7章 直感と技術 : 拡張プラウト主義

○シータ波

 人間は直感を得て何らかの技術でそれを表現するが、直感を得るにはシータ波の状態が重要で、技術を高めるにはシナプスを理解することが重要となる。直感、閃き、アイデア、インスピレーションなど呼び名は様々であっても、これら大本はすべて同じで、すべては気づくことから始まる。これを具体的に理解するためにまず脳波の状態から見ていく。

 人間の脳波はネガティブな状態から良い状態へ向かって順に、γ(ガンマ)、β(ベータ)、α(アルファ)、θ(シータ)、δ(デルタ)に分けられる。ガンマ波はイライラしているときに出る脳波、ベータ波は普段の脳波、アルファ波はリラックスしているとき、シータはうとうとしているとき、デルタ波は熟睡しているときの脳波で、シータ波は覚醒シータ波とも呼ばれ、集中したときに発生する波長でもある。この脳波は人間のインスピレーションや閃きを促進する効果があり、直感にはこのシータ波が重要となる。

 脳波がシータ波の状態の時、人間は良いアイデアが浮かぶ。またはアイデアが降ってくるというのはこの状態からを指す。一般的にシータ波の状態とは難しく聞こえるが、誰もが経験している状態である。例えば道を歩きながら考え事をしていて、気づけばこんなに歩いてたという時、それはシータ波の状態になっていた。また夢中な状態や独り言を言っている瞬間もシータ波の状態にある。

 シータ波の状態をより解りやすく理解するために、まず自分が寝ている状態を想像してみる。睡眠時は自分が眠っているとは認識できず、起きてから今寝ていたと認識する。それと同じように、集中している時は自分が集中しているとは認識できず、フッと我に返ったときに今集中していたと認識する。つまりシータ波の状態になっている時はその瞬間を認識できないが、その時は雑念がなく、1つの思考に集中している。自分という感覚がなく、また時間感覚がなくなっている状態でもあるが、この状態での活動によって人間は良いインスピレーションを得ることができる。特に歩きながら考え事をすればシータ波になりやすく、時間感覚を忘れた状態になりやすい。また好きなことに取り組んでいる時も没頭しやすく、同じくシータ波の状態になりやすい。そしてこのようなシータ波の状態になればなるほど精神が安定し、忍耐力、洞察力、観察力が増し、自己が確立していくので人間性も高まっていく。

○エンドルフィン

 マラソンなどで長時間走り続け、気分が高揚してくる作用のことをランナーズハイというが、エンドルフィンと呼ばれる脳内麻薬が分泌され、多幸感、達成感をもたらす。好きなことをしている時や楽しいことをしている時の気分はエンドルフィンを発生させる。人間にとって体や脳を健康に保ち、楽しく生きる為にはつねにエンドルフィンを放出しつづけるという事が重要になる。
 食欲や性欲といった欲望を満たせばエンドルフィンは放出されるが、それには限界がある。満腹になれば食欲がなくなるように、脳内では欲求を押さえようとする抑制物質が放出され、永遠とは続かない仕組みとなっている。しかし精神性の高い欲求を実現している際は、エンドルフィンは抑制されずに放出され続ける。つまりエンドルフィンを永続的に放出するためには次の要素が重要になる。

①人生の目的や夢中になれることを見つける。
②その目的を通して自己実現しようと行動する。
③積極的で前向きに思考する。
④適切な食事と健康を心がける。

 エンドルフィンは免疫力を強化し、老化を防ぎ、自己治癒力を高める作用があり、ストレスの緩和にも役立つ。分泌には知的な活動や創造的な活動が適しており、運動は激しいものではなく長続きできるようなものが最適で、30分程度の散歩なども良い。
 反対に人間は怒ったりストレスを感じたり恐怖を感じる時には、脳からアドレナリンが分泌される。これは毒性のきつい物質で、これが出やすい人は老化しやすく、免疫力が低下し病気になりやすく、自己治癒力も低下する。
 シータ波とエンドルフィン、良い発想も健康も人間にとって良いことは楽しんでいる状態から生まれる。誰でもシータ波やエンドルフィンを経験しているが、通常時との違いを認識するには意識して観察する必要がある。気づけばシータ波に移行し、知らぬ間にベータ波へ戻っているからで、こういったことを認識する方法として、集中しているときは「今、時間を忘れて没頭していた」と認識し、いらいらしている時は「今、いらいらしていた」とその都度認識をするようにすれば、インスピレーションが掴みやすい状態を理解しやすくなる。

○脳内整理

 そして何かに取り組めば悩むことが増える。悩んでいる時の多くは無理に答えを探し出そうとしていることが多く、無理に考えだしたアイデアは後から見れば良くなかったということが多い。直感は自然と頭に浮かぶので無理に探し出すものではない。よって悩めば気分転換が必要になるが、これは考えつくした後でということが前提になる。自分の中に探求できる要素が残っている場合は、本当に必要な閃きを得ることはできない。常に自分の思考や知識の限界に達する必要があり、そこまで探求して気分転換をすると限界を超えるための閃きに気づく。

 気分転換の方法は人それぞれだが、寝るという行為には大きな効果がある。頭へ大量の情報を流し込み、探求し、脳が処理できなくなる、または疲れたというところで寝る。寝ることにより頭の中が整理され、起床後フッと解決策が浮かんでいる。こういったことは脳の1つの習性だが、これに気づき活用する人は休憩前や1日の終わりに次に取り組む問題を頭に詰める。そうすれば休憩後や一晩寝ることでアイデアが浮かぶ。寝る時間は15分でも1時間でも良い。寝るという行為は一般的に非生産的で不真面目な行為と思われてしまうが、インスピレーションに気づくという観点から見れば事実は反対となる。

 気分転換や寝ることなど1度頭に空の時間を設ければ、脳内の情報が整理される。これは1人の時間にも当てはまり、誰でも1人になれば無意識に様々なことを考え、これまで取り組み学んできた内容を頭の中で整理している。そして苦悩、比較、葛藤、反省、決意などの思考を繰り返すと、あらゆることに対する洞察力、観察力、想像力が増し、物事の本質を見極めていくようになり、その分人間性も高まる。つまり誰にも邪魔されず1人になる時間、孤独、暇な時間が人間には必要であり、その時間が多いほど物事を探求する時間が多くなるので自身を向上させることにつながる。そして洞察力などの能力も高まれば、その分質の高い直感を得ることになる。

 こういった脳内整理を効果的に行う方法の1つとして瞑想がある。目をつむって内面を観察すると、自分は何を考え、どういった感情が起こり、その出来事にはどういった意味合いがあったのかとその時には見えなかったことも見えてくる。そして自分の内面で起こる様々な感情が認識できてくると、他人の感情も理解できるようになる。人間にはそれぞれ個性があるが、人間という単位では同じ習性を持っており、ある出来事が起こった際に起こる感情は誰もが同じようなものとなっている。つまり人間というのは多少の違いはあれど基本的には誰もが同じようなことを考えているので、自分の感情が理解できてくると他人も同じような感情を持っていることが分かってくる。

 瞑想をすることは内面の自己認識以外にも効果がある。例えば1日が忙しく様々な情報が頭を駆け巡った時などに瞑想をすると、頭をすっきりとさせることができる。また気が散漫で集中できないときに瞑想を行うと、数分で心を安定させることができる。このように沈黙の中で内面と向き合う行為は脳内整理や自己認識など、自己を高める良い効果がある。そしてこういった1人になって考えている時は時間を忘れていることが多く、つまりシータ波の状態になっている。

○最大能力

 インスピレーションを掴むとはとても単純な行為であり、考え出すというよりも頭に浮かんだものに気づき、それに素直に従うだけとなる。インスピレーションは完璧なものであって、それは一瞬にして頭の中に用意されている。日常の会話においても一瞬にして次の話す言葉が頭に浮かんでいる。そしてそれを言葉として発するが、言葉にすると数十秒かかる文章が、頭の中では一瞬のうちに準備されている。その内容は当然自分では理解している。スポーツなどでも直感的に体が動いたプレーというのは素晴らしいプレーが多い。そのプレーの一瞬前に「こうするべき」という閃きがあり、それを実行すると必ず良い結果になる。実行するというよりは自然と体が動いたという表現が近い。物作りにおいても無心で出来たものには良いものが多い。直感に従った行動や生き方というのは良い結果を生み、それは人間を含め生物の本質的な生き方であり、本来持つ能力が最大限に発揮される生き方でもある。

 取り組む事柄がその人に適していれば普通の人よりインスピレーションが得やすくなり、自然と行動に自信が溢れ、堂々とする。つまり天職であり天才と呼ばれることもある。しかし天才が他のことをすれば普通の人になる。つまり誰でも天職につけば天才的な力を発揮することができ、何が向いているのか自己探求すれば良いわけで、子供のように好奇心が湧けば取り組んでみると、天職は見つかりやすくなる。

 直感は人間に対してこれまでになかった組み合わせを提示するが、ある動きと動きの新たな組み合わせが新しい技を生み出し、これまで人間が気づかなかった自然現象を発見することで新たな発明が生まれ、新しい音階と楽器の組み合わせが新しいメロディーを生み出す。しかしすべての要素素材は元々世の中に存在していたわけで、人間がそれを知覚して組み合わせるに至っただけである。つまり世界は完璧だが人間の常識や固定観念がそれを認識させることや組み合わせることを阻害し、直感が真実を気づかせる。つまり常識ではなく直感的な行為が人間の本質となる。常識的にはこうしなければならないが直感はそれに反している場合、最終的には直感に従えば良い結果を得ることになる。

○シナプス

 直感を活かすためには多くの場合技術が必要になるが、次に技術的に上達するということは体の中で何がどうなっているのかを見ていく。人間の脳には多くの神経細胞が詰まっており、この間を微弱な電流が流れることで情報が伝達する。神経細胞をつなぐ組織にシナプスというものがあるが、このシナプスは良く使う部分は太く、あまり使わない部分は細くなり、やがて切断する。脳神経をつなぐシナプスを太くしていくと電気の流れがスムーズになり、勉強においては答えが早く出せるようになり、運動においては動きがスムーズになる。このシナプスを太くする方法は反復練習にある。

 反復練習というのは1度覚えたことを何度も繰り返し行う。計算問題などの場合、同じ問題を何度もやるのではなく、同じような問題を簡単なものから難しい問題へと順に解いていく。もし分からなくなったら分かるところまで戻る。この反復を繰り返していると徐々に問題が早く解けるようになる。これは脳神経をつなぐシナプスが太くなってきた証拠で、このように反復練習を繰り返すことで脳の働きは良くなり、頭が良くなっていく。楽器が上手く弾けるようになるというのは脳の指令をシナプスが受け、電気信号を腕や指に伝える。筋肉はその信号に反応して動く。このシナプスは数が多いほどよく、有効なシナプスを増やすには毎日同じフレーズを反復練習するしか方法はない。興味のないことの反復練習は苦しいものとなるが、好きなことであれば練習もただ楽しいだけとなる。

 そしてひとたび脳細胞→シナプス→筋肉の経路が確立すれば、1週間あるいは1ヶ月弾かなくても、そのフレーズが弾けるようになる。これを長期記憶と呼ぶ。シナプスの数が多ければ、脳細胞からの信号をいくつもの経路を経て筋肉に伝えることができるので、正確に早く信号を送ることが出来ると同時に腕や指の動きも滑らかになる。複雑で高度な技を披露する上級者は、長年の反復練習によって長期記憶にまで達しシナプスが太く多くなっているわけで、そこにたどり着くまでには長期間の取り組みがあったということになる。上達には反復練習以外に道はなく、長期的に取り組めることは好きなこと興味のあることで近道はない。

○基礎と応用

 このように成長するというのは反復によってシナプスが太くなり、脳から筋肉まで大量の情報を伝えることが可能になるということだが、ただ反復が重要といってもまず着目すべきは基礎技術の反復にある。基礎技術というのは単調で退屈なイメージを持たれがちだが、この基礎をどこまでも反復することによって高度な応用技術が容易に行えるようになる。様々な上級者の技は素人や初心者から見れば複雑で、とても真似できないものに見えがちだが、それらを分解すれば基礎的な技術の組み合わせで成り立っていることがわかる。つまり基礎技術が認識できるまで分解し、あとはその基礎技術単体で反復練習すれば、その基礎技術を2つ3つと組み合わせるだけで応用技になり、簡単に習得できるようになる。このようにすると基礎技術と基礎技術をつなぐ動作は自然と身につく。上級者は長年の取り組みによって基礎技術が向上し、それらの組み合わせによって応用技術を可能としているので、初心者が応用技術ばかり練習して出来なかったからといって才能がないわけではなく、取り組む順序を見直す必要がある。

 誰でも初心者から上級者へ向かうが、初心者が心がけるべきことは最小のものから取り組み、慣れとともに最大のものへ進んでいくということで、例えば動作に関することであれば基礎技術から取り組み始める。速さから求めるのではなく、遅く確実から速く確実へ進む。物づくりにおいては短時間で完成できるものから取り組む。少ない作業量のものから取り組むと、小さな成功の連続によって常に達成感を感じることになるので、楽しみながら続けることができる。

 そしてどんなことに取り組んでいても、反復を繰り返しているうちに成長を感じなくなる時や、才能がないと感じるときが訪れる。人間は均一に右肩上がりには成長しない。人間の成長は「やや右上がり→少し下がる→急激に右上がり」を繰り返す。これは1日の取り組みの中においても、長期的に見ても同じとなっている。楽器やスポーツの基礎技術は非常に単純な動作だが、同じ動作を30分から1時間繰り返すと失敗が増えてくる。体が疲れてくると同時に感覚が麻痺してくるような状態だが、これを人によっては調子が悪くなったと言い表すこともある。こうなれば一旦休憩する。この休憩の間に頭の中が整理され、体やシナプスが調整され、再び練習を再開すると休憩前よりスムーズに行えるようになる。ただこれは1日のなかにおいての取り組みなので体は疲れ、動きの精度は下がり続ける。これを数日間繰り返して行うと一定期間調子が悪くなる時期が訪れるが、それが過ぎれば大きな成長を感じることになる。基本的にはこの繰り返しで長期記憶まで達する。反復を繰り返して体が動きを覚えることが長期記憶なので、質の低い長期記憶から質の高い長期記憶まで人それぞれとなる。

 質の高い長期記憶に達すると、考えなくても体が動くようになるので心に余裕が生まれる。その余裕の分だけ心が落着き、インスピレーションに気づきやすくなり、アイデアが生まれやすくなる。例えばこういったことをサッカーを例に考えてみる。

 初心者が足でボールを止める時、頭は止めることで精一杯になるが、中級者になれば周囲の状況を確認してからボールを正確に止める。そして上級者は周囲の状況を確認し、止めることと相手のゴールへ向かうドリブルの1歩目を同時に行う。さらに上級者になると周囲の状況を確認し、止めることと相手のゴールへ向かう1歩目で相手1人を抜く。

 これは1つの例え話だが、ボールを止めるという基礎技術がどこまでも高まればそれだけ余裕が生まれ、1つの技術から発展した数多くの発想が生まれる。そしてさらにスピードや正確性も増す。あらゆる上級者は基礎レベルが高く、初心者は基礎レベルが低い。上級者同士の基礎レベルにも差があり、結果それらを組み合わせた応用技術、スピード、判断力、余裕に差が生まれ、全体のレベルが違ってくる。全体の差は技術、知識、身体能力、環境などあらゆる要素によって生み出されるが、基礎技術の違いから生み出される差は大きな割合を占める。

 ただ基礎の反復と合わせて考えるべきことは、スポーツが好きなら試合をすることから、楽器をするなら好きな曲から、料理を覚えたければ今すぐ食べたいものから、デザインをしたければ好きなデザインで作ることから、外国語であれば辞書の「A」から「Z」を覚えるのではなく、日常会話でよく使われる言葉から取り組むことが重要となる。

 今求めている事柄やすぐに役立つ事柄から行うことでまずその満足感を得ることができ、意欲の向上につながる。自分の好奇心を第1優先にして取り組む順序を決定すると、最も自然で最善に物事が進む。多くの場合3年以上続けなければ自分の特性を確立するに至らないが、好奇心を優先せず参考書の1ページ目から取り組むようなやり方は、楽しみを感じながら取り組むという要素を大幅に減らしているので道半ばにして飽きてしまうことが多い。これは現在の学校や会社で行われる本人の好奇心とは関係ない教育方法にみられるが、反対に遊びとなると誰でもしたいことを真っ先に行うので常に楽しく、よって継続でき、気づけば成長している。どんなことも成長の過程は同じであり、わかりやすくまとめると次のようになる。

1、興味のあることを見つける
2、実践を行う
3、楽しければ基礎技術も反復しながら実践に取り組む

 これを繰り返すだけとなる。これを繰り返していると他者の取り組みも参考としてよく観察するようになり、よく考え、洞察力、分析力、想像力が高まり、シナプスも太く多くなっていき、頭も良くなっていく。
 こういったことが理解できると、現実の生活には無駄が多いことが見えてくる。例えば語学学校の年間授業料は20万円から100万円と多様に存在するが、20万円より100万円出すほうが自分に対して良い教育をしてくれ、上達も早そうに思える。しかし外国語を話せるようになるには自分で話す以外上手くなる道はなく、100万円払い良い先生がいて安心感はあるが、20万円の5倍早く喋られるようになるわけではない。とにかく会話をしてシナプスを太く多くし、頭で単語を変換せずとも自然と言葉がでてくるまで反復を繰り返すだけとなる。つまり本人の学びたいという意欲と反復だけである。2、3日に1回やたまに取り組むというペースではなく、好奇心がある間に毎日集中して取り組んで長期記憶まで達することが重要であり、成長は練習量や取り組んだ量に比例する。あとはその個人の生まれもった才能、性格、環境によって伸びる部分や上達期間に差がでてくる。また1日1つの技術に集中して取り組むと情報過多に陥ることが少なくなり、1歩ずつ確実に上達することができる。上達や成長は現代の教育のように知識を詰め込むことではなく実作業と共にあり、取り組む順序は自分の好奇心を優先して実践と基礎技術の反復を同時に行っていくことが重要となる。

○記憶

 興味があることを優先して学ぶことは知識の習得にも良い効果がある。人間は自ら望んで得た知識は長期的にしっかりと保持でき、興味はないがとりあえず学んだ知識はすぐに忘れる。仕事、出来事、人物などどんな対象においても自分が興味を持って調べるとその知識が長期にわたって保持され、学校の勉強のようにおおよそ興味がないことは、テスト後すぐに忘れてしまう。

 どんな時もその瞬間に自分は何に興味があるのかをよく観察し、興味の対象が具体的になればなるほど良い。例えばコンピューターの参考書は300ページもある分厚いものが多いが、学んで即活用したい知識は2〜3ページ分だけで、残りの297ページの知識はその瞬間には求めていないことが多い。もし作者そのものに興味がある場合は、その本全体が興味の対象となることもあるのでこの限りではないが、自分がその瞬間に興味があることは基本的に単純で、項目としては少ないものであり、それをはっきりと認識すると3日かけて分厚い本を読まなくても数分で必要な知識を学び取ることができる。つまり物事を学ぶ際は、その事柄のどういったことをなぜ知りたいのかはっきりする。すると学びたい知識が明確になり、無駄な部分が削られることにより短時間で学べ、興味があるので簡単に記憶でき、長期的に保持できる。

 そして記憶の際にも実践を優先して行っていくと、次に覚える必要のある知識や取り組むべき事柄が自然と見えてくる。つまり覚えようとすることから始めるのではなく、実践の中で見えてくる覚える必要のある事柄を覚えるようにすると、それを覚えなければ取り組みが円滑に進まないので習得意欲が沸き、記憶しやすくなる。そのようにして進めていくとやがてその蓄積によってその取り組んでいる事柄における法則性が発見でき、それによってその事柄の全体像を理解できるようになる。全体像が把握できれば自分の現在地が分かるので次に取り組むべきことが明確になり、その分成長は加速する。

○調和

 反復によって得た技術で直感を具現化し何かが完成するが、完成するものには質があり、質が高いとは調和がとれているということである。調和がとれているとは無駄がないことであり、そういった物を作り上げるには1人でまとめることが基本にある。無数の素材の中から数個を選び取ってまとめる作業を1人でこなすところに、隅から隅まで1つの個性でまとめられた無駄のないものが出来上がる。チームをまとめる監督は1人でなければ全体の方向性は定まらず、バンドのメンバーがただ一緒に曲を作れば個性がぶつかりあうので代表者が曲をまとめ上げ、同じ画用紙に1人の絵描きが目の部分を描き、違う絵描きが口の部分を描いていけばまとまりのない人物画ができあがる。

 素材と素材には相性があり、素材はあくまで全体を構成する一部であって、常に全体から見て素材の在り方を決めることが基本にある。最高の素材を集めれば最高のものが出来上がるというわけではなく、前に出る素材があれば後ろへ下がる素材が必要になる。素材の質は良いに越したことはないが、一部分の素材だけを見れば最高でなくても、結果として全体の調和につながることもある。つまり相性を見極めることが調和をとることでもある。

 自分が何かに取り組む場合、始めから最後までの工程を1人でまとめるところに、調和のとれた個性的な物が完成する。つまり他人の意見はあくまできっかけやヒントとして選択肢の中に置いておき、それが必要かどうかは最終的に自分で見定める。こういった作業も反復することによって見定める目が肥えていく。

 2人で何かに取り組む場合も、1人がまとめ上げ、もう1人は自分の能力を惜しみなく提供する関係になることが基本になり、相手の選択肢が増えるようアイデアを提供する。この関係性は人数が増えても変わらない。つまりまとめ上げる人物の実力も経験値も高ければ、すべては問題なく進む。問題になる場合の多くは、まとめる人物の方向性が定まっていない時、実力が足りない時、そして周囲の人間が口を挟み過ぎる時である。

 また感性の良さは調和に直結する。感性を高めるには体験と観察が必要となる。体験することによってその事柄の細部までが理解できるようになり、その後他者の行動や作品を観察すると、体験から得た経験によって自分の事のように共感することができる。つまり他人の感性を参考にして自分の感性を知る。これを繰り返すと共感能力が高まり、物事を見る目が肥えていき、再び自分がその事柄に取り組んだ時はさらに細部まで意識が行き渡り、質を向上させることができる。自分を知るには他人が必要で、自分の感性を理解するには他人の感性を参考にすることが1つの方法となる。その繰り返しによって経験値が高まり、目が肥えていき、感性が高まり、質の良い選択ができるようになり、調和にもつながる。

 また物作りを行う時は目的を持って製作することが多いが、その場合、核となる要素から作り始めると比較的容易に無駄のない調和したものを作り出しやすくなる。核となる要素とはその製品の売りや特徴で、製品を構成する要素の中でも特に大きな影響力を持つ要素である。身の回りを見渡すと目的を持って作られた製品で溢れており、それらは常に核となる要素を持っている。

 例えばウェブ上の検索サイトは、検索結果の質そのものが売りとなるので検索機能が核の要素となる。早く走る車を作るなら第1にエンジンが、第2に形状が核の要素となる。座り心地の良い椅子を作るのであれば、形状や材質など肌に接する部分が核の要素となる。料理であれば第1に味が、第2に盛り付けが、第3に器が核の要素となる。

 様々な製品は常に核の要素を中心に成り立っている。核となる要素が2つ3つの場合もあるが、目的を持って何かを作る場合、この核の要素から作り始めると調和したものを作り出しやすくなる。核の部分をある程度完成させるということは製品の大半を完成させたことになるので、その他の要素の特色を核の部分へ合わせるだけとなる。また完成品の質も完成前にある程度解り、完成までの日数も具体的になるので集中力を継続させやすくなる。さらに集団で取り組んでいる場合はチームのモチベーションの維持にもつながる。

 この基本はとくに初心者が意識して行えば、完成品の質を高めることに役立つ。経験の浅い人間が陥りやすい取り組み方は、細かな部分から作り始めてしまうことによって全体のバランスがとれず、製作途中にその質の低さに気づき、意気消沈してしまうことにある。

 例えば大掃除をする時、大抵の場合大きな家具を移動させてから隅々を掃除する。もし大きな家具を移動させず隅から掃除を始めてしまえば、掃除は一向に進んだ気がせず、後で大きな物を移動させると細かな塵が舞うので再び同じ場所を掃除することになり、終わりが見えず、時間と共にやる気を失う。反対に大きな物から片付けてしまえば掃除の大部分が片付いたことになり、あとは残りの小さな部分に必要な労力を注ぐだけになる。そしてある程度終了時間も計算できるので目標が明確になり、集中力を維持しやすくなる。つまり核の要素や影響力の大きい要素から取り組み始めると、進行状況の把握も容易になり、すべてが明確になる。

 また製品などは常に見た目のデザインも重要だが、核の要素から作ると核のデザインにその他の要素のデザインを合わせるだけとなるので、全体の統一が容易になる。もし小さな部分から作り始めると、最終的には最も影響力のある核の部分に全体の色を統一する必要に迫られ、小さな部分のやり直しが必要になる。核となる要素から取り組み始めることを基本にしておけば、無駄が減り、調和が取りやすくなる。

○自己責任と不干渉

 調和の取れたものは1人の人間がまとめることが基本になるが、つまりどんなことも自己責任で決定して取り組んでいくということになる。反対に他人には干渉しないことも基本になる。干渉された側は自己責任で取り組む姿勢を邪魔されることになるからである。

 干渉する側にとっては助言や批評などの干渉があるが、善意があるかないかにかかわらず自己責任で取り組む人間に対して重要なことは、取り組んでいる本人が何を目標に取り組んでいるかを理解し、干渉は控えることにある。取り組んでいる本人にすれば、自分の目標を理解した上で必要な時に助言をしてほしいというのが本音であって、周囲がその目標を理解せず、安易に自分の価値観で助言や批評を行うことは善意があったとしても進歩の妨げになる。自分で考え、独自の解決方法を探し出し、その方法を確立していくことで人は成長していくので、周囲の人間は本人が助言を求めてくるまでは見守り、助言を求められれば自分なりの意見を述べる。このように取り組んでいる人間が没頭できるよう周囲が干渉しない環境を作ることが重要となる。

 仮に助言をしようか迷った場合は、迷うことは直感的ではないので結果的には助言しないほうが良いことが多い。もし必要な助言であれば迷うことなく助言しているのでそれは直感的な行動と言え、直感と行動の間に迷うという思考が入れば直感ではない。

○自立段階

 1つの事柄を継続し、いくつかの技術を習得すると、その組み合わせによってほとんどのことは自分で補えてしまう段階が訪れる。つまり他者への依存がなくなり自立する段階で、常に高い完成度を維持でき、行動にも自信が溢れる。この段階を上級者と呼ぶ境目と言えるかもしれないが、この段階以降はより独自の道を探求する必要性が生まれ、発想と工夫が進歩にとってさらに重要となり、それがなければ刺激が薄れ、意欲も低下していく。

 この段階に達した人のほとんどは、取り組み時における精神面と身体面のバランスが取れている。身体的な活動の場合、常に力一杯取り組むのではなく、力を入れ過ぎて体を硬直させない程度に、また落着き過ぎない程度に常時半分ほど力を抜いてリラックスし、瞬間的に力が必要な部分に8割程度の力と集中力を注いで取り組むと、良い結果に繋がる。

 知的な活動においても1つの考えに凝り固まらず、常時半分は意識を集中させつつ、残り半分は余裕を持ち、集中する瞬間に8割程集中して取り組むと、次から次へと良い直感に気づきやすくなる。あらゆる物事は瞬間ごとに変化しているので、前から今、今から次へと流れるような変化に対応していくためには、心と体のどちらにも余裕を持つ必要がある。力一杯というのは体を硬直化させてしまい、変化に対して柔軟に対応しづらくなる。今という瞬間に結果をだす為に8割程の力と集中力で取り組み、次の変化に対応するために2割の余裕を持つ。この余裕と集中を両立させたバランス感覚を上級者は自然と身につけている。

 そして自立段階に達すると、次の課題を自ら考えて実行していくことも容易になり、集団をまとめることも容易になる。なぜならそこまで達した経験によって物事の道理を理解しているので、具体的な取り組む順序、予定の把握、他者が陥りやすい問題まで、自分の経験を基に考えていけるからである。そしてこういったことを複数の事柄で経験すると、初めて経験するどんなことも数回反復するだけでその全体像が掴めるようになる。つまり物事の道理をほぼ掴んでいるということになる。よってあらゆる事柄で上級者になることが容易になり、天職も複数見つかる。

 好奇心を持ち始めて継続できればおよそ1〜3年でその事柄が独自のものへと消化され、役に立つ技術として身に付くが、今後必要になる技術を予測し、今のうちに少しずつ反復して取り組んでおくと、それが必要となる時にはその技術を体が覚え込み、必要となった時にすぐ使うことができる。技術の種類によって期間は異なるが、半年、1年とある程度先のことを考えながら取り組んでおくと、時期が来たときに自分の技術が足りなくて成長するまで待たなければならないという事態に遭遇することはなくなる。

 そしてあらゆる技術が長期記憶に達しているので、最高の道具、最高の環境がなくても、質の高い結果を残すことができる。例えば素晴らしい絵を描く画家は、どんな安い絵の具やえんぴつを使っても同じように素晴らしい絵を描くことができる。どんな曲も弾きこなすギタリストは、どんな安いギターを使っても質の高い演奏をすることができる。野菜の千切りが早くできる主婦は、どんな安い包丁を使っても同じように千切りができる。製作者の技術力が高ければ、高性能なパソコンを使わなくても必要最低限のスペックで、プログラムもデザインも質の高いものが作れる。つまりあらゆる取り組みの結果は、体で覚え込んだ技術力と経験による臨機応変な柔軟性に左右され、それに道具が少しの影響を与える。よって初心者は形から入らなくとも必要最低限の道具で始めることによって、時間、物資、労力、金銭の負担を減らすことができる。必要な道具がどうしても手に入らないときは、身近にあるよく似た形の代替品で取り組むと、本当の道具は使ったことがないのに体だけは長期記憶に達しているということも可能になる。これは無駄に物を所有せずにその取り組みが自分に向いているのかを簡単に判断できる1つの方法である。

 例えばもしドラムに興味に持ち、しかし金銭的にすぐには購入することができなければ、そのドラムセットと同じ構造の代替品としてその辺にあるバケツや箱で簡易ドラムセットを作る。それを叩いて30分や1時間程度の時間がすぐに経てば、ほとんどの場合本当のドラムセットを購入しても継続でき、飽きて放置されることはない。もし美容師に興味がでれば、身近にあるハサミで知人や自分の髪の毛を切る。それが毎日継続できれば高いはさみを購入しても無駄になることはなくなり、専門学校へ通っても最後まで通い続けることができる。服飾に興味がでれば小さな人形の衣服や小物など、簡単で少ない生地の物を作ってみる。それが継続できれば大人用の衣服を作ることも継続でき、大量の生地を購入して無駄にすることはなくなる。ある本を購入しようか迷えば2ページ程読んでみる。2ページ読んで面白いと感じれば購入しても読み切ることが多くなり、2ページ読んで面白くなければその本は全体的に自分には合っていないので、最後まで読むことは少なくなる。バスケットボールに興味がでてバスケットゴールが必要になれば、適当な大きさの板に鉄の輪をネジで固定し、簡易ゴールを作る。そのゴールを使って練習が継続できれば、本物のバスケットゴールを購入しても無駄になることはなくなる。コンピューターのアプリケーションはデモ版が配布されていることが多いが、それを使用して継続できれば高価な正規品を購入しても無駄になることはない。どんなことも気軽に、簡易に、擬似的に体験することで、それが自分に向いているのかが簡単に判断でき、天職であればすぐに没頭し継続している。

○シミュレーション

 人間は常に頭で想像してから行動するので、事前の想像やシミュレーションの段階でどれだけ完璧な図を描けているかが現実の結果としてそのまま現れる。初心者と上級者の違いは技術的なことから経験値まで様々だが、頭の中で工程を予測するシミュレーションにも大きな差がある。上級者は始めから終わりまでの工程を頭の中で具体的に描け、初心者はぼんやりとした想像でしか予測することができない。例えば多くの主婦は料理の調理手順が具体的に頭に入っているので、必要な食材からその調理手順まで想像通りに作業を行うことができ、よって市場に行く時間も具体的に決めることができ、想像した料理そのものを作り出すことができる。プロのスポーツインストラクターも、どれだけの筋力トレーニングを行えばどれだけの筋力が得られるのかを知っているので、具体的なトレーニング内容と日程を組むことができる。プロのウェブデザイナーやプログラマーも、製作前に頭の中である程度具体的な完成図が描けるので、後はそれをそのまま作り出すだけとなる。

 上級者は長年の取り組みによって技術や経験が蓄積され、それによって何をすればどういった結果が得られるのかという現実を理解している。それらの経験を応用して事前に具体的なシミュレーションを行うことができ、想像と現実の差がないほどに、想像したものと同じ結果を得ることができる。反対に初心者の多くは頭の中でのシミュレーションが不十分なまま取り組むので、思いつきや行き当たりばったりになることが多く、結果的に無駄が多くなり、時間もかかり、質も下がる。重要なことは何をすればどういった結果が得られるのかという現実を1つずつ把握していくことであり、その繰り返しが現実的なシミュレーションを可能にする。つまり失敗すれば何故それは失敗になったのか原因を突き止め、成功するまで繰り返す。それを繰り返すことにより「こうすれば失敗する。しかしこうすれば成功する。」と現実を知ることになり、その繰り返しが具体的なシミュレーションを行える知識と想像力を養っていく。

 物事に取り組む際は、取り組む前に始めから終わりまでの工程を頭の中でシミュレーションする。それが具体的であるほど結果はその通りとなり、それが不十分であるほど結果もその通りとなる。具体的にシミュレーションできるほど上級者であり、曖昧であるほど初心者ということでもある。

 人間の活動はすべて脳からの命令で始まり、想像がその始まりであって、常に自分の内面に目を向け、具体的な想像図を描き、シミュレーションを行う。多くの場合この状態はシータ波となっているが、これに時間を割き過ぎるということはなく、考えれば考えるほど現実の完成度も高くなる。

○ゾーン

 スポーツなどでは一定期間無心で良いプレーができる精神状態のことをゾーンと呼ぶが、この状態は職人や芸術家などあらゆる職業にも当てはまる。ゾーンの状態では継続して直感を得ているので、人によっては行為そのものが神懸っていると表現されることもある。天職であればこの状態になり易くなるが、この状態で表現される精神状態は、無心で、無欲で、リラックスした状態で、非常に高い集中力で、その場の流れを完全に掴んで先の展開が予測できるような状態で、自分と会話しているような、また自分を客観視しているような状態と表現されることもある。人間は自らをこの状態になり易くすることができる。

 その方法の1つは食事で、食の在り方は人間の体調に、そして精神状態に直接大きな影響を与える。現在の食材の多くは化学製品が使用され、食べる量も人間が本来食べるべき量よりも多いので、全体的に体は不健康な傾向にある。食べ過ぎれば胃が重く感じ、肉など消化に悪いものを食べれば内臓に負担がかかり、乳製品、化学製品など体に悪影響を与える物を食べればその分健康的な状態からは遠退き、体調が優れなければストレスが発生するのでシータ波の精神状態からは遠退く。つまり直感を得やすい状態にするためには、菜食など身体と精神にストレスを与えない食生活が基本となる。

 食と同じく体調に大きな影響を及ぼす睡眠も重要な要素となる。寝不足であれば集中力を欠き、ストレスにもなるのでシータ波の状態からは遠退くことになる。睡眠時間は5時間で十分な人から8時間が適度である人など人それぞれなので、自分に合った睡眠時間で寝ることが基本となるが、規則正しい睡眠習慣は誰もが共通して重要となる。ある日は12時間寝て、ある日は4時間だけ寝るなど、睡眠時間のバラつきは体調に悪影響を与え、寝不足では集中力が欠如し、寝過ぎれば体が疲れ1日の体調は冴えず結果的にストレスを生む。日々の精神状態を安定させるには規則正しく寝て体調を安定させストレスを生まないことが重要で、毎日自分に合った睡眠時間で寝るということが基本になる。

 次に重い執着心は捨て、1つの行為が自分と他人の為になる両得を意識して取り組む。直感は自分だけが良しとする独善的な考えからでは得づらく、また自分を蔑ろにして他人だけを優先した考えからでは自分が満たされず、よってストレスとなるのでこれも直感が得づらくなる。自分の為になりながら他人の為になる両得の状態が最も直感が得やすくなる。

 1人で制作に没頭する職人は周囲からの圧力が少ないので邪念が生まれず作業に集中しやすくなり、自分が作り出すものは他人の為にもなるので1つの行為が両得となる。しかしスポーツなど競争する事柄になると、相手など外部からの圧力によって精神にあらゆる欲が生まれる。基本は勝ち負けなので「相手にやられてはいけない」「相手に勝たなければならない」と心に重い執着心が生まれ、意識が外を向く。重い執着心は硬さを生み、硬さは心を閉鎖的にするが、直感は開放的でリラックスした状態から得られる。よって競争の中にあっても相手を超えるべき1つの壁としてゲームのように軽い気持ちで捉えると、何としてでも勝たなければならないという重い執着心が軽くなる。いつでも手放せる程度の軽い執着心や拘りは高い集中力を生み出すが、つまり局面をゲーム感覚のように陽気に接していくと精神がシータ波へと傾き、内面に集中しやすくなる。ゲーム感覚とは不真面目な姿勢ではなく、心を開放して楽しむ余裕を持って取り組むことを指し、勝負事においては力ずくではなく品良く勝ちを目指す。この精神のバランスを保ちながら自分のため、他人の為、全体の為になるよう心がけて取り組んでいく。すると1つの行為に無数の意味が生まれるのでやりがいが増し、集中力も一層高まる。このように理性で自分の意識をコントロールし、両得のバランス感覚を持って取り組むとゾーンになりやすくなる。

 このように直感的な状態が持続しているゾーンという状態を1日の中で多く生み出すためには、食事や睡眠という生活の基本的なことから始まり、両得の精神で取り組み、ゲームのように楽しくポジティブに取り組む。人間の活動はすべて精神状態に依存し、常に自分の精神状態を把握し、ストレスを感じないようコントロールすることでゾーンになりやすくすることができる。
 感情がネガティブになればそれに気づいて精神を安定させなければならないが、その方法の1つとして呼吸で感情をコントロールする方法がある。緊張、ストレス、怒りを感じているときの呼吸は浅く早くなるが、リラックスした状態では深くゆっくりになる。つまり精神状態と呼吸は密接に関係しているので、感情がネガティブになれば深くゆっくりと呼吸をすることで、意識的に精神を安定させることができる。また綺麗な風景、写真、音楽など、美しく穏やかな物に触れることでも心を落着かせることができる。
 ただ人間はゾーンになりやすい状態を作り出すことはできても、自分が望む瞬間にゾーンになれるかはわからない。人間にできることは最高の準備をして待つことだけであり、日々真面目に取り組み、謙虚に徹していると、必要な時にその状態がもたらされる。

○意識の高さ

 ここまで見てきた項目は様々な一流の人物が自然と経験し身につけている。一流の取り組みを目安にすると、日々どれくらいの意識の高さで取り組めば最高の質のものが生まれるのかがわかりやすくなるが、意識が高いとは言い換えると、気の緩みや隙がなく、純粋で真面目で、集中力、観察力、実行力が高いとも言える。

 一流になる人物は朝起きると取り組む事柄が中心の生活が始まる。食生活の在り方から食べる時間、休憩する時間、寝る時間、余暇の使い方まですべてが取り組む事柄を中心に決定される。多くの場合生活は規則正しく、自分を律して過ごす。これは他人から見れば努力家と見られるが、本人からすればそうしたほうが良い結果につながり、成長にもつながるのでやりがいを感じている。つまり努力というよりはそうすることが自然で、前向きに取り組んでいるので生活も充実している。これは天職に取り組んでいるからこそ出来る行動であって、朝から晩まで天職の為に生き、休憩中もそれが頭の片隅にあり、予定のすべてがそれを中心に決定される。

 つまり自分が現在取り組んでいる事柄がやがて一流のものへ進化するかどうかは、今現在の取り組み方を観察すればわかる。もし今日1日の大部分の時間を自主的に興味のある事柄に使い、目的を持って取り組み、昨日より何か進歩した部分を感じるのであれば、3年後には独自の表現を持った一流の人物になっている。人間が成長するにはシナプスを太く多くする必要があるが、自立段階まで達するにはほとんどの場合3年の時間を必要とする。3年間毎日集中して取り組むことを想像すると、はるか高い山のように見えてしまい気疲れを起こすが、天職の場合は取り組んでいるだけで楽しいので気づけば3年経っている。つまり先のことは深く考えず、今日1日はどのくらいその取り組みに時間を割き、何を考え、何を学んだかなどを観察し、昨日より1歩前進していると、その積み重ねによる3年後の姿が見えてくる。

 こういった意識レベルの違いを職場の例で考えると、例えばアルバイトは社員よりも取り組む意識が低い。アルバイトは仕事そのものよりも小遣い稼ぎが主な目的なので、その仕事に割く時間は1日数時間となる。そして社員はアルバイトとは異なり1日のほとんどが仕事で占める。ただ多くの場合社員も生活費を稼ぐために働いており、また労働時間も会社が決定しているので自主的というわけではなく、天職の人間からすれば取り組む意識は低い。そして会社の上司など社員より上の立場にある人物は、社員よりも取り組む意識が高い。よって集中力や観察力があるので社員が気づかない細かな部分にまで目が行き届く。誰の周りでも口うるさい上司や同僚はいるが、そういった人物は少なくとも周囲の社員よりも取り組む意識が高い。そして上司より上の社長は天職であることが多く、生活のすべてを仕事に捧げていることが多い。休憩中も帰宅後も休日も仕事について考え、休むことより働くことのほうが楽しい。

 こういったことは身近な例だが、当然アルバイトや社員の中にも天職の人間はいる。また他にも、余暇の過ごし方や給料の使いを見ると、取り組む意識レベルのおおよそが見えてくる。天職の場合は休日も仕事について考え、休んだとしても気分転換程度に休むが、天職でない場合は休日が生き甲斐のようになり、そこに交遊費のほとんどを注ぎ込む。よって飲み代など仕事と関係のないことに給料を使うことが多く、天職の場合は給料の大半を自分の成長の為に使用する。

 これらはあくまで一般的な傾向だが、現在の社会の仕組みでは天職に出会う人は少なく、人間の本質からすれば取り組む意識は全体的に低いものとなっている。意識レベルが違うもの同士では、集中力も会話の内容も時間の使い方も異なるので同じ組織で働くことは難しくなる。こういった意識レベルの差は、取り組んでいる事柄が自分に合っているのかどうかで生じるものなので、合っていなければ誰でも意識は低くなり、天職であれば自然と意識は高くなる。これらは現在の学校生活の中でも見られ、勉強ができる生徒と言うのは学校が決めた教科がその生徒にあっているというだけであって、テストの点が低い生徒は頭が悪いということではなく、その教科が本人には合っていないだけのことである。テストの点が悪い生徒の中にも理科だけは点数が良かったり、数学だけは良かったり、体育だけは良かったりと、生徒それぞれに適した得意科目がある。そしてこういった学校が決めた科目の中に得意科目がない生徒は、長い学校生活の中で劣等感を植え付けられ、意欲的に活動することは少なくなる。

 誰でも自分に合ったことをすれば意識が高くなり、その分野において秀でた才能を発揮することができる。人間は意識の高い状態の取り組みにおいてのみ質の高い結果を出すことができるが、つまり自分の日々や人生をより良いものにしたければ天職に取り組む必要があり、多くの人の場合、趣味として取り組んでいる領域にそのヒントが隠れていることが多い。

○継続、飽き、変化

 好奇心に導かれて取り組んだ事柄が自分に適したものであれば自主的に取り組むようになり、30分から1時間程度の時間はすぐに経つ。適していなければ教えられるのを待つなど受身になる。現在では継続できないことは意思の弱さだと思われがちだが、誰でも興味のないことを継続することは難しい。興味ある異性に毎日電話はできても、そうでない異性には難しい。継続できなければ自分には適してなかったと思って次へ進めば良いだけで、好奇心から継続へと続き、次に来るのは飽きとなる。

 飽きるということも現在では良い意味でとられることは少ないが、継続すれば大抵のことは飽きる。飽きるまでの期間は人によって様々で、3日で飽きる人や一生続けても飽きない人もいる。人によって目的や極めたいことが異なるので飽きるまでの期間が違うのは当然だが、継続して飽きた経験がある人に共通しているのは、飽きるというのはその事柄が嫌いになったわけではなく、たまに行うくらいで程良くなるということである。つまりその人にとっては充分に堪能したわけで、どんな名曲も毎日聞けば飽きてたまに聞く程度でよくなり、学生時代毎日続けた部活動も卒業後はたまに行う程度で程好くなり、どんな好物も毎日食べれば見るだけで嫌悪感を抱くようになり、昔流行したものが何年後かに再び流行するリバイバルヒットも、その当時に比べて飽きられるまでの期間は短い。また人間関係に飽きるという表現を使うと失礼にとられるが、誰でもある友人とよく遊ぶ時期が訪れ、そしてその時期は去り、次にまた違う友人と遊ぶ時期が来てまたそれが去る。しかしお互い嫌いになったわけではなく、久しぶりに会って話をする程度でお互いのことが分かり合えるような関係になる。人間は常に興味や求めるものが変化していくので、同じ場所に留まっていれば周りが変化してしまい取り残されてしまう。継続できないこと、飽きること、興味が変わることは自然な現象であって、固執せず、常に変化することを認識し、今は何に興味が向いているのかに集中して取り組むことが重要で、変化を認めることが良好な関係を長続きさせる秘訣となる。

 人間は常に興味や感情が変化してしまうので、どんなことも義務として取り組んでしまうと、感情の変化に対する柔軟性を失う。義務とは外部に約束や宣言をしてしまった瞬間から始まる。義務化してしまうと約束を果たすために取り組むということが第一目的になってしまい、何よりも重要な楽しむということや自分自身の向上、そして他人を楽しませるという目的が二の次になることが多い。感情のように常に変化するものに絶対はなく、心で決心はしても寡黙になって取り組むことが無駄な内圧や外圧を作らず物事を最善に進める方法となる。絶対にこの時に好奇心が湧く、インスピレーションが得れるという確証はなく、寡黙になりそれが得られるまで待つ。好奇心や直感などは閉鎖的な義務とは反対の遊びのような開放された状態で見つけやすく、非義務化された環境を自分で作り出すことが重要になる。

○マンネリズムの解決策

 自立段階に達するということは成熟期に入るということで常に質の高い結果を残せるが、反対にそれまでの経験による癖でパターン化に陥って、自分の表現に新鮮味が無くなり、魅力が弱まり、発想も煮詰まり、飽きるという問題が起こる。誰でも自立段階までは試行錯誤するので様々な方法に挑戦するが、1度コツを掴むと手法が似通ってくる。自立段階に達し個性が確立されることは1つの通過点であり、ここから長期的に新鮮味や刺激を得ていくには、それまでの手法を1度手放す必要がある。その為には2つのことが重要となる。

 1つ目はそれまで行っていた取り組みを完全に止め、それについて全く考えないようにする。2つ目にそれまで取り組んでいたことと全く異なったことに挑戦する。完全に取り組みを止めることの必要性は、人間は常にそれまでの経験を基に次の決定を下して行動しているので、新しい発想を得る為にどれだけ頭を柔軟にしても自分では気づかない固定観念に縛られていることが多くなる。その固定観念が取り除かれるまでは無意識にこれまでと同じ思考パターンに陥っていることが多くなる。これを解決するにはまず取り組みそのものを一旦停止し、完全な客観性が得られるまで期間を空ける。そしてその間にそれまでとは全く異なったことを行う。仮に数ヶ月の短期間であっても、異業種を体験して知識を得れば、人間としての幅が広まる。そしてその分自分の趣味趣向は変化していき、それによりこれまでになかった物の見方を身につけ、完全な客観性も得ることができる。

 このように1つの手法を確立してパターン化に陥れば、一旦停止し、一定期間別のことに挑戦して自分を別人のように成長させる。そして再び停止していた取り組みを再開すると、成長した感性と客観的視点によって新たな発想に気づきやすくなる。一旦停止することや手放すことは極端な方法だが、重要なことは固定観念に気づき、いかにそれを取り除いていくかなので、人によってその方法は様々である。

○粗暴から静寂

 人間は様々な体験を通して物事の在り方を認識していくが、1つの物事が理解できれば、次に行うことは容易に成功させることができ、その次はさらに容易になる。人間は能力を高め、知識を得、様々な出来事を体験して物事や人間や社会や世界の在り方を認識していく。その認識度によって日々の行動の質が変わり、その行動の質によって送る人生や接する人々が変わってくる。

 若い頃は刺激的な音楽を好んでいた人が、様々な経験によって感性が高まり緩やかで美しい音へと傾倒していき、沈黙の素晴らしさに気づく。始めは自分の為の取り組んでいた若者が、経験を重ねる中で他人の協力があって自分が成り立っていることに気づき、奉仕活動を行って社会に恩返しを始める。粗暴な人物の周りには粗暴な人が集まり、やがて暴力が無意味なことに気づき非暴力に徹し始めると、周囲にも温和な友人が増え始める。
 このように人間は様々な体験を通して、初期の荒い精神から安定と落着きを得た静寂な精神へと向かって進む。その道筋は人の数だけあり、自分の世の中に対する認識度に応じた人生を送りながら成長を繰り返し、年を重ねるごとに落着いていく。

○謙虚

 人生は自分の意思で決定できる部分はあっても、そのほとんどは周囲に影響され動かされているのが実態となっている。例えば社会的な活動においても、その成功の鍵は様々な要素が複合的に合わさって決定されている。それは場所、設備、タイミング、天候、周囲のサポート、人脈、人徳、時代の流れ、運など様々で、物事を成熟させるにはこういった自分ではコントロールできない要素が必要分揃うまで待つことが必要になる。直感ですらも自分が望む瞬間に得られることはなく、得られる時まで待たなければならない。そして自分の体についても自分の意思では決められない部分がある。例えば食べ物を口へ運ぶことは自らの意思で行えても、喉を通り過ぎてからは体が勝手に消化活動を行い、それを自分で止めることはできない。自分の意思で息を止めることはできても睡眠中は体が勝手に呼吸をし、かゆい所があれば無意識にかき、寝返りも無意識に行っている。つまり人生の多くは他動的に動いており、言い換えれば自分にできることは最高の準備をして待つだけということになる。自分の目標を達成するために日々鍛錬し、その技術を披露する舞台を周囲が用意してくれるまで待つ。そういった自分が活かされる舞台を与えてくれる周囲に感謝の気持ちを持って接することが人間の基本的な在り方で、つまり世の中に自分の力だけで成し遂げたと言えることは何1つなく、高慢な態度を取れることもひとつもないというわけである。つまり自分が他人よりも、また他人が自分よりも優れているということもなく、どんなに素晴らしいアイデアが浮かぶ人であっても、その直感は与えられたものというのが実体となる。人間は誰もが等しく平等であり、必要以上に自分を低くする必要も高圧的にする必要もなく、誰に対しても一定の尊敬を持って謙虚に接することが自然な様で、そうあることで誰もが誰とでも心地良い人間関係を築くことができる。

 言葉で直感や技術の概念を説明すると項目が多くなるが、直感はこういった要素を一瞬で扱う。好奇心を持ち始めてから得る知識や経験が消化されれば、最終的にはただ直感に従うだけの単純な状態に行き着く。その段階に達するために知識や経験が助けになる。ここまで述べてきたことは結局自ら体験する以外に理解する方法はなく、人間は実体験からのみ物事が理解できる仕組みになっている。

 頭を良くしたいのであれば、人間性を向上させたいのであれば、他人を喜ばせたいのであれば、幸せを感じて生きたいのであれば、それは何か1つの好きなことに没頭することから始まる。すべての人間に共通する直感とシナプスの概念を理解すればどんなことも習得が容易になり、指導者や学校は必要なくなる。子供や初心者はこのような学び方を学ぶことが必要となる。ただ子供は素直なので大人よりも容易にこれらを習得する。子供の純粋で無邪気で素直な取り組みは、素直さがなくなった人物にとってはいつでも見習わなければならない良い例となる。

 そして好奇心に従って取り組めば誰でも上級者と言われる段階まで達することができ、天職につけば上級者を超える天性の能力を発揮することになる。好きなことや天職に取り組むと自然と自分だけの表現が可能になり、朝早く起きることも長時間取り組むことも苦ではなく、取り組み自体が喜びとなる。そして好きなことをすれば未来を想像して計画を立てることは楽しく、生活が想像的になる。しかし望んでいないことをすれば一瞬先のことすら考えることが苦になり、1週間後、数ヵ月後のことを想像することは苦痛の直視で、人生そのものが消極的で非想像的になり、他人を妬むなど人間の能力がどこまでも貶(おとし)められる。成長にとって競争や順位付けは必要なく、ほとんどの場合劣等感や嫉妬心を植え付けるだけであり、人間としての自信を失わせていく結果となる。このように人間には遊びや仕事という分け隔てではなくただ想像的な活動があるのみで、想像して表現することは永遠の欲求として続いていく。

 好きなことをして何かアイデアが浮かぶ時、それは一瞬にして完成形が、あるいはその断片が頭に浮かんでいるが、その断片は何かによってすでに完成されているような状態にある。会話中でも単語を1語ずつ並べていくわけではなく、話す文章が完成した状態で準備されている。現在ではアイデアが降って来たなどの表現をすることが多いが、その言葉どおり人間の視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚の五感では感じ得ない世界から、第六感で直感的に完成品の一部分を感じ取り、脳でそれを知覚し、行動や創作表現を通じて具現化している。もしそういったアイデアを自分が考えだしたものではなく、あくまで自分を通して表現されたものと謙虚に扱えば、永続的に良い直感を得ることにつながる。謙虚な人間はありのままの自分を直視するので、今の自分には何が必要か、何をすべきなのかと身の丈に合った直感に気づきやすくなる。人間は常に直感を得て行動しているが、つまり人生に対しても謙虚に向き合えば、永続して喜びと調和がもたらされるということになる。そして謙虚な態度で取り組めば無限に直感に恵まれ、自己中心的な態度に陥ると直感は得られなくなる。現在でも多くの10年以上の長期に渡って優れた作品や行動を維持し続けている人物は、人間的に謙虚で真面目な性格であるということがわかる。

 そして閃いたアイデアや直感はすぐに忘れてしまうが、それは今朝見た夢の内容を思い出せないことにも当てはまる。つまり通常時のベータ波より上のシータ波やデルタ波の状態で感知する直感は、通常の脳波では長時間保持することができない。しかしいつ閃くと言えない直感によって人間は日々を過ごしているので、当然時間や規則での束縛は不可能であり、好きな時に取り組め、好きな時にやめることができる自由な仕組みが社会には必要となる。形式ではなく直感に従える社会が必要であり、それが人間の本質的な在り方となる。しかしこの単純な原理を理解した仕組みが社会にはなく、それは人間の能力を低い次元に留めさせることにつながっている。もし直感的な能力を最大限に発揮できる仕組みが社会で実践されれば、好きなときに取り組めるので活動は常に楽しく、よって集中力や活力はいっそう高まり、結果も飛躍的に向上する。ではそういった社会とはどういったものなのか次にまとめる。