ストローを使うのはビールの表面に浮いている麦粒をよけるためだった。

 メソポタミアでは、それより以前から穀物栽培が発展していたため、シュメールのビール作りもとても進んでおり、多くの種類のビールが作られていた。また、収穫した穀物の約半分がビールの醸造に使われ、シュメール人は誰でも毎日ビールの配給を受けていた。国民は税金をビールで納めており、労働の報酬もビールが使われていて、生活に欠かせないものとなっていた。さらに紀元前3000年頃にあった第1ウル王朝の福祉制度では、貧困者1人につき1ガロンのビールを与えられることが決められていたという記録も残っている。

 古代シュメールでは「アマゲスティン」や「ニンカシ(イナンナ)」と呼ばれるビールの女神が崇められていた。女性たちはビール作りと居酒屋でのビール販売に従事したが、この女性たちは「サブティエム」と呼ばれ、数多くの種類のビールを作っていた。この時代、女性は醸造に関して大きな権限を持っており、当時の詩や祈祷文にも繰り返し描かれている。

 古代メソポタミアでは、ビールの醸造を司る女神を「ニンカシ(イナンナ)」と呼んだ。ニンカシ(イナンナ)を讃える歌に、次のような一節がある。「ニンカシ(イナンナ)よ、あなたは樽からビールを注ぐ、チグリス、ユーフラテスの流れのように」これは樽のビールを別の容器へと移し替える様子を歌ったもので紀元前3000年頃、古代メソポタミアのシュメール遺跡より出土した粘土板(モニュマンブルー)に、ビールの醸造法がくさび形文字により記されており、これが”濾過(ろか)”に関する最古の記録と言われている。

 シュメール人は、多くの含蓄のあることわざを残しているが、下記のようなビールに関することわざもある。

He who drinks too much beer must drink water.
(ビールを飲みすぎる者は、水ばかり飲むことになる)。

The road is bad, beer is good.
いやなこと、それは(軍事のための)遠征。楽しいこと、それはビール。


イナンナの奸計(かんけい)---------------------------------------------------------------------------------

 ニヌルタ(アラム・ムル)が王権を手に入れた様子を見ていたイナンナは、エンキから“メ”を手に入れることを企んだ。彼女は自分の部屋女中ニンシュブルをエンキの下に送り、自分が訪問することを知らせた。これを聞いたエンキは大喜びで、高官イシムドに指示を与えた。
「乙女が一人きりで、我が都エリドゥに歩みを進めている。到着したら私の部屋に案内し、冷たい水を飲ませ、大麦のケーキにバターを添えて出すのだ。甘いワインを用意し、ビールを容器になみなみと注ぐのだ」


 イナンナが到着すると、イシムドが言われたように出迎えた。エンキは彼女に会うと、その美しさに圧倒された。イナンナは宝石で飾り立て、薄いドレスから体の線が透けて見えた。彼女がかがむと、エンキは彼女の外陰部に惚れ惚れした。2人はワインを飲み、ビール飲み競争をした。
「“メ”を見せて、“メ”を私の手に握らせて?」と戯(たわむ)れるようにイナンナはせがんだ。ビール飲み競争をしながら、エンキは7回、“メ”を握らせた。主権と王権、神殿での司祭権と筆記権の神聖な公式、愛の作法のためや交戦のための“メ”を、エンキはイナンナに渡した。音楽と歌のため、木工と金属と貴石(きせき)と、文明化した王国に必要な94の“メ”を、エンキはイナンナに渡した。
 イナンナは戦勝品をしっかりと握り締め、まどろんでいるエンキの下を抜け出した。そして、“空の船”まで急いで行き、舞い上がった。エンキはイシムドから起こされると、イナンナを捕まえるよう、イシムドに命じた。イナンナの住居があるウヌグ・キ(ウルク)に近付いたところで、イナンナの“空の船”はイシムドの乗ったエンキの“空の船”に阻止された。イナンナがエリドゥのエンキの下に連れ戻された時、“メ”は彼女の手元には無く、ニンシュブルが“アヌの家”に持って行った後だった。
 エンキは自分の権力とアヌの名において、“メ”を戻すよう命じ、自分の家に監禁した。これを聞いたエンリルがエリドゥにやって来た。
「私は当然の権利として“メ”を手に入れたの。エンキ自身が、私の手に乗せてくれたのよ!」とイナンナはエンリルに言った。エンキはやむなく、それが事実であることを認めた。
「最初の約束どおり、任期が完了したら、ウヌグ・キ(ウルク)に王権を渡す!」とエンリルは宣言した。


■紀元前3600年


アヌンナキの変装-------------------------------------------------------------------------------------------

 アヌンナキは地球を訪れるとき、さまざまな衣装を身にまとう。そうしなければ、人間の目には金属でできた爬虫類ロボットのように映ってしまうのである。彼らはよく鳥の仮面と大きな翼、ときにはかぎ爪までつけている。ワニやカエルや犬の顔をつける場合もある。アヌンナキは爬虫類の生命力と共鳴している。
 ニビル人は金属性の生物である。金属の実在であるアヌンナキは、爬虫類からクンダリーニの電磁的エネルギーを受け取っており、電磁気に基づく装置はすべて傍受できる。

■紀元前3500年頃

 富士王朝のスメル族のグループがメソポタミアでシュメール文明を築いた頃、日本では越の国(富山)を中心(首都)とした東アジア翡翠(ひすい)文化圏が形成されており、北アルプス立山の麓にある尖山(とがりやま:富山県立山町横江)は東アジアの首都の県庁所在地のような役割を果たしていた。
 尖山にはたくさんのラインが通っており、同時刻に鏡を使って太陽光を反射させ、モールス信号のようにそのライン上で光通信をしていた。ただし鏡といっても、新潟県や長野県の姫川で産出されたヒスイを磨き抜いて、鏡のように使った。

■紀元前3380年

バベルの塔----------------------------------------------------------------------------------------------------

 マルドゥクは話を聞いて、カンカンになっていた。「屈辱はもうごめんだ!」とマルドゥクはエンキに怒鳴った。マルドゥクは、エディンにマルドゥクのための神聖な都市をすぐに造るよう、エンリルに要求した。しかし、エンリルは聞く耳を持たなかったので、マルドゥクは宿命を己の手に握った。ウヌグ・キ(ウルク)が選ばれる前にアヌの到着のためにと考えられていた場所へ、ナブはサタンの元となったイギギとその子孫を呼び集めた。そこに、マルドゥクのための神聖な都市、“空の船”のための場所を築くために。

 彼の信奉者はそこに集まったが、建築資材となる石が無かった。マルドゥクは、代わりにレンガを作る方法を教えた。それを使って、頂上が天にも届くバベルの塔を造ろうと目論んだ。



 その計画を阻止するため、エンリルが現場へ急行し、マルドゥクを懐柔しようとした。しかし、エンリルは失敗した。「マルドゥクは許可されていない“天への門”を建てている。彼は地球人にそれを託しているのだ!」とエンリルは息子たちとその子孫に言った。「これが達成されれば、人類にできないことは無くなってしまう。この邪悪な計画は阻止せねばならない」とニヌルタが言い、全員、それに賛成した。
 ニブル・キ(ニップル)からエンリル一族がやって来たのは、夜のことだった。彼らは“空の船”から炎と硫黄を雨のように降らせ、塔と野営地全体を完膚(かんぷ)なきまでに叩きのめした。その後すぐに、この指導者と信奉者たちを国外に追い散らすことをエンリルは決めた。それにより、彼らの意思疎通を混乱させ、一致団結を砕くために、エンリルは決定した。「今まで、地球人は1つの言語を喋っていた。たが、これ以降、私は彼らの言語を混乱させる!彼らは、お互いの言うことが解らなくなるのだ!」
 地球の年で数えて380年目に、この事件が起きた。エンリルは、それぞれの地域に異なる言語と文字を与え、一方が他方を理解できないようにした。

 ピラミッドから助け出されたマルドゥクはアヌから恩赦されたほどなので、彼が怒ることは間違っていた。しかし、彼は禁断の建物を建てようとした。聖書でいう“バベルの塔”である。聖書では東の方からシンアルの地に移動してきた人々がバベルの塔を建てたことになっている。そして、シンアルの地の王(英雄)はニムロド(ニムロデ=マルドゥク)だった。
 “ハムの子孫はクシュ、ミツライム、プテ、カナンであった。クシュの子はニムロデであって、このニムロデは世の権力者となった最初の人である。彼は主の前に力ある狩猟者だった。彼の国は、最初シンアルの地にあるバベル、エレク、アカデ、カルネであった。”
 聖書によると、クシュはエジプトの領域だが、そこからニムロデがバベルのあるシンアルの地まで来たことになる。エジプトからこの地にやって来たのは、まさにマルドゥクである。そして、バベルの塔は実質、マルドゥクが建てたに等しいので、英雄ニムロデとはマルドゥクの象徴であると言える。ニムロデとはヘブライ語で“我々は反逆する”を意味しているが、それもマルドゥクであれば筋が通る。
 これに、ニヌルタによって最初に任命されたキシュの王の名が“強力な人”であった、ということも合わせて考えると、クシュはキシュに通じるので、このキシュの王“強力な人”を原型とし、マルドゥクのバベルの塔建造の話を合わせて聖書のニムロデの話が創作されたということである。
 このような“邪悪な建物と行い”を、エンリルとその一族は断固として許せなかった。嵐のようなミサイル攻撃により、塔と野営地全体を完膚なきまでに叩きのめし、言語もバラバラにするとは、よほど腹の虫が収まらなかったのである。これらの異なった言語は、エンリルがエンキに創作させた。インダス文明のサンスクリット語も、エンキが知恵を振り絞って創作したものである。
 言語で言うなら、このシュメールの文法を基に、互いが争わずに保てるように、創造の意識と共鳴するように創作されたのが日本語なのである。よって言霊が重要視されてきた。シュメール語も日本語も膠着語(接こうちゃくご:頭辞や接尾辞のような形態素を付着させることで、その単語の文の中での文法関係を示す)で、共に表音・表意の両方の意味を持っているのがその証拠である。



■紀元前3351年

イナンナの都市への王権移譲-----------------------------------------------------------------------------

 23人の王がキシュ(キシ)を統治し、408年間、“王権の都市”だった。割り当てられた任期が完了すると、予定通り、王権はウヌグ・キ(ウルク)に移譲され、“天国のように明るい物体”がキシュから移動された。その決定が人々に伝えられると、イナンナに賞賛の聖歌を贈った。
“キラキラとまばゆい“メ”のレディ。正義に適(かな)い、光を纏(まと)った、天国と地球に愛されし者。アヌの愛によって聖別され、敬愛を一身に集め、彼女は7度“メ”を獲得し、手に備えている。それらは王権のティアラに相応しく、高位の司祭職に相応しい。偉大なる“メ”のレディ、彼女はその守護者!”
 地球年の数えが始まって409年後、第1の地域の王権はウヌグ・キ(ウルク)に移された。その最初の王は、エアンナ神殿の高僧で、ウツの息子メシュキアガシェルだった。マルドゥクは“2つの峡谷の土地(エジプト)”へ行った。そして、第2の地域が設置されたら、その支配者になるつもりでいた。



■紀元前3114年

 この頃は、紀元前8239年から紀元前3114年まで続いた地球の第四の大周期の終わりの時期である。この頃から地球人の身長は1.5~2m程になり、寿命は70~80才になっていく。このように寿命が短くなってきているのは、それだけ人類の肉体的、心理的退廃と虚弱化を表している。

■紀元前3113年

ニンギシュジッダの旅立ち--------------------------------------------------------------------------------

 マルドゥクは長期不在後に“2つの峡谷の土地(エジプト)”に戻ると、支配者としてニンギシュジッダ(トト)がおり、彼は“崇高な神”となっていた。地球人を娶ったアヌンナキの子孫の助けを借りて、彼は国を監督し、かつてマルドゥクが計画したことは撤回されていた。「これはどういうことだ?!」とマルドゥクはニンギシュジッダに迫った。隠しておいたものを破壊したことで、マルドゥクはニンギシュジッダを責めた。ホロン(ホルス)を水の無い場所、砂漠に旅立たせたことについて責めた。「性的快楽も楽しめないような、果てしない場所にだと?!」彼らは大騒ぎを繰り広げ、激しい口喧嘩を始めた。「お前は俺の代理人に過ぎない。お前はずっと俺の居場所を奪ってきた。嫌なら、別の土地へ去れ!」350年間、彼らは言い争い、そのため土地は混乱し、兄弟の間で分割された。
 そして、とうとうエンキがニンギシュジッダに言った。「平和のために、他の土地へ旅立つのだ!」ニンギシュジッダ(トト)は海の向こうのアメリカ大陸の土地へ行くことにし、信奉者の一団と共に旅立った。その時は650地球年だったが、新しい土地で“翼のある蛇”ケツァルコアトルと呼ばれたニンギシュジッダ(トト)は、独自に新しい年数カウントのマヤ文明の暦を始めてしまった。つまり、ニンギシュジッダ(トト)が2012年の冬至で一区切りする暦を作ったのである。


  ニンギシュジッダ(トト)が初期のエジプトで“崇高な神”として崇拝されていたので、ニンギシュジッダ(トト)がピラミッドを双子山から3つにして、更に石棺も入れて“死と復活”を象徴するカバラとした。そのニンギシュジッダがアメリカ大陸へ渡り、ケツァルコアトルとして崇拝された。


 後に同じ地域で栄える紀元前1200年頃のオルメカ文化と紀元前100年頃からのレモハダス文化からは、ケツァルコアトルを思わせる爬虫類人のような宇宙人が、宇宙船に乗っている芸術品が見つかっている。

 最初に栄えたのはオルメカ文明で、アフリカの黒人そのものの石像も発掘されている。それが、ニンギシュジッダが連れて行った信奉者である。独自に新しい年数カウントを始めたのは、いわゆるマヤ暦であり、天才科学者ニンギシュジッダ(トト)の創った暦なので、2012年からの大変動が預言できた。



マヤの計数システムとツォルキン、長期暦-------------------------------------------------------------

 マヤの計数システムは20進法であり、太陽神ウツの象徴数字20を使ってニンギシュジッダが始めた。一部例外はあるものの、マヤのシステムでは下から上に向かって20倍に増えていき、読む時は上から下に読む。数字の表記法としては3タイプあり、点と棒による方法(点が1で棒が5)、それより頻度の低い頭字体、更に頻度の低い全身体がある。


 太陽神の象徴“20”と救世主の象徴“13”を掛け合わせた日数260日を、マヤでは儀式と預言を司る最も重要な暦の単位としてツォルキンと言う。日には次に示すように、1つずつ名前が付けられている。1イミシュ→2イク→3アクバル…というように進んでいく。

 マヤ暦には様々な周期が存在する。

・7日:大地の神の周期。神の数字7。
・9日:夜の王。3×3の三神三界。
・13日:天界の神の周期。救世主は天界にいるということ。
・20日:ウィナル。太陽神ウツ。
・260日:ツォルキン。13×20=救世主×太陽神。
・360日:トゥン。2×9×20。
・364日:計算年。
・365日:ハーブ。
・18980日(52年):カレンダー・ラウンド。52×365、73×260。
・7200日:カトゥン。20×360。
・144000日:バクトゥン。20×7200、20×20×360。選ばれし14万4千人。
・5125年:13×144000=救世主×選ばれし14万4千人。
・25626年:5×5125=知恵×救世主×選ばれし14万4千人。地球の歳差運動。

 太陽年の1年である365日が定義されているのに、364日も存在するのはおかしいように思われる。しかし、“364”という数字は実は興味深い。それは、チチェン・イツァーにあるククルカンのピラミッドである。このピラミッドは四方に91段ずつ階段があるジグラットで、合計364段で計算年の日数と一致する。そして、頂上のプラットフォームを加えて365となり、1ハーブ=1太陽年となる。また、91=7×13=神の数字×救世主の数字(どちらも素数)であり、更に、1~13までの和でもある。
 トランプも、1~13の数字の組が4組ということは、和91が4組と見なせ、それにジョーカーの1枚を加えて、カッバーラ的にこのピラミッドと同じ構造と見なせる。このように、トランプはカッバーラ的要素=魔術的要素を有するので占いに使われる。つまり、そのカッバーラの創始者は、ニンギシュジッダと言える。


 さて、中でも特に長期暦と呼ばれているものがあり、それは次の周期である。
・20キン=1ウィナル。(20日)
・18ウィナル=1トゥン。(360日)
・20トゥン=1カトゥン。(7200日)
・20カトゥン=1バクトゥン。(144000日)
・13バクトゥン=1時代。(187万2千日=5125年)
・13バクトゥン5巡で26000年。
 太陽神の象徴“20”と救世主の象徴“13”が係数となっている。

 マヤ暦の基本構造は、5125年の長期暦と260日暦のツォルキンを合わせたものである。それを図に示す。升目(ますめ)1つが1カトゥン(7200日)、縦の1列で1バクトゥン(14万4000日)になる。左端のマヤ文字と升目(ますめ)の数字(点が1で棒が5)で260日暦が表示される。中央の13と1を中心として任意に上下左右対称の長方形を描くと、その四隅の升目の和は常に28となる。四隅のどこかに1(最小数)、13(最大数)、7(1と13の平均)を含むグループの升目(ますめ)に網を掛けると、二重螺旋のようになる。これはまさにDNAの二重螺旋であり、DNAはニンギシュジッダが操作した。つまり、このような仕掛けにより、誰が壮大な暦を作製したのか暗示しているのである。


 13バクトゥンの始点をグレゴリオ暦で換算すると、BC3114年になるという。シュメールでは、地球年はBC3760年から始まったことになっているので、ほぼそれと同時期であり、矛盾しない。
 また、長期暦の終了日は2012年12月21日である。この日(正確には1998年を中心として1980~2016年の36年間)は、天の川に帯状に伸びる暗い部分(マヤ語でシバルバー・ベ、「地下世界への暗い道」の意)と太陽が直列する。
 また、ワニもしくはジャガー(ヒキガエル)の口の中で、太陽が再生すると信じられており、次代の創世の日でもある。マヤ暦では、現在は4アハウのカトゥンであるが、「チラム・バラムの書」によると、この時代にククルカンという神が帰還するという。また、知識を記憶し、それを年代記の中に要約するカトゥンとされている。
 太陽の再生、ククルカンの帰還というのは、まさに救世主の降臨である。そして、これまでの知識を記憶して年代記の中に要約し、新たなる時代への道標とするカトゥンなのである。“年代記”というのも、シュメールに基づいている。ここでは、ニンギシュジッダがククルカンとされている。つまり、ニンギシュジッダ=ククルカン=ケツァルコアトルである。前述のチチェン・イツァーにあるククルカンのピラミッドのカッバーラは、まさしくニンギシュジッダのカッバーラに他ならない。ただし、実際にニンギシュジッダが帰還するのか、イエスが降臨するのか、それは「神」のみぞ知る。


マヤ人とアヌンナキの関係-------------------------------------------------------------------------------

 マヤ文明にはトート(ニンギシュジッダ)の他に、ニビルのイナンナなどアヌンナキも関係していた。2011年にメキシコ政府がマヤ文明に関する文献や遺物から、マヤ人とエイリアンとの接触の証拠が、政府の地下重要書類金庫に秘蔵されていた、と発表した。そこには3000年前にジャングルに着陸した円盤の姿と当時の様子が描かれている。遺物の絵には、縄文時代の土偶を含め、世界中で見られる女神(イナンナ)の共通点を持った宇宙人が描かれている。

 また、マヤの古代都市遺跡パレンケでは、飛行船に乗ったパレンケの宇宙飛行士のレリーフが残されている。
etc.

エジプト文明-------------------------------------------------------------------------------------------------

  “2つの峡谷の土地(エジプト)”には、マルドゥクの支配の下、第2の地域が樹立された。そこはマガン(エジプト)、“滝になって落ちる場所”と呼ばれていた。しかし、言語が混乱させられて以来、その地域の人々によってヘム・タ、“暗褐色の土地”と呼ばれた。そして、アヌンナキはネテル(ネフィリム)“守護監視者”と呼ばれた。マルドゥクはラー、“明るい者”として、エンキはプタハ、“開発者”として崇拝され、ニンギシュジッダはテフティ(トート)、“神の測定者”として想起された。彼についての記憶を消すため、マルドゥクは“石のライオン”の姿をしたスフィンクスを、自分の息子ナブの姿に変えた。

 マルドゥクは60進法ではなく10進法とし、1年も10に分け、月の暦から太陽の暦へと変えた。一方で、ニンギシュジッダの主権下にあった北の都と南の都を再構築し、北と南の土地を1つの王権の都に統合した。彼はネテルと地球人の子孫を王に任命し、メナと呼ばれた。
 2つの土地が交わり、大河が分かれる場所に、キシュを凌ぐ“笏(しゃく)の都”としてメナ・ネフェル(メンフィス、“メナの美”)を設置した。
  マルドゥクは自分より年長者たちを祀る聖なる都を築いた。ニビルの王に敬意を表したアンヌ(オン、ヘリオポリス)、その中のプラットホームの上にエンキのための神殿住居を建てた。その頂上は内側が高い塔になっており、尖ったロケットのようにそびえていた。その聖堂に、マルドゥクは自分の“空のはしけ船”の上部を置いた。それはベンベンと呼ばれ、“数え切れない年月の惑星”から彼が旅した時に乗ったものだった。新年の日、王は高僧として祝賀を執り行い、一番奥の“星の部屋”に入り、ベンベンの前に供え物を置くのである。この第2の地域を後押しするため、エンキはあらゆる種類の“メ”をマルドゥクに与え、あらゆる種類の知識を授けた。唯一、“死者を蘇らせること”を除いて。
 エンキはハピ(ナイル)の水流をマルドゥクと彼の民のために制御し、肥沃な土壌はすぐに豊作となり、人と畜牛が増殖した。“12の天体の中で偉大なもの”として、エンキはマルドゥクに牡羊座(おひつじざ)を割り当てた。

 このようにエジプトのラーの正体はマルドゥクであった。そして父親のエンキを“開発者”プタハに降格し、ニンギシュジッダはトートに変更し、スフィンクスの顔を息子ナブの顔に変更した。スフィンクスの別名はセシェプ・アンク・アトゥムで、最高神アトゥム・ラーの生きた像、という意味であるが、神話と共に、事実が相当改竄されていることが良く解る。
 マルドゥクは10進法を始めたので、それなりの知恵はあるが、ネフィリムという巨人と勘違いされるような命名も行った。
  また、ハム系フリーメーソンなどの伝承では、ベンベン石が“失われた秘宝”として伝えられているが、真相はマルドゥクの宇宙船の先端部だったのである。それを、毎年新年の1日だけ、王に拝ませていたのである。それが偶像崇拝であり、偶像崇拝の根源は邪悪なマルドゥクで、聖書では偶像崇拝が忌み嫌われているのである。


  プタハは、第一王朝の時代から信仰が確認されている古い神の1人で、メンフィスの守護神である。しかも、エジプトの神には珍しく、完全に人間形である。また、プタハは鍛冶の神であり、呪文を唱えつつ、世界を創成したりしている。プタハ神派の神官たちは、プタハ神は娘と交わってアトゥム神を生み出した、としている。トートの姿はトキであり、エジプトでのトキは、ナイル川の氾濫時期になると上流から下流の浅瀬にやって来て、氾濫を知らせる渡り鳥である。つまり、トキは水鳥と見なすことができ、水鳥で象徴されるのはエンキである。そして、トートは知恵の神でもあるから、エンキの息子ニンギシュジッダの象徴であると同時に、エンキの象徴にもなり得る。トートとエンキの関係について、初期エジプトのある古文書には次のようにあり、エンキとニンギシュジッダの関係を表している。
“エジプト王ゾサーの時代、南部が大飢饉に襲われた。その原因をトート神に尋ねると、ナイルの源泉には1人の神が居て、2つの洞窟からナイル川の水量を調節していることが解った。その神とは、人間を創り、ナイルとエジプトの運命を握っているトート神の親であるクヌム、別名エンキである。”

 なお、ニンギシュジッダはエジプト神話で、呪文でイシスの姿を隠したり、ホルスに向かって呪文を唱え、仮死状態のホルスが息を吹き返したりと、魔術・妖術の原型とされてしまった。これも、ニンギシュジッダを陥れようとするマルドゥクの策である。また神話では、コブラの女神ウアジェトが聖なる蛇とされているが、コブラは毒蛇であり、サタン的である。マルドゥクは“邪悪な蛇”と呼ばれているので、コブラの原型はマルドゥクである。

 エジプトに関連する“蛇”は旧約に登場する。アロンとファラオがそれぞれ杖を投げると杖は蛇になり、アロンの蛇がファラオの蛇を飲み込んだ。これは、エジプトの魔術師による“邪悪な蛇=マルドゥク”を象徴するファラオの杖は、“良い蛇=蛇神エンキとニンギシュジッダ”を象徴するアロンの杖には敵わないということを、象徴的に表しているのである。
 このように、エジプト神話はすべてマルドゥクにとって都合が良いように構成された。メソポタミアの神話もマルドゥクにとって都合の良いように改竄された。よって、神話や伝承だけに頼っていても、真相に近づくことはできない。つまり、口頭伝承を基本とするカッバーラだけでは、真相に辿り着くことはできないのである。
 マルドゥクはこれほどの野心を持っているのだが、何故、エンキがここまで彼を手助けしたのかというと、アヌにより、3つの地域に人類の文明を花開かせることが決定されたからである。なお、あらゆる種類の知識をマルドゥクに与えてエジプト文明繁栄の手助けをしたエンキだが、唯一、“死者を蘇らせること”は教えなかった。ならば、マルドゥクが“死と復活”を象徴する石棺及び3つ並ぶピラミッドとその意味について知る由も無く、石棺ともう1つのピラミッドはマルドゥクが造ったものではなく、ニンギシュジッダが造ったのである。

   またニンギシュジッダの統治時代、エジプトは北と南、すなわち、上エジプトと下エジプトに分かれていた。上エジプトは蓮(はす)、下エジプトはパピルスとピラミッドで象徴され、カルナックにあるアモン神殿には、パピルス柱とロータス柱が建っている。蓮(はす)は花で女性原理、ピラミッドはそそり立つ山で男性原理を象徴する。つまり、カバラの奥義の1つである陰陽の概念が、天才科学者ニンギシュジッダによって考案されたというわけである。


■紀元前3100年頃

 都市文明を第二地域のエジプトに供与することが決定された。これにより、エジプトにおいても、メンフィスに人類のファラオによる王都が建設された。これによりエジプト初期王朝時代が始まる。ファラオはマルドゥクから知識を受け継いだ存在であり、アヌンナキの血を濃く受け継ぐ半神半人だった。

 アブ・シンベル神殿の入口の大きさから見て、アヌンナキ、もしくは半神半人の身長は440cmほどだったと推察できる。

中国の陳(ちん)の都-----------------------------------------------------------------------------------------

 この頃、中国では支那三皇の世、伏犠(ふっき)、女鍋(じょか)、神農(しんのう)が、都を陳(ちん)に作る。伏犠(ふっき)と女鍋(じょか)はニンギシュジッダのことであり、神農(しんのう)はイナンナのことである。場所によって名前が変わっていっているが、流れとしては、イナンナ(アヌンナキ)→シヴァ(ヒンドゥー教)→牛頭天王(ごずてんのう:仏教)→武塔神(むとうしん)→神農(しんのう)→スサノオ(日本神話)である。

 伏羲(ふっき)と女媧(じょか)はアヌンナキのニンギシュジッダ(エジプトのトト)のことであり、彼らの絵は、フリーメイソンのコンパスと直角定規を持っている。また2人の頭の間には、イナンナの十六花弁ロゼッタを模したマークも描かれている。フリーメイソンのカッバーラ(数秘術など)はニンギシュジッダが創始者である。

 また伏羲(ふっき)と女媧(じょか)の足は蛇として描かれ、二匹が絡まっているが、二匹の蛇が巻きついているギリシア神話のヘルメスの杖のカドゥケウスは、ニンギシュジッダの象徴であり、ヘルメスはエジプトのトト神であり、アヌンナキのニンギシュジッダのことである。

 また、考古学者らが紀元前3400年から2900年前のビール醸造に用いる土器を、この時代の中国陝西省(せんせいしょう)のMijiayaで発掘した。出土した陶器や壺などの残留物を科学者らが分析したところ、ビールが造られていたことが判明した。これは新石器時代の文化である仰韶文化(ぎょうしょうぶんか)の末期に当たる。メソポタミアにビールを伝えたのはイナンナであり、中国も同様である。


■紀元前3000年頃

 現在のペルーのリマ市北方のスーペ谷にカラルという石造建築を主体とする文明が現れ、ピラミッドも6基作られた。この時代はプレ・インカ文明とも言われた。プレ・インカ文明のルーツは、アマゾン帝国→アンデス文明となっている。

ゾロアスター教----------------------------------------------------------------------------------------------

 また紀元前3000年頃、西洋、地中海、バビロン、エジプトでは、鉱石の中で金が一番高い価値があると考えられていた。そして東洋、中国、マレーシアでは銀が価値があると考えられていた。イルミナティである特定の家系、特定の寡頭(かとう)政治の独裁家系が基本的には全ての金を手にした。そしてキリストの時代の頃には、世界中で金は一番の商品と考えられていた。その様にして彼等は世界で一番の金持ちになったのである。そして一旦お金を持つと、政治家や王族を腐敗させる事ができ、そしてゆっくりと社会を支配していく事ができた。
 そして西洋の宗教をゾロアスター教と共に支配してきた。紀元前3000年のゾロアスター教からの家父長制を見ると、男女平等な社会から離れ、非常に横暴な家父長制社会へと進んでいった。そうして金融機関や政治機関を支配する支配者達はどんどん暴力的になっていった。
 ゾロアスター教の最高神アフラマズダー(下の図では右)は、地球総司令官エンリルである。

 イランのペルセポリスの北にある巨岩の遺跡ナグシェ・ロスタムに所在する「ゾロアスターのカアバ」と称される遺構には、アヌンナキの石積みの技術である多角形が見られる。この遺跡そのものがアヌンナキのテクノロジーによって作られた。


台湾から太平洋の島々へ広がったオーストロネシア語族--------------------------------------------

 この頃から、オーストロネシア語族(ごぞく)が台湾から東南アジア島嶼部(とうしょぶ)、太平洋の島々、マダガスカルに広がり始める。かつてはマレー・ポリネシア語族と呼ばれていたが、台湾原住民諸語との類縁性が証明された。この台湾原住民の諸語が言語学的にもっとも古い形を保っており、考古学的な証拠と併せて、オーストロネシア語族は台湾からフィリピン、インドネシア、マレー半島と南下し、西暦5世紀にインド洋を越えてマダガスカル島に達し、さらに東の太平洋の島々に拡散した。ただしパプア・ニューギニアの大部分(パプア諸語)とオーストラリアの原住民の言語(オーストラリア・アボリジニ諸語)は含まない。

 オーストロネシア語族は1000個前後の言語から構成され、西はマダガスカル島から東はイースター島まで、北は台湾・ハワイから南はニュージーランドまでと非常に広く分布している。近代のインド・ヨーロッパ語族の拡大まで、最大の範囲に広がる語族であった。しかし範囲の広さに関わらず言語間の類縁性がきわめて高く、語族として確立している。
 話者が最も多いのはインドネシアである。現代の台湾では中国語の影響が強く、原住民言語は消滅する傾向がある。日本にもオーストロネシア語族を話す集団がやってきたことが考えられており、シベリアから南下した言語集団と南方系の言語集団が縄文時代に日本列島で出会い、混交したとする説が唱えられている。


■紀元前2944年頃

第3の地域(インダス川流域)-------------------------------------------------------------------------------

  第2の地域のエジプトの成功に指導者たちは勇気付けられ、第3の地域のインドのインダス川流域に取り掛かった。約束されていた通り、そこはイナンナの領地とされた。彼女は女主人に相応しいように、天空の星座を割り当てられた。それまではウツと共に双子座だったが、ニンフルサグが贈り物として彼女の乙女の星座を割り当てた。地球の年にして、816年のことだった。遥か遠い東方の地、イラン高原の7つの山脈の向こうが第3の地域だった。“60個の宝石の土地”ザムシュと呼ばれた。アラタ、“森の多い領域”は、蛇行するインダス川の谷に位置していた。広い平野で農業が行われ、モヘンジョダロとハラッパの2つの都市が築かれた。
 エンリルの布告により、エンキはその地域のために以前とは違う系統の言語のサンスクリット語を、知恵を駆使して考案し、新しい種類の書く記号を創った。それは、前例の無い言語だった。しかし、エンキは文明化された王国の“メ”をその地域に与えなかった。以前、イナンナがウヌグ・キ(ウルク)のために“メ”を奪ったが、それと共用させるためである。


  アラタ(インダス地方)で、イナンナはドゥムジに似ていた羊飼いの責任者を任命した。彼女は宇宙船“空の船”でウヌグ・キ(ウルク)からアラタ(インダス地方)へ旅した。彼女はザムシュの宝石を大切にし、純粋なラピスラズリをウヌグ・キ(ウルク)に持ち帰った。当時、ウヌグ・キ(ウルク)の王はエンメルカルで、彼は2番目にそこを統治していた。彼はウヌグ・キ(ウルク)の領土を広げたので、その栄光にイナンナは鼻高々だった。

 彼はアラタ(インダス地方)の富を望み、使者を送り込んだ。しかし、使者の言葉をアラタ(インダス地方)の王は理解できなかった。そこで、アラタ(インダス地方)の王は木製の笏(しゃく)にメッセージを刻んで、使者に与えた。そのメッセージは、ウヌグ・キ(ウルク)の“メ”をアラタ(インダス地方)と分かち合うことを要求していた。そして、ウヌグ・キ(ウルク)への贈り物として、穀物がロバに荷積みされた。

 エンメルカルはメッセージを受け取ったが、誰も理解できなかった。エンメルカルは業を煮やし、どうしたら良いのか、祖父のウツに尋ねた。ウツは筆記の女神ニサバとの間を取り持った。彼女は、粘土板に自分のメッセージを刻むよう、エンメルカルに教えた。それは、アラタ(インダス地方)の言語だった。彼の息子バンダの手で、そのメッセージは届けられた。“服従するか、さもなくば戦争だ!”とそこには書かれていた。「アラタ(インダス地方)はイナンナ様に守られている。アラタ(インダス地方)はウヌグ・キ(ウルク)に服従などせぬ!もし、ウヌグ・キ(ウルク)が戦いを望むのなら、戦士1対1で戦おう!あるいは、円満に解決するか。アラタ(インダス地方)の財宝と引き換えに、ウヌグ・キ(ウルク)に“メ”を提出させよう」とアラタ(インダス地方)の王は言った。
 平和のメッセージを運んで帰る途中、フルム山でバンダは病気で死んだ。アラタ(インダス地方)の財宝をウヌグ・キ(ウルク)は受け取らず、アラタはウヌグ・キ(ウルク)の“メ”を手に入れなかった。第3の地域のインダス川流域で、文明化した人類は満開に花開かなかった。イナンナが自分の領土をなおざりにして、他の領地ばかりをむやみに欲しがったからである。

 ウヌグ・キ(ウルク)もアラタ(インダス地方)もイナンナの領地なので、イナンナが間を取り持てば良い話であるが、イナンナはそんな僻地は嫌で、他の領地ばかりをむやみに欲しがり、そうしなかった。元はと言えば、イナンナが当然することとして、エンキはアラタに“メ”を与えなかったこと、イナンナがその期待に背いたことが原因である。 インダス文明は満開に花開かなかった。だから、知識が隠されたカッバーラの解釈を、ヨガによる体の修行やカーマ・スートラによる愛欲充足により、追求するようになったのである。つまりヨガはアヌンナキによってもたらされたものである。そして、カーマ・スートラによる愛欲は、後のチベット密教に於ける暗黒の密教、無情瑜伽(むじょうゆが)タントラを生み出すことになった。
 イナンナは若い女神であり、イシュタル、ヴィーナス、アフロディーテなどの別名を持つ。イナンナには遠い地アラタ(インダス地方)が与えられた。しかし彼女は、エンメルカルの大伯母だから割り当てられていた遠いアラタ(インダス地方)よりもウルクに住むべきだ、とアヌに主張し、計画は見事成功した。
 イナンナは別名が愛の女神ヴィーナスで、その美貌でアヌの愛人となったのである。イナンナの更なる別名が“アンニツム”で、“アヌの最愛の人”という意味である。それ故、王位継承順位数はウツの20に継ぐ15であり、叔父(おじ)であるイシュクルの10よりも上である。また、その美貌を利用してエンキに取り入って騙し、エンキから“メ”=“知恵の秘密”を聞き出すことに成功した。
 このような理由から、イナンナは誘惑する“裸の女神”として描かれていることが多く、世界中から土偶などが出土している。しかし、後にマルドゥクが“正統だ”と主張して王位を奪い取り、バビロニアの主神となると、イナンナはウルクを追われた。これ以後、イナンナは武装した戦う女神となった。ギリシャ神話では、知恵と戦いの女神アテナと、美と豊穣の女神アフロディーテに分裂している。


 イナンナの第三地域であるパキスタンのボラン峠のメヘルガルで、インダス・サラスヴァティー文明が発達し、3000近い遺跡が発掘されている。初期のメヘンガルは土器を伴わない時代で、この地域での農業は半遊牧民が行い、小麦や大麦を栽培しながら羊やヤギや牛を飼っていた。泥製の住居群は4つの区画に分けられ、埋葬の習慣もあり、副葬品として籠、石器、骨器、ビーズ、腕輪、ペンダントなどがあり、時折動物の生贄も見つかっている。出土した像は宇宙人そのものである。


イルニンニからイナンナ(アヌの愛人)となった経緯-----------------------------------------------

 シュメールのウルクには、大神アヌが公式に地球に降臨する際に使用する神殿があった。「神々」以外で最初にウルクの支配者となったのは、太陽神ウツと人間の子メシュキアガシェルである。その後、メシュキアガシェルの子エンメルカルがウルクの支配者となった。

 神殿では、大神アヌと正妻アンツは別々の寝室を使っていた。アヌは降臨の儀式が終わると、ギパールと呼ばれる彼だけの館に入った。そこには、選ばれた処女エンツが待っているのが習わしだった。エンツは王の娘であり、王たちは自分の娘をエンツにさせようと務めた。エンツが王のために長寿と健康を「神」に直接祈ることができたからである。エンツとは“神の貴婦人”であり、エンツを通じて王たちは自分たちの守護神に直接近づくことができた。

 ところが、ある時、このギパールでアヌを待っていたのは、人間の娘ではなく、アヌの曾孫イルニンニ(イナンナ)だった。イルニンニ(イナンナ)は最も若い「神」だったので、遠い地アラタ(インダス地方)を与えられていた。しかしイルニンニ(イナンナ)は、エンメルカルの大伯母なので、割り当てられていた遠い地アラタよりもウルクに住むべきだ、と思っていた。そのために策を講じ(他の「神々」に仲介を頼み)、降臨したアヌに近づいて自分の思いを主張し、計画は見事成功した。イルニンニ(イナンナ)はその美貌でアヌに迫り、アヌの愛人となったのである。これ以後、イルニンニ(イナンナ)はイン・アンナ=イナンナ(アヌの愛人)と改名された。イナンナの更なる別名がアンニツムで、アヌの最愛の人、という意味である。それ故、イナンナは女性であるにもかかわらず、王位継承順位数は双子のウツの20に継ぐ15であり、叔父(おじ)であるイシュクルの10よりも上である。
 この“事件”以降、アヌはイナンナにこの神殿を使うことを許し、ギパールの役割は“ギグヌ(夜の愉しみの家)”へと変貌していった。なお、イシュクル(アダド)はエンリルの最愛の末息子であり、権力と嵐の特権を授けられた神である。愛人のことを“ドド”と言うが、イシュクルはイナンナとはとりわけ仲が良く、イナンナの愛人で叔父でもあったので、“アダド”と呼ばれた。


イナンナの不死宣言----------------------------------------------------------------------------------------

 ウヌグ・キ(ウルク)とアラタ(インダス)を行き来しながら、イナンナは落ち着かず、満たされなかった。飛び回りながらも、太陽の光にドゥムジが揺らめき招いている姿を見た。夜には夢に彼が現れ、僕は戻って来るよ、と囁いた。そして、“2つの峡谷の土地(エジプト)”にある彼の領地の栄光を、彼は約束してくれた。こんな幻影に、彼女は翻弄されていた。

 ウヌグ・キの神聖な区域に、彼女はギグヌ、“夜の愉しみの家”を設置した。若い英雄たちを、彼らの結婚式の夜に、イナンナは甘い言葉で誘い出した。花嫁とではなく、彼女と寝ることにより、長生きと至福の未来を約束したのである。イナンナはドゥムジに思いを馳せながら、彼らと夜を共にした。そして、朝になると、彼らは彼女のベッドで死んでいた。
 しかし、中には生きていた者がいた。英雄バンダ、ウツの曾孫である。彼女の住まいでバンダは入浴させられ、房飾りの付いたマントに飾り帯を締めさせられた。
「ドゥムジ、私の最愛の人!」
 彼女は彼をそう呼んだ。彼女は花々で飾られたベッドへ彼を誘った。朝になってもバンダは生きており、イナンナは喜んで叫んだ。
「奇蹟よ!奇蹟だわ!私の最愛のドゥムジが帰ってきたの!」
 ウツの恩寵(おんちょう)により、彼は死から蘇ったのである。
「死なない力を私は手にした!不死は、私によって授けられたのだわ!」
 そして、自分のことを女神イナンナ、“不死の力”と呼ぶことにした。イナンナの両親は、このような彼女の宣言を喜ばなかった。エンリルとニヌルタは彼女の言葉に狼狽し、ウツは困惑した。そして、エンキとニンフルサグは「死者を蘇らせることなど、不可能だ!」と言った。

 満たされない願望と性欲を、イナンナは地球人の英雄たちにドゥムジを重ねて交わることで解消しようとしたのであった。純粋なニビル人と地球人とでは時間の流れが異なるので、地球人にとっての一晩でも、イナンナにとってはごく僅かな時間にしかならない。よって、朝まで続く行為により、イナンナの相手は大方、朝には死んでいた。
 そして、この“聖なる結婚”の儀式は世界中のあらゆるところで行われるようになったが、後のあらゆる宗教における性的退廃の原型ともなった。つまり、イナンナもまた、サタンの原型の一部なのである。つまりイナンナがイエスとサタンの両方の原型でもある。
 イナンナのシンボルは金星で、イエスのシンボルは明けの明星(みょうじょう)で同じなのは、イエスの原型がイナンナだからである。そして、サタンも明けの明星と言っている。イエスが光なら、サタンは闇なので、宵(よい)の明星となる。しかし、共に明けの明星とされているのは、原型が同じだということを暗示している。
 さらに、イナンナが創造神のインダス文明(遠い地アラタ)では、様々な女神が分身として登場する。実質の主神としてはシヴァだが、その分身の女神にはドゥルガーや暗黒のカーリーがいる。これなども、イナンナの暗黒面なのである。


 生命現象に詳しいエンキとニンフルサグも、死者を蘇らせることは不可能だと断言しているので、ウツの恩寵(おんちょう)により死から蘇ったとされるバンダも、以前の火星でのアンズの“死と復活”も、そしてイナンナ自身の“復活”も、いずれも仮死状態あるいは瀕死の状態からニビルの高度な医療技術で助かったということである。
 そこから、イナンナの思い込みで“死と復活”という概念が登場し、名前もイルニンニからアンニツム、イン・アンナ、そしてイナンナとなった。


ギルガメッシュ叙事詩--------------------------------------------------------------------------------------

 キ・エンギの土地で、人々は自分たちの幸運を讃えた。「神々は我々と共にいる。神々は死を止められる!」と人々は互いに言った。バンダは父エンメルカルの跡を継いで、ウヌグ・キ(ウルク)の王座に就いた。彼の称号はルガル、“偉大な人”だった。彼はエンリルの種子である女神ニンスンを妻とし、息子が生まれた。英雄ギルガメッシュである。ギルガメッシュはバンダの跡を継いで、王座に就いた。


 ギルガメッシュは年を取ってくると、生と死に関して母に尋ねた。アヌンナキの子孫なのに死んでしまった祖先について、彼はいぶかしがった。
「神々は死ぬのですか。私も2/3が神ですが、死すべき運命の人間として壁を乗り越えるのでしょうか」
と彼は尋ねた。
「地球上に留まっている限り、地球人としての死が、あなたを打ちのめすでしょう。でも、ニビルへ行けば、そこの長い寿命(不死)を獲得するでしょう」
と母は答えた。
 ニンスンは、ギルガメッシュをニビルへ連れて行ってくれるよう、ウツに頼んだ。ウツは拒否したが、来る日も来る日も懇願されたため、“着陸場所”へ連れて行くことを許可した。彼を導き保護するため、ニンフルサグは彼の影武者を造った。エンキドゥ、“エンキによって造られたように”と影武者は呼ばれた。彼は子宮から生まれたのではなく、血液も流れていなかった。エンキドゥはニンフルサグによって造られた人造人間で、火を吹く怪物や“天の牡牛”はロボットである。
 エンキドゥと共に、ギルガメッシュは“着陸場所”へと旅し、ウツが神託で彼の進み具合を監視した。ヒマラヤ杉の森の入り口で、彼らは火を吹く怪物に阻まれた。彼らはペテンで怪物を混乱させ、粉々に壊した。彼らがアヌンナキのトンネルへの秘密の入り口を発見すると、エンリルの創造物、鼻息が致命的な“天の牡牛”に挑まれた。その怪物は彼らをウヌグ・キ(ウルク)の門まで追い立てたが、都の城壁のところでエンキドゥに打ち倒された。エンリルはこれを聞くと、苦悶のあまり涙を流して泣き、その嘆きは天のアヌにまで聞こえるほどだった。しかし、“天の牡牛”を惨殺したため、エンキドゥは罰せられ、溺れて死んだ。そのことはニンスンとウツに知らされていたので、ギルガメッシュは惨殺を免れた。それでもニビルの長寿を求めて、“二輪戦車の場所”へ向かうことをウツから許可された。

 数々の冒険の後、彼は第4の地域“ティルムンの土地”に辿り着いた。地下トンネルを進むと宝石の庭に出て、そこでジウスドラ(ノア)と会った。ジウスドラ(ノア)は大洪水について話し、長寿の秘密も教えた。庭の井戸に、ある植物が生えていて、それがジウスドラと配偶者の寿命を長くしていたのである。それは、地球の植物とは異なっていた。それにより、人間は溢れんばかりの元気を取り戻せるのである。「“年取った人が再び若返る”、これこそがその植物の名だ」とジウスドラは言った。


 ジウスドラ(ノア)が寝てしまうと、ギルガメッシュは自分の足に石を結び付けて井戸に飛び込み、その植物を引き抜いた。そして、植物を入れた鞄を持って、急いでウヌグ・キ(ウルク)へと引き返した。途中、彼が疲れて寝ていると、その植物の芳香に蛇が惹きつけられた。その蛇が植物を奪い、どこかへ消えてしまった。朝になってそのことにギルガメッシュが気付くと、彼は座って泣いた。そして、手ぶらでウヌグ・キ(ウルク)に戻り、死すべき運命の人間として、そこで死んだ。

 長寿の植物はニビル由来である。しかし、ギルガメッシュは母がエンリルの種子で、地球で誕生しているから、ジウスドラほどの寿命は得られない。
 鞄に入れた植物を蛇が盗んだというのは、例え話である。蛇神が地球人の長寿は許さなかった、ということである。これが世界中の“不老長寿の秘薬”の話の原型となっている。
  日本では、田道間守(たじまもり)が第11代・垂仁天皇の命により非時香菓(ときじくのかぐのこのみ)を求めて常世の国に渡ったものの、持ち帰ってきた時には天皇が崩御しており、半分を垂仁天皇の皇后に献上し、残りを垂仁天皇の御陵に捧げ、悲しみのあまり泣き叫びながら亡くなったという逸話に投影されている。泣き叫んだ原型は、ギルガメッシュだった。


■紀元前2924年頃

世界の宗教のオリジナルは同じ① 神話と宗教誕生の流れ-------------------------------------------

 この頃より、アヌンナキは世界中に様々な宗教を作り出して、世界を混乱させていく。世界中の宗教と、その神話のオリジナルは、ニビルのアヌンナキと、アヌンナキと人間との間に生まれた半神半人の話であり、重要な部分などは削除したり書き換えるなどして、人々に知られないように操作される。また神話によく見受けられる兄と妹などの関係でありながら妻としても子供を産む話は、アヌンナキの近親相姦(きんしんそうかん)の話である。近親相姦は人間の世界では堅く禁じられている行為だが、ニビル王アヌの血の濃さを競うアヌンナキにとっては重要なことである。
 また聖書などに出てくるアブラハムやノアが何百年間も生きたという話も、彼らがアヌンナキと人間との半神半人だからである。ただ生まれた体に転生する魂は高次の存在の場合もある。例えばアブラハム、テラ、ノア、エジプトのトト(ニンギシュジッダ)などである。

 下記の話は比較的それぞれの神話で見られる内容の話だが、これらはすべてニビルのアヌンナキが関係した話である。
 
・人類の祖であるアダマ(アダム)とティ・アマト(イヴ)の話
・ジウスドラ(ノア)と大洪水の話
・大洪水の後の、ホロン(ホルス)とサトゥ(セト)のエジプトとシナイ半島での争い
・シュメールやイスラエルでの神官ティルフ(テラ)やイブル・ウム(アブラハム)の話
・紀元前2024年のアヌンナキ同士によるメソポタミアなどでの核戦争の話

 また世界の神話には必ず蛇の話が出てくる。それはエンキやニンギシュジッダ(トト)などの話である。こういったニビルのアヌンナキが関係した出来事が、人物名や表現を変え、そして他の物語とも組み合わされ、神話や聖典が出来上がっている。日本の古事記や日本書紀ですらも世界の神話と多くの共通点を見出すことができる。
 この頃までアヌンナキは世界中で活動していたので、世界の宗教と神話はアヌンナキが作ったものである。本当の事実を隠し、異なった話を広げるため神話と宗教は操作されていく。

 出来上がっていく宗教の流れを簡単に説明するならば、大洪水までのアヌンナキの話が何重にも重ねられ、大洪水後のエジプトでの話がエジプト神話となり、それがメソポタミアではイラン神話・ペルシア神話となり、そのメソポタミア付近ではやがてキリスト教やイスラム教になるまで様々な神話や宗教が作り出される。当然それらの内容は非常に似た物語が多い。
 エジプト神話からイラン神話となったものが次にインドに伝わり、それがインド神話となる。インド神話からはヒンドゥー教や仏教が生まれる。
 またメソポタミアからインドを通り中国に伝わって儒教や道教が生まれ、日本でも歴史が改ざんされ、古事記や日本書紀となって形作られていく。

 現代のユダヤ教(約1500万人)、キリスト教約(21億人)、イスラム教(約13億人)、そしてヒンズー教(9億1360万人)、仏教(3億8400万人)、日本の神道(278万人)など、世界のすべての宗教のルーツは同じ話であり、すべてが同じ神を意味しており、宗教の違いはただの名称の違いであった。つまり世界中の人々は、アヌンナキであるニビル王アヌ、エンリル、エンキ、イナンナ、ニヌルタなどを、神として崇めているのである。

 つまり信仰というのは、国や時代によって、その姿や名を変えているのである。この宇宙の本質からすれば、悪魔はおらず、悪魔とされる者は光の違う側面なのである。現在、悪魔と呼ばれているルシファーは、アヌンナキの情報操作でネガティブな存在として知れ渡ったにすぎない。一見、悪魔的に見える人と交わったとしても、その出来事はいずれその人の経験としてプラスに転じる。悪魔の基となった存在が実は救世主である。アヌンナキとは、考え方によっては人類に智恵をもたらした英雄であり、幾度も人類を滅亡の危機から救い出した救世主である。ここが現代の常識である二元論の考え方と違う部分である。

etc.
 世界の宗教のオリジナルは同じ② 大洪水--------------------------------------------------------------

 各神話の共通点はあらゆる専門家が述べているが、その中で各国の大洪水伝説(ノア)を比較してみる。

・インド
 人間の始祖マヌが手を洗っていると、小魚は、自分を救って世話をしてくれたら、あなたを救ってあげましょうという。小魚はマヌに、大洪水にそなえて箱舟をつくり、その中に入るよう告げる。小魚はやがて大きくなったので、マヌは海に放ってあげた。そして大洪水のとき、マヌは魚にいわれたとおりに箱舟に入ると、どこから現れたのか、あの魚がやって来て箱舟を引いて海を渡り、山の頂の安全な場所まで導いてくれた。こうして、すべての生き物のうちマヌだけが生き延びることができた。

・ラオスとタイ
 そのむかし、ゼン王が天界の王国に住み、下界には3人の偉大な人々、プレンスン、クンカン、クンケットがいたという。ある日、ゼン王は敬意を示すために人々に食事をする前にその一部を自分にささげなさいと命じた。人々が拒絶したので、怒ったゼン王は洪水を起こし地上を壊滅させた。そのとき、三人の偉大な人々は筏(いかだ)を組み立て、その上に小さな家を建て、たくさんの女性と子供を乗せて船出した。このようにして彼らとその子孫は洪水を逃れた。

・韓国の環峰(コリボン)伝説
 大洪水が世界を襲ったとき、朝鮮半島の環峰の山頂だけは水に侵されずに残った。人々は鳥、動物、家具、飲食物を船にのせて洪水の中を漂っていたが、船が流されないように、船をこの山頂に網で結びつけた。洪水が退いたときは人々は船から出て、この山頂に避難した。浸水の証拠として、この山からは魚介類の殻、海の土や白砂が出るという。

・中国の神話
 伏羲(ふっき)と女媧(じょか)の父がかつて自身が閉じ込め、自分の子供たちによって解放された雷公と戦ったが、雷公が洪水を起こして攻めたために二人を残して人類が滅亡してしまう。兄妹は雷公を助けた時に彼からもらった種を植えて、そこから育った巨大な瓢箪(ひょうたん)の中に避難して助かり、結婚して人類を伝えたとある。

・メキシコ、中央アメリカ
 コスコストリという男と、その妻のソチケツァルの二人は、神から事前に大災害が起こることを警告されていた。彼らは神の指示に従い巨大な船を造って災難を逃れ、高い山の頂上に着いた。そこで地上に降り、多くの子供を作ったが、ハトが木の上にとまり言葉をプレゼントするまで、言葉がしゃべれなかった。(アステカ族)

 神テスカティルポカは人類を洪水で破滅させる決心をした。だがテスピとその妻と子供たちだけを大きな船にのせ、助けることにした。この船には人間が生き残っていくのに必要な、動物たち、鳥、穀物や種などが積まれた。船は水面に露出した山の頂上についた。神テスカティルポカが洪水の水を引かせるようにしたからだ。上陸しても大丈夫かを調べるために、テスピはコンドルを放った。・・次にほかの鳥を放ったが、ハチドリだけが口ばしに枝をくわえて戻ってきた。これをきっかけとして土地は姿を現し、テスピとその家族は船から下り、人口を増やし地上を満たした。(メチョアカネセクス族)

 この、船が山の頂上に着き、その後鳥を放って様子を見るのは、聖書、シュメールの古文書、アメリカ先住民ホピ族の神話にも見られるパターンである。もちろん、このメチョアカネセクス族の話はスペイン人が大陸に来る前からある伝承神話だった。

・ハワイ
 かつて太平洋にはハワイからフィジーに達するような巨大な大陸があった。しかし、kai aka hina alii(首長を破壊する海)という名前の大洪水が起こった。マウナケア山などの高い山をのぞいて全ての土地が沈んでしまった。ヌウという神官がこの洪水を予知して、家付きのカヌーで逃れ、マウナケアの山頂で洪水の終わりを迎えた。

・オーストラリア
 オーストラリアの先住民は自分たちの起源を、景色と社会を変えてしまった大洪水に求めている。

・バヌアツ(ニューへブリデス諸島)
 クアトは平野で大きなカヌーを作っていた。それを見た兄弟は笑った。「おい、どうやって海までもって行くのか?」。クアトはカヌーに家族と生き物、そして蟻(あり)まで乗せた。そして雨を呼ぶ呪文を唱えた。すると洪水が起こり、水路ができて、あっという間に海まで流されてしまった。平野だったところは湖になった。このため彼は島で最もよいものだけを積んで船出した。

・ギリシャ
 神ゼウスは「銅の種族」すなわち地球人を滅亡させるという重大な決定を下したとき、デウカリオーンは神プロメテウスから事前に忠告をされ、木の箱をつくり、「必要なものをすべて」を中におさめ、ピュラーとともにその中に入った。神々の王ゼウスは天から大雨を降らせ、陸地のほとんどのものを水没させた。この大洪水で高い山の頂に逃れた少数の人々を除いて、人類はすべて死滅した。箱はギリシャ中部の山パルナッソスに漂着、二人は神にいけにえをささげた。

 こういった大洪水の話は世界に500くらいあると言われ、ほとんどの話が今挙げたものと似ている。

⑴ 怒った神が人類を破滅させることにした
⑵ しかし、人格者の家族にはそのことを知らせた
⑶ 船もしくは箱をつくる、その中に動物たちと入る
⑷ 大洪水が来て、船は山の頂上に着く
⑸ 鳥を放って様子を見る

などである。大洪水の話はメソポタミアのギルガメシュ叙事詩、アッカド神話(バビロニア神話)、旧約聖書、インド神話などにも見られる。

etc.

世界の宗教のオリジナルは同じ③ 処女からの出産と誕生日----------------------------------------

・BC3000年頃、エジプト神話のホルスは、処女イシスから12月25日に生まれた。
・BC2250年頃、アッカド神話のタンムズ(ドゥムジ)は、処女ミルラから12月25日に生まれた。
・BC1200年頃、ペルシアのミトラ教のミトラは、処女から12月25日に生まれた。
・BC900年頃、インド神話のヒンドゥー教のクリシュナは、処女デーヴァキーから生まれた。
・BC800年頃、フリギアのキュベレー信仰のアッティスは、処女ナナから12月25日に生まれた。
・BC500年頃、ギリシア神話のディオニューソスは、処女から12月25日に生まれた。
・50年頃、キリスト教のイエス・キリストは、処女マリアから12月25日に生まれた。


世界の宗教のオリジナルは同じ④ インドのクリシュナとキリストの類似-----------------------

 クリシュナはBC7世紀頃に活躍した実在の人物で、ヤーダヴァ族の精神的指導者として、バクティ思想の萌芽(ほうが)を含む新しい教えを説き、その神をバガヴァットと称した。クリシュナは死後、そのバガヴァットと同一視され、神格化されるに至った。そして、このような逸話はほとんどイエスの予型といって良い。イエスの逸話と対比させると、次のようになる。

a:クリシュナが自分の子ではなく神の子だと知った父ヴァースデーヴァは戸惑った。
 ヨセフはマリアの懐妊を知り、婚約を解消しようとするが、天使のお告げによって神の子であると知り、思いとどまった。

b:救世主クリシュナが誕生することを知ったカンサ王は恐怖に慄(おのの)き、近隣の町や村の嬰児(みどりご)を虐殺するよう命じた。
 イエスが誕生する時、ヘロデ王は恐怖に慄き、ベツレヘムと周辺一帯の嬰児を虐殺した。

c:クリシュナは8番目に生まれた。
 イエスが誕生する前、八角形で象徴されるベツレヘムの星が輝いた。

d:クリシュナは卑しい牢獄で誕生した。
 イエスは貧しい馬小屋で誕生した。

e:赤子のクリシュナは、カンサ王の虐殺から逃れるために、ヤムナー川を渡っている。
 赤子のイエスは、ヘロデ王の虐殺から逃れるために、ナイル川を渡ってエジプトに行っている。

f:クリシュナは幼い時から強い霊性を発揮して人々を驚嘆させているが、悪戯もして、母親を心配させている。
 イエスは幼少時代、神殿で学者たちを相手に時を忘れて議論したので、帰りを心配した母マリアは遅くなるまで探し回っている。

g:クリシュナはヤムナー川に住む悪龍カーリヤを退治するため、頭の上に立ち上がり、踊って追い出している。創世記には、龍とはサタンのことで、蛇の頭は足で砕かれる、とある。
 イエスは、サタンからの誘惑をすべて拒絶している。

h:クリシュナは成長すると、“牛飼いクリシュナ”と呼ばれるようになる。
 イエスは成長すると、“良き羊飼い”と呼ばれるようになる。

i:クリシュナは、暴風雨に困っている牛飼いたちのために、神通力で山を持ち上げ、その下に避難させている。
 使徒たちが小船に乗っていると嵐になるが、イエスは一言で嵐を鎮め、信仰が強い者は山をも動かせる、と言っている。

j:神に祈った後に全裸で水浴びする牧女たちから衣服を奪い取り、カダムバの木に1人ずつ礼拝することを命じている。
 時として、イエスを唯一の花婿として全人類を花嫁としている。その典型が10人乙女の例え話であり、天国=「生命の樹」にあずかる花嫁の選ばれ方が示してある。

また、クリシュナはヴィシュヌ以上に16000の分身を創った神とされている。つまり、古代インドの「神々」の正体はすべてクリシュナであり、そのクリシュナはヴィシュヌの具現化した姿である。


世界の宗教のオリジナルは同じ⑤ 神話の中の地球の地軸の歳差運動の数字---------------------

 伝説、神話の中に地球の地軸の歳差運動の数字があちこちに鏤(ちりば)められている。このことから世界の宗教は、ある特定の同類の存在が作ったものであることが見えてくる。

 その中で9で割り切れる歳差運動の数字に注目する。地球の地軸は固定されておらず、コマの軸のように微妙に円運動をしている。それを歳差運動という。地軸の円運動は2万5920年で一周する。30度動くのに2160年。春分の日の、日の出の太陽の背景には12星座のどれかがある。その移行速度は1星座で2160年。歳差運動と完全に連動している。イエスキリストの時代は魚座で、そのため初期のキリスト教のマークは魚であった。

 これらの歳差運動の数字が、古代の神話の中に鏤(ちりば)められている。歳差運動を表す数字は3や9で割り切れる数字で、とくに12、30、36,54、72、108、360、2160、4320、25920といった数字ですべて表現できる。
 地軸が一周するのにかかる25920年、30度で2160年、15度で1080年、1度で72年と、すべて9で割り切れる。これらは偶然ではない。
 国際プロジェクトSETI(地球外文明探査)の40周年を祝う会議上で、おそらく太陽系は優れた文明によって構成された人工システムである、と宣言された。つまりこの太陽系は異星人によって造られたのである。この歳差運動に関わる数字が、世界各地の神話や建築の中に見出せるのである。

・北欧の伝説(最高神ワルハラが神々の最後の戦いに挑むところの一節)
 500と40の扉がヴァルハラの壁にあるだろう。800の戦士がそれぞれの扉から出ていき、狼との戦いに赴く。540の扉×800人の戦士=43200人の戦士。43200は、地球の地軸が一周と240度回った年数である。4320や43200という数字は、世界中の古文書に頻繁に出てくる数字である。シュメールの粘土板古文書にも43万2000年前に神々アヌンナキらが地球に初めて降り立った、と書かれている。また地球の半径を43200で割ると、エジプトの大ピラミッドの高さになる。また地球の赤道周囲の長さを43200で割ると、大ピラミッドの底辺の周囲の長さになる。

・マヤのロングカレンダーにも、歳差運動を計算するのに必要な数字が登場する。例えば、1トゥン=360日、6トゥン=2160日、1カトゥン=7200日、6カトゥン=43200日、15バクトゥン=216000日といったように。

・中国の王朝図書館にあった、古代から伝わる「すべての知識を網羅する」といわれる古文書の巻数は、4320巻であった。

・インド神話リグ・ヴェーダは10800連の詩からなっている。その各連は40の音節からなり、文章全体で43万2000の音節で構成されている。

・ブッダとUFOを模したと言われているインドネシアの寺院ボロブドゥールの仏塔は、ちょうど72ある。

 ・アンコールワットの入る門は全部で5つあり、1本の道沿いには108体の巨大な石像が並んでいる。石像は全部で540体ある。

 これらは一例である。


世界の宗教のオリジナルは同じ⑥ 2匹の蛇はニンギシュジッダ信仰------------------------------

 この頃から世界各地では、蛇を崇拝する文化が増えてくる。蛇信仰の中でも2匹の蛇はアヌンナキのニンギシュジッダを表している。また生贄の文化も同様に見られるのは、アヌンナキが広めた黒魔術の文化であり、生贄によって低層4次元にいるアヌンナキである悪魔を召喚し、彼らにネガティブな力を与えている。蛇の神話や歴史が残っている場所からは、アヌンナキの活動範囲が見えてくる。

●アフリカの蛇崇拝
 サハラ以南のアフリカ全土では、57個の原住部族において蛇崇拝の文化が存在し、西アフリカに存在するダホミー族、フイダ族、ポポ族、アシャンティ族、ヨルバ族、アイボ族、ベニン族、イジョー族などは大蛇であるパイソン信仰をおこなっている。蛇の寺院に棲んでいるパイソンは神の化身であり、他の場所にいるパイソンについても同様に神の化身と見なされた。また古代エジプトでは王権の象徴とされた。

●日本のヤマタノオロチ
 日本ではヤマタノオロチが有名で、スサノオノミコトという嵐の神が、高天原を追い出されて出雲国に落ち延び、そこで8つの頭を持つ大蛇のヤマタノオロチの生贄となりかけたクシナダヒメを救うため、強い酒を用意して大蛇に飲ませ、酔っ払ったところで首を切り落として打ち倒し、クシナダヒメを救い、彼女と結ばれるという神話が残っている。
 また後述しているが、沖縄の北谷(ちゃたん)の海底に沈んでいるピラミッド複合施設には、長さ20mの2体の蛇(ニンギシュジッダを表している)の石像がある。


●中国神話
 中国神話の蛇神で有名なものは、伏義(ふっぎ)と女媧(じょか)が挙げられる。蛇身人面の兄妹神であり、黄土をこねて人間を作り上げた人間の生みの親とされている。伏義(ふっぎ)と女媧(じょか)はニンギシュジッダである。
 ギリシャ神話では、伝令の神であるヘルメスの持つ杖に、翼の生えた蛇2匹が巻き付いている。ヘルメス(ニンギシュジッダ)が商業の神であったことから、蛇もまた商業の神として崇められるようになった。また蛇が自分のシッポを飲み込もうとする姿を図案化したウロボロスは「完全」を象徴している。


●アボリジニの宗教
 オーストラリア北部のアーネムランド(オーストラリアの先住民であるアボリジニの聖地)に暮らしているアボリジニのヨルング族に伝わる神話の歌にも、「すべてのものを作り出す虹蛇」という蛇が出てくる。
 アボリジニの宗教はトーテミズムと呼ばれ、彼らの宗教は「ドリームタイム」の思想の理解が重要である。「ドリームタイム」とは、アボリジニの生命の起源を説明するものであり、創世記または神話の世界を意味するものである。それによると、昔、神々(アヌンナキ)の時代があり、その時に「虹の蛇」とされる創造神が現れ、人間をはじめとして土地、動物、植物などすべてを創造した。すべてを創造し終わると、創造神は、自らが創造した被造物のどれかに化身して大地の中に潜んだ。つまり、生命の源は精霊であり、大地や、動植物には精霊が宿るとされていた。そして、精霊は自由に大陸を動き回り、その精霊が出産適齢期の女に乗り移ると子供が生まれると考えられてきた。その結果、精霊が宿っている動物、植物などをトーテムとして、各部族は信仰の対象とし、精霊が宿り、やがて死んでまた生まれ変わっていく場所を聖地として大切にしていたのである。
 そんなアボリジニは、天地創造の時代(ドリームタイム)から現在にいたるまで存在する精霊を信仰の中心としてきた。この精霊こそが、自然界のすべてを創造し、伝統的な儀式を司り、踊りや歌や絵画などさまざまなものに生命を吹き込むのだと信じている。

 アボリジニのヨルング族に伝わってきた神話を踊りで表現する儀式では、男性のダンサーが虹蛇(Rainbow Serpent)を象徴する2本の特別な棒を持っている。2匹の蛇、つまりアヌンナキのニンギシュジッダを表す歌である。

●ブードゥー教、マクンバ、カンドンブレ、サンテリア
 アボリジニのヨルング族に伝わる虹蛇を同じように神として崇めているのが、ブードゥー教という黒魔術である。ブードゥー教は、西アフリカのベナンやカリブ海の島国ハイチやアメリカ南部のニューオーリンズなどで信仰されている。ハイチや西アフリカではヴォドゥン(Vodun)と呼び習わされ、西アフリアのベナンでは国教となっている。黒魔術自体がアヌンナキ由来である。
 ハイチのブードゥー教の最高神は肥沃(ひよく)の蛇神ダンバラーウェイド(Damballah Wedo)で、その妻が虹蛇(Rainbow Serpent)の女神アイダ・ウェッド(Ayida Weddo)である。この二つの神は、中国の伏義(ふっぎ)と女媧(じょか)のように2匹の蛇で描かれる。2匹の蛇、つまりアヌンナキのニンギシュジッダを表し、それはDNAの螺旋構造を表しており、人間を遺伝子操作によって作り出したニンギシュジッダを表している。ギリシア神話ではヘルメースはニンギシュジッダで、ヘルメースが持っているのは2匹の蛇が巻きついている杖カドゥケウスである。
 また、ダンバラーウェイドとアイダ・ウェッドのシンボルでは、イナンナを表す八芒星やフリーメイソンのコンパスと直角定規のような図柄も見られる。さらにブードゥー教の旗にもそれらが見られ、イナンナを表す渦模様も見られる。これらは当然アヌンナキ由来だからであり、中国の伏義(ふっぎ)と女媧(じょか)の絵の構図と同じである。 




 1400年代から約400年の間、ヨーロッパ人による奴隷貿易により約1500万人のアフリカ人がヨーロッパや南北アメリカ、カリブ海諸島に奴隷として連れて来られた。そのときに、彼等の信仰であるブードゥー教も持ち込まれ、ハイチで独自に発展した。さらにアメリカ南部のニューオーリンズにもブードゥー教は定着し、ブラジルではマクンバやカンドンブレ、キューバやベネズエラではサンテリアとして発展する。


 黒魔術であるブードゥー教というのは、動物の死骸や血、酒などのお供えと交換で悪魔に願いを叶えてもらうもので呪いの儀式である。日本人には呪いの儀式などとの関わりはほとんどないが、ブラジルでは自分を裏切った恋人を不幸にするためなど、恨みを晴らすものとして市民が日常的にマクンバを使用することもある。


●マヤ文明やアステカ文明のケツァルコアトル
 アステカ文明では羽毛のある蛇の姿をした神のケツァルコアトル(ニンギシュジッダ)を神と崇めている。
 そしてメキシコのマヤ文明の古代都市チチェン・ イッツァのククルカンの神殿では、昼夜の長さが同じになる春分と秋分の時期だけに太陽が西に傾くと、階段の側壁にピラミッドの影が蛇の胴体となって浮かび上がり、階段下部のククルカンの頭像と合体し、巨大な蛇が姿を現す。この蛇の頭像も2つあることから、2匹の蛇でアヌンナキのニンギシュジッダを表す。ククルカンはケツァルコアトルと同一で、マヤ神話の創造神で3回にわたる人類の創造に関わっている。


 生贄を捧げる儀式も悪魔であり神であるアヌンナキを呼び出したりするためのもので、アヌンナキ由来の黒魔術である。

●インカ文明
 南米のインカ帝国(クスコ、マチュピチュ、サクサイワマン、マルカワシ高原など)の国旗も、2匹の蛇の絵柄となっている。つまりニンギシュジッダを表している。彼は世界中の多角形の石積みによる巨石遺跡を作った。







世界の宗教のオリジナルは同じ⑦ 7つ頭の蛇はマルドゥク-----------------------------------------

●旧約聖書の蛇
 旧約聖書で蛇は、智慧(ちえ)を知らぬアダムとイブをそそのかし、神の持ち物である智慧のりんごを食べさせた堕落の象徴として描かれている。

●7つ頭の蛇の絶対神ナラヤナとルシファー
 イルミナティのロッジでは、「ルシファーの嫁」という位階の女性が大理石でできた七頭龍に乗り移ったルシファー(サタン)と対話し、ルシファーが決めた今後の政策を高い階級のイルミナティやフリーメーソンに伝えている。ルシファーとは元々はエンキの名であったが、それを後でマルドゥクが乗っ取った。

 ルシファーは7つ頭の蛇として語られていることが多く、絶対神ナラヤナ(ナーガラージャ)であるルシファー信仰は、いつの時代も存在する。後のヒンドゥー教の神であるヴィシュヌと一緒に描かれる蛇神の諸王アナンタも、ナラヤナである。インドやエジプトで蛇が神聖視されている理由は、ナラヤナにルーツがある。沖縄のロゼッタ・ストーンには、「かつて栄えた偉大なる王の宮殿は、忌まわしき蛇の力によって、海の底へ沈んでしまった」という内容の石板が存在する。

 メソポタミアでは7が神聖な数字だった。7つの「メ」、7人の賢者、7種の悪霊、冥界の7つの門、天の7つの層など、世界観や集団の数にその思考がはっきりと現れている。ユダヤ教でも、神が7日で世界を創造したので、7は神聖なのだといわれ、エジプトでも多くの数字が神聖なものと関連しているが、7もまた重視された。またシュメール時代からアッカド時代(紀元前2800年代~前2100年ごろ)にかけて作られた円筒印章や陶器などには、7つの頭を持った怪物が描かれている。
 円筒印章では、怪物は蛇のように胴体が細長く、そこからダックスフンドのように短い脚が4本生えている。肩のところからは長い首が伸び、さらにその首から6本の長い首が生えている。これら7本の首のうち上3つは斜め上をむいており、そして口から、先の割れた舌を突き出している。首の先についている頭は蛇のものである。しかし下4つは生命力が失われており、斜め下に首が倒れうなだれている。また、先の割れた舌も突き出されてはいない。背中からは、非常に長い背びれのようなものが6本生えているが、尾は生えていない。戦っている角が生えた冠をかぶっているのは、2人の神々である。彼らは槍をもち、怪物の前後からそれを突き刺している。
 別の陶器片には、また違った形の7頭の蛇が描かれている。その蛇はとぐろをまいており、尻尾は一つ。頭がきれいに7つに分かれている。そしてそのうち2つは切断されているように見える。

 またシリアでは、蛇は神の主要な敵である海の怪物として描かれている。ヘブライではレヴィアタンが七頭の蛇と表現されるときは、必ずヤハウェに倒されるときである。レヴィアタンの伝統は新約聖書にまで続き、悪魔の代表と変化する。
 頭の数は7ではないが、古代ギリシア神話では、ヒュドラという多頭蛇がおり、ヒュドラは固有名詞ではなく水蛇といった意味である。ヘラクレスはこのヒュドラを退治しなければならないが、何度でも再生する首に立ち向かうため、甥のイオラオスの助けを借りる。シュメール(ニビル王アヌが創造した文明)での蛇ムシュマフは、確実に水と関係している。こういった神話では、主に英雄が多頭蛇を退治する。時代的にも地理的にも非常に離れたシュメール、ギリシア、インドで、同じような蛇の物語が残っていく事となる。

●東南アジアの蛇
 東南アジアにも蛇の物語は残っている。下記の写真は東南アジアで広くみられる仏像で、7つにわかれた頭をもった蛇がとぐろを巻き、その上に仏が座っている像である。これは釈迦が苦行をしていると、竜王がその頭を笠のようにさしかけて雨露から守った、ということで、竜王護仏像と言われている。これは蛇の7つの頭が次第に変形して、木の葉や衣紋や冠のさきに変化したものである。これらの突起が7つ数えられる。写真は左から如来(ビルマ)、竜王護仏(タイ)、竜王護仏(タイ)である。

 下記の写真では7つの突起はより発達し、タイのものでは太陽の光のように放射しており、ネパールのターラ菩薩では肩を飾る大きな花びらに変わり、さらに進んで左端の観音像の手と冠になっている。ネパールの観世音菩薩では、竜王の頭が6本の手に変化している。手は左右対称になり、真ん中の頭は手にすることができないので、突出した冠に変化している。写真は左から、観世音菩薩(ネパール)、ターラ菩薩(ネパール)、竜王護仏(タイ)、如来(ラオス)。

●新約聖書の赤い竜
 また赤い竜は、新約聖書の『ヨハネの黙示録』十二章及び十三章に記される竜である。英名にある通りエデンの園の蛇の化身であるのと同時に、サタンが竜となった姿であり、サタンの化身とも言える姿である。以下のような姿で描写される。
「また、別のしるしが天に現れた。見よ、火のような赤い大きな竜である。七つの頭と十本の角があり、その頭には七つの冠をかぶっていた。」

「わたしはまた見た、一匹の獣が海の中から上ってきた。これには十本の角と七つの頭があった。その角には十本の王冠があり、頭には神を冒涜するさまざまな名があった。わたしが見たこの獣は、豹に似ており、足は熊の足のようで、口は獅子の口のようであった。竜はこの獣に自分の力と大きな権威とを与えた」

etc. 

宗教による性行為の意識の変化--------------------------------------------------------------------------

 この頃から性の意味が変化してくる。私有意識の定着から性も私有対象になっていく。女性と結婚するためには羊10頭、といった婚資の登場は性が商品価値として認められたことを示す。
 すると男は、手に入れた女性は自分のモノ、他の男には絶対渡さない。女は自分の性をできるだけ価値あるものにして、財力のある男に高く売りたい。こうして性は、簡単には手に入らないものとなり、私的なものへと変化していった。
 性が私的なものになればなるほど、浮気や寝取られたりでトラブルが続出する。不倫が死刑に値する罪とされる習慣は多く見られる。そうして現代の性意識の原点になったのがキリスト教の快楽性は罪、セックスは夫婦の一対一関係のみに許される、という性規範である。
 しかしいくら厳しく戒律で定めても性の快楽は存在する。性はどんどん秘め事になり、恥ずかしいことになり、特別な相手のみに許すもの、という考え方が一般的になっていった。
 下記のイヌイット、タヒチ、日本の例も、ヨーロッパ文明が世界に広がる過程でキリスト教的性規範が浸透し、性は邪、私的なものへとごく最近塗り替えられてきた。つまり現在の性意識は決して普遍的なものではない。

キリスト教が世界に広がる前の性の風習
・イヌイットは、お客のもてなしに自分の妻を貸す。日常的にセックスは大家族に見守られながら行う。
・タヒチでは、ヨーロッパ人が侵略してきたとき、若い娘たちの性で歓迎した。
・日本には昭和初期~戦後まで夜這の風習が残っていた。


■紀元前2850年頃

イナンナをめぐるエンメルカルとアラタ(インダス地方)の抗争------------------------------------

 この頃、“エンメルカルとアラタ(インダス地方)の抗争”が始まった。これはウルクの統治者エンメルカルと、アラタの王(名前不明)との間に起きた権力闘争と、“女神との愛”にまつわる物語である。

 この抗争は、イナンナの権力拡大と共に起きたものだった。イナンナが遠い地アラタ(インダス地方)に住むか、あまり知られていないウルクに滞在するかを決めかねており、これがエンメルカルとアラタ(インダス地方)の女神招聘(しょうへい)合戦へと発展したのである。
 その最終的な目的は、イナンナがどちらに住むかということではなく、どちらの王と“愛の契り”を結ぶか、ということだった。イナンナは最終的にウルクへ移ったが、冒険好きな旅行者イナンナは“アラタ(インダス地方)の彼女の家”も見捨てなかった。
 このような密通は、イナンナの両親のみならず、双子のウツの不興も買ってしまった。ウツに叱責されたイナンナは、こう述べた。「それなら、誰が私の性欲を満たしてくれるの?私のアソコの小さな丘を、どなたが耕してくれるの?私のアソコは濡れた畑。どなたが牛を入れて下さるの?」
 これに答えてウツは言った。「おやおや、淑女ともあろう者が。ドゥムジが、立派な種を持っている。お前のために、耕してくれるさ」


■紀元前2760年頃

エジプトへの死生観植え付けとマルドゥクの野望----------------------------------------------------

 ギルガメッシュ統治後、更に7人の王がウヌグ・キ(ウルク)を統治し、地球年でちょうど1000年が経過した時、第1の地域のメソポタミアの王権はウリム(ウル)に移された。このような事柄すべてに、マルドゥクは大いに留意した。そして、ドゥムジの領地奪還を仄めかすイナンナの夢や幻影に彼は動揺し、その企てに対抗することにした。彼は、“死と復活”の問題に、熟考すべき点が多いことに気がついた。そして、“神の神性”という概念は彼の興味を大いに惹き、何と、自分自身が偉大なる「神」になると宣言した!

 血統的にほとんど地球人であるギルガメッシュに対して許可されたことに、マルドゥクは腹を立てた。だが、王や民の忠誠を維持するためには、「神」の国へ行って長い寿命が授けられる、「神」の領域に近づくことができるという考えは、賢い方法であると見なした。半神半人が不死への出入り口を教えてもらえるのなら、自分の領地の王たちにも、これを適用しようとマルドゥクは決めた。自分の地域の王をネテルの子孫ということにして、“来世”でニビルに旅させよう、と決めた。
 彼は“ティルムンの土地”がある、東を向いた墓を建てる方法を王たちに教えた。そして、神官(筆記者)に長い本(死者の書)を与え、それには“来世の旅”について詳しく記されていた。“ドゥアト(ティルムンの土地のエジプト名)”への辿り着き方、そこから“天国への階段”で不滅の惑星への旅の仕方、“生命の植物”を食べること、“若さの水”を飽きるまで飲むことについて記されていた。神官たちは、地球への「神々」の到来について、マルドゥクから教えられた。「金は生命の輝きだ!神々の肉体なのだ!」とマルドゥクは教えた。そして、金を手に入れるために、アブズと“下の領域”に行くことを王たちに指示した。

 王たちが武力によって自分たちのものではない土地を征服した時、マルドゥクは自分の兄弟たちの領域を侵犯し、彼らの怒りを引き起こした。「マルドゥクは何を企んでいるのか。我々を踏みにじる気か?」と兄弟たちはお互い尋ねた。彼らはこの行為をエンキに訴えたが、マルドゥクはエンキの言うことすら聞かなかった。彼は隣接するすべての国を占領するよう、マガン(エジプト)とメルーハ(ナビア:エジプト南の古代王国)の王に指示した。第4の地域(シナイ半島)の宇宙船基地(宇宙港)を占領して支配者となることが、マルドゥクの真の目的だった。「地球を支配するのは私です!」彼は父に断固として譲らずに宣言した。マルドゥクは究極のエゴの塊りであった。

 マルドゥクはエジプト人に“来世で神の国に行き、そこで復活できる”という死生観を植え付けようとし、復活するためには肉体が必要なので、ミイラという保存方法が開発された。つまり、マルドゥクの言う“死と復活”の問題とは、このようなことであり、イエスに関連するような“死と復活”ではない。
 
 後に現代社会を支配するグローバル・スタンダード(世界標準)を実現させたイルミナティは、マルドゥク一派の系統である。まさに、邪悪な蛇である。邪悪な蛇と言えばマムシだが、そのマムシに例えられたイスラエルの支族はダン。つまり、その連中の中核にはダン族がいたということである。通常はレビ族が除外されて十二支族とされているが、ヨハネ黙示録に記されている、救われる十二支族にはレビ族が含まれる代わりに、ダン族が記載されていない。それは、こういう意味であった。



アッカド------------------------------------------------------------------------------------------------------

 王権がウヌグ・キ(ウルク)からナンナルの都市ウリム(ウル)に移されると、ナンナルと配偶者ニンガルは民に微笑みかけ、彼らは崇拝された。月に縁のある彼は、1年の中に月を定め、それぞれの月に祝祭を制定し、12人の偉大なアヌンナキに捧げられた。そして、第1の地域には、至る所に聖堂や聖所が建てられ、人々は「神々」に直接祈ることができた。国中に豊かさ繁栄がもたらされると同時に、言い争いや侵害行為もあった。彼と配偶者のニンガルは、非常な情け深さで人々を指揮したので、ナンナルは愛情を込めて“父ナンナ”と呼ばれていた。

 イナンナはその間ずっと、“空の船”で国から国へと飛び回っていた。“上の方の海”ではウツと戯れ、イシュクルの領地では彼をドゥドゥ、“最愛の人”と呼んだ。彼女はメソポタミアのチグリス川とユーフラテス川の2つの川の、上流の平野のアッカドに住む人々が気に入った。彼らの言葉を心地良く感じ、その言葉の話し方を学んだ。彼らは彼女のことを、金星を指す“イシュタル”という名で呼んだ。彼らはウヌグ・キをウルク、ウリムをウル、ニブル・キをニップール、イシュクルをアダド、ナンナルをシン、ウツをシャマシュと呼んだ。そして、キ・エンギの土地はシュメールと呼んだ。



世界各地の女神崇拝とイナンナの土偶------------------------------------------------------------------

 イナンナは相変わらず放浪し、世界中を飛び回って豊穣の女神として崇められた。それと共に広がったのが“聖なる結婚”であった。しかし後に、マルドゥクの改竄によって“神への人間の犠牲”を行うところも出てきてしまうことになる。
 この頃から世界中でイナンナの女神像が作られる。日本のイナンナ像は、主にノアの大洪水後の日本で始まった紀元前9000年頃からの富士王朝時代に作られた。そのイナンナ像の姿は場所によって変わっているが、それらには共通点があり、地域によって共通する部分が異なっている。それは下記のようなものである。

●目が細く、爬虫類のよう。
●肩幅が広く、脇の下に空洞がある。
●胸が出ている。もしくは胸を触っている。
●基本的に肉付きが良い
●下半身が太い。特にお尻回りが太い。
●稀に赤子を抱いている。
●おへそが目立つ。
●全部ではないが服装が宇宙服に見えることもある。またデザインセンスが良い。
●三角形の下着を着ている。
●ポーズがよく似ている。
●座っているか立っている。
●渦(うず)のマークがある。特に日本の土偶など。


etc.

マルドゥクの独断的宣言-----------------------------------------------------------------------------------

 第1の地域シュメールでは、都市間の持ち回りで王権を担当したが、第2の地域エジプトでは、そのような多様性は認められず、1つの都市だけで統治することをラー(マルドゥク)は望んだ。神の一番上の子、地球における第一子、彼は神官たちにそう知らしめたかった。最古の時代から第一位、彼は賛美歌でそのように歌わせた。永遠の王、永遠を作りし彼、すべての神々を率い並ぶ者の無い者、偉大なる唯一無比の者!

 こうして、マルドゥクはラーとして、あらゆる「神々」の上に自分を君臨させた。彼らの力と属性を、勝手に我が物のように語った。
「私はエンリルとして支配権を持ち、法令を司り、ニヌルタ(アラム・ムル)として鍬(くわ)と戦闘を司る。イシュクルとして稲妻と雷を司り、ナンナルとして夜を照らし、ウツとして昼を照らし、ネルガルとして冥界を統治する。ギビルとして黄金の奥深さを知っており、どこから銅と銀が産出するのか、私が発見した。ニンギシュジッダとして数とその数え方を私は命じ、天は私の栄光を示している!」
 このような宣言に、アヌンナキの指導者たちは動揺した。マルドゥクの兄弟たちはエンキに伝え、ネルガルはニヌルタたちに自分たちの懸念を伝えた。
「お前は一体、何に取り憑かれているのだ?お前の主張は、無法にも程がある!」
とエンキがマルドゥクに言った。
「天が、天が私の覇権を示しているのです!エンリルの星座、“天の牡牛”は彼の子孫によって惨殺された。天では私の時代、“牡羊の時代”がやって来るのです。その前兆に、疑いの余地はありません!」
とマルドゥクは答えた。

 シュメールのエリドゥの住まいでエンキは星座を調べ、1年の始まりである立春の日に、日の出の方角を注意深く観察した。その日、太陽は牡牛座の間に昇って来た。ニブル・キとウリムでエンリルとナンナルが観測し、“下の世界”ではネルガルがその結果を裏付けた。まだエンリルの牡牛の時代で、牡羊の時代はまだ先だった。しかし、マルドゥクは主張を曲げなかった。彼は自分の領地に使者は送らず、息子ナブの力を借りて、人々にラーの時代がやって来ると発表した。
 これに対抗するため、指導者たちは人々に空の観測の仕方を教えるよう、ニンギシュジッダ(トト)に頼んだ。彼は知恵を働かせ、石の建造物を考え出し、ニヌルタとイシュクルが建造を手伝った。それはあちこちに設置され、彼らは人々に空の観測方法を教えた。そうして、太陽がまだ牡牛座の位置にあることを示した。エンキはこれらの成り行きを悲しい気分で見守り、如何にして“宿命”が正当な秩序を捻じ曲げるかに思いを巡らせた。「アヌンナキは自らを神と宣言した後、むしろ、人類からの支援に依存しているのだ!」

 マルドゥクは勝手に自らが最高神であることを宣言した。これが元となって、聖書の唯一絶対神ができた。またイスラム教の唯一神“アッラー”は“ラー”を含むので、マルドゥクということである。1日に5回も礼拝を強要するのは、如何にもマルドゥクというところである。


ニンギシュジッダが作った世界の石積みの共通点----------------------------------------------------

 世界各地にはどのようにして作ったのかわかっていない巨石遺跡が、数多く存在する。多くの場合、巨石を多角形の形状に正確に切り出し、指も入らないほどに隙間なく積み重ねている。ただ四角い石を切り出すのではなく、10角形以上のものも存在し、上下の面にも凹凸をつけ切り出して積み重ねることで、どんな方向にもずれないようになっている。
 大阪城などの場合、後に人間が作った石積みも見られ、その場合は、石の大きさも小さく、形も不揃いで、隙間も多い。大阪城は石山本願寺の跡地に1583年(天正11年)、羽柴秀吉が築城を開始した。顕誓(けんせき)が1568年に書いた史料によると、その時すでに、そのまま礎石(そせき)に使える大きな石が土中に多数揃っていたという不思議な状況があった。そしてそれに因んで、石山と呼称したようになったのであろうとしている。つまり石山本願寺建設前には、すでにニンギシュジッダによる巨石がそこにあったのである。
 下記の地図からもわかるように、ニンギシュジッダと、それを手伝ったニヌルタとイシュクルは世界中に現れて、石の神殿を築いていった。


イースター島のモアイもアヌンナキのニンギシュジッダ作------------------------------------------

 モアイで有名なイースター島にも、世界各地の巨石建造物と共通した石積みがある。つまりモアイを作ったのも、巨石を動かしデザインするテクノロジーを持ったアヌンナキとなる。


 そして地中にはモアイの胴体が埋もれていた。各地の巨石と同じく、100トン近い石を動かしたのは、人間の筋肉ではない。


イタリアのサルデーニャ島のアヌンナキ----------------------------------------------------------------

 地中海で2番目に大きいサルデーニャ島(イタリア)では、紀元前1,000年代にヌラーゲ文明が栄えた。そこではここまででてきたアヌンナキの文化が多く見られる。イナンナを表す胸の出た土偶、ニンギシュジッダが持つ巨石を精巧にカットする技術が使われたサンタ・クリスティーナの神聖なる井戸と、Fonte Sacra Su Tempiesu(日本語名不明)の多角形の石積みの井戸、そしてピラミッドやメソポタミアのアヌンナキのジッグラトに似たモンテ・ダッコッディの聖塔「ジッグラト」、そしてサルデーニャ島の先住民だったという巨人伝説とカブラスより出土した石像巨人である。ヌラーゲ文明が生まれる前に、アヌンナキはサルデーニャ島で巨石文化を作り出していた。


地中海のマルタの巨石神殿群-----------------------------------------------------------------------------

 イタリアの南の地中海には、マルタ島とゴゾ島が並んで浮かんでいる。ゴゾ島のジュガンティーヤの2つの神殿は、新石器時代(紀元前3600年から2500年ごろ)に建設されたものである。ゴゾ島の伝承によれば、巨人がこれらの神殿を建て、礼拝所として使ったという伝承が残っている。この巨人とは当然アヌンナキである。
 この2つの島にはハジャール・イム神殿、イムナイドラ神殿、ムナイドラ神殿、タルシーン神殿、ジュガンティーヤ神殿があり、すべてに多角形の石積みが見られる。またイナンナを表したヴィーナス像も出土している。


ポルトガルの聖母ラッパの石窟礼拝堂の多角形の石積み--------------------------------------------

 ポルトガルには巨石が乗った教会があり、そこや他のキリスト教の聖母ラッパの石窟礼拝堂にも多角形の石積みが見られ、十字架が彫られている事から、アヌンナキがキリスト教の建物を建てたということである。


南米ペルーのオリャンタイタンボ遺跡------------------------------------------------------------------

 ペルーのオリャンタイタンボ遺跡も多角形の石積みがある。この遺跡は1536年のインカ帝国の砦としても使用された。


スリランカのポロンナルワの遺跡群---------------------------------------------------------------------

 ポロンナルワはスリランカ北中部州にある中世の古都で、1017年から1255年までスリランカの首都であった。ここにもアヌンナキの多角形の石積みの遺跡が数多くある。ここに彫られている巨大な仏陀の石像も、アヌンナキのテクノロジーによって彫られたのである。

 僧の坊主頭は、半神半人のアダパが、身分が上のニビル王アヌに会うために剃ったことに由来する。このブッダの像もアヌンナキのテクノロジーによるもので、彼らはキリスト教だけでなく、仏教も作り出した。


東南アジア、西ジャワ州、グヌン・パダン遺跡のアヌンナキ---------------------------------------

 ここからは東南アジアに建設された巨石建造物を見ていく。
 西ジャワ州のグヌン・パダン遺跡は、ヒンドゥー教や仏教が伝来するはるか以前に存在した。ここでの石積みも、アヌンナキのニンギシュジッダが作った各国の巨石建造物と共通している。
 またこの遺跡から少し東のガルトには、ピラミッドが存在する。調査団の検証により、このピラミッドは人工的に作られたことが明らかになっている。ただ少なくとも紀元前7500年以前のものとされている。


東南アジア、ジャワ島、ボロブドゥル寺院-------------------------------------------------------------

 ボロブドゥル寺院は、インドネシアのジャワ島中部のケドゥ盆地に所在する大規模な仏教遺跡である。この建造物もアヌンナキによるものだが、釈迦如来の像があることから、少なくとも紀元前500年以降に建てられた物と推測される。
 5kmにわたる回廊の壁には釈迦の生涯を描いたレリーフが続くが、この石積みも世界各国の巨石建造物に見られる多角形が含まれ、細かく見れば少し曲線にカットされた部分もあり、それは隙間なく積まれている。この石積みに彫られているレリーフも当然、アヌンナキのテクノロギーによって彫られたものである。


東南アジア、カンボジアのプレアヴィヒア寺院--------------------------------------------------------

 プレアヴィヒア寺院(Preah Vihear Temple)は、カンボジアとタイ王国国境にあるダンレク山地内のカンボジア王国領内(プレアヴィヒア州)に位置するヒンドゥー教寺院である。ここにも同じく世界の巨石建造物と共通のアヌンナキの石積みがあり、獅子(ライオン)像も存在する。


東南アジア、カンボジアのアンコール・ワット-------------------------------------------------------

 カンボジア北西部に位置するアンコール・ワットにも、多角形の石積みや獅子(ライオン)像が存在する。
 アンコール・ワットは真東に対して0.75度ずれている。地球の最左運動で0.75度移動するには54年の年月が必要だが、54という数字はアンコールのいたるところででてくる。このずれがアンコール・ワットに春分の三日前だという注意を与えた。昼と夜が同じ長さになる分点の時に昇る太陽が、中央棟と一直線に並ぶ。


東南アジアのベトナムの象牙の塔------------------------------------------------------------------------

 ベトナム中部沿海地方に存在したオーストロネシア語族を中心とするチャンパ王国(192年-1832年)にも、多角形の石積みがある象牙の塔(Dương Longの塔)がある。
 アヌンナキが関係するこのベトナムの象牙の塔やアンコール・ワットに、インド神話のガルダを前身とするガルーダ像が彫刻されていることからも、ガルーダ神はアヌンナキ由来の文化である。奈良県興福寺(こうふくじ)の迦楼羅像(かるらぞう)も同じくアヌンナキ由来の文化である。


東南アジアのラオスのジャール平原---------------------------------------------------------------------

 ラオス中部のジャール平原では、巨大な石壺が400個以上確認されている。これは多角形の石積みではないが、ラオスの伝説では、このエリアにかつて巨人の種族がいたとしている。巨石と巨人伝説、そして東南アジアに広がるアヌンナキの巨石建造物。これらの共通点から見て、ラオスの石壺もアヌンナキのテクノロジーによって生み出されたものと考えることができる。


東南アジアのタイのパノムルン歴史公園----------------------------------------------------------------

 タイのパノムルン歴史公園にも、多角形の石積みがある。


熊本県のピラミッド、トンカラリン---------------------------------------------------------------------

 日本にも数多くの多角形の石積み、ピラミッド、そしてエンキを表す亀石が見られる。日本の巨石建造物は主に、ノアの大洪水後の紀元前9000年頃から始まった日本の富士王朝時代に作られた。富士王朝はエンキとイナンナが主となり、特にイナンナが日本の最高神であった。
 日本の石積みは他にも綺麗な多角形ではないが、カミソリの刃一枚も通さないほど隙間なく密着した石積みも見られる。
 熊本県菊水町に、「トンカラリン」と呼ばれる古代の遺跡がある。地上ではなく地中に延々460mに渡ってつなげたトンネル型の遺構である。エジプトのピラミッドの大回廊8mとトンカラリンの高さも同じなど共通点もいくつかあり、石積みもエジプトの遺跡と同じものである。
 
 トンカラリンの周辺からは、変形頭蓋骨が出土している。おでこが平らで、顎(あご)が飛び出している。この形は南米で発掘されたシャーマンの頭蓋骨に見られる特徴で、日本で発見されたのは熊本だけだった。環太平洋文明が広がっていた縄文時代のこの時期、アヌンナキのニヌルタによっていかだ船の作り方を教えられていた南米人は、日本とも交流していた。エクアドルなどから縄文土器が発見されていることが物的証拠である。

 またトンカラリン周辺の前方後円墳の江田船山(えたふなやま)古墳からは、ペガサスの模様がはいった刀も出土し、合計92点もの出土品がある。


金沢城の多角形の石積み-----------------------------------------------------------------------------------

 日本の城にある多角形の石積みの場合、その時代の人間が作ったのではなく、そこにすでに頑丈な石積みがあり、その上に城を作ったということが多い。


大阪城、江戸城の多角形の石積み------------------------------------------------------------------------


 大阪城の石垣の中でも比較的新しい白っぽい石は、形はそのままに現代に入り修復された部分である。

 桜門枡形の蛸石(さくらもん ますがた の たこいし)は大阪城内第1位の巨石で、重量は約130トンと推定されている。これらの巨石の多くが多角形の石積みと、隙間のない組み方で作られている。大阪城や江戸城はもともとアヌンナキが作った石積みがあった場所に、後の人間が城を建てたのである。
 大阪城の巨石ランキングは次のようになっている。

1 約130トン 桜門枡形の蛸石
2 約120トン 京橋門枡形の肥後石
3 約120トン 桜門枡形の振袖石
4 約108トン 大手門枡形の大手見付石
5 約85トン 大手門枡形の大手二番石
6 約82トン 桜門枡形の碁盤石
7 約81トン 京橋門枡形の京橋口二番石
8 約80トン 大手門枡形の大手三番石
9 約60トン 桜門枡形の桜門四番石
10 約52トン 桜門枡形の竜石
11 約40トン 桜門枡形の虎石

 これだけの重量の巨石を運ぶと、現代では次のような輸送車が必要となる。


沖縄県の勝連城の多角形の石積み------------------------------------------------------------------------

 沖縄県の勝連城(かつれんじょう)は1200〜1400年の間に茂知附按司(もちづきあじ)により築城されたとされている。しかし金沢城、大阪城、江戸城と同じく、それより過去にアヌンナキによって作られた多角形の石積みの土台の上に築城したという方が正確である。





奈良県明日香村はアヌンナキの街------------------------------------------------------------------------


 この明日香村にある石舞台古墳にも、多角形の部分が見られる。この形の作りはドルメンと呼ばれ、中で生贄がアヌンナキへ捧げられた。

 明日香村にある岩屋山古墳にも同様の多角形の石積みが見られ、全体的にここの石積みにも隙間がない。これもドルメンである。

 カッバーラで使用される図象の一つである生命の樹を元に作られた酒船石。この石は地図として著名な地名を酒船石の丸の中に当てはめても、ピッタリと重なることがある。カッバーラはアヌンナキであるニンギシュジッダが創始者であり、多角形の石積みもニンギシュジッダによるものである。カッバーラは「神から伝授された知恵」や「思想体系」というようなものであり、ユダヤ教、仏教における密教など、各宗教にもその考え方は見られる。

 また明日香村には、爬虫類人の姿をした像が見られる。メソポタミアのシュメールでも、よく似た爬虫類の姿に変身したイナンナ像が発見されている。

 メソポタミアで発見された像と同じような手を組んで座る像も、明日香村より見つかっている。

 明日香村には亀石が存在するが、それはアヌンナキのエンキのシンボルである。

 明日香村にあるキトラ古墳と高松塚古墳もまた多角形の石積みで作られたアヌンナキの建造物で、ドルメンである。



 この二つの石室内に描かれた中国の神話の四神、玄武(げんぶ)・青龍(せいりゅう)・朱雀(すざく)・白虎(びゃっこ)は、アヌンナキに対応する。玄武の亀と蛇はエンキのシンボルである。


 マヤ文明での羽を持つ蛇のククルカンがニンギシュジッダであるように、青龍もまた羽を持つ蛇であることからニンギシュジッダとなる。


 朱雀は鳳凰(ほうおう)、不死鳥、フェニックスとも同一視される。朱雀の朱は赤であり、フェニックスという言葉は“紫”の意味も持つが、赤紫色やフェニックスはイナンナを意味する。つまり朱雀はイナンナを表す。


 エンキ、ニンギシュジッダ、イナンナという流れの次は、エンリルが白虎と推測できるが、これに関しては現状、確実なことは言えない。エジプトのスフィンクスや日本の狛犬(こまいぬ)がライオンや獅子で、エンリルや彼の一族エンリルテの象徴であるが、白虎は虎である。




埼玉県の八幡山古墳の多角形の石積み------------------------------------------------------------------

 この古墳の石室にも、多角形の石積みがある。



岐阜県の岩村城の多角形の石積み------------------------------------------------------------------------

 岩村城の石垣にも、アヌンナキのテクノロジーによって作られた多角形の石積みが見られる。築城年は1221年だが、ここも石垣が元からあった上に、後の人間が城を建てた。ジッグラトやピラミッド型の巨石の場合、その頂上にアヌンナキが宇宙船で着陸した。


佐賀県の巨石パークとバールベックの巨石-------------------------------------------------------------

 佐賀県の巨石パークにも綺麗な形とは言えないが、多角形の石積みがあり、またそこには巨石が数多く存在する。その中の巨石は、隙間なく積まれている。

 中東レバノンの東部のバールベックには、この巨石パークの御座石とよく似た「バールベックの巨石」が横たわっている。重さは最大2000トンと見積もられている。これもアヌンナキのテクノロジーである。


レバノンのバールベックの神殿跡の多角形の石積み--------------------------------------------------

 2000トンもあるバールベックの巨石もアヌンナキによって作られたが、同じくレバノンの東部にあるバールベックの神殿跡も、アヌンナキの科学技術によって作られた。ここにはジュピター神殿・バッカス神殿があり、その両方に多角形の石積みが見られる。また柱などに見られる細かく作り込んだ装飾も、アヌンナキの芸術である。
 バールベックの祭神はジュピター・ビーナス・バッカスで、それはアヌンナキのエンリル、イナンナ、エンキに当たる。




ロシアのショリア山の巨石群-----------------------------------------------------------------------------

 大阪城やレバノンのバールベックなどにも巨石は存在するが、ロシアのほぼ中央、南シベリアのケメロフ地方のショリア山近く、海抜1000mの地点にも巨石群が存在する。壁の高さは40メートルあり、200メートルの長さに伸びている。石のいくつかは20メートルの長さで5~7メートルの高さがある。全ての石の重量は1000トン以上ある。ここでも隙間なく密着した石積みや、形はやや崩れているが多角形の石積みが見られる。
 ここに現存する痕跡によると、これらの建造物は超強力な爆発物によって破壊された痕跡があり、遺跡の一番古い部分は1000年も経過していない。可能性としては、紀元前2024年頃に起きるアヌンナキ同士によるメソポタミアなどでの核戦争で破壊された可能性がある。


屋久島にもアヌンナキの巨石が存在する---------------------------------------------------------------

 屋久島の巨石は、石垣のように綺麗な多角形ではないが、それでも巨大な岩をレーザーでカットしたかのように切り、隣の岩と隙間なく密着させている。また巨石の多くが山頂にある。


茨城県の竪破山の巨石-------------------------------------------------------------------------------------

 竪破山にある巨石は隙間なく密着している。また太刀割石の大きさは7m×6m、周囲約20mで、レーザーで切られたようになっている。


宮島・弥山の巨石とアヌンナキ--------------------------------------------------------------------------

 宮島・弥山にも巨石群が数多く残っている。なかには1500トン前後と見積もられる巨石もある。

 こういった巨石群の存在理由は、パワーセンターとしての利用や、イニシエーション(通過儀礼)の場としての利用などがあり、宇宙からの訪問者もそこで自らの波動を上昇させ、インスピレーションを受け、リフレッシュやヒーリングを行っていた。こういった使用方法は、エジプトのピラミッドでも見られる。ギザの大ピラミッドの目的の1つは、アセンションのために、修行者たちの波動を上昇させる場所とすることだった。

 またパワーセンターは、次元間のベールが最も薄くなっているエネルギーポイントである。こうした場所を将来もわかるように印を付ける方法や、その位置を感知する方法も人間に教えられた。詩歌に節をつけて歌うことやダンスも伝授されたが、これらをそこで演じることで、強力なエネルギーを十分に利用することができる。このエネルギーが過剰なら、特別な石でできたエネルギー貯蔵器に蓄えることもできた。それをアヌンナキの指導の下で適切な場所に置いたので、彼らや他の多次元的存在は、必要なときにそこからエネルギーを引き出すことができた。

 今日の地球人たちは、こうした石のエネルギー貯蔵器を、古代の天文台としか見ておらず、ただそれらが日の出や夏至・冬至のような至点や他の惑星などと、入念に合わせて造られていることには気づいてはいる。しかし本来の目的は、天体と地球の両方のエネルギーを限りなく集め、貯蔵することだった。また、使われる石のタイプもとても大事だった。蓄えられたエネルギーを引き出すことで、異星人達は三次元の地球の領域で、強くて活力ある肉体を維持することができた。またそれによって、若い地球人たちも、自分たちの精神的な満足と向上のために、もっと高く精妙な周波数の宇宙エネルギーを利用することができた。
 また、岩に宇宙生命体が乗るUFOが突進して、そのまま亜空間トンネルへ入っていくための入口となっている場合もある。


沖ノ島の巨石-------------------------------------------------------------------------------------------------

 九州本土から約60キロ離れた玄界灘の真っ只中に浮かぶ周囲4キロの沖ノ島の沖ノ島神社の背後には、高さ20mを超える巨石がある。これは絶妙のバランスをとっているが、イギリスのストーンヘンジのような石の積み方である。
 この島には掟があり、立入、口外、持出、女人、肉食、漁獲、暴言、焚火となっている。


ストーンヘンジとメンヒル(柱状の巨石)----------------------------------------------------------------

 イギリスのストーンヘンジにも、アヌンナキの多角形の石積みと、隙間のない石積みが見られる。


 当時、人間は氏族集団で暮らし、メンヒル(柱状の巨石)を使った世界的な軌道システムによって、かなりの遠距離を移動していた。生活の糧として家畜の大群を放牧しながら、暖かい季節は海や川や湖の近くで草、木の実、魚などの恵みを享受していた。代表的なメンヒルはイングランド、フランス、ドイツ、ポルトガル、スカンディナヴィアなどに存在する。

 地球にやってきたアヌンナキは、当時の人間にとっては未知の存在であった。偉大な力で地球を利用した神々(アヌンナキ)は、人間の内面に生まれ始めた「自分たちは動物と違う」という感覚のひな型になっている。アヌンナキは彼らの故郷について、さまざまな物語を伝えた。人間には理解できなかったが、はるか遠くから旅してきたことだけはわかり、やがて北方の氷原の上空にある伝説の源へ帰って行くのだと結論づけた。

 アヌンナキは去る前に、月の周期を人間に理解させたいと思った。月が人間の日々の行動を左右しているのがわかったからである。彼らアヌンナキはシャーマンたち(氏族のメンバーで人間とプレアデス人の混血種の者)に相談すると、シャーマンたちは喜んで人間の感情について教えた。アヌンナキは人間の感情の豊かさに驚嘆し、シャーマンのほうでは、ニビル人であるアヌンナキがそれを知らなかったことに衝撃を受けた。
 その瞬間、同じ状況でも、他人が自分と同じように感じているとはかぎらないという認識が生まれ、個別性という観念が出てきた。その経験から、人間は子供たちを観察し始め、各自のユニークさを知って驚くとともに、いったいその違いはどこから来るのだろうと考えた。いっぽう、アヌンナキも感情について学び始めた。

 アヌンナキは月食が起きる時期や、月が昇ったり沈んだりする方角を示すストーン・サークルによって、その周期をたどって行く方法を教えた。人々が月に同調し始めると、シャーマンたちはストーン・サークルを使って「夢時間」を旅し、植物、昆虫、動物、岩のあいだで交わされる交信について知恵を集め、それらの波動が月といかに共鳴しているかを教えた。
 当時、シャーマンとアヌンナキは共同で働いていたが、アヌンナキは時々立ち寄るだけで、氏族の系譜はプレアデスのシャーマン、つまり生まれながらにプレアデスのライトボディー「カー(魂)」を持つ先住民によって守られていた。シャーマンはキノコを持ってストーン・サークルに入り、聖なる植物の精霊とともに旅する方法を教えた。そうした植物の精霊は、地球上の特別な場所について教えてくれた。どの谷も山も川も神聖であった。人間は、そのすべてが発するエネルギーのきらめきに、自分の名前もすぐには思い出せないほどに驚愕したものである。


ストーンヘンジの建設--------------------------------------------------------------------------------------

 世界各地に存在するストーンヘンジはニンギシュジッダが考案し、ニヌルタ(アラム・ムル)とイシュクルが建造を手伝ったのである。

 そしてイギリスのエイヴベリー、ソールズベリー、アヴァロンにストーンヘンジが建設される。ストーンヘンジは太陽崇拝、暦の移り変わりや変革のパワーにおける強力なエネルギーセンターである。ストーンは夏至点の最初の光線を受け取れるように位置が決められていた。これらは儀式を行う場所であった。
 イギリスにおいてはサーウィンの夜に、ドルイドが巨石のストーンサークルに集まる。イギリスのストーンヘンジはその代表例であり、3つの役割がある。第1に神殿、第2に天文台、第3が人身御供(ひとみごくう)の場だった。考古学者はすでにストーンヘンジの地中から4000人以上の人骨を発見している。
 それぞれのストーンには歌または波動により歴史が記録されている。ストーンヘンジ、ニューグランジェ、エイヴベリー、自然に存在するグラストンベリーのトールの丘やエイヴベリーの裏にあるシルベリーの丘はどれも銀河のエネルギーを大地に固定(アンカリング)するために創造されたものであり、これらはすべて、レイライン上に位置している。
 イギリスのセント・マイケル・レイラインには、多くの教会や遺跡が一直線上に並んでいる。


ストーンヘンジ、宮大工の祖ニンギシュジッダ-------------------------------------------------------

 ストーンヘンジに限らず、世界中の巨石遺跡やピラミッドはニンギシュジッダが考案し、ニヌルタとイシュクルが建造を手伝った。それは、マルドゥクがラーとしてあらゆる「神々」の上に自分を君臨させ、彼らの力と属性を、勝手に我が物のように語ったが、まだそのような時代ではないことを人々に知らせるために、空の観測の仕方を教える目的でも建造された。
 各「神々」には星座が割り当てられており、エンリルは牡牛座、マルドゥクは牡羊座だったが、マルドゥクが支配権を主張したのは、太陽がまだ牡牛座の位置=エンリルの時代にあることを示していたのである。

 ストーンヘンジ本体は、外側のサーセン・ストーン29個半が月期の日数(29.5日)、内側のブルーストーン19個が太陽年を示している。19太陽年=235月期はメトン周期と呼ばれ、BC432年に特徴的な周期として発見したギリシャの天文学者メトンに因んで名付けられた。19年前と同じ日付に同じ月の相が見られるので、太陽と月の周期を調和させるのに役立った。
 北と南、夏至と冬至、春分・秋分の日の出・日の入り、月の出・月の入りを組み合わせ、象徴的な八芒星が描かれる。この8個の位置が、56個のオーブリー・ホールを取り囲んでいる。オーブリー・ホールは日蝕の予測に使われ、七芒星としてストーンヘンジ本体を取り囲んでいる。構造としては、一見すると石の柱の上に横石が乗っているだけで、地震で崩れてしまいそうである。しかし、木造建築と同じほぞ組の工法が使われており、崩れたりすることは無い。


 つまり、宮大工に代表される釘(くぎ)を使わず木を組み上げる日本の伝統的建築工法の木組みの基礎も、ニンギシュジッダが教えたということである。


イタリアのピラミッド--------------------------------------------------------------------------------------

 北イタリアのミラノから40キロほど離れた場所に、モンテヴェッキアという小さな村があり、ここには3つのピラミッドが存在する。現在のピラミッド丘は草や木に覆われているが、3つのピラミッドは、エジプト・ギザの3つのピラミッドとほぼ同じ配置で並んでおり、つまりオリオン座の三ツ星と同じ形で並んでいる。これもニンギシュジッダとアヌンナキが作った。

 また、イタリア半島のピラミッドは、ボスニア半島のスロベニア、ギリシャ、ボスニアのピラミッドと並列し、同じエネルギーライン上に配置されている。バルカン半島のラインはゼウスラインと呼ばれ、イタリア半島のラインはパラレルウエストと呼ばれている。
 イタリアのピラミッドの丘は、バルカン半島のゼウスラインと平行に配列し、イタリア半島の形状に沿って、直線上に並列している。そのイタリアの5つの場所で、ピラミッドが建設された。

1.モンテヴェッキア(Montevecchia)、ミラノの40キロ北
2.ポンタッシエーヴェ(Pontassieve)、フィレンツェの14キロ東
3.ピエディルコ(Piediluco)、ローマの100キロ北、テルニ付近
4.サンタ·アガタ·デ·ゴチ(Santa Agata dei Goti)、ナポリの40キロ北東
5.ヴェザーロ(Vesallo)、レッジョエミリア付近

etc.

ヒーリングの効果があるボスニアンピラミッド複合体の地下トンネル---------------------------

 10年以上の調査で、ボスニアンピラミッドの驚くべき結果が明らかになっている。ボスニアンピラミッドがあるヴィソコの地下のラヴネのトンネルでは、健康上の利点があることを、サム・オスマナギッチ博士と他の調査チームが発見した。



 このトンネルでは、効果的な一定の電磁気の存在が測定されている。同様に28kHzの超音波と、7.83ヘルツのシューマン共振(りょうしん)もあった。
 シューマン共振(りょうしん)は、地球の地表と電離層との間で極極超長波(ELF)が反射をして、その波長がちょうど地球一周の距離の整数分の一に一致したものをいう。これは人間の物理的、精神的、精神的な能力において最高のエネルギーである。
 また異常に高い濃度のマイナスイオンが検出された。これは立法センチメートル当たり最高6万という数値で、例えるなら山の森の10倍であった。
 この環境では、人間の細胞は再生のための自己修復プロセスを開始すると、科学者たちは述べている。そして次のような効果がある。

1.肺活量の増加
2.血糖値の正常化
3.血圧の正常化
4.体全身の状態の改善
5.オーラの改善

●肺活量
 17歳のスロバキア人、ベロニカ・ブランコは、ニトラからピラミッドがあるボスニア・ヘルツェゴビナの町ヴィソコへやってきた。というのは、彼女は気道に問題があったからで、ピーター・ハイデュク博士の進めでやってきた。この博士はプラハの肺疾患のクリニックの専門家である。

 彼女の話は、2013年に始まる。乳腺が詰まって分泌物が溜まる嚢胞(のうほう)と息切れを起こし、肺機能の容量が47%に減少した。病気のために、ベロニカはすぐ後に、彼女の右肺の手術が必要と診断される。術後の回復のプログラムは、ハイデュク博士による天然物とビタミンCを使用するバイオ共鳴療法に基づいていた。そしてリハビリテーションプログラムには、ビソコへの旅行も含まれていた。それはラヴネ(Ravne)の地下トンネルで見つかった高濃度のマイナスイオンが目的だった。
 ビソコへの2回の旅行とラヴネのトンネルでの治療を受け、若いスロバキア人の彼女は、健康の改善を感じた。そして2年ぶりに、彼女は長い間苦しんでいた胸のズキズキする痛みを感じなくなった。先史時代のラヴネのトンネルへの2回の旅行での治療において、最終的に元の容量47%から現在の84%にまで、彼女の肺容量の増加をもたらした。

●血糖値
 チェコの出版物「WMマガジン」の協力である団体が、「人間の血糖値の測定を研究」をするために、2015年頭にビソコにやってきた。その中の一人、58才のプラハからやってきた実験参加者ユルキは、ラブネのトンネルに入る45分前に血糖値を測定した。その時点で、レベルは7.8mmol/L(危ない範囲)であった。そしてラブネのトンネルに入った後、彼の血糖値は5.1mmol/L(正常レベル: 危なくない範囲)に下がった。また別の参加者のカレルも同様の実験で、10.5mmol/Lから5.7mmol/Lに下がった。
 チェコのプラハに戻った参加者の報告で、彼らの血糖値は14日間効果を保ち続け、その後、血糖値はわずかに増加し始めた。

●血圧
 トルコのイスタンブールからの女性セヴィム・ムヘヴィアは、年齢が54歳で、2004年から2014年に常に高血圧の問題があった。彼女の血圧レベルは220/135mmHgだった。そして彼女が定期的にボスニアのピラミッド複合体の先史時代のトンネルを訪問し始めた後、血圧は140/90mmHgよりに上に行ったことがない。

●オーラ
 スロベニア人のエンジニアであるヤネス・ペルコは、人体の周りのバイオエネルギー層、または領域である人間のオーラを取り込むために、ロシアのウラジーミル・コロトコフ教授(サンクトペテルブルク大学)の画期的な機器を使用した。研究では、(男性と女性、老人、若者、観光客、ボランティア、正社員など)160人の参加者の代表的なサンプルが含まれていた。
 結果は、先史時代のラヴネのトンネルでの1時間の滞在後、82%の人物のエネルギーや免疫枯渇を保護するオーラの改善につながっていることを示した。


ボスニアンピラミッド複合体もアヌンナキが作った-------------------------------------------------

 ボスニアンピラミッドや、その近くのゴーンヤ・ブロトニカ(Gornja Vratnica)では、アヌンナキの多角形の石畳が見られる。


 また同じ地域から、丸い石球も出土している。これもアヌンナキによって作られたのである。

 
世界中で見られる石球-------------------------------------------------------------------------------------

 1930年代の初めから現在までに、コスタリカの密林で200個以上の石の球体が発見されている。最大級の石球は重量にして約25トンである。米ハーバード大学研究員のサミュエル・ロスラップ博士によって、様々な角度から円周や直径を測っても最大誤差が0.2パーセントのものや、直径が2.0066メートルとミリ以下の単位まで全く同じ大きさの2個の石球も見つかっているという研究報告がある。


 ボスニアンピラミッドのようにアヌンナキのテクノロジーによって築かれた遺跡に球体があったように、自然ではできない精度の球体もアヌンナキが作ったのである。すでに世界中で、アヌンナキが作った大小様々な石球が見つかっている。場所によっては絶妙のバランスで立っているものもある。


中国の西安のピラミッド----------------------------------------------------------------------------------

 中国の西安の周辺にも複数のピラミッドが存在するが、これもニンギシュジッダによるものである。なかにはギザの大ピラミッドに匹敵する大きさ、あるいはそれ以上の巨大ピラミッドもある。また、頂上が平らな中南米型のピラミッドもある。現地には「火を吹く籠(かご)に乗って地球にやってきた天の子たちが、この地にピラミッドを建造した」という伝説が残っている。つまりアヌンナキが宇宙船でやってきて、頂上が平らなピラミッドに着陸するのである。


沖縄にある3つのピラミッド------------------------------------------------------------------------------

 沖縄県の北谷(ちゃたん)のピラミッド複合施設は南北600m、東西200mという規模で、ほぼエジプトのサッカラのピラミッド複合施設と同じ規模と構造のものを作った。その複合施設の外壁は、長さ100m、高さ10mである。その北谷(ちゃたん)の海底階段ピラミッドは幅40m、高さ10数mある。沖縄県もアヌンナキの文化と神殿が残る場所である。

 北谷(ちゃたん)のピラミッド複合施設には第2階段ピラミッドもあった。

 また北谷(ちゃたん)のピラミッド複合施設には、長さ20mの2体の蛇(ニンギシュジッダを表している)の石像もある。

 沖縄にも巨人伝説がある。沖縄へ来た背の高い人達が、そのような伝説になった。伝統芸能アマンチュは3mの巨人が五穀の種を人々に授ける物語である。伊江島のタッチューというピラミッドの山頂には巨人の力(ちから)タンナッパの足跡が残っている。この巨人もアヌンナキを指している。

  伊江島にもタッチューというピラミッドがあり、伊是名島(いぜなじま)にも高さ100mのピラミッドがある。

 そして、沖縄のピラミッドとエジプトのピラミッドは同じ並びである。これらはオリオン座とも同じである。

 
オリオン座の配置で並ぶ世界のピラミッド------------------------------------------------------------

 シリウス、プレアデス、アークチュールなどの生命体がニビルへやってきてアヌンナキとなったが、それらの前にオリオン座にいた者もいて、オリオン座とアヌンナキの関係は深いのである。

ピラミッドの作り方----------------------------------------------------------------------------------------

 日本や世界各地のピラミッドや巨石建造物の建設や設計を行ったのはアヌンナキのニンギシュジッダである。
 こういった巨石建造物は振動を使ったテクノロジー技術によって造られ、音と光の異なる振動を作ることによって、岩を浮揚させる方法で作られた。ただしそれはこの時期の構造物の場合だけで、その後その知識はほとんど失われ、それ以降は肉体を使った非常に困難な労働によって造られた。

 音を使った空中浮揚の技術は、すでに現代でも科学的に可能になっており、英語では「Acoustic Levitation」「sound levitation」などと呼ばれ、多数の動画も公開されている。水滴や物体を浮かし、それを移動させることも可能となっている。


世界中の獅子(ライオン)像はエジプトのスフィンクスがルーツ------------------------------------

 沖縄のシーサー、神社の狛犬、世界中の獅子(ライオン)像は、エジプトのスフィンクスがルーツである。獅子は、地球総司令官エンリル自身、もしくはエンリルの系統を引く皇統エンリルテ(エンリル一族)の象徴である。



 トルコ東部の標高2134mのネムルト山にも2体のライオン像があり、山がピラミッドとなっている。首部分が地面に落ちた神像には、ゼウス(アヌンナキのエンリル)=オロマズデス(ゼウスとアフラマズダが同一視された神)、アポロ=ミトラス、ヘラクレス、テュケ(ギリシャ神話の女神でコンマゲネ王国の守護神)などが含まれている。これらはアヌンナキのことである。

 古代ギリシャにあった紀元前1450年頃のミケーネ文明にも、像ではないが2匹の獅子が描かれた獅子門とアヌンナキの多角形の石積みが見られる。


 インド南東の島国スリランカのポロンナルワの遺跡にも、獅子(ライオン)像がある。


 東南アジアのインドネシアのジャワ島にあるボロブドゥル寺院にも、獅子(ライオン)像が存在する。この遺跡にもニンギシュジッダの石積みの共通点がある。

 同じく東南アジアのカンボジアとタイの国境に位置するプレアヴィヒア寺院にも、獅子(ライオン)像が存在する。

 東南アジアのカンボジアにあるアンコール・ワットの獅子(ライオン)像


インドのクトゥブ・ミナールの多角形の石積みと、デリーの錆びない鉄柱---------------------

 インド・デリー市郊外の世界遺産クトゥブ・ミナールという塔の入口にも、アヌンナキの多角形の石積みが見られ、同時に16枚ある紋章も見られる。またこの塔や周辺の装飾もアヌンナキの芸術である。


 クトゥブ・ミナールの近くにあるイルトゥトゥミシュの廟(びょう)にも、多角形の石積みが見られる。シャムスッディーン・イルトゥトゥミシュ(?-1236年)は、北インドのイスラム王朝であるインド・マムルーク朝の第3代君主(在位1211年-1236年)であった。
 またここにも16枚の花びらの紋章があるが、それらは日本の天皇家の菊花紋章と酷似しており、ギリシャの南東沖のエーゲ海辺りから出土している紋章とも似ている。ギリシャの出土品には、イナンナ(イシュタル)の渦巻きのマークも刻まれている。渦巻きはイナンナのシンボルであり、縄文のヴィーナス像にも描かれている。縄文のヴィーナス像もイナンナである。
 イナンナの十六花弁ロゼッタは、後光が差して十六芒星となっている。イナンナの金星が先端の尖った三角形の光を放つ八芒星で表現されていて、その間に四角で後光が表現され、全体として十六芒星として表現されている。
 またメソポタミアのアッシリアのレリーフには、16枚の花びらの腕輪を付けたアヌンナキが描かれている。

 さらに、クトゥブ・ミナール内の錆びない鉄柱のデリーの鉄柱も、アヌンナキが作ったものである。これは99.72%という高純度な鉄で、直径は約44cm、高さは約7m、地下に埋もれている部分は約2m、重さは約10トンある。
 インド各地やペルシャ方面でも鉄柱が見つかっているが、鉄柱によっては上部に獅子(ライオン)像が乗っている。獅子は、地球総司令官エンリル自身、もしくはエンリルの系統を引く皇統エンリルテ(エンリル一族)の象徴である。
 これらから見て、鉄柱もアヌンナキが作ったものであり、各地のデザインは基本的に同じパターンとなっている。


インドのエローラ石窟群とアヌンナキの岩をくり抜くテクノロジー------------------------------

 インドにあるエローラ石窟群には、34の石窟がシャラナドリ台地の垂直な崖に掘られている。それぞれ石窟は近接している上に、作られた時期も重なっている。一帯は西ガーツ山脈の比較的平坦な、白亜紀に噴出した玄武岩が広がるデカントラップの一部であり、石窟はこの玄武岩に彫られている。
 第29窟のデゥマル・レーナの入口の大きさから見て、アヌンナキは身長380cmほどだったと推察できる。

 ここは仏教、ヒンドゥー教、ジャイナ教の石窟寺院や修道院などから構成され、アヌンナキが彫刻したブッダやその他多数の神々を、数多く見る事ができる。

 この中のカイラーサナータ寺院はアテネのパルテノン神殿の倍ほどの規模があり、石窟と言うより一つの高層建築物にしか見えないが、紛れもなく一つの岩から掘られたものである。カイラーサナータ寺院の中庭には二つの巨大彫刻がある。一つは伝統的なシヴァ寺院によく見られるように、神聖な雄のナンディー(Nandi シヴァの乗り物である牝牛)の像が中央寺院のリンガ(男性器)に面するようになっている。獅子(ライオン)像は、アヌンナキの地球司令官エンリル自身か、エンリルテ(エンリル一族)の象徴である。

 エローラ石窟群の中でも、アヌンナキのテクノロジーである多角形の石畳が見られる。

 このエローラ石窟群の中でもイナンナのシンボルである、8方向と16方向に伸びた花びらの彫刻が見られる。

 そして、このエローラ石窟群の特徴的な部分は、岩をくり抜いて巨大な神殿を作っていることである。この岩をくり抜く技術もアヌンナキの特徴的なテクノロジーである。


サウジアラビアの岩盤をくり抜いて作ったアヌンナキの遺跡--------------------------------------

 サウジアラビアの古代都市マダイン・サーレハにも、アヌンナキが岩盤をくり抜いて作った遺跡がある。





トルコのカウノスの岩盤をくり抜いて作ったアヌンナキの遺跡------------------------------------

 トルコのカウノスにもアヌンナキが岩盤をくり抜いて作った遺跡があり、多角形の石積みもある。



ヨルダンのペトラの岩盤をくり抜いて作ったアヌンナキの遺跡-----------------------------------

 ヨルダンの死海とアカバ湾の間の渓谷にあるペトラにも、巨石建造物が無数に存在するが、その中のエル・カズネ(宝物殿)も、アヌンナキが岩盤をくり抜いて作った遺跡である。ペトラ遺跡の入口の大きさから見て、アヌンナキの身長は約400cmほどだったと推察できる。


 ペトラにある凱旋門にも、アヌンナキの多角形の石積みがある。

 サウジアラビアの古代都市マダイン・サーレハ、トルコのカウノス、ペトラのエル・カズネ、ライオン・トリクリニウム、エド・ディル、ローマ兵の墓の遺跡のデザイン的要素は、アヌンナキが作ったバールベックのバッカス神殿とジュピター神殿と同じとなっていることからも、これらがアヌンナキ作ということがわかる。また同様のデザイン的要素はギリシャのパルテノン神殿や、現代のアメリカ政府のホワイトハウスにも見られる。ホワイトハウスを使用するアメリカ政府は、アヌンナキと、その中のマルドゥクを悪魔崇拝するイルミナティによって支配されている。イギリスはロンドンにあるバッキンガム宮殿も同様のデザインであり、イルミナティであるエリザベス女王が住んでいる。

 世界中にあるフリーメイソンのメソニック・ロッジも同じデザインである。つまり大本のデザインはアヌンナキにある。

 この三角形部分の原型は、「生命の樹」のケテル(王冠)の部分であり、古代メソポタミアのエンリルの監視塔の形も三角形であった。その部屋にサーチライトのレーダーが設置され、それによってエンリルは、すべての土地の深奥部(しんおうぶ)を捜索することができた。これが「すべてを見通す目(プロビデンスの目)」であり、エンリルの監視塔の象徴でもある。


中国にもあるアヌンナキの遺跡--------------------------------------------------------------------------

 中国にもたくさんのアヌンナキの建造物が存在する。巨大なブッダの像などは、ブッダの死後となるので、この時代よりももう少し後である。

 中国のクチャにあるスバシ古城は、メソポタミアのウルのジッグラトと同じ形態である。

 クチャ周辺にあるキジル石窟やクズルガハ千仏洞は岸壁をくり抜いて作られており、キジル石窟には236の石窟がある。

 トルファンにあるベゼクリク千仏洞には、渓谷1kmにわたり80以上の石窟があり、その半数に壁画が残されている。涅槃図や西方浄土などの壁画がある。ここも岸壁をくり抜いて作られている。


 またトルファンの交河故城という都市遺跡の全長は約1650メートル、幅は最大で約300メートルで、遺跡は柳葉形の台地上に位置し、周囲は約30メートルの断崖に囲まれ自然の要害をなしている。仏塔などが存在する。


 現在の銀川市(ぎんせんし)周辺には、253基のピラミッド型の西夏陵がある。

 西安のピラミッド。研究者のジョージ・ハント・ウィリアムソンは衛星写真から、16個のピラミッドを確認したとしている。


 岸壁をくり抜いた仏教遺跡の莫高窟(ばっこうくつ)。

 中国の河南省(かなんしょう)洛陽市(らくようし)の南方13キロの龍門(りゅうもん)洞窟。岸壁をくり抜いて作られている。


現代科学では説明できない自然の芸術とされる風景-------------------------------------------------

 ここまでアヌンナキの様々な巨石建造物を見てきたが、そこから見えてくる事は次のようなアヌンナキのテクノロジーである。

・100トン以上の石を、レーザーのようなもので自在にカットできる
・100トン以上の石を、自由に運べる技術
・巨石を隙間なく密着させて組み上げる技術
・巨石を多角形に切り取って組み上げる技術
・細かな装飾も可能な技術
・岸壁をくり抜く技術(多くが玄武岩)

 つまりアヌンナキは、現代の科学技術よりも圧倒的に進んだテクノロジーによって巨石による都市を作っていた。
 現在、人間のIQは平均100で、東大生の平均IQは120、IQ世界一としてギネスにも認定されたマリリン・ボス・サバントのIQは228となっている。アヌンナキのDNAを操作して地球人を作り出したことや、巨石建造物の科学レベル・芸術レベルから判断して、少なくとも人間のIQレベルを遥かに超えていることはわかる。宇宙にはIQ10000というレベルが存在するとも言われているが、アヌンナキの、特にアヌの血を受け継ぐ子孫であるエンリル、エンキ、ニンフルサグ、イナンナ、ニンギシュジッダなどのIQも非常に高いのである。

 そこで次に、巨石建造物の共通点を前提に、現在の理解では説明のつかない自然にできたとされる岩の芸術を見てみる。これらも、アヌンナキの神殿などがあった可能性が高い。現代の科学では、これらが自然にできたとしているが、そのプロセスを解明した説明は存在しない。それらのほとんどが隙間なく密着させて形成されている。


 北海道の根室車石(ねむろくるまいし)も、隙間なく岩を密着させている。この辺りの岸辺も同様の岩の作りが見られる。

 兵庫県豊岡市赤石の玄武洞公園の青龍洞

 カナダのブリティッシュコロンビア州の玄武岩の滝

 アメリカ・ワシントンのクラークストンの玄武岩の列柱

 アメリカ・カリフォルニアのデビルス・ポストパイル国定公園

 スコットランドのフィンガルの洞窟

 アイスランドのビークの玄武岩の崖

 ポルトガルのポルト・サント島の玄武岩の列柱

 オーストラリアのフィンガル・ヘッドの玄武岩

 台湾の澎湖県(ほうこけん)の玄武岩

 下記の写真は、アヌンナキが作った西ジャワ州のグヌン・パダン遺跡の多角形の石積みだが、上記の玄武岩で作られた岩の芸術と、作り方が似ていることに気づく。


レイラインに沿って配置された巨石建造物------------------------------------------------------------

 多くの巨石建造物が世界中に存在するが、それらは規則的に配置されている。イースター島から、赤道に30度の角度で進んで行くと、直線上に著名な遺跡が次々と現れる。これらはすべて、アヌンナキが作ったものである。

・イースター島「モアイや多角形の石積み」
・ペルーの「ナスカの地上絵」
・ペルーの「マチュ・ピチュ」
・アルジェリアの「タッシリ・ナジュールの岩絵」
・エジプトの「シワ・オアシスのアメン神殿」
・ギザのピラミッド
・ヨルダンの「ペトラ遺跡」
・イラクの「ウル遺跡」
・イランの「ペルセポリス」
・パキスタンの「モヘンジョ・ダロ遺跡」人骨から放射能を検出
・インドの「ガジュラホ」
・ミャンマーの「ピイ」
・タイの「スコータイ」
・カンボジアの「アンコールワット」

 当然これらは偶然ではなく、アヌンナキのニンギシュジッダによって意図的に配置されている。これらを通過する幅100kmのベルトは、赤道と同じ長さである。またこの直線は、考古学者クラウス・ドナ氏がエクアドルで発見した石の地図に描かれた線と同じ位置を辿っている。


 この幅100kmの直線を赤道と見なして北極の位置を定め、ギザとナスカを結ぶと、大ピラミッドの黄金比に一致する。

 つまり、ミロのヴィーナスなどの時代の多くの彫像や、パルテノン神殿、ピラミッドの黄金比の共通点から、これらもアヌンナキによって作られたのである。他にも次のような一致が見られる。

・ナスカとギザ、テオティカンとギザは等距離(画像左)
・イースター島からギザまでの距離は黄金数の1万倍(画像右)
・極点からモヘンジョ・ダロとイースター島は等距離(画像右)
・ギザからナスカまでの距離(地球の回りの緑の点線)に黄金数をかけると、アンコールワットからナスカまでの距離と一致


 これらの遺跡には他にも共通点がある。

1.各地の古代遺跡は、巨石が隙間亡く積み上げられ
2.象形文字が発達し、死者をミイラにし、精巧な暦を作り
3.天文学や建築の知識が跡形もなく消え去り
4.赤道とほほ同じ長さの円周上に遺跡が並び
5.それぞれの距離が黄金律と関連している

 そして「古いほど巨大」「古いほど精密」「古いほど類似」なのである。つまり同じ人物が計画的に統一性を持って設計したからであり、それはニンギシュジッダが行ったのである。

 また、1980年代の終わりから建設が始まったアラスカのHaarp(ハープ)と呼ばれる人工地震や気象操作を行える設備の建設位置が、ちょうどこの新たな北極点の位置している。この道具はイルミナティが他国を攻撃するために使用している。


地球のレイライン-------------------------------------------------------------------------------------------

 さらに別の視点でレイラインを見ていく。北極点を頂点とする正二十面体を地球に当てはめると、分割線の交点に新旧石器時代の遺跡が存在する。これは宇宙から地球を見た宇宙人でないとできない考え方であり、こういった地図を元にアヌンナキは建設位置を決めている。

日本列島に存在した精密な太陽(観測)のレイライン・ネットワーク------------------------------

 冬至(とうじ)の日没を西南西に望み、東北東に夏至(げし)の日の出を望む地点を結んだ線のことを冬至線と呼び、また夏至の日没地点(西北西)と冬至の日の出地点(東南東)を結ぶ線を夏至線と呼ぶが、奈良県の三輪山(みわやま)はこの冬至線・夏至線のネットワークの中心交点上にぴたりとある。

 この冬至線、夏至線の通る道(線)の上には重要な神社や巨石信仰の拠点が置かれた。冬至線、夏至線の一部を巨石建造物や祭祀場の建設に用いたことは、イングランドのストーンヘンジなどいくらかは見つけられているが、これほどの規模のものは少なくともどこにも見つかっていない。そこには磐座(いわくら)や鏡石(かがみいし)が置かれた。

 太郎坊(たろうぼう)神社の上に立つとすると、三上山(みかみやま)の上に冬至の太陽が沈む。この太郎坊山と三上山を結ぶ空間上の直線がここでいう冬至線である。
 この冬至線と三輪山(みわやま)の三輪神社の磐座(いわくら:三つあるとされるが、中心のものが張り出し台地上にある)との南北距離(経度上の距離)は48.6キロメートルで、この距離は30古代理と呼ぶ距離と完全に一致する。これは縄文中期から存在する特別の距離である。
 奈良県の三輪神社の磐座から太郎坊と三上山の冬至線と平行に冬至線を引くと、畝傍(うねび)山頂、忌部(いんべ)山頂を通る。それも冬至線である。

 三輪山(みわやま)と畝傍山(うねびやま)の冬至線は、畝傍山、耳成山(みみなしやま)、天香具山(あまのかぐやま)といういわゆる大和三山(やまとさんざん)が作り出す二等辺三角形の中線となる。

 この三山の山頂が正確な二等辺三角形を作っており、これが人口造山であることの一つの理由である。その二等辺三角形を畝傍山(うねびやま)の頂点とする中線で割ってできた直角三角形は三辺の比が5対12対13の、いわゆる「メソポタミアの聖なる三角形(別の言い方ではピタゴラスの定理)」となっている。そしてその二等辺三角形の中線が東北東に延ばされると三輪山に至るのである。大和三山は人工の山であり、それを造営した技術はニンギシュジッダであった。

 三輪山基点の冬至線と夏至線を全列島に引いてみると、巨石遺跡を残す78ヵ所の交点ができる。そしてこの冬至線、夏至線によって、富士山、白山、鹿島神宮などの重要な信仰施設が結びつけられている。


 三輪山の張り出し台地のその部分は、三輪神社の禰宜(ねぎ:神職の総称)しか入れない聖地で、冬至線に沿って一直線に巨石が配列されている。また北海道を除く本州、四国、九州には全部で78ヵ所の冬至線・夏至線の交点があるが、三輪山以外は禰宜(ねぎ)や神主であっても、人が足を踏み入れないことが前提になっている土地である。

 この交点にはほとんど巨石遺跡または巨石だけがぽつんとある。人口が密になっている現在においてさえ住めない地ばかりである。これらは列島全体をおおう太陽信仰と暦に対する意識があったことを示すもので、その高い技術は現代人をもしのぐ。
 縄文晩期以降は三輪山を基点として、その基点から30里の距離で冬至線、夏至線が引かれ、菱形(ひしがた)という籠目(かごめ)の模様を地上に織りなすネットワークが作り出されていった。
 そして三輪山と畝傍山の冬至線の30里南に平行する冬至線は、富士山に至っている。冬至線は富士山頂をわずかに北に外れた所を通り、小室浅間神社(こむろせんげんじんじゃ)の上を通る。そしてそこから東南東にある浅間神社からわずかのところが夏至線との交点である。そこも人は足を踏み入れない場所である。

 冬至線と夏至線のネットワークは意識的に作られ、山大日之国彦命の邪馬台国は空間感覚を持って列島を支配下に置いていった。つまり、冬至線や夏至線上には重要な神社などが多数あり、人が集まる場所も多数あるが、30古代里を単位に線を引いた籠目のネットワーク上の交点上には必ず荒地や海や山間の谷や川の洲などがある。


人類の王の出現----------------------------------------------------------------------------------------------

 人類同士の争いにより、シュメールの王都は、ウルク、ウル、アワン、キシュ,ハマジ、マリなどシュメールの主要都市の間をめまぐるしく移動した。人類同士の闘争は、やがてアヌンナキをも巻き込み、さらに拡大していった。人類の闘争によって地が荒廃したため、強力なリーダーシップを持ち、かつアヌンナキと人類の仲介者になりうるような人類の王の出現が待ち望まれた。


サルゴン1世の任命-----------------------------------------------------------------------------------------

 紀元前2760年のこの頃、第1のメソポタミア地域で、1人の指導者の下に国々を統一しようとアヌンナキは決め、武闘派の王を望んだ。マルドゥクと敵対するイナンナに、適切な人間を見つける仕事を託した。彼女は、旅行中に出会い愛した1人の強い男をエンリルに推薦した。4つの駐屯地の司令官を父に持ち、高僧を母に持つアルバカドである。彼はノア(ジウスドラ)の子孫であり、エンリルは彼に王冠と笏(しゃく)を与え、シャルル・キン(サルゴン)、“高潔な摂政”として指名した。そして、新しい王権都市が樹立され、アガデ、“統一された都市”と名付けられた。そこは、キシュからそう遠くは無かった。彼はエンリルによって権限を与えられ、イナンナは自分の優れた武器を携えて、彼の戦士たちに同行した。“下の方の海”から“上の方の海”まで、全土が彼に服従した。彼の軍隊は第4の地域を守るため、その境界に駐留した。

 人物は違うが、ゾロアスター教の最高神アフラマズダー(エンリル)から王権の象徴(王冠と笏)を授受されるアルダシール1世とされるレリーフに、その王冠と笏が彫られている。


 アルバカドとは聖書のアルパクシャドであり、セムの息子の1人である。シャルル・キンはアッカドの最初の王、サルゴン1世である。アガデとは、戦後のニビルの最初の首都の名前であり、その統一された都市に因んで名付けられた。
 マルドゥクは地球人の軍隊を組織して野望を果たそうとしたが、イナンナに選ばれた武闘派の王サルゴン1世は、マルドゥク軍と戦うために選ばれた。
 サルゴン王年代記には、次のようにある。
“アガテの王サルゴン、イナンナの時代に権力を得る。サルゴンに敵無く、並び立つ者無く、その威光はすべての地に及ぶ。東の海を制覇し、西の地を征服する。”
 このアッカドのサルゴンは、イナンナをレイプした勇気ある人間の男だった。
“ある日、女王が空を飛び、地球を横切った後、ある日、イナンナがエラムとシュブールと…を横切った後で、神の愛人は疲れ、寝てしまった。私は、庭の外れから彼女を見た。私は彼女に接吻し、体を重ねた。”
 神の愛人とは大神アヌの愛人のことで、イナンナのことである。気付いたイナンナは怒らなかった。むしろ、自分の好みのタイプだった。その頃、シュメールでは遷都(せんと:都を他所へうつすこと)を繰り返し、都市間の争いが発生し、ついには都市の守護神同士の抗争にまで発展していた。そこで、サルゴンを強い男と見込んだイナンナは、シュメールとアッカド全土の王として、彼を推薦することとした。そして、サルゴンはイナンナの変わらぬ愛人となった。
 この時、各都市には守護神がある、という考えだったが、その考えは、古代ギリシャやローマ帝国などにも受け継がれる。


バビロン神殿の建設とイナンナの激高------------------------------------------------------------------

 マルドゥクはイナンナとシャルル・キン(サルゴン1世)の動向に抜かりなく目を光らせ、鷹のように獲物に襲い掛かった。マルドゥクが天に届く塔を建てようとした場所から、シャルル・キン(サルゴン1世)は聖なる土をアッカドの中心都市アガデに移し、そこに“天国のように明るい物体”を埋め込んだ。この行為に激怒したマルドゥクは、第1の地域のメソポタミアへ急行し、ナブと手下を連れて塔のあった場所にやって来た。「聖なる土は私だけのものだ!神々の門は私が築くのだ!」とマルドゥクは猛然と宣言し、川を迂回させるよう、手下に命じた。

 彼らは塔の場所に堤防と壁を築き、エサギル、“最高神のための家”をマルドゥクのために建てた。ナブは父を讃えて、そこをバビリ、“神々の門”と名付けた。こうして、エディンの中心にマルドゥクは強引に納まった。
 マルドゥクは、事ある毎に激怒している。エサギル=バビロンのマルドゥク神殿は、このようにして強引に建造されたのである。

 イナンナの怒りはとどまるところを知らなかった。彼女は自分の武器でマルドゥクの手下を手当たり次第に殺した。人々の血がかつて無いほど、川のように流れた。ネルガルはマルドゥクの下へ行き、人々のためにバビリを離れるよう、説得した。「本物の天の印が現れるまで、平和的に待とうではありませんか」マルドゥクは立ち去ることを決意し、国から国へと、空から眺めて移動した。その後、ラー(マルドゥク)は第2の地域のエジプトでアムン(アモン)、“見えざる者”と呼ばれた。アムン(アモン)とは、神話上で追放されたラー(マルドゥク)のエジプト名である。


■紀元前2700年頃

 この頃、パキスタンのモヘンジョダロは、周囲5kmにも及ぶ大都市であり、巨大な建物が目立つ城塞区と市街区に分かれ、4万人程が暮らしていた。街を東西南北に貫く幅10mの大通りに、小さな路地が直角に並ぶ碁盤上の街並があった。路地に面した建物はレンガでできた二階建ての建物だった。ここではプライバシーが尊重された生活が営まれており、建物は排水溝を持ち、汚水は下水道に流れ込むように設計されていた。またそれぞれの家にはゴミを捨てるダストシュートが備え付けられ、ゴミ集積所や井戸も設置されていた。現代社会のようにある程度高度な都市生活が営まれていた。
 モヘンジョダロのあるインダス文明は、チグリス・ユーフラテス川沿いにあるメソポタミア文明と盛んな交易を繰り返していた。遺跡から発掘される印章は活発な商業活動の証とされている。出土する玩具の数々からも知的水準の高さが伺い知れた。


 モヘンジョダロから出土したパシュパティ神(シヴァ)の印章は、ヨガの姿勢をとっている。高度なヨガの難しいポーズで座る行者が一人描かれており、ウエストが細く、あごひげを生やし、男根を勃起させた半裸の人物で、ぼさぼさの長髪に水牛の角の頭飾りを着けている。ヨガはアヌンナキが伝えたものだった。
 危険な大型獣、野生の水牛、サイ、ゾウ、トラに囲まれている。伸ばした両腕は飾り輪で覆われ、両手は軽く膝に置かれている。深い瞑想状態を示す伝統的な姿勢である。これによってヨガがこの時期既に完成した体系として知られていた事がわかる。ムーラバンダサナは初心者にできる型ではなく、中級のポーズを多数マスターして初めて可能となる型である。

■紀元前2644年頃

 この頃、バビロニアに楔形文字が伝わる。楔形文字はウルク文化期(紀元前3200年頃)に、絵文字としての性格が強いウルク古拙文字が発明されたが、長期間繰り返し使われるうちに、次第に単純化・抽象化されて、青銅器時代初頭(紀元前2500年)には約1,000文字のシュメール文字になり、青銅器時代末期(紀元前2000年)には約400文字(ヒッタイト語楔形文字)から約200文字(アッカド語楔形文字)へと変化していく。

■紀元前2350年頃

 メソポタミアのシュメールでは小麦の生産量は40%減り、唯一大麦の生産量だけが安定的な推移をみせていた。彼らが築いた灌漑システムはシュメール文明を強力なものにしたが、破壊も招いてしまった。3000年間の灌漑水が蒸発してしまい、土地奥深くに埋もれていた塩が表面に浮き上がってきた。最終的には日光によって硬化した塩が白く土地を覆い、土は無菌状態になり、小麦は二度と育たなくなった。現代でも地元の人はこの問題に悩まされ、一部の地域では地面にひびが入っている。

■紀元前2300年頃

東日流(つがる)の地震と大噴火---------------------------------------------------------------------------

 縄文時代だった日本では、阿曽辺族(あそべぞく)と津保化族(ツボケゾク)の両族は、南平賀川を境界として東西に分け、国域を定めて和解したが、盛田大館安東浦・西浜(青森県の東津軽郡:ひがしつがるぐん辺り)に居住する津保化族(ツボケゾク)が、これに反対したことから再び戦となり、岩木山の麓(ふもと)で戦を続けた。

 その時代の東日流(つがる)は、地鳴や地震が頻発していたがある日突然、阿曽辺族(あそべぞく)の居留地の阿曽辺盛(岩木山)が、天を突くばかりの大音響を発して地割れを起こし、同時に噴火、数百メートルの高さまで大石が吹き上げられて飛び散り、火口からは溶岩が流れ出た。
 阿曽辺族(あそべぞく)の集落はみるみるうちに火の海となって溶岩に閉ざされ、大部分の者が死んだ。津保化族(ツボケゾク)の中にもこの異変に怖れをなし、東日流(つがる)を去る者もあり、残った者は中山あたりに住居を建て、火を噴く山から離れて居住した。
 以来、津保化族(ツボケゾク)の多くは石化に居住し、安東浦(深浦町:青森県西津軽郡)で漁をして暮らしていた。津保化族(ツボケゾク)の狩は馬を走らせて弓で狩り、海では鉛の網を使って漁をし、土を焼いて器を造り、常に火を使った食生活をしていた。

 石を道具として使用していたが、それは研磨したもので刀はよく斬れ、一度使っても捨てることなく、修理しても使えない状態になるまで使った。
 衣類は樹皮や草皮をはぎ、糸を紡いで織ったものをアマンダと言ったが、日常はそれを着用していた。
 熊など大きな獣の皮を、毛のない方を内側にして二枚を合わせ、ふちを縫って袋状のものを作り、その中に入って寝たが、その袋をツトと言った。
 住居は木を円錐状に寄せて骨組みとし、屋根はハツポという煙を排出する開口部を設けた。
 床は建物の円形の内部に合わせて掘り下げて平らにし、外壁は円錐状の骨組みに葦(あし)を葺(ふ)き、その周囲には雨水を排水する溝を施し、家とした。
 このような家をクケ、大きなものはカッチョ、更に大きなものはチヤシ、更に巨大なものはポロチヤシと言った。

 狩に使用する道具は矛(ほこ)、吹矢、刃物、毒針、石斧、投縄、仕掛罠、落し穴、銛(もり)、そり、籠(かご)、焼豆だった。
 海で使用する道具は、筏(いかだ)、丸太船、藻刈棹(もかりざお)、網、釣針(つりばり)、底見箱、銛(もり)などで、今に伝わるものも多い。

東日流外三郡誌

阿曽辺族(あそべぞく)のいけにえの始まり-------------------------------------------------------------

 世界に氷河期が訪れるなどして大地が氷に覆われると、阿曽辺族(あそべぞく)はそれまでのような生活ができなくなった。生き抜く為には工夫しなければならず、頭を使ったことから知覚が発達し、体形や頭脳の働き、身長も伸びた。体をおおっていた毛はなくなり、石を割って矛や刀を造り、それを使って狩りをすることを覚えた。阿曽辺族(あそべぞく)の長は、この技術を代々申し送りして伝えた。一族の暮らしは占いが生活の要となり、その占い師が一族の長となった。

 この時代の東日流(つがる)に起こった地震で生き残った阿曽辺族は、これは神の怒りによるものだとして、噴火の神を鎮めるためにはいけにえを捧げなければならないと、八月十五日の満月の夜にはいけにえに決まった若い娘に飾り付けをして火口に落として捧げ、次には食糧にする鹿や魚を捧げ、三番目には一族が大事にしている首飾りや宝物を落として捧げるという儀式を行った。
 そのいけにえの選定は占い師によって決められ、神のお告げとして家族に伝えられた。阿曽辺族のこのような悲惨、無残な習わしは、津保化族との合併まで続いた。
 一族の神は太陽と海と山で、毎日踊りを踊って崇めた。その踊りは笹竹を輪にして、毛はぎの毛皮を張ったものを打ち鳴らして踊る踊りだった。
 そして寿命は長くはなく、30ないし40歳で終わり、女は10歳で子供を産み、親子といえども成長すれば男女の交わりをし、子孫を残していった。
 女性は結婚すると顔に刺青をし、牙歯(げし)を抜く習わしがあり、男は強ければ多くの妻を持つことができた。

東日流外三郡誌

阿曽辺族(あそべぞく)の連絡方法------------------------------------------------------------------------

 阿曽辺族(あそべぞく)の連絡方法には、縄を結んで伝える縄結び伝、石を並べて伝える石置伝、更に煙を使って遠方へ知らせる煙方伝、また丸太を空洞にくり抜いて鳴木とし、それを打ち鳴らして遠距離に知らせる方法をもって一族の安全を警護する一族だった。

東日流外三郡誌

紋吾夷士族と葬(そう)--------------------------------------------------------------------------------------

 この阿曽辺族(あそべぞく)と津保化族(ツボケゾク)のことを総称して紋吾夷士族と言った。時代が移り、この紋吾夷士族は身を飾る物も多く使った。飼う鳥獣は犬、鷹、馬で、草や木、魚や虫から薬物やら毒物を採取した。
 そして神を信仰したがその起りは、死への恐怖、天地の異変、水害や火災の難、病気や食の困窮、敵の侵略による殺害、不時の運命の災難、その他生き抜くために心身を悩ませることのない安住の願いから発信したものだった。
 そしてまた始祖人に墓がないのは、紋吾夷士族以来の祖宗(そそう)で、死は新生へ向かうもの、生きている間に生命を断ち食糧とした死体は白骨になるまで山野に放置し、肉は草木への肥料とし、飢えた鳥獣と虫が食糧とした後、残った白骨は石で砕いて粉灰(こはい)として川の流れに流した。
 これが故人が生存している間の飢えた時に、食糧として殺傷した諸生物の精霊に悔い、天、地、水の万物創造万能の神に捧げ奉るという個人の葬(そう)だった。

東日流外三郡誌

■紀元前2260年頃
イナンナの冒涜行為----------------------------------------------------------------------------------------

 しばらくの間、イナンナは平穏だった。サルゴン1世(シャルル・キン)の2人の息子は平和を望む後継者だった。そして、彼の孫ナラム・シンが王座に就いた頃、エンリルとニヌルタは第1の地域を留守にして、海の向こうの土地へ行った。


 ナラム・シンはアヌンナキと人間との半神半人であり、身長は約280cmだったと戦勝記念碑から推測できる。またその戦勝記念碑にはイナンナの十六芒星が刻まれていることから、イナンナ側だということもわかる。



 ラー(マルドゥク)は第2の地域を離れ、マルドゥクとして他の土地を旅していた。イナンナは全権力を手に入れることを思い描き、ナラム・シンに全土を奪い取るよう命じた。マルドゥクの領地マガン(エジプト)とメルーハ(古代王国ナビア)に侵攻するよう、指示した。イナンナはエンリルとニヌルタがいない間に、全土を我が物にしたかったのである。

 ナラム・シンは第4の地域のシナイ半島を地球人の軍隊が通過するという冒涜行為を働き、マガン(エジプト)に侵攻して、封印されたエクルに侵入しようと試みた。第1の地域シュメールとアッカドから陸路でエジプトに侵攻するには、どうしても第4の地域、シナイ半島を通過せざるを得なかった。
 このような神聖を汚す冒涜行為と違反行為にエンリルは激怒し、ナラム・シンとアガデに呪いを掛けた。ナラム・シンはサソリに咬まれて死に、エンリルの命でアガデは全滅させられた。地球年にして、1500年のことだった。

 なお、サルゴン王年代記では、サルゴン王がマルドゥクの支配する聖地を冒涜し、民心はサルゴンから離れ、サルゴンは苦悩の中で生涯を終えたことになっている。これなども、マルドゥクによる真実の改竄である。
“サルゴンが犯した神聖冒涜行為に偉大なる神マルドゥクは激怒し、サルゴンの民を餓死で滅ぼした。マルドゥクはサルゴンに罰を与え、民心はサルゴンから離れた”


ア・キ・チ(地球の生命の創成)と新年祭----------------------------------------------------------------

 そのサルゴンの後継者たちのシュメールとアッカドの王たちの時代には、“聖なる結婚”の儀式とは別に、イナンナは王たちと一緒に新年の祝いの儀式も行うようになった。そして、その王たちを“聖なる結婚”の儀式の掟の中に組み込んでしまった。
 最初の頃は神々だけが集い、アヌンナキの地球滞在記などが生々しく語り継がれており、“ア・キ・チ(地球の生命の創成)”と言われた。王権導入の後、イナンナは王たちをギグヌに招待し、彼女の“性のパートナーの死”を再現し始めた。死ねば、王は交代させられた。これは祭事全体の流れの中に取り込まれた。そのため、王たちはイナンナと一夜を過ごしても、何とかして死なずに済む方法を見つけ出さねばならなかった。そして、これは王の運命だけではなく、来るべき年が豊作となるか、凶作となるのかを占う神事でもあった。

 この祝典の最初の4日間は、神々のみが参加した。5日目に王が登場し、高位の従者を引き連れてイシュタル通りを行進する。王が神殿に到着すると、待っていた高僧が王の印の冠と笏(しゃく)を取り上げ、至聖所の中の神の前に置く。そして、権力の印を奪われた王の顔を、高位の祭司が打ち叩く。それから王を跪(ひざまず)かせ、王が犯した罪のリストを読み上げ、神の許しを求める“償いの儀式”に参加させる。
 次に祭司は、この街の外の死を象徴する穴に王を導く。王は神々が彼の運命を定める相談をしている間、この穴の中に捕らえられている。9日目に王は穴から出て、王の印を返され、再び行列を率いて街に帰る。そして、夜が迫ると体を洗い清め、香水を付けられ、いよいよギパールの館に導かれる。やがて朝になり、イナンナとの夜のセックスを生き抜いたことをすべての民に知らせるために、王はその姿を民の前に現す。こうして“聖なる結婚”の儀式が終わり、王は次の1年間の統治を許され、その地と領民は繁栄の時を約束される。

 このような儀式は、古代近東(北アフリカの地中海沿岸部やシリア地方、イラク地方など)のすべての地域で2,000年以上、情熱と歓びをもって行われていた。聖書の雅歌(がか)にも、“宴の家、アヌギム”での“愛の歓び”として歌われている。このヘブライ語の語源は、シュメール語のギグヌ(アヌのギグヌ)で、それは明白である。
 この“ア・キ・チ”は、現つ神(あきつかみ:現人神)の語源である。つまり、イナンナに招待された王を暗示しているわけで、神に選ばれし王、ということである。

 またかつてギパールは神と公式の配偶者が、夜間休むための離れ家だった。少なくとも、エンリルとニヌルタが滞在していた時まではそうだった。しかし、イナンナがアヌとウルクで会うようになってから、イナンナがドゥムジとウルクで会うようになってからは、“一夜を楽しむ密室”ギグヌへと変貌していった。そして、この“新しい利用法”を、他の男神たちが真似るようになった。特に有名なのは、ウルにあるイナンナの父ナンナルのギパールである。ここでは、“イナンナの儀式”において王が演じた役割を、“神の貴婦人=エンツ(シュメール語ではニンディンギル)”が演じた。
 このギパールは、ナンナルの神殿からは近く、ナンナルの妻ニンガルが住んでいた場所からは遠かった。正式な妻以外に、このような“神の第2夫人”を持つ習慣が、初期の王朝時代から新バビロニア時代に至るまで、2,000年以上にもわたって続いた。
 だからと言って、正妻とエンツの間に敵対関係があったわけではなく、エンツが女神ニンガルに贈り物を捧げているように、良好な関係にあった。古代近東(北アフリカの地中海沿岸部やシリア地方、イラク地方など)の王たちは、自分たちの都市に次々とギパールのような館を造り、自分たちの娘だけがエンツになる方策を講じた。エンツはいわゆる“神殿娼婦”とは異なる。神殿娼婦はクアディッシュと言われ、種々の尼僧たちが神殿で行ったが、聖書でも軽蔑的な職業として取り上げられている。この際、実際の神々とではなく、祭司などと交わった。しかし、エンツは神殿娼婦や神々が持つ妾(めかけ)とは違い、子供を産まなかったし、何らかの処置により子供ができなかった。これに対し、普通の妾(めかけ)は子供を産むことができたし、実際に生んだ。
 このような規則や習慣は、神の血統を主張する王たちにとっては、その血統を特殊な方法で証明しなければならないことを意味していた。エンツから子は生まれないし、神の妾(めかけ)の子は正妻の子(神々同士の間に生まれた子)には敵わなかった。様々な王たちが、イナンナを母とする、と主張したのは、このような理由のためと、実際にイナンナと交わったためである。

 ウル第3王朝時代からイシン第1王朝時代にかけ、イナンナは国家祭儀の聖婚儀式で祀られた。この儀式では、儀式参加者たちが聖婚歌を唱和する中、イナンナに扮した高位の女祭司が、配偶神のドゥムジに扮した王と儀礼的に交わる式も含まれていた。
 エンツと神殿娼婦は区別されていたが、後に混同され、更に、男娼(だんしょう)まで出てきた。それを、イエスは激しく糾弾し、十字架に掛けられた。
 そして、この儀式が世界中で豊穣を祈る儀式と結びつき、世界各地で男女の交合が豊穣のための神事とされた。日本でも奈良県の大神(おおみわ)神社の地域や飛鳥座(あすかにいます)神社、尾張の田懸(たがた)神社・大懸(おおがた)神社などで、天下の奇祭として執り行われてきた。そして、王の生死と豊穣の占いが混同され、“神への人間の犠牲”という概念が登場し、後に人間の生贄が出てきてしまったところもあった。


 娘をエンツにしようとしたのは神の御加護を受けるためだが、主たる目的は長寿を授かることであった。神々の長い寿命。ギルガメッシュも望んでいた長寿である。よって、世界中で“不老不死の妙薬”が求められた。
 しかし、後にマルドゥクがバビロニアの主神となると、イナンナはウルクを追われた。これ以後、イナンナは武装した戦う女神となり、ますますマルドゥクとの対立は深まった。バビロニアの王ナブネイドは言っている。
“金の部屋に住む身分の高い皇女、ウルクのイナンナ、引き具を付けた7匹の獅子の二輪戦車に乗った彼女。ウルクの住民は、王エルバマルドゥクの規則により、彼女の崇拝を止めて、彼女の部屋を取り除き、軍の馬具を解いた。イナンナは怒ってエアンナを去り、見えない場所に留まった。”
 そして、新年を祝う儀式もマルドゥク流に変えられた。新年祭はサグ・ム・ク(年の初め)と言われ、7日間続けられた。この間、主従の身分差は無くなり、親は子供を罰せず、通常の仕事はすべて休みであった。新バビロニア時代にはアキツと呼ばれ、春のニサンの月(春分を含む月)の12日間であった。

 祭儀の内容は、次の通りである。

 主神マルドゥクは人民の代わりとして一旦裏切られ、消え去らなければならない。王も、神殿の前で権威を象徴する一切のものを投げ出し、国民の代表として神に1年間の不幸な出来事を釈明し、許しを乞う。すると、ウリガルと呼ばれる主教が王の頬を打ち、大衆の前で説教する。その間、町は灯を消し、人々はマルドゥクを求めてさ迷う。しかる後、マルドゥクの像を華やかに飾りつけ、栄光の“復活”をさせる。
 クライマックスは、神マルドゥクとその妻サルパニトゥムの“聖なる結婚”である。次の1年が平和で豊饒(ほうじょう)であるように祈念し、神に代わって国王が神殿の女祭司と交わった。実際には、用意された奴隷がその期間だけ王位に就き、これが終わると王の身代わりとして殺害されたらしい。

 これは人間の生贄である。また、バビロニアでは性生活は重要な意味を持っていた。性的な節制は不幸の原因になるとして避けられ、性を拒む女性は悪魔の手先とされた。これは性的な退廃で、性的堕落の根源はイナンナである。インダス文明の主神、シヴァは破壊と創造の神で、リンガ(男性器)が象徴だが、まさに、このイナンナの性質そのものである。しかし、マルドゥクによる乗っ取りが行われて以来、本来の神話や伝承が誤解・曲解され、挙句の果て、人類に性的退廃が蔓延していった。更に、そこに人身供犠(じんしんくぎ)などが重なったのが悪魔崇拝、黒魔術、ディオニソス崇拝である。

 聖書で言うところの偶像崇拝の根源バアルとは単に「神」という意味で、主にエンリルのことを指していたが、こういう理由から、後にマルドゥクを暗示する言葉となった。
 イナンナは人類に“聖なる結婚”の儀式という性的に誤った道=左道(さどう)を教えてしまった。そういう意味で、イナンナはサタン、ルシファーの原型の1つでもある。他にもサタン、ルシファーの原型はさっき述べたとおり、マルドゥクの地球人との結婚を機に反乱した火星にいたマルドゥク一派のイギギである。つまり、サタン、ルシファーの原型はイナンナとマルドゥクである。

 イナンナが王たちと一緒に祝った新年の儀式から、興味深いことが言える。高僧が王の印を取り上げ、権力の印を奪われた王の顔を高位の祭司が打ち叩き、王が犯した罪のリストを読み上げ、死を象徴する穴に王を導く。そして、王は9日目に穴から出て、10日目の朝に夜を生き抜いたことをすべての人たちに知らせるために、王はその姿を人々の前に現す。
 イエスはユダヤの王と主張したが、祭司たちが認めず、極刑とした。兵士はイエスの着ている物を剥ぎ取り、赤い外套(がいとう)を着せ、茨で冠を編んで頭に載せ、また右手に葦(あし)の棒を持たせて(以上、王の印)、その前に跪(ひざまず)き「ユダヤ人の王、万歳」と言って侮辱した。唾を吐きかけ、葦の棒を取り上げて頭を叩き続けて侮辱したあげく、外套(がいとう)を脱がせて元の服を着せ、十字架に掛けるために引いて行った。そして、イエスは十字架に掛けられて息を引き取り、横穴の墓に葬られたが、3日後に復活し、40日後に昇天した。
 つまり、イエスの重要な物語は、この“イナンナの新年の儀式”が原型なのである。そして、王が9日目に穴から出て復活し、10日目の朝に民の前に姿を現したことは、「生命の樹」において10個のセフィロトをすべて通過し、最高セフィラ“ケテル”に達して神から知恵を得る、つまり、神から認められることの暗示なのである。

 旧約聖書だけではなく、新約聖書までシュメールの焼き直しに過ぎない。それほど、シュメールの真相は重要なのである。


エンリルに与えられたガルズの預言---------------------------------------------------------------------

 マルドゥクがアムンになった後、第2の地域のエジプトの王権は崩壊し、無秩序と混乱が蔓延していた。アガデが全滅させられた後、第1の地域でも同様だった。王権は「神々」の都市と人間の都市を転々とした。そこで、エンリルはアヌに相談し、王権をナンナルの手に預けた。彼の土地ウルクに、3度目の王権が授けられた。ナンナルは人間たちの“正しい羊飼い”を任命し、ウル・ナンムと呼ばれた。彼は国に安定と反映をもたらした。

 エンリルが夢物語を見たのは、そんな時のことだった。天空のように明るく輝く1人の男が現れた。エンリルのベッドの側に立つと、白い髪をしたガルズだった。彼は左手にラピスラズリの石板を持ち、その上には天空が描かれていた。天空は12の星座によって分けられ、ガルズはそれらを右手で指し示した。彼は牡牛から牡羊へと指を移動させた。それを3回繰り返した。それからこう言った。
「慈愛と平和の正しい時代に、悪行と流血が続くだろう。天空の3つの部分で、マルドゥクの牡羊がエンリルの牡牛に取って代わる。“最高神”を名乗った者が、地球の覇権を奪うだろう。“宿命”によって定められ、かつて無い大惨事が起きる!大洪水の時のように、正しく立派な人間を選ばなければならない。彼と彼の種子によって、“万物の創造主”が意図されたように、文明化した人類が維持されるのだ!」

 エンリルが目覚めると、ベッドの脇にその石板が置かれていた。彼は、誰にもそのことを話さなかった。ただし、天体の大家たちに尋ねることにした。神託の神官ティルフ(テラ)はエンリルに示した。
「ウリム(ウル)にあるナンナルの神殿へ行き、天体の時間を観測されよ。地球の72年が1つの“空の分け前”の長さです。3つの推移を注意深く記録するのです」
と言い、預言された時をエンリルに教えた。彼はアルバカドの孫イブルの子孫で、ニブル・キで6代続く神官であり、娘たちはウリム(ウル)の王たちと異種結婚していた。地球の総督エンリルでさえ、人類の神官に頼るようになってしまった。

 “空の分け前”とは、歳差運度の角度1度に相当する年数で72年。なお、72という数字はルカ書(10章1節)においてイエスが72人を任命し、すべての町や村に2人ずつ遣わされたことの原型である。
 御神託は前兆を探して天を観測することと混ぜ合わされ、後に、次第に対立する神々の両陣営に人類が引き込まれていくにつれて、預言が重要な役割を果たし始めた。言い換えれば、神々のエゴに人類が翻弄されるようになった人類が、そのエゴを背負わされたということである。


アブラハムの登場-------------------------------------------------------------------------------------------

 エンリルが夢物語とその前触れについて考えている間、マルドゥクは国から国へと歩き回っていた。彼は自分の最高権力について人々に話していた。自分の信奉者を獲得することが目的だった。“上の方の海”の土地とキ・エンギ(シュメール)の土地の境界で、彼の息子ナブは人々を扇動し、第4の地域を奪おうとしていた。そして、目論見通り、西の住民と東の住民との間で衝突が起こった。王たちは軍を組織し、キャラバンは行き来を止め、都市の周りに壁が建てられた。ガルズが預言したことがまさに起きている、とエンリルは思った。そこで、立派な家系の子孫、ティルフ(テラ)とその子供たちにエンリルは目を付けた。「彼こそ、ガルズが選ぶように言っていた人間だ!」とエンリルは自分自身に言った。

 マルドゥクはあちこちで自分の正統性を主張していた。彼はあらゆる「神々」の上に自分を君臨させ、彼らの力と属性を、勝手に我が物のように語った。これこそがバアルの原型であり、偶像崇拝の原型である。バアルとは、元々カナン地域を中心に各所で崇められた嵐と慈雨の神で、セム語で“主”を意味し、原型はエンリルである。エンリルの住まいは最初、ヒマラヤ杉の森の横、“着陸場所”の近くにあり、そこは後にバールベックと呼ばれる場所で、イシュクルに与えられた。それを、マルドゥクが乗っ取ったのである。つまり、神話を改竄(かいざん)した。あらゆる神話は、後にマルドゥクによって改竄された。それが神話の人物関係が伝承ごとに異なっていたり、矛盾したりする原因である。他に、言語がバラバラにされたことも、混乱の要因となっている。

 また、マルドゥクの息子ナブは人々を扇動したが、これもマルドゥクこそがあらゆる「神々」の上に君臨する「神」である、と吹聴していたのである。ナブは、神=マルドゥクの言葉を伝える役割である。選ばれた人間へ“神々の秘密”を伝授することが司祭職、すなわち「神々」と人間の仲介者の血統となった。そして、御神託は前兆を探して天を観測することと混ぜ合わされた。後に、次第に対立する「神々」の両陣営に人類が引き込まれていくにつれて、預言が重要な役割を果たし始めた。来るべきことを宣言する「神々」の代弁者をナービー(ナビゲータ)と言うが、これはマルドゥクに代わって、天空の印がマルドゥクの主権到来を示していることを人類に確信させようとした、ナブのあだ名である。それがまさに、この場面である。

 エンリルは夢物語のことは内緒にして、ナンナルに命じた。
「アルバカドがやって来た川に挟まれた土地に、ウリム(ウル)のような都市を築き、ウリム(ウル)から離れてそこに住みなさい。そして、その真ん中に神殿を建て、神官で王子のティルフ(テラ)にそこを任せるのだ!」
 ナンナルはエンリルの命じた通り、アルバカドの地にハランという都市を築いた。ティルフ(テラ)はそこの神殿の高僧となるよう送られ、彼の家族も同伴した。預言された2つの“天体の部分”が完了した時、ティルフ(テラ)はハランへ行った。
 ハランとは、聖書において、ヤコブがカナンから帰る途中、天へ伸びる梯子(はしご)が置かれ、神の御使いたちの昇り降りする天まで達する梯子(はしご)を見た場所である。そこは山の多い土地と幾つかの川で守られたフルリ人の都市であった。神殿と建物は、ほとんど正確にウルに似せて造られている。

 ウリム(ウル)の王座は息子のシュルギが引き継いだが、彼はこの上なく卑劣で好戦的だった。ニブル・キ(ニップル)で自らを高僧として選別し、ウヌグ・キ(ウルク)でイナンナの外陰部を愉しんだ。そして、ナンナルの目を盗んで、山間地から戦士たちを自分の軍に入れ、西部の国々を占領し、“宇宙管制センター”の尊厳を無視した。神聖な第4の地域に足を踏み入れ、何と、“第4の地域の王”を名乗った。
 神聖を汚す行為にエンリルは激怒した。エンキはその侵略についてエンリルに苦々しく話した。
「お前の統治者たちは、あらゆる国境を越えてきた!」
「すべてのトラブルは、マルドゥクが原因だろ!」
とエンリルは言い返した。しかし、エンリルは夢物語については言わないまま、ティルフ(テラ)に注意を向けた。特に、彼の一番上の息子イブル・ウム(アブラハム)に。イブル・ウムは勇敢で、聖職者の秘密に精通した、王子に相応しい子孫だった。“二輪戦車の場所”の昇り降りができるように、神聖な場所を守りに行くよう、エンリルはイブル・ウムに命じた。

 アブラハムは羊飼いではなくて、エンリルから信頼された神官の家系で、しかも王子であった。ティルフ(テラ)はアルバカドの孫イブルの子孫で、ニブル・キで6代続く神官で、娘たちはウリムの王たちと異種結婚していたので、神の血をも受け継いでいる。また、アルバカド=シャルル・キン=サルゴン1世とは聖書のアルパクシャドのことで、セムの息子の1人。つまり、イブル・ウム=アブラハムはニブル・キ出身だが、セムの直系、ニブル・キとウリム(ウル)出身の聖職者で、王族の末裔である。よってアブラハムの子孫とされるヘブライの民は“選ばれし民”とされている。アブラハムに命じた主はエンリルであり、彼の任務は神聖な場所、第4の地域、“二輪戦車の場所”を守ることだった。


天皇(現人神"あらひとがみ")の始まりと歴史-----------------------------------------------------------

 紀元前2760年頃、第1のメソポタミア地域で、1人の指導者の下に国々を統一しようとアヌンナキは決め、武闘派の王を望んだ。マルドゥクと敵対するイナンナは、旅行中に出会い愛した1人の強い男をエンリルに推薦した。4つの駐屯地の司令官を父に持ち、高僧を母に持つサルゴン1世(アルバカド)であった。

 彼はノア(ジウスドラ)の子孫であり、エンリルは彼に王冠と笏(しゃく)を与え、シャルル・キン(サルゴン)、“高潔な摂政”として指名した。そして、新しい王権都市が樹立され、アガデ、“統一された都市”と名付けられた。つまりこれが、地球司令官エンリルから地球統治を任された半神半人で、始めの天皇である。
 サルゴン1世はセムの息子の1人である。マルドゥクは地球人の軍隊を組織して野望を果たそうとしたが、イナンナに選ばれた武闘派の王サルゴン1世は、マルドゥク軍と戦うために選ばれた。

 そのサルゴン1世の後継者たちのシュメールとアッカドの王たちの時代には、“聖なる結婚”の儀式とは別に、イナンナは王たちと一緒に新年の祝いの儀式(新年祭)も行うようになった。

 最初の頃は神々だけが集い、アヌンナキの地球滞在記などが生々しく語り継がれており、“ア・キ・チ(地球の生命の創成)”と言われた。王権導入の後、イナンナは王たちをギグヌ(夜の愉しみの家)に招待し、彼女の“性のパートナーの死”を再現し始めた。死ねば、王は交代させられた。これは祭事全体の流れの中に取り込まれた。そのため、王たちはイナンナと一夜を過ごしても、何とかして死なずに済む方法を見つけ出さねばならなかった。そして、これは王の運命だけではなく、来るべき年が豊作となるか、凶作となるのかを占う神事でもあった。
 そして新年祭の9日目の夜が迫ると、王は体を洗い清め、香水を付けられ、ギパールの館に導かれる。やがて朝になり、イナンナとの夜のセックスを生き抜いたことをすべての民に知らせるために、王はその姿を民の前に現す。こうして“聖なる結婚”の儀式が終わり、王は次の1年間の統治を許され、その地と領民は繁栄の時を約束された。
 この“ア・キ・チ”は、現つ神(あきつかみ:現人神"あらひとがみ")の語源である。つまり、イナンナに招待された王を意味し、神に選ばれし王、ということである。こうしてサルゴン1世から始まった地球の王である天皇は何世代も続いてきた。
 イナンナと天皇の関係は密接であり、こういった流れもあってイナンナのシンボルである十六花弁ロゼッタが、皇室の紋章となる。


 時が経ち、エジプトの王権は崩壊し、無秩序と混乱が蔓延していた。アガデが全滅させられた後、メソポタミアでも王権はアヌンナキの都市と人間の都市を転々とした。そしてエンリルは夢でのガルズからの提言もあり、サルゴン1世の孫イブルの子孫で、ニブル・キで6代続く神官ティルフ(テラ)とその子供たちに目を付けた。特に、ティルフ(テラ)の一番上の息子イブル・ウム(アブラハム)に。


 イブル・ウム(アブラハム)は勇敢で、聖職者の秘密に精通した王子に相応しい子孫だった。エンリルは宇宙船の昇り降りができるように、神聖な場所である第4の地域のシナイ半島の“二輪戦車の場所(宇宙船基地)”を守りに行くようイブル・ウム(アブラハム)に命じた。こうして旧約聖書に出てくるアブラハム(サルゴン1世の子孫)が天皇となった。

 そしてアブラハムの子孫のイサク、ヤコブが天皇として続き、ヤコブの子らがイスラエル12支族となり、イスラエルから東アジアへやってきて、その一団の一つエフライム族が当初、日本の天皇となる。その後、中国地方で秦氏ともなったガド族が現在の天皇へと繋がっていく。天皇とはエンリルに代わって地球の政治を執り行う立場のことである。


天皇の王冠と笏(しゃく)------------------------------------------------------------------------------------

 エンリルから地球の王(天皇)として任命されたサルゴン1世は、王権の象徴として王冠と笏(しゃく)を授与されたが、その伝統は現在も続いている。次の画像は人物は違うが、ゾロアスター教の最高神アフラマズダー(エンリル)から王権の象徴(王冠と笏)を授受(じゅじゅ)されるサーサーン朝ペルシア帝国の初代君主アルダシール1世とされるレリーフである。

 また、メソポタミアのウル第3王朝の初代王ウル・ナンム(紀元前2115年頃 - 紀元前2095年頃)の石碑にも、王冠と笏(しゃく)を見ることができる。
 
 そして天皇が皇位を継承したことを内外に示す即位の礼(そくいのれい)でも、その王冠と笏(しゃく)を見る事ができる。

 アフラマズダ(エンリル)が手渡している王冠の後ろ側から長く伸びた纓(えい)は、二枚である。冠は時代とともに形状が変化している。纓(えい)は平安時代には単なる飾りになったが、古い頭巾(ずきん)時代の紐(ひも)で絞った名残で、纓(えい)は後々まで二枚で作られている。平安時代までの纓(えい)は、左右の肩に垂れ下げるなど二枚だったが、剛装束(こわしょうぞく)となった平安末期からは、二枚を留めて一枚のようにして用いるようになった。しかし現在でも二枚を張り合わせた形式である。


 笏(しゃく)は中国で、前漢の時代に著された「淮南子(えなんじ)」に、「周の武王の時代、殺伐とした気風を改めるため武王が臣下の帯剣(たいけん)を廃し、その代わりに笏(しゃく)を持たしめた」とあるのが笏の起源と云われている。笏を使用する事が日本の制度として公式に明文化されたのは、文武(もんむ)天皇(在位697年-707年)の時代に成立した大宝令(701年)からで、公式にはこの大宝令が日本での笏の起源となる。

 笏(しゃく)はイスラエルから失われた十支族と共に中国へと渡り、そして東アジア各国の歴代王朝にも広がっていくので、中国、朝鮮、ベトナムの皇帝や日本の将軍や神職も持っていた。つまりイスラエルのユダヤ人である十支族の末裔がアジアに広がり、王族の象徴として笏(しゃく)や王冠を使用していく。


 
■紀元前2250年頃

 この頃エジプトでは電球が使われており、デンデラ神殿複合体にあるハトホル神殿には、デンデラの電球と呼ばれるレリーフが残されている。

■紀元前2070年頃

漢字の発明と秦(はた)一族はアヌンナキ----------------------------------------------------------------

 後の日本で秦氏(はたうじ)となる秦(はた)一族は、権力闘争によりエジプトをあとにして世界へ散らばった。ヨーロッパへ行った者もいれば、南米に行った者たちもいる。また最終的には日本にたどり着く。
 秦一族はアシールのイスラエルを経てペルシアのゾロアスター教の影響を受けて、シルクロードを通って中国に移り「夏(か)」を建国した。 夏(か)はBC2070〜2000年ごろに始まる。中華の「華(か)」は、古代には「夏(か)」と同じ意で用いられた。
 アシールのイスラエルについては後述しているが、現在のイスラエルは紀元前931年頃のソロモン王の死後に作られた第2のイスラエルで、それまではアシールにイスラエルがあった。それは旧約聖書の地名の解釈の間違いからおこった。

 夏(か)の創始者は「禹(う)」と言い、禹(う)という文字は本来トカゲやワニ、竜の姿を描いた象形文字である。つまりエジプト、イスラエル、メソポタミア、ペルシアを経てやってきた爬虫類人アヌンナキである。禹(う)の父は鯀(こん)と言い、鯀(こん)は「大きい魚」という意味で、メソポタミアの伝説の魚のオアンネスへとつながる。オアンネスはペルシア湾から上陸してきて、ごく短期間に人々に文明を授けたといわれる。つまりアヌンナキを指す。


 夏(か)が中国を統一することができたのは、漢字(象形文字)を発明したからである。漢字は表意文字で、文字そのものに意味が備わり、見れば意味がわかり意思を伝えることができる。読み方は違っていても、意味が通じる。そのことにより、「契約」を交わすことができるようになった。当時の契約は、牛の耳を切って血を垂らし、牛の骨に文字を書いて交わした。牛を神の使いと考えるヒンズー教に通じる儀式で、姻戚(いんせき)関係を結ぶ契約にもこの儀式が使われた。そのため、牛の赤い血の契約により結ばれた二人の間に生まれた子供を「赤子(せきし)」と呼び、「赤ん坊」「赤ちゃん」の語源にもなっている。 漢字もアヌンナキが作ったということである。


■紀元前2025年

 エンリルはアブラハムにサラとの間に子を作るように言い、イサクが生まれる。彼はイスラエル人の祖先となる。サラはアブラハムとは腹違いの兄弟で血縁者であり、つまりどちらもアヌンナキの直系血族である。
 
■紀元前2024年

マルドゥクの支配権宣言と恐ろしい決定---------------------------------------------------------------

 ここでの地名も、すべてアラビア半島西部のアシールにあった可能性があることを前提に読んでいただきたい。

 イブル・ウム(アブラハム)がハランを出発するやいなや、マルドゥクがそこにやって来た。彼も神聖を汚す行為を目にしてきたが、それは“新しい秩序”の生みの苦しみだと見なしていた。彼はシュメールの入り口であるハランから最後の突撃を計画し、イシュクルの領地の端に位置するハランから、軍勢の召集を命じた。ハランに逗留(とうりゅう)して24地球年が経過すると、降りて来た他の「神々」に手当たり次第、マルドゥクは涙ながらに懇願した。彼は自分の非を認めたものの、支配権を強く主張し、こう言った。
「おお、ハランの神々よ、裁きを下す偉大なる神々よ!私の秘密を聞いて欲しい。私はベルトを結びながら思い出すのです。私は神マルドゥク、偉大な神、わが領地エジプトではラーとして知られている。私は罪を犯して追放され、山岳地帯へ行き、多くの国をさ迷った。太陽が昇るところから、太陽が沈むところまで行った。そして、イシュクルの領地へ私はやって来た。24年間、私はハランの真ん中に巣篭もりし、その神殿で神託を求めた。いつまで待つのか、私は自分の支配権について、神官に尋ねた。あなたの追放の日々は終わった、とそう言った。ですから、宿命を定める偉大な神々よ、自分の都に向かって進路を取らせてください。我が神殿エサギルを終の住み処とし、バビリの王を任命させてください!私の神殿にすべてのアヌンナキの神々を集め、私と協定を結んでください!」
 マルドゥクはこのように、他の「神々」に彼の時代の到来を宣言した。

 自分たちに服従を迫るマルドゥクに、アヌンナキの「神々」は動揺した。エンリルはニブル・キ(ニップル)の指導者全員を会議に招集した。エンキとマルドゥクの兄弟たちもやって来た。


 この出来事には全員が不安を感じ、彼らは皆、マルドゥクとナブに反対した。議会では責める声が蔓延(はびこ)り、部屋中で非難合戦が繰り返された。しかし、
「いずれ来ることは誰も阻止できない。マルドゥクの最高権力を承認しよう」
とエンキだけが助言した。
「牡羊の時代が来るというのなら、マルドゥクから“天と地球を結ぶもの”を剥奪してしまおう!」
とエンリルは怒って提案した。すると、エンキ以外の全員が、“二輪戦車の場所”を壊滅させることに賛成した。そして、エンキの息子ネルガルが“恐怖の武器(核兵器)”を使用することを提案した…。エンキだけが反対し、この事がアヌに伝えられた。アヌは、彼らの意見に同意した。
「運命付けられていることを、自分たちの判断で無きものにしようとしても失敗するぞ!」とエンキは言って、立ち去った。邪悪なことを実行するために、ニヌルタ(アラム・ムル)とネルガルが選ばれた。


禁断の“恐怖の武器”-----------------------------------------------------------------------------------------

 エンキは立ち去っても、心の中では笑っていた。武器の隠し場所は、自分しか知らないと思っていたからである。エンリルが地球へやって来る前、エンキは宇宙船操縦士のアブガルと共に“恐怖の武器”を隠したからである。しかし、後にアブガルがエンリルにその隠し場所を秘密裏に教えたことを、エンキは知らなかった。そして、長いこと放置されていたから、武器として機能しないかもしれない、などとも楽観視していた。
 エンキから聞くまでもなく、エンリルは2人の英雄に“恐怖の武器”の隠し場所と、武器を深い眠りから起こす秘密の方法を教えた。エンリルは警告した。
「武器を使う前に、“二輪戦車の場所”からアヌンナキを立ち退かせておくこと。そして、都には危害を加えず、人々も殺してはならない」
 ネルガルは自分の“空の船”で舞い上がったが、ニヌルタはエンリルに引き止められた。彼は、ガルズの預言とイブル・ウム(アブラハム)の選出について、ニヌルタだけに話した。
「ネルガルは短気だ。くれぐれも都市には被害を及ぼさず、イブル・ウム(アブラハム)には事前に警告を発するのだぞ!」
とエンリルはニヌルタに命じた。こうしてアブラハムは戦争に巻き込まれない場所に避難した。
 ニヌルタが武器の場所に着くと、既にネルガルが空洞から運び出していた。それらの“メ”を長い休眠から起こしながら、彼は7つそれぞれにタスク名を与えた。最初のものには“敵無しのもの”、2番目には“赤々と燃える火”、3番目には“恐怖で崩れ落ちるもの”、4番目には“山を溶かすもの”、5番目には“世界の端を探し求めるもの”、6番目には“上も下も誰も容赦しないもの”、7番目には極悪非道な毒(放射性元素)が満たされており、“生き物を蒸発させるもの”と名付けた。

 ニヌルタがその場所へ到着した時、ネルガルは敵を滅ぼし、絶滅させる気満々だった。
「俺は息子(ナブ)を殺す!俺は父(マルドゥク)を絶滅させる!奴らがむやみに欲しがった国を消し去り、罪深い街をボコボコにしてやる!」
 ネルガルは復讐に燃え叫び、激怒して声を荒げた。
「勇敢なネルガルよ、君はそんな公正ではない破壊をして、自分が正しいと言えるのか」
とニヌルタが尋ねた。
「エンリルの指示ははっきりしている。選ばれたターゲットまで私が先導する。君は、私の後からついて来い!」
「アヌンナキの決定は、俺だって知っている!」
とネルガルは返した。

 2人は7日7晩、エンリルからの合図を待った。案の定、マルドゥクは待ち時間が完了すると、バビリ(バビロニア)に戻ってきた。彼は武装し、信奉者たちの前で自分の最高権力を宣言した。それは、地球年で1736年のことだった。


 その日、その運命の日、エンリルは合図を送った。ニヌルタはマシュ山に向けて発ち、ネルガルが後に続いた。山と平原、第4の地域の中心部をニヌルタは見渡した。胸を締め付けられながら、彼はネルガルに信号を送った。「手を出すな!」それから、ニヌルタは最初の武器を空から第四領域ティルムンへ放った。それはマシュ山の頂上を、閃光と共に削ぎ落とし、一瞬のうちに山の内部を溶かした。彼は“二輪戦車の場所”の上に2番目の武器を放ち、太陽7個分の光を放ちながら、平原の岩は血の吹き出る傷口となった。地球は震えて崩れ落ち、天空は輝いた後に暗くなった。“二輪戦車の場所”の平原は真っ黒焦げに砕けた岩で覆われ、平原を取り囲んでいた森はすべて、木の幹が残されて立っているだけだった。「やった!」とニヌルタは自分の“黒い神の鳥”から叫んだ。マルドゥクとナブがあれほど欲しがった管制塔は、彼らから永久に奪われた。
 
 ネルガルはニヌルタに張り合おうと思い、エルラ、“全滅させる者”になってやろうという衝動に突き動かされた。“王のハイウェイ”を伝って、彼は5つの都市がある緑に囲まれた渓谷へ飛んだ。そこは、ナブが人々を寝返らせた場所であった。ネルガルは、ナブを籠の鳥のように押しつぶしてやるつもりだった。それら5つの都市に向けて、ネルガルは次々に“恐怖の武器”を送り込んだ。渓谷の都市は、炎と硫黄でメチャメチャになり、そこで生きていたものはすべて蒸気になった。凄まじい武器によって山々はぐらつき、海水を塞いでいた場所は閂(かんぬき)が壊れて開き、海水が渓谷へ流れ込み、渓谷は水で満たされた。都市の灰に水が注がれ、蒸気が天に立ち上った。「やった!」とネルガルは叫んだ。彼の心に、もはや復讐心は無かった。

 こうしてアヌンナキ達は核攻撃を行った。すべては彼らのエゴのせいである。それはマルドゥクだけのエゴではなく、ニビルの法では禁じられているマルドゥクの権利を最後まで認めようとしたエンキのエゴ、人類を最初から快く思っていなかったエンリルのエゴ、愛するドゥムジの復活を夢見て性的妄想に浸ってしまったイナンナのエゴ、神々の一員に成りたがった人類のエゴなど、様々なエゴが重なって、このような事態を引き起こした。
 ここまではネルガルとマルドゥクの対立は表立っていなかったが、“罪深い街”という言葉が出るほどなので、よほどマルドゥクのことを恨みに思っていた。聖書の中にも、主が言われた言葉として載っている。

“ソドムとゴモラの罪は非常に重い、と訴える叫びが実に大きい。私は降って行き、彼らの行跡が、私に届いた叫びの通りかどうか見て確かめよう。”

 この破壊的な任務を担ったのは、ニヌルタとネルガルだった。聖書では、2人の御使いとして登場する。つまりアヌンナキは神々であるが、天使でもある。よってイエスが神々と共に降臨して来た時、聖書の民は神々を天使軍団と勘違いしたのである。ウツは鷲の翼で飾られ、鷲の紋章を付けていた。これは天使が背中に羽を付けている原型となった。

 ネルガルがターゲットとした場所は、聖書ではソドムとゴモラを中心とする地域である。その場面は次のようにある。

“シンアルの王アムラフェル、エラサルの王アルヨク、エラムの王ケドルラオメル、ゴイムの王ティドアルが、ソドムの王ベラ、ゴモラの王ビルシャ、アドマの王シンアブ、ツェボイムの王シェムエベル、ベラ、すなわちツォアルの王と戦ったとき、これら5人の王は皆、シディムの谷、すなわち塩の海で同盟を結んだ。彼らは12年間ケドルラオメルに支配されていたが、13年目に背いたのである。
(中略)
 セイルの山地でフリ人を撃ち、荒れ野に近いエル・パランまで進んだ。
(中略)
 そこで、ソドムの王、ゴモラの王、アドマの王、ツェボイムの王、ベラすなわちツォアルの王は兵を繰り出し、シディムの谷で彼らと戦おうと陣を敷いた。(中略)
 ソドムに住んでいたアブラムの甥ロトも、財産もろとも連れ去られた。アブラムがケドルラオメルとその味方の王たちを撃ち破って帰って来た時、ソドムの王はシャベの谷、すなわち王の谷まで彼を出迎えた。いと高き神の祭司であったサレムの王メルキゼデクも、パンとワインを持って来た。彼はアブラムを祝福して言った。「天地の造り主、いと高き神にアブラムは祝福されますように。いと高き神が讃えられますように」アブラムはすべての物の1/10を彼に贈った。
(中略)
 主は言われた。「ソドムとゴモラの罪は非常に重い、と訴える叫びが実に大きい。私は降って行き、彼らの行跡が、私に届いた叫びの通りかどうか見て確かめよう」
(中略)
 2人の御使いが夕方ソドムに着いた時、ロトはソドムの門の所に座っていた。ロトは彼らを見ると、立ち上がって迎え、地にひれ伏して言った。「皆様方、どうぞ私の家に立ち寄り、足を洗ってお泊まり下さい。そして、明日の朝早く起きて出立なさって下さい」彼らは言った。「いや、結構です。私たちはこの広場で夜を過ごします」しかし、ロトが是非に、と勧めたので、彼らはロトの所に立ち寄ることにし、彼の家を訪ねた。
(中略)
「実は、私たちはこの町を滅ぼしに来たのです。大きな叫びが主の下に届いたので、主は、この町を滅ぼすために私たちを遣わされたのです」
(中略)
 主はソドムとゴモラの上に天から、主の下から硫黄の火を降らせ、これらの町と低地一帯を、町の全住民、地の草木もろとも滅ぼした。ロトの妻は後ろを振り向いたので、塩の柱になった。アブラムはその朝早く起き、先に主と対面した場所へ行ってソドムとゴモラ、および低地一帯を見下ろすと、炉の煙のように地面から煙が立ち上っていた。”

 5つの都市がある緑に囲まれた渓谷とは、ソドム、ゴモラ、アドマ、ツェボイム、ベラ(ツォアル)の王たちが同盟を結んだシディムの谷=塩の海(現在の死海付近)である。そこは、ナブが人々を寝返らせた場所で、イシュクルの領地だった。よって彼らが12年間支配されていたケドルラオメルとはイシュクルもしくはエンリルのこと、あるいは彼らが任命した王で、ナブによって寝返ったことが、13年目に背いた、という表現になっている。
 シディムの谷で5人の王が戦いのために陣を敷いたのは、マルドゥクがさせたことである。いと高き神の祭司であったサレムの王メルキゼデクは、パンとワインを持って来てアブラムを祝福したが、サレムとはエルサレムのことで、ウツが司令官だった。つまり、サレムの王メルキゼデクとは、太陽神ウツあるいは彼が任命した王のことである。ここでも、イエスの象徴である“パンとワインによる祝福”がウツに関連して登場している。
 また、“ロトの妻は後ろを振り向いたので、塩の柱になった”という表現では、“塩の柱”とはヘブライ語で“ネツィブ・メラー”で、対応する“塩”を意味するシュメール語は“ニ・ムル”だが、この言葉には“蒸気”という意味もあるから、これは“蒸気の柱”となり、“蒸気が天に立ち上った”ことを暗示していることになる。このように、聖書の場面はかなりの創作が見られるが、それが起きたのは地球年で1736年、紀元前2024年のことだった。


この時代に核兵器が存在した証拠------------------------------------------------------------------------

 この核戦争が行われた紀元前2024年から約1400年後になるが、紀元前605年頃のマルドゥクのバビロンから円筒印章が見つかっている。それには核兵器とキノコ雲の絵が彫られている。これはネブカドネザル2世(在位紀元前605年-紀元前562年)が支配していた時代で、円筒印章にはイシュタル(イナンナ)と彼女を表す八芒星も彫られている。つまり戦争の女神イシュタル(イナンナ)とネブカドネザル2世が核兵器を使用して他の国々を支配していった。ここに描かれている核兵器の形が、長崎で使用された原爆ファットマンと非常に似ている。下記の黄金の円筒印章の③に、その核兵器の絵が見える。






ソドムとゴモラの遺跡--------------------------------------------------------------------------------------

「主はソドムとゴモラの上に天から主のもとから硫黄の火を降らせ、これらの町と低地一帯を町の住民、地の草木もろとも滅ぼした」――『創世記大19章』――


 死海周辺はかつて青々とした肥沃な平地だった。近くには繁栄した都市がいくつかあり、人口100万人を超える所もあった。調査の結果、湖の南西岸に灰になったソドムの遺跡が発見された。近くには4千年たった今でも認識できる状態の灰と化したゾアルの遺跡がある。
 古代の都市はしばしば正方形の城壁で囲まれていた。現在は長年の雨風によって浸食され、認識できる物はほとんど残っていない。しかし残っている小山は明らかに大昔に破壊された建造物である。

 また最も良い状態で残っている遺跡はマサダのすぐそばで見つかっている。マサダは死海を見下ろす丘の上に建てられた要塞である。湖よりも434m高い地点にある。マサダのすぐ下に、比較的保存状態の良い場所が二ヵ所ある。かつてゴモラがあった場所と考えられている。マサダから眺めると、そこも長い年月と気候による浸食が見られる。しかし周囲の砂漠の風景とは明らかに違うことが一見してわかる。

 ここも正方形の城壁で区切られたように見え、正方形の内部にはめずらしい形状のものが多く見られる。それらは自然に形作られたものとは考えにくいものばかりである。調査の結果では、それらが無類の物であることがはっきりしている。

 そして遺跡内に入っていくと、実物大の大きさに驚く。かつては大都市であり、核戦争前は、多くの人でにぎわっていたが、突如として滅亡の時がやってきた。この遺跡から谷間をはさんだところで、広大なカナン人の埋葬所が発見されているが、そこにある墓の数を概算すると、控えめに見積もって百万以上になる。

 死海の北側にもう一つの都市跡が発見されている。ここにはアデマという都市があった。ここにも周囲の砂漠と比べて際立った灰と化した廃墟がある。このあたりも硫黄のにおいがするが、地熱活動は全くない。

 ここでも至るところで硫黄が見られ、また灰も見つかっている。この灰の分析の結果、灰は硫黄の化学反応の副産物の硫酸塩であることが分かった。遺跡から持ってきた硫黄の玉は圧縮された粉になっている。ゴモラで見つかった硫黄は、地熱地帯の硫黄とは明確な違いがあった。分析の結果、ほぼ純粋な硫黄であることが分かった。約98%の硫黄と微量のマグネシウムで構成されている。白い灰は純粋な硫酸カルシウムである。
 地熱活動地帯の硫黄は通常40%以下の純度しかないが、破壊された都市で、その程度の純度の硫黄は見つかっていない。硫黄が白色なのは、一定の時間高熱にさらされたことを示している。
 まとめると、石灰岩すなわち炭酸カルシウムで建設された都市に、火と硫黄が降ってきた。高熱で燃焼した化学反応による主な副産物は純粋な硫酸カルシウムになった。

 この街が核兵器で破壊されたことは証拠が物語っているが、この場所がソドムとゴモラであったかについての確実な証拠はまだない。ソドムとゴモラはアラビア半島西部のアシールにあった可能性もある。


モヘンジョ=ダロなどその他の遺跡---------------------------------------------------------------------

 この戦争で使用された核兵器によって、インダス文明の古代都市モヘンジョダロは突如として破壊された。4万人が住んでいたこの遺跡で見つかった白骨遺体46体は突然に死がやってきたような状態であり、そのうちの9体には高温で加熱された跡が残っていた。モヘンジョ=ダロは現地の言葉で「死の丘」を意味し、歴史学者が足を踏み入れるまでは、非常に古い時代の死者が眠る墳丘として、地元民は恐れて近よらない禁忌の領域であった。この都市の本来の呼び名、すなわち往時の名称については、インダス文字が解読されていないため、ヒントすら得られていない。
 

 またトルコのカッパドキアでも核が使用された。この場所は浸食でできたのではなく、当時の強烈な核戦争で、都市が丸ごと焼け溶けて、更に地盤自体、土地自体が高温の放射能で融解し固まってしまった。現代でもその当時の凄まじい核戦争から土地が回復していないのである。


 さらにインダス文明のハラッパーやイラクの古代の都市でもガラス化した遺物や砂が見つかるなどしているが、これらは高温をつくりだす核兵器が使われた結果である。他にもチェコスロバキアのボヘミア地方、フィリピン、タイ南部、エジプト、スーダン、リビア、アメリカ・テキサス州、オーストラリア、イギリス諸島、ペルーのサクサイワマン遺跡、ブラジルのピアウイ州の遺跡群で、石灰の砂の層がガラス化した層が見つかっている。こういった場所には航空基地があった。ヒンズー教の古代の聖典マハーバーラタにも街が灰とかしたことや、馬が蒸発したこと、死の灰現象など、その時の描写が詳しく書かれている。


神々の誤算と大いなる惨禍--------------------------------------------------------------------------------

 自分たちがしでかした邪悪な仕事を見渡しながら、2人の英雄は目の前の光景に困惑した。空はにわかに曇り、風が吹き始めた。黒い雲の中で渦巻きながら、“邪悪な風(放射能)”が空から薄暗がりを運んできた。日が暮れると、水平線の太陽を、その薄暗がりが覆い隠した。夜には、おぞましい光が暗がりの縁を取り巻き、月は昇ってくる途中で姿を消した。次の朝になると、西から、“上の方の海”から暴風が吹き始めた。それは、暗褐色の雲を東へと導き、入植地の方へと広がって行った。その雲が到達した場所は、生きているものすべてに情け容赦ない死をもたらした。“容赦しない渓谷”から、閃光によって引き起こされた死が、シュメールへと運ばれてきた。
 ニヌルタとネルガルは、エンリルとエンキに警告を発した。「止められない“邪悪な風”が、すべてに死を運んでいます!」エンリルとエンキは、その警報をシュメールの「神々」に伝えた。「逃げろ!逃げるんだ!人々を分散させろ!身を隠させよ!」「神々」は自分たちの都から逃げた。怯えた鳥のように、彼らは自分たちの巣から逃げ出した。
 国中の人々が“邪悪な風(放射能)”の手中に落ちた。逃げても無駄だった。死はひっそりと、幽霊のように、田畑や街を襲った。一番高い壁も、一番厚い壁も、洪水の水のように通り抜けていった。どんな扉もそれを締め出すことができず、どんな錠も撥ね返すことができなかった。扉に鍵をかけて家に隠れていた人は、ハエのように殺された。通りに逃げた人は、道の上に死体となって積み重なった。咳と痰(たん)が肺を塞ぎ、口は唾と泡で一杯になった。“邪悪な風(放射能)”は目に見えず、人々を包み込むと、彼らの口は血で溢れた。“邪悪な風”はゆっくりと吹きつけながら、西から東へと、平野や山地を移動していった。後には死者と死に行く者が残され、生きていたものはすべて、人も牛も同じように犠牲になった。水は毒に犯され、田畑はすべて植物が枯れた。南はエリドゥから北はシッパールまで、“邪悪な風(放射能)”は国を打ちのめした。バビリ(バビロニア)より南の国々はすべて“邪悪な風”に飲み込まれ、第2の地域の中心部もかすめた。しかし、マルドゥクが最高権力を宣言したバビリは、“邪悪な風(放射能)”を免れた。


認められたマルドゥクの覇権-----------------------------------------------------------------------------

 “大いなる惨禍”の後、エンキとエンリルはこの大惨事を調査するために会った。エンキは、バビリが免れたことは神のお告げであることをエンリルに言った。
「マルドゥクは最高権力を運命付けられていたのだ。バビリが免れたことが、その証拠だ!」
「“万物の創造主”の御意思だったに違いない!」
とエンリルは言った。そして、エンキにガルズの預言について明かした。
「それを知っていたのなら、何故、“恐怖の武器(核兵器)”の使用を回避させなかったのだ」
とエンキが聞いた。
「いろいろなものを見すぎたのが原因だ。君が地球に来て以来、ミッションはいつも障害にぶち当たった。私たちは妨害を出し抜く方法を見つけた。例えば、我々の任務の最高の解決法だった地球人の創造のようなことが、望まない無数の紆余曲折の源泉でもあった。君が天体の周期を測って星座を割り当てた時、誰がそこに“運命”の手を予見できただろう。私たちが選んだ“宿命”と、曲げることのできない“運命”とを、誰が区別できただろうか。誰が間違った予言を口にし、誰が真実の預言を断言できるのか。それ故、私はガルズのことを胸の内にしまっておくことに決めたのだ…。彼は本当に“万物の創造主”の密使なのか、それとも、私たちの幻覚・幻影だったのか…。どんなことが起ころうと、起きるがままに任せよう、そう、私は自分に言い聞かせたのだ!」
 エンキは頭を垂れて頷きながら、弟の言葉に耳を傾けた。
「第1の地域は荒れ果て、第2の地域は混乱し、第3の地域は傷ついた。“二輪戦車の場所”はもう無い。それが、起こったことだ!」
とエンキはエンリルに言った。
「それが“万物の創造主”の御意思なら、それが我々の地球特命ミッションに残されたことなのだ。マルドゥクの野望によって種は蒔かれた。そこからどんな作物が生じようと、彼が刈り取れば良いのだ!」
とエンリルはエンキに言うと、マルドゥクの勝利を認めた。
「50の地位はニヌルタにやるつもりだったが、マルドゥクにくれてやろう。マルドゥクには、荒廃した第1の地域の覇権を宣言させよう。私とニヌルタだが、彼の行く手を塞ぐつもりは無い。私たちは海の向こうの土地(南米)へ旅立ち、ニビルのために金を入手するという特命ミッションを完了するよ!」
とエンリルは言った。彼の言葉には、失意が感じられた。


過去と未来---------------------------------------------------------------------------------------------------

「“恐怖の武器”を使わなかったら、別の事態になっていただろうか?」
 エンキは弟に食って掛かった。
「ニビルに戻るなというガルズの言葉に、我々は従うべきだったのか?地球ミッションは、アヌンナキが反乱を起こした時に打ち切るべきだったのか?私は私のすることをして、君は君のすることをした。過去は、もう取り返せないのだ!」
とエンリルが言い返した。
「そこにも教えは隠されているのではないか?」
エンキは自分自身とエンリルに問いかけた。
「地球で起きたことは、ニビルで起きたことを映し出しているのか?過去の物語の中には、未来の輪郭が記されているのではないか…。人類は我々の姿に似せて創造された。我々が達成したことや失敗したことを、繰り返すのだろうか?」
 エンリルは黙っていた。彼が立ち去ろうとすると、エンキは腕を差し出した。
「兄弟として、共に異国の惑星での難問に立ち向かった同志として、肩を組もうじゃないか!」
 エンキはエンリルにそう言った。エンリルは兄の腕をしっかりと掴み、彼を抱きしめた。
「また会えるかな、地球で、あるいはニビルで?」とエンキは尋ねた。
「ガルズは、ニビルに行ったら死ぬと言っていたが、本当かな?」
とエンリルは答えると、踵(かかと)を返して立ち去った。

 エンキは1人、後に残された。一緒にいるのは、自分の心の中の思いだけだった。すべてがそうやって始まり、今までのところ、どう結末を迎えたのか、彼は座って思いを馳せた。‘すべては“運命”だったのか、それとも、あれこれ決定したことによって形作られた“宿命”だったのか?天と地球が入れ子状の循環を規則正しく繰り返しているのなら、起こったことは、また発生するのだろうか?“過去”は“未来”なのか?地球人はアヌンナキを真似て、ニビルを追体験するのだろうか?最初にやって来た彼が、最後に去っていく彼となるのだろうか?’
 次から次へと思いが湧き上がる中、エンキは決断を下した。ニビルから始まり、地球での今日までのあらゆる出来事と決断を、記録に残すことを。“未来の世代への道標”となるように。後世の人々が、“運命によって指定された時”にこの記録を読み、“過去”を思い出し、“未来”を預言として理解してくれるように!“未来”が“過去”の審判者となるように!

 エンキは“天と地球が入れ子状の循環を規則正しく繰り返しているのなら”と仮定しているが、規則正しい循環であれば、何も進化しない。螺旋のように上昇する循環でなければ、進化はしない。規則正しい循環は、シンボルで表せば二つ巴(ふたつどもえ)。陰陽が拮抗し、その場で堂々巡りである。これが三つ巴(みつどもえ)となって、初めて上昇する。と同時に、下降も始まる。どちらになるかは、人類次第である。人類はその両方を選択し、あわや下降が上昇を打ち負かすところであった。
 しかし、降臨があって、三つ巴から神宮の花菱へとなった。神の戦車メルカバーとなり、中心に救世主がいて、ようやく完成形となった。つまり、神宮は降臨する神々を迎える宮だった。
 更にそれが4つ集まったのが、縄文以来の封印を守ってきた諏訪大社(すわたいしゃ)である。4つの宮に立つ4本の柱がそれを表し、十六花弁八重表菊紋を暗示していた。御柱(おんばしら)のハシラはアシェラ由来で、それはイナンナの暗示。十六花弁八重表紋菊は元々イナンナのシンボルである。

 シナイ半島の宇宙基地とソドムとゴモラの核兵器での破壊の後、大部分のアヌンナキは地球を去った。しかしマルドゥクと彼に忠実な部下たちは地球に残った。




■紀元前2000年頃

この頃の中国と日本----------------------------------------------------------------------------------------

 支那五帝の黄帝(こうてい)・顓頊(せんぎょく)・帝嚳(ていこく)・尭(ぎょう)・舜(しゅん)の世、尭(ぎょう)は曲阜(きょくふ)に都を作り、顓頊(せんぎょく)は高陽(コヤン)に国を開く。日本では九州に国ができ、南海道(四国)でも国ができる。
 帝嚳(ていこく)は国を唐として、暦象を作った。この頃にエラム王・クヅル・ナクハンタ・カルシャを征服する。
  支那(中国)では帝舜王が蒲阪(ほはん)に都を作る。日本では筑紫に国ができる。


■紀元前1907年

イサクがリベカと結婚する--------------------------------------------------------------------------------

 歴史学者のカマール・サリービーは、旧約聖書の中の考えうるほとんどすべての地名が、現在のアラビア半島西部のアシールと、ヒジャーズ南部地方に集中していたことに気づいた。古代イスラエル人の歴史はすべて、このアラビア半島西部のアシールが舞台であったということを前提に、ここからは読み進めてほしい。


 アブラハムは息子のイサクが地元のカナン人と結婚しないか心配していた。なぜなら、アヌンナキの血縁が薄くなるからである。よって息子をユーフラテス川に近いハラン(トルコの都市)に住んでいるアヌンナキとの血縁者の娘と結婚させるべく送った。イサクはハランでリベカと会い、彼女をカナンへ連れ帰った。そして二人の間にエサウとヤコブという双子が生まれた。

 双子は成長し、成人に達しようとした時、カナンは飢饉に見舞われていた。イサクはカナン人をエジプトへ移動させようとしたが、シナイ半島からエジプトにかけてまだ放射能が残っているとエンリルより警告を受け、カナンに残るように言われた。
 そしてエンリルは双子を指差し、ヤコブにイサクの後継者になってほしいことを伝えた。そしてここでもカナン人と結婚してはならないことを伝えた。よってヤコブはイサクと同様にハランヘ行き、純粋にアヌンナキの血統を維持している血縁者を妻にしようとした。

 ハランに入ると、ヤコブはラバンの娘ラケルと結婚したいと思ったが、ラバンは最初に姉のレアと結婚し、その持参金を得ることを望んだ。そこでヤコブはラバンのために20年働き、ラバンの若い娘ラケルも妻とすることが許された。その後ヤコブはカナンへ帰ることを望んでいたが、夢でエンリルの使徒の一人が帰還を禁じた。
 ヤコブはとにかく去り、ヨルダン川に着いた。そこでヤコブはニビルの天使と遭遇し、激しく戦った。そして彼は戦いに勝ち、天使はヤコブの名前をイスラエル(IS.RA.EL=彼は神と戦ったの意味)に改名した。そしてヤコブと天使は出発し、エサウがいる場所にたどり着いたイスラエルは、エンリルに忠誠を誓う家長となり、部族は「イスラエル人」となった。


これまでの旧約聖書の解釈(ヨルダン川について)-----------------------------------------------------

 ヤコブが着いたヨルダン川は川ではなく、アラビア半島西部のアシールにある山脈の断崖のことである。
ヤコブと相撲-------------------------------------------------------------------------------------------------

 メソポタミア文明では神事として相撲が行われ、天下泰平、国家安全、五穀豊穣の政として相撲を奉納していた。メソポタミアから相撲を取る2人の人物の青銅器の壺が出土しており、これは裸にまわしをして組み合っている姿である。
 旧約聖書には、イスラエルの祖であるヤコブを指す言葉としてShemo(シュモー)がでてくるが、この言葉が「相撲」という名になった。そして旧約聖書にはヤコブが天使と相撲をしたという記述が残されている。


 イスラエルでは円というのは神とつながる場所を意味する。ロープで神聖な場所とそうでない場所を区切る。相撲の土俵も神聖な場所とされている。相撲のルーツは古代イスラエルである。愛媛県の大山祇神社(おおやまづみじんじゃ)には、毎年春と秋に相撲神事が行わる。これは「稲の精霊」と「一力山」による三本勝負で、稲の精霊が2勝1敗で勝つ。この神事はヤコブと天使の戦いを表している。


 サルゴン1世の子孫アブラハム、そしてその子孫のヤコブに天皇の地位は続いてきたが、そのヤコブは兄エサウとの不和を解決すべく和解するため、ハランからカナンの兄に会いに行った。その途中、ヨルダン川の渡しでニビルの天使と格闘し、天使がヤコブには勝てないとわかると、神の勝者を意味する「イスラエル」というイシャラー(勝つ者)エル(神)の複合名詞の名を与えた。これが後のイスラエルの国名の由来となった。ヤコブの息子達はイスラエルの12部族となり、その内の十支族が日本へやってきた。ヘブライ語でHakeh(ハッケ)は投げつけろを意味し、Yohy(ヨイ)はやっつけろを意味している。
 つまり相撲はヤコブから始まっているのであり、現代の世界各国の相撲に似たスポーツのルーツとなる。

相撲と類似した世界のスポーツ--------------------------------------------------------------------------


★アジア
日本(相撲)
沖縄県(シマ)
朝鮮半島(シルム)
韓国(シルム)
中国(シュアイジャオ)
ブータン(ブータン相撲)
モンゴル(ブフ)
ベトナム(ヴァット)
フィリピン(ブノ、ドゥモグ、キノムタイ)
カンボジア(チャン・バブ)
ネパール(ネパール相撲)
チベット(ケネ)
ミャンマー(ナバン)
インド(クシュティ、ムクナ、インブアン)
イラン(コシュティ)
グルジア(チダオバ)
キルギス(クロシュ)
ウズベキスタン(クラッシュ)
トルコ(ヤールギュレシ)

★アフリカ
セネガル(ブレ、ベリ、オルバ)
エジプト(ヌビア相撲)
ガンビア(ガンビア相撲)
カメルーン(ドゥアラ相撲)
トーゴ(エヴァラ相撲、ズヴァラ)
スーダン(トゥーバタ)

★アメリカ
メキシコ(ルチャ・タラウマラ、チュパ・ポラーソ)
キューバ(ルチャ・デル・トレーテ)

★オセアニア
キリバス(カウンラバタ)

★ヨーロッパ
【柔術系】
フランス(リュット・パリジェンヌ)
ロシア サンボ→コマンドー・サンボ

ロシア ブフ系(オイラート・ブフ、ブリヤート・ブフ)
古代ギリシア(パンクラチオン)
スペイン(ルチャ・カナリア、ルチャ・レオネーサ)

【アルプス・レスリング】
ブルガリア(ブルガリア相撲)
ハンガリー(ハンガリー相撲)
セルビア(ナロードノ・ルヴァンニェ)
オーストリア(ランゲルン)
オランダ(ボルステル)
スイス(シュビンゲン)
フランス(グーラン)
イギリス(ランカシャーレスリング、コーニッシュレスリング、デボンレスリング)

【タータンチェックを履いて行う】
(カンバーランド・ウエストモーランド・レスリング、スコティッシュバックホールド、スコットランド・ヤード・レスリング)
アイルランド(カラー・エンド・エルボー・レスリング)

アブラハム----------------------------------------------------------------------------------------------------

 ヤコブ(イスラエル)は4人の妻に12人の息子を生ませ、生まれた順にルベン、シメオン、レビ、ユダ、ダン、ナフタリ、ガド、アシェル、イッサカル、ゼブルン、ヨセフ、ベニヤミンと名付けた。彼らはすべてアヌンナキの直系血族の半神半人であり、本物のユダヤ人である。
 父ヤコブの死後、それぞれ皆一族の長となり、ルベン族、シメオン族などのように支族が誕生していった。ただし、レビ族だけは祭祀を司る専門職であるため、通常、イスラエル12支族には数えない。レビ族だけを抜いて数える場合、11男ヨセフの二人の息子であるマナセとエフライムを独立させ、それぞれマナセ族、エフライム族とする。



ギルガメシュ叙事詩-----------------------------------------------------------------------------------------

 古代メソポタミアの文学作品で、シュメール語版ギルガメシュ叙事詩の写本が作成される。後の旧約聖書やギリシャ神話はギルガメッシュ叙事詩が基となっており、古代メソポタミアのシュメールの都市国家ウルクに実在した王のギルガメッシュをめぐる物語である。ギルガメシュはアヌンナキとの半神半人である。


 その後、古代イスラエルの宗教は、長い年月をかけてユダヤ教、神道、キリスト教、イスラム教へと分かれていく。
 旧約聖書はこれらの宗教の基となり、ユダヤ教やキリスト教では正典とされ、イスラム教においてもその一部(モーセ五書、詩篇)が啓典とされている。また神道とユダヤ教には類似点が多く、由来は同じである。旧約聖書という呼称は新約聖書を持つキリスト教の立場からのものであり、ユダヤ教ではこれが唯一の聖書である。そのためユダヤ教では旧約聖書とは呼ばれず、単に聖書やユダヤ教聖書、ヘブライ語聖書、ヘブライ語聖典などと呼ばれている。また日本の古事記や日本書紀は旧約聖書の内容と類似している。

七夕の起源---------------------------------------------------------------------------------------------------

 ギルガメッシュ叙事詩は河をはさんで男女が1年に1回、7月7日に会えるという恋愛物語の七夕の起源にもなっている。

「ユーフラテス河の左右に分かれ敵同士だったウルク城の姫が、ラガッシュ城の王子と年1回だけの逢う瀬を、密かに7を重ねた奇跡の日だけに長く延びる青竹につかまって双方より渡り、川の中州で逢って寄り添った。」

 この話のルーツはイナンナにある。
 イナンナはウヌグ・キ(ウルク)の神聖な区域に“ギグヌ(夜の愉しみの家)”を設置し、それとは別に、王(天皇)たちと一緒に新年の祝いの儀式も行うようになったので、これらが変遷(へんせん)して、年に1回、イナンナとドゥムジが逢瀬(おうせ:愛し合う男女がひそかに会うこと)する、という逸話になった。

 これがギリシア神話のオルフェウス(琴の名人)の男女の恋愛の話となり、中国に伝わり牽牛(けんぎゅう:わし座のアルタイル)・織姫(琴座のベガ)の恋愛話となり、それが日本に伝わり七夕の話になった。このギリシア神話のオルフェウスの話は、七夕の話に変化したものだけでなく、直接的にも日本に伝わり、日本神話のイザナミとイザナギの話になっている。日本での「たなばた」という言葉の語源は、古事記や日本書紀に見られ、万葉集にも七夕にまつわる歌が存在している。また先のギリシア神話が、アレキサンダー大王の大遠征による東西融合のヘレニズムで世界各地に伝わっていった事は有名であり、フィンランドにも、「愛し合った夫婦ズラミスとサラミが死後に、天の川を渡って再会する。」という七夕とよく似た話がある。


旧約聖書の誕生----------------------------------------------------------------------------------------------

 旧約聖書は紀元前2000年頃に書かれ始めた。始めはヨブ紀だった。他の部分は紀元前1500年〜紀元前400年頃の1100年かかってまとめられた。聖書1700ページのうち1400ページが旧約聖書であり、残り300ページは新約聖書である。ユダヤ教の伝統では同書を執筆したのはモーゼであったとされているが、実際の作者は不明。
 ヨブ記では古より人間社会の中に存在していた神の裁きと苦難に関する問題に焦点が当てられている。正しい人に悪い事が起きる、すなわち何も悪い事をしていないのに苦しまねばならない、という『義人の苦難』というテーマを扱った文献として知られている。

 聖書の唯一絶対神ヤハウェは唯一絶対ではなく、何人もの「神々」が1つにまとめられたものである。例えば、次のような例である。

・天地創造:“万物の創造主”。7日間の天地創造はエンキの話に由来。
・人類創造:エンキ、ニンギシュジッダ、ニンフルサグ。
・アダムとイブの追放:エンリル。
・カ・インの追放:エンキ。
・ノア(ジウスドラ)に箱舟を造るよう指示:エンキ。
・洪水後にノアを祝福:エンリル。
・バベルの塔に対する怒り:エンリル一族。
・アブラハムの導き:エンリル。
・ソドムとゴモラへの天罰:エンリルの指示によるニヌルタとネルガルの攻撃。

 ヤハウェの前名はEL SHADDAIであり、SHADDAIの語源はアッカド語で山脈を意味するSHADU である。つまり“EL SHADDAI=山の神”ということであり、“遠くの山に住む神”を意味するイシュクルの象徴である。
 そして、ヘブライ語の“主”を意味する“アドーナイ”は、イナンナがドゥムジを呼ぶ声である。
 また、ヤハウェは姿を見せない「神」であり、ヤハウェの出現に伴う雷や稲妻は、宇宙船からの光や轟音である。このように考えると、真沸流(まふる?)や対抗する畿内の物部氏(尾張氏、海部氏"あまべし")の前に現れた“光り輝く金鵄(きんし)”とは、「神々」の乗った宇宙船であり、そこからイエスが現れて「私は在りて在る者」と言うことにより象徴的にヤハウェ=イエスであることが判明し、真沸流が初代応神天皇となったことも理解しやすい。


旧約聖書に地理に関する誤った解釈---------------------------------------------------------------------

 中近東全域の古代史は、聖書の史実性を証明する意図のもとに研究されてきた。しかし、これまでの聖書に地理に関する誤った解釈のおかげで、古代中近東の歴史的地理全般についても、誤った理解がなされ、混乱を招いてきた。結論を言えば、ヘブライ語聖書の真の誕生地がパレスチナではなくアラビア半島西武だった。
 歴史学者のカマール・サリービーは、旧約聖書の中の考えうるほとんどすべての地名が、全長およそ600km、幅200kmの地域、つまり現在のアラビア半島西部のアシールと、ヒジャーズ南部地方に集中していたことに気づいた。ヘブライ語聖書に記述されている地名に対応する地名がすべて、この地域内に見出せた。これまで聖書の地とされてきた地域では、これら聖書の地名に対応する地名がひとつも見出せなかった。つまりユダヤ教の起源はパレスチナではなく、アラビア半島の西部であり、ヘブライ語聖書に記されている古代イスラエル人の歴史はすべて、この地域が舞台であったということである。
 ここからはパレスチナ地方で起こった出来事の地名は、アラビア半島西部のアシールにあったという前提で読み進めてほしい。


ミノア文明---------------------------------------------------------------------------------------------------

 古代ギリシャのクレタ島で、ミノア文明が栄える。地中海交易によって発展した。


 クレタ島南岸のファイストス宮殿の内部で発見されたファイストスの円盤は渦巻き状のデザインとなっており、これも黄金比となっている。このことからアヌンナキと関係のある物と推測することができるが、文字の解読は進んでいない。これは紀元前1950年から紀元前1400年ごろのものとされている。




■紀元前1897年頃

エジプトで発見された異星人のミイラ------------------------------------------------------------------

 完璧に保存され、丁寧にミイラ化された一体のグレイに似たエイリアンの身体が、古代ピラミッドに埋葬されていた。この生物は150センチから160センチほどの背丈で、ラフンという土地でセヌスレト二世のドセアナ王朝の小さなピラミッドを発掘していた考古学者によって発見された。
 ミイラの墓の刻印では、王様はOsirunet:オシルネットという名前のカウンセラーで、「星または天国から使わされた」という意味である。ミイラ化された身体は、考古学博物館のマネージャーも判定できない数多くの奇怪なオブジェの付き添いと共に、大きな尊敬と丁寧さによって埋葬されていた。
 ミイラはチェコスロバキア市民でペンシルヴァニア大学を引退した教授であるDr. ヴィクター・ルベック:Dr. Viktor Lubek氏によって発見された。考古学者はメインのセヌスレット二世(紀元前1897年–前1878年)のピラミッドの南にある、ファラオの妃を納めていた小さなピラミッドを調査している時に、隠れた部屋があることを見つけた。


■紀元前1894年

バビロニア帝国(バビリ)------------------------------------------------------------------------------------

 あの“大いなる惨禍(アヌンナキの核戦争)”の後、“邪悪な風(放射能)”を免れたメソポタミアのバビリ(バビロニア)はマルドゥクが最高権力を宣言したように、彼の帝国となった。そのため、宣言通りエンリルとニヌルタ(アラム・ムル)は海の向こうの土地へ旅立ち、ニビルのために金を入手するという特命ミッションを遂行した。また、マルドゥク一派を除く他の神々も、エンリルとニヌルタに追随した。エンキと僅かな神々を除いて。


 マルドゥクと彼の信奉者であるイギギの一派は、相変わらずエゴと欲望で歪んだままだった。自らの帝国を手中にしたマルドゥクは、神話・伝承の改竄(かいざん)を進めた。天地創造神話「エヌマ・エリシュ」ではニビルのことを“マルドゥク”と呼ばせ、ニヌルタについてはすべて、エンリルについてはほとんどの内容が削除された。エンリル系に対して、相当な恨みを抱いていたためである。これにより、十分な知識が与えられていなかったこの地域の人類は誤解し、曲解し、ありもしない妄想が妄想を生み出す事態となった。
 様々な儀式、とりわけ新年を祝う儀式もマルドゥク流に変えられ、性的な節制は不幸の原因になるとして避けられ、性を拒む女性は悪魔の手先とされた。それ故、“聖なる結婚”が性的倒錯と人間の生贄の儀式へと変貌した。それが、マルドゥクの拝ませた“空のはしけ”ベンベンの偶像崇拝と重ねられ、偶像崇拝には性的倒錯や人間の生贄が不可欠とされたのである。
 また、マルドゥクは貨幣経済を創り出した。当初、貨幣は物々交換を効率化するための“手段”だったが、それがいつしか“目的”となり、金(かね)のために人々が争い、血を流すこととなった。金に関わる神は“マモン・ラー”と呼ばれ、やはりマルドゥクを暗示する“ラー”という名が込められた。
 偶像崇拝の根源バアルは元々エンリルで、後にマルドゥクを暗示する言葉となったがマルドゥクは偶像崇拝やら拝金主義などの根源である。“聖なる結婚”の儀式の根源はイナンナだが、それをここまで酷くしたのはマルドゥクだった。世界中で見られた人間の生贄の儀式は、この後、マルドゥクが世界を放浪して最高神であることを普及したことによる。
 また日本語では“金”と書いて“きん”とも“かね”とも読む。ニビルへのキンからカネができ、それが手段から目的へと変貌したが、使い方次第で表(=善)にも裏(=悪)にもなることを、昔の日本人はこのような“事実”から知っていて、そういう二重の意味を与えたのである。


 “ありもしない妄想が妄想を生み出した”というのは、物質宇宙の基本的物理法則として、星々は創造のエネルギーと電磁場的に共鳴し、星々に誕生した生命体も電磁場的にその星は勿論のこと、創造のエネルギーとも共鳴しあう相互関係である。人間の想念は脳内の電気信号の作用なので、電磁場を生み出す。その思考波が共鳴したり打ち消しあったりするが、その共鳴作用によって、良い想念はより良い想念へ、悪い想念はより悪い想念へと増幅される。天皇陛下が常に祈りによって世界を良い方向へ導こうとしていたのは、良い想念の増幅作用の端的な例である。
 同様に悪い想念も増幅して、いつからか、その創り出された悪い想念エネルギー体に人間の思考が影響され始めるようになり、より悪い現実を創り出すようになった。そして、黒魔術などが生み出され、想念の負のスパイラルが始まった。これが、様々な宗教で言うところの、悪やサタンなどと言われるものの正体である。カバラで言えば、「生命の樹」の下降である。
 そのような想念を生み出す元になったのがマルドゥクだった。よって聖書では彼の帝国“大いなるバビロン”は崩壊することになっていた。こういうことがあり、日本では言霊信仰で悪いことは口にはしない、ということがあった。
 マモン・ラーも地獄の4人のサタンの1人とされ、この名が“マネー”の語源となった。つまり、21世紀初頭まで続いた貨幣経済は、マルドゥクのバビロニア帝国の貨幣経済が元だった。マモン・ラーは双頭の鷲で、フリーメイソンのシンボルでもある。双頭の鷲の意味は、狡猾(こうかつ:ずるく悪賢いこと)、虚偽(きょぎ:誤った思考)、欺瞞(ぎまん:だますこと)である。しかし、名前に“ラー”がある以上、これもマルドゥク=バアルを象徴しており、狡猾(こうかつ)、虚偽(きょぎ)、欺瞞(ぎまん)に相応しい。

 双頭の鷲は主に東ローマ帝国や神聖ローマ帝国と、関連したヨーロッパの国家や貴族などに使用された。現在でもセルビア、アルバニア、ドイツ、ロシアなどの国章や、ギリシャ正教会などで使用されている。

 20世紀後半から、盛んにチャネリングなどで宇宙人や高次の存在とコンタクトしたと言われ始めたが、それは、人間の悪い想念が生み出した邪悪な電磁場エネルギーへのコンタクトである。よって、テレパシーでコンタクトしたとか、UFOに乗せられて金髪碧眼の宇宙人に導かれたなどという体験談は、チャネリングによってサタン的意識が潜在意識に働きかけることによる幻覚や妄想に過ぎないと言える。変な“お告げ”の類もそうである。霊能者と言われていたほとんどは偽者である。何に共鳴しているのか、解ったものではない。本物は、僅かな人たちだけだった。
 20世紀オカルトの元祖的存在とも言えるブラヴァツキーは、古代エジプトのイシス・オシリス黒魔術を基本としており、それはマルドゥクによるでっち上げと偶像崇拝が根本である。
 カバラの類の考案はすべてニンギシュジッダでピラミッドに目のマークもそうだが、それを後からマルドゥクが利用したに過ぎない。


クリスマスはニムロド(マルドゥク)の生誕を祝う祭り-----------------------------------------------

 クリスマスはサタンが仕掛けた周到な罠で、クリスマスの本当の起源は古代バビロニアにまで遡(さかのぼ)る。友人との間でプレゼントを交換するのは、ペイガニズム(異教思想)から来たものである。
 人々が毎年、12月25日に敬愛して祝う「LORD」(世界のほとんどんの人が、それはイエス・キリストのことだと思い込んでいる)は、エホバの神(旧約聖書の唯一神、ヤハウェ=エンリルのこと)に最初に敵対した人間、ニムロド(NIMROD)である。
 イエス・キリストは、もっと暖かい季節に生まれた。イエスが生まれたとき、羊飼いは、彼らが飼っている羊とともに野外でスヤスヤ寝ていたのである。

 ニムロド(マルドゥク)の生誕祭は、西暦起源のずっと前から異教徒たちが祝ってきたものである。毎年、正確に12月25日、バビロニアの女神(セミラミス=イナンナ)の息子に祝意を表して。(ニムロドはセミラミスの子供)
 その後、この同じ祭はローマ教会でも採用されるようになり、この祭りの名前に「キリスト」というネーミングが加えられた。
 カルデア人の韻文(いんぶん)を意訳したものによると、「クシュの息子(クシュの父はハム、その父はノア)・ニムロドは、純潔な血を抹殺してエホバに反逆し、邪悪を世に蔓延らせた」と。ニムロドは確かに12月25日に生まれた。
「Merry Xmasの『X』というのは、二ムロドの象徴で、Merry Xmas は『Magical or Merriment Communion with Nimrod』という意味である。

 ニムロド(マルドゥク)が死んだとき、その死はYule log(クリスマスイブに暖炉で焚く太い薪”まき”)として表わされるようになった。ニムロド(マルドゥク)の死は、この偉大なる“神”の薪の中に封じ込められ、暖炉に投げ入れることによって祝賀される。ニムロド(マルドゥク)は、現世を支配している神から離れ、神に敵対する背教を起こし、これを組織化して広めた人物である。彼は自分を生んだ女性、つまり、実の母親-セミラミス(イナンナ)という名前の女性と結婚した。
 ただセミラミスとニムロドが結婚したことになっているが、彼らに対応するイナンナとマルドゥクが実際に結婚したかどうかは曖昧な部分である。これが事実なのか創作なのかは現状はわからない。

 ニムロドの死後、いわゆる彼の“母親妻”セミラミスは、ニムロドが霊的な存在となって生き続けているという、邪悪な教義を世の中に普及し始めた。
 セミラミスは、完全に枯れてしまった木の切り株から、一夜にして大きな常緑樹が生え伸びたと主張した。死んだニムロドの新しい命が、その中に宿っていると言い出したのである。
 セミラミス(イナンナ)は、毎年、ニムロドの誕生日の12月25日には、その常緑樹にニムロドの霊が憑(よ)るので、ニムロドへのプレゼントとして、その木に贈り物をくくりつけるように人々に伝えまわった。これがクリスマスの起源である。
 伝統的に、クリスマス・イブには暖炉の中に大きな薪(Yule log)がくべられ、それは一晩中燃え続ける。そして、あたかも魔法のように、贈り物で飾られたクリスマス・ツリーが部屋の中に出現する、ということになっている。
 大きな薪(Yule log)は、太陽神・ニムロド自身を表しており、クリスマス・ツリーは、ニムロドの息子・タンムズ(Tammuz)としてニムロドの復活を表している。そこにはクリスチャンに関係する一切の意味はない。


■紀元前1870年

これまでの旧約聖書の解釈(ヨセフが奴隷としてエジプトへ)---------------------------------------

 ここでの出来事もすべてエジプトで起こったものではなく、アラビア半島西部のアシールで起こったものとして解釈してほしい。

  イスラエル(ヤコブ)とラケルの末の息子であるヨセフは、紀元前1870年に生まれたが、彼はイスラエルとレアの間に生まれた異母兄弟に嫌われていた。それはヨセフが夢分析の能力があったことを妬んだためである。異母兄弟たちは邪魔なヨセフを奴隷としてキャラバンに売却した。そしてヨセフはエジプトに連れていかれた。




■紀元前1842年

 ここでの出来事もすべてエジプトで起こったものではなく、アラビア半島西部のアシールで起こったものとして解釈してほしい。

 エジプトでヨセフは、ファラオの宮廷の奴隷として買われる。紀元前1842年にエジプト王座に上ったファラオ・アメンエムハト3世は、ヨセフに夢分析の能力があるとの噂を聞き、ちょうど関係していた問題解決のためヨセフに裁判所に来るように頼んだ。
 ファラオは、7頭の痩せた牛が7頭の太った牛を食べる夢と、焼けた七つの穂が太って実った七つの穂をのみつくした夢について、ヨセフに夢を分析するように頼んだ。
 するとヨセフは、この夢はエジプトが7年間の豊富な収穫と7年間の飢饉を経験することを意味していると伝えた。ファラオは非常に感銘を受け、紀元前1840年にヨセフをエジプトの監督にした。彼の仕事は7つの良い年からの水と穀物を貯蔵することであった。
 ヨセフが予測したように7年後にはエジプトで干ばつと飢饉が発生し、貯蔵した穀物などが豊富だったエジプトへ他地域の難民がやってきた。その難民の中には、ヨセフの父イスラエル(130歳)と、ヨセフを奴隷として売った異母兄弟たちがいた。ヨセフは異母兄弟を許し、イスラエル人たちをエジプトに招いた。ここから400年の間、彼らは繁栄する。
 

■紀元前1808年頃

「夏(か)」王朝の創始者の禹(う)から末代の桀(けつ)まで14世17代、471年間続いたとされる夏(か)だが、人徳に欠ける王の治世により人心は離れ、やがて夏(か)は殷(いん)に滅ぼされてしまう。
 生き残った夏(か)の王族たちは、当時まだ大陸と陸続きだった日本の出雲(いずも)に移り住み、8つの秦一族となって日本を治めるようになる。
 中国古代の殷(いん)王朝の開祖である湯王(別名は天乙:てんいつ)は、この頃、飛行機製造を命じた。そして河南のテスト飛行で成功するが、悪用を恐れ処分した。つまり彼はアヌンナキの子孫の可能性がある。 中国の遼寧省(りょうねいしょう)の春秋末期(紀元前400年頃)の遺跡から、飛行機の形の青銅細が見つかっている。

■紀元前1694年頃

インダス文明、大まかな歴史の流れ---------------------------------------------------------------------

 ヒンドゥースタン平原を形成したインダス川に沿って南西に進むとシンド(スィンドゥ)に辿り着くが、ここから偉大なインダス文明が始まった。後にインド亜大陸に進入してきたのはイナンナが主神のペルシャ系アーリア人で、インド語の"s"がペルシャ語では"h"に対応するので、“シンド”が“ヒンドゥ=ヒンズー”となった。更に、後にアレクサンダー大王と共に大量進入してきたギリシャ語では“インド”となる。また、スィンドゥの“スィ”は英語の"th"の発音に相当し、“テンドゥ=テンジク”となり、これが漢字で“天竺(てんじく)”となった。インド人は自分たちの国をバーラト(バーラタ)と言い、これは二大叙事詩の1つ「マハーバーラタ」に由来している。

 モヘンジョダロやハラッパーのインダス文明の担い手はドラヴィダ人だったが、それは第3の地域(インダス川流域)の最初の人たちだった。“大いなる惨禍”の後、アーリア人が浸入してきたので、ペルシャとインドの神話はほとんど同じだが、登場人物の敵と味方の関係が逆である場合が多い。これは、どちらがイナンナを招聘(しょうへい)するかという対立関係にあったためである。
 アーリア人が侵入し、支配者として君臨してから階級制度(ヴァルナ)が誕生した。4つのヴァルナは上位からバラモン(宗教者)、クシャトリヤ(王族、貴族、戦士)、ヴァイシャ(一般市民)、シュードラ(奴隷)である。15世紀にインドに来たポルトガル人が、人種や血統を意味する“カスタ”と呼んだが、それが英語化してカーストとなった。更に、これ以外にもアウト・カーストが存在し、不可触民(ふかしょくみん:カースト制度の外側の差別されてきた人々)とされている。

 アーリア人が口頭伝承してきた宗教思想がインド哲学の根源で、後に文書化されてヴェーダとなった。根本聖典(サンヒター)はリグ・ヴェーダ、ヤジュル・ヴェーダ、サーマ・ヴェーダ、アタルヴァ・ヴェーダで、主に祭祀のしきたりや呪文、神々への讃歌などが記されている。最も重要で最も古いのがリグ・ヴェーダである。
 ヒンズー教の礎であるバラモン教はヴェーダを基礎とし、祭儀書ブラーフマナ、森林書アーラニヤカ、奥義書ウパニシャッドから成る。その特徴は、人間と宇宙の対応にある。“永遠に存在する個人の本体=我=アートマン”と“宇宙の根本原理=梵(ぼん)=ブラフマン”は究極的に一体であり、一体化させるのが人間の生きる目的であり、それを“梵我一如(ぼんがいちにょ)”と言い、“悟りの境地”である。そこにインダス文明と土着信仰が合流し、祭祀中心のバラモン教となった。バラモン教は更に土着神を取り込んでヒンズー化し、叙事詩の成立を経て、ヴィシュヌ派とシヴァ派へと二大宗派化していった。

 梵我一如(ぼんがいちにょ)の概念は、ヘルメス思想と同じである。ヘルメス思想では、創造主と被造物は本質的に同一であり、同じ一者の異なる現れにすぎず、「全は一であり、一は全である」と考える。そして、下のものと上のもの、小宇宙と大宇宙が本質的に同一であり、互いに照応し合っていると考える。
 輪廻転生を説くのはバラモン教で、人間は必ず人間に生まれ変わるとされている。どの階級に生まれ変わるかは、前世での行いによる。だから、低カースト者は前世の行いが悪かったのであり、そのため、彼らがどんな悲惨な目に遭っていようと助けないし、助けられようとも思わない。そして、輪廻転生の循環から抜け出す方法が梵我一如(ぼんがいちにょ)であると考えた。
 釈迦は、ペルシャからインドにかけての広大な地域に住んでいたトルコ(セム)系遊牧民の流れを汲む北インドのサカ族の王子で、本名はガウタマ・シッダールタである。釈迦は形骸化したバラモン教を批判した。そして、バラモンが認めていたヴァルナも輪廻転生も否定した。人間が行いによって動物界などに転生するというのは後世の例え話で、釈迦は言っていない。実は、輪廻転生の概念は根本聖典には無く、後のウパニシャッドで初めて登場する概念で、元々は無かったのである。それもほとんどが例え話で、真実ではない。


 梵我一如(ぼんがいちにょ)の概念がヘルメス思想と同一と言っても、ヘルメス思想はギリシャである。アーリア人のもう一方は西方へ移動し、ギリシャへの窓口となっている場所のアナトリア高原にヒッタイト王国を築いた。つまり元は同じである。
 ヘルメス思想では、人間と神は本質的に同一であり、それを“認識(グノーシス)”しさえすれば、人間を神のレベルにまで高めることができると説く。ヘルメスはギリシャでは叡智の神とされ、別名トートなので、ニンギシュジッダのことである。その証拠に、ヘルメスは長い剣に2匹の蛇が巻き付いたカドゥケウスの杖を持つ姿で描かれ、ニンギシュジッダと同じシンボルである。これが後に誤解され、ヘルメスを神官、王、賢人(哲学者)である三重に偉大な者“トート・ヘルメス・トリスメギストス”と言われ、エノクと同一視された。そして、マルドゥクの影響によってエノクはあらゆる秘教の大元とされ、彼が天使との会話に用いたエノク語は、至高の力と叡智をもたらす呪文とされてしまった。
 その影響は輪廻転生の概念にも表れている。“復活、長寿=不老不死”を例えたものが、誤解されてしまった。だから、釈迦はそれを否定した。そもそも、助けないのは良くない行いだから、来世は低カーストに生まれ変わるはずだ、という矛盾に彼らは気付いていなかった。この釈迦は、後に登場するヘブライの民の末裔である。
  
 
ヒンズー教の主神とインダス・カバラ------------------------------------------------------------------

 ヒンズー教の神々の最大の特徴は、多種多様な化身(アヴァターラ)が存在すること、多くの顔や腕を持つ非現実的な姿であること、そして、男性器の象徴であるリンガと女性器の象徴であるヨニを崇拝することである。
  主たる創造神はブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァの三柱である。ブラフマーは仏教の梵天(ぼんてん)だが、宇宙の根本原理ブラフマンが擬人化された創造神。后(きさき)はサラスヴァティーで、仏教の弁財天。ヴィシュヌやシヴァはブラフマーの命令によって魔人退治に出掛けたりする。だが後に、この二神がブラフマーに取って代わることとなった。これら三神は本来一体であり、同一の神が宇宙の最高原理を創造する時にはブラフマー、維持する時にはヴィシュヌ、破壊する時にはシヴァとして現れる三神一体=トリムルティという考えが一般的である。トリムルティを表す図では、向かって左からブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァの順に描かれ、本来、均衡の柱として中心に描かれるべきブラフマーは、向かって左に追いやられている。

 ヴィシュヌは仏教の那羅延天(ナラエンテン)、毘紐天(ビチュウテン)で、リグ・ヴェーダでは数ある太陽神の中の1つ。后(きさき)はラクシュミーで、仏教の吉祥天女。破壊を司るシヴァが恐怖と温和の二面性を有するのに対して、ヴィシュヌは温厚で慈悲深く、熱心な信者に対して必ず恩恵を与える。この性格は、世界が危機に瀕した時、人間や動物に姿を変えて出現し、窮状(きゅうじょう)を救うという化身あるいは権化による“救世主的性質”によく表れている。

  ヴィシュヌの化身にはラーマ、クリシュナ、マツヤ(魚)、クールマ(亀)、ヴァラーハ(猪)、ヌリシンハ(人獅子)、ヴァーマナ(矮人)、斧を持つラーマ、ブッダ、カルキがあり、特にクリシュナはイエスの予型とも言える類似性を示している。ヴィシュヌ本来の身体的特徴としては、青黒い肌と4本の腕、蓮華のような目を持つ。黄色い衣服を纏い、アナンタ龍王(7つのコブラの頭を持つ龍の化身、ナーガ)に腰掛けたり、その上で眠ったり、体に巻きつけたりしている。また、4本の手に円盤、法螺貝(ほらがい)、棍棒、蓮華を持っている。

  シヴァは仏教の大自在天(だいじざいてん)、大黒天(だいこくてん)で、世界の創造・維持・破壊を司る。最もシヴァに愛されていた后(きさき)はパールヴァティーで、仏教の烏摩(うま)。シヴァにはヴィシュヌのような化身はほとんど無いが、性格を描写する多くの異名を持っている。その暗黒面としては、恐るべき者ということでバイラヴァ(畏怖者)、運命と死を支配することからカーラ(時間)、世界の破壊を司るハラ(破壊者)と呼ばれ、他にもブーテーシャ(悪鬼たちの主)、ムンダマーラー(髑髏”どくろ”を首に掛ける者)などといった呼び方もある。光の側面としては、恩恵を授けるためシャンカラ(吉祥者)、支配者なのでマヘーシュヴァラ(大自在天”だいじざいてん”)、全知全能であることからマハーデーヴァ(大天”だいてん”)、牧童(ぼくどう)に従う家畜のように人々がシヴァに従うのでパシュパティ(家畜の主)と呼ばれる。

  暗黒の側面は、戦いと殺戮の女神ドゥルガーとカーリーである。ドゥルガーは航海の神として知られ、獅子を従えた美しい女神として描かれることが多い。カーリーは“時間”と“黒色”の2つの意味を持つ“カーラ”という言葉の女性形である。故に、別名を“時の女神”とも“黒色の女神”とも呼ぶシヴァの暗黒面を司る妃であり、シャクティとしてのシヴァのエネルギーの源泉ともなっている。神々の世界を支配しようとした魔神シュムバとその兄弟、手下のチャンダやムンダらと戦うことになったドゥルガーが、その怒りによって顔色を黒色に転じると、そこからカーリーが現れたという。
 シヴァの一般的な姿は一面四臂(いちめんよんぴ)で、全身に灰を塗り、首には蛇を巻きつけている。腰には虎の皮を巻き、頭髪は荒々しく束ねて高く巻き上げ、その髪の中には聖なるガンジス川の女神ガンガーがいて、そこからガンジス川が流れ出している。2本の手には三叉戟(さんさげき)と斧を持ち、残りの手は恩恵を与える印(いん)と恐怖を取り除く印を結んでいる。
 カーリーは黒色の肌で、首には仕留めた魔神たちの生首や髑髏(どくろ)の首輪を掛け、4本の手には血糊(ちのり)の付いた剣や縄、三叉戟(さんさげき)などの武器、髑髏(どくろ)の付いた棒、血の滴る生首を持っている。腰には虎の皮を巻き付け、大きく開いた口からは長い舌を出している。横たわるシヴァにまたがり、目は血走り好戦的で、血を好み、破壊と殺戮を楽しむ強大なパワーを持った女神である。

 また、シヴァといえばリンガ(男性器)崇拝である。リンガは普通石で造られ、頭の丸い円筒形をしている。多くの場合、女性器を象ったヨニという台座に直立しており、陰陽の合一を表す。
  通常、リンガは石龕(せきがん)の内部に祀られている。龕(がん)は子宮を表し、生命の創造を表現している。ヒンズー教徒は、ここでマントラを唱えて祈る。リンガの先端にミルクやギー(水牛や山羊の乳から作られた脂)、胡麻油(ごまあぶら)などが掛けられる。これらはシヴァの精液を表しており、下のヨニに流れ落ちる。これにより、シヴァの精液はパールヴァティーの子宮へ入り、新たな生命を創造すると考える。

  エジプトのカルナックにあるアモン神殿には、パピルス柱とロータス(蓮)柱が建っており、パピルスは下エジプト、蓮は上エジプトを象徴すると同時に、蓮は花で女性原理、下エジプトのピラミッドはそそり立つ山で男性原理を象徴するので、女性原理と男性原理の統合=陰陽の合一を表す。これを更に象徴化すると、ヨニに座すリンガ、蓮華に座す釈迦となる。また、リンガはシヴァ、ヨニは妃パールヴァティーで陰陽の合一である。このような性器崇拝の起源はインダス文明にまで遡るが、これがヴェーダ由来のシヴァ信仰と結びつき、大いに発展した。更に、リンガは柱である神を、ヨニは器である神殿を表し、神殿に神が降臨することも暗示する。

 ブラフマーは最高神で、その后(きさき)サラスヴァティーが仏教の弁天様、弁天様は日本ではイチキシマヒメで、天照大神とスサノオとの誓約で生まれた三女神の一柱である。つまり日本神話では天照大神が最高神的なので、それとブラフマーを重ねた。サラスヴァティーはブラフマーが自らの体から造り出した存在なので、構造としては全く同じ。日本神話の原型は、こんなところにもある。

 サラスヴァティーは水と豊穣の女神なので、原型はイナンナである。そして水の神なので、イチキシマヒメも福岡県の宗像大社(むなかたたいしゃ)の海神三姉妹の一柱として祀られている。更に、インダス文明の創造神がイナンナだということは、ブラフマーもイナンナだと言え、サラスヴァティーがブラフマーの分身というのも納得できる。
 ブラフマーは本来中心のはずなのに端に追いやられているが、カバラ「生命の樹」は、場合によって、状況によって見方を変えることができるということである。
 中心が均衡(きんこう)の柱、向かって右が慈悲(じひ)の柱、左が峻厳(しゅんげん)の柱で、均衡(きんこう)の柱は普段は関わりが少ないが最高神的な神、慈悲(じひ)の柱が最も普段関わりの深い神、峻厳(しゅんげん)の柱は厳しさを備えた神である。よって、神道で言えば慈悲(じひ)の柱が和魂(にぎみたま)、峻厳(しゅんげん)の柱が荒魂(あらみたま)に相当する。
 しかし、これはある側面から見た見方であって、別の側面から見れば慈悲の柱と峻厳の柱の役割が入れ替わったりする。つまり、三柱の神々は同等だが、状況に応じて、見方によって当てはまる柱が変わってくる。だから、本来の最高神だからといって、必ずしも中心の均衡の柱でなければならない、ということではない。
 これを端的に表しているのが、太秦(うずまさ)の蚕ノ社(かいこのやしろ)などで見られる三つ柱鳥居である。3本の柱は均等だが、どこから見るかによって、中心の柱が変わってくる。

 ここがカバラの難しいところでもあり、他にも混乱しやすい点を挙げれば、例えば、神Aと神BがそれぞれA1とA2、B1とB2という2つの側面から構成されているとする。ここで、神AからはA1、神BからはB1という側面を持ってきて神Cを創作した場合、A1=C、B1=C だからと言って、A2とB2は異なるので、A=Bとはならない。これを勘違いすると、A=A1=C=B1=Bとなって、神Aと神Bが同一、という誤った解釈となってしまう。

 インダス・カバラでは、特にヴィシュヌの持っている法螺貝(ほらがい)がキーとなっている。法螺貝(ほらがい)はヴィシュヌの化身クリシュナに退治された海の悪魔パンチャジャナであり、ヴィシュヌがこれを吹き鳴らすと、悪魔が震え上がるという。この法螺貝(ほらがい)は左巻きである。
 巻き方の見分け方は、巻き貝の尖った方を上に向け、殻の入り口が見えるように持ったとき、殻の口が向かって右側に見えるのが右巻き、左側に見えるのが左巻き。巻き貝の巻く方向の理由は良く解っていないが、9割以上が右巻きである。そうすると、ヴィシュヌの法螺貝(ほらがい)は通常の巻き方とは逆になっている。つまり、インダス・カバラは他の文明のカバラとは逆ということを暗示している。すなわち、インダス・カバラでは「生命の樹」の慈悲の柱が向かって左、峻厳の柱が右なのであるこれは、シュメール、エジプト、マヤなどの創造神は男神、インダスはイナンナで女神だからである。

 さらに仏教では釈迦の説法を“大法螺(おおぼら)を吹く”と言ったが、今では“いい加減なことを言う”意味に変化してしまった。つまりヴィシュヌの化身クリシュナはイエスの予型(よけい)で、イエスの原型はイナンナで、ヴィシュヌの法螺貝(ほらがい)が最高神はイナンナだと暗示しているということは、ヴィシュヌがわざわざ中心に持ってこられたのは、ヴィシュヌがイナンナを暗示しているからである。そうすると、ブラフマーもヴィシュヌもイナンナ、ということになる。イナンナは大神アヌに愛されたので、ブラフマーはアヌだとも言える。更に言えば、シヴァもイナンナである。ブラフマーもヴィシュヌもシヴァも蓮華の上に立っているが、エジプトでは増水期に開花する蓮を生産力の象徴と見なし、夕方に沈み翌朝再び水面に出て開花する姿から再生のシンボルとも見なした。“再生、復活、不老不死”と言えばイナンナである。リンガとシヴァの関係について、神話では次のように説明されている。

 “カルパ(劫”こう”)が終滅する時、ヴィシュヌは水底で眠っていた。すると光明が出現し、その中からブラフマーが現れた。ブラフマーはヴィシュヌを見つけて、どちらが真の創造者かということで口論となった。その時、火炎を発する途方もなく巨大なリンガが姿を現した。驚いた2人は口論を止め、このリンガの果てを見届けてきた方がより偉大だと認めよう、と合意し、ブラフマーは白鳥に、ヴィシュヌは猪に姿を変えて果てを確認しに行った。しかし、両者とも果てを確認することはできず、自分たちよりも偉大な存在に気付き、そのリンガに向かって讃歌を唱えた。その時、リンガの中から千手千足(せんじゅせんぞく)、三眼を有し、弓と三叉戟(さんさげき)を手に持ち、象の皮を纏(まと)い、蛇でできた聖紐を身に着けたシヴァが現れ、雷鳴のような声で告げ、姿を消した。
「かつて我々三神は一体であったが、今はこのように分かれている。未来においてブラフマーはヴィシュヌとなり、私はカルパ発生時にヴィシュヌの怒った額から生まれるであろう」これ以来、リンガはシヴァの象徴となった。”

 この神話は、三神がイナンナだということを暗示している。シヴァはガンジス川の女神ガンガーを閉じ込め、そこからガンジス川が流れ出している。これは、シヴァをガンガーが洗礼している暗示で、洗礼の原型はエンキが、ドゥムジの死の際の瀕死のイナンナを救った時に使った「生命の水」である。よってこの場合、ガンガーがエンキ、シヴァがイナンナで、「合わせ鏡」で男神・女神が逆転している。
 また、シヴァの持っている三叉戟(さんさげき)は「生命の樹」の暗示だが、ギリシャ神話の海神ポセイドンのシンボルで、海神エンキの暗示でもある。そして、シヴァの額の真ん中にある“第3の目”は、瞑想ばかりしているシヴァに退屈した妻のパールヴァティーがふざけて後ろから両手で目隠ししたところ、世界は闇に覆われ、生類が恐れおののいたため、それを救おうとしてシヴァの額の中央が裂けて生じた新しい目である。世界が闇に覆われ、額が裂けて光が復活したことは、イエスの“死と復活”の予型で、イエスの原型はイナンナである。更に言えば、この“第3の目”はいわゆるピラミッド・アイの暗示で、それは“ニニギク、ニンイギク(目の清い神)”と言われたエンキの暗示だった。

 そして、シヴァといえばリンガ(男性器)崇拝で、性的なシンボルの根源はイナンナだった。ドゥルガーは航海の神だが、イナンナは航海術に優れたフェニキアの主神でもある。フェニキアという地名はイナンナの好物で「生命の樹」の元となったナツメヤシの学名フェニックスに由来する。フェニックスと言えば、不死鳥で火の鳥だが、これはフェニキアの女神アシュタルテ、すなわち、イナンナに奉げられた聖なる王の意味でもある。つまり不老不死の根源はイナンナである。

 また、ドゥルガーは獅子を従えた美しい女神だが、イナンナは美の女神で、しばしば獅子あるいは豹(ひょう)を従えて描かれている。幾つかの“イナンナの冥界下り”のヴァージョンの中には、イナンナを冥界の門から救い出すために、エンキはナズシュ・ナミル(Nadushu-namir)と名付けられた人獅子を創った、という逸話もあるので、獅子はイナンナと関係が深く、ドゥルガーはイナンナそのものと言っても良い。

 そのドゥルガーからカーリーが現れたということは、カーリーもイナンナということである。ドゥルガーが光の側面なら、カーリーは暗黒の側面である。血や魔人たちの生首や髑髏(どくろ)は、好戦的な戦いの女神イナンナの側面を暗示し、横たわるシヴァにまたがり、シャクティとしてのシヴァのエネルギーの源泉ともなっているのは、性的妄想の根源となったイナンナの側面を暗示している。カーリーもシヴァも腰に虎の皮を巻き付けているのは両者が同じであることを暗示し、インドでは獅子よりも虎の方がメジャーだからである。そして日本には虎がいないのに、いろいろな虎の話が登場するのは、イナンナを暗示している。
 このように、カーリーはシヴァの荒魂(あらみたま)、パールヴァティーは和魂(にぎみたま)、ドゥルガーはその両方を併せ持つ性格ということは、神道の荒魂(あらみたま)、和魂(にぎみたま)の大元がここにあると言っても良い。

 さらに、一部のキリスト教異端派では“黒いマリア”が崇拝されていたが、原型はカーリーである。つまりマリアもイナンナに関係があるが、このようにインダスではカバラ的に解釈すると、化身はすべて同一であることを暗示する。そして、多くの顔や腕はメルカバーや「生命の樹」におけるセフィロトなどを象徴する。
 ヴィシュヌの黄色い服は黄龍(こうりゅう)の原型で、アナンタ龍王の7つのコブラの頭はユダヤ教のメノラー=「生命の樹」。しかし、コブラは毒蛇なので「死の樹」でもあり、「生命の樹」と「死の樹」を同時に象徴している。これは、インダス・カバラの解釈を間違えると、即座に「死の樹=左道」に堕ちることを意味する。

 ヴィシュヌの人差し指の先で回転する円盤(チャクラ)は、万物を断ち切る恐るべき兵器で、一切の無知を破る宇宙神の偉大な力の象徴だが、「生命の樹」における栄光のティファレトあるいは隠されたダアトである。
 棍棒は力と権力の象徴だが、木なので「生命の樹」を象徴している。蓮華は水と再生と創造の象徴で、「生命の樹」を上昇していく象徴。そして、棍棒=「生命の樹」は柱で男性原理、蓮華は花なので女性原理で、蓮華と棍棒で陰陽の合一を表すと同時に、「生命の樹」を表す。
 ヴィシュヌとシヴァの4本の腕は神の戦車メルカバーで、青黒い肌はシュメール系蒙古斑(もうこはん)の象徴。これが後に誤解され、シャンバラの住人は青い肌、ということになってしまった。
 シヴァの全身の灰は破壊という“罪”を行うが故の、主に祈る姿勢。蛇を巻きつけている体は「生命の樹」だが、コブラ故、「死の樹」でもある。特に重要なのは、イナンナの両面が投影されているシヴァである。


シヴァと牛頭天王(ごずてんのう)------------------------------------------------------------------------

 シヴァは、仏教では6つの天界を支配する魔王マヘーシュヴァラ(摩醯首羅)となり、意訳して大自在天(だいじざいてん)である。6つの天界とは四天王衆(してんのうしゅ)天、三十三天(さんじゅうさんてん)、夜摩(やま)天、兜率(とそつ)天、楽変化(らくへんげ)天、他化(たけ)自在天であり、大自在天(だいじざいてん)は他化(たけ)自在天を支配する。それ故、他化自在天魔王とか第六天魔王とも呼ばれ、これが仏教最大の大魔王であり、大魔王とは暗黒の側面である。鬼門は鬼の住む方角で、この方角を守護する天部が伊舎那天(いしゃなてん)であり、その別名が摩醯首羅(まけいしゅら)でシヴァのことである。よって、鬼の原型はシヴァでもある。

ヒンズー教で牛を食べないのは、牛は神の化身だからである。その原型はシヴァの乗り物“聖なる牛ナンディン”で、天界の聖なる牝牛(めうし)スラビと聖仙カシュヤパの間に生まれた牡牛で、“幸福なる者”の意味である。シヴァとナンディンを重ねて描いた絵も多く、そのため、ナンディンはシヴァの化身と見なされることもある。

 また、シヴァの暗黒の化身バイラヴァは、顔は水牛で体は人間であるため、牛頭天王(ゴズテンノウ)とも言われる。

このように、インドでは牛は神だが、ヘブライでは偶像崇拝の対象だったのは金の仔牛アモンであり、偶像崇拝の神とされていたバアルも牡牛の姿をしている。そのため、シヴァに光の側面と暗黒の側面があるように、牛にも両方の意味が隠されている。

日本で牛に喩えられる神は、スサノオである。スサノオは牛頭天王(ごずてんのう)とも言われるので、シヴァが原型である。スサノオは英雄神として祀られているが、高天原で暴れたことが原因で、天照大神が岩戸に籠もったことから、シヴァのような暗黒の側面がある。
 一説には、中国で有名な神農の発音は“スサ”と言い、神農も牛頭人身だから牛頭天王である。仏教では、牛頭天王は祇園精舎の守護神であり、疫病をもたらす武塔(ブトウ)神とも呼ばれており、これも光の側面と暗黒の側面を併せ持つ。神農=炎帝は後に西遊記に取り込まれ、火炎山に住む牛魔王とされてしまった。

つまり、流れ的にはシヴァ→牛頭天王→武塔神→神農→スサノオとなる。あるいは、イラン高原南西部に建国したエラム人の国には、スサという都市があった。エラム人はシュメールの地に浸入し、都市間の勢力争いに加わった。そのスサの守護神はインシュウシナクと言い、後に冥界神となった。スサノオは根の国=冥界に下ったので、冥界神と見なすことができるから、スサは“エラムのスサ”由来でもある。
 なお、釈迦の正式名ガウタマ・シッダールタのガウタマは“最上なる牛”を、シッダールタは“目的(実利)を成就せる者”の意味なので、釈迦も牛に関係している。


 つまり鬼の原型がシヴァで、鬼門を守り、シヴァは虎の皮をまとい、ここでは牛の要素も加えられたので、鬼門は牛と虎が合わさって、丑寅(うしとら)=艮(うしとら)と言う。鬼門とは北東(艮=うしとら:丑と寅の間)の方位のことである。
 京都御所の築地塀が鬼門、北東方位を凹ませてあることから、御所が鬼門を恐れ避けている、鬼門を除けていると考えられ、それから鬼門を避ける鬼門除けの手法とされてきた。

また熊野大社の宮司家は九鬼(くかみ:本来は「鬼」の上の点が無い)氏だが、「鬼」という字の上の点を取って「かみ」と読ませている。つまり「鬼」とは元々神のことで、その「鬼」という字の上の点が、鬼の角を表している。鬼の角は牛の角である。虎の皮をまとい、金棒(かなぼう)を持っている。金棒ではないが、棒を持っているという点では、ヴィシュヌの棍棒(こんぼう)と同じで、ヴィシュヌもイナンナが原型である。つまり鬼は本来神で、牛の角と虎の皮、そして金棒で牛虎金神、ウシトラノコンジン(艮金神)となる。
 鬼門に押し込められた鬼とは、ウシトラノコンジンのことである。つまり日月神示で言われているウシトラノコンジン=国常立神(くにのとこたちのかみ)というのは、シヴァことイナンナである。その上、シヴァがスサノオということは、スサノオの原型はイナンナである。
 シヴァは殺戮など暗黒の側面があるが、それはまさしくマルドゥクの行為に怒り心頭に発したイナンナそのものである。そして、スサノオも高天原で乱暴を働いて、追放された。バビロンで、マルドゥクによってイナンナが消された出来事である。つまり日本の本来の最高神はスサノオことイナンナということである。
 スサノオにわざわざ牛頭天王(ごずてんのう)が充てられ“てんのう”と読ませたということは、古代の大王家の最高神がスサノオだったという暗示である。それにスサノオには蘇民将来(そみんしょうらい:日本各地に伝わる民間信仰)の逸話がある。“将来蘇る民”とは、封印されたウシトラノコンジンことスサノオを最高神として祀る一族が、将来封印が解かれて蘇るということである。その“蘇り=黄泉帰り”の根源はイナンナである。それに、日月神示では封じ込められたウシトラノコンジンは国常立神(くにのとこたちのかみ)とされた。出口王仁三郎がスサノオの格好をしていたのも、満更ではなかった。また伊勢神宮の外宮(げくう)の神官の一族、豊穣神・豊受大神を祀る度会氏(わたらいうじ)の中には、出口姓の者がいる。


その他の神々-------------------------------------------------------------------------------------------------

 ヴェーダの記述に用いられた古代サンスクリット語は、ゾロアスター教の聖典アヴェスターやアケメネス朝ペルシャの楔形文字碑文に残る古代イラン語に極めて近く、神々の名称や祭式の用語においても、多くの類似点が見られる。
 また、古代オリエント(中東地域)における他地域の文献にも、ヴェーダの神々の名が見られるので、ヴェーダの神々はインド系アーリア人固有のものばかりではなく、インド・ヨーロッパ語族の中で東方に移動したアーリア人に共通のものが多い。

ヴェーダの神々の多くは、自然界の事象を基に神格化されたもので、天神ディヤウス(=デウス=ゼウス)、太陽神スーリヤ、暁の女神ウシャスは天界に、雷神インドラ、風神ヴァーユ、暴風神ルドラ、雨神バルジャニヤは空界に、火神アグニ、酒神ソーマは地界に住む。
 雷神インドラはヴェーダにおける英雄神で軍神であり、仏教の帝釈天(たいしゃくてん)。軍神ニヌルタとイシュクルが原型。

火神アグニはラテン語"ignis"やイラン語の“火”とも語源を同じくする。アグニは天にあって太陽として輝き、空において稲妻として煌めき、地上では祭壇の聖火として燃え、人の中にも怒りの火、思想の火などとして存在する。
 スーリヤは太陽神、ヴァルナはイエスの原型でもあるミトラ=ミトラス=マイトレーヤと同様の契約の神。

ヴェーダ以前の土着神には、遺伝子の二重螺旋とニンギシュジッダを暗示する創造神ナーガ(男神)とナーギ(女神)、後にサナト・クマーラとされたクベーラ(毘沙門天"びしゃもんてん")、リグ・ヴェーダでは太陽神の子とされていたが支那風にアレンジされて日本では閻魔大王となったヤマなどがある。
 これらの起源はすべてシュメールの神々である。特に、火神アグニはペルシャのゾロアスター教の主神とされ、火の鳥フェニックスのイナンナを連想させる。ペルシャもイナンナが主神である。


聖仙リシ------------------------------------------------------------------------------------------------------

 聖仙リシとは、ヒンズー教の仙人のことで、漢訳では仙人とも言われる。元は、ヴェーダに描かれた神の天啓に携わった詩人で、言わば預言者である。それが、世間から隔絶され、外見は宗教浮浪者と区別できないことから、後に宗教的悟りに達した修行者のように変化してしまった。つまり、聖仙リシとは「生命の樹」の奥義を知り尽くした者であり、マスコミなどに登場する自称聖仙は偽物である。また、一般的な仙人のイメージも誤りである。
 有名な聖仙としては七聖仙がいる。「シャタパタ・ブラーフマナ」の七聖仙はゴータマ、バラドヴァージャ、ヴィシュヴァーミトラ、ジャマド・アグニ、ヴァシシュタ、カシュヤパ、アトリである。「マハーバーラタ」では、マリーチ、アトリ、アンギラス、プラハ、クラトゥ、プラスティァ、ヴァシシュタである。「ヴァーユ・プラーナ」では、更にブリグを加えて八聖仙とする。
 現在も聖仙は実在し、不浄の地とされ、浮浪者がたむろするガンジス川東岸に住んでいる。本来、太陽が照らす南側から見て向かって右=東が重要なのだが、インダス・カバラでは逆なので、太陽が照らす南側から見て向かって右=東が穢(けが)れた側となる。そのため、聖なるガンジスの東岸に浮浪者がたむろしており、世間から隔絶されている。世間から隔絶されていれば、奥義を守るのに最適である。
 聖仙は基本的に12人で構成され、全員で1人の聖仙を構成する。これは、3人の大烏(おおがらす)で金鵄(きんし)を構成するのと同じで、日本に於ける八咫烏に相当する。インドやそれ以外にも日本の八咫烏に相当する組織がある。


タントリズム-------------------------------------------------------------------------------------------------

 タントラでは、すべてのものは特定の周波数を有する振動音と見なす。それを視覚的に表したものがヤントラ=曼陀羅(まんだら)であり、宇宙あるいは神を象徴する。曼陀羅(まんだら)は三神三界を表した「生命の樹」の象徴である。そして、聴覚的なものがマントラ=真言(しんごん)である。

ヤントラ、マントラは永遠なるもの=宇宙創造の意識と一体となる秘術である。しかし、本来タントラの説く梵我一如(ぼんがいちにょ)は難解であるため、タントラではシヴァ神(男性原理)と神妃シャクティ(パールヴァティー、女性原理)の性的合一による宇宙創世が説かれた。そのため、解脱への実践として、女神及び女性器崇拝、性行為、飲酒、肉食などが織り込まれた。これは、正統バラモン教からは断じて認められるものではなかったが、タントラのこのような呪術性に、一般大衆は惹きつけられた。

タントラとは本来、宇宙の真理を人体の神秘から知ろうとする、インドに於ける密教思想のことである。一般大衆に開かれた教えは顕教(けんぎょう)であり、一部の者を対象とした秘密の教えが密教である。タントラの実践者をタントリーカと言う。
 リシが保持してきたタントラは、チベット密教やヒンズー教のタントラよりも古く、インダス文明からの口頭伝承による本来のタントラ=原始タントラである。
このタントラは人体に喩えられるため、誤って解釈すると、ダルマを踏み外して無意味な肉体修行を行ったり、カーマに堕ちる。ダルマとはタントラの奥義を求めて神に近づくことであり、カーマとは男女の性愛である。

「生命の樹」に右と左があるように、タントラにも右道(うどう)と左道(さどう)がある。右道タントラはダクシナカラと言い、徹底的に禁欲を説く。深い瞑想を主体に梵我一如(ぼんがいちにょ)を目指すハタ・ヨーガは、ダクシナカラが基である。
しかし、本来の解釈が成されていないため、肉体改造を基本とした神秘思想となっている。梵我一如(ぼんがいちにょ)、神人合一(しんじんごういつ)を達成することにより不死の体が得られ、思い通りに肉体を消したり現れたりすることができ、透視や予知も可能になると信じる。つまり、仙人である。
 ハタ・ヨーガは強制的な肉体改造により、これを達成しようとする(悟りを開こうとする)が、非常に危険な行為である。このような肉体改造は神経を麻痺させ、幻覚を生む。やっている本人は、現実との区別が付かないため、恐怖のカーリーに会った後、シヴァに会うことができた、などという幻覚を信じてしまう。それは単に、本人の記憶がそのような光景を見せているに過ぎない。これは、例えば臨死体験者の経験談で、仏教徒は三途の川を見て、キリスト教徒は天使の集まりを見るのと同じことである。
 ある者は、手っ取り早く幻覚を生じさせるために、幻覚剤を使用する。神の酒ソーマは、毒キノコであるベニテングダケから抽出したものである。幻覚剤を使ってお告げをしたりする口寄せやシャーマンなどは、如何にも愚かな連中である。

 左道タントラはヴァーマカラと言い、性愛を徹底的に追及する快楽主義である。カーマは性愛指南書「カーマ・スートラ」として有名であり、多くの者たちが左道に堕ちた。カーマ最大のものがカジュラホ寺院の一面に彫られているエロティックな男女交歓像であり、神殿売春が主体だった寺院である。

リシはハタ・ヨーガを容認こそすれ、自らがヨーガを行うことはない。タントラの原理は、下から地・水・火・風・空の五大元素から積み上げられた世界観に基づき、人間の11器官がそれに対応する。11器官とは、5行為器官としての発声器官、手、足、排泄器官、生殖器と、5知覚器官としての耳、皮膚、目、舌、鼻プラス隠された思考器官マナスである。つまり、五大元素とは「生命の樹」を人体化して表現したアダム・カドモンに於ける五体満足を暗示し、隠されたダアトを含めた11個のセフィロトを象徴している。

タントラは哲学として大きく6つに分類され、インド六派哲学となった。サーンキヤ、ヨーガ、ミーマーンサー、ヴェーダーンタ、ヴァイシェーシカ、ニヤーヤ哲学である。

・サーンキヤ:この世を精神と物質の二元論で捉える。この2つの相克(そうこく)により人間は苦悩する。それ故、解脱のためには、精神と物質がまったく別のものであることを自覚する必要があると説く。
・ヨーガ:サーンキヤ哲学の中心に神を据えた。自我の欲望を滅し、宇宙と一体となる実践的システムを作り上げた。
・ミーマーンサー:祭祀儀礼の解釈。
・ヴェーダーンタ:ヴェーダを重視し、ウパニシャッド哲学の解釈を推進。
・ヴァイシェーシカ:自然哲学。
・ニヤーヤ:論理学。

 原始タントラの直系とも言えるのが、サーンキヤ哲学とヨーガ哲学である。サーンキヤ哲学に於ける精神と物質は世界を生み出す原理であるが故に、精神原理(プルシャ)、物質原理(プラクリティ)と言う。プルシャは絶対神のことではなく、霊我とも言われるように、あくまでも個人的な自我の上の存在である。陰陽で表すならば、プルシャが陽、プラクリティが陰であり、プルシャは上向きの三角形、プラクリティは下向きの三角形で象徴される。

 難しそうな話だが、簡単に言えばインダスのカバラは左道に堕ちやすい、ということで、これは創造神イナンナが性愛に溺れたからである。そして、イナンナはインダスを疎かにしたので、文明が十分に花開かなかった。つまり、知識が十分ではなく、誤解を生じやすかった。


ヨーガ---------------------------------------------------------------------------------------------------------

 ヨーガ哲学とは、サーンキヤ哲学の中心に神を据え、自我の欲望を滅し、宇宙と一体となる実践的システムである。ヨーガの基本は、神話などにしばしば登場する“修行、苦行”である。この実践方法については大きく2つの流れがあり、1つは顕教としてのラージャ・ヨーガ(王者のヨーガ)であり、もう1つは密教としてのハタ・ヨーガである。

 前者は、ひたすら欲望を無くすことを主眼とし、欲望から解脱することで悟りを開く。このヨーガの実践者をヨギンと言い、マントラを唱えながら実践する。釈迦が行っていたのは、このヨーガである。ラージャ・ヨーガの経典とも言うべきヨーガ・スートラ(スートラ:教典)には八支ヨーガと言われる修行の8つの階梯”かいてい”(禁戒、歓戒、坐法、調息、制感、凝念、静廬、三昧)が記されている。消極的な修道の概念であるニローダ(“積極的に鎮め封じること”の意から、心の動きを抑止すること)を標榜(ひょうぼう)し、哲学的追求に重きを置いた形而上学的修道論である。

 これに対して、ハタ・ヨーガはサーンキヤ哲学に基づき、俗的な属性であるプラクリティの否定によって聖なるプルシャとの合一を目指す。そのため、ラージャ・ヨーガのような階梯(かいてい)を踏まえず、一気に三昧(ざんまい)に至る方法である。ラージャ・ヨーガよって顕現したパワーを使い、俗的な世界を積極的に聖化させ、神々との合一を図る。このようなハタ・ヨーガは神秘思想とも言うべきものであり、仙人の概念へと発展し、道教、密教、禅の根源となった。ヨーガでも師のことを導師(グル)と言う。

 タントラでは、実際の身体に対して“微細身体”と呼ばれる存在を想定する。これは、肉眼では見えず、触れることもできない。しかし、肉体と同じ形、大きさであるとされる。微細身体には、脊椎に沿って7つの霊的中枢があると考える。この霊的中枢をチャクラと言う。チャクラとは“輪”という意味で、ヨーガを極めし者には、霊的中枢が円形に見えるらしいことから、このように言われる。(ヴィシュヌが持っている円盤もチャクラである。)
 また、微細身体は大宇宙に対する小宇宙を象徴する。チャクラとは、人体を小宇宙に見立てた場合、人体の中心を貫く7つの中枢のことでもある。

①サハスラーラ(頭頂)
②アジナ(眉間)
③ビシュター(喉)
④アナハタ(心臓)
⑤マニピューラ(臍”へそ”)
⑥スワディーナ(丹田”たんでん”)
⑦ムラダーラ(会陰”えいん”)


 チャクラは「生命の樹」を人体化したアダム・カドモンと対応し、背骨に沿うセフィロトだけでなく、左右のセフィロトを中心に合わせた7段階を示す。「生命の樹」に於ける慈悲の柱は陽、峻厳(しゅんげん)の柱は陰で、均衡の柱は両者が一体となった太極を表す。それ故、慈悲の柱、峻厳(しゅんげん)の柱にある同じ高さのセフィロトは、均衡の柱に於いて1つに統一することができる。

①ケテル:頭頂
②ビナー・コクマー:左右脳
③ダアト:喉
④ゲブラー・ケセド:心臓、右心房・右心室、左心房・左心室
⑤ティファレト:太陽神経叢(しんけいそう)
⑥ホド・ネツァク:両足
⑦イエソド:会陰(えいん)

 マルクトは足の裏のツボ“湧泉(ゆうせん)”として隠されており、脊椎(せきつい)には関与していない。また、アダム・カドモンの頭部も示しており、顔のカバラも構成する。マルクトは喉として、顔の外にある。

①ケテル:頭頂部
②ビナー・コクマー:両目
③ダアト:第3の目
④ゲブラー・ケセド:両耳
⑤ティファレト:鼻柱
⑥ホド・ネツァク:両鼻孔
⑦イエソド:口


 頭頂サハスラーラ以外のチャクラはマハットと五大にも対応している。サハスラーラは頭頂部から少々浮いた箇所に存在するので、微細身体に於ける実質的な最上部のチャクラはアジナである。

ムラダーラ:地・四角形
スワディーナ:水・三日月
マニピューラ:火・逆三角形
アナハタ:風・六芒星
ビシュター:空・円形
アジナ:マハット
サハスラーラ:無し

 7つのチャクラに大宇宙から絶対的エネルギーであるプラーナが降りると、チャクラの門が次々と開いて覚醒する。すると、ムラダーラ・チャクラで眠っていた生命の根源エネルギーが覚醒し、大宇宙の真理と一体化するために脊椎(せきつい)を上昇する。そのエネルギーをクンダリーニと言い、3回転半のとぐろを巻く神蛇で象徴される。
 現在流布しているヨーガでは、次のように解釈されている。まず、呼吸を整えることにより、空間に充満している特殊な宇宙エネルギー“プラーナ”を取り入れる。これは“気”“オーラ”などとも言われる。
 そして、ヨーガの独特なポーズにより会陰部(えいんぶ)を刺激し、ムラダーラのクンダリーニを活性化させる。クンダリーニにはとぐろを巻いた蛇がいることをイメージし、そのとぐろを解きほぐすように、意識によってクンダリーニを脊椎に沿って上昇させる。上昇は熱さや振動として感じられる。上昇できるまでは、精液を漏らしてはならない。最終的には、頭頂のサハスラーラまで上昇させる。クンダリーニは神妃シャクティ、サハスラーラはシヴァであり、両者の神秘的な結婚により梵我一如(ぼんがいちにょ)を達成する。サハスラーラまで上昇したクンダリーニは、体の正中を通してムラダーラまで戻し、クンダリーニを体内で循環させる。これを大周天(だいしゅうてん)と言い、これを達成できれば超人(リシ、仙人)となる。

 つまり、ヨーガにより体を柔軟にし、体内の霊的エネルギーの流れを良くすることにより、締め付けられているチャクラが開くようになる。そして、クンダリーニとプラーナが体中に行き渡ることにより、超人になれると考える。カーマでは、クンダリーニの活性化のために、性愛を利用する。男女が共に行うことにより、シャクティとシヴァの完全なる合一を達成できると考える。
  また、プラーナの通り道を気道(ナーディー)と言う。ナーディーは血管や神経のように張り巡らされ、72,000にも達するという。その中で最も重要なのは3本ある。脊椎を貫くスシュムナーを中心に、体の右半身から脊椎に絡みつくピンガラ(太陽のナーディー)と左半身から絡みつくイーダ(月のナーディー)であり、太陽と月に象徴されるように、右が陽、左が陰である。
 左右のナーディーは、アジナ・チャクラから伸びている。これは、人体としては脊椎を中心とした中枢神経と自律神経を示しているが、アダム・カドモンを正面に向けた時の、三柱の位置に相当する。そして、3本のナーディーの交差点にチャクラが存在し、「生命の樹」に於ける三柱が1本に統合された時のセフィロトの状態を示している。


 人体の中心を貫く7つの中枢チャクラは、“イナンナの冥界下り”に於ける「生命の樹」の7段階のことである。プラーナとは「生命の樹」に降下する“雷の閃光”の象徴で、頭頂部から順にセフィロトのシンボルであるチャクラを降下し、ムラダーラに達する。そこから、今度は上昇する。上昇する神蛇は3回転半のとぐろを巻いているので、「生命の樹」に絡まる蛇である。
 つまり、チャクラはあくまでも大宇宙の真理を人体に例えたものであって、大宇宙の真理と一体化するためには、「生命の樹」の奥義を知る必要がある。決して、肉体の修行や性愛に溺れることを言うのではない。そして、人体のすべてが「生命の樹」で成り立っていることを象徴している。あるいは逆に、人体の構造が大宇宙に通じる構造なので、神界に通じる奥義を「生命の樹」として象徴したとも言える。

 チャクラにはいろいろな形があり、チャクラは3本のナーディーの交差点にあるので、締め付けられた状態になっている。それがヨーガによってチャクラが覚醒すると、開花した蓮華として象徴される。各チャクラの蓮華の花弁の数と色は、例えばサハスラーラは1,000枚で光、アジナは2枚で白、ビシュターは16枚で薄紫などとなっている。込められた意味は様々で、いろいろな解釈がある。
 例えば、皇室の十六弁八重表菊紋を連想させるビシュターの色は薄紫で、紫は古代、どこの国でも最も高貴な色とされた。そして、微細身体にマルクト(足下)を加えると立ち上がった時の完全な人体となり、中心には全部で8個のチャクラがある。男女それぞれ8個で、陰陽の合一で16となる。また、エジプトの十六弁の蓮を持ってくれば、それは“復活、再生”を象徴する。陰陽の合一という点では、六芒星が究極と言える。よって、真の解脱者は肉体的修行を行わず、性愛に溺れず、薬物も使用しない、「生命の樹」の奥義を知る賢者のことである。


マントラ------------------------------------------------------------------------------------------------------

 サーンキヤ哲学に依ると、世界の創造はプラクリティの動揺(振動)から始まる。プラクリティが振動して均衡を崩すと、その波紋は宇宙へ浸透し、能動的な現象世界が始まる。プラクリティの振動を音によって表現したものをマントラと言う。
 マントラは聖なる音声で、宇宙の根源的な力であるシャクティが宿っている。シャクティは女性原理に基づいているため、神妃を崇拝する呪文として説明されることもある。マントラの中のマントラ、聖なる音“オウム”は宇宙の根源的な音であり、この音から、絶対神をはじめとする森羅万象が生じたという。これをアルファベットで記すと"AUM"であり、阿吽(あ・ん、アーメン、アルファとオメガ、大神アヌ)に相当するが、実在の本質“サット・チット・アナンダ”が隠されている。これは、それぞれ“真の実在・純粋意識・無上の歓喜”という意味で、瞑想に於ける究極の目的とされる。それ故、"AUM"はトリムルティを表しているとも考えられている。

A:ブラフマー、U:ヴィシュヌ、M:シヴァ。

 つまり、"AUM"とは音で表現された「生命の樹」で、宇宙の創造・維持・破壊を表す究極のマントラ(真言)である。神々にはそれぞれマントラがあり、シヴァのマントラはフリーム、カーリーはクリームなどと言う。特に、チベット密教に於ける神々は“オウム・○○”となっているものが多い。例えば、阿弥陀如来はオウム・アミタプラバ・スヴァーハー、観自在菩薩はオウム・サマンタブッダーナーム・サハである。ちなみに釈迦は、サルヴァクレーシャニシューダナ・サルヴァダルマヴァシィタープラターパガガナサマーサマ・スヴァーハーで、“オウム”は含まれない。チベット密教はサンスクリット語だが、サンスクリット語の呪文そのものがマントラである。その音(おん)を漢字で音写したのがお経であり、代表的なものが般若心経(はんにゃしんぎょう)である。

 仏教に於ける最も重要なマントラは“オウム・マニ・パドメ・フウム”で、“全知全能の神、宝石が蓮華の中にあり=「生命の樹」の中に真理あり”という意味である。
 マントラで重要なのは意味ではなく音声と見なされているため、お経などは意味を知られずに唱えられている。解らなくても唱えることに意義がある、というのは、そういうことである。

 マントラは音という最も単純明快な波動なので、創造のエネルギーとも共鳴する。単に言葉の意味だけなら、他の言葉に置き換えても良い。しかし、マントラはその1つ1つの言葉に意味があるのは勿論、唱えた時の音が最も重要である。よって考えに考え抜かれて創られている。
 日本の仏教では、どんな宗派であろうと大抵、般若心経を唱える。神道大祓(おおはらえ)全集の最後にも掲載されている。つまり神道が仏教と習合できたのは本質に於いて同じで、仏教の神髄は隠された教え、密教にある。ユダヤ教の隠された教えがユダヤ神秘主義カバラにあるのと同じ。その密教を大切に護持してきたのがチベットだが、それを支那(中国)経由で日本に持ってきたのが空海である。よって空海が開いた高野山の真言密教こそ、仏教の神髄と言える。

 その真言密教で最も重要なのは般若心経で、仏像では十一面観音となる。十一は「生命の樹」の隠されたセフィラ「ダアト」も含めたセフィロトの数である。十一面観音は木像なので「生命の樹」の奥義そのものである。その隠された知恵ダアトは、十一面観音の裏の笑った顔である。その観音像に水を掛ければ、「生命の樹」に「生命の水」を掛けることになる。それは東大寺のお水取りである。僧侶がお香水という聖水を取り、十一面観音に懺悔するということは、「生命の樹」に「生命の水」を掛けることで、イナンナの“復活”の場面が起源である。

 そのお香水は若狭(わかさ)の遠敷(おにゅう)川から送られてきているとされるが、“にゅう”は“丹生(にゅう)”で不老不死の妙薬とされた硫化水銀を暗示する。これは水銀朱(すいぎんしゅ)とも言われ、神社の鳥居などの赤い色は元々はこの色だが、不死鳥フェニックスをも暗示する。そして、“若狭”は“永遠の若さ”をも連想させる。


般若心経------------------------------------------------------------------------------------------------------

 般若心経のサンスクリット語での解釈は、次のようになる。

仏説摩訶般若波羅蜜多心経
ブッセツマーカーハンニャーハーラーミーターシーンギョウ
“仏(釈迦)が説いた偉大なる般若波羅蜜多の教え”

観自在菩薩、行深般若波羅蜜多時、
カンジーザイボーサー、ギョウジンハンニャーハーラーミータージー、
(観自在菩薩、深般若波羅蜜多を行ぜし時、)
“観自在菩薩が、深遠な般若波羅蜜多の修行を実践している時、”

照見五蘊皆空、度一切苦厄。舎利子、
ショウケンゴーウンカイクウ、ドーイッサイクーヤク。シャーリーシー、
(五蘊”ごうん”は皆空なりと照見して、一切の苦厄”くやく”を度せり。舎利子よ、)
“五蘊あり、しかも、それらは自性空であると見極めた。シャーリプトラよ、”

色不異空、空不異色、色即是空、空即是色、
シキフーイークウ、クウフーイーシキ、シキソクゼークウ、クウソクゼーシキ、
(色は空に異ならず、空は色に異ならず、色即ちこれ空、空即ちこれ色なり、)
“ここに於いて色は空性であり、空性は色である。色とは別に空性は無く、空性とは別に色は無い。色なるものこそが空性であり、空性なるものこそが色である。”

受想行識、亦復如是。舎利子、
ジューソウギョウシキ、ヤクブーニョーゼー。シャーリーシー、
(受想行識も、またかくのごとし。舎利子よ、)
“受、想、行、識についても、まったく同様である。シャーリプトラよ、”

是諸法空想、不生不滅、不垢不浄、不増不減。
ゼーショーホウクウソウ、フーショウフーメツ、フークーフージョウ、フーゾウフーゲン。
(この諸法は空相なり、不生にして不滅、不垢にして不浄、不増にして不減なり。)
“存在するものはすべて空性を特徴としていて、生じたというものでなく、滅したというものでなく、穢れたものでなく、穢れを離れたものでもなく、足りなくなることなく、満たされることも無い。”

是故空中、無色無受想行識、無眼耳鼻舌身意、無色声香味触法、無限界乃至無意識界、
ゼーコークウヂュウ、ムーシキムージューソウギョウシキ、ムーゲンニービーゼツシンニー、ムーシキショウコウミーソクホウ、ムーゲンカイナイシームーイーシキカイ、
(この故に空性の中に、色は無く受想行識無く、眼耳鼻舌身意無く、色声香味触法無く、限界無く、ないし意識界無く、)
“これ故に、空性に於いては、色は無く、受・想・行・識無く、眼耳鼻舌身意無く、色声香味触法も無い。限界から意識界に至るまで、ことごとく無い。”

無無明亦無無明尽、乃至、無老死亦無老死尽、無苦集滅道、無知、亦無得。
ムームーミョウヤクムームーミョウジン、ナイシー、ムーロウシーヤクムーロウシージン、ムークージュウメツドウ、ムーチー、ヤクムートク。
(無明無く、また無明の尽くること無く、ないし、老死無く、また老死の尽くること無く、苦集滅道無く、知無く、また得も無し。)
“明知無く、無明無く、明知の滅無く、無明の滅も無い。老死無く、老死の滅も無い。苦・集・滅・道無く、知ることも無く、得ということも無い。”

以無所得故、菩提薩埵、依般若波羅蜜多故、
イームーショートッコー、ボーダイサッター、エーハンニャーハーラーミーターコー、
(得る所無きをもっての故に、菩提薩埵は、般若波羅蜜多に依るが故に、)
“これ故に、ここには如何なるものも無いから、菩薩は般若波羅蜜多を拠り所として、”

心無罣礙、無罣礙故、無有恐怖、遠離一切顚倒夢想、究竟涅槃。
シンムーケーゲー、ムーケーゲーコー、ムーウークーフー、オンリーイッサイテンドウムーソウ、クーギョウネーハン。
(心に罣礙(けいげ)無し、罣礙無きが故に、恐怖あること無し、一切の顚倒夢想を遠離して、涅槃を究竟せり。)
“心の妨げなく安住している。心の妨げが無いので、恐れが無く、無いものをあると考えるような見方を超越していて、まったく開放された境地でいる。”

三世諸仏、依般若波羅蜜多故、得阿耨多羅三藐三菩提。
サンゼーショーブツ、エーハンニャーハーラーミーターコー、トクアーノクターラーサンミャクサンボーダイ。
(三世の諸仏は、般若波羅蜜多に依るが故に、阿耨多羅三藐三菩提を得たまえり。)
“過去・現在・未来の三世に出現するすべての仏は、般若波羅蜜多を拠り所として、無上の完全な悟りを成就している。”

故知、般若波羅蜜多、是大神咒、是大明咒、是無上咒、是無等等咒、
コーチー、ハンニャーハーラーミーター、ゼーダイジンシュー、ゼーダイミョウシュー、ゼームージョウシュー、ゼームートウドウシュー、
(故に知るべし、般若波羅蜜多は、これ大神咒(だいじんしゅ)なり、これ大明(だいみょう)咒なり、これ無上咒なり、これ無等等(むとうどう)咒なり、)
“それ故に、知るべきである。般若波羅蜜多の大いなるマントラ、大いなる明知のマントラ、この上ないマントラ、比類なきマントラは、”

能除一切苦、真実不虚故、説般若波羅蜜多咒。即説咒曰。
ノウジョーイッサイクー、シンジツプーコーコー、セツハンニャーハーラーミーターシュー。ソクセツシューワツ。
(よく一切の苦を除き、真実なり、虚しからざる故に、般若波羅蜜多の咒を説く。即ち、咒を説いて曰わく。)
“すべての苦を鎮めるものであり、偽りが無いから、真実である。般若波羅蜜多の修行で唱えるマントラは、次の通りである。”

掲諦、掲諦、波羅掲諦、波羅僧掲諦、菩提、娑婆賀。
ギャーテイ、ギャーテイ、ハーラーギャーテイ、ハラソウギャーテイ、ボーディ、ソワカー。
“ガテー、ガテー、パーラガテー、パーラサンガテー、ボーディ、スヴァーハー。”

般若心経。
ハンニャーシンギョウ。
“以上で、般若波羅蜜多のマントラ、提示し終わる。”

 般若心経の世界最古のサンスクリット写本が残っていたのは、法隆寺であった。そこは秦氏の本拠地の1つで、さらに聖徳太子はイエスをモデルとしている。つまり「生命の樹」はイナンナが掛けられた木が原型だが、イエスが掛けられた十字架も重ねられている。
 般若心経の解説を一言で言えば“完全なる知恵に到達するためのマントラ”で、「生命の樹」の奥義を知るということである。従来の固定観念に縛られることなく、無我を認識することにより(照見五蘊皆空)心に妨げが無い状態(心無罣礙)となり、「生命の樹」を上昇していく(遠離)ことができる。そして知恵を得て超越したものの見方ができるようになり(究竟涅槃)、神界の真理(阿耨多羅三藐三菩提)に至る。

 瞑想の際に唱えるマントラは、“ガテー、ガテー、パーラガテー、パーラサンガテー、ボーディ、スヴァーハー”である。これは“知恵という完成”を讃えるマントラである。“知恵という完成”とは、一般的な知恵を超越して、「生命の樹」に隠された真理を知ることに他ならない。”
 よって般若心経は観自在菩薩が弟子のシャーリプトラに説いている情景描写だが、“観自在”とは“達観して物事を観ることができる”“すべてを見通す目”の象徴である。

 釈迦は16歳で結婚して妃ヤショーダラーとの間にラーフラをもうけたが、人生に疑問を抱き、29歳で一切を捨てて出家した。釈迦は断食などの苦行を行っていたが、苦行が無意味であることを悟り、村娘スジャータの捧げる牛乳粥(かゆ)で体力を回復した後、ブッダガヤにあるアシュヴァッタ樹(インド菩提樹)の下で瞑想した。そして夜明け近く、“明けの明星”が輝く頃、35歳でついに悟りを開いた。

 人生の最後は、クシナガラ郊外で迎えた。そこには、東西南北に2本ずつのシャーラ(沙羅樹)が生えていたので、この木を沙羅双樹(さらそうじゅ)と呼ぶようになった。シャーラとは、優れた木、堅固な木の意味で、沙羅はそれを音写したもの。釈迦は2本のシャーラの間に横たわり、80歳で入滅した。遺体は火葬され、遺骨(仏舎利”ぶっしゃり”)はストゥーパ(仏塔:インドの墓)に納められると同時に、信者に分け与えられた。
 釈迦は、「生命の樹」の奥義を知るには、苦行は無意味であると悟った。アシュヴァッタ樹も沙羅双樹も「生命の樹」の象徴である。2本のシャーラの間に横たわって入滅したことは、「生命の樹」と「知恵の樹」の「合わせ鏡」でもある。

 このような釈迦の生涯は、イエスのものと類似している。何よりも、悟りを開いた時には“明けの明星”が輝いたことが、それを最も端的に暗示している。このように、般若心経には死んだ者の魂が到達すると言われている彼岸や涅槃などについて述べた部分は無く、死者にはまったく関係の無い内容である。まして、観自在菩薩は現世の在家求道者で、天国で救ってくれるような存在ではない。

 最も重要なマントラ“ガテー、ガテー、パーラガテー、パーラサンガテー、ボーディ、スヴァーハー”が“知恵という完成”を讃えるマントラとは言うが、ガテーとは、女性名詞ガター(行きたる女性)の呼びかけの形である。“行きたる女性”とは悟り、つまり、般若に他ならない。ここでは般若が女神と考えられている。
 パーラガテーは“向こう岸に行った女性(女神)よ”を、パーラサンガテーは“向こう岸に行き着いた女性よ”を意味する。ボーディは“悟りよ”のことで、スバーハーは掛け声である。

 現存する最古の心経のサンスクリット写本には「般若波羅蜜多の心」とあり、「経」の文字は無い。この心(フリダヤ)とは真言を意味する。つまり、心経はいわゆる経ではなく、女神・般若波羅蜜多の称名を勧めるメモである。
 “行きたる女性”“向こう岸に行った女性(女神)”“向こう岸に行き着いた女性”が悟りの知恵を得た女性・女神ならば、それは知識の“メ”を得た知恵の女神、“メ”のレディ、イナンナに他ならず、知恵の女神で豊穣神、インダスの最高神イナンナへの讃歌(さんか)に他ならない。
 こういったことがあり、イナンナが掛けられた木、イナンナが好物だったナツメヤシが原型となっている「生命の樹」の真理を悟る内容なわけで、イナンナが掛けられた「生命の樹」の象徴たる十一面観音に対して唱えられることは最も相応しい。インダス文明の創造神はイナンナである。

 もっと広い視点から見ると、女神を宇宙の女性原理と見なせば、その女性原理と波動で共鳴する、ということでもある。女神ガイアもそれに共鳴する。よって唱えること自体に意味がある。
 般若心経はこういう意味だが、その真意からすると、シヴァが好んだ修行や苦行も意味を持ってくる。このマントラには更に意味が隠されていて、“行きたる”“向こう岸に行った、行き着いた”をイナンナの奔放な性的側面から解釈するならば、“性的に愉悦(ゆえつ)を得た女性、女神”ということでもある。“聖なる結婚の儀式”の大元であるイナンナに相応しい。つまり、オーガズムを感じた女神ということである。
 聖婚では、イナンナの相手のほとんどは、朝には死んでいた。よってイナンナを歓ばせるためには、肉体的・精神的に鍛え上げなければならない。シヴァのシンボルはリンガ(男性器)である。つまり般若心経はこういった性的な意味も含まれている。


ヤントラ---------------------------------------------