6章 教育 : 拡張プラウト主義

○フィンランドの教育制度

 ここではまずフィンランドの教育制度について、福田誠治氏の著書「格差をなくせば子どもの学力は伸びる」から見ていく。

 2005年ユネスコが教育モデルとして推奨したのはフィンランド、韓国、カナダ、キューバだった。フィンランドでは義務教育期間にあたる16歳までは他人と比較するようなテストはなく、競争もない。学習時間が多いわけでもない。それでいて高い学力を保持している。多くの学校が日本のように小学校、中学校、高校と分かれ、年間授業日は190日である。すべての学校を通じて授業料は無料で、基礎学校では教科書やノートなどの教材は無償支給され、高校までは給食費も無料である。通学のための交通費や下宿した場合の住宅補助費も支給される。フィンランドの子どもたちは自ら学ぶ。勉強するのは自分のためだからである。つまりフィンランドでは子どもたちは学びを強制されない。しかし学ぼうとすれば学びやすいように教材は緻密に開発されている。教師は学びを促し、1人ひとりの進度に応じていつでも支援の態勢にある。
 たいていの子どもたちは地元の学校に通う。国際比較で見ても学校間格差はほとんどない。子どもたちの学力格差は最も小さく、そのほとんどは学校内の格差である。日本では学力格差のかなりの部分は学校間格差と家庭の条件で説明がつく。逆にフィンランドは学力格差はほぼすべて学校内で作り出され、その学力格差に家庭の条件が少し影響を及ぼしているということである。ということは日本では家庭の条件の悪い子どもたちに、社会福祉によってよりよい教育環境を保障すれば、もっと学力が高くなるということになる。フィンランドの学校では格差をなくし、どこでもいつでも学べる学校にして、学級内では学力差に応じて個別指導ができるようにし、その結果、国全体の学力差を最も小さくしながら国際的に学力を最も高くしている。
 フィンランドの姿勢は底上げはするが、上は制限なく開放する。学校はできない人の底上げはするが、できる人は放っておく。なぜならできるからである。自立して学べるように育てていけば、教師や大人を超えて伸びていくようになる。その代わり自ら学べるように仕掛けは作る。この方法はできる人にとってもよいことなのである。
 習熟度別のクラス編成も1985年から廃止されている。したがって学校や学級はさまざまな学力の子どもたちが混じり合う統合というやり方で行っている。OECD教育局のシュライヒャー指標分析課長は、国際学力調査PISAを分析して重要なことを指摘している。

「フィンランドでは高度に個人別指導を取り入れた学習環境を生み出すことで対応しました。同国の教育制度は非常に大まかな目標、目的があるだけで、それを実施する方法を決めるのは各学校、各教師なのです。」
「フィンランドをみてみると権限と責任はすべて学校に与えられていて、学校でありとあらゆることを決めることができるようになっています。それによって成績レベルを全体的に底上げすることができていると考えられます。トップダウン方式ではなくて、学校にやる気をおこさせることによって、成績を上げられるようにする環境にあるということです。PISA調査の結果から学校が自分の判断でアイデアを考え出し、それを試してみることによって良い成果を得られることが可能となることがわかりましたが、その好例がフィンランドでした。学校にやる気をおこさせる環境を作ること、これが重要だったのです。」

 PISA調査の大きな功績は中央集権的な管理制度ではなく、各学校と各教師に権限を渡すことが、複雑で困難な教育への動機付けになったことをデータで示したことである。しかも教師だけでなく生徒への動機形成もうまくいっていることが重要だと判明した。なぜフィンランドがPISA2003でうまくいったのか。フィンランド国家教育委員会は次のように公式に説明している。

①家庭、性、経済状態、母語に関係なく、教育への機会が平等であること。
②どの地域でも教育へのアクセスが可能であること。
③性による分離を否定していること。
④すべての教育を無償にしていること。
⑤総合制で選別をしない基礎教育。
⑥全体は中央で調整され、実行は地域でなされるというように、教育行政が支援の立場に立ち柔軟であること。
⑦すべての教育段階で互いに影響し合い、協同する活動を行うこと。仲間意識という考え。
⑧生徒の学習と福祉に対し、個人に合った支援をすること。
⑨テストと序列付けをなくし、発達の視点に立った生徒評価をすること。
⑩高い専門性を持ち、自分の考えで行動する教師。
⑪社会構成主義的な学習概念

 最後の項目の「社会構成主義的な学習概念」の構成主義とは、知識とは既成の固定したものではなく、個々人が自ら編成していくものという考え方である。つまり知識は知りたいと思って探すからこそ目的に応じて事実から切り取られ、構成されるということである。各個人の知りたいという意欲によって個人が獲得する知識の中身は違ってくる。事実は1つだが、知識は人間によって多様に作り出されるということである。したがって知識について真偽を問うことはできても、誰の知識も完全ではないということになる。知識を獲得するのに教科書を覚えればそれでよいというものではない。だからフィンランドでは教科書は唯一正しい知識の集まりというものではなく、1つの良質な資料・案内と見なすので、公権力による検定も必要はなく、自由採択となる。また教科書を使って学ぶことはあっても、何が何でも教科書を覚え、教科書を学ぼうという姿勢は必要なくなる。教師もそれを画一的に教え込もうとはしない。だからどれかの知識を知らなくても欠陥人間というわけではない。誰もが皆知識は不十分なのである。よって学習し続ける。勉強はできるに越したことはないが、できなくてもそのうちできるようになればよいわけで、無能力というレッテルを貼ることは教育の仕事ではない。フィンランドには知識を管理しようとする発想はない。

 このようなフィンランドの教育制度は先端を行っているという表現よりも人間の本質に近づいた教育方法といえる。そして次に紹介するのは、さらに人間の本質に近い教育を行っている学校である。この学校の教育方針はこれから訪れる自給自足社会での教育の模範となる。次にダニエル・グリーンバーグ著「世界一素敵な学校 サドベリー・バレー物語」より抜粋して見ていく。

○サドベリー・バレー校

 1968年マサチューセッツ州のフラミンガムに誕生したサドベリー・バレー校は、4歳から19歳までの子どもたちを受け入れている学校である。子どもたちはこの学校に入るやいなや、年齢に関係なく自分自身の主人公となり、自分自身に責任を持たされるのです。誰のものでもない自分の人生のコースを左右する決断を自分で下していくのです。スタッフがいて自然に恵まれたこの学校は学習のソースを提供します。その扉は求められたとき必ず開きます。しかし求められなければじっと待っている。サドベリー・バレー校の教育哲学、信念はいたってシンプルです。即ち子どもたちは人間の本質である生来の好奇心に働き動かされることで、自分を取り巻く世界に分け入り、それを我がものとしていく途方もない努力家であると。
 もちろんいわゆるベーシックといわれる基礎学力をこの学校の子どもたちも学んでいます。ただし自分のペースで自分の時間に自分のやり方で。5歳で読みはじめる子もいます。10歳で読みだす子も。教師や友達から聞いてベストに学ぶ子もいるし、自力で学ぶのが1番という子もいます。この学校ではいつも大きな子も小さな子も年齢を超えて一緒に学んでいるのです。彼・彼女らは成長するにつれ、自己とは何かというアイデンティティー意識を強め、将来的な目標を設定していきます。この学校を去ったあと、彼・彼女らは多彩な活動を続行します。専門職あり、ビジネスあり。もちろん全米各地の大学へも進学します。これらの全てがこの学校の教育環境から生まれているのです。ここでは子どもたち自身が自分のなすべきこと進むべき道を決定する審判員なのです。

 わたしたちはここでさまざまな事柄を追求して来ましたが、学びと教えについていえば自分で学びたいことだけを自分で学んでいけるようにしたかったのです。自分自身のイニシアチブで勉強したいと思ったことを、自分で積極的に学んでもらう。ハードな勉強にも取り組んでもらう。教材であれ、書籍であれ、教師であれ、完全な自由意志で子どもたちに選んで欲しかったのです。圧力のないところで学び手が自分で選んだ対象のなかに自己を投企するときはじめて成立する種類のものと、わたしたちは考えたのです。
 そしてこうも確信しました。意欲と決心と一貫性のある生徒を得たとき、教師ははじめて比類なき達成感に浸ることができると。正直言ってわたしたちはそういう環境ができれば、それは子どもたちにとっても教師にとってもパラダイスになるに違いないと考えていたのです。そういう自分たち自身の考えに誠実であるために、わたしたちはカリキュラム、あるいは学校が考案したプログラムなるものから離脱を図らねばなりませんでした。前へ進もうとする力はすべて子どもたちから発せられたものでなければなりませんし、学校はただその意欲に応えるだけでいいのです。個々の子どもの諸活動の全責任はその子どもとともにあるべきで、権威的なポジションにいる第3者とともにあるのではないのです。

 わたしたちがこれまで必修科目の学習というものを、あらゆる水準において設定して来なかったのはこのためです。だれでも学校で援助されさえすれば、自分の人生の中の希望の場所に行き着くため必要なものを見つけ出すことができるのです。何よりも責任ということの完全な意味を子どもたちに体験してもらいたかったのです。責任を持った人間になるというのはどういうことなのか、子どもたちに知ってもらいたかった。本や講義、あるいは説教だけに頼るのではなく、毎日の経験のなかで身につけてほしかったのです。自分のボールは自分で運んでいかなければならないのです。それが自己責任です。本人が、本人のみが自分について決断をしなければならないのです。そして自分の決断とともに生きていく。それはほかの人間が代わって考えることではありません。自分の行為の結末は自分が引き受けるべきです。うまくいかなかったからといって、他人に守ってもらってすむことではありません。自立し、自分で方向づけする人間になりたいなら、自分の運命の主になりたいのなら、これは譲ってはならない基本線です。

 責任ある個人という考えのなかには、いろいろなコンセプトが含まれています。そしてそれは全て自由で自立した人間になる術を学ぶことと結びついています。自分で責任を引き受け、自分で物事を進めていく場合、ミスはつきものです。しかしそれは自分のミスであり、そうと知れば誤りから学ぶことができるのです。健全な人間とは成功だけでなく失敗からも常に何事かを得ようとしている人たちなのです。だから自分のしたいことに挑戦することはよいことなのです。うまくいくと確信していようといまいと関係ありません。そうすることによって予期せぬ挑戦を受けて立ったり、思いがけないチャンスを自分から掴んでいく心の準備ができるのです。
 わたしたちが育みたいと願ったこのような基本的な姿勢は、この学校の隅々まで行き渡るある全体的な雰囲気の一部に過ぎません。何よりもまずわたしたちは開放的で正直で信頼にあふれた恐怖の存在しない環境を追い求めたのです。だれ1人として不安を覚えなくてもすむ学校、すくなくとも開設者であるわたしたちが原因となって子どもたちが怯えるようなことのない学校の設立、それがわたしたちの目標でした。
 この学校でわたしたちが追い求めてきたことの全ては結局のところ、ある中核的な考えに収斂(しゅうれん)することにわたしたちは気づきました。そこから自然にほかの全てが流れ出る核のようなものがあったのです。その考えとは人々が外部からの干渉にさらされず、自分たちの問題を自分たちでマネージしていく学校、自分たちの共同事業、すなわち学校というビジネスをタウンミーティングのようなものを通して動かしていく場所という観念です。実に単純なことだったのです。

 サドベリー・バレー校の建物は地元で切り出した花崗岩で築いた古い邸宅です。芝生、林、茂み、花野が続く土地があります。一方の端に学校の施設用に改造した納屋と馬小屋があり、もう一方の端には水車を回す水を溜めた池に面して石づくりの水車小屋があります。それと隣接する盛土と石で流れをせき止めた場所には、古い屋根付きの木橋が架かっています。そうしたキャンパスの周囲には数百エーカーに及ぶ州立公園が広がっています。自然保護区の外にも野あり森あり湿地あり起伏ある丘が続いています。それらが四季折々の植生、色の変化を映し出してくれるのです。サドベリー・バレー校を一目見てそれが学校であると分かる人はいないと思います。いわゆる学校らしさがそこにはありません。むしろ家のように見えることでしょう。人間がいっぱいいてリラックスした態度で、さまざまな活動に従事しているホーム。そこにある設備、そこにいる人々、そこにある雰囲気はふつうの学校を想定してやって来た人の予想を裏切ることでしょう。学校で見慣れたものを探そうにもここではお目に掛かれないのですから。

○算数

 わたしの前に座っているのは9歳から12歳まで12人の子どもたち。先週わたしのところに来て足し算、引き算、掛け算、割り算、算数ならその他なんでも教えてくれと頼んで来た生徒たちです。

「本当はやる気ないんじゃないの」とわたしは言いました。彼、彼女らが最初に話を持ちかけてきたときのことです。
「いや本気だよ。まちがいなし」とは彼、彼女らの返事。
「本当は算数なんて好きじゃないんだろう」と、わたしは畳みかけました。
「君達の家の近所の人や君達のお父さんお母さん、おじさんおばさんたちは多分君達に算数好きになってもらいたいんだろうけど、君達自身としては遊んだり違ったことをしていたいんじゃないの?」
「自分が何をしたいか知ってるつもりだよ。算数をマスターしたいんだ。だから教えてよ。ちゃんとやってみせる。宿題だって全部やる。努力するつもりだから」
 わたしは半信半疑のまま子どもたちの申し出に同意せざるを得ませんでした。ふつうの学校の場合、算数は6年間かけて学ぶものです。おまけにサドベリー・バレー校の子どもたちはとても移り気ときています。が、わたしに選択の余地はありません。子どもたちに強く迫られ、わたしはとうとうコーナーに追い詰められてしまいました。こうしてわたしはある驚きへと導かれて行ったのです。最大の問題は学習のガイドとして使うテキストでした。新しい算数教授法「ニュー・マス」によるテキストは、わたし自身かつてその開発に参画したものです。開発に携わりながらすでにそのときわたしは「ニュー・マス」嫌いになっていました。振り返ればケネディ大統領の時代、駆け出しの研究者になったわたしたちの世代は、「ニュー・マス」に疑いを持ちませんでした。集合論、整数論など数学者たちがゲームとして楽しんできたエキゾチックな理論で頭がいっぱいだったのです。わたしが「ニュー・マス」嫌いになったのは、その持って回った難解さのせいです。100人に1人の数学の教師も、1000人に1人の生徒も「ニュー・マス」を理解できなかったはずです。必要なのは計算のための算術なのです。ひとびとは算術という道具の使い方を覚えたいと願っている。わたしの生徒達が教えてくれと言って来たのはまさにそれなのです。そのためにぴったりのテキストをわたしはサドベリー・バレー校の本棚から探し出しました。1898年に書かれた数学の入門書です。小型で部厚いその教科書は練習問題でいっぱい。基礎的な問題を正確に素早くこなせるようにするテキストだったのです。こうしてわたしたちの算数のクラスはとうとう始まりました。それも時間通りに。「時間を守ること」、これもわたしが子供たちと交わした「協定」のなかに含まれていたのです。

「君達、算数を本気で学びたいそうだけど、たしかに本気なんだろうね」。クラスを始める前、わたしは彼、彼女らにこう言いました。
「だったら時間通り集まってもらわないと困る。午前11時ちょうど、毎週火曜日と木曜日。もし5分でも遅れてきたらその日の授業はやめにする。それが2回続いたらクラスはそれでおしまいだ。」子どもたちは目を輝かせてこう答えました。「ちゃんと約束するよ。じゃこれで協定成立だね」。

 足し算の基礎は2クラスの授業で終えました。子どもたちは足すことならなんでもできるようになったのです。練習問題を何十問とこなしました。次の引き算も2クラスで完了です。1クラスつまり1回の授業で終えてしまうこともできたのですが、「借りてきてから引く」というところで若干の補足説明が必要になったのです。
 さていよいよ掛け算の九九。全員で暗記です。クイズで覚え、問題を解いていきます。子どもたちは皆意気軒昂、帆に風をいっぱい受けて、必要なあらゆるテクニックと計算術をマスターしながら進んでいきます。おそらく学んだことが骨の髄までしみ込んでいるのでしょう。エクササイズにクイズ、口頭試問を繰り返し、頭にたたき込みます。そんなハードな授業なのに途中で放り出す子はいません。前へ進み続けるため必要とあれば教え合い助け合います。12歳の子も9歳の子も、大きな子も小さな子も、協力し合って一緒に学んでいるのです。からかったり侮辱したりする子はひとりもいません。割り算、分数、少数、百分率、そして平方根。子どもたちは依然として午前11時にちゃんと集まってきます。それから30分間授業を受け、宿題を持って散っていくのです。次のクラスまできちんと宿題を仕上げて、また集まって来るのです。結局算数の全教程を終えるのに24週かかりました。週2回、1回につき30分。ということはトータル24時間ですべてを学んでしまったのです。ふつうの学校なら6年かけて学ぶところをたったそれだけで。それも全員がすべてを習得し切ったのです。全クラスを終え、わたしたちは打ち上げパーティーを開いて騒ぎました。わたしたちが育んできた学びの理論が驚くべき成功を収めたのです。その驚きは最初で最後のものではありませんでした。この学校でそれは常に結果を出しているのです。
 わたしにはある種の奇跡のようにも思えた成功だったわけですが、考えれば不思議でも何でもないことでした。パーティーを終えて1週間後のことです。ありとあらゆる最新・最善の教授法に通じる初等数学教育の専門家で、長年にわたり公立学校で教えてきたアラン・ホワイトと話をする機会がありました。わたしは彼に算数のクラスで起きたことを語って聞かせたのです。ところが彼はちっとも驚いてはくれません。彼のクールな反応にややビックリして、わたしは「なぜ驚かないの?」と尋ねました。わたしはまだあの「12人の悪ガキ」どもが見せた学びの速さ、その徹底ぶりを目の当たりにしたショックから覚めずにいたのです。

「そんなこと、別に驚くべきことでもなんでもありませんよ」と、アランは言いました。
「教科それ自体はそんなに難しくないんです。では何が算数を難しく、ほとんど不可能にしているかというと、嫌で嫌で仕方ない子どもたちの頭に無理やり教科を詰め込んでいく、あのやり方のせいです。毎日毎日何年もの間ずっと、少しずつハンマーでたたき込んでいけば、さしもの子どもたちもいずれ覚えるだろう、というあの教え方です。しかしうまく行くわけがない。だから見てごらんなさい。この国の6年生の大半は数学的な意味で盲目じゃないですか。結局わたしたちがなすべきこと、それは子どもたちが求めたとき、求めるものを与えることなのです。そうすればまあ20時間かそこらで彼、彼女らはきっとモノにしてしまいますよ。」

 今やわたしもそう考えています。それ以上時間がかかったことはこれまで1度もなかったのですから。

○クラス

「クラス」という言葉を聞いて持つイメージはだいたい次のようなものでしょう。教師と生徒がいる部屋で生徒たちは机に着席し、前方で立ったり座ったりしている教師から授業を受けている。さらに連想をこうふくらませる人も多いはずです。「授業時間」つまり授業が行われる固定された時間帯。そして「宿題」。さらには生徒全員に対し「これを学びなさい」といったかたちで示される教科書。クラスという言葉には次のような単語イメージもつきまといます。「つまらなさ」「イライラ」「辱め」「達成」「失敗」「競争」。
 これに対してわたしたちのサドベリー・バレー校では、クラスは全く別の意味に変わってしまいます。わたしたちのいうクラスとは当事者間の取り決めを指す言葉です。それは数学でもフランス語でもあるいは物理学でもスペリングでも陶芸でもなんでも構わないのですが、子どもたちのうちの1人、あるいは何人かが何かを学びたいと思ったとき、クラスの結成に向けたプロセスが始まります。最初はもちろん自力でどう学んでいくか、自分達で方法をあれこれ考えます。適当な本やコンピューターのプログラムを探し出します。それだけで済めばクラスはもちろん誕生しません。単なる「学び」があるのみです。問題は子どもたちが自分達の力だけでは無理と判断したときです。だれかの手助けを必要としたときのことです。そんなとき子どもたちは自分達が学びたいことを教えてくれる人を探します。手助けしてくれる人が見つかったらその人と「協定」を結びます。
「これこれしかじかすることを約束します。だからこんなことあんなことをしてください。OKですか?」
 当事者双方がOKなら協定成立です。そしてクラスが生まれます。協定づくりを始める側、つまり教えを乞う側をわたしたちは生徒と呼んでいます。だから教えを求め、協定づくりのイニシアチブをとる者が出てこなければクラスもありません。サドベリー・バレー校では子どもたちが学びたいことを自分で決め、自分なりの仕方で学んでしまうのが普通です。ですから彼、彼女らはそれほどクラスに頼らないのです。教えを乞う生徒たちと協定を結ぶもう一方の当事者を、サドベリー・バレー校では教師と呼んでいます。たまには子どもたちが教師になることもあります。もちろんこの学校でも大抵はそのために雇われた大人が教師の仕事をしていますが。サドベリー・バレー校の教師たちは、子どもたちと協定を結ぶ用意ができていなくてはなりません。それも子どもたちが満足する協定を交わせなければなりません。

 クラスをつくる協定にはいろんな条項が含まれます。何を学ぶかから始まって、回数、当事者双方の義務という風に続きます。たとえば協定づくりにあたって、いつ生徒たちと会うか教師は約束しなければなりません。固定した時間帯、たとえば毎週火曜日の午前11時から30分間必ず勉強するということもあるでしょう。あるいは、「質問があったら次の月曜日午前10時に集まってみんなで考えてみよう。質問がなかったらその次の週までスキップだ」という具合に、フレキシブルな設定にする場合もあります。ときには一緒に参考書を選んで別々に読んだりすることもあるでしょう。他方子どもたちの側にも守るべき協定事項があります。たとえば約束の時間通り遅れずに集まるといったことです。協定を交わし、やるだけのことをやったらクラスはそれでおしまいです。途中、教師がこれ以上教えることはもう無理、これ以上教えようがないと自分で判断したら身を引くことができます。生徒たちがそのクラスをもっと続けたければ別の教師を見つけるしかありません。もしも子どもたちがクラスの最中、それ以上進みたくないよと言いだしたら、教師は余った自分の時間をどう使うか自分で考えなくてはならないのです。

 サドベリー・バレー校にはもうひとつ違った種類のクラスがあります。本に書かれていないようなことでみんなが興味を持ちそうな新しいこと、ユニークなことを是非話してみたいと思ったら「お知らせ」を掲示して、たとえばこう呼びかけます。「これこれしかじかのことに関心のある人は、毎週木曜日午前10時半セミナー・ルームに集まれ」と。そうしてその場所で同好の士が来るのを待つわけです。同士が現れたらクラスが生まれ、だれひとりとして顔を出さなかったら不成立ということになります。1回目だけ参加して2回目から出なくても構いません。わたし自身そのような目に何度も遭っています。最初は「こんどは一体何をしたいんだか、ま、見るだけ見てみよう」と、子どもたちがたくさん集まります。それが回を重ねるたびに減っていく。そして結局わたしが話したいと思っている事柄に心底興味を覚えている少人数の子どもたちだけが残るのです。子どもたちにとってクラスへの参加は娯楽の一種でしょう。わたしを含むスタッフにとってそれは自分の考えを相手に伝えるひとつの方法なのです。

○ひたむき

 学びという言葉は要注意です。カジュアルでゆとりがあり、のんびりしていて覚えやすく忘れやすく、ランダムかつ混沌、道草食いのいい加減といったイメージで学びをとらえることも不可能ではありません。ところがサドベリー・バレー校ではときにこれとは正反対、真面目、真剣、一直線型の学びに徹する子どもたちがやって来ます。わが道をまっしぐらというひたむきな子どもたちです。

 リチャードがこの学校に来たのは13歳のときのこと。サドベリー・バレー校の開校と同時に入学した1期生の1人です。入学早々リチャードはクラシック音楽とくにトランペットに興味を覚えました。そして間もなく自分の人生をこれに賭けると決断したのです。スタッフの1人でトロンボーン奏者のジャンの指導で、トランペットの世界にすっかりのめりこんで行ったのです。リチャードは毎日4時間のトランペット演奏を欠かしませんでした。信じられないくらいの集中ぶりです。少しはほかのことにも目を向けたらと言っても無駄です。毎日学校に来て必ず4時間きっちり演奏しないと気が済まないのです。
 リチャードはボストンから片道1時間15分をかけて通学してくるのです。ボストンからバスでやってきてフラミンガムの終点から30分以上とことこ歩いて通って来るのです。毎日4時間トランペットを鳴らすために遠距離通学して来るのです。おかげでわたしたちの鼓膜も毎日4時間鍛えられっぱなし。
 やがてわたしたちの視線は、学校の池のそばに建つ無人の水車小屋にクギづけになりました。花崗岩の石づくり、それもキャンパスの外れにあるという願ってもない立地条件です。リチャードのトランペットに悩まされていたわたしたちの目に、水車小屋はひときわ気高い救世主のごときものに見えるようになったのです。それはリチャードとしても望むところでした。水車小屋は音楽スタジオに生まれ変わり、思う存分トランペットを吹けるようになったのです。
 リチャードに続いて登場したのはフレッドです。それもこんどはドラムときた。朝にドンドコ、昼にドンドコ、夜もドンドコというありさまです。こうなるともはや我慢も限界。ほおっておくわけには行きません。仕方なく地下室を明け渡し、そこでドンドコやってもらうことにしたのです。フレッドには地下室の鍵を渡しました。週末も学校に来てドラムを叩くからです。しかし地下室も建物の一部。日中フレッドがドラムを叩きだすと、サドベリー・バレー校はまるでジャングルの村です。床の下からドンドコ重い響きが伝わって来るのです。そんなフレッドがサドベリー・バレー校に在籍したのはたった2年。18歳で巣立っていったのです。わたしたちはもちろんフレッドのことが大好きでした。でもこの2年間のいかに長かったことか。
 音楽だけがわたしたちの心の奥底に眠るひたむきさを呼び覚ますものではありません。子どもたちは皆ひとつやふたつ、あるいはそれ以上の関心を、それこそもの凄い集中力で追求するものなのです。そして、好きなことだけに熱中するわけではありません。サドベリー・バレー校では毎年あの悪名高き大学進学適正テスト(SAT)で高い点を取ろうと、受験勉強に没頭する子が現れます。いってみればテストを受ける能力を測るだけの大学進学適正テストですが、希望する大学に入るためには受けるしかありません。手助けしてくれるスタッフを見つけると、参考書を片っ端から読んで行きます。1頁ごと真剣な目で読み進んでいく。たいてい4ヵ月から5ヵ月で準備完了です。

 サドベリー・バレー校には毎日何時間もひたすら書きまくるライターもいます。ひたすら描き続ける絵描きもいる。ろくろを回しつづける陶芸家もいれば、料理に熱中するシェフもスポーツ一筋の運動選手もいます。仲間と同じ関心事を追求する子どもたちも多いのですが、なかには絶対真似されることのない独自のテーマを追い求める生徒もいます。ルークの場合がそうでした。彼の夢は葬儀屋になること。15歳の少年が抱く野心にしては風変わりなものでした。ところがルークには彼なりの理由があったのです。葬儀屋になって地域の人々の役に立ち、肉親を亡くした人々の悲しみを和らげたいと心底思っていたのです。ですから彼の勉強ぶりは真剣そのもの。生物学や化学などを一生懸命勉強しました。16歳ともなるともう学校での学習では満足できません。そこでわたしたちはルークを現実の世界へと連れだしたのです。地元のある綜合病院の主任病理学者がルークを受け入れてくれました。そこでルークはひたすら見習いの腕を磨き、1年経たないうちに医師の立ち合いの下、検死を任されるようになったのです。それから5年後ルークは念願の葬儀屋になりました。それから間もなく彼は立派な葬儀店を開店したのです。

 ルークと同様ボブのことも忘れられません。ある日ボブがわたしのところにやって来てこう言いました。「ぼくに物理学を教えてくれませんか?」わたしはボブの真剣さを疑いませんでした。何事も徹底してやり遂げる子で、なにより実績があるのです。サドベリー・バレー校の学校新聞を発行してきたのも彼。サドベリー・バレー校の司法制度について研究書をものにしたのも彼でした。ピアノのレッスンにも励み、上手に弾けるようになったボブが、わたしから物理学を学びたいというのです。わたしは2つ返事で引き受けました。ただし教え方はかんたん、物理学のテキストをボブが独りで読んで行くだけのことです。わたしは彼に大学の物理学の入門テキストを手渡しました。以前わたしが大学で教えていたころ使っていた教科書で、わたし自身、学生時代旧版で勉強した教科書です。使い慣れているので学生がどの辺でつまづくか分かっていました。「1頁ごと、練習問題をこなしながら進んでいくんだよ」と、わたしはボブに言いました。「わからなくなったらすぐにわたしのところへ質問しに来なさい。疑問は小さければ小さいほどいい」。わたしはボブの最初の躓き場所がどこか分かったつもりでいたのです。2、3日もすれば必ず質問しに現れると。ところが1週間経っても2週間経ってもボブは現れません。1ヵ月過ぎ、2ヵ月が過ぎても教科書を手に質問しに来ないのです。しかし途中であきらめたり、投げ出したりするようなボブではありません。関心をなくしてしまったのだろうかと訝(いぶか)りながら、わたしはじっと黙って待ちつづけたのです。教科書を読みだして5ヵ月後、ボブがついにやって来ました。「252頁のここのところで引っ掛かっちゃって」。そこまで自力で進んでいたのです。わたしは驚きを隠しながらポイントを説明しました。ボブは5分間で最初で最後の躓きを克服したのです。そうなのです。ボブがわたしのところに聞きにきたのは後にも先にもそのときだけ。あとはぜんぶ自力で勉強してしまったのです。こんな調子でボブはわたしに手助けを頼むことなく、代数や微積分をマスターしました。ボブはいまや数学者として活躍しています。

○読み

 かれこれ20年近くサドベリー・バレー校では、いわゆる「読書障害」なるケースが1件も出ていません。なぜそうなのか理由はわかりません。権威あるひとびとは、子どもたちの最大20%がこの障害に冒されていると主張していますが、わたしたちの場合子どもたちに「読み方」を教え込んでいないことが良いのかも知れません。
 しかしリーディングはわたしたちの学校を厳しい試練に晒(さら)しました。わたしたちはリーディングについても、あくまで子ども本人のイニシアチブに任せているのです。わたしたちの方から「読みなさい」と勧めることはありません。「さあ、読み方を習いましょうね」とはだれも言わないのです。「今、読み方習っておいた方がいいと思わない?」と勧めることもない。いかにも楽しそうな様子で「ねぇ、読むってなんかワクワクすることじゃない?」と誘い込むこともありません。わたしたちの原則はただひとつ。リーディングについても生徒が最初の一歩を踏み出すのを待つということです。何事も思い通りになれば信念を生きるのも簡単なことです。が、現実はなかなかそうはならないもの。わたしの家族の例を見てください。1番上の子は5歳にしてリーディングに興味を覚えました。自分自身の力で6歳で読めるようになったのです。なんの問題もありません。すべては期待通りうまく行ったのです。

 さて2歳と6ヵ月年下の娘の番です。学校のほかの子どもと同様、娘が読むのを教えてくれと頼んでくるまで、あるいは自分で読むようになるまでわたしたちは待ったのです。待って、待って、待ったのです。ところが彼女は6歳になっても読まないのです。まあそれも良しとしなければならないでしょう。世間並みですから。が、彼女は7歳になっても読み始めません。こうなると親としてはやはり心配です。とくにおじいちゃん、おばあちゃん、おじさん、おばさんたちが不安の表情を浮かべます。ついに8歳にして読まず。こうなるともはや一家仲間うちのスキャンダルです。わたしたち夫婦はまるで非行パパと非行ママ。「それでよく、学校やってられるわね」というわけです。娘が8歳になっても読めないのに、対策もとらないでよく学校をやってますなんていってられるわね、そんなのまともな学校じゃないよ、と非難の言葉を浴びせかけてくるのです。でもサドベリー・バレー校ではだれもそんなこと気にかけてはいません。たしかに8歳になる友達の大半は読めるようになっている。でもまだ読めない子も何人かいるのです。そんなことなど娘は気にもかけていません。元気いっぱい幸せに毎日を過ごしているのです。娘が「読みたい。読もう」と心に決めたのは9歳のときでした。どんな理由でそう決断したのかわたしには分かりませんし、娘本人も覚えていません。間もなく9歳と6ヵ月で彼女は完璧に読めるようになりました。何でも読めるのです。もはや彼女はだれの心配の種でもなくなったのです。もちろんもともと問題児でもなんでもなかったのですが。わたしたちの個人的な経験のふつうを外れているからおかしいということはないのです。早く読みはじめる子もいれば遅い子もいる。しかし全員に共通しているのは、時が来れば読みはじめるということです。たとえ1分であってもそれを早めることはできないのです。みんながそれぞれ時が来れば読むようになる。それだけのことなのです。遅れて読みはじめた子どものなかには「本の虫」になる子もいます。逆にほかの子より早く読めるようになったのに、めったに本を開かない子もいます。わたしたちの学校に小学生過程のリーディングの教科書は1冊もありません。1年生用、2年生用、3年生用の入門テキストもありません。

 ところでみなさんのなかに小学校の教師は別にして、小学校の読本を覗いたことがある人はどれだけいることでしょう。読めば分かります。あきれてものを言えなくなるほど単純でつまらなく、意味のない代物なのです。街を知り、テレビで育った現代っ子にとって、そうした教科書はバカバカしさ以外の何物でもないのです。わたしの場合、読んで楽しむため教科書を開いている子どもと出会ったことはただの1度もありません。とにかくこの学校ではリーディングについて誰ひとり思い煩ったりしません。読みたい、コーチがほしいと思ったら助けを求めて聞くだけです。

 覚え方もさまざまです。どうやらひとりひとりに自分流の学び方があるようなのです。ある子は本を読んでもらって読み方を覚えます。ストーリーをそらで言えるようになり、遂にはその本を自分で読むようになる。コーンフレークに入った箱に印刷してある文字を見て読み方を覚える子もいれば、ゲームの説明書や街頭の広告標識から学ぶ子もいます。正直いって彼、彼女らがどうやって読み方を身につけているか、わたしたちにも本当のところはわかりません。それは子どもたちにとってもなかなかうまく説明できないことなのです。子どもたちがリーディングを学ぶことはスピーキング(話し方)を覚えることとよく似ています。機能的な障害があって話せない子はごく稀です。どうやって話せるようになるかは未知数なのですが、圧倒的多数の子どもたちは自分で話せるようになるのです。

 では子どもたちは何故話し方を学ぶのでしょう?事実は次の通りでしょう。子どもたちは産まれ落ちたその日から、人間の話し言葉が飛び交う世界の中で育つのです。そういう子どもたちにとって、言葉は何としてもマスターしたい至上のものなのです。話そうと懸命に努力する子どもたちの闘いは、決意と粘り強さの一大叙事詩です。子どもたちにとって、リーディングの方がスピーキングよりずっとかんたんです。成長した分、学びの経験を積んでいるからです。話せるようになっているので言語とは何か、どんな風に使えばいいかすでに理解済みです。単語もいっぱい覚えています。ですから話せるようになるまで使った時間、払った努力のほんの一部をリーディングに回すだけで読めるようになるのです。サドベリー・バレー校では、子どもたちに対するリーディングの強制はいっさいありません。おだてたりご褒美で釣ることも全くありません。そして読書障害もゼロ。文盲のまま、あるいは満足に読み書きできない状態で卒業していった子は1人もいないのです。たしかにこの学校では8歳または10歳、あるいは稀に12歳になってもまだ読み書きできない子もいます。しかしいつの間にか読み書きできるようになり、覚えるのが早かった子に追いついてしまうのです。そんなに晩生(おくて)な子だったとはだれも気づきませんし、想像もつかないことでしょう。

○釣り

 毎年6月になると必ず学校に顔を出す父親がいました。ジョンです。息子のダンのことが心配でわたしに会いに来るのです。もちろんダンはサドベリー・バレー校の生徒です。父と子の間に問題があるわけではない。ジョンは優しくて知的な父親で、息子に対し援助を惜しまない人だったのです。そのジョンに悩みがありました。ほんの小さな悩みの種が。そのため年に1度、わたしのところへ相談に来てとりあえず納得し、なんとかなると自分に言い聞かせて帰っていくのです。ジョンとわたしの間にいつの間にかこんな会話のパターンができあがってしまいました。

 ジョン「この学校の哲学をわたしだって知らないわけじゃないですよ。理解だってしてます。でもやっぱり聞いておかないことには‥。心配なんですよ」
 わたし「どうしたんです?(と一応聞くわけですが、ジョンが何を心配しているかわたしには分かっています。そしてジョンもそれを知っている。ですからこの会話の導入部はいわば儀式のようなものです)」
 ジョン「だって息子のダンときたら、ここに来て毎日釣りばかりでしょう?」
 わたし「そのどこがいけないのですか?」
 ジョン「1日いっぱいそれも連日ですよ。秋から冬、冬から春。とにかく釣りばかりじゃないですか‥。」
 わたしは黙ってジョンの顔を見つめ、ぼやきの続きを待ちます。ここからいよいよ本題に入るわけです。
 ジョン「わたしが心配なのは、要するにダンが何にも勉強していないことなんです。このまま行ったら何ひとつモノを知らずに大人になってしまうんじゃないかと」

 ここでわたしの短い演説の出番です。ジョンもどうせそう言われると分かっていて相談に来ているのです。心配を打ち消すわたしの言葉を待っているのです。わたしはこう説得します。

「なぁに、心配いりませんよ。ダンは何も勉強していないんじゃなくてその逆です。ダンはわたしの知るかぎりほかのだれよりも魚に詳しい。すくなくとも同年齢の子どもには絶対負けないだけの知識を持っている。魚の種類からその棲みか、行動の特性、生態、そして魚たちの好き嫌いと魚のことなら何でも知っている。だから将来立派な漁師になるかもしれませんよ。釣りのエキスパートになって新しい釣魚大全を書くことにもなるかもしれないじゃないですか‥。」
 わたしの雄弁もこうなるとちょっと悪のり。さすがのジョンもいやな顔をしています。ムっとしているジョンに向かってわたしはさらに言葉を継ぎます。わたしの話もこれからが本論なのです。

「わたしの見るところダンはほかにもいろいろ大事なことを学んでいます。まず第1に、どうすればひとつの物事をしっかり掴み投げ出さずにすむか。第2に、欲求の度合いがどうあれ、あるいはその導く先が何処であろうと、自分がほんとうに興味を持つことを存分に追い求めることができる自由の大切さを学んだこと。そして最後に、自分がどうすればハッピーでいられるかダンは知っている。」

 実際ダンはサドベリー・バレー校で最も幸せな子どもだったのです。いつもニコニコ笑っている子でした。さてわたしの演説もそろそろ終わりに近づいています。
「ダンが学んでいることを奪い去る権利はだれにもないんですよ」そしてこう締めくくります。
「いつの日かあるいはいつの年にか釣りに対する関心がなくなれば、こんどは釣りに注いだのと同じ努力を次の関心事に向けるはず。だからもう心配しないで下さい。」
 この言葉を聞き終えるとジョンはおもむろに立ち上がり、温かな「サンキュー」の一言を言い残して帰っていくのです。そして1年後にまた同じ言葉が聞きたくてやって来る。こんなパターンを繰り返したあと、毎年相談に来ていたジョンが顔を見せなくなりました。息子のダンが釣りを卒業したのです。15歳になってダンはコンピューターに夢中になりました。1年経つと地元のコンピューター会社のサービス・エキスパートとしてアルバイトをするまでになったのです。17歳ではなんと友だちと2人でコンピューターの販売・サービスを行う会社を起こしてしまいました。18歳でサドベリー・バレー校を巣立った彼は、コンピューターをもっと勉強するため大学に進みました。ジョンとダンのエピソードはこの学校ができて間もないころの話です。この父と子の逸話はこの学校の何たるかを如実に示しています。

○年齢ミックス

 年齢ミックスは、サドベリー・バレー校の秘密兵器です。現実の世界で人々は年齢別に1年の違いで分けられて生活しているわけではありません。同じ年齢だから子どもたちは同じ関心、同じ能力を持っているはずと決めつけることはできないのです。子どもたちの自由にさせておくとあることにすぐ気づきます。子どもたちはミックスするのです。自然と混じり合うのです。ふつうの大人たちのように。以前わたしはサンドイッチの作り方を教えるセミナーを開いたことがあります。12歳から18歳までいろんな年齢の子がセミナーに集まってきました。年齢の壁などはクッキングによって簡単に乗り越えられるものなのです。

 それから何年か経って現代史を教えたときのことです。16、7歳の子どもたちに混じって10歳になるアドリアンもわたしの授業を聞いてくれました。サドベリー・バレー校の原則はいつだって同じ。年齢のことなど気にせず、何かしてみたいことが出てきたらしたらいいのです。やってみて構わないのです。問題は好奇心があるかどうかです。活動が上級レベルに達すると、今度は技術が問題になります。といって年上の子が必ず技術も上というふうにはなりません。年下の子のほうが上手いというケースもけっこうあるのです。学びの技術、進み具合がバラバラなとき、愉快なことが起きます。子ども同士が助け合うのです。助け合わないとグループ全体として遅れてしまうからです。お互い競争したりいい点の取り合いをしていないので助け合いの精神が育つのです。それに仲間を援助し成功することはとても満足のいくことなのです。だから子どもたちは相手を助けることが大好きです。

 年齢ミックスは子どもたちの感情を豊かにしてくれます。夕方近く16歳の生徒が長椅子に座って6歳になる子に本を読んであげています。静かな語り口、体を寄せ合いながら‥。16歳にとってそれはとても大事なことです。それは6歳の子にとっても同じです。いつも近くに大きな子がいて自分はいつも守られているという安心感と深い信頼。こういう感情に浸れることが大切なことなのです。あるいは12歳の女の子が4つ年上の子にコンピューターの初歩を一生懸命説明しているシーンを思い描いてください。その女の子にどれだけの自信が生まれていることか。サドベリー・バレー校の幼い子どもたちは年上の子どもたちにとっていわば家族の一員です。小さな妹、弟のような。ときにはまるでわが子のように可愛がられたりします。4歳でこの学校にやって来たシャロンの場合がそうでした。彼女は両親を亡くしたばかりだったのです。そんなシャロンをだれもがわが子のように可愛がりました。お話を読んで聞かせたりいっしょに遊んだり、お喋りをしたり。お母さんがするようにシャロンのことを抱きしめた子もいました。もちろんシャロンばかりが大切にされたわけではありません。たまに卒業生が赤ちゃんやヨチヨチ歩きの子どもを連れて来たりすると、10代の生徒がさっそくお守りを買って出てくれるのです。そうやって何時間も一緒に遊んでいるのです。

 年齢ミックスは学習の面でもプラスです。子どもたちはほかの子から教わるのが大好きです。何よりもそのほうが簡単だからです。先生役の子もつい最近同じ問題をくぐり抜けたわけで、何が問題なのかよく知っています。説明の仕方も大人より子どもの方がシンプルでベターです。おまけに教わる子が余計なプレッシャーを感じなくてすむ。大人に判断される煩わしさがないのです。いい意味で刺激を受け、先生役の子に早く追いつこうという気にもなるわけです。相手に教えることも子どもたちは大好きです。教えることによって自分のかけがえのなさ、達成感を味わうことが出来ます。しかしそれ以上に重要なことは教えることを通して、問題のよりよい扱い方を身につけることができるということです。問題を整理して核心に一気に迫れるようになるのです。教えようとすることで頭のなかがクリアになり、教えられる方も理解が進むのです。サドベリー・バレー校の年齢ミックスは強烈な威力を持っています。それは子どもたちの学ぶ力、教える力を飛躍的に引き上げているのです。年齢ミックスは躍動し、しかもリアルな人間環境を創造しています。

○危険がいっぱい

 キャンパスにある大きなブナの木のてっぺんまで最初に登ったのは、12歳になる男の子でした。知らせを聞いて現場に駆けつけたわたしたちは、一瞬、心を凍りつかせたのです。大木の背丈は23メートル。その上のほうから男の子の呼ぶ声がします。生い茂る木の葉で、姿はよく見えません。誇らしげな声だけが響いています。地上のわたしたちの心に、その子が墜落するイメージがよぎりました。
 このブナの木の1件は、キャンパス内における危険管理をめぐって、わたしたちの間で長い間交わされた議論の始まりでした。考えれば考えるほど、心配のタネがあとからあとから出てくるのです。わたしたちが気づかなくても、子どもたちの方でちゃんと見つけてくれるのです。サドベリー・バレー校では、子どもたちは皆、いつでも、どこでも、行きたいところに自由に行くことができます。わたしたちの学校は、開かれたキャンパスなのです。わたしたちにとって、不安のタネがつきないわけです。

 初めのころ、わたしたちは本当にナイーブというか無垢でした。「オープン・キャンパスで行こう」と決めたとき、わたしたちはその意味を完全に分かったつもりでいました。子どもたちはいつでも好きなときに、学校から出ていって構わないのです。まるで刑務所のように子どもたちを閉じ込める「学校」というものを、わたしたちはどんなに憎んでいたことか。ことサドベリー・バレー校に関する限り、刑務所に似通ったものがあってはならないのです。サドベリー・バレー校のドアは開け放されているのです。
 最初の数ヶ月は何事もなく過ぎました。ところがある日、八歳になる2人組みが、1.6キロ先にあるピザ屋のノブスコット・コーナーに向かって元気に道路を歩いていくではありませんか。八歳の子が車の往来の激しい道路を歩いている。事故に遭ったらどうしよう…。わたしたちは恐怖のあまり、身をすくませてしまいました。
 そんなこんなで、地元の警察がわたしたちのやり方に慣れるまで、2、3年はかかったかと思います。学校からの「逃亡者」を発見しましたと、警察からよく電話がかかってきたものです。
 次の頭痛のタネは「岩場」でした。キャンパスの一角に、自然がつくりあげた美しい岩の小山があったのです。わたしたちも最初のうちは、なんて素敵な岩場なんだろう、と思っていました。5、6歳ぐらいの子どもたちが、ロッククライミングに挑戦するようになるまでは—。美しい岩山は、一転して魔の山に変わってしまったのです。
 続いて「小川」が、わたしたちの注意を喚起しました。水車小屋のダムに発し、キャンパス内をくねくね流れる浅く小さな流れです。「釣りエサ川」と名付けられた美しくのどかな小川が、急に危険なものに見え始めたのです。
 その川が実際、どんな具合に危険な存在だったか、わたしたちには分かりませんでした。しかし、「岩場」の方は、この小川の川床に沿って並んでおり、滑りやすく、しかも不安定だったのです。キャンパス内にはこのほか、小さな水たまりがあちこちに隠れていて、なかには、4歳児が落ちたらようやく首から上だけが水面に顔を出す、といった深さのものもあるのです。
 そのうち、わたしたちは気づきました。見方によっては、どんなものでも「危険」な存在になり得るのです。木も岩も、ポーチも道路も、川の流れも。キャンパスの一見見事な芝生にしても、地ネズミが巣穴をつくっていて、足がすっぽりはまれば捻挫してしまいます。
 いったん危険だと思い込むと、「立ち入り禁止」にしたくなるのが人情ですが、わたしたちはその度に、この学校の基本原則を思い起こそうと努めました。サドベリー・バレー校の教育の中心にあるのは、子どもたちは現実世界の問題と取り組むことによって判断力を身につける、という考え方なのです。子どもたちが責任を持った人間になる唯一の道、それは自分自身の生活、教育、運命に責任を持つことから始まるのです。
 この「自己責任の原則」も、わたしたちが掲げる、その他の原則と同様、開校間もないころ大きな試練をくぐり抜けました。「危険」が次から次へとこの「原則」を脅かしたのです。
 わたしたちは、これらの原則に忠実であろうとしながら、その是非について何時間も話し合ったものです。主に年長の子どもたちが原則を支持してくれたおかげで、規制が加えられることはありませんでした。
 そうした中で、日々、直面する危険とは、子どもたちにとって自ら立ち向かう挑戦でしかないことが、次第次第にハッキリとしてきたのです。辛抱強く、最後までやり通す決意と集中力、そして何よりも、相手にとって不足なしとする尊敬の念が、危険を克服するのです。子どもたちは、生まれつき自己防衛本能を持っており、自己を破壊するような真似はしないものなのです。
 ですから、本当の危険は、彼・女らの周りに規制の網を巡らすことによって生まれます。規制を突破することが逆に挑戦となってしまうのです。規制を破ることが至上命題になってしまうと、こんどは肝心の安全の確保の方がおろそかになってしまいます。
 そこで、わたしたちとしては、成り行きに任せることにしました。少々の危険は覚悟することにしたのです。遊んでいる最中、怪我をした子も、傷口を消毒してバンドエイドを貼ってもらうと、再び負傷の現場に駆けつけていきます。でも、たいていの場合、傷の手当てもせず、そのまま遊びに熱中しています。少々の怪我などまさに日常茶飯事、平気です。
 サドベリー・バレー校でこれまで起きた事故のうち、最も大きなものはと言えば、八歳の子が滑って転んで肩を打撲した転倒事故です。
 しかしながら、わたしたちはある場所で一線を画しています。目に見えない規制のラインを引いているのです。その場所はどこかと言うと池の畔です。これは地域社会の法律にもある規制です。池や沼は「公共の危険」なのです。水面を見ただけでは、深さがどれくらいか分かりません。溺れてしまったら最後です。したがって池の周りに規制のラインを巡らすことは、理に叶ったことと言えます。
 全校集会でわたしたちは立ち入り禁止案を話し合いました。非常に厳しい案で、池に1歩たりとも足を踏み入れてはならないという提案です。たとえどんなことがあっても、つま先さえ濡らしてもダメ、という規制案です。水が張っている冬場も、立ち入りはもちろん全面禁止です。討論の結果、提案は全員一致で可決されました。この立ち入り規制をすすんで破ろうとする生徒は1人もいません。全校集会で規制の廃止案を提案する子もいません。わずかに年少の子が規制を知らずに足を濡らす程度です。池にはフェンスの囲いがないこともここに明記しておきます。

 さて、あのブナの大木です。新学期が来るたびに新たな挑戦者たちを呼び寄せています。そして毎年、大木のてっぺんまで攀じ登る子が現れ、クライミング成功の秘訣を伝授しているのです。
 ノブスコットのピザ屋も地元の警察同様、わがサドベリー・バレー校の子どもたちに慣れっこになり、いまやお得意様扱いです。ご近所の皆さんもぶらぶら歩く子どもたちの姿を見て、何とも思わなくなったようです。さまざまな「危険」に立ち向かうことは、学びの重要な一部です。サドベリー・バレー校で、子どもたちは現実の世界のなかで生きているのです。囲い込まれず、閉じ込められることなく…。

○親の役割

 わたしたちは親がサドベリーに来ることを認めていました。わが子と一緒に散策して、下校時間までほかの子やスタッフとおしゃべりしたりして構わないことにしていました。サドベリーという学校共同体の親達の希望に応えきっていたつもりです。しかしそのことをもう1度考え直さなければならないことにわたしたちはようやく気づいたのです。これを考えれば考えるほど明らかになったことがあります。何よりもまず親にとって重要なほんとうの問題は、学校での役割というような単純なことではなく、家族生活の中での親の役割を考えることにあるということです。学校での親の役割を理解する前に、わたしたちが家族の中で何をすべきかもっとハッキリさせなければならないことに気づいたのです。家族生活の中での親の役割を理解しないかぎり、学校生活における親の役割を理解することもできないことなのです。さらに考え進めますと、親の役割というものはかなり早いうちからすでに問題であり、逆説的でさえあることに気づかされます。生物学にみて親は子どもを依存から独立へと育む自然の使者であるからです。子どもは最終的に「独立」して行くものです。これが基本です。新しく生まれた世代が旧世代から独立できない生物の種は生き残ることはできません。生まれた子どもには母親がいて父親がいます。しかしその子の最終目標は両親から離れることにあります。ここで問題と逆説が生まれます。この最終目標にたどり着く過程の最初に依存の時期があるからです。依存することは避けられません。生まれたばかりの子どもは完全に親に依存しています。そしてそれから何年かの間、かなり長い依存状態が続きます。つまり親としては最初から難しく逆説的な状況に直面しなければなりません。親として自分に依存するわが子を独立へと導いていかなければならないわけです。つまり最終目標は独立ですが、そのためには依存を通過しなければならない。かくしてこの相反するふたつのコンセプトが親子の関係の中で最初から同居を強いられるわけです。

 わたしたち親は子供に干渉する際、「この干渉はほんとうに本質的なものだろうか?」と自らに問うべきです。干渉とはそのひとつひとつが独立からの後退の1歩でもあるからです。こうした自問に対する答えは人によって様々です。サドベリーでわたしたちは子どもたちに独立してもらうには、実践的・直接的な経験をいますぐ積んでもらうのがいちばんだと結論づけました。あとで独り立ちするのを手伝うため、いくつかの技の組み合わせを予め教え込むのではなく、今独り立ちするために直接経験の技を身につけてもらう。そしてその技はその子にとって自分で磨きたいものであれば、その子が成長する中でより良いものになるはずだという考えに沿った結論です。

 わたしたちは子どもたちに、現実世界のこの場で人間関係を築いて行く実践的・直接的な経験を楽しむ機会を用意して来ました。幼いうちから他の子どもや大人とどう付き合うか、自分で考え経験させているのです。わたしたちは子どもたちを誘導しませんし、グループ分けもしません。ほかの学校でやっているようないろんな手助けも一切しない。ただこう言うだけです。「自分自身でしなくちゃならないよ。自分でやってみてね」と。

○放任論ではない

 教師は何もしないことが仕事であり、それは意外と大きなエネルギーを使う。自然か教育か、少なくとも人類史の現段階ではそのどちらが決定的な因子か、あるいはどちらがより重要な因子か、さらには比重はどちらにどれほど傾いているかといったことに答えを持ち合わせていないのが実情です。両方の因子がそれぞれ役割を果している。そうとしか言えないわけですが、とするならわたしたちにとって問題は以下のように設定されるわけです。「自然」と「教育」がともに役割を果しているとして、サドベリーという学校環境はそのふたつの因子とどんな関係を結んだらいいか?自然と教育のどちらが決定的であるかは別にして、子どもたち1人ひとりが自分の運命を実現して行くのをサドベリーはどのように援助して行くべきか?

 まず自然の方から考えることにしましょう。自然決定論は、子どもの潜在的な可能性や能力はその子の遺伝子組成ではほとんど決定しているという説です。子どもはそれを生まれつき持っている。子どもは髪の毛の色とか体格のような生来兼ね備えた特徴を大人になる過程で顕わにしていく。この考え方にはたしかに一理あります。とするならば子ども自身の運命実現能力を最大化するには、自然に任せきるのがいちばんということになります。そう考えると全てが明白なものに見えて来ます。運命に生来の構成要素があるとしたら、それが実現して行く最善の道とは自然を邪魔しないで思い通りにさせることだということになります。つまり障害物で取り囲んではならない。自然のプロセスが動き出すまで辛抱強く待つ。この考え方はサドベリーの何もしない芸術のコンセプトの起源になりました。

 しかしこれはわたしたちは身を引いて自然に任せればいい、あとは何もしなくていいという放任論ではありません。言い方を変えればサドベリーという学校共同体のスタッフ、あるいは親、その他のメンバーは局外者として、子どもたちの能力の自然な開花を妨害しないよう大いに心がけなければならない、ということです。これはサドベリーにいるわたしたちにとっていまなお非常に重要なことであり、事実これまで長い間そうあり続けてきました。わたしたちが体験を積む中で、この考え方は何度も繰り返し強化されて来ました。学校によって行われる妨害はそれがどんなものであれ、育ち盛りの子どもたちに固有の自然の欲求や傾向を一定程度損なうものであることが、ますますハッキリ見えて来たのです。親の役割について議論したとき、わたしたちはわが子に干渉しようとする前に1度立ち止まって、干渉することの効果とそれに伴う犠牲をまず比べてみるべきだと言いました。しかしサドベリーという学校環境は家庭環境とは大きく異なり大人が干渉していいという理由はもっと少ない。サドベリーのわたしたちの目標、すなわち子どもの生来の性向を開花させる目標は妨害されてはなりません。子どもたちの発達の流れを違った方向に誘導したり、その前に障害物を構築したりしないよう全面的な自制が必要です。


 このように人間の成長に必要なことは、本人が好奇心に対して即座に取り組める環境と、それに対して周囲が干渉しない環境となる。では好奇心を持ち、取り組み、成長するとは体の中で何がどうなっているのか、次はその概念について考えていく。