6章 縄文文明と環太平洋文明 : 地球人のルーツ

■紀元前1万400年頃
 
津保化族(ツボケゾク)-------------------------------------------------------------------------------------

 阿曽辺族(あそべぞく)が東日流(つがる)に渡来、住み着いてから数万年が過ぎ、津保化族(ツボケゾク)という種族が東の南米より太平洋を渡って来た。この一族が渡来して来た時代は、地球の温暖化によって海面が上昇、日本列島の大部分が大陸から分離していた。

 津保化族(ツボケゾク) が渡って来たのには理由があった。それは一族の間で、祖先が西方に渡って住み着いた国があるとの言い伝えが残っており、それがもとだった。
 ある時、その国を見届けようとする者が現れ、一族に呼びかけたところ、数十人の者がそれに応じた。その集団は島のような大きな筏(いかだ)を組み、馬も二十三頭積み、氷の張った海へ旅に出た。そして海に漂うこと85日が経過したが、全員が飢えることなく、また死者も出ず、無事漂着したところが東日流(つがる)のヌカンヌップ、またの名を都母(青森県上北郡方面)というところで、その地名からとって津保化族(ツボケゾク)と呼ばれるようになった。

 津保化族(ツボケゾク)の先祖は、氷の溶けなくなった国より移って来た阿曽辺族(あそべぞく)と同族であるが、阿曽辺族(あそべぞく)と違うところは、郷土へ帰ることを最終目的として探検の旅に出、その途中で立ち寄ったことだった。
 ところが東日流(つがる)へ立ち寄ってみると、山には獲物の幸が、海には魚貝の幸が無尽蔵にあるのをみて、郷土に帰ることをあきらめて、この地に定住することを決めたのだった。
 一族は渡り族といって居住に定まりがなく、人数が揃うと日高見国羽前(ひたかみのくにうぜん:宮城県)へ住み着き、狩猟をし、一族の人数が増えると居住する場所を移し、奥州(おうしゅう:岩手県の内陸南部)のいたるところへ行って、先住民の領地へ居住し、目的を達するとまた別の地へ移動するという習性があった。

 この移動についていけない者、主に老人はその地に残され、若者だけが新天地を求めて移って行った。その地に残された者は、そこで死に至るのを待たなければならないという親族無情の習性があった。
 しかし、世が移るにつれて渡り者は、幸が豊富な無人地をみつけると迎えに来る心情に変わっていった。
 この一族は何故か、どんなに飢えることがあっても馬だけは殺さなかった。それは一族の掟で、馬は狩や戦いに使う神としてあがめていたからだった。そして津保化族(ツボケゾク)は、祖国の平野を駆ける血筋の馬と犬は、男女のまぐわいの神の使者であるとし、大切に飼うのが当然のことと思っていた。後の東日流(つがる)に野生の馬が駆けていたのは、この一族の名残りである。

 もともと津保化族(ツボケゾク)は戦闘的な性格だった。東日流(つがる)に移住して来た時、狩猟して移動せず、おとなしい暮らしを続ける阿曽辺族(あそべぞく)の性格は知っていたが、戦を仕掛けなかったのは、一族の勢力が戦のできる域まで達していなかったからだった。しかし年月を経るとともに、津保化族(ツボケゾク)の人数は確実に増えていった。

 ある時、阿曽辺族(あそべぞく)が西浜に大勢の支那国人が漂着して居住しようとしているのを見ても、防御の戦を仕掛けることもなく、自らその領域を護るための争いをしない一族と知るや、津保化族(ツボケゾク)は、諸々に散らばっている同族に、阿曽辺族を襲うことを通達して数を集め、一挙に領地へ侵入し、集落に火をかけ、女を犯し、老人を殺して獲物を奪った。

 阿曽辺族(あそべぞく)は突然のことであり、応戦する備えもなく、津保化族(ツボケゾク)のなすがままとなり、東日流(つがる)は津保化族(ツボケゾク)によって占領されてしまった。
 阿曽辺族(あそべぞく)の生き残った者はいたし方なく青森県の阿闍羅山(あじゃらやま)に脱した。
 領地を奪った津保化族(ツボケゾク)は、東日流(つがる)全域に館を築いて居住し、阿曽辺族(あそべぞく)と領界を定めたが、その領域争奪の争いは続き、一族間で流血の絶えることがなかった。
 阿闍羅山(あじゃらやま)に脱した阿曽辺族(あそべぞく)だったが、津保化族(ツボケゾク)の権力化におさえられ、長い間、その使奴(つかいやっこ)となる時代が続く。

 しかし阿曽辺族(あそべぞく)としても、いつまでも黙しているわけにはいかなかった。阿曽辺族(あそべぞく)系の中に加無礼という族長がいたが、彼が阿闍羅山(あじゃらやま)に逃れていた一族を結集して挙兵、自分達の土地の奪回に津保化族(ツボケゾク)の集落に攻め入った。
 もとより飢えれば野生の馬でも狩るという一族だったので、この作戦は成功した。そしてひそかに迫って射る矢には毒が塗られており、津保化族(ツボケゾク)の中にはこの矢に当たって死亡する者が増え、また飢えにも窮するようになった。
 さすがの津保化族(ツボケゾク)もこれにおじけづき、しばらくの間応戦を避けたが、いつまでもこの状態を放置するわけにはいかず、津保化族(ツボケゾク)の中の阿佐津貴という族長が一族を結集し、阿曽辺族(あそべぞく)と交戦したが敗れた。敗れた原因は、あてにしていた中山からの援軍が来なかったからだった。こうして阿闍羅山(あじゃらやま)一帯の領土は阿曽辺族(あそべぞく)のもとに戻った。

 敗れた津保化族(ツボケゾク)の長・阿佐津貴は軍策を練り、再び一族を総挙して阿曽辺族(あそべぞく)の陣を遠巻きにして風向きをはかり、山に火を放つと、火は折からの風によって阿曽辺族(あそべぞく)の陣に燃え移った。阿曽辺族(あそべぞく)は風上に向かって逃れようとしたが、そこには津保化族(ツボケゾク)が待ち構えていてこれを討った。ここで阿曽辺族(あそべぞく)の半数が殉じた。

 生き残った阿曽辺族(あそべぞく)は、一族の酋長(しゅうちょう)の居住地の阿曽辺盛(あそべのもり:岩木山=いわきさん)に引き揚げた。阿曽辺族(あそべぞく)は山で生活し、津保化族(ツボケゾク)は海辺で生活していたが、この両族は常に暮らしの財を求めたので交流することなく、互いに領域を侵しての争いを続けた。

東日流外三郡誌

ニュージーランドのワイタハ族---------------------------------------------------------------------------

 南米のカ・インの子孫が広がったニュージーランドのワイタハ族は、ポリネシア人の一派をなすマオリ族が入ってくる以前から存在する環太平洋文明の部族である。今では後から入ってきたマオリ族と生活を共にし、同じ伝統を受け継いでいる。ワイタハ族は女性が中心の母系社会である。マリオ族は、それぞれの集落や身分によって異なる身体装飾としての刺青(いれずみ)を顔面や全身に施す。この刺青の文化は、琉球やアイヌなどにも見られる。




ツラン文明から縄文時代の富士王朝の始まり----------------------------------------------------------

 大洪水の後、半神半人ジウスドラ(ノア)などの生き延びた一団の一部は、アララト山から中央アジアのツラン平原に辿り着く。そしてそこから東北にある天山(テンシャン)山脈の西南麓に王都を築いた。しかし時が経ち、その土地が王都としてふさわしくなくなったので、日本列島の富士山麓へ遷都を決意し、一団は海を、一団は陸を東進して日本列島に渡来することになる。そして中央アジアのツラン平原からツラン文明がユーラシア大陸各地に、農業とともに宇宙観、世界観、そしてそれにもとづく学術と道徳、人道の秩序の体系が伝播されていく。この一団には、祭司王やシャーマンなどがいた。このツラン文明は、大洪水前から人々が存在していた文明ではあった。
 ジウスドラ(ノア)の子孫はやがてエンリルに指名され、メソポタミアで地球を統治する王(天皇)となるが、この大洪水の後に日本へやってきたのか、それともメソポタミアへ行ったのかは現在のところ不明。

 中央アジアの高原地帯にいた一団が東に向かい、日本列島に到着して、ここに文明を立てた。このツラン(天の子)民族がツラン平原から北回りで日本に移住して、縄文文明と混じり合った。そしてツラン平原から南下した仲間達が、インダス川やメソポタミアにシュメール住み着いていった。またその道中で分かれた集団が、後にアヌンナキと共に中国の黄河文明や長江文明を築いていく。


 縄文人は、荘厳(そうごん)なる宮殿をつくらず、美麗なる礼服で飾らず、外観の浮華を自慢しなかった。日本民族にとって歩むべき道とは、人間の営み(人工)が、自然を破壊してはならない、自然と調和し、人工がむしろ自然をより豊かに、より美しく繁栄させるものでなくてはならない。そのような方向に人間が進んでいく時、それを「道」と名づけるのである。人間の営為(人工)が、このように積み重ねられてゆくありさまを、「文明」と賞賛するのである。これこそ、ツラン文明→縄文日本人→日本民族、と受け継がれた根本概念である。こうしてツラン文明を正統に継承したのは縄文文明であった。

 2度目の大洪水の後、ツラン民族によるツラン文明の原型は成立しており、後のシュメール文明はこのツラン文明の南下した一分派である。「ツラン」とはシュメール語で「天の子、天の保持者、天の帯」を意味し、ツラン民族とはツラン平原で発祥し、ウラル・アルタイ語族に属し、北方アジア民族とも呼ばれ、言語はウラル・アルタイ系の膠着語(こうちゃくご:立語の中国語、屈折語のインド・ゲルマン語と文法が根本的に違う)を語り、ツランから発してユーラシア大陸全域に棲みついた民族で、北ツラン族と南ツラン族に分け、北ツラン族をウラル・アルタイ語族と称した。

北ツラン族 : ツングース、モンゴル、トルコ・タタール、フィン・ウゴール、サモエード
南ツラン族 : タマル(タミール語族)、ボオチア(チベット・ブータン語族)、タイ(シャム)、マライ

 縄文の日本で富士王朝を建国したのは、天山(テンシャン)山脈西南麓に王都を築いた大洪水の生き残りの人々であった。日本列島の富士山麓へ遷都を決意した彼らの話はこうである。なお、ここでは和名を用いているが、すべてアヌンナキの血を濃く受け継ぐ子孫達である。

 天地開闢(てんちかいびゃく=大洪水の後)のとき、天之峰火雄神(あめのほほおのかみ=ノア)が生まれた。この神の王朝は7代30万日(約820年)を経て、天の世と呼ばれた。次に天之御中主(あめのみなかぬし=アヌ王)神から15代67万5000日(約1850年)続いた王朝は、天之御中世(あめのみなかよ)と称された。その最後の神皇が高皇産霊神(たかみむすびのかみ=エンキ)で、国土が八方に広がったため、七人の皇子をそれぞれの地方に派遣することにした。第一皇子・有能氏は大陸の大中原にとどまり大アジア州の皇帝となり、第二皇子・朝天氏は大陸の東部を、第三皇子・南陽氏は大陸の南部を、第四皇子・清賢氏は大陸の西部を、第五皇子・農立氏(イナンナ)は東海の島を、第六皇子・農永氏は大陸の北部を、そして末子の第七皇子・農佐氏は父のもとにとどまった。
 ところが、派遣された皇子のうち第五皇子の農立氏(イナンナ)だけは、「日の本なる海原に世に二つなき蓬莱山(ほうらいさん:富士山)のある蓬萊国(ほうらいこく:日本)」に行ったまま、1万7500日(約48年)経っても帰ってこなかった。高皇産霊神(たかみむすびのかみ=エンキ)は「連絡がないのは、その土地が連絡することを忘れるほど素晴らしいからに違いない」と考え、第七皇子・農佐氏を指揮官に任じ、神后ともども3500余神を率いて、住み慣れた王都を捨て、蓬萊国(ほうらいこく:日本)に遷都することにした。
 高皇産霊神(たかみむすびのかみ=エンキ)の一行は、天山(テンシャン)山脈の麓を出発して、現在のシルクロードを陸路東進、朝鮮半島から日本の能登半島に上陸した。その後、瀬戸内海沿岸を経て、渥美(あつみ)半島に達すると、東に富士山が見えたので、再び船に乗って海路東進し、田子の浦に再上陸。富士山の麓に王朝を築いた。


 一方、先に蓬萊国(ほうらいこく:日本)を目指していた第五皇子・農立氏(のちの国常立尊”くにとこたちのみこと”=イナンナ)は、天山(テンシャン)山脈を出た後、南に向かいインドから南岸沿いに東進、海人と交流しながら島々を這うようにして海路沖縄にたどり着いた。そこから日本列島に渡り、瀬戸内海の淡路島にとどまり、蓬莱山(ほうらいさん:富士山)の所在を求めていた。そこへ父皇(エンキ)と弟たちが自分の後を追って日本列島へ渡ってきたことを知り、富士山の麓で弟と再会した。
 兄弟はともに協力して新しい国作りを誓い合った。そして最初に天降った兄の農立氏(イナンナ)は国常立尊(くにとこたちのみこと=イナンナ)と名前を改め、「高天ヶ原の世」の第一代神皇に即位するとともに、「東西分治の制」を定めて西を統治することにした。日本の本来の最高神はスサノオことイナンナである。弟の農佐氏は、国狭槌尊(くにさつちのみこと)と名前を改めて第二代神皇となり、富士山麓を拠点にして「高天ヶ原」を治めた。

 イナンナは日本の第一代神皇に即位し、つまり日本を統治する王となったが、イナンナと王権の象徴であるアヌンナキの王冠を表した縄文土偶が富士山周辺から出土している。この王冠は後の時代にも見られ、地球司令官エンリルがメソポタミアを一人の人間に統治させようと決めた時にサルゴン1世に与えた王権や、ゾロアスター教の最高神アフラマズダ(エンリル)がサーサーン朝ペルシア帝国の初代君主アルダシール1世とされる人物に渡した王権と笏(しゃく)のレリーフにも見る事ができる。
 この王冠は現代にも続き、天皇が皇位を継承したことを内外に示す即位の礼でも見る事ができる。平安時代までの纓(えい)は、左右の肩に垂れ下げるなど二枚だったが、平安末期からは、二枚を留めて一枚のようにして用いるようになった。


 最後の世界的洪水の後、最初に文明が開け、その文明を世界に広げたのが日本である。神の道とは、すなわち自然と調和して生きる術であり、自然の力を利用する術である。世界に派遣された日本の皇子たちは、自分達の都を「すがすがしい」という意味を込めてスガ、あるいはスカと名付けた。つまりスカ、スガに接頭語のアやナを付けて、アスカ(飛鳥)やナスカなどの地名になった。
 このスガという地名の由来については古事記の出雲神話にも記されている。スサノオがヤマタノオロチを退治した後、クシナダヒメとの新居の宮を造る土地を出雲の国に捜したとき、現在の島根県大原郡大東町(現在は雲南市に合併編入)須賀に気分がすがすがしくなる土地を見つけ、そこに新居の宮を造ったので須賀と呼ばれるようになったとしている。

 奈良県の明日香村には、爬虫類人の姿をしたアヌンナキの像が見られる。後のメソポタミアのシュメールでも、よく似た爬虫類の姿に変身したイナンナ像が発見されている。明日香村はアヌンナキの街である。

ツラン文明圏 / 今岡十一郎
世界各地の女神崇拝とイナンナの土偶------------------------------------------------------------------

 イナンナは世界中を飛び回って豊穣の女神として崇められた。それと共に広がったのが“聖なる結婚”であった。しかし後に、マルドゥクの改竄によって“神への人間の犠牲”を行うところも出てきてしまうことになる。
 この頃から世界中でイナンナの女神像が作られる。イナンナ像の姿は場所によって変わっているが、その理由は彼らは姿を変えられる能力があるからで、爬虫類人(レプティリアン)とも呼ばれる。世界各地で出土する像の多くは、女神像と言われることが多い。イナンナ像には共通点があり、地域によって共通する部分が異なっている。それは次のようなものである。

●肩幅が広い。
●脇の下に空洞がある。
●胸が出ている。もしくは胸を触っている。
●おへそが目立つ。
●三角形の下着を着ている。
●下半身が太い。特にお尻回りが太い。
●ポーズがよく似ている。
●黄金比の渦模様がある。渦模様はイナンナのシンボル。
●稀に赤子を抱いている。
●座っていることもある。
●服装が宇宙服に見えることもある。

  イナンナ像の出土場所を見ると、世界中にイナンナが現れていたことがわかる。また、出土場所によっては巨石建造物もある。


etc.

日本のドルメンとピラミッド-----------------------------------------------------------------------------

 日本にはイナンナを表した多産のシンボルとされるヴィーナス像や、無数の巨石文化が存在している。奈良県の石舞台古墳もその一つだが、これらの巨石建造物の多くには多角形の石積みや隙間なく密着した巨石が共通しており、この富士王朝時代のアヌンナキによって作られた。巨石建造物の数を見れば、縄文時代の日本はアヌンナキの国であったことがわかる。




 こういった巨石で紀元前900年頃のイギリスでは、悪魔崇拝を行うドルイド僧が儀式を行った。儀式の祭壇は石舞台と呼ばれるドルメンで、二つの石の上に横長の石をのせる形だった。同じ形のドルメンは世界各地に存在し、ドルメンで悪魔(アヌンナキ)への生贄を捧げた。

 またアヌンナキによって、日本全国にピラミッドも建設されていった。








 アララト山のノアの箱船のツラン民族がツラン平原から広がっていった後、紀元前9000年~前7000年前までの間に、

1.中国大陸の全域に拡散して漢族、苗族(ミャオぞく)となり
2.日本列島にも到達して縄文人と混血し
3.タイに入って東北部のパンチェン文化人となり
4.インド西北部から西部に入ってインダス人となり
5.メソポタミアに入ってシュメール人となり、
6.中央アジア、西方アジア、西方ヨーロッパ方面に向かって各種のウラル・アルタイ系、ツラン系の民族になる。

ツラン文明圏 / 今岡十一郎

ニンギシュジッダが作った世界の巨石建造物の共通点----------------------------------------------

 ここからは、大洪水後に世界中で作られていくアヌンナキの巨石建造物を見ていく。巨石建造物には共通点があり、多くの場合、巨石を多角形の形状に正確に切り出し、指も入らないほどに隙間なく積み重ねている。ただ四角い石を切り出すのではなく、10角形以上のものも存在し、上下の面にも凹凸をつけ切り出して積み重ねることで、どんな方向にもずれないようになっている。またイタリアやマヤ文明の巨石建造物がある場所から、イナンナの女神像も出土している。このことから、巨石建造物はアヌンナキが作ったと見ることができる。さらに、後述しているが後の時代、マルドゥクの氾濫に対抗するために、ニンギシュジッダと彼を手伝ったニヌルタとイシュクルが世界中に現れて、巨石建造物を築いていったとある。つまり、これらの巨石建造物を主導して作っていったのは、ニンギシュジッダと考えられる。
 日本の大阪城などの場合、後に人間が作った石積みも見られ、その場合は、石の大きさも小さく、形も不揃いで、隙間も多い。大阪城は石山本願寺の跡地に1583年(天正11年)、羽柴秀吉が築城を開始した。顕誓(けんせき)が1568年に書いた史料によると、その時すでに、そのまま礎石(そせき)に使える大きな石が土中に多数揃っていたという不思議な状況があった。そしてそれに因んで、石山と呼称したようになったのであろうとしている。つまり石山本願寺建設前には、すでにアヌンナキによる巨石がそこにあった。



メキシコとグアテマラのマヤ文明もアヌンナキの都市----------------------------------------------

 マヤ文明の遺跡チチェン・イッツァにある建造物には、アヌンナキの共通点が存在する。ボールコートと戦士の神殿には多角形の石積みと2匹ずつ飾られた蛇の頭像が、ククルカンの神殿にも2匹の蛇の頭像がある。
 2匹の蛇はアヌンナキのニンギシュジッダの象徴であり、その由来は、ホモ・エレクトス(直立人間)とアヌンナキの異種間交配によって人間を作り出そうとした時、ホモ・エレクトスのDNAは2匹の蛇が絡み合っているようで、アヌンナキのものと酷似していたのを発見したのがニンギシュジッダであり、2匹の蛇が彼のシンボルとなった。ククルカンとはケツァルコアトルと同一で、「羽毛もつ蛇」という意味で「龍(りゅう)」でもある。また、人に文明を授けたと伝えられる。

 マヤ文明からは、イナンナを表す女神像が出土している。つまり、多角形の石積みがある場所とアヌンナキがつながる証拠である。


イースター島のモアイもアヌンナキのニンギシュジッダ作------------------------------------------

 モアイで有名なイースター島にも、世界各地の巨石建造物と共通した石積みがある。つまりモアイを作ったのも、巨石を動かしデザインするテクノロジーを持ったアヌンナキとなる。


 そして地中にはモアイの胴体が埋もれていた。各地の巨石と同じく、100トン近い石を動かしたのは、人間の筋肉ではない。


イタリアのサルデーニャ島のアヌンナキ----------------------------------------------------------------

 地中海で2番目に大きいサルデーニャ島(イタリア)では、紀元前1,000年代にヌラーゲ文明が栄えた。そこではここまででてきたアヌンナキの文化が多く見られる。イナンナを表す胸の出た土偶、ニンギシュジッダが持つ巨石を精巧にカットする技術が使われたサンタ・クリスティーナの神聖なる井戸と、Fonte Sacra Su Tempiesu(日本語名不明)の多角形の石積みの井戸、そしてピラミッドやメソポタミアのアヌンナキのジッグラトに似たモンテ・ダッコッディの聖塔「ジッグラト」、そしてサルデーニャ島の先住民だったという巨人伝説とカブラスより出土した石像巨人である。ヌラーゲ文明が生まれる前に、アヌンナキはサルデーニャ島で巨石文化を作り出していた。


地中海のマルタの巨石神殿群-----------------------------------------------------------------------------

 イタリアの南の地中海には、マルタ島とゴゾ島が並んで浮かんでいる。ゴゾ島のジュガンティーヤの2つの神殿は、新石器時代(紀元前3600年から2500年ごろ)に建設されたものである。ゴゾ島の伝承によれば、巨人がこれらの神殿を建て、礼拝所として使ったという伝承が残っている。この巨人とは当然アヌンナキである。
 この2つの島にはハジャール・イム神殿、イムナイドラ神殿、ムナイドラ神殿、タルシーン神殿、ジュガンティーヤ神殿があり、すべてに多角形の石積みが見られる。またイナンナを表したヴィーナス像も出土している。


ポルトガルの聖母ラッパの石窟礼拝堂の多角形の石積み--------------------------------------------

 ポルトガルには巨石が乗った教会があり、そこや他のキリスト教の聖母ラッパの石窟礼拝堂にも多角形の石積みが見られ、十字架が彫られている事から、アヌンナキがキリスト教の建物を建てたということである。


アルメニア共和国のゲガルド修道院を作ったのもアヌンナキ--------------------------------------

 ギガルド修道院は、301年に歴史上初めてキリスト教を国教と定めたアルメニアでも古い歴史を持つ修道院で、初期キリスト教時代にはすでに開設されていたと伝えられている。洞窟修道院とも呼ばれ、院域のいくつかは岩盤を掘って造られた洞窟となっている。僧院は中央聖堂北側に接する岩盤を掘って造られ、十字架を彫った石盤がいたるところに設置されている。このゲガルド修道院にもたくさんの多角形の石積みが存在し、アヌンナキが作ったということがわかる。

 またゲガルド修道院の入口の門のアーチ(輪石)は、奈良県のキトラ古墳の石室の石組みと同じである。キトラ古墳もアヌンナキが作ったもの。

 さらに十字架もたくさん彫られている。つまりアヌンナキはキリスト教とも関係していて、結論的にはアヌンナキがキリスト教も作ったということ。

 またフラワーオブライフの彫り込みもアヌンナキが行った。
 

南米ペルーのオリャンタイタンボ遺跡------------------------------------------------------------------

 ペルーのオリャンタイタンボ遺跡も多角形の石積みがある。この遺跡は1536年のインカ帝国の砦としても使用された。


スリランカのポロンナルワの遺跡群---------------------------------------------------------------------

 ポロンナルワはスリランカ北中部州にある中世の古都で、1017年から1255年までスリランカの首都であった。ここにもアヌンナキの多角形の石積みの遺跡が数多くある。ここに彫られている巨大な仏陀の石像も、アヌンナキのテクノロジーによって彫られたのである。

 僧の坊主頭は、半神半人のアダパが、身分が上のニビル王アヌに会うために剃ったことに由来する。このブッダの像もアヌンナキのテクノロジーによるもので、彼らはキリスト教だけでなく、仏教も作り出した。


東南アジア、西ジャワ州、グヌン・パダン遺跡のアヌンナキ---------------------------------------

 ここからは東南アジアに建設された巨石建造物を見ていく。
 西ジャワ州のグヌン・パダン遺跡は、ヒンドゥー教や仏教が伝来するはるか以前に存在した。ここでの石積みも、アヌンナキのニンギシュジッダが作った各国の巨石建造物と共通している。
 またこの遺跡から少し東のガルトには、ピラミッドが存在する。グーグルマップは(7°10'45.36"S 108° 2'37.58"E)。調査団の検証により、このピラミッドは人工的に作られたことが明らかになっている。ただ少なくとも紀元前7500年以前のものとされている。


東南アジア、ジャワ島、ボロブドゥル寺院-------------------------------------------------------------

 ボロブドゥル寺院は、インドネシアのジャワ島中部のケドゥ盆地に所在する大規模な仏教遺跡である。この建造物もアヌンナキによるものだが、釈迦如来の像があることから、少なくとも紀元前500年以降に建てられた物と推測される。
 5kmにわたる回廊の壁には釈迦の生涯を描いたレリーフが続くが、この石積みも世界各国の巨石建造物に見られる多角形が含まれ、細かく見れば少し曲線にカットされた部分もあり、それは隙間なく積まれている。この石積みに彫られているレリーフも当然、アヌンナキのテクノロギーによって彫られたものである。


東南アジア、カンボジアのプレアヴィヒア寺院--------------------------------------------------------

 プレアヴィヒア寺院(Preah Vihear Temple)は、カンボジアとタイ王国国境にあるダンレク山地内のカンボジア王国領内(プレアヴィヒア州)に位置するヒンドゥー教寺院である。ここにも同じく世界の巨石建造物と共通のアヌンナキの石積みがあり、獅子(ライオン)像も存在する。


東南アジア、カンボジアのアンコール・ワット-------------------------------------------------------

 カンボジア北西部に位置するアンコール・ワットにも、多角形の石積みや獅子(ライオン)像が存在する。
 アンコール・ワットは真東に対して0.75度ずれている。地球の最左運動で0.75度移動するには54年の年月が必要だが、54という数字はアンコールのいたるところででてくる。このずれがアンコール・ワットに春分の三日前だという注意を与えた。昼と夜が同じ長さになる分点の時に昇る太陽が、中央棟と一直線に並ぶ。


東南アジアのベトナムの象牙の塔------------------------------------------------------------------------

 ベトナム中部沿海地方に存在したオーストロネシア語族を中心とするチャンパ王国(192年-1832年)にも、多角形の石積みがある象牙の塔(Dương Longの塔)がある。
 アヌンナキが関係するこのベトナムの象牙の塔やアンコール・ワットに、インド神話のガルダを前身とするガルーダ像が彫刻されていることからも、ガルーダ神はアヌンナキ由来の文化である。奈良県興福寺(こうふくじ)の迦楼羅像(かるらぞう)も同じくアヌンナキ由来の文化である。


東南アジアのラオスのジャール平原---------------------------------------------------------------------

 ラオス中部のジャール平原では、巨大な石壺が400個以上確認されている。これは多角形の石積みではないが、ラオスの伝説では、このエリアにかつて巨人の種族がいたとしている。巨石と巨人伝説、そして東南アジアに広がるアヌンナキの巨石建造物。これらの共通点から見て、ラオスの石壺もアヌンナキのテクノロジーによって生み出されたものと考えることができる。


東南アジアのタイのパノムルン歴史公園----------------------------------------------------------------

 タイのパノムルン歴史公園にも、多角形の石積みがある。


熊本県のピラミッド、トンカラリン---------------------------------------------------------------------

 日本にも数多くの多角形の石積み、ピラミッド、そしてエンキを表す亀石が見られる。日本の巨石建造物は主に、ノアの大洪水後の紀元前9000年頃から始まった日本の富士王朝時代に作られた。富士王朝はエンキとイナンナが主となり、特にイナンナが日本の最高神であった。
 日本の石積みは他にも綺麗な多角形ではないが、カミソリの刃一枚も通さないほど隙間なく密着した石積みも見られる。
 熊本県菊水町に、「トンカラリン」と呼ばれる古代の遺跡がある。地上ではなく地中に延々460mに渡ってつなげたトンネル型の遺構である。エジプトのピラミッドの大回廊8mとトンカラリンの高さも同じなど共通点もいくつかあり、石積みもエジプトの遺跡と同じものである。
 
 トンカラリンの周辺からは、変形頭蓋骨が出土している。おでこが平らで、顎(あご)が飛び出している。この形は南米で発掘されたシャーマンの頭蓋骨に見られる特徴で、日本で発見されたのは熊本だけだった。環太平洋文明が広がっていた縄文時代のこの時期、アヌンナキのニヌルタによっていかだ船の作り方を教えられていた南米人は、日本とも交流していた。エクアドルなどから縄文土器が発見されていることが物的証拠である。

 またトンカラリン周辺の前方後円墳の江田船山(えたふなやま)古墳からは、ペガサスの模様がはいった刀も出土し、合計92点もの出土品がある。


金沢城の多角形の石積み-----------------------------------------------------------------------------------

 日本の城にある多角形の石積みの場合、その時代の人間が作ったのではなく、そこにすでに頑丈な石積みがあり、その上に城を作ったということが多い。


大阪城、江戸城の多角形の石積み------------------------------------------------------------------------


 大阪城の石垣の中でも比較的新しい白っぽい石は、形はそのままに現代に入り修復された部分である。

 桜門枡形の蛸石(さくらもん ますがた の たこいし)は大阪城内第1位の巨石で、重量は約130トンと推定されている。これらの巨石の多くが多角形の石積みと、隙間のない組み方で作られている。大阪城や江戸城はもともとアヌンナキが作った石積みがあった場所に、後の人間が城を建てたのである。
 大阪城の巨石ランキングは次のようになっている。

1 約130トン 桜門枡形の蛸石
2 約120トン 京橋門枡形の肥後石
3 約120トン 桜門枡形の振袖石
4 約108トン 大手門枡形の大手見付石
5 約85トン 大手門枡形の大手二番石
6 約82トン 桜門枡形の碁盤石
7 約81トン 京橋門枡形の京橋口二番石
8 約80トン 大手門枡形の大手三番石
9 約60トン 桜門枡形の桜門四番石
10 約52トン 桜門枡形の竜石
11 約40トン 桜門枡形の虎石

 これだけの重量の巨石を運ぶと、現代では次のような輸送車が必要となる。


沖縄県の勝連城の多角形の石積み------------------------------------------------------------------------

 沖縄県の勝連城(かつれんじょう)は1200〜1400年の間に茂知附按司(もちづきあじ)により築城されたとされている。しかし金沢城、大阪城、江戸城と同じく、それより過去にアヌンナキによって作られた多角形の石積みの土台の上に築城したという方が正確である。





奈良県明日香村はアヌンナキの街------------------------------------------------------------------------


 この明日香村にある石舞台古墳にも、多角形の部分が見られる。この形の作りはドルメンと呼ばれ、中で生贄がアヌンナキへ捧げられた。

 明日香村にある岩屋山古墳にも同様の多角形の石積みが見られ、全体的にここの石積みにも隙間がない。これもドルメンである。

 カッバーラで使用される図象の一つである生命の樹を元に作られた酒船石。この石は地図として著名な地名を酒船石の丸の中に当てはめても、ピッタリと重なることがある。カッバーラはアヌンナキであるニンギシュジッダが創始者であり、多角形の石積みもニンギシュジッダによるものである。カッバーラは「神から伝授された知恵」や「思想体系」というようなものであり、ユダヤ教、仏教における密教など、各宗教にもその考え方は見られる。

 また明日香村には、爬虫類人の姿をした像が見られる。メソポタミアのシュメールでも、よく似た爬虫類の姿に変身したイナンナ像が発見されている。

 メソポタミアで発見された像と同じような手を組んで座る像も、明日香村より見つかっている。

 明日香村には亀石が存在するが、それはアヌンナキのエンキのシンボルである。

 明日香村にあるキトラ古墳と高松塚古墳もまた多角形の石積みで作られたアヌンナキの建造物で、ドルメンである。



 この二つの石室内に描かれた中国の神話の四神、玄武(げんぶ)・青龍(せいりゅう)・朱雀(すざく)・白虎(びゃっこ)は、アヌンナキに対応する。玄武の亀と蛇はエンキのシンボルである。


 マヤ文明での羽を持つ蛇のククルカンがニンギシュジッダであるように、青龍もまた羽を持つ蛇であることからニンギシュジッダとなる。


 朱雀は鳳凰(ほうおう)、不死鳥、フェニックスとも同一視される。朱雀の朱は赤であり、フェニックスという言葉は“紫”の意味も持つが、赤紫色やフェニックスはイナンナを意味する。つまり朱雀はイナンナを表す。


 エンキ、ニンギシュジッダ、イナンナという流れの次は、エンリルが白虎と推測できるが、これに関しては現状、確実なことは言えない。エジプトのスフィンクスや日本の狛犬(こまいぬ)がライオンや獅子で、エンリルや彼の一族エンリルテの象徴であるが、白虎は虎である。




埼玉県の八幡山古墳の多角形の石積み------------------------------------------------------------------

 この古墳の石室にも、多角形の石積みがある。



岐阜県の岩村城の多角形の石積み------------------------------------------------------------------------

 岩村城の石垣にも、アヌンナキのテクノロジーによって作られた多角形の石積みが見られる。築城年は1221年だが、ここも石垣が元からあった上に、後の人間が城を建てた。ジッグラトやピラミッド型の巨石の場合、その頂上にアヌンナキが宇宙船で着陸した。


佐賀県の巨石パークとバールベックの巨石-------------------------------------------------------------

 佐賀県の巨石パークにも綺麗な形とは言えないが、多角形の石積みがあり、またそこには巨石が数多く存在する。その中の巨石は、隙間なく積まれている。

 中東レバノンの東部のバールベックには、この巨石パークの御座石とよく似た「バールベックの巨石」が横たわっている。重さは最大2000トンと見積もられている。これもアヌンナキのテクノロジーである。


レバノンのバールベックの神殿跡の多角形の石積み--------------------------------------------------

 2000トンもあるバールベックの巨石もアヌンナキによって作られたが、同じくレバノンの東部にあるバールベックの神殿跡も、アヌンナキの科学技術によって作られた。ここにはジュピター神殿・バッカス神殿があり、その両方に多角形の石積みが見られる。また柱などに見られる細かく作り込んだ装飾も、アヌンナキの芸術である。
 バールベックの祭神はジュピター・ビーナス・バッカスで、それはアヌンナキのエンリル、イナンナ、エンキに当たる。




ロシアのショリア山の巨石群-----------------------------------------------------------------------------

 大阪城やレバノンのバールベックなどにも巨石は存在するが、ロシアのほぼ中央、南シベリアのケメロフ地方のショリア山近く、海抜1000mの地点にも巨石群が存在する。壁の高さは40メートルあり、200メートルの長さに伸びている。石のいくつかは20メートルの長さで5~7メートルの高さがある。全ての石の重量は1000トン以上ある。ここでも隙間なく密着した石積みや、形はやや崩れているが多角形の石積みが見られる。
 ここに現存する痕跡によると、これらの建造物は超強力な爆発物によって破壊された痕跡があり、遺跡の一番古い部分は1000年も経過していない。可能性としては、紀元前2024年頃に起きるアヌンナキ同士によるメソポタミアなどでの核戦争で破壊された可能性がある。


屋久島にもアヌンナキの巨石が存在する---------------------------------------------------------------

 屋久島の巨石は、石垣のように綺麗な多角形ではないが、それでも巨大な岩をレーザーでカットしたかのように切り、隣の岩と隙間なく密着させている。また巨石の多くが山頂にある。


茨城県の竪破山の巨石-------------------------------------------------------------------------------------

 竪破山にある巨石は隙間なく密着している。また太刀割石の大きさは7m×6m、周囲約20mで、レーザーで切られたようになっている。


オーストラリアのデヴィルズ・マーブルズの巨石-----------------------------------------------------

 オーストラリアのデヴィルズ・マーブルズには茨城県の竪破山と同じレーザーで切られたような巨石がある。他にも隙間なく密着した巨石群や、絶妙なバランスで立つ石球も存在する。これらの共通点から、オーストラリアでもアヌンナキが活動していたことがわかる。

ニュージーランドのカイマナワ森林公園の巨石-------------------------------------------------------

  ニュージーランドのカイマナワ森林公園の木の下にも、隙間なく密着したアヌンナキの巨石が存在する。



宮島・弥山の巨石とアヌンナキ--------------------------------------------------------------------------

 宮島・弥山にも巨石群が数多く残っている。なかには1500トン前後と見積もられる巨石もあり、幾つかが隙間なく密着した共通点を持っている。



沖ノ島の巨石-------------------------------------------------------------------------------------------------

 九州本土から約60キロ離れた玄界灘の真っ只中に浮かぶ周囲4キロの沖ノ島の沖ノ島神社の背後には、高さ20mを超える巨石がある。これは絶妙のバランスをとっているが、イギリスのストーンヘンジのような石の積み方である。
 この島には掟があり、立入、口外、持出、女人、肉食、漁獲、暴言、焚火となっている。


イギリスのストーンヘンジ---------------------------------------------------------------------------------

 イギリスのストーンヘンジにも多角形の石積みと隙間のない石積みが見られる。つまりアヌンナキが作ったということ。


ストーンヘンジの建設--------------------------------------------------------------------------------------

 そしてイギリスのエイヴベリー、ソールズベリー、アヴァロンにストーンヘンジが建設される。ストーンヘンジは太陽崇拝、暦の移り変わりや変革のパワーにおける強力なエネルギーセンターである。ストーンは夏至点の最初の光線を受け取れるように位置が決められていた。これらは儀式を行う場所であった。
 イギリスにおいてはサーウィンの夜に、ドルイドが巨石のストーンサークルに集まる。イギリスのストーンヘンジはその代表例であり、3つの役割がある。第1に神殿、第2に天文台、第3が人身御供(ひとみごくう)の場だった。考古学者はすでにストーンヘンジの地中から4000人以上の人骨を発見している。
 それぞれのストーンには歌または波動により歴史が記録されている。ストーンヘンジ、ニューグランジェ、エイヴベリー、自然に存在するグラストンベリーのトールの丘やエイヴベリーの裏にあるシルベリーの丘はどれも銀河のエネルギーを大地に固定(アンカリング)するために創造されたものであり、これらはすべて、レイライン上に位置している。
 イギリスのセント・マイケル・レイラインには、多くの教会や遺跡が一直線上に並んでいる。


ストーンヘンジ、宮大工の祖ニンギシュジッダ-------------------------------------------------------

 ストーンヘンジに限らず、世界中の巨石遺跡やピラミッドはニンギシュジッダが考案し、ニヌルタとイシュクルが建造を手伝った。それは、マルドゥクがラーとしてあらゆる「神々」の上に自分を君臨させ、彼らの力と属性を、勝手に我が物のように語ったが、まだそのような時代ではないことを人々に知らせるために、空の観測の仕方を教える目的でも建造された。
 各「神々」には星座が割り当てられており、エンリルは牡牛座、マルドゥクは牡羊座だったが、マルドゥクが支配権を主張したのは、太陽がまだ牡牛座の位置=エンリルの時代にあることを示していたのである。

 ストーンヘンジ本体は、外側のサーセン・ストーン29個半が月期の日数(29.5日)、内側のブルーストーン19個が太陽年を示している。19太陽年=235月期はメトン周期と呼ばれ、BC432年に特徴的な周期として発見したギリシャの天文学者メトンに因んで名付けられた。19年前と同じ日付に同じ月の相が見られるので、太陽と月の周期を調和させるのに役立った。
 北と南、夏至と冬至、春分・秋分の日の出・日の入り、月の出・月の入りを組み合わせ、象徴的な八芒星が描かれる。この8個の位置が、56個のオーブリー・ホールを取り囲んでいる。オーブリー・ホールは日蝕の予測に使われ、七芒星としてストーンヘンジ本体を取り囲んでいる。構造としては、一見すると石の柱の上に横石が乗っているだけで、地震で崩れてしまいそうである。しかし、木造建築と同じほぞ組の工法が使われており、崩れたりすることは無い。


 つまり、宮大工に代表される釘(くぎ)を使わず木を組み上げる日本の伝統的建築工法の木組みの基礎も、ニンギシュジッダが教えたということである。



柱状の巨石メンヒル-------------------------------------------------------------------------------------------------------------

 ストーンサークルと柱状の巨石のメンヒルは密接な関係だが、代表的なメンヒルはイングランド、フランス、ドイツ、ポルトガル、スカンディナヴィアなどに存在する。

沖縄にある3つのピラミッド------------------------------------------------------------------------------

 沖縄県の北谷(ちゃたん)のピラミッド複合施設は南北600m、東西200mという規模で、ほぼエジプトのサッカラのピラミッド複合施設と同じ規模と構造のものを作った。その複合施設の外壁は、長さ100m、高さ10mである。その北谷(ちゃたん)の海底階段ピラミッドは幅40m、高さ10数mある。沖縄県もアヌンナキの文化と神殿が残る場所である。

 北谷(ちゃたん)のピラミッド複合施設には第2階段ピラミッドもあった。

 また北谷(ちゃたん)のピラミッド複合施設には、長さ20mの2体の蛇(ニンギシュジッダを表している)の石像もある。

 沖縄にも巨人伝説がある。沖縄へ来た背の高い人達が、そのような伝説になった。伝統芸能アマンチュは3mの巨人が五穀の種を人々に授ける物語である。伊江島のタッチューというピラミッドの山頂には巨人の力(ちから)タンナッパの足跡が残っている。この巨人もアヌンナキを指している。

  伊江島にもタッチューというピラミッドがあり、伊是名島(いぜなじま)にも高さ100mのピラミッドがある。

 そして、沖縄のピラミッドとエジプトのピラミッドは同じ並びである。これらはオリオン座とも同じである。

 
オリオン座の配置で並ぶ世界のピラミッド------------------------------------------------------------

 シリウス、プレアデス、アークチュールなどの生命体がニビルへやってきてアヌンナキとなったが、それらの前にオリオン座にいた者もいて、オリオン座とアヌンナキの関係は深いのである。


メキシコのテオティワカンのピラミッド---------------------------------------------------------------

 メキシコのテオティワカン文明には3つの大きなピラミッドがあり、それぞれ月のピラミッド、太陽のピラミッド、ケツァルコアトル神殿と呼ばれている。ケツァルコアトルとは羽のある蛇で、アヌンナキのニンギシュジッダのことであり、中国では四神(ししん)の青龍(せいりゅう)である。この3つのピラミッドは、オリオン座の3つ星やエジプトのギザのピラミッドの配置になっている。さらに、ケツァルコアトル神殿には多角形の石積みがあることから、テオティワカンやエジプトのピラミッドはアヌンナキが作ったということがわかる。また、ケツァルコアトル神殿には渦模様が随所に見られ、それは黄金比の比率の曲線となっている。渦模様は日本の縄文ヴィーナス像にも彫刻されているが、それはイナンナのシンボルである。黄金比の渦模様は、アヌンナキが関係する世界のあらゆる場所に見られる。


中国の西安のピラミッド----------------------------------------------------------------------------------

 中国の西安には大小合わせて少なくとも29個のピラミッドが存在する。その多くは頂上が平らな中南米型のピラミッドである。現地には「火を吹く籠(かご)に乗って地球にやってきた天の子たちが、この地にピラミッドを建造した」という伝説が残っている。つまりアヌンナキが宇宙船でやってきた。

 エジプトのギザのピラミッドと沖縄の伊是名島(いぜなじま)のピラミッドを結んだほぼ線上に、西安のピラミッドは存在する。つまり、宇宙から見て位置決定できるテクノロジーと知識を持った存在(アヌンナキ)が作ったということがわかる。グーグルマップ(34°22'28.75"N 108°41'12.21"E)


スーダンの都市メロエのピラミッド---------------------------------------------------------------------

 紀元前591年ごろ、クシュ王国がメロエに遷都して以降をメロエ王国と呼び、350年ごろ、アビシニア高原(エチオピア高原)に興ったアクスム王国の侵攻を受けて滅亡した。このメロエにも小型のピラミッドが数多く建造され、それらにもアヌンナキの多角形の石積みが見られる。


ニュージーランドのザ・ピラミッド---------------------------------------------------------------------

 ニュージーランドのチャタム諸島から9kmほど南に、ザ・ピラミッドと呼ばれる島がある。名前の通りピラミッド型だが、これもアヌンナキが作ったピラミッドである。エジプトのギザのピラミッドとメキシコのテオティワカンの月のピラミッドとの線上にあり、テオティワカンの直線の出入りの角度は若干の誤差はあるが、ギザは同じ角度で直線が出入りしている。つまり、偶然ではなく意図して作られていることがわかる。これができるのは人間ではなく、宇宙から位置を確認できるアヌンナキである。ザ・ピラミッドのグーグルマップは(-44.4324824, -176.2404601)。


南極のピラミッド-------------------------------------------------------------------------------------------

 南極ピラミッドにも少なくとも2つのピラミッドが存在する。2つは比較的近い位置に立っている。グーグルマップ(81°57'41.15"W 79°58'38.32"S)


イタリア周辺のピラミッド--------------------------------------------------------------------------------

 ヨーロッパには大小さまざまなピラミッドが存在する。イタリアには、少なくとも4つのピラミッドがある。

1.モンテヴェッキア / グーグルマップ(45°43'40.19"N   9°22'12.21"E)(45°43'26.60"N  9°22'26.88"E)
2.ポンタッシエーヴェ / グーグルマップ(43°46'11.99"N  11°24'23.41"E)
3.ピエディルコ / グーグルマップ(42°31'48.47"N  12°45'32.59"E)(42°32'16.57"N  12°45'29.76"E)
4.サンタ·アガタ·デ·ゴチ / グーグルマップ(41° 5'50.32"N  14°31'22.16"E)

 フランス、ギリシャ、スロベニア、ボスニア・ヘルツェゴビナにも、ピラミッドが存在する。ギリシャのピラミッドには多角形の石積みが見られることから、アヌンナキが作ったと考えることができる。

1.フランスのファリコンピラミッド / グーグルマップ( 43°44'59.65"N   7°15'37.33"E)
2.ギリシャのピラミッド / グーグルマップ(37°35'14.15"N  22°40'16.97"E)
3.スロベニアのピラミッドヒル / グーグルマップ(46°34'5.34"N 15°39'8.51"E)
4.ボスニアンピラミッド / グーグルマップ(43°58'42.00"N 18°10'40.00"E)(43°58'21.20"N 18°12'2.15"E)


ヒーリングの効果があるボスニアンピラミッド複合体の地下トンネル---------------------------

 10年以上の調査で、ボスニアンピラミッドの驚くべき結果が明らかになっている。ボスニアンピラミッドがあるヴィソコの地下のラヴネのトンネルでは、健康上の利点があることを、サム・オスマナギッチ博士と他の調査チームが発見した。



 このトンネルでは、効果的な一定の電磁気の存在が測定されている。同様に28kHzの超音波と、7.83ヘルツのシューマン共振(りょうしん)もあった。
 シューマン共振(りょうしん)は、地球の地表と電離層との間で極極超長波(ELF)が反射をして、その波長がちょうど地球一周の距離の整数分の一に一致したものをいう。これは人間の物理的、精神的、精神的な能力において最高のエネルギーである。
 また異常に高い濃度のマイナスイオンが検出された。これは立法センチメートル当たり最高6万という数値で、例えるなら山の森の10倍であった。
 この環境では、人間の細胞は再生のための自己修復プロセスを開始すると、科学者たちは述べている。そして次のような効果がある。

1.肺活量の増加
2.血糖値の正常化
3.血圧の正常化
4.体全身の状態の改善
5.オーラの改善

●肺活量
 17歳のスロバキア人、ベロニカ・ブランコは、ニトラからピラミッドがあるボスニア・ヘルツェゴビナの町ヴィソコへやってきた。というのは、彼女は気道に問題があったからで、ピーター・ハイデュク博士の進めでやってきた。この博士はプラハの肺疾患のクリニックの専門家である。

 彼女の話は、2013年に始まる。乳腺が詰まって分泌物が溜まる嚢胞(のうほう)と息切れを起こし、肺機能の容量が47%に減少した。病気のために、ベロニカはすぐ後に、彼女の右肺の手術が必要と診断される。術後の回復のプログラムは、ハイデュク博士による天然物とビタミンCを使用するバイオ共鳴療法に基づいていた。そしてリハビリテーションプログラムには、ビソコへの旅行も含まれていた。それはラヴネ(Ravne)の地下トンネルで見つかった高濃度のマイナスイオンが目的だった。
 ビソコへの2回の旅行とラヴネのトンネルでの治療を受け、若いスロバキア人の彼女は、健康の改善を感じた。そして2年ぶりに、彼女は長い間苦しんでいた胸のズキズキする痛みを感じなくなった。先史時代のラヴネのトンネルへの2回の旅行での治療において、最終的に元の容量47%から現在の84%にまで、彼女の肺容量の増加をもたらした。

●血糖値
 チェコの出版物「WMマガジン」の協力である団体が、「人間の血糖値の測定を研究」をするために、2015年頭にビソコにやってきた。その中の一人、58才のプラハからやってきた実験参加者ユルキは、ラブネのトンネルに入る45分前に血糖値を測定した。その時点で、レベルは7.8mmol/L(危ない範囲)であった。そしてラブネのトンネルに入った後、彼の血糖値は5.1mmol/L(正常レベル: 危なくない範囲)に下がった。また別の参加者のカレルも同様の実験で、10.5mmol/Lから5.7mmol/Lに下がった。
 チェコのプラハに戻った参加者の報告で、彼らの血糖値は14日間効果を保ち続け、その後、血糖値はわずかに増加し始めた。

●血圧
 トルコのイスタンブールからの女性セヴィム・ムヘヴィアは、年齢が54歳で、2004年から2014年に常に高血圧の問題があった。彼女の血圧レベルは220/135mmHgだった。そして彼女が定期的にボスニアのピラミッド複合体の先史時代のトンネルを訪問し始めた後、血圧は140/90mmHgよりに上に行ったことがない。

●オーラ
 スロベニア人のエンジニアであるヤネス・ペルコは、人体の周りのバイオエネルギー層、または領域である人間のオーラを取り込むために、ロシアのウラジーミル・コロトコフ教授(サンクトペテルブルク大学)の画期的な機器を使用した。研究では、(男性と女性、老人、若者、観光客、ボランティア、正社員など)160人の参加者の代表的なサンプルが含まれていた。
 結果は、先史時代のラヴネのトンネルでの1時間の滞在後、82%の人物のエネルギーや免疫枯渇を保護するオーラの改善につながっていることを示した。


ボスニアンピラミッド複合体もアヌンナキが作った-------------------------------------------------

 ボスニアンピラミッドや、その近くのゴーンヤ・ブロトニカ(Gornja Vratnica)では、アヌンナキの多角形の石畳が見られる。


 また同じ地域から、丸い石球も出土している。これもアヌンナキによって作られたのである。

 
世界中で見られる石球-------------------------------------------------------------------------------------

 1930年代の初めから現在までに、コスタリカの密林で200個以上の石の球体が発見されている。最大級の石球は重量にして約25トンである。米ハーバード大学研究員のサミュエル・ロスラップ博士によって、様々な角度から円周や直径を測っても最大誤差が0.2パーセントのものや、直径が2.0066メートルとミリ以下の単位まで全く同じ大きさの2個の石球も見つかっているという研究報告がある。


 ボスニアンピラミッドのようにアヌンナキのテクノロジーによって築かれた遺跡に球体があったように、自然ではできない精度の球体もアヌンナキが作ったのである。すでに世界中で、アヌンナキが作った大小様々な石球が見つかっている。場所によっては絶妙のバランスで立っているものもある。


エジプトの三大ピラミッドとスフィンクスの多角形の石積み--------------------------------------

 エジプトの三大ピラミッドは、オリオン座の3つ星の配列で並んでいる。オリオン座からニビルへやってきたアヌンナキもおり、彼らの故郷の一つを意味した配列となっている。現代では、人間がどのようにしてこの巨大なピラミッドを作ったのかという議論も行われているが、結論はアヌンナキが作ったものである。その証拠に三大ピラミッドにも、各国の巨石建造物と同様の多角形の石積みが見られ、それらは隙間なく密着もしている。

 クフ王のピラミッドの内部の「王の間」の石畳(いしだたみ)にも、多角形の石が見られる。

 メンカウラー王のピラミッドの入口にも、多角形の石積みが見られる。

 さらに、ピラミッドのそばにあるスフィンクスの左前足にも多角形の石積みが見られ、耳の曲線には黄金比が見られる。つまり、スフィンクスもアヌンナキが作ったということ。

 古代エジプトのシンボル「ホルスの目」のペンダントには渦模様が装飾され、その曲線も黄金比となっている。ホルスもアヌンナキの一人である。ホルスの目は悪魔崇拝のシンボルの一つであり、イルミナティやフリーメイソンに関係するものに見ることができる。例えば服のデザインやミュージックビデオの中で。

 また、片目を覆(おお)うポーズもホルスの目を意味しており、イルミナティに支配されているアメリカのエンターテイメント業界で働くアーティストの多くは、片目を覆うポーズで写真を撮っている。

 666は獣の数字を表す悪魔崇拝のシンボルだが、それはOKサインの手の形となる。その手を片目に重ねると、ホルスの目と666を意味するポーズとなる。こういったポーズを行うアーティストが全て悪い人物というわけではない。一度交わしてしまった悪魔との契約、一度得た名声と財産を失う恐怖、秘密を暴露すれば自分も家族も殺される可能性など、抜け出せない現状がある。イルミナティやフリーメイソンはアヌンナキを悪魔崇拝する悪魔教であり、アヌンナキが作った古代エジプトにもルーツがある。
 
 
世界中の獅子(ライオン)像はエジプトのスフィンクスがルーツ------------------------------------

 沖縄のシーサー、神社の狛犬、世界中の獅子(ライオン)像は、アヌンナキが作ったエジプトのスフィンクスがルーツである。獅子は、地球総司令官エンリル自身、もしくはエンリルの系統を引く皇統エンリルテ(エンリル一族)の象徴である。



 トルコ東部の標高2134mのネムルト山にも2体のライオン像があり、山がピラミッドとなっている。首部分が地面に落ちた神像には、ゼウス(アヌンナキのエンリル)=オロマズデス(ゼウスとアフラマズダが同一視された神)、アポロ=ミトラス、ヘラクレス、テュケ(ギリシャ神話の女神でコンマゲネ王国の守護神)などが含まれている。これらはアヌンナキのことである。

 古代ギリシャにあった紀元前1450年頃のミケーネ文明にも、像ではないが2匹の獅子が描かれた獅子門とアヌンナキの多角形の石積みが見られる。


 インド南東の島国スリランカのポロンナルワの遺跡にも、獅子(ライオン)像がある。


 東南アジアのインドネシアのジャワ島にあるボロブドゥル寺院にも、獅子(ライオン)像が存在する。この遺跡にもニンギシュジッダの石積みの共通点がある。

 同じく東南アジアのカンボジアとタイの国境に位置するプレアヴィヒア寺院にも、獅子(ライオン)像が存在する。

 東南アジアのカンボジアにあるアンコール・ワットの獅子(ライオン)像


スリランカのヤーパフアとシーギリアの獅子像とライオン像の前足------------------------------

 スリランカのヤーパフアには2体の獅子像、多角形の石積み、巨石の山が存在する。シーギリアにはライオン像の前足、巨大な巨石(石球)、巨石の山が存在する。どちらもスリランカにあり、距離も近い。つまりこれらもアヌンナキが作った。


インドのクトゥブ・ミナールの多角形の石積みと、デリーの錆びない鉄柱---------------------

 インド・デリー市郊外の世界遺産クトゥブ・ミナールという塔の入口にも、アヌンナキの多角形の石積みが見られ、同時に16枚ある紋章も見られる。またこの塔や周辺の装飾もアヌンナキの芸術である。


 クトゥブ・ミナールの近くにあるイルトゥトゥミシュの廟(びょう)にも、多角形の石積みが見られる。シャムスッディーン・イルトゥトゥミシュ(?-1236年)は、北インドのイスラム王朝であるインド・マムルーク朝の第3代君主(在位1211年-1236年)であった。
 またここにも16枚の花びらの紋章があるが、それらは日本の天皇家の菊花紋章と酷似しており、ギリシャの南東沖のエーゲ海辺りから出土している紋章とも似ている。ギリシャの出土品には、イナンナ(イシュタル)の渦巻きのマークも刻まれている。渦巻きはイナンナのシンボルであり、縄文のヴィーナス像にも描かれている。縄文のヴィーナス像もイナンナである。
 イナンナの十六花弁ロゼッタは、後光が差して十六芒星となっている。イナンナの金星が先端の尖った三角形の光を放つ八芒星で表現されていて、その間に四角で後光が表現され、全体として十六芒星として表現されている。
 またメソポタミアのアッシリアのレリーフには、16枚の花びらの腕輪を付けたアヌンナキが描かれている。

 さらに、クトゥブ・ミナール内の錆びない鉄柱のデリーの鉄柱も、アヌンナキが作ったものである。これは99.72%という高純度な鉄で、直径は約44cm、高さは約7m、地下に埋もれている部分は約2m、重さは約10トンある。
 インド各地やペルシャ方面でも鉄柱が見つかっているが、鉄柱によっては上部に獅子(ライオン)像が乗っている。獅子は、地球総司令官エンリル自身、もしくはエンリルの系統を引く皇統エンリルテ(エンリル一族)の象徴である。
 これらから見て、鉄柱もアヌンナキが作ったものであり、各地のデザインは基本的に同じパターンとなっている。


インドのエローラ石窟群とアヌンナキの岩をくり抜くテクノロジー------------------------------

 インドにあるエローラ石窟群には、34の石窟がシャラナドリ台地の垂直な崖に掘られている。それぞれ石窟は近接している上に、作られた時期も重なっている。一帯は西ガーツ山脈の比較的平坦な、白亜紀に噴出した玄武岩が広がるデカントラップの一部であり、石窟はこの玄武岩に彫られている。
 第29窟のデゥマル・レーナの入口の大きさから見て、アヌンナキは身長380cmほどだったと推察できる。

 ここは仏教、ヒンドゥー教、ジャイナ教の石窟寺院や修道院などから構成され、アヌンナキが彫刻したブッダやその他多数の神々を、数多く見る事ができる。

 この中のカイラーサナータ寺院はアテネのパルテノン神殿の倍ほどの規模があり、石窟と言うより一つの高層建築物にしか見えないが、紛れもなく一つの岩から掘られたものである。カイラーサナータ寺院の中庭には二つの巨大彫刻がある。一つは伝統的なシヴァ寺院によく見られるように、神聖な雄のナンディー(Nandi シヴァの乗り物である牝牛)の像が中央寺院のリンガ(男性器)に面するようになっている。獅子(ライオン)像は、アヌンナキの地球司令官エンリル自身か、エンリルテ(エンリル一族)の象徴である。

 エローラ石窟群の中でも、アヌンナキのテクノロジーである多角形の石畳が見られる。

 このエローラ石窟群の中でもイナンナのシンボルである、8方向と16方向に伸びた花びらの彫刻が見られる。

 そして、このエローラ石窟群の特徴的な部分は、岩をくり抜いて巨大な神殿を作っていることである。この岩をくり抜く技術もアヌンナキの特徴的なテクノロジーである。


サウジアラビアの岩盤をくり抜いて作ったアヌンナキの遺跡--------------------------------------

 サウジアラビアの古代都市マダイン・サーレハにも、アヌンナキが岩盤をくり抜いて作った遺跡がある。





トルコのカウノスの岩盤をくり抜いて作ったアヌンナキの遺跡------------------------------------

 トルコのカウノスにもアヌンナキが岩盤をくり抜いて作った遺跡があり、多角形の石積みもある。



ヨルダンのペトラの岩盤をくり抜いて作ったアヌンナキの遺跡-----------------------------------

 ヨルダンの死海とアカバ湾の間の渓谷にあるペトラにも、巨石建造物が無数に存在するが、その中のエル・カズネ(宝物殿)も、アヌンナキが岩盤をくり抜いて作った遺跡である。ペトラ遺跡の入口の大きさから見て、アヌンナキの身長は約400cmほどだったと推察できる。

 ペルガモン(現在のトルコ)の巨大都市アクロポリスの神殿は、2階部分がペトラのエル・カズネ(宝物殿)のデザインパターンと同じ。アクロポリスの神殿にも多角形の石積みがあることから、エル・カズネ(宝物殿)もアヌンナキが作ったものと考えることができる。

   ペトラにある凱旋門にも、アヌンナキの多角形の石積みがある。


古代から現代まで続くアヌンナキの建築デザイン----------------------------------------------------

 サウジアラビアの古代都市マダイン・サーレハ、トルコのカウノス、ペトラのエル・カズネ、ライオン・トリクリニウム、エド・ディル、ローマ兵の墓の遺跡のデザイン的要素は、アヌンナキが作ったバールベックのバッカス神殿とジュピター神殿と同じとなっていることからも、これらがアヌンナキ作ということがわかる。また同様のデザイン的要素はギリシャのパルテノン神殿や、現代のアメリカ政府のホワイトハウスにも見られる。ホワイトハウスを使用するアメリカ政府は、アヌンナキと、その中のマルドゥクを悪魔崇拝するイルミナティによって支配されている。イギリスはロンドンにあるバッキンガム宮殿も同様のデザインであり、イルミナティであるエリザベス女王が住んでいる。

 世界中にあるフリーメイソンのメソニック・ロッジも同じデザインである。つまり大本のデザインはアヌンナキにある。

 この三角形部分の原型は、「生命の樹」のケテル(王冠)の部分であり、古代メソポタミアのエンリルの監視塔の形も三角形であった。その部屋にサーチライトのレーダーが設置され、それによってエンリルは、すべての土地の深奥部(しんおうぶ)を捜索することができた。これが「すべてを見通す目(プロビデンスの目)」であり、エンリルの監視塔の象徴でもある。


中国にもあるアヌンナキの遺跡--------------------------------------------------------------------------

 中国にもたくさんのアヌンナキの建造物が存在する。巨大なブッダの像などは、ブッダの死後となるので、この時代よりももう少し後である。

 中国のクチャにあるスバシ古城は、メソポタミアのウルのジッグラトと同じ形態である。

 クチャ周辺にあるキジル石窟やクズルガハ千仏洞は岸壁をくり抜いて作られており、キジル石窟には236の石窟がある。

 トルファンにあるベゼクリク千仏洞には、渓谷1kmにわたり80以上の石窟があり、その半数に壁画が残されている。涅槃図や西方浄土などの壁画がある。ここも岸壁をくり抜いて作られている。


 またトルファンの交河故城という都市遺跡の全長は約1650メートル、幅は最大で約300メートルで、遺跡は柳葉形の台地上に位置し、周囲は約30メートルの断崖に囲まれ自然の要害をなしている。仏塔などが存在する。


 現在の銀川市(ぎんせんし)周辺には、253基のピラミッド型の西夏陵がある。

 西安のピラミッド。研究者のジョージ・ハント・ウィリアムソンは衛星写真から、16個のピラミッドを確認したとしている。


 岸壁をくり抜いた仏教遺跡の莫高窟(ばっこうくつ)。

 中国の河南省(かなんしょう)洛陽市(らくようし)の南方13キロの龍門(りゅうもん)洞窟。岸壁をくり抜いて作られている。


現代科学では説明できない自然の芸術とされる風景-------------------------------------------------

 ここまでアヌンナキの様々な巨石建造物を見てきたが、そこから見えてくる事は次のようなアヌンナキのテクノロジーである。

・100トン以上の石を、レーザーのようなもので自在にカットできる
・100トン以上の石を、自由に運べる技術
・巨石を隙間なく密着させて組み上げる技術
・巨石を多角形に切り取って組み上げる技術
・細かな装飾も可能な技術
・岸壁をくり抜く技術(多くが玄武岩)

 つまりアヌンナキは、現代の科学技術よりも圧倒的に進んだテクノロジーによって巨石による都市を作っていた。
 現在、人間のIQは平均100で、東大生の平均IQは120、IQ世界一としてギネスにも認定されたマリリン・ボス・サバントのIQは228となっている。アヌンナキのDNAを操作して地球人を作り出したことや、巨石建造物の科学レベル・芸術レベルから判断して、少なくとも人間のIQレベルを遥かに超えていることはわかる。宇宙にはIQ10000というレベルが存在するとも言われているが、アヌンナキの、特にアヌの血を受け継ぐ子孫であるエンリル、エンキ、ニンフルサグ、イナンナ、ニンギシュジッダなどのIQも非常に高いのである。

 そこで次に、巨石建造物の共通点を前提に、現在の理解では説明のつかない自然にできたとされる岩の芸術を見てみる。これらも、アヌンナキの神殿などがあった可能性が高い。現代の科学では、これらが自然にできたとしているが、そのプロセスを解明した説明は存在しない。それらのほとんどが隙間なく密着させて形成されている。


 北海道の根室車石(ねむろくるまいし)も、隙間なく岩を密着させている。この辺りの岸辺も同様の岩の作りが見られる。

 兵庫県豊岡市赤石の玄武洞公園の青龍洞

 カナダのブリティッシュコロンビア州の玄武岩の滝

 アメリカ・ワシントンのクラークストンの玄武岩の列柱

 アメリカ・カリフォルニアのデビルス・ポストパイル国定公園

 スコットランドのフィンガルの洞窟

 アイスランドのビークの玄武岩の崖

 ポルトガルのポルト・サント島の玄武岩の列柱

 オーストラリアのフィンガル・ヘッドの玄武岩

 台湾の澎湖県(ほうこけん)の玄武岩

 下記の写真は、アヌンナキが作った西ジャワ州のグヌン・パダン遺跡の多角形の石積みだが、上記の玄武岩で作られた岩の芸術と、作り方が似ていることに気づく。


レイラインに沿って配置された巨石建造物------------------------------------------------------------

 多くの巨石建造物が世界中に存在するが、それらは規則的に配置されている。イースター島から、赤道に30度の角度で進んで行くと、直線上に著名な遺跡が次々と現れる。これらはすべて、アヌンナキが作ったものである。

・イースター島「モアイや多角形の石積み」
・ペルーの「ナスカの地上絵」
・ペルーの「マチュ・ピチュ」
・アルジェリアの「タッシリ・ナジュールの岩絵」
・エジプトの「シワ・オアシスのアメン神殿」
・ギザのピラミッド
・ヨルダンの「ペトラ遺跡」
・イラクの「ウル遺跡」
・イランの「ペルセポリス」
・パキスタンの「モヘンジョ・ダロ遺跡」人骨から放射能を検出
・インドの「ガジュラホ」
・ミャンマーの「ピイ」
・タイの「スコータイ」
・カンボジアの「アンコールワット」

 当然これらは偶然ではなく、アヌンナキのニンギシュジッダによって意図的に配置されている。これらを通過する幅100kmのベルトは、赤道と同じ長さである。またこの直線は、考古学者クラウス・ドナ氏がエクアドルで発見した石の地図に描かれた線と同じ位置を辿っている。

 他にも次のような一致が見られる。

・ナスカとギザ、テオティカンとギザは等距離(画像左)
・イースター島からギザまでの距離は黄金数の1万倍(画像右)
・極点からモヘンジョ・ダロとイースター島は等距離(画像右)
・ギザからナスカまでの距離(地球の回りの緑の点線)に黄金数をかけると、アンコールワットからナスカまでの距離と一致


 これらの遺跡には他にも共通点がある。

1.各地の古代遺跡は、巨石が隙間亡く積み上げられ
2.象形文字が発達し、死者をミイラにし、精巧な暦を作り
3.天文学や建築の知識が跡形もなく消え去り
4.赤道とほほ同じ長さの円周上に遺跡が並び
5.それぞれの距離が黄金律と関連している

 そして「古いほど巨大」「古いほど精密」「古いほど類似」なのである。つまり同じ人物が計画的に統一性を持って設計したからであり、それはニンギシュジッダが行ったのである。

 また、1980年代の終わりから建設が始まったアラスカのHaarp(ハープ)と呼ばれる人工地震や気象操作を行える設備の建設位置が、ちょうどこの新たな北極点の位置している。この道具はイルミナティが他国を攻撃するために使用している。


地球のレイライン-------------------------------------------------------------------------------------------

 さらに別の視点でレイラインを見ていく。北極点を頂点とする正二十面体を地球に当てはめると、分割線の交点に新旧石器時代の遺跡が存在する。これは宇宙から地球を見た宇宙人でないとできない考え方であり、こういった地図を元にアヌンナキは建設位置を決めている。

日本列島に存在した精密な太陽(観測)のレイライン・ネットワーク------------------------------

 冬至(とうじ)の日没を西南西に望み、東北東に夏至(げし)の日の出を望む地点を結んだ線のことを冬至線と呼び、また夏至の日没地点(西北西)と冬至の日の出地点(東南東)を結ぶ線を夏至線と呼ぶが、奈良県の三輪山(みわやま)はこの冬至線・夏至線のネットワークの中心交点上にぴたりとある。

 この冬至線、夏至線の通る道(線)の上には重要な神社や巨石信仰の拠点が置かれた。冬至線、夏至線の一部を巨石建造物や祭祀場の建設に用いたことは、イングランドのストーンヘンジなどいくらかは見つけられているが、これほどの規模のものは少なくともどこにも見つかっていない。そこには磐座(いわくら)や鏡石(かがみいし)が置かれた。

 太郎坊(たろうぼう)神社の上に立つとすると、三上山(みかみやま)の上に冬至の太陽が沈む。この太郎坊山と三上山を結ぶ空間上の直線がここでいう冬至線である。
 この冬至線と三輪山(みわやま)の三輪神社の磐座(いわくら:三つあるとされるが、中心のものが張り出し台地上にある)との南北距離(経度上の距離)は48.6キロメートルで、この距離は30古代理と呼ぶ距離と完全に一致する。これは縄文中期から存在する特別の距離である。
 奈良県の三輪神社の磐座から太郎坊と三上山の冬至線と平行に冬至線を引くと、畝傍(うねび)山頂、忌部(いんべ)山頂を通る。それも冬至線である。

 三輪山(みわやま)と畝傍山(うねびやま)の冬至線は、畝傍山、耳成山(みみなしやま)、天香具山(あまのかぐやま)といういわゆる大和三山(やまとさんざん)が作り出す二等辺三角形の中線となる。

 この三山の山頂が正確な二等辺三角形を作っており、これが人口造山であることの一つの理由である。その二等辺三角形を畝傍山(うねびやま)の頂点とする中線で割ってできた直角三角形は三辺の比が5対12対13の、いわゆる「メソポタミアの聖なる三角形(別の言い方ではピタゴラスの定理)」となっている。そしてその二等辺三角形の中線が東北東に延ばされると三輪山に至るのである。大和三山は人工の山であり、それを造営した技術はニンギシュジッダであった。

 三輪山基点の冬至線と夏至線を全列島に引いてみると、巨石遺跡を残す78ヵ所の交点ができる。そしてこの冬至線、夏至線によって、富士山、白山、鹿島神宮などの重要な信仰施設が結びつけられている。


 三輪山の張り出し台地のその部分は、三輪神社の禰宜(ねぎ:神職の総称)しか入れない聖地で、冬至線に沿って一直線に巨石が配列されている。また北海道を除く本州、四国、九州には全部で78ヵ所の冬至線・夏至線の交点があるが、三輪山以外は禰宜(ねぎ)や神主であっても、人が足を踏み入れないことが前提になっている土地である。

 この交点にはほとんど巨石遺跡または巨石だけがぽつんとある。人口が密になっている現在においてさえ住めない地ばかりである。これらは列島全体をおおう太陽信仰と暦に対する意識があったことを示すもので、その高い技術は現代人をもしのぐ。
 縄文晩期以降は三輪山を基点として、その基点から30里の距離で冬至線、夏至線が引かれ、菱形(ひしがた)という籠目(かごめ)の模様を地上に織りなすネットワークが作り出されていった。
 そして三輪山と畝傍山の冬至線の30里南に平行する冬至線は、富士山に至っている。冬至線は富士山頂をわずかに北に外れた所を通り、小室浅間神社(こむろせんげんじんじゃ)の上を通る。そしてそこから東南東にある浅間神社からわずかのところが夏至線との交点である。そこも人は足を踏み入れない場所である。

 冬至線と夏至線のネットワークは意識的に作られ、山大日之国彦命の邪馬台国は空間感覚を持って列島を支配下に置いていった。つまり、冬至線や夏至線上には重要な神社などが多数あり、人が集まる場所も多数あるが、30古代里を単位に線を引いた籠目のネットワーク上の交点上には必ず荒地や海や山間の谷や川の洲などがある。


環太平洋文明の中心地は日本だった---------------------------------------------------------------------

 環太平洋文明圏の中心地は中南米でも良かったが、そこでは飲料水の確保が難しい。神々はそれまでに、地球の様々な気候変動を見てきた。それからすると、いずれ中南米では飲料水に困ることになると予見された。それ故、飲料水が豊富で気候も良く、将来的に人類が目覚めるまで隔離しておける場所として、日本が最適だった。
 更に、日本には金鉱脈も豊富だった。よって、“その時”が来るまでの封印の地として、日本が選ばれた。地震や台風の影響はあるとしても。つまり、レムリア文明の真相は、日本が中心となった環太平洋縄文文明圏のことである。
 アバエルは牧畜、カ・インは農耕を教えられたので、この文明圏では農耕が基本となった。よって、日本では農耕儀礼が神事の中心となった。かつて、日本の縄文時代は狩猟ばかりのように思われていたが、20世紀後半からの発掘調査で、かなり早い時期から農耕が行われていたことが証明された。

 大洪水によって、人々の生活は原始的なものへと戻った。その中で縄文土器の出現や竪穴式住居の普及、貝塚などが生まれた。北海道と沖縄では縄文人の系統が比較的純粋な形で残り、アイヌと沖縄の人々になった。元々日本列島にはすでに原住民が暮らしていたが、大洪水前の高度な知識をもったアヌンナキと移住者たちが主導権を握って、地球規模の大異変で原始時代に戻った文明を、再び発展させていった。


縄文時代の円形の生活空間--------------------------------------------------------------------------------

 日本列島では、非常に直感的なセンスを持った人々によって、現代人の想像をはるかに上回る、整然とした自然界との調和文明が完成されていた。彼らは宇宙の本質を直感によって把握しており、それを数百人規模の小都市がそれぞれ正円形になるような配置によって表し、それが集まった全体の配置も正円形になる完全な計画都市文明を開花させていた。それは、彼らがMUと呼んだ偉大なる大自然の母なる力を受容するために必要な構造であった。
 彼らの住居そのものも円形を基本に設計されており、その中央には、冬至の朝に東門の方から光が差し込むように聖なる中心が配置されていた。こうした円形構造の全体が、人間の本質である霊に影響力を持つことを彼らは知っていたからである。後の時代の縄文遺跡が円形であるのも、この高度な計画都市文明のあり方を踏襲(とうしゅう)していたからである。現代の日本人の大黒柱の神聖概念は、そのわずかな痕跡である。
 日本の縄文遺跡は村全体が円形に配置されており、その中央に祭りの場があったことが研究者の指摘でわかっている。それは整然とした美しい配置であり、一つずつの家がちょうどみんなで手を取り合って円を作った時のように、全体にも円形で配置されていた。そして質素な家の一つひとつも、すべて円形で美しく形作られていた。家も村も計画的に円形に作られているのは明らかであった。人々が集まる時も、円形に集まるビジョンが見え、同時にその周囲に漂う空気が現代の町とはまったく違う、やわらかで優しい気に満ちていた。

 現代人は初歩段階として、人々が円形に集まるとき、現代人のように直線状に対面する時とは違う、それとは異なった意識が形成されることを認識する必要がある。まだ理解されていないが、人間の潜在意識は他のどんなことよりも、空間によって決定されるのである。空間とは自分達の意識の母体である。すべての意識というものは、空間から生み出される。現代人は物を中心に物を作るが、太古の祖先は、空間に合わせて物を作り、村を作った。人間という存在の偉大な点は、その空間を変容させる力を持つことにある。空間の把握は意識の把握であり、空間を把握するものは意識をも把握する。

 空間と自分との関係をわかりやすく、意識レベルで説明する。人々が向かい合い、直線的な関係にある時、相手と自分という相対的な意識が形成されやすい。それは潜在意識に二元的認識構造を植えつけることになる。だが、人々が円的空間を形作る時、相対意識よりも人間の本質的な共鳴性をより増幅させやすくなる。人々が円形に集まり、すべての人が円形の中央に体を向けるとき、隣に座る人々はみな、同一の対象へと向かう共感する人として意識される。
 こうした形でのレベルが自分達に与える潜在意識への影響は、言葉による意識の形成よりもはるかに深く、潜在意識の根本の領域を形作るものである。なぜならそれは、人間の心の世界は宇宙と同質の構造を持ち、それによって成り立っているからである。
 現代人は、平面に描かれた図形などに神秘的な働きを求めたりしているが、空間の持つ力は、それとは桁違いに根本的なものであることを知る必要がある。人間の祖先たちはそれを実際の生活に用いていた。空間と一つになると、人々の魂も一つに結ばれ、その集合した霊の焦点はその中央で一つになる。その共感された意識を持ちながら人々は調和のあるつながりを実現し、深い魂の結びつきを実現させた。
 若者たちは、隣に並ぶ長老たちの所作から無意識のうちにすべてを学んだ。これらは教えることなく共感的に伝えられ、自分の隣に自分と同じように並ぶ何人もの人々を、彼らは自分とつながる連続する仲間として意識していた。人間の祖先のこの円形空間の場は、極めて高度な共感意識による社会を生み出すために、不可欠な基本的条件であった。
 ほんの1ミリの角度のずれが、1キロ先では何十メートルものずれをもたらすように、それが直線状か円形状かの違いが生み出すものは、現代人にはわずかな違いにしか思えなくても、人類文化の決定的な違いをもたらすことを、人間ははるかな太古に認識したのである。その違いは宇宙の陰陽性を象徴するもので、すべては場、つまり空間によって決まる。この叡智のルーツは、前文明における人間の祖先の叡智にある。

 この理解が進むほど、現代の社会はそれとは正反対の直線的な構造の社会であることがわかる。現代人は、直線意識のエネルギーの持つ象徴文化の中で育ち、生活している。そのために宇宙領域とは同調しにくいバリアー(壁、障害物)のような性質が、人々の中に形作られてしまっている。子供たちは学校で大半の時間、みんな同一方向に向いて座り、先生と対面して育つ。すべては直線ライン上に意識が向かい合っている。それは子供たちの育ち方だけではなく、大人になってからも同じである。劇場の公演でも、演技者と観客は直線的関係であるし、オフィスでもやはり机は対面する形で並べられ、一つのライン上で向かい合っている。住居の中もほとんどが直線的に作られており、街の構造も直線である。
 この直線空間か、円形空間かの決定的違いは、意識的、無意識的にかかわらず、中心を共有する意識を持てるかどうかである。すべてに中心が存在するこの宇宙の構造と同じ意識を、一人ずつが育てることができるかどうかにある。


北枕と宇宙の情報について--------------------------------------------------------------------------------

 寝るときに頭を北に向けると地球の磁力線と同じ方向になるので、縄文人は北枕が常識だった。気が多くあるから気多、すなわち北である。古代の日本人は、地球そのものが巨大な磁石であり、北枕で寝ると地球の磁力線によって乱れを正常に戻せることを知っていた。
 日本では北枕は死人の寝かせ方だとして不吉とするが、じつは釈迦(しゃか)が入滅した際の頭北面西(ずほくめんさい)をまねたもので、健康的な寝方である。日本には伝統的に北方を避ける習慣があり、北には寒冷・暗黒・冬・夜・死者などのイメージがつきまとう。同時に静寂の意味もあり、寝殿造の北の対屋には貴人の妻が住んだので、北の方・北の台・北の政所といった呼び名が生まれた。
 方位磁石は、人間が「北」と呼んでいる方角を指すが、なぜ北なのかというと、そのはるか先には、創造の湧き出す「泉」のようなものがあり、宇宙の情報は北からやってくる。頭を北の方角に向けて寝ると、夢を鮮明に覚えていられる。北枕にして寝ると、実は頭が冴えてスッキリし、多次元の情報に簡単にアクセスできる。夢の調査をするにあたっては、頭を北に向けて寝ることは非常に大切なことで、もし北枕で寝ることを禁止されたら、「夢の調査員」としてはまったく機能しなくなるほど重要なことなのである。それほどに、宇宙の情報がやってくる北に頭を向けることは重要なことなのである。「地球という惑星は、磁気を帯びた大きな磁石のようなもので、そこに存在するすべてのものは地球と同じように磁気化されている。それは人類も例外ではない。そのために南北のラインに沿って身体を横たえることで、地球の磁気の流れに逆らうことなく循環できるのである。


縄文時代の「夜這い」と女権社会------------------------------------------------------------------------

 縄文時代のころの日本の社会制度は、ヒメヒコ制という。女性をヒメといい、男はヒコという。そして、ヒメのほうが上である。ヒメが命令すると、ヒコは「はい、はい」といって、荒っぽい外の仕事をする。
 その時代の結婚はどうなっていたか。妻問い婚、つまり夜這いであった。男のほうが女のいるところへ行く。昭和になっても続いていた地方がある。「今夜、行ってもいいか」と男が聞き、女が嫌な場合は「だめ」と言い、オーケーの場合は、「じゃあ、鍵を外しておくからね」と言う。
 そして、もし子どもが出来たら、女のほうに指名権がある。「この子はあの人の子どもです」と女が言うと、結婚しなければいけない。昔はDNAなんて関係ないのである。「おれの子じゃない。あいつの子じゃないか」と言っても認められない。そういうバランスのとれた制度があった。男は、指名されたら結婚しなければいけない。それを覚悟で夜這いに行った。
 この制度だと、女権社会になる。女はずっと家にいる。そこで天気予報や村の人間関係に詳しくなる。予知能力の持ち主になる。そのころヒコは何をしていたかというと、軍事的・政治的に成功すると豪族の娘をどんどん愛人にしていた。そうやって父親の豪族を手なづけていた。


アヌンナキとシャーマン-----------------------------------------------------------------------------------

 ニビル人アヌンナキは地球を去る前に、湿地や沼で両生類、昆虫、爬虫類、鳥たちとともに太鼓を叩いたり、ガラガラ音をたてて、銀河の音を聴く方法を教えていった。この新しい教えは、シャーマンにとって非常に難題であった。なぜならこれは、さまざまな星とつながる作業であり、人間はみな、プレアデス以外にも地球に影響を及ぼしている恒星があることを認識させられたからである。


世界に散った神官達----------------------------------------------------------------------------------------

 大洪水が近づいた時、一部の「聖なる道」を歩んでいたアヌンナキの賢者たちは、シュメールや植民地の図書館から古代の知恵が記録された巻物を集めた。彼らは、世界中のさまざまな場所に分散して移り住むことで、古来の科学的、霊的知識を安全に保管し続け、またその知識を少数の進歩した生徒に教えるために、それぞれの場所で修院を設立することになった。
 しかしそれらの修院、つまり学校の存在は、何千年もの間、人類の一般の人々には秘密にしておくことが義務付けられていた。それらの学校が、今なおミステリー・スクールと呼ばれている所以(ゆえん)である。

 ノアの箱船にいた神官兼守護者は半地球人、半宇宙人の半神半人(ハイブリッド)で、ニンギシュジッダによって訓練されていた。彼らは人類と宇宙を忘れないための役割を担っていた。彼ら神官には、「カバラ」と呼ばれる自然哲学の知識を託した。カバラは自然に属するもろもろの対象を取り扱い、その法則性を明らかにした自然科学が体系化されたものであり、それが後に様々な哲学や宗教、日本では陰陽道などとして様々に解釈されていく。日本にはこれらの知識を受け継いだ集団が、744年に八咫烏という名で結成される。
 カバラでは世界の創造を、神エイン・ソフからの10段階にわたる聖性の流出の過程と考え、その聖性の最終的な形がこの物質世界であると解釈している。この過程は10個の「球」と22本の「小径」から構成される生命の樹(セフィロト)と呼ばれる象徴図で示され、各部分に神の属性が反映されている。したがってカバラは一神教でありながら、多神教や汎神論(はんしんろん)に近い世界観を持つ。別の解釈ではこの世界を一冊の書物とみなす。すべてが書き込まれているこの書を解読することは、この世界のすべてを理解することであるとされている。また生命の樹とはエデンの中央に生えている木の事で、命の木とも訳され、生命の樹の実を食べると、神に等しき永遠の命を得るとされる。

 多くの神官はとても長生きだった。神官に神道の神主、巫女(みこ)、陰陽師、沖縄のノロや琉球王国の王、マヤ文明のパカル王などの神官、マヤ文明の末裔でアメリカ・インディアンの部族の一つのホピ族などが存在する。「ホピ」とは彼らの言葉で「平和の民」という意味である。また現在、マヤ民族の血を引く神官ア・クタは、聖なるシンボルのピラミッドに万物を見渡す目の装飾品を先祖代々受け継いでいるが、つまりアヌンナキ由来ということを意味する。


 しかし、やがて時とともに神官達も、宇宙との繋がりを忘れていくことになる。その結果、人間はさらに宇宙と離れていく。神官は世界中にいて、子供を作っていた。後の世界中の王族や神官の家系の系譜は、この時の神官や守護者の系譜から来ている。
 そのあと何百年も過ぎ去り、人類とアヌンナキの物語は神話へと変化していく。それはヒンドゥー教、シュメールの神話、ギリシャや日本の神話など、世界中の神話としてであり、それらの物語には多くの共通点がある。これらの内容は、実際に起きた出来事を元にしている。しかし、時間とともに彼らの知識は歪んでいき、内容は一部操作され、本来の出来事とは異なっていることも多くなっていく。やがてそれが宗教となり、支配的なものとなった。そうすると地球人にとっての神の概念も混乱していった。そして今では地球人はどこから来たのかわからなくなり、偶像崇拝も強まり、どの宗教の神が正しいのかということのために戦争が起こっている。



天然の植物幻覚剤の事実と誤解-------------------------------------------------------------------------

 今日までドラッグ、つまり薬物とは、一般的にエンセオジェン、幻覚剤と呼ばれている。これは単に、「内なる神の発生(the generaition of God within)」を意味しており、「己自身の意識の内に神を悟る(the realizaition of God within one's own consciousness)」ことを意味している。そして実際に、意識を拡張し、自己認識を拡張させ、霊性の本質へ向かわせることで知られる植物はそのほかにもたくさん存在する。
 それぞれの民族では自分たちの指導者に洞察力と指導力を求めていった。それらの人々は、シャーマンやヒーラー、司祭、また魔術師や賢者、ヨギ、奇術師と言われる人々で、このような指導者たちはファーマコピアと言われる薬物類や植物の使用に通じており、彼らの能力や洞察力はそれらの薬物類によって得るところが大きかった。「ファーマコピア(pharmacopoeia)」は薬局、ファーマシーや、薬剤師、ファーマシストの語源であり、「魔法(witchcraft)」とも訳されてきた。
地元のシャーマンたちは薬物類やそのような植物に通じており、そのために人々から尊敬や畏敬、そして権威などの社会的権力を維持してきたが、そのことは今も昔も政府や宗教家にとっては、見過ごすことのできない大きな問題となった。それはそのような先住民族たちが握る権力と支配力という力に対する、彼らの理不尽な羨望(せんぼう)でもあった。そうして、彼らによってシャーマニズムやファーマコピアは悪魔のものとみなされ、それに対して不名誉なレッテルが貼られるようになった。
 後の時代にカトリック教会が支配するスペインを皮切りとして行なわれた、「異端審問」と「魔女狩り」はこの代表的なものである。それは19世紀に至るまで欧米において、神の名のもとに教会と政府により、800万人以上の人々が殺害され、土地や財産を収奪した。さらにキリスト教会の羨望(せんぼう)と強欲はこれに留まらず、アメリカ大陸の先住中央アメリカ人の推定2000万人以上の人々を殺害した。そしてアステカ、インカ、マヤの人々を絶滅寸前にまで追い詰め、北アメリカ先住民族のアメリカ・インディアンをも同じ運命に陥れた。
 そこに横たわる彼らの目標とは、幻覚性植物に関する知識の抑圧である。それが功を奏すれば、人々はほとんど自力で神を体験することができなくなる。そのゆえに、神に付随するすべての事柄、知識において、すでに確立されている宗教へと人々の忠誠心を確実に向けさせることができる。政府と宗教が世界の支配者であるためには、別の源から情報や知識を得ることのできる独立したシャーマンや司祭、魔術師、奇術師、そして預言者と言われる人々は彼らにとっては脅威でしかなかった。


■紀元前1万年頃

 この時期、現在の最古とされるシャーマンの墓が、イスラエル北部の地中海沿岸から14キロほど内陸に位置するヒラゾン・タクティット洞窟に残される。女性は身長150センチで45歳ほどであり、ナトゥフ文化に属する高齢の女性が、動物の部位や人間の足とともに埋葬されていた。

■紀元前8000年頃

 現代のパレスチナ、ヨルダン川流域にあったエリコには石造りのモニュメントを伴う大規模集落跡があった。ただ定住という概念自体、広く根付いたのはこれから5000年後。すでに長期の外洋航海や難しい航海が世界中の至る所で行われていた。

■紀元前7200年頃

最初の古代地球大戦争-終戦協定の行方---------------------------------------------------------------

 マルドゥクの息子同士の戦い(エジプト神話の真相)である。このころ3600年の周期でやってくるニビルが地球へやってきた。
 大洪水後の最初のシャルの間、ニンフルサグは何とか皆を仲裁していた。ニビルへの金の供給は、野心と権力争いに影響を及ぼしたのである。地球はゆっくりと生命が戻り、増えていった。ところが、平和的な休戦は、マルドゥクとニヌルタでもなく、エンキとエンリル一族でもなく、イギギによって損なわれた。マルドゥクとサルパニト、そして息子たちがラーム(火星)で大洪水を回避していた時、2人の息子アサル(オシリス)とサツ(セト)が、イギギの指導者シャムガズの2人の娘に好意を寄せ、姉妹を娶(めと)り、地球に戻った。アサル(オシリス)の配偶者はアスタ(イシス)、サツ(セト)の配偶者はネバト(ネフティス)であった。
 アサル(オシリス)はマルドゥクと共にアフリカに住むことを選んだ。サツ(セト)はイギギが住む“着陸場所”の近くに、シャムガズと共に自分の家を構えた。かつてのラームの指導者シャムガズは、地球での領地について気にかけていた。イギギはどこの支配者になるのだ、アサル(オシリス)だけが肥沃な土地を継承するのではないか、と。彼は他のイギギを扇動し、そのことをネバトとサツ(セト)に毎日話した。継承権をサツ(セト)に握らせる方法を、彼とネバトは企んだ。

 ある日、彼らは祝宴を催し、イギギとアヌンナキを招待した。ネバトは着飾り、食事を用意し、アサル(オシリス)のために歌を歌った。サツ(セト)は焼いた肉を切り分けた。シャムガズはワインを勧めた。その後、アサル(オシリス)は酔いつぶれ、奥の部屋に運ばれた。そして、棺の中に入れられて密封され、その棺は海に投げ込まれた。その知らせがアスタ(イシス)に届くと、彼女はマルドゥクに泣き叫んで訴えた。「アサル(オシリス)は残忍に殺されました!棺をすぐに見つけなければなりません!」


 棺はアフリカの海岸の側で発見された。中には硬直したアサル(オシリス)が横たわり、生命の息吹が消えていた。マルドゥクは自分の服を引きちぎり、額に灰をつけた。特に、サルパニトの嘆きは大きかった。エンキは打ちひしがれ、涙を流した。「カ・インの呪いが繰り返されてしまった!」アスタ(イシス)は復讐と世継ぎをマルドゥクに訴えた。
「サツ(セト)は死ななければなりません!あなたの種子で、私に継承者を生ませてください!」しかし、エンキが制した。
「それはならぬ!兄弟が殺されたら、兄弟の兄弟が番人となるのだ。故に、サツ(セト)の命は救われ、お前は彼の種子によってアサル(オシリス)の世継ぎを生まなければならない!」
 彼女はひどく取り乱し、規則を無視することとした。アサル(オシリス)の遺体が包まれて、聖堂の墓に埋葬される前に、アスタ(イシス)は彼のペニスから精子を抽出した。そして、自分を妊娠させ、アサル(オシリス)の世継ぎを産んだ。
 サツ(セト)はエンキらの前で宣言した。「私はマルドゥクの唯一の後継者だ。私は“2つの峡谷の地”の主人となるのだ!」しかし、アスタ(イシス)が異議を申し立てた。「私には、アサル(オシリス)の世継ぎがいます!」
 サツ(セト)はこれに狼狽(ろうばい)したが、シャムガズは野望を捨てなかった。サツ(セト)の報復を避けるため、彼女は川のパピルスの茂みに子供と身を隠した。彼女はその子をホロン(ホルス)と名付けた。

 ホロンは大叔父ギビルに引き取られ、復讐のために必要なことを指導された。ギビルは彼に、鷹のように飛べる、舞い上がるサンダルを作った。ギビルは神々しい銛(もり)を作り、その矢は稲妻のようだった。ギビルは金属の技術と鍛冶を教えた。鉄と呼ばれる金属の秘密を、ギビルは教えた。ホロンはそれらで武器を作り、忠実な地球人の軍隊を招集した。
 サツ(セト)とイギギに挑むため、彼らは北に向かって進軍した。ティルムンの国境地方、“ミサイルの土地”に達すると、サツ(セト)がホロンに挑戦状を叩きつけた。軋轢(あつれき)は2人だけの問題なので、1対1での戦いとなった。

 ティルムン上空で、サツ(セト)は“つむじ風”で待ち受けた。ホロンが舞い上がってくると、サツ(セト)は毒を塗った短い矢を撃ち、ホロンはサソリに刺されたように倒れた。アスタ(イシス)が助けの叫び声を天に放つと、ニンギシュジッダ(トト)が“空の船”から降りて来た。魔法の力で、彼は毒を善の血に変えた。
 朝にはホロンは回復し、ヒレと燃える尾を持った天の魚のような“猛火(もうか)の柱”を、ニンギシュジッダ(トト)は授けた。その両目は青、赤、青と色を変えた。(追跡ミサイルか?)勝ち誇ったサツ(セト)に向かって、ホロンは“猛火の柱”を撃ちこみ、更に銛(もり)でサツ(セト)を打ち倒した。サツ(セト)は地面に激突し、ホロンによってロープで縛り上げられた。

 ホロンがサツ(セト)を議会の前に連れて来た時、サツ(セト)は失明し、睾丸(こうがん)が潰れていた。「サツ(セト)は失明し、もはや跡取りもできない。生かしておきましょう」とアスタ(イシス)は言った。そして、イギギの中で人として生涯を終えるよう、決定された。
 マルドゥクは自分の住居でその決定を聞いて喜んだが、起こったことについては悲しんだ。息子を2人とも失い、サルパニトと共に慰めあった。やがて、もう1人の息子が生まれた。2人はナブ、“預言を運ぶ者”と名付けた。

 サタンの根源はイギギである。またこの時代から鉄があった。
 エジプト神話ではオシリスの男根が見つからず、オクシリンコスという魚が飲み込んだことになっているが、それにはニビルのアラルとアヌの戦いの話が引用されていて、とても混乱している。

 アサル(オシリス)が殺害された時、マルドゥクが自分の服を引きちぎって額に灰をつけたのが、聖書における“衣を裂き、粗布(そふ)を纏(まと)い、頭から灰を被って祈った(悔い改めた)”ことの原型である。そして、アスタ(イシス)が川のパピルスの茂みにホロン(ホルス)を隠したことは、モーゼ誕生場面の原型でもあり、アダパとティティを、パピルスの茂みの中で葦の籠に入っていたことにさせたエンキの話が重なる。このように、1つの事象に対していくつもの象徴が重ねられていることは、カバラの本質でもある。


ナスカの新たなる“天と地球を結ぶ”施設----------------------------------------------------------------

 ホロンとサトゥがティルムン上空で闘った戦闘の後、エンリルが3人の息子を会議に呼んだ。彼は最近の出来事を心配し次のように言った
「最初我々は地球人を我々の形と姿に似せて創造した。今ではアヌンナキの子孫は地球人の形と姿に似るようになってしまった!それからカ・インが弟を殺した。今ではマルドゥクの息子がその兄弟の殺人者になっている!初めてアヌンナキの子孫が地球人の間に軍隊を起こした。アヌンナキの秘密である金属の兵器を彼は彼らの手に渡した!アラルとアンズにより我々の正当性が挑戦を受けた頃から、イギギによる混乱と規則破りが続いた。今ではマルドゥクの領土に信号灯の頂があり、着陸場はイギギにより占められている。今イギギは戦車場の辺りへ進出している。サトゥの名前で天と地の全ての設備を彼らは主張するようになるだろう。」
 対抗策を講じるように彼は提案した。
「天と地の設備をもう一つ我々は建設しなければならない、それは大洋の向こうの南米のニヌルタ(アラム・ムル)の地、信頼できる地球人の中に置かれるべきである。」
 このようにして秘密の使命がニヌルタ(アラム・ムル)の手に委ねられた。大洋の向こうの山間の地、大きい湖のそばに、新しい「天地の絆」が設立され、囲いの中にそれは置かれた。金塊が散らばっている山の麓(ふもと)、頑丈な基盤の平地を彼は選び、その上に上昇と下降の印を彼はつけた。
「設備は原始的ですが、目的は遂行できます」
 そうニヌルタは父エンリルに予定通り報告した。
「ニビルへの金の輸送をそこから継続できますし、必要なら我々もそこから出発できます。」

 こうして、ナスカ平原に“天と地球を結ぶ”施設が造られた。ナスカの地上絵は、空から見たときの目印となる絵であった。また長い直線の絵は、宇宙船の滑走路である。

 ペルーのイカ市の博物館には、後頭部が異常に大きい頭蓋骨が展示されている。イカ市はナスカの地上絵の近くで、この頭蓋骨が発見された。これは人間のものではなく、アヌンナキもしくは彼らとの半神半人の頭蓋骨である。
 エジプトのメンフィスの墓の壁画には、後頭部が大きい巨人の絵が描かれている。エジプトを支配していたのもアヌンナキであり、彼らは巨人だった。後頭部が大きい頭蓋骨は、アヌンナキもしくは彼らとの半神半人のものである。




 南米のエクアドルのチョレラ文明やトゥマコ地方からも、後頭部が大きい像が発掘されている。それはエジプトのファラオの正妃ネフェルティティの大きな後頭部とも同じである。つまり彼らはアヌンナキとのハイブリッド(半神半人)ということ。





 アヌンナキが作った世界中で見られる黄金比の渦模様----------------------------------------------

 ナスカの地上絵には渦巻きが3つほど見られる。例えばサルのシッポ部分など。渦巻きの模様は世界中で見られ、時には黄金比の曲線で描かれている。黄金比とは銀河や台風、植物、人間など、宇宙を構成するあらゆる部分に見られる比率である。アヌンナキが関係する場所には必ずと言っていいほど黄金比の渦模様が描かれている。




 ペルーのナスカ郊外にあるパレドネス遺跡の水路は、黄金比の渦巻きでできている。中には水が流れており、現在も農業用水として使用している。これも石積みでできており、つまりアヌンナキが作ったということ。


 コロンビアのシヌー地方の古代遺跡から発掘された黄金ジェットにも、黄金比が刻まれている。発掘地のコロンビアと、ナスカの地上絵のあるペルーは場所が近く、黄金ジェットとナスカの地上絵の造られた年代が一致することから、なんらかの関わりがあるのではないかとも言われている。つまり、ナスカの地上絵に描かれている滑走路から黄金ジェットが飛び立っていたと考えられる。この黄金ジェットが実際に飛ぶということを証明した実験動画を、下記より見ることができる。


 渦の模様は世界の各地で見られ、南アフリカのカラハリ砂漠のフェールヌークパンにも黄金比の渦の地上絵が描かれている。直径が175mもある黄金比の渦模様を描いたのは、人間でないのは明らかである。Google Map(-30° 0′ 21.64″, +21° 6′ 21.69)




 オーストラリアのアリススプリングにも渦の地上絵が見られる。これは黄金比ではない。Google Map(-23° 49' 17.71", +133° 49' 58.83")


 また、世界中の岩石や洞窟に描かれたペトログリフにも渦の模様が見られ、多くが黄金比となっている。下記のペトログリフの年代は不明だが、一般的にペトログリフは紀元前1万年くらいのものとされている。一般的には原始人が書いたとされているが、黄金比を正確に書くには人の手では無理であり、つまりアヌンナキが科学技術を用いて刻んだということ。(画像はrabbithole2.comより)












 オーストリア人の遺物調査人クラウス・ドナ氏が南米ボリビアのプマ・プンクで発見したお面やフルートにも、黄金比の渦が描かれている。このお面は身長が2.6mの巨人のものとなっていて、ちょうどアヌンナキかその半神半人と同じサイズのものである。




 渦の模様は後の時代にも引き継がれ、地中海のゴゾ島の巨石の渦模様も黄金比であり、ギリシャの南東沖のエーゲ海の出土品の渦模様も黄金比、メキシコのマヤ文明の出土品の蛇のナイフの渦模様も黄金比である。




 マヤ文明のチチェン・イッツァのククルカンの神殿の蛇の口元にも渦巻き模様が見られる。ここでは階段を挟んで2匹の蛇がいるが、2匹の蛇はアヌンナキのニンギシュジッダの象徴。 ニュージーランドのマオリの口元の刺青にも、渦模様が見られる。


 また、グアテマラ北部のマヤ文明の祭祀センターのサン・バルトロでは、黄金比の渦模様が描かれた壁画が発見されている。マヤ文明はアヌンナキが作った文明なので、サン・バルトロも壁画もアヌンナキが作ったということである。

 メキシコのテオティワカン文明のケツァルコアトル神殿のケツァルコアトルの耳も、黄金比の曲線となっている。ケツァルコアトルとはアヌンナキのニンギシュジッダのこと。


 日本の縄文土器や縄文土偶でも、黄金比の渦が見られる。縄文土偶はアヌンナキのイナンナを表している。古代の人々が綺麗な黄金比を手作業で作ることは不可能であり、縄文土器、縄文土偶は人間の手で作ったのではなく、アヌンナキが作ったものを人間に与えたということである。






 沖縄県立博物館・美術館にある沖縄県の北谷町(ちゃたんちょう)より出土の石板にも、黄金比が無数に描かれている。沖縄では明治の中頃まで若い女性が、ハジチと呼ばれる絵文字の入れ墨をする習慣があったが、その入れ墨と出土した石板の絵文字が同じだった。つまりハジチの入れ墨の文化もアヌンナキ由来である。


 現代においてはアヌンナキを悪魔崇拝したイルミナティ関係の企業にも渦巻きのデザインが見られ、黄金比をとりいれていることがある。例えば1ドル札の目の部分の渦巻きなどである。
 黄金比の渦巻き模様は素粒子の周波数1.6180の比率から来るもので、それは宇宙の誕生からある数値で、それを知っていたアヌンナキが地球上でもデザインに使用し、イナンナのシンボルとしても使用する。やがて各民族の伝統文化の中に渦巻きの模様が見られる様になり、それが現代社会ではイルミナティに関係する企業などに使用されている。


  
アンデス文明の始まり-------------------------------------------------------------------------------------

 この頃、人々はどこから来て、だれだったのかを忘れ始めた時期でもあった。しかし、平和な時代が続いたため、「偉大なるアヌンナキ評議会」において、人類に新たな技術を供与することが決定された。これにより、人類の新石器時代が開始した。人類は村を形成して生活するようになり、また土器や高度な石器を製作するようになった。そんな中、南米のペルーを中心とする太平洋沿岸地帯およびペルーからボリビアへつながるアンデス中央高地に、アマゾン帝国の叡智を受け継いだアンデス文明が始まり、後のインカ文明の祖先となる。

■紀元前6087年頃

 ノアの大洪水で沈まなかったインドに、第二のサンガムがパーンディヤ朝の王によって築かれる。